この題を見た御仁は、阿呆の奴、チト頭がどうかしたんじゃないかと仰言るだろうが、全くそうかも知れないよ。拙者もチト変なような気がするんだからね。何しろあんまりこの娑婆は、盲聾が多過ぎるので、一人々々玄翁で、頭の天辺をガンと喰らわしてやりたいんだが、それじゃギューッと参ってしまうだろうから、折角助けてやろうと思って、殺してしまったんじゃ何にもならないから止すとして、茲でつくづく世の中を見て来ると、アチラでもコチラでも、結核、ケツカクと言って、丸で尻ッペタに疥癬でも出来たような騒ぎだ。というわけで、役人やお医者さん達、青息吐息の有様は、情ないのを通り越して、涙も出ないこの阿呆。マア目を開けて御覧じろ、血気盛んな若者が、結核という烙印を捺されたが最後、サア大変、青菜に塩の萎れよう、フラリフラリとさながらに、地獄からでも出て来たよう、幽霊同様の青瓢箪、朝から晩迄ゴホンゴホンの出通しで、体温計と首っ引き、天井の節穴数えるだけが日課なりという次第、丸で作りつけの人形か、石地蔵が道端へ、倒れたような恰好で、手足一つも動かさず、只動くのは目の玉ばかりという始末、それで何年も続けるのだから堪らない。処がそんなに苦しんでも、治るんならまだしもだが、何時になったら治るやら、見当さえもつかないので、親父の貯金やお袋の、臍繰さえも減り放題、先ず治るのは百人に、一人か二人も難かしい、揚句の果はこの娑婆を、おさらばと来てからに、金ピカづくめの御立派な、車で運ばれ、いとも丁寧に、墓場の下へ理想的、絶対安静と来るんだから、何とマア人間様も、哀れ儚い代物と、言うより外に言いようが御座んすまい。
処が此方様と来ちゃ、ヘン結核なんか屁でもない、高い薬なんかも要らない処か、首の抜けかかった人形のように、学理、ガクリと、そんなものに用はない。考えてもみるがいい、元々神様、お造りになった人間なんだから、傷物になったなら、早速神様にお頼み申したら、治してくれるのは当り前、朝飯前にチョックラチョイト、目にも見えない、臭いもしない、屁よりもましな神力とやらを、掌からチョイト出しゃ、ズンズン治るという次第、サモサテモ摩訶不思議な大魔術、その芸当を目の前に、見てもボンクラは、こりゃ大変と驚くばかり、その昔丁髷連が恐がった、切支丹バテレンを、今時見ると同様で、ビックリシャックリ目の繰玉が、デングリ返るというわけで、病気の治るのが恐ろしいのかと、思う位の馬鹿らしさ、世も末なるかなと溜息を、つくづく厄介な世の中に、此方の世界じゃ体はピンピン、懐ポカポカ、嬉し嬉しの毎日を、送っているというわけで、へん、ドンナモンジャイと言いたいが、人の難儀はヘイチャラで、御自分ばかりよけりゃよいという、そんじょそこらのヘナチョコ野郎と同様に、なったら大変、肝腎要の神様が、御承知なさらぬは知れた事、そこでコチトラ汗だくで、盲の目の玉オッ開き、聾の耳の穴カッポジリ、ガンガン早鐘鳴らしては、知らしてやるのじゃ分ったか。何しろ先祖代々から、誰方も見た事、聞いた事もない、天国とやらの素晴しい、夢の世界を造るのだから、尻メドの小さい奴は、吃驚仰天逆さになって、ヌタクリ、眩暈、フンノビの、テンヤワンヤの大騒ぎする世の中に、これは又、有難いでは御座らぬか。こんな結構な仕事をば、一人占めとは勿体ない、多くの盲の手を引いて、助けにゃおかぬと張り切って、ヒョロヒョロしている餓鬼道から、亡者のようなガタガタ共を、メシヤ教の飯をウンと食わせ、力をつけて助けてやる。そんなにまでもしてやって、ビタ一文要らないという太ッ腹、無銭飲食大歓迎という大メシヤ。サアイラッシャイ、イラッシャイ。などと阿呆の世迷言、聞かしてやったら皆の衆、有難涙を零すだろう。
(栄光 九七号)
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