洪水伝説について

過去現在の世界の文化のうち、大部分が古い文明を壊滅させる「大洪水」物語を有している。

聖書(旧約聖書)『創世記』のノアやノアの方舟、インド神話、ヒンドゥー教のプラーナのマツヤ、ギリシャ神話のデウカリオン、および「ギルガメシュ叙事詩」のウトナピシュティムの物語は、よく知られた神話だ。

古代メソポタミア文明を築いたのは、謎の多いシュメール人とされている。シュメール人だけが文明の担い手であったわけではないが、シュメール人がやや先行する形で、ほぼ同じ地域に並立していたアッカド人とともに古代メソポタミア文明を築きあげた。

 最終的に、シュメール人はアッカド人に吸収される形で消滅、この地域は古代バビロニア文明として発展していくことになる。

そのシュメール人の伝承の中にあったものが「ギルガメシュ叙事詩」。ギルガメシュ (Gilgames)は、古バビロニア王国のハンムラビ王 (在位 BC1792~BC1750) と並んで最も有名な古代メソポタミアの人物。

<シュメール神話>

シュメール神話は、楔形文字で粘土板に書かれた、世界最古の神話とされる。

エンキ神が、シュルッパクの王のジウスドラに、洪水による人類抹殺を予告する。しかし、神がなぜこれを決定したかという部分については、粘土板から失われている。

エンキ神は、大きな船を作るように指示するが、命令についての文章は、同じく神話から失われている。

6日の氾濫の後、ジウスドラは供物と祈りをアヌ (メソポタミア神話)/アン(空の神)とエンリル(最高神)にささげ、シュメールにおけるエデンの園・ディルムンで神から永遠の命を授けられる。

シュメール王名表も、大洪水について言及している。それによれば、最初エリドゥに渡った王権は、次いでバド・ティビラ、ララク、シッパル、シュルッパクへと移るが、イラクにおける発掘で、シュルッパクの洪水は2900~前2750、ほぼキシュの街まで及んだことが証明されている。この街の王エタナは、大洪水の後、最初にシュメール王朝を成立したと言われる。

ジウスドラの伝説はエリドゥ起源の粘土板断片のコピーであり、その楔形文字型から、紀元前17世紀と年代が特定される。

 ギルガメシュが生命探求の旅の末に訪れる、ウトナピシュティム(生命を見た者の意)とは、シュメール洪水伝説のシュメール王・ジウスドラ (永続する生命の意) が、アッカド語で解釈された結果できた名前。

方舟というのは、ノアの箱舟にあるような船の形ではなく、一辺約 60メートルからなる立方体。方舟が漂着した場所「ニムシュの山」は、クルディスタン地方らしいが、正確な場所は不明とされている。この神話が旧約聖書において「ノアの箱舟」となった。

 もともとのシュメールにおけるギルガメシュ叙事詩が、アッカド語として作られた時に、ギルガメシュ叙事詩は、全 12の書板(11の本編と1つの外伝)として構成されることになった。

<バビロニア:ギルガメシュ叙事詩>

Sin-liqe-unninnによる ”He who saw the deep”版(タブレット11)の終わりのほうに、大洪水の参照がある。

不死を追い求めていたギルガメシュ王は、一種の地上の楽園・ディルムンで、ウトナピシュティム(シュメール神話のジウスドラをアッカド語に直訳した名前)に出会う。ウトナピシュティムは、大洪水によってすべての生命を破壊するという神の計画について、エア神が彼に警告し、船を作って彼の家族や友人、財産や家畜を守るよう指示したことを語る。

大洪水の後、神はみずからの行動を悔やみ、ウトナピシュティムに不死を与えた。

ギルガメシュは、シュメール時代には〝ビルガメシュ〟と呼ばれていた。そして、ギルガメシュが手に入れた不死の生命を得られる草名は、「老いたる人が若返る」。〝ビルガメシュ〟の意味がまさに「老人が若者である」というものになる。

<シュメール文化>

シュメール文明の興亡は、人類史上最大の謎のひとつとされる。歴史学はそれを「シュメール人問題」と呼び、解き明かせぬ歴史上の難問のシンボルとして扱っている。

シュメール人は、6000年以上も前に、人類史上、最古の文明を興した。文字(楔形文字)、文学、王政、教育制度、天文学、高層建築、運河、造船、集約農業、冶金術、商工業、貿易、法制・・・と、現代文明にも匹敵するありとあらゆるものを持っていた。

しかし、これだけのレベルをもつ文明でありながら、先行文明がない。何の前触れもなく、ある日突然、シュメール文明は始まった。

しかも、シュメール人の存在は、わずか150年ほど前の1850年代まで、全く知られていなかった。メソポタミアの歴史に詳しい聖書も、古代ギリシア・ローマの文学も、シュメール人については一言も触れていない。シュメールという名称そのものが、数千年の長きにわたって、人類の記憶から消え去っていた。

