キリスト教「カトリックにおける奇跡認定<+マリア出現>

< カトリックにおける奇跡認定 >

世界三大宗教のひとつ、救世主イエスを信仰するキリスト教カトリック教会が、現在、奇跡と認定するには、①治療不可能な難病であること、②加療せずに突然完全治癒すること、③再発しないこと、④医学による説明が不能なこと、などの厳格な基準をクリアしなければならない。

これまでに700件を超す説明不能な治癒例が報告されているが、公式に真の奇跡と認定された治癒例は、死に瀕した赤子の蘇生、失明の快癒などの69件(70件?)にとどまっている。

<聖母出現>

聖母マリアが人々の前に現れたとされる「聖母の出現」(英: Marian apparition、聖母の顕現)を目撃した人は、キリスト教徒に限らず、世界各地にいて、民衆の間に伝えられている話や噂の数は数千にも及ぶ。

教皇庁は、宗教改革に対抗して開かれたトリエント公会議(1545~1563年に25回)をきっかけに、聖母出現という超自然現象を体系的に調査・記録するようになる。1978年、バチカンは、〝聖母マリアの奇跡〟を確かめ、認定する規則を制定。聖母マリアの奇跡とされる現象が起きた場合、人々が聖母の形をとった悪霊に支配されないために必要な手順であるとして、「事実の存在」「道徳性」「体験者の信仰」などを基準に、各地区の司教・バチカン(教皇庁)の担当者などの認定作業を経て、公認するか否かを表明している。

米スタンフォード大学工学部出身のマイケル・オニールは、古くは紀元40年までさかのぼる聖母出現の報告をデータ化してウェブサイト(MiracleHunter.com)で公開し、著書で、バチカンが聖母出現を奇跡と認めるまでの緻密な調査と検証を紹介している。目撃者の信頼性や精神状態が判断材料として重視され、名声や富が目当てとの疑いがあれば無視されるか、糾弾される。

約2000件もの出現報告のうち、2023年4月時点で、地元の教会(司教)が認定したのは14件、バチカンの認定は7件。バチカンが判断を保留している出現例も20以上。(Wikipediaによるなら24件のみ)

そして新たに、2023年4月15日、ローマ教皇庁は、新しい「聖母マリアの奇跡 観測所」を設立した。メンバーは神父、教会が宇の教授、弁護士などで、世界各地で目撃されている聖母マリアの出現、涙を流す聖母マリア像などの神秘減少を専門に調査する。今回の観測所は主に非公認のものを扱い、カトリックが認める本物の聖母マリアと、折に触れて流布され、ときに教会の権威を貶めるでっち上げをきちんと区別することが狙いで、聖母マリアの奇跡の悪用阻止する狙いがあるという。

チェッキン神父「しばしば憶測にもとづく情報が混乱を生み、この世の終わりだのと不安を煽ることもあります。それらはときに教皇や教会への批判につながることもありますので、はっきりさせることが重要です。」

最近でも、13年経っても消えないチョークで描かれた聖母マリアや、太陽の光から登場した聖母マリアなどの現象が世界各地で観測されている。4月14日のデイリー・メールによると――ローマ近郊の村に住む女が所有するマリア像が血の涙を流すようになり、毎月、聖母マリアから言葉を受取ったと主張。集まった人々から寄付を受取っていたが、この女は別の詐欺事件で有罪判決を受けており、教会がマリア像の涙を調査すると、豚の血だと判明。警察の捜査が始まると、スカルプッラは行方をくらました。

聖母出現に懐疑的な聖職者も多い。

デイトン大学マリア図書館のヨハン・ローテン神父「マリアの言葉と、目撃者による解釈を区別するのは困難です」。

カリフォルニア州で信仰と物理学と哲学を探究するマジス・センター主宰するロバート・スピッツァー(イエズス会の修道士)「奇跡とは科学的に検証できるものでしょうか? 答えはノーです。科学が確かめられるのは、自然界の現象が物理法則に合致しているか否かだけなのです」「奇跡は自然や物理の法則を超越します」

