オイッ、お前達人間共よ。お前達は今、何が一番欲しいのか、遠慮なく言ってみなさい。と言うと、みんな口を揃えて〝手前共は只仕合せになりさえすれば、それでいいんで御座りまする〟と言うだろう。若しそう言わない奴があったとしたら、此奴は馬鹿か気違いに違いない。
そこで拙者は、面倒臭い事は嫌いだから、大雑把に行ってみると、こうだろう。先ず一生涯病気に罹らない事、年が年中ピンピン達者で長生をする事、食うに困らないだけの金が、チャンと入って来る事、家内中仲良く、嬉し嬉しで暮してゆく事、夫婦は、お前百迄、わしゃ九十九迄、共に白髪の生える迄というようになる事、マアその位の欲だろう。
そんな事なんか、此方は朝飯前のオ茶ノコサイサイなんだよと言うと、お前達は言うだろう。「そんな旨い事が、この世の中にあって堪るもんか。巧い事を言いやがって、嬉しがらせておいて、信者にする方便なんだろう。成程メシヤ教という奴、食えない代物だ、繁昌するのは当り前だよ」と言うだろうが、そこにそれ問題があるんだ。何故かって、聞くだけ野暮だよ。今迄の世の中じゃ、そんな結構な事は出来っこなかったんだから、誰も本当にするわけがないんだ。然も仏教とやらを作った、釈迦牟尼仏という、ヘンは名前のオッサンが言い出した御託宣には、「この娑婆は生病老死の四苦という奴は、どうしても逃れられないもので、四苦八苦で苦しむように出来ているによって、安楽に仕合せに暮らしたいとか、何かが欲しいなどと思うのは、出来ない相談で、煩悩の犬という奴に迷わせられているんだ、分ったか。
汝元来枯木の如しじゃない、欲の皮の吊張った人間共よ、お前達は金が欲しい、女が欲しい、美味い物を食いたい、いい着物が着たい、立派な家に住みたい、名誉が欲しい、何が欲しい、彼にが欲しい、と欲しい物だらけで、年が年中苦労のし通しなんだし、又百八煩悩と申して、欲しいものが百八ツもあるんじゃから、厄介な人間共じゃ、一切衆生共相分ったか」と仰言ったんだ。これが御説教の始まりなんだから、お有難い話では御座らぬか。だから人間共は、先ずこの娑婆に生きている間は、出来るだけ不味い物を食って、インディアンのように、六尺褌の長い奴を、体中に巻き附けていれば、それで充分生きていられると仰言るんだ。処が、世の中には、その上を越した、親鸞という和尚さんが出て来た。和尚はまだ、それでも勿体ないと、紙で作った紙衣という奴を着たんだから、上には上があるものじゃと、感心したんで御座るよ。そういう訳で、欲張ってはいかん、欲を捨てよ、欲を諦めよというのが、仏教の教えなんだから、我々の方で欲しいものは何でも叶うと言うと、怪しからん事を抜かすな、そんな安ッポイ事を言うのは、現当利益の低級宗教なんだから駄目だ、と来るんだから、全く恐れ入りやの鬼子母神で、こういう人達の頭の造作は、アベコベにくっ附いているんじゃないかと思うんだよ。本当に可哀想なのはこの人達で御座い、と言いたい位だよ。だがこれも、今言ったような訳としたら無理もないが、こういう御仁こそ丁髷信仰のチャキチャキなんだから、差詰め丁髷を、チョックラチョン切らしておいて、生まれたてのホヤホヤの、煙の出てるメシヤ教の、美味しい奴をウンと食べさしてやるんだ。すると、安くて、美味しくて、頬ッペタが落ちそうなので、こんな結構なものが、この世にあったのかと、手の舞い足の踏む所を知らずで、大喜び。何しろ長い間の栄養不足で、骨と皮ばかりのガタガタ共を、ウンと太らして、まだ見た事もない天国へ、手を引いて助けてやるんだから、大したもんじゃろう。
これが本当のメシヤ教のお説教なんだとは、何と有難い御説教では御座らぬか。
嗚呼、南無法蓮陀仏、アナ畏こ。ボク、ボク、ボク。
(栄光 九五号)
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