<日本人シュメール起源説>

(1) 歴史学者・ケンベル

最初に唱えたのは、元禄時代、日本にやってきたドイツ系のオランダ人ケンペル。

日本の歴史を研究した彼は、「高天原はバビロニアにあった」とし、「日本人は、はるか西方のその源郷から渡来した」と提唱した。

(2)原田敬吾

大正7年11月、バビロニア語を学んだ原田は、ケンペル説を踏まえ、バビロニア会議で、新たに「日本人シュメール起源説」を発表した。

「人類発生の原点とみられる西アルメニア高原から流れ出す、チグリス・ユーフラテス川下流域の沃野シュメールの地──この平原こそ、人類最初の楽園“エデンの園”(シュメール語でエディンとは平野のこと)であり、日本民族の祖先もここから移り住んできたのだ。」

その論拠として、以下のことをあげている。

・ シュメールの日の神ウト、海の神ヤーなどが、広く日本で崇拝された痕跡がある。

・ 創世神話、イシュタル女神の冥界下りなど、シュメール神話の多くが、日本神話に取り入れられている。

・ 古事記のイザナギノミコトの服装が、シュメール君主の服装に合致する。

・ シュメール人は元来海辺の民で、航海術にたけていた。

・ 日本語の地理的名称にシュメール系の言葉が多い。

(3) 三島敦雄

伊予大三島神社に奉職し、神社・古典に造詣の深い三島は、原田説を継承、発展させた。三島によれば、天皇の古語はすべてシュメール語で解釈でき、いずれも“天から降られた神”を意味しているという。(『天孫人種六千年史の研究』(S2年12月発行))

・ 古語に天皇をスメラミコトとも、スメラギ、ミカド、明津神とも申しあげることは、国家としてはかつて国の基底だった。

・ スメ(皇)、スメラ(天皇)とは古代バビロニア語のスメル(Sumer)と同語で、ル、ラは助辞の変化、シュメールとも発音された。このスメとは神の意で、ラテン語のスメ(Summae)も至上至高の意で同系語である。スメ(皇)をすべ(統)の意に解して“統制”の意にするのは、はなはだしい間違いで、天皇=神であり、スメル国は皇(スメ)国と一致して神国ということ。また、スメラギとはスメル、アグ(AK)の複称であり、ミコト(尊、命)、ミカド(天皇)の言語はミグト(Migut)の転訛で“天降る開拓者”すなわち神ということ。明津神とは、シュメール語の日神ウツ(Ut)の御子たる火神アグの権化として、この国土に降りたまわった。

とすれば、古代の日本に天皇をいただいて天降った(=渡来した)民族は、シュメールの王族とその民だった──ということになる。

また、古代バビロニアの日像鏡、月像の首かざり、武神のシンボルである剣は、日本の三種の神器に一致し、古代バビロニアに多く見られる菊花紋は旭日を美術化したもので、皇室の菊花紋章に一致する──とも指摘している。

ただ、三島は、日本に渡来したのはシュメール人だけではないと考えていた。彼は大陸の東端にある古代の日本列島には、さまざまな民族が渡ってきたが、建国の大業を経営統一した中心人種が、世界の諸文明の祖であるシュメール系民族だったとする。

彼らは今から数千年前、その大宗家たる皇室を奉戴して、人類文明の揺りかごである西の豊葦原の瑞穂の国から、日出ずる豊葦原の瑞穂の国に移住し、シュメール人本来の大理想を表現するためにこの日本を築いた……と。

(2)石川三四郎

キリスト教社会主義者・石川は、大正10年、『古事記神話の新研究』で、やはり、日本とメソポタミアの文明が非常によく似ていることを、シュメール神話と日本神話の比較などから指摘した。

しかし、石川の場合、直接的な日本人シュメール起源説をとらず、そのメソポタミア文明の媒介者としてヒッタイト民族を置く。

「鉄を発明した民族」として知られるヒッタイト人は、紀元前2000年ごろ、いずこからともなく現れて、トルコ・アナトリア高原に一大王国を築いた。その勢力はシュメール文明を継承したバビロニア王国を滅ぼし、当時、世界最強を誇ったエジプトを破るほど強大だったが、紀元前13世紀末に突如として消息を絶ってしまう。

ヒッタイト人もまた、シュメール人と同様、どこから現れ、どうやってその“鉄の文明”を築き、どこへ行ってしまったのか、まったく解明されていない謎の民族である。

石川は、「私はこのバビロンの神話を日本に伝えたのはおそらくヒッタイト民族であろう、ヒッタイト民族はすなわち我らが天孫民族であろう、と信じる者である。」という。

その証拠として、

・ 天忍穂耳命が「正勝吾勝勝速目」の名を自ら冠り、「吾れカチカチ」と名乗った。「カチ、カチ」民族、すなわちヒッタイトである。

・ ヒッタイトの岩屋生活は、天孫民族の天の岩屋戸に酷似する

・ 天孫民族の八咫烏はヒッタイトの両頭鷲像に似ている。

・古事記が諸神を、「柱」の語で数えるのは、ヒッタイト人が「柱」形をもって国王を表徴するのと同じ意義を持つ。

したがって、石川氏は、紀元前2004年にメソポタミアから突然姿を消したシュメール人こそ、ヒッタイト民族の祖先ではなかったか、と考える。

なぜならば、シュメール人の消失とヒッタイト人の登場は、ほとんど時期を同じくしており、シュメール人の滅亡を歌ったメソポタミアの哀歌は“彼らは遠い山中に連れ去られた”ともいっているからだ。