出現した聖母マリアは、病気を治癒し、心の平安をもたらす一方で、預言を通じて人類に警告を発し、平和を訴え、回心を求め、信仰と祈りの重要性を説くことが多い。出現の意向は、「苦難を受けている人々への励まし」「救命」「救霊」「警告」に区分される。

――聖母出現の根拠は「無原罪の御宿(おんやど)り」と「聖母被昇天」という教義――

聖母マリアは処女懐胎によってイエス・キリストを出産し、伝説ではトルコのエフェソスで昇天したとされる。

「無原罪の御宿り」とは、聖母マリアは受胎の瞬間から原罪を免れていたとする教え。原罪を免れていることは、罪の結果である死を免れることになり、さらには死の前兆である老いも免れていたことになるため、西ヨーロッパのカトリック圏で描かれる聖母は皆、若い女性。ルルドの奇跡が起きた4年前の1854年、聖母マリアは受胎時から原罪の汚れと科(とが)をいっさい受けてなかったとする「無原罪の御宿り」が、カトリック教会の教義として公認された。

そして、罪と科の結果である老いと死を免れ、生涯の終わりに死ぬのではなく、肉体と霊魂を持って天国に上げられたとする「聖母被昇天」のため、聖母マリアは現在も不老不死のまま天国で生きつづけていることになる。これが聖母の出現の根拠となっている。

カトリック信者などから、聖母の警告や聖母への誓いをないがしろにしたために悲惨な結果を迎えたと信じられているのは、フランス王朝。フランス王朝は、ルイ14世が聖母に奉献した聖堂建設などの誓いを放棄した結果、破綻し、革命でとらえられた王が後悔して、牢内で命令を発した際は既に手遅れだった。

<聖母出現の奇跡>

  • グアダルーペ(メキシコ)1531年・・・ローマ・カトリック教会公認の三大奇跡の一つ

1531年12月9日。メキシコシティ郊外のグアダルーペに住む先住民ファン・ディエゴは、ミサに出席しようと教会へ向かう途中、テペヤクと呼ばれる丘で、光り輝く雲のなかに立つ若いネイティブ・アメリカンを目撃。彼女は自分が聖母マリアであると名乗り、自分が立っている場所への教会建立を望んだ。そこで、ディエゴはメキシコの司祭に会って聖母の願いを伝えたが、聖母出現の証拠を求められて失望したディエゴが、テペヤクの丘に戻ると聖母が再び出現し、丘の頂に咲いている薔薇の花を司祭に届けるようにと言う。聖母の言葉どおり、真冬にもかかわらず、丘の頂に咲いていた薔薇の花を切り取ってマントに包んで運び、司祭の前で広げると、マントには聖母の姿が描かれていた。司祭も聖母の出現を信じ、テペヤクの丘にグアダルーペ寺院が建立された。グアダルーペ寺院の旧聖堂は1907年に建造されたが、地盤沈下で傾いたため、隣に新堂が建てられた。ディエゴは2002年に列聖された。

         

マントに浮かび上がった「グアダルーペの聖母」    グアダルーペ寺院の旧聖堂。

  • ルルド(フランス)1858年・・・ローマ・カトリック教会公認の三大奇跡の一つ

1858年2月11日、南フランス・ルルド郊外で薪拾いをしていた14歳の少女ベルナデッタ・スビル―の前に突然姿を現した聖母マリアは、以後、18回の出現を繰り返した。難病の奇跡的な治癒で知られるようになる「ルルドの泉」が湧出したのは、9回目・2月25日の出現時。教区司祭をはじめ大多数の人々は、ルルドの聖母マリア出現について否定的もしくは懐疑的だったが、16回目・3月25日の出現時に「無原罪の御宿り」と自称し、学校教育を受けておらず読み書きができなかった少女が専門的教会用語を口にしたことも信憑性を高める一因となり、聖母マリアの出現と信じるようになった。聖母出現から4年後の1862年、ローマ教皇庁がルルドの聖母出現を公認した。

1958年、初めての聖母出現から100年を記念して、洞窟前広場の地下に大聖堂を建設。1876年、洞窟の上にゴシック式の大聖堂が建立され、カトリック最大の巡礼地となった。

