今度の九州の水害はどういうわけかというと、やっぱり浄化作用ですが、つまり土を肥毒で穢してしまったから、これ以上穢すと作物が出来なくなってしまうのです。そこで一寸やそっとの雨くらいでは追いつかないから大水を出して肥毒を流したのです。一時はああして作物に影響するようですが、あれだけ浄めたので当分は作物が出来るわけです。だから肥毒をやらないようになれば水害はずっと減ります。しかし水害が無くなる事はありません。というのは、やっぱり悪い料簡を持っているから、田畑の売買の場合に金に不正な分子があるとその浄化が起こりますから、その分だけは儲けさせないようにするわけです。とに角凡て今のいろいろなやり方は、霊を無視して体ばかりを目標にしているから、護岸工事とか川を修整して深くするというような、つまりオッツケ仕事だけです。やはり医学と同じで、熱が出ると氷で冷やすという事と同じで、つまり霊を無視しているから根本的の方法は知らないわけです。それで都会は都会で近年火事が非常に多いのです。今は陽気がよくなったからよいが、寒い時分に非常に多いという事は、焼けるような家はみんな不純な金、金の霊が穢れているから、そこでそれがだんだん年限がたつに従って穢れに利子がついてゆきますから、だんだん穢れが多くなるから、ある程度までゆくとどうしても焼いてしまわなければならないような規則があるのです。それは神の律法と言って、神様の法律です。人間の方の法律は幾らでもくぐる事はできるでしょうが、神様の方の法律は逃れる事はできないのです。ですから都会は火の浄化、農村は水の浄化というわけです。今度の田畑の水害などは何十万町歩というような事を言ってましたから大変なものです。そこにもっていって水に流されて溺死した者も相当あります。行方不明というのは結局みんな死んだのでしょう。死者が六百幾らですから、結局千人以上は死んだのです。そういう人は何かというと、やっぱり罪を重ねているから、その人の霊が穢れきっているためで、どうしてもそういう命に関わるような、水なら水に呑まれてしまうわけです。死ぬだけの資格を持っているわけです。命を保つだけの条件が無くなっているのですから、これは致し方ありません。それから家が押し流されたり、潰されたりしますが、これも家というものの霊が穢れているから、浄化の時の膿や毒血みたいなもので、どうしても滅びなければならないわけです。それから、よく山林の火事などがありますが、そういう事も最初買う時に、山の木を買う時、或いは山を買う時に<大体山の方が多いでしょうが>不正の金で買うためです。それも信仰にはいって大いに浄化すればよいが、そういう事はないからますます溜まるばかりです。それで厄介な事には、善い事でも悪い事でも、時がたつに従って利子がつくのです。だから利子がだんだん溜まって元金より多くなると、人間界でも破産し身代限りするようなもので、やっぱり山の身代限りです。そうすると燃えてしまうのです。それで燃えるにも、燃そうと思って燃やすのではないから、つまらない事で火事になってます。煙草の吸殻が一番多いとされてますが、煙草の吸殻を道端に捨てて、それが枯草について拡がるのですが、あんなに拡がるという事は常識で考えても有り得べからざる事です。ところがそれが威勢よく燃えてゆくのです。それは其処の浄化をするために、霊界での役目があって、山のそういった役目、つまり浄化係で、これはみんな龍神がやってます。火龍と言って火を扱う龍神です。それが人間にちょっとやって、枯草に火がつくと、龍神がドンドン燃やすのです。そうして火の粉を出して枯草にドンドンつけるのです。それはみんな龍神がやってますが、それが龍神の役目なのです。今度の水害は、同じ龍神でも水の方の水龍です。不思議な事に水が来ないという所があります。低い所に水が来なくて高い所に水が行くという事がよくあります。それから門司の山津波にしても、それから関門トンネルの中に泥と水がウンとはいって行ってしまうという事も、有り得べき事ではないのです。