また、アナトリアの厳しい自然の中に、突然、高度な金属技術を持った新しい文明が誕生した謎も、彼らがシュメール人だったとしたら、たちどころに氷解する。そして何よりも、ヒッタイト人は文字を扱うことに優れていた。ヒッタイトの遺跡のひとつでは、古代世界最大の粘土板文書図書館が発掘され、そこには、当時メソポタミアで使われていた全ての言葉が記録されていた。

(4)中田重治

東洋宣教師会ホーリネス教会を指導した中田は、日ユ同祖論者。中田説の中心は、「日本人はセム系の古代イスラエル民族を中心として形成された特殊の民である」ということにあるが、中田は、『聖書より見たる日本』(S7年発行)で、聖書のいう「ヘテ人=ヒッタイト人」に注目している。

「このヘテ人と文明の祖となったシュメール人とは非常な関係があり、あるいはヘテ人はシュメール人の一部ではなかったろうかとさえいわれている。このヘテ人が今より2500年前、古代イスラエル王国の滅亡とともにどうなったかわからなくなってしまった。しかるに、オックスフォード大学の考古学の権威・セイヌ博士の発表したところによれば、それは日本人である。その骨格、その顔つきは日本人にひどく似ていて、目尻が上がっており、髪はわが神武天皇時代の人を絵に見るように、弁髪を束ねていたとのことである。日本人の中にたしかにこのヘテ人の血が入っているとは、私ひとりの想像ではないと思う。」

そして、シュメールとの関係についてはこう述べている。

「シュメール人は聖書のエラム、すなわち今のぺルシアの都スサに居住して発展したとのことであるが、日本の古代史にスサノオノミコトが兵を引きつれて東に上ったとあるが、あるいはこれは、その都のひとりの王ではなかったろうかとも想像できる。」

(5)シュメール学の権威/S・N・クレーマー(米・オリエント学会誌、1988年第1号)

「ついこの間まで、プレアデス星団を指すシュメール語ムル・ムルと、この星々を表す日本語スバルとの間に、何か歴史的な、あるいは文化的なつながりを想定するなど、だれにも夢想だにできないことだった。それが優れたオリエント学者ロイ・ミラーが、権威あるアメリカ・オリエント学会の会長講演をもとに加筆し“スバルの跡をたどれば、本当にシュメールの昔にまで行き着く”ことを論証したのである」

「将来のオリエント学は、日本の文化と古代シュメール文化の間に、このほかの様々なつながりを発見するだろう。このような比較研究は、近年までは想像もされないことだったが!」

(6)日本で「ペトログラフ」の発見

山口県下関市の西端、彦島から、奇妙な模様を刻んだ石が次々に発見された。解読を進めるにつれ、それは、シュメールの古代文字(ペトログラフ)だった。この後、ペトログラフは、九州北部と山口県西部の各地で相次いで発見された。

(7)国の名前の意味

シュメール人の足跡は、少なくとも満州(大陸)までは残されている。朝鮮版「古史古伝」の一つ、『桓檀古記』に登場する、「須密爾国」(スミル)こそが、シュメール(スメル Sumer)こと。そして、古代日本とシュメールの国名は同じ意味を持っていた。

古代日本葦原之中津国(アシハラノナカツクニ)
シュメールKi-En-Gi-Ra(キ・エンギ 「葦原之中津国」の意味)

一般に「シュメール」と呼ばれているが、シュメール人自身は自分達の国を「キ・エンギ」(葦原之中津国)と呼んでいた。「シュメール」と言うのは、周辺民族側の呼び方で、「ニッポン」を「ジャパン」等と言うのと同じ。

(2)世界の「破壊と再生」の物語

大洪水の神話の記憶は、広大な範囲に広がる。世界中で500以上の洪水伝説が伝わり、そのうちの86の伝説(アジア20、ヨーロッパ3、アフリカ7、アメリカ46、オーストラリアと太平洋10)の中の62は、メソポタミアやユダヤの伝説とは直接関係がない。

神話のなかで何回、崩壊が起こり創造があったかという回数は異なるが、それでも古代からの伝承が非常に似ていることは明らか。世界中の伝承は、何回も続いた大災害の記録のようだ。多くの場合、詩のような言葉や比喩やシンボルのため、連続して起こった地殻の大変動がどのようなものであったかがあいまいになっているが、多いのは、少なくとも二つの災害が同時に起こったというもの。多くの場合は大洪水と地震だが、時には火と暗闇。

大洪水や大災害の神話には、一面の神話が付きまとうだけでなく、天空にも変化が起こっている。このような伝承は、イランのアヴェスターの人々が伝える破壊的な冬と氷結の広がりを伴う「空の異変」と似ている。他にも、洪水の前後には炎が現れる。火山活動や地震もまた、洪水と共に起こったとされるが、こういった話はアメリカに多い。

