5.何が欲しい

 オイッ、お前達人間共よ。お前達は今、何が一番欲しいのか、遠慮なく言ってみなさい。と言うと、みんな口を揃えて〝手前共は只仕合せになりさえすれば、それでいいんで御座りまする〟と言うだろう。若しそう言わない奴があったとしたら、此奴は馬鹿か気違いに違いない。

 そこで拙者は、面倒臭(めんどうくさ)い事は嫌いだから、大雑把(おおざっぱ)に行ってみると、こうだろう。先ず一生涯病気に(かか)らない事、年が年中ピンピン達者で長生(ながいき)をする事、食うに困らないだけの金が、チャンと入って来る事、家内中仲良く、嬉し嬉しで暮してゆく事、夫婦は、お前百迄、わしゃ九十九迄、共に白髪の生える迄というようになる事、マアその位の欲だろう。

 そんな事なんか、此方は朝飯前のオ茶ノコサイサイなんだよと言うと、お前達は言うだろう。「そんな(うま)い事が、この世の中にあって(たま)るもんか。(うま)い事を言いやがって、嬉しがらせておいて、信者にする方便(ほうべん)なんだろう。成程メシヤ教という奴、食えない代物だ、繁昌(はんじょう)するのは当り前だよ」と言うだろうが、そこにそれ問題があるんだ。何故かって、聞くだけ野暮(やぼ)だよ。今迄の世の中じゃ、そんな結構な事は出来っこなかったんだから、誰も本当にするわけがないんだ。然も仏教とやらを作った、(しゃ)()()()(ぶつ)という、ヘンは名前のオッサンが言い出した()(たく)(せん)には、「この娑婆は(しょう)(びょう)(ろう)()()()という奴は、どうしても逃れられないもので、四苦八苦で苦しむように出来ているによって、安楽(あんらく)に仕合せに暮らしたいとか、何かが欲しいなどと思うのは、出来ない相談(そうだん)で、煩悩(ぼんのう)の犬という奴に迷わせられているんだ、分ったか。

 (なんじ)元来(がんらい)枯木(かれき)(ごと)しじゃない、欲の皮の(つっ)()った人間共よ、お前達は金が欲しい、女が欲しい、美味い物を食いたい、いい着物が着たい、立派な家に住みたい、名誉が欲しい、何が欲しい、()にが欲しい、と欲しい物だらけで、年が年中苦労のし通しなんだし、又百八煩悩(ぼんのう)と申して、欲しいものが百八ツもあるんじゃから、厄介(やっかい)な人間共じゃ、一切(いっさい)衆生(しゅじょう)(とも)相分ったか」と仰言ったんだ。これが御説教の始まりなんだから、お有難い話では御座らぬか。だから人間共は、先ずこの娑婆に生きている間は、出来るだけ不味(まず)い物を食って、インディアンのように、六尺(ふんどし)の長い奴を、体中に巻き附けていれば、それで充分生きていられると仰言るんだ。処が、世の中には、その上を越した、親鸞(しんらん)という和尚(おしょう)さんが出て来た。和尚はまだ、それでも勿体ないと、紙で作った(かみ)()という奴を着たんだから、上には上があるものじゃと、感心(かんしん)したんで御座るよ。そういう訳で、欲張ってはいかん、(よく)を捨てよ、欲を(あきら)めよというのが、仏教の教えなんだから、我々の方で()しいものは何でも(かな)うと言うと、()しからん事を抜かすな、そんな安ッポイ事を言うのは、現当(げんとう)利益(りやく)の低級宗教なんだから駄目だ、と来るんだから、全く恐れ入りやの()()()(じん)で、こういう人達の頭の造作(ぞうさく)は、アベコベにくっ附いているんじゃないかと思うんだよ。本当に可哀想なのはこの人達で御座い、と言いたい位だよ。だがこれも、今言ったような訳としたら無理もないが、こういう御仁(ごじん)こそ丁髷(ちょんまげ)信仰のチャキチャキなんだから、差詰(さしづ)め丁髷を、チョックラチョン切らしておいて、生まれたてのホヤホヤの、(けむ)の出てるメシヤ教の、美味しい奴をウンと食べさしてやるんだ。すると、安くて、美味(おい)しくて、()ッペタが落ちそうなので、こんな結構なものが、この世にあったのかと、手の()い足の()む所を知らずで、大喜び。何しろ長い間の栄養不足で、骨と皮ばかりのガタガタ共を、ウンと(ふと)らして、まだ見た事もない天国へ、手を引いて助けてやるんだから、大したもんじゃろう。

 これが本当のメシヤ教のお説教なんだとは、何と有難い御説教では御座らぬか。

 嗚呼(ああ)()()(ほう)(れん)()(ぶつ)、アナ(かし)こ。ボク、ボク、ボク。

(栄光 九五号)

 

 

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