トンネルを作る時に、そういう事があってはいけないからと、入口もチャンと高い所に作ったに違いないでしょうが、それが高い所に水がはいって行くという事は実に不思議ですが、それはみんな浄化係の龍神がやるのです。そうしてその龍神の指図をするのが祓戸四柱神という浄化の神様です。要するに結局神を無視したその罰で、致し方ありません。それでミロクの世になればそういう事がないということは、そういう穢れを作らないからです。人間は悪人の方がずっと少なくなるから、そういう浄化の必要がないから、そういった天災地変が無くなるという事になります。天災地変というものは自然現象ではなくて人為的現象です。人間が作るものです。結局世界のあらゆる事はみんな人間が作ったり壊したりしているわけです。それを〝天を怨み地を呪い〟という言葉がありますが、大変な間違いです。〝自分を怨み自分を呪う〟のが本当なのです。責任は凡て人間にあるのです。だからああいう天災地変も本当に大乗的に言えば、あれできれいになるのですから結構なのです。その最も激しいのが戦争です。戦争で焼けたり破壊されたりするのもみんな浄化作用です。それでヨーロッパなどは不燃焼建築と言って、焼けないように造ったと喜んでいると、別の方法で壊されるのです。ロンドンは焼ける都会ではないのだそうです。ロンドンの家というのは百年以上の家というのが沢山あるのです。それで大いに威張っていると、今度は爆弾で壊されたという事になります。
話は変りますが、美術館の美術品が僅かの間にあんなに良い物が沢山集まったという事はみんな不思議に思ってます。浮世絵などは去年の今頃はほとんど無かったのです。版画などは一つも無かったのです。それが一年たつかたたないうちに急に来てしまったのです。それで今此処にある浮世絵は、日本で一番だそうで、これだけ良い物が集まっている所はないそうです。だから到底人間業ではありません。ではどうして人間業ではないように集まったかというと、無論霊的ですが、そのよい例が出たので、その事を書いてみました。
御論文〔美術品蒐集の奇蹟〕 【註 栄光二一八号】
美術品蒐集の奇蹟
(栄光二一八号)
箱根美術館に陳列されている美術品は、相当目のある人なら驚かない者はない。何しろ、容易には手に入らないような名品が、こうも沢山集ったのは、全く不思議と思うより外考えようがない。又私もそうで、僅かの間に、然もこれ程の物が割合安く、よくも沢山集ったものだと感心している。そうして面白い事には、是非欲しいと思うが、迚も手に入りそうもないので諦めていたものが、偶然ヒョックリ入って来る事もよくある。それが予想もつかない所からなので、余計吃驚する。というように、考えれば考える程、何も彼も奇蹟づくめで、奇々妙々、端倪すべからざると言っていい位である。然も、それが日本ばかりではない、欧州の古美術品まで集って来る。よく聞いてみると、欧州でも中々手に入らない名品だというのである。
以上の如き驚くべき奇蹟は、一体どういうわけかと言うと、それは立派に理由があるので書いてみよう。
今、東西引括めて霊界に於ては、本教の出現が追々知れ渡るにつれて、本教によらなければ未来永劫救われない事が、多くの霊に分って来たので、霊界はテンヤワンヤの大騒ぎである。そこで、生前名人とされていた霊は、競って手柄を立て、来たるべき審判を無事に越せると共に、弥勒の世になってから幸福な地位につきたいとの念願から、活動しはじめたのである。勿論一家一門の霊も、現界にいる子孫の人達をも、無事に大峠を越し、幸福になるようとの願望もある。
というわけで、芸術家は、自分が作った作品中の傑作を選んで提供し、大名や富豪の霊は、生前愛蔵していた名品中の名品を選んで、適当な人を介して私の所へ運んでくる。そんなわけで、私としては少しの苦労もせず、放っておいても自然に集ってくるので、短期間にかくも良い物が沢山集ったのである。故に、骨董屋達にしても、いつも不思議々々々と言っている。又終戦後平価切下や、財産税などで、華族、富豪など、所蔵品を手放さざるを得なくなったので、止むなく到底手に入らないような名品が続々出たので、今日から見ると、お話にならないような安価で手に入れる事が出来たのも、全く神様の仕組である事がよく分るのである。それに就いて左の御蔭話は大いに参考になると思う。