・ 3500年以上昔に楔形文字で書かれた「ギルガメシュ叙事詩」がメソポタミアの大洪水伝説に言及しており、これがノアの方舟伝説の原型と考えられている。

人類最初の都市文明は、メソポタミア、つまりティグリスとユーフラテス河に挟まれた地域(現イラク)で誕生した。そのティグリス河上流の遺跡ニネヴェで1853年、アッシュル・バニパル王の図書館が発掘され、数万枚にのぼる粘土板の中から1872年、楔形文字研究者のジョージ・スミスが「ギルガメシュ叙事詩」を発見した。その翌年には、欠落していた洪水部分もスミス自らニネヴェで発見、これが2500年以上昔にアッカド語で書かれたものだった。ところが、実はこの国分よりも約1000年古いオリジナルのシュメル(「スメル」または「シュメール」ともいう)語版が存在したことが後に判明する。この元祖シュメル語版は1988年に南イラクのニップルで発見された。アッカド語版「ギrガメッシュ叙事詩」の四分の一ぐらいしか発見されていないが、これが現存する最古の洪水伝説である。(小林登志子)シュメル――人類最古の文明)2005/中公新書)(「日本列島は沈没するか?」/早川書房)

①アステカ

アステカの文献(バチカン・ラテン古写本より)によると、

 第一の「太陽」マトラクトリ・アトルは4008年間続いた。当時の人々は、アトシトシントリと呼ばれる水生のメイズ(トウモロコシの実)を食べた。この時代には巨人が生きていた・・・第一の「太陽」はアトラクトリ・アトル(10の水という意味)によって水で滅ぼされた。これはアパチオワリストリ(大洪水という意味)とよばれ、永遠の雨という魔術のせいだった。人々は魚に変えられた。ある人々はカップル一組だけが、水のそばの大木に守られ、生き残ったという。また、七組が洞窟のなかで水が引くのを待ち、生き残ったという話がある。世界中で人間は再びその数を増やし、駆られ派それぞれの国で神と崇められた・・・

 第二の「太陽」エエコアトルは4010年間続いた。当時の人々はアトシトシントリとよばれる野生の果物を食べた。この「太陽」はエエコアトル(風の蛇)によって滅ぼされた。人々は猿にされたが・・・一人の男と一人の女が岩に捕まり、滅亡から逃れた・・・

第三の「太陽」トレイキヤウイリョは4081年間だった。第二の「太陽」から生き残ったカップルの後裔たちは、トシンコアコクとよばれる果物を食べた。第三の「太陽」は火によって滅ぼされた・・・

第四の「太陽」トソントリリックは5026年間続いた・・・人々は血と火の洪水のなか、飢餓で死んだ・・・

「サン・ストーン(アステカ王朝6代目の皇帝アシャヤカトルが作らせた記念碑)」も、この古写本と同じように、世界は既に4つの時期、「太陽」を終えており、第五の「太陽」はすでに老齢で、周期の最後に来ている。そして、第五の「太陽」のときには、地球が動き、そのため人類が死滅するとされる。

古代中央アメリカの伝承では、この時期の始まりを太古だと見ており、キリスト暦では紀元前4000年頃だと考えられている。

その終わりの時期を計算する方法は、アステカ人の時代になると忘れ去られたため、アステカの人々は、すでに4回も滅亡しているこの人類を生存させ、不可避の破局を少しでも先に延ばそうと、人間の生贄が頻繁に捧げられた。

②マヤ

マヤの謎の碑文を現在使われている西暦に直すと、第五の「太陽」が終わるのは、2012年12月23日。

③ギリシャ

今の時代の前に、地上には別の人種によって築かれた4つの時代があった。前に存在した時代は、それぞれ後に来る時代よりも優れていた。また、それぞれの時代は、ある時期が来ると、自然の大災害に飲み込まれたという。

最初の時代に創造されたのは「黄金の人種」で、「神のごとく生き、心配がなく、問題も苦悩もなかった・・・不老の肉体を持ち、宴会をしては飲み騒いだ・・・死んだのは眠りすぎのためだった。時が過ぎると、ゼウスの命令で黄金の種族は、地球の底に沈められた。次に、「銀の種族」がでてきたが、やがて「銅の種族」にとって変わられた。巨人の強さを持ち、強力な肢体には力強い手があったが、反抗的なタイタン族の巨人プロメテウスがこれらの侮りがたい人々に火を与えるという悪事を働いたため、彼らは神々の王ゼウスによって死滅させられる。復讐心に燃えた神は、破壊的な洪水で地上を一掃する。それから「英雄の種族」が創造されるが、その次に「鉄の種族」が出てくる。これが第五番目の種族で、現在の人類である。

④聖書

聖書の中の洪水も、世界の一つの時代の終わりを告げるものだが、最初からこの新しい時代にも大災害によってもたらされる終末が来ることになっている。古い歌に、「神はノアに虹の前兆を与えた。もう水はこない、次は火だ」とある。