人口1万5000人ほどの小さな村、面積50haほどの聖域に、奇跡を求めて毎年数百万人が訪れる。聖母に言われてベルナデットが泥をすくうと泉が湧き出たと伝えられる岩屋は、巡礼者の足で石がすり減る。泉の水に身を浸して病を癒やそうと、車椅子の人が毎日何千人とやって来る。自力で歩いてくる人はさらに多い。病人を乗せた青いバギーの列はルルドの狭い道を埋めつくし、宗教関係の記念品を売る店が軒を連ねる。聖母出現した1858年以来、7000件を超す治癒例が奇跡と主張されているが、正式に認められたものは70件。

ベルナデッタは後に修道院に入り、1879年に歿。1933年に列聖された。

 

南仏ルルド郊外「ルルドの泉」  病を癒す力を持つ泉の水   ベルナデッタ・スピルー

  • ファティマ(ポルトガル)1917年・・・ローマ・カトリック教会公認の三大奇跡の一つ

1917年5月13日、ポルトガル中部の寒村・ファティマで、羊の番をしていたフランシスコ(9歳)、ヤシンタ(7歳)、その従妹ルシア・ドス・サントス(10歳)が、眩光(げんこう)とともに突如として出現した貴婦人を目撃。聖母は子どもたちに、毎月13日の同時刻にこの場所に来るようにといい残して忽然と姿を消す。ただ、聖母と会話を交わすことができたのはルシアだけで、ヤシンタは声を聞くことはできたが会話はできず、フランシスコは見ることができるだけで、群衆は聖母の姿を見ることはできなかった。

           

ルシア、フランシスコ、ヤシンタ。   1917年10月13日、「太陽の奇跡」と報道。

子どもたちは家族や地域の住民の妨害に遭いながらも、地方行政に監禁されていた8月13日以外の6~10月の13日、約束どおり聖母に会い、7月13日には3つの予言を授かった。その間に集まる群衆は増え続け、最後の出現となった10月13日には7万人に膨れ上がり、驚くべき超常現象が起こる。雨を降らせていた黒雲が大きく割れて姿を現した太陽は、急降下や回転を繰り返し、赤、黄、青、緑、紫などあらゆる色の光線を四方八方へ放射。約10分間にもおよんだ太陽の乱舞は群衆全員によって目撃され、翌日のポルトガルの全新聞で大々的に報道された。

WⅠ対戦とWⅡ対戦の勃発、人々の回心への要求と地獄の実在などを預言。またロシアの奉献の必要性を訴えた。1930年、レイリア司教が公認し。教皇庁認可した。

ルシアは修道女になって予言の内容をローマ教皇庁に伝え、2005年に死去し、現在は列福調査中。フランシスコは聖母出現から2年後の1919年、ヤシンタは3年後の1920年に夭折し、共に2000年に列福されて福者となり、2017年、列聖に列せられた。

1917年5月13日に、大聖堂の手前の聖母マリアが初めて子どもたちの前に現れた場所に、「出現の礼拝堂」が建てられている。

 ファティマの大聖堂。

  • ピラールの聖母(西暦40年、最古の聖母出現)

西暦40年、当時ローマ帝国領だったスペイン・サラゴザで、布教がうまくいかないと嘆く聖ヤコブの前に聖母が幼きイエスと天使を伴ってピラール(柱)の上に出現した。ローマ・カトリック教会公認だが、この時、聖母は存命中であったとされ、伝説の聖母出現に数えられている。

  • ピュイの聖母(西暦70年と221年)

ガリア地方(現在のフランスのル・ピュイ=アン=ヴレ)で起こったとされる聖母出現。

西暦70年、ヴィラという未亡人が、高熱を伴う重病になり、病気を治してくれるよう聖母マリアに祈ると、聖母マリアが現れ、病気を治したければアニス山を登るようにと言う。すぐに自分の召使に命じて、自分を担がせてアニス山に登ったヴィラは、そこで深い眠りに陥ったが、目覚めた時に病気はすっかり治っていた。

西暦221年、体が麻痺した女性の元に聖母が訪れ、アニス山へ登るように言い、その女性は完治。その後、再び聖母がその女性の元を訪れて、そのアニス山に教会を建てるように言った。ローマ教皇カリストゥス1世は、その地に教会を建てることを許可し、聖マルシャルが教会を建てた。

  • ウォルシンガムの聖母(1061年)

1061年、イングランドのノーフォークにあるウォルシンガム村に住む貴婦人のリシャルディス婦人に、幻視によって出現。リシャルディス婦人は、ウォルシンガム村に聖なる家(聖母マリアに大天使ガブリエルが受胎告知をした家)を建て、そこは聖堂となり、巡礼地となった。

  • 雪の聖母(?)