喜多川歌麿の霊(本文省略)
この中で〝自分のような職人風情の者〟と言ってますが、これは全くそのとおりなのです。昔浮世絵を画く人は、美術家と職人の間ぐらいだったのです。つまり本当の絵師とは違うのです。ですから版画と言って、木の板にああいった彫刻を彫師が彫るのですが、その元を絵師が画くのです。それも美人とか俳優とかを表現するのです。だからごく格の高いものではありません。それは山水や花鳥格の絵とは違います。ですから自分達のような職人風情という事はよく合っているわけで、別に特に卑下しているのではありません。浮世絵師というのは、格が下がっているという事を言っているのです。
それから土の事ですが、さっき藤枝さんから聞いたのですが、中京で花物を作っている所で、非常に成績が良いところは毎年客土をするのだそうです。ところが客土というのは、つまり肥毒のない純粋の土だからよいわけです。しかしそういう面倒くさい事をするという事は、やっぱり肥料をやっているから客土の必要があるので、肥料をやらなければその土自体が客土と同じ事なので、そういう点が徹底してないので、やっぱり肥料迷信が取り切れないのです。ところが客土をしただけでは本当から言うとまだ足りないのです。その土自体が活動を起こすという事を知らないのです。この事は私はざっとは書いてありますが、充分に書いてないから、まだ本当に分るところまでゆかないかも知れませんが、ある作物を作ると、毎年連作をする事によって土自体にその作物を作る力、その作物に適当した力が発生するのです。そこで一つ所に一つ物を作っていればだんだん増えるのです。ところが今までの農家は、畑の物は連作はいけないと言って始終変えてゆきますが、これは全然あべこべなのです。連作がいけないというのなら、一体稲はどうしたものかと言いたいです。稲は連作をやってます。連作がいけないものなら、稲はいけなくなるはずです。それなのに畑は連作はいけないと言っているのです。茄子はいけないと言ってますが、茄子などは連作にすると、とてもよく出来ます。実際迷信というものは恐ろしいものです。そういう訳で、土が変化して作物に対して適当した養分が生まれて来るのです。ですから客土は悪い事はないが本当から言うと足りないのです。その理窟が分らないのです。それで百姓が客土をする理由というのは、一つ土で作っていると土の養分を吸ってしまうから客土するというのですが、それは養分が抜けるのではなくて、肥料を入れるから駄目になるというので客土するというわけで、それに気がつかないのです。そういうようで土の能力を発揮させると、稲なども倍くらいは何でもありません。倍額増産ですが、今度の特集号にちょっと書きましたが、効果をあんまり立派に書くと疑うのです。現に私の書いたものを読んで、簡単に大病が治る、素晴らしい、とあると、かえって不思議に思って信じないのです。何かこっちの頭でも変に狂っているように思うのでしょう。だから割引して書いた方が本気にするくらいなのです。実に始末が悪いです。
話はいろいろになりますが、ちょっと面白い論文を書いたので読ませます。私の借金の苦しみを書いてみたのですが、聞いた人はいろいろ参考になるそうです。
御論文〔借金二十年〕 【註 栄光二一七号】
借金二十年
(栄光二一七号)
私は大正八年から昭和十六年に至る二十余年間、借金で苦しんだ。否苦しめられたのである。忘れもしない、大正八年三十八歳の時、今の妻と結婚の話が纏り、黄道吉日を選ぶや間もなく出し抜けに、生まれて初めての執達吏という、いとも気持の悪い種族三人が飛込んで来た。何か変な紙片を差出し読ませられたが、何しろ今迄そんな経験のない私とて、只目をキョロつかせるばかりだった。そうこうする間も、彼等は部屋々々を見廻し乍ら、目ぼしい家財道具に小さな紙片をペタペタ貼ってしまった。又差押え理由を細々と書いてある半紙半分程の紙を読んでくれろといい、箪笥の横ッ腹へ貼って帰って行った。よく見ると、色々な法律的箇条書があったが、その中でギョッとしたのは、差押物件は自由にすべからず、貼った紙片を破棄すると、刑法第何十何条に処すという事が書いてあった。