聖書は、この世には二つの世界が存在したとし、現在の世界は二番目であり、最後の世界だという。

ペテロ書「古い昔に天が存在し、地は神の言によって、水がもとになり、また。水によって成ったのであるが、その時の世界は、御言により水でおおわれて滅んでしまった。しかし、いまの天と地とは、同じ御言によって保存され、不信仰な人々がさばかれ、滅ぼされるべき日に火で焼かれる日まで、そのまま保たれているのである。・・・しかし、主の日は盗人のように襲って来る。その日には、天は大音響をたてて消え去り、天体は焼けてくずれ、地とその上に造り出されたものも、みな焼きつくされるであろう。」

⑤中国

失われた世界の年代は「紀」とよばれ、講師の時代まで10回あったといわれる。それぞれの「紀」が終わる時には、「自然が激動し、海は盛り上がり、山々が地面から飛び出て、川は方向を変え、人間とその他すべてが滅ぼされ、古代の痕跡は消された。

⑥仏教の経典

「七つの太陽」があり、それぞれ、水や火や風によって滅ぼされている。現在の「第七の太陽」の終わりには「地上は炎に包まれる」という。

※ 2002年1月16日、インドの科学技術大臣は、カンベイ湾の洪水で死んだ都市の遺物を炭素年代測定法で調べた結果を発表した。遺物は9500年前のものだった・・・・・・これまで考古学者が確認しているいかなる都市よりも5000年は古い。

⑦ホピ族(アリゾナ・ネイティブアメリカン、アステカ族の遠い親戚)

過去にあった3つの太陽を記録するが、それぞれ全滅しては、再び人類が復興している。アステカの宇宙学では、現在の「太陽」の前に、4回の「太陽」があったことになっている。

「最初の世界は人類の過ちのため、天と地下からの火ですべてが燃やされ破壊された。第二の世界の場合は、地球の軸がひっくり返り、すべてが氷で覆われた。第三の世界は世界的な洪水で終わった。現在は第四番目の世界だ。この時代の運命は、人々が創造主の計画に沿う行動をとるかどうかで決まる。

⑧イランのアヴェスター(ゾロアスター教の経典)系のアーリア人

現代の前には、3つの時代があった。最初の時代の人々は、純粋で罪がなく、背が高く長寿であった。だが、その時代が終わるころ、悪魔王が聖なる神アフラマズダに戦いを挑み、荒々しい大災害が起こった。第二の時代、悪魔王は成功しなかった。第三時代は、善と悪とが完全に均衡した。第四時代(現代の世界)は悪が勝利して始まり、その後も変わらず世界に君臨している。第四の終わりは、もうすぐ来ると予測される。

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(3)最終氷期極相期(LMG)の世界

最終氷期極相の終わり頃(1万7000年頃)、北ヨーロッパや北米の大部分は厚さ4kmの氷の下に埋もれていた。こうした大陸の氷冠に大量の水が凍結されていたので、世界の海面の高さは、現在より115~120mも低かった。したがって、大洪水前の世界は、私たちが見慣れた世界とはずいぶん異なっていた。

○最終氷河期の頃の世界

現在人口が密集しているシカゴ、ニューヨーク、マンチェスター、アムステルダム、ハンブルク、ベルリン、モスクワなどの都会は、人の住める場所ではなかった。北米や北ヨーロッパの大部分は、厚さ数kmの氷冠に覆われていた。逆に、今日では居住不可能な土地の多くは、比較的最近まで、高い人口密度を支え得る住み易い場所だった。たとえば、サハラのように過酷な砂漠となっている場所は、最終氷河期の終わりの4000年前、植物が生い茂っていた。

oベーリング海峡

アラスカとシベリアの間は陸橋でつながっていた。今はベーリング海峡がある。

o地中海の島

南イングランドから北フランスまでは、現存する島は今よりはるかに大きかった。たとえば、マルタ島はシチリア島と陸続きだった。コルシカ島とサルデーニャ島は、合体した一つの大きな島だった。

oペルシャ湾

1万7000年前のペルシャ湾は、ホルムズ湾までの全体が陸地で、沖積土の豊富な川と生命を育む湖があった。

oインド、スリランカ

最終氷河期終わりのインドの沿岸部は今日よりはるかに広く、インド亜大陸の形も著しく異なっていた。スリランカは本土と陸続きで、スリランカの南には赤道を越えて延びるモルディブ諸島は、今日よりはるかに巨大だった。

o東南アジア

マレーシア、インドネシア、フィリピン周辺から北は、日本まで「スンダランド」の平野が果てしなく広がっていた。スンダランドは大洪水前にはれっきとした大陸だったが、海面上昇によって1万4000~1万1000年の間に急速に海に沈んだ。

o日本

1万2000年頃まで、日本の主要な三つの島もひと続きの陸塊だった。

oオセアニア

南の海には、氷河期の巨大大陸サフル(大オーストラリアとも呼ばれる)が横たわり、オーストラリア、タスマニア、ニューギニアが一つの陸塊だった。

1万6000~7000年前までの間に、大オーストラリアの面積は、300万平方キロ以上(メキシコをはるかに上回る)が減少した。1つの大陸だったものが、3つの大きな陸塊に分かれた。

