(1)イスラム教の起源

イスラムは服従の宗教。イスラム教徒は、「自らアッラーの意思に服従したもの」と言われる。「イスラム」という言葉自体が、「帰依」あるいは「服従」を意味する。

神 : 唯一神、慈愛に満ちたアッラー

死後の世界 : 最後の審判ののち、天国か地獄に行く

創始者 : 預言者ムハンマド

聖典 : 「コーラン」

聖職者 : 原則なし

最大の聖地 : アラビア・メッカのカーバ

  1. 無知の時代

その頃のアラビア半島は、部族同士の争いが絶えない混乱の時代。隊商貿易の幹線ルートを軸に栄え、経済的な力をつけてきたアラブ人たちだちだったが、一方で部族主義がはびこり、政治的なまとまりには欠けていた。イスラム教は、こうしたアラブ社会を統合に向かわせ、その勢力を急速に伸ばしていく。

当時は、宗教的にも聖石信仰や女神崇拝などの多神教で、メッカを中心とする地域ではアッラーもそうした神のひとつとして信仰され、「カーバ」と呼ばれる神の館に聖なる石や神像を祀っていた。ムハンマドはこうした信仰をひとつにまとめ、アッラーを唯一絶対の神とした。

  1. ムハンマドの誕生

ムハンマドが生まれた当時、アラビア半島ではインド洋と地中海の通商が盛んで、メッカやメディナを中心地として繁栄していたが、その富は大商人に集中し、民衆の生活は苦しくなる一方だった。すでに、ユダヤ教やキリスト教が民衆の間に浸透してはいたが、そうした既成の宗教を疑問視する声も上がりつつあった。

西暦570年、紅海に面した商業都市メッカにムハンマドが生まれたとき、父親は既に亡く、6歳の頃には母とも死別。その後、親戚に育てられ、25歳の時に富裕な商家の未亡人だったハディージャと結婚。ほどなく3男4女の父となるが、3人の男の子を幼くして亡くす。その頃からムハンマドは瞑想に耽るようになる。

  1. 天使ガブリエルの出現

610年、ムハンマド40歳の時、悩みを抱いてメッカ郊外・ヒラー山の洞窟で瞑想に耽っているとき、突然、天使ガブリエルが現れて「アッラーこそが唯一の神である。神の教えを広め、民を救いなさい」と告げた。ムハンマドは天馬「ブラーク」にまたがって、メッカからエルサレムに飛び、大天使ガブリエル(ジブリール)に導かれて天を巡り、アッラーの啓示を受けたとされる。

※ イスラム教でエルサレムが聖地とされた理由・・・・・・ムハンマドが天馬に乗って天に上り、天を巡ってアッラーの啓示を受け、帰ってきた地。アラビア半島のメッカ、メディナに継ぐ第三の聖地とされる。

戸惑うムハンマドに、妻のハディージャは、あなたの前に現れたのは神であると励まし、最初の信者となった。それ以来、ムハンマドは神の言葉を伝える預言者の自覚に目覚め、布教を開始、これがイスラム教の起源。

  1. メッカでの迫害とヒジュラ(聖遷)

「人はみな平等である。偶像崇拝は愚かなことである」と説くムハンマドは、当初、メッカの権力者たち、特に既得権益にしがみつく商人たちから激しく迫害された。

そこで、ムハンマドは622年、メッカからメディナに居を移し、ムハンマドを首長とするイスラム共同体「ウンマ」を形成する。ウンマは、血族関係で結ばれていた部族社会を根底から変える、信仰を基軸としてまとまった共同体だった。これを契機にイスラム教は急速に信者を獲得していく。イスラム教ではこのメディナ移住を「ヒジュラ(聖遷)」と呼び、622年をイスラム暦元年とする。

※ イスラム暦・・・・・・太陰暦。イスラムの紀元元年1月1日は、西暦622年7月16日。ムハンマドがメッカからメディナにヒジュラした日で、ヒジュラ暦とも呼ばれる。1年は354日。

メディナ移住後、ムハンマドはメッカとの戦いを繰り返したが、630年、メッカを無血征服する。カーバ神殿に祀られていた多くの神々の偶像を破壊し、メッカをイスラム教の聖地とした。ムハンマドの勝利を知ったアラビア半島の部族たちは、次々にイスラム教に改宗していく。

632年、ムハンマドが62歳で没するまで、アッラーは啓示を与え続けたが、ムハンマドの死後、二度と預言者を遣わすことはなかった。

 

 

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