イタリア・ローマで、子供がいないと嘆いていた裕福な夫妻の夢に聖母が現れて、雪で示す場所に教会を建てるよう勧め、教皇も同じ日に同じ夢を見た。雪の聖母教会は、非常に暑い8月に雪に覆われていた場所に建てられた。この話は1250年頃にトレントのフラ・バルトロメオによって記述されたもので、出現の正確な年代は分かっていない。

  • 茶色のスカプラリオ(カルメル山の聖母)(1251年)

イングランドのケンブリッジで、カルメル会の聖サイモン・ストックのもとに現れ、茶色のスカプラリオによる救霊・危険からの保護・平和と永遠の約束した。

  • グアダルペの聖母(1531年)

メキシコのグアダルーペで、インディオのフアン・ディエゴに出現。先住民を弾圧から救済。

  • レジャイスクの聖母(1590年)

ポーランドのレジャイスクで、木こりのトマス・ミハウェックに出現。地元司教公認、教皇ベネディクト14世により画像に戴冠。

  • リバの聖母出現(1948年)

1948年8月18日、フィリピン・バタンガス州リバのカルメル修道会入会志願者テレシタ・カスティージョが自室に入ると、香気が漂う美しい貴婦人が立っており、修道院長の足を洗ってキスをし、その水を飲むようにと言った。9月12日に同じ声を聞き、翌13日夕刻、ブドウ畑で祈りを捧げていると、一陣の風とともに同じ婦人が表れる。純白のドレスを着て祈るように手を組み、右手に金色のロザリオを持ち、司祭と修道女のために祈るように促した。翌14日、修道院内外に薔薇の花びらがまき散らされる超常現象が起こり、聖母が出現直後、テレシタは失明する。テレシタの目にキスをすれば視力は戻るという聖母の声を聞いた修道院長が指示どおりにすると、視力は回復。

それらの奇跡を修道院長らは教皇庁へ報告。1951年、フィリピンの大司教が再調査を宣言。調査中の2015年、リバ市の大司教ラモン・C・アルグエレスが、リパの聖母出現は真正のものだったと布告し、ローマ教皇庁も追認した。

  • ロウの聖母(1664~1718年の54年間)

フランスのサン=テティエンヌ=ル=ロウで、ブノワット・ランキュレルに出現。1665年に教区司教認可。2008年教皇庁より公認。「罪人の避難場所としての聖母」とも呼ばれる。

  • 不思議のメダイの聖母(1830年)

フランスで愛徳姉妹会の修練者カトリーヌ・ラブレに出現。メダイを身につける人への聖母の保護を約束。

  • 緑のスカプラリオの聖母(1840年)

フランスで、愛徳姉妹会の修道女ジュスティーヌ・ビスケイブリュに数回の出現。ビスケイブリュに対して緑のスカプラリオを渡し、このスカプラリオによって信仰のない人は信仰の恵みを受け、信仰のある人はより熱心になり、特に臨終の時に大きな助けを受けると告げた。

  • シオンヌの聖母(シオンの聖母)(1842年)

イタリア・ローマで、アンチ・カトリックのユダヤ教徒の前に出現。そのユダヤ教徒はカトリック信者に改宗し、イエズス会の司祭になった。この聖母出現とユダヤ教徒の改宗は、その改宗したユダヤ教徒が「試しに」と揶揄しながら不思議のメダイを身に付けたことから始まる。

  • ラ・サレットの聖母(1846年)