先住民のアボリジニーは、太古から洗練された天文学の概念を持っていた。また、世界のはるかに遠い地域にも見られる「天文学用語」を使用している。

o太平洋の島々

1万7000年前、太平洋全域に点々と浮かぶ何千もの小島は、いくつかの大きな群島をなしていた。

o西大西洋

1万7000年前の西大西洋では、今は浅瀬となっている大バハマ堆が海抜120mの広大な台地をなし、フロリダ、ユタカン、ニカラグアの各大陸棚はすべて露出していた。

○最終氷河期後の世界

現代文明が、最終氷河期のメルトダウンの後、受け継いだ居住可能な陸塊は、1万700~7000年前の1万年間に、現在の形を取り始めている。

 o失われた広さ

地質学者の計算によると、氷河期が終わってからの海面上昇で、地球の表面の5%近く、2500万平方キロが水没したという。これは、米国(960万平方キロ)と南アメリカ(1700万平方キロ)を合わせた広さと、ほぼ同じ。これは、カナダの3倍に匹敵し、中国とヨーロッパを合わせたよりもはるかに大きい。

氷河期の人類が氷床のため、北ヨーロッパや北アメリカのほとんどに足を踏み入れることができなかったため、水没した2500万平方キロは、当時の居住可能地域から考えると、5%ではすまない。

 o失われた土地の特徴

失われた土地は沿岸で、暖かい地方。つまり、当時の地球で人類が住むには最適の土地だった。

○後氷期の洪水とは

過去260万年を通じて、氷河期の周期は、地球の自転軸の黄道傾斜や、歳差運動や、地球が太陽を回る軌道の離心率の変化と強い相関関係を示している。そして、最終氷河期のメルトダウンの結果、現在の海面の高さが、1万7000年前より120mも高くなった。

1万年間で120mの海面上昇は、都市全体を永久に覆い尽くすのに充分な規模だが、これは1世紀あたり1メートル少々にしかならず、偉大な文明を跡形もなく海に沈めたという、地球規模の洪水神話の基になるのは全く不充分。海面上昇は、何らかの天変地異による急激な洪水だったら、原形をとどめないまでに破壊した可能性が高い。

 O最終氷河期のメルトダウンの物語

・ 気候の大規模な急変、突然の激しい解氷と凍結、地球規模の火山活動、比類なく凶暴な大地震、動物種の大量絶滅。

・ 居住可能地域の喪失。海抜の低い海岸平野や河口の肥沃なデルタ地帯といった土地が、海面上昇につれて、世界中で大量に消失した。その失われた大陸は世界中の至る所にあり、合計すると、2500万平方キロの土地となる。

・ 後氷期の大洪水の速度と、圧倒的な規模も関係するが、洪水が陸から海に向かっておき、同じくらい恐ろしい反流の洪水が海から陸を襲った。

○シーソー・システム

地球の表面は、足の下では充分に固く感じられるが、ある程度以上の力がかかると、バネのような弾力性を持つ。その振る舞いは、濃く重いゼリーを軽く詰めたサッカーボールのようになる。ゼリーを詰めたボールの一点に圧力をかけると、その部分はへこみ、中の流体が移動して、へこみの周囲がその文だけ、ほぼ環状に盛り上がる。地質学者たちはこれをアイソスタシーと呼ぶ。

この現象は、氷河期だけでなく、水がすべて溶けた後も、何千年の長きにわたって重要な役割を演じてきた。

1万7000年前のLGM(最終氷期極相期)の時点で、北米や北ヨーロッパを広く覆った氷冠は、厚さが3~4キロあり、その下の大陸塊に何兆トンもの重みがかかっていた。

テキサス州A&M大学の海洋学者トーマス・クラウリーとジェラルド・ノース「(北米のローレンタイド氷床は)ロッキー山脈から大西洋沿岸まで、また北極海から南は、現在のミズーリ川やオハイオ川のあたりまで広がっていた。ヨーロッパでは、フェノスカンディア氷床が北ドイツやオランダまで達していた。巨大な氷床の重みによって地殻は700~800mも沈み、重力異常を引き起こしたが、これは今日でも検出できる。」

氷が100mの厚さになると、地殻が平均して27m沈む。海の水の密度は氷より高く、水が100mの深さになると、海底は30m沈む。最終氷河期に陸上に張った地殻は、すべて海水なので、大陸の地殻が押されて沈む一方で、大洋の底の地殻は、水の重さが減ったために持ち上がった。逆に、氷が全部溶けて海に戻ったときには、海底にかかる重みは再び増した。

最終氷河期の巨大な氷冠形式によって起きた、海面下の下降は、氷河期が始まった12万5000年前から、ピークに達した10万8000年後までで、正味115m前後。

 oシーソーシステムの段階

① 12万5000年前、もっとも最近の氷河の急増が始まった。世界の海洋の165m分の水が、厚さ数千mの氷となって、グリーンランド、北ヨーロッパ、南アメリカ、ヒマラヤを覆った。