処が弱った事には、右の小紙片は箪笥の抽斗とその仕切りにかけて貼ってある。勿論開けさせない為だが、併し開けなければ着物が出せないので困った。そこで色々工夫の末、仕切りの方だけは巧く剥がれたが、抽斗の方は貼った侭でどうやら開ける事が出来たので、ホッと安心したというわけだ。
では何故こんな目に遭ったかというと、それはこうだ。私は以前も書いた事があるが、小間物屋で成功し、無一物同様から十数万の資産を贏ち得たので、大いに自惚れてしまい、予ての念願である新聞事業を一つやってみたいと思いよく調べてみた処、当時百万円の金を持たなくては難かしいとの事なので、何とかしてその百万円を作りたいと思い、種々な金儲けに手を出した。処が偶々吉川某なる海千山千のしたたか者と懇意になり、その頃の私は同業者から羨望の的とされていた位なので、世の中を甘く見すぎ、右の吉川の言うがままに第一次欧州戦争後の株熱の盛んな時とて、株屋相手の金融業を始めた。何しろ私の信用で先附小切手で銀行が貸してくれるので、借主からは日歩五銭の利子が取れるのだから堪らない。一文要らずのただ儲けというわけで、到頭現金と小切手で十数万円に及んだのである。処が、それを扱った銀行で倉庫銀行というのが突如破産したのである。彼はそれをヒタ秘しに隠し、小切手を高利貸方面で割引いたから大変だ。それが為高利が嵩んで、進退谷まり、到頭彼は私の前に叩頭してしまった。全く私にとっては青天の霹靂であったので、止むなく一時逃れとして銀行に頼んで小切手の支払全部を拒絶したから、怒ったのはアイス連中だ。忽ち前記の如く差押え手段をとると共に、私に対して詐欺の告訴を提起したので、私は検事局へ喚び出されて散々油を絞られたのである。そこで数人の高利貸に泣きついて、漸く約三分の二の八万円でケリが附き、半額現金、半額月賦という事になったが、これからがそれを払う苦しみが始ったのである。
その事件の為約束の結婚も不可能なので、ありのまま打ちまけた処、先方は普通なら秘密にすべき事柄を、正直に言うとは珍らしい、立派な人だと反って賞められ、反対に是非実行してくれと言われたので、私も世の中というものは妙なものだと思った事で、今でも覚えている。この痛手の為営業も窮屈となり、店を株式会社に改め、一時は小康を得たが、忘れもしない、アノ翌九年三月の経済界のパニックである。商品下落、貸倒れ等、これが第二の打撃となったが、それにも増して今度は彼の大正十二年九月一日の関東大震災である。当時京橋にあった店も商品も丸焼け、貸金全部貸倒れと来たので、一時は駄目かと思ったが、どうやら営業だけは続ける事が出来たには出来たが、そんなこんなで私は金儲けがつくづく嫌になり、生きる道を宗教に求めたのである。そこで色々の宗教を漁ってみたがこれはと思うようなものはない。その中で一番心を惹かれたのが彼の大本教で、早速入信した。これからの事は以前書いたから省いて、借金の方だけ書いてみるが、何しろ以上のようなわけで、金儲けを止めた以上借金返済は不可能となったので、アイス族共代る代る差押えに来た。何しろ信仰的病気治しの御礼位では知れたものだから、そこで、生活費を極度に切詰め、最低生活で辛抱し、少しずつは返したが、中々思うようにはゆかなかった。そうこうする内、幸いにも段々発展し、収入も大分増えたので、漸く借金残らず返し切ったのが昭和十六年であった。数えてみると丁度二十二年間借金で苦しんだわけだから、それまでは重い荷物を背負わされていたのが急に軽くなり、セイセイした訳である。