フランスのアルプスの標高1800mの高地にあるラ・サレットの牧場で、牧童二人に出現。来るべき教会への災難の警告。

  • ポンマンの聖母(1871年)

フランスのポンマンで出現。間近に迫った敵軍の撤退、戦争終結と徴兵された子供たちの生還の予告。

  • ペルボワサンの聖母(1876年)

フランスのベリー地方アンドル県、ペルボワサンで起こった一連の聖母出現。被出現者エステル・ファゲットは元修練女。フランソワ・ド・ラ・ロシュフコー伯のもとで子守として働いていた時、当時不治とされていた肺結核に感染するが、聖母の出現で完治した。その後、聖心のスカプラリオを示され、普及させるようにと告げられる。1892年にローマ教皇レオ13世はこの聖母を祀る聖堂について、蝋燭を捧げること、ここを巡礼するものにいくつかの免償が与えられることを宣言。教皇レオ13世は1900年1月17日、18日に、一般謁見者たちの前で、1896年に完成したペルボワサンの聖母像を受け入れた。

  • ギエトシュヴァウトの聖母(1877年)

ポーランドのギエトシュヴァウトで、2人の女子(12~13歳)に出現。ロザリオの祈りの勧め。癒しの泉と、村人の回心。

  • クノックの聖母(沈黙の聖母、アイルランドの女王)(1879年)

アイルランドのクノックに出現。同時に、聖ヨセフ、聖ヨハネが出現し、十数人の目撃者がいる。

  • ボーレンの聖母(黄金の心の聖母)(1932年)

ベルギー・ボーレンで、5人の子供が目撃。地元司教区、教皇庁認可。祈りの勧めと教会の建設を希望。

  • バヌーの聖母(貧しき者たちの聖母)(1933年)

ベルギーのバンヌ(バヌー)で、マリエット・ベコ(12歳の少女)に現。病者への癒しと慰め。地元司教区、教皇庁認可。

  • アパレシーダの聖母

ブラジルのサンパウロに出現。願いを何も叶えるが、少しでも無礼を働いたり疑問を抱くと、を受ける。ピウス11世により認可。

  • 黙示の聖母(1947年4月12日)

イタリアのトレ・フォンターネで、教皇暗殺まで計画した反カトリックの男性に現れ、男性はカトリックに回心した。

  • リパの聖母(全ての恵みの仲介者)(1948年)

フィリピンのバタンガス州リパに出現。バラの花びらが、カルメル会リパ修道院で巻かれた奇蹟、幻視者の眼が治癒した奇蹟など。2015年9月地元大司教が改めて公認。教皇庁追認。

  • シラクサの涙の聖母(1953年)

イタリア・シチリア島シラクサに出現。その年に結婚したアンジェロとアントニーナ・ジャヌッソ夫妻は、結婚祝いに贈られた壁掛け用の聖母マリア像を寝室に飾った。アントニーナはすぐに妊娠したものの、毒血病に侵されて頻繁な痙攣の発作に苦しめられ、視力も失うが、8月29日に視力が突然回復。直後に視線を聖母マリア像に向けたところ、眼の部分から涙を流しているのを見た。病気による幻覚かと疑ったが、義理の姉妹と叔母、隣人をはじめ、多数の訪問者が頬を伝って流れ落ちる涙を確認。しかも、落涙現象は断続的につづき、多くの目撃者の病気が快癒した。

涙を流した聖母マリア像は、イタリア・トスカーナの工場で大量生産されたありきたりの石膏像で、聖職者による専門委員会が調査したが何の仕掛けもなかった。流れた涙の科学的調査もなされ、塩化ナトリウムの水溶液で、人間の涙の成分と同じ蛋白質化合物を含有していることが判明している。

アントニーナの毒血病は完全治癒し、年末に健康な男児を出産。また、290の説明不能な治癒例を医学的に調査した専門委員会は、3分の1強の105例が奇跡もしくは奇跡に近い治癒であると報告。

  • キベボの聖母(1981年~1989年)

1981年11月28日~1989年11月28日の約8年間にわたり、ルワンダのキベホで、7人の男女に個々に出現。ただ、教皇庁承認となったのは3人の事例のみ。紛争直前に出現、ロザリオの祈りの強い勧め、断食と罪の償いを求める。