② 氷の形成がピークに達したのは2万1000年前。1万7000年前までその状態が続いた。この頃には大陸の大きな氷冠の下の地殻は沈み、深さ1キロもある巨大な凹みになっていた。

③ 同時に、陸上の氷の重みが増すにつれ、海底にかかる水の重みは減った。LGMには、世界中の大洋の底が50mほど隆起した。

④ LGMの後、まもなく氷は溶け始め、水となって再び海に流れこんだ。この過程は1万年もかからずに終わった。

⑤ 氷冠が形成されたとき、深さ165m文の水が海から取り去られたので、氷床が完全に溶けたときには当然ながら、深さ165m分の水が海に戻った。

⑥ イギリス、オープン大学の地球科学教授R・C・ウィルソン教授によると、重量の増減に対する地殻やマントルの反応速度は、「氷冠の形成や氷解よりもはるかに遅い。このため、1万8000年前に数キロの氷の下に埋もれていた所は、氷床が溶けてから何千年も経った今日でも隆起を続けている」。

⑦ したがって、12万5000~1万7000年前までの間に、50mほど隆起した海底が、地殻均衡による沈下によって、元に戻るにも何千年も罹ることになる。

⑧ 現在は、長い間氷期の温暖な時期であり、地殻均衡による沈下が1万7000年も続いている。そこで、現在の海面の高さは、上昇する海面と沈下する海底が最終的に釣り合うところにかなり近いと思われる。だが、氷河期のメルトダウンの最中には、海面上昇が海底沈下の速度をはるかに上回っていた時期が何度もあったはずだ。

 oエミリアーニ教授の「氷のダム」

1970年代、マイアミ大学地質科学部の故チューザレ・エミリアーニ教授の発見があり、氷河期終わりのメルトダウンによって、大洪水が起こされた可能性が高まってきている。簡単に言うと、長いメルトダウンの間に、無数の小規模な洪水に加えて、地球規模の超洪水が3回発生したという。

その時期は、大雑把に言って、1万5000~1万4000年前、1万2000~1万1000年前、8000~7000年前。年代は研究者によって前後1000年以上のズレがある。

エミリアーニ教授「氷の重さで地面が深さ1キロの椀状にくぼんだ。地球内部の熱が凍り床の下に閉じ込められ、底にあった氷が溶けて大きな淡水湖が形成された。北米とシベリア西部で2回、こうした湖が凍りの縁を突き破って大洪水を起こした。海面の高さは1万3000年前頃と1万1000年前頃に突然上昇し、その後は残りの氷が溶け続けるにつれて、ゆっくりと上昇した。先史時代のこうした洪水が、多くの文明に共通する洪水伝説を生んだとの仮設もある。」

 oショー教授の「唐突なステップ」

アルバータ大学のジョン・ショー地球科学教授は、採集氷河期とその急激なメルトダウンに関する世界的権威の一人。

ショー教授「カナダ、スカンジナビアの大半、およびロシア北部の多くを覆った大きな氷床は、純粋な氷と岩ではなく、底に岩、その上に氷河の下の湖、つまり水の層があり、その上に氷が載っていたようだ。そして、温暖化が怒ると氷の表面が溶けはじめ、溶解層と氷河の下の湖がどんどん大きくなった可能性がある。だが、氷床の縁は密閉されていた。それが、あるとき開いた。トイレのレバーを押したらどっと水が流れ出たようなものだ。(中略)

(あるときカナダでは)つまり、大変な量の水が突然大洋に送り込まれたことになる。流れが続いた期間はおそらく数週間だったろう。ここでいう流れとは、アルバータの狭い領域では、毎秒1000万立方メートルほどあったはずで、オンタリオ湖が4日ほどで空になる量だ。海面の高さはたちまち10m程度上昇したはずだ。

これが起こった1万5000年前というと、多くの場所に人々が住んでいた。(中略)その後、1万1000年前には、氷床の南部にアガシー湖と呼ばれる湖があり、カナダを広く覆っていた。スカンジナビアには、バルト氷湖と呼ばれる、同じくらい大きな湖があった。最近のデータによれば、北アジア一帯やソ連の北にも大きな湖があったらしい。こうした湖は凍りのダムにせき止められており、ある日突然放水することが多かった。その結果、同じようなことが起こり、突然の海面上昇につながった。

 そして最後は8000年前だ。北米のローレンタイド氷床と関連したオジブウェイという名の最後の湖が、ハドソン海峡のすぐ南にあった。この湖も破壊的に放水した。

 昔は、最終氷河期の終わりの海面上昇はゆっくり進んだと考えられていた。だが今では段階的に、唐突に起こったことがわかっている。」

○洪水、火山、地震

地球規模の洪水が起こった最終氷河期の終わり、大陸プレートは、10万年に渡って支えつづけた氷の重みから解放され、上に向かって動いた。この大規模な地殻の調整には、巨大な地震や火山の噴火活動が伴った。

1万7000年前~6000年前にかけて、火山活動が著しく活発化したことが、地質学的、古代気候学的な記録に残っている。

1997年10月の「ネイチャー」誌に論文を掲載した国際学者チームは、地中海の海底から採取した深海コアのテフラ(火山の噴火中に噴出した固形物の総称)層を数えて、次のように結論づけた。

