7.結核なんか屁でもない

 この題を見た御仁は、阿呆の奴、チト頭がどうかしたんじゃないかと仰言るだろうが、全くそうかも知れないよ。拙者もチト変なような気がするんだからね。何しろあんまりこの娑婆(しゃば)は、盲聾(めくらつんぼ)が多過ぎるので、一人々々玄翁(げんのう)で、頭の天辺(てっぺん)をガンと()らわしてやりたいんだが、それじゃギューッと参ってしまうだろうから、折角助けてやろうと思って、殺してしまったんじゃ何にもならないから()すとして、茲でつくづく世の中を見て来ると、アチラでもコチラでも、結核(ケツカク)ケツカク(ヽヽヽヽ)と言って、(まる)(けつ)ッペタに疥癬(かいせん)でも出来たような騒ぎだ。というわけで、役人やお医者さん達、(あお)(いき)()(いき)の有様は、情ないのを通り越して、涙も出ないこの阿呆。マア目を開けて御覧(ごろう)じろ、血気盛んな若者が、結核という烙印(らくいん)()されたが最後、サア大変、(あお)()に塩の(しお)れよう、フラリフラリとさながらに、地獄からでも出て来たよう、幽霊同様の(あお)瓢箪(びょうたん)、朝から晩迄ゴホンゴホンの出通しで、体温計と首っ引き、天井の節穴数えるだけが日課(にっか)なりという次第、丸で作りつけの人形か、石地蔵が道端(みちばた)へ、倒れたような恰好(かっこう)で、手足一つも動かさず、只動くのは目の玉ばかりという()(まつ)、それで何年も続けるのだから堪らない。処がそんなに苦しんでも、治るんならまだしもだが、何時になったら治るやら、見当さえもつかないので、親父(おやじ)貯金(ちょきん)やお(ふくろ)の、臍繰(へそくり)さえも減り放題(ほうだい)、先ず治るのは百人に、一人か二人も難かしい、(あげ)()(はて)はこの娑婆を、おさらばと来てからに、金ピカづくめの御立派な、車で運ばれ、いとも丁寧(ていねい)に、墓場の下へ理想的、絶対安静と来るんだから、何とマア人間様も、哀れ(はかな)い代物と、言うより外に言いようが御座んすまい。

 処が此方(こちら)様と来ちゃ、ヘン結核なんか屁でもない、高い薬なんかも要らない処か、首の抜けかかった人形のように、学理(ガクリ)ガクリ(ヽヽヽ)と、そんなものに用はない。考えてもみるがいい、元々神様、お造りになった人間なんだから、傷物(きずもの)になったなら、早速(さっそく)神様にお頼み申したら、治してくれるのは当り前、朝飯前にチョックラチョイト、目にも見えない、(にお)いもしない、屁よりもましな神力とやらを、掌からチョイト出しゃ、ズンズン治るという次第、サモサテモ摩訶不思議(まかふしぎ)な大魔術、その芸当(げいとう)を目の前に、見てもボンクラは、こりゃ大変と驚くばかり、その昔丁髷(ちょんまげ)連が恐がった、切支丹(きりしたん)バテレンを、今時(いまどき)見ると同様で、ビックリシャックリ目の(くり)(だま)が、デングリ返るというわけで、病気の治るのが恐ろしいのかと、思う位の馬鹿らしさ、世も末なるかなと溜息(ためいき)を、つくづく厄介(やっかい)な世の中に、此方(こちら)の世界じゃ体はピンピン、(ふところ)ポカポカ、嬉し嬉しの毎日を、送っているというわけで、へん、ドンナモンジャイと言いたいが、人の(なん)()はヘイチャラで、御自分ばかりよけりゃよいという、そんじょそこらのヘナチョコ野郎と同様に、なったら大変、肝腎(かんじん)(かなめ)の神様が、御承知なさらぬは知れた事、そこでコチトラ汗だくで、盲の目の玉オッ(ぴら)き、聾の耳の穴カッポジリ、ガンガン早鐘(はやがね)鳴らしては、知らしてやるのじゃ分ったか。何しろ先祖代々から、誰方(どなた)も見た事、聞いた事もない、天国とやらの素晴しい、夢の世界を造るのだから、(けつ)メドの小さい奴は、吃驚(びっくり)仰天(ぎょうてん)逆さになって、ヌタクリ、眩暈(めまい)、フンノビの、テンヤワンヤの大騒ぎする世の中に、これは又、有難いでは御座らぬか。こんな結構な仕事をば、一人()めとは勿体ない、多くの盲の手を引いて、助けにゃおかぬと張り切って、ヒョロヒョロしている餓鬼(がき)(どう)から、亡者(もうじゃ)のようなガタガタ共を、メシヤ教の飯をウンと食わせ、力をつけて助けてやる。そんなにまでもしてやって、ビタ一文()らないという太ッ腹、無銭(むせん)飲食(いんしょく)大歓迎という大メシヤ。サアイラッシャイ、イラッシャイ。などと阿呆の世迷(よまい)(ごと)、聞かしてやったら皆の衆、有難涙を(こぼ)すだろう。

(栄光 九七号)

 

 

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