玆で特に言いたい事は、借金の抜けない内こそ、寝ても醒めても金が欲しい欲しいで心は一杯だったが、信仰が深くなるにつれて金は神様が下さるものとの訳も分り、然も全部返済ずみになったので気持も悠々となった。処が、皮肉にもそれから思いもつかない程金が入るようになり、年々増える一方なので、つくづく思われた事は、金という奴、欲しい欲しいと思う間は来ないもので、忘れてしまった頃入るのである。つまり、私の二十数年間の経験によって得たのが、この借金哲学である。宗教家の私がこんな事を書くのも変だと思うかも知れないが、これも何かの参考になると思うから書いた次第である。
それからこの前〝結核は肩が肝腎だ〟という事を言いましたが、これは結核ばかりでなく、心臓病、胃にも非常によいです。心臓病の人は必ず左の肩が凝ってます。それが少しずつ溶けて心臓の附近に垂れて固まるのです。それが因ですから、心臓病の人は左の肩が一番肝腎です。それから胃の悪い人、特に消化不良には素晴らしい効果があります。胃をやるよりか、かえって肩を柔らかくした方がよいのです。それからみんな頸の廻りに固まりがあります。これがいろんな病気の原因になりますが、これは一旦肩に固まった物が頸の方へ行くのですから、肩をやると頸の廻りの固まりも非常に溶けやすくなります。ですから肩こそあらゆる病気の急所です。且(但?)し中風だけは駄目です。中風の人はかえって肩が柔らかいのです。健康な人ほど中風は起こるものです。弱い人には起こらないものです。健康でかっぷくの良い脂ぎった人に起こるものです。そういう人は体の毒が、肩を通り越して頸に集まるのです。それで肩が柔らかいから非常に健康なのです。その代り頸に固まるから、それが溶けて脳の中にはいって行くのです。だから中風の人は頸と後頭部の右か左にコブみたいな固まりがありますから、それさえ溶かせば必ず治ります。それで一番肝腎な事は、ウンと固ければ固いほど力を入れてはいけません。ところが固いと固いほど溶かそうとするのに力を入れてしまうのです。だから溶けないのです。これは溶けないなと思う時には必ず力がはいっているのです。だから力は、ほんのあるかなしかくらいで、はいっているかいないか分らないくらいにフワフワとやるのです。そうして想念だけは強く通す気持ですればよいのです。力を抜くとずっと治るのです。そういう工合で、肩を柔らかくするという事が一番の急所だと思っていればよいです。それから熱ですが、頭や方々にある熱も肩をやると大抵は下がります。だから健康診断をみるには肩をみるに限るのです。柔らかければ、きっと健康です。私は以前三菱重工業の課長をしている須長という人で、剣道の達人で何段かで、好きで始終剣道をやってました。体格がよくて隆々としてました。ただ不思議な事に肩が非常に固いのです。これは肩に力がはいるから肩が固いのです。水泳の選手もそうですが、水泳の方は片方に行くのです。近頃はクロールだからそうでもないが、以前は片泳だったから片方が固いのです。ところが剣道は両方とも固いのです。その頃は私も下手だからよく溶けないのです。ところがその人に猛烈な浄化が起こったのです。丁度私が昭和十五年の暮に治療を廃業してそれから間もなくだったのですが、それを頼まれて弟子をやりました。これは何でも、聞いてみると敗血症とは違うが出血する病気で血を吐くのですが、死にました。死ぬような人ではなくて実によい体格でした。その頃は私は分らなかったが、その後になって肩という事が分ってから、なるほどあの人は肩が特別固かったと思ったのです。それから試してみると、肩の柔らかい人は随分重い病気でも治りがよいのです。それから肩の固い人に限って治り難いのです。そういうようですから、肩がまず健康の急所です。