「テフラを発生する出来事の頻度と、そこから推定される地中界の火山の著しい噴火の頻度は、海面の高さの急速な変動と関連づけることができる。特に注目したいのは、2万2000年前頃の噴火休止期が、海面の高さが低い状態で停滞した最後の時期に一致していることだ。また、テフラ層の形成がもっとも激しかった1万5000~8000年前は、後氷期に海面の高さが急激に上昇した時でもある。」

地殻均衡の調整は、一定の速度で徐々に進行するわけではない。ときには均衡が急激に大きく変動し、地球全体で火山の噴火が起こるような強力な衝撃波が、地殻に伝えられることがある。

たとえば、ショ教授の言う3回目の超洪水が起きた8000年頃、ひずみと地震があまりにもひどくなり、地中で巨大な波が形成された。それらのうち、スウェーデン北部にあるものは、長さ150キロ、高さ10mで、「岩津波」と形容されている。こんなことは、信じられないほどの巨大な地震でなければ起こりえない。後氷期の断層は、しばしば地殻の内部40キロもの深さに達している。これらすべては別々の巨大地震で造られたが、そうした地震はそろって9000~8000年前までの1000年間に発生している。

古代の気候のデータを見ると、1万5000~8000年前までに、海洋の温度低下、強風、大気中の塵の大量増加、予想不可能な気温の激変、それ以上のことが起こった。

ポーランド科学アカデミーのロムアルド・シルドは、1万2700年前に北大西洋で起きた突然の温暖化を挙げている。温暖化は1万8000年前に止まると、今度は800年でほとんど氷河期レベルまで気温が急降下した。だが、1万年前になると突然、蓋たち上昇に転じる。ロバート・ショック教授の報告によれば、1回目の温暖化の大部分(摂氏15度)が起こったのは、1万1700年よりも後。

ショック教授「気温変化の半分、つまり摂氏8度分ほどは、紀元前9645年を中心とした15年足らずの間に起こったらしい。これは、21世紀の地球温暖化に関する最悪のシナリオより大幅かつ急激な気温上昇だ。」

この時期は、1万1600年前という、プラトンのいうアトランティスの水没の時代とも一致している。「並外れて激しい地震と洪水が起こり、悲惨な一昼夜のうちに・・・・・・アトランティス島は・・・・・・海に呑み込まれて消え去った」

 oサンゴ溺死事件

バルバドスのサンゴ礁「アクロポラ・パルマタ」は、最終氷河期の終わりに、3回ほど溺死している。このサンゴは好光性で、水深が10mを越えると死んでしまう。1万4000年前、1万1000年前、8000年前、海面が徐々に上昇したのならサンゴは浅瀬に向かって伸びたはずだが、非常に突然深いところで死んだので、洪水のピークがくっきりと三段になって残っている。サンゴの溺死は、少なくとも5mの瞬間的な海面上昇がなければ起こらない。

アルバータ大学のポール・ブランション「これらの激しい上昇が、氷床の崩壊、海洋と大気の大変動、融氷水の大規模な放出と同時期に起こったことが証明された。

また、大洪水が反復するメカニズムが働いていた証拠もある。

だが、海面上昇は、サンゴ礁の記録が示すより、さらに数倍激しかった可能性がある。ショーとブランションは、20~40センチの海水量の増加による海面上昇が数週間で起これば、「地面に接していた氷を解放し、氷床のさらなる崩壊を促進するのに十分だったはずで、それによって海面高がさらに5ないし10m程度上昇した」と示唆している。

 O山をも倒すほどの巨大な波

ポール・ラボレット「(近くのヨーロッパの氷床の)氷河が溶けた水が地中海に流入する速度は、ジブラルタル海峡を通って流出する速度をはるかに上回っていたはずだ。その結果、地中海の海面の高さは一時的に、周囲の大洋よりずっと大幅に上昇したと考えられる・・・・・・(このような融氷水の激しい流入によって)地球界の水位は一時的に60mほど上昇し、それによって海辺の文明はすべて水没した可能性がある。」

メルトダウンの時代には、巨大土石流が繰り返し起こり、岩と氷が世界の大洋になだれ込んだに違いない。土石流に誘発された洪水がどれほど激しいものになり得るか。氷河噴出は、氷床の表面を下る途中で、別の氷河湖に溜まった水をも取り込み、その氷河湖の噴出をも誘発して、どんどん大きくなっていく。こうして雪達磨式に、一件の氷河噴出は甲か紙ながら大きさと運動エネルギーを徐々に増していき、やがて山のように膨れ上がる。

波は高さが高いほど、速く移動する。何キロも移動して氷床の端に着く頃には、高さ600m以上、幅40キロ、前進速度は毎時数キロに達していたかもしれない。このような波が、氷床沿いに何千キロも伸びていた可能性がある。

大洋に入っても、波は津波となって前進を続け、遠く離れた大陸の沿岸に少なからぬ被害を与えたことと考えられる。

 

 

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