最初に出現を受けたのはアルフォンシータという若い女性で、聖母マリアは「私の娘よ」と話しかけ「世界の母である」と名乗った。1982年からは、アナタリーが約2年間、出現した聖母を幻視。その後を継いだマリー・クレールは、約6カ月間、出現を受けた。最後の出現を受けたのはアルフォンシータ。

聖母は、祈りだけでなく苦行と償い、邪悪な行為の拒否を求め、さまざまな映像を幻視させた。映像は当初、楽しく喜びに満ちたものだったが、1984年から一変。破壊行為や血の海に沈む大量の死体など凄惨なものになり。回心しないと大量虐殺が起こるだろうと警告を発した。それらの映像やメッセージは、1990~1993年のルワンダ内戦、和平協定締結後もつづいたツチ族とフツ族の対立・虐殺の預言だったと解釈されている。2001年、教皇庁承認。

<世界各地で頻発する、教皇庁未公認の出現>

数千例以上の報告を調査しきれていないために、教区司教は認可したが、バチカン(教皇庁)によって承認されていない出現もある。

◆カラヴァッジョの聖母(1432年5月26日)

イタリア北部ミラノ領域のカラヴァッジョの野原で、出現。人々の信仰の刷新と戦争における幻視者の家族の安全を預言した。

◆モンタニャーガの聖母(1729~1730年)

チロル地方(現在イタリア)のモンタニャーガで、羊飼いの少女に出現。教区司教が公認。

◆ラ・バンの聖母(1798年)

ベトナムのラ・バンで出現。迫害を受けた信者を守った。

◆ロビンソンヴィルの聖母(1859年)

アメリカ合衆国ウィスコンシン州で、28歳の女性に出現。荒れているこの世界を正しく導く学校を作るように願った。

◆津和野の聖母(乙女峠マリア聖堂)(1867年)

日本の津和野で、拷問を受けている信者に語りかけ、励ました。教区司教が認可。これを記念して、乙女峠マリア聖堂が建堂された。

ステルペトローゾの聖母(1888年)

3月22日~1890年6月まで、イタリアのカステルペトローゾ付近で暮らしていた2人の農婦が、幻視としてイエス・キリストが十字架から降ろされ、その亡骸を聖母が抱くシーン(ピエタ)を見せられた。その後に巡礼が始まり、多くの巡礼者たちも聖母の出現を受け、出現地には湧水が出た。

ヴィクラツバートの聖母(1919年)

ドイツ国バイエルン州オプフェンバッハのヴィクラツバート地区に住むアントーニエ・レドラーがスペイン風邪に罹った際、聖母が彼女の手を引いて起こすと治癒していた。また、アントーニエがゲシュタポに逮捕されそうになった時、彼女を自転車で助けたツェツィーリア・ゲイヤーにも出現。

◆カンピーナスの聖母(涙の聖母)(1930年3月8日)

ブラジルのカンピーナスで、修道女に出現。罪人の回心を願う。

◆ヘーデの聖母(哀れな煉獄の魂の女王)(1937~1940年)

ドイツのヘーデに出現。ロザリオを祈るよう求めた。

◆すべての民の御母(1945~1959年)

オランダ・アムステルダムに出現。核戦争による人類滅亡を防ぐよう警告し、罪の償いを求めた。2002年、教区司教が認可。

◆奇しき薔薇の聖母(1947~1983年)

タリア・ンティキアーリで看護師ピエリーナ・ジリに出現。フォンタネッレ(モンティキアーリの一地区)にも数回出現。

◆1961~1965年=スペインのサン・セバスチャン・デ・ガラバンダルで4人の少女に出現。

◆アメリカの聖母(1956年9月25日~1959年12月20日)

アメリカ合衆国・インディアナ州・ローマ・シティで、修道女シスター・ミルドレッド・メアリー・ヌージルに出現。聖母は、被出現者を通じて「アメリカの聖母、無原罪の御宿り」を名乗り、人々の悔い改め、将来の天罰等の危機が迫っていると警告した。地元司教非公認。崇敬の表明を許される段階。