病気などは特にそうですが、急所の発見という事が一番肝腎なのです。それからこの前も言ったとおり、理窟に合わない事はいけないと言ったが、いくら一生懸命にやっても、その人を浄霊すべき条件が理窟に合わないと、いくら一生懸命にやっても治らないのです。これはこの前話したから大体分っているでしょうが、その理窟に合わないという事の一つの条件というのは、神様の事を知った人と全然知らない人とは大変違うのです。知らない人は大変無礼な事をしても、これは知らないから許されます。ところが信仰にはいって相当たって、知っているはずのところの人が、理窟に合わないとお蔭がないわけです。そういう事もよく考えるべき事です。やってみて、どうしても思うようにゆかないという事は、自分の浄霊の霊力が弱いのだろうとかいろんな事を思うが、そういう事はごく少ないので、本当は急所を外れている事と条件が理窟に合わない事が一番多いのだから、そういう事に気がつくようにならなければならないです。それはその人の智慧正覚です。だからまず智慧正覚を磨くという事が一番肝腎です。智慧正覚が磨けると急所の発見が早いのです。これは何事にも非常に関係があります。だから信仰に関係のない事で、大きく言えば政治、経済の事でもそうです。偉い人がいろいろやってますが急所を外れている事が非常に多いのです。たとえば今度の木村保安庁長官などが盛んに言われている事なども、最初にちょっと急所を打てばそれで済んでしまう事です。それは謝罪すればよかったのです。〝確かに自分が悪かった、謝罪して取り消す〟と、それでよいのです。それをしないで誤魔化そうとしたのです。そうしていろんな事を言ったから他の人の感情を害したのです。それで今もってやっつけなければ承知しないような工合になっているのです。吉田首相の馬鹿野郎問題もそうです。〝自分はあの時実に不用意にああいう事を言って悪かった〟と謝罪すればよいのです。それをどこまでも覆い隠そうとするのですが、大勢の前で天下の公道で言った事はしようがないので、あやまるよりしようがないのです。それをグズグズしていたものですから、解散になって選挙までやったのです。そのために多数党で勝つべきだったが落ちてしまったという事なども惜しい事ですが、どうも急所を見る事を知らないのです。という事は智慧正覚が働かないからです。という事は、簡単に言えば頭が悪いという事です。という事は頭に薬毒が溜まっているという事です。これは日本の政治家ばかりではありません。世界の堂々たる政治家でも随分急所を外れているのがあります。アイゼンハウアーは割合に急所を外れていないが、それでも少しまずい点があります。今度の朝鮮での事で李承晩が怒ってああいうひどい事をしても、アメリカの方でウンとやる事ができないのです。というのはトルーマンの時に〝中共を侵略国とみなす〟という国連の一つの宣言が非常にきいているのです。何かと言えば李承晩はあれを持ち出すのです。アメリカは侵略国と宣言していて、それを妥協しているという事は非常に間違っていると言って威張るのですが、あれをアイゼンハウアーが一言いえばよいのです。即ち〝前に中共は侵略者とみなした、という事は事実だが、その後世界の情勢が非常に戦争を嫌うという事と、中共がスターリン歿後平和的に転換した。だから以前はスターリンの意志であって、これは跡を継いだ人の意志ではない〟という事を宣言すればよいのですが、それをやらないのです。どうも急所を言わないのですが、おかしいと思います。それから日本の再軍備に対する憲法改正も、肝腎な事を言わないのです。その肝腎な事を言えばよいのです。〝あの憲法をやった時にはソ連が侵略行為をしてなかったという情勢によってあの憲法が出来た。ところがソ連のやり方が変って、中共をおだててああいう侵略をするという事によって、はじめて日本も考えなければならない。だから憲法改正も必要だが、それをやろうとしても、まだ日本の輿論が、特に選挙権を沢山持っている婦人の方が理解してない、だから今憲法改正をしても、国民投票の場合に成り立たない。政府はそれが熟するまで待つ方針だ〟と言えばそれでよいのです。その肝腎な事を言わないのです。そうして外れた事ばかりを言っているから、年中ゴタゴタしているのです。
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