◆ガラバンダルの聖母(1961~1965年)

スペインのサン・セバスチャン・デ・ガラバンダル村に出現。大天罰の警告が四人の少女によって預言され、全世界と司祭の回心を求められた。地区司教認可。

◆カイロの聖母(1968~1971年)

エジプト・カイロで、鳩や十字架や幼いイエスとともに、約100回出現。コプト正教会公認。

◆司祭のマリア運動

聖母マリアから内的語らいと呼ばれる私的啓示を受けたカトリック教会司祭・ステファノ・ゴッビ神父によって、聖母への崇敬運動が始められた。1972年、ゴッビ神父がファティマの聖母を巡礼中にこの「私的啓示」を受け、その後も大量のメッセージを受け、それをまとめた書籍「題名:聖母から司祭へ」が出版された。

◆秋田の聖母像(1975~1981年)

日本・秋田市湯沢台のカトリック教会の在俗修道会「聖体奉仕会」で、アムステルダムの聖母像をモデルに作られた聖母像から涙が流れ、回心を警告した。秋田市1975年1月4日にはじまった落涙現象は、1981年9月15日まで101回続く。流れた涙や血液は秋田大学法医学教室で分析の結果、人間のものと確認。

1984年、当時の教区司教が書簡で「奇跡としての超自然性を否定できないと声明を出し、ローマ聖座より最終判定が示されるまで教区信者の巡礼を禁じない」と発表。1988年、教理聖省長官ヨーゼフ・ラッツィンガー枢機卿(後の教皇ベネディクト16世)によって正式受理されたが、教皇庁の最終結論はまだ出されていない。

◆フィンカ・ベタニアの聖母(1976~1985年)

ベネズエラのフィンカ・ベタニアで、100人以上が目撃。地元司教公認。

◆クアパの聖母(1980年)

ニカラグアのクアパで、農民のベルナルド・マルティネスに聖母が出現し、ロザリオの祈りの勧めと、和解のメッセージを残した。地方司教公認。

◆サン・ニコラスの聖母(サン・ニコラスのロザリオの聖母)(1983~1990年)

アルゼンチン・サン・ニコラス (ブエノスアイレス)で、一般の神学教育を受けていない主婦に聖母が出現し、多くのメッセージを語る。そのメッセージは人々に語り継がれ、人々の生き方を変えた。その他、病気の治癒等の奇蹟が起きた。地元司教公認。

◆サルタの聖母(丘の上の聖母)(1990年)

アルゼンチンのサルタで、ごく普通の主婦に聖母が出現。超自然現象で難病が治癒するなどの現象が起きた。地元司教の公認は出ていない。地元司教の「信仰(崇敬)表明の認可」の段階。

◆アイオペの聖母(1992年)

ナイジェリアのアイオペ村で、12歳の少女に聖母が出現。その他、太陽の奇蹟などが続き、多くの巡礼者を集めるが、地元司教の「信仰(崇敬)表明の認可」の段階で、地元司教から出現の公認は出ていない。

【カトリック教会が否定する聖母出現】

◆1970年から、アメリカ・ニューヨークベイサイドで、カトリック信者、ヴェロニカ・ルーケンが主張。地元のブルックリン司教は出現を公的に否定。

◆1985年ごろ「聖シャーベル修道会」を結成したオーストラリアの宗教指導者リトル・ペブルが主張。実現しない過激な予言や司祭の貞潔・一夫一婦制の否定により、否定される。

◆1981年より、ユーゴスラビアに出現し、回心と平和を求め、「これが私の最後の出現です」と伝えた。旧ユーゴスラビア解体に伴う戦争の中での「出現」に対し、現地モスタル司教区のザニチ司教と後任のラトゥコ・ペリッチ司教は、その超自然性を否定。公的な巡礼禁止の声明を出した。

◆アイルランド在住の仮名マリア・ディバイン・マーシーは、多くの自称幻視者の支持を得た。ダブリン大司教区のダーマッド・マーティン大司教は、メッセージの多くがカトリックの教理に反しており、このメッセージが広められてはならないという内容の公式声明を発表。

 

 

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