- 安息日
モーセ十戒に定められた一週七日の最後の日。正確には金曜日の日没から土曜日の日没までを指す。その日は断食を厳守し、すべての仕事を停止しなければならない。労働禁止は人間だけでなく、家畜にも適用され、禁止された労働は――耕作、商い、旅行、パン焼き、荷物運びなど、細かく規定されていた。
こうした安息日の戒律を守るために、さらに39カ条の禁止事項が作られ、それを守るためにさらに234項目の禁止行為が加えられて、ユダヤ社会は数え切れない戒律によってがんじがらめに縛り付けられていた。
イエスが語った「安息日は人のためにあるもので、人が安息日のためにあるのではない」は、形骸化したユダヤの戒律主義への警告。
- 割礼
ペニスの包皮の一部を切り取る手術。宗教儀礼への参加が男性だけに制限されていたこともあって、イスラエルではもっぱら男子に限られていた。創世記17章12、14節には、男子は生後8日目に割礼を受けることによってイスラエルの神と契約を結ぶ資格を得ること、異邦人でも割礼を受ければイスラエルびととみなされることが明記されている。
エルサレムの誕生した書記のキリスト教会はこうした慣習を引きずっていたが、パウロは強く反対し、エルサレム教会の指導者たち(使徒ペテロやヤコブなど)と交渉して、ギリシャ人やフェニキア人などの異邦人に対する割礼の免除を勝ち取った。
- ガリラヤ
ユダヤの中心土地エルサレムからサマリアを隔てた遠いかなたの僻地。古代イスラエルの歴史を通して、一度もイスラエルの政治文化の中枢に組み込まれることがないままに「ゲリル・ハ・ゴイム」(異邦人の地域)と呼ばれ、偏狭の血として貶められた、さまざまな諸民族の混住する文化的混淆(こんこう)地帯。
当時、ヘロデ王の統治下に移し返られていたガリラヤは、民衆への抑圧と反抗する者に対する冷酷な報復によって血塗られていた。こうした絶望の中で、人々は荒野に叫ぶバプテスマのヨハネの声、メシアの到来を告げる声を聞く。だが、まもなくヨハネは逮捕され、メシア運動は壊滅する。このような状態の中で開始されたイエスの神の国運動に、人々はそれなしには生きがたい人間実存にとっての根源的な希望の原理を見るが、同時にそのことが現体制の維持を画策するパリサイ派やサドカイ派と呼ばれる律法学者や貴族・祭司階級や大土地所有やの激しい反感と憎悪を招いた。
イエスの宣教活動は、そのほとんどはガリラヤ湖の北西部を中心とする地域に制限されている。30余年の短い年月を目前に1ヶ月、ガリラヤを離れエルサレムに向かったが、イエスはその生涯の大部分をガリラヤで過ごしていた。
- 奇蹟と奇跡
キリスト教における奇蹟は、単なる〝ワンダー(不思議)〟や、いわゆる〝超常現象そのもの〟だけでなく、〝神学上の妥当性〟を条件とする。また、〝自然科学で絶対に説明できない〟から奇蹟だと限定されることもなく、〝そのことが、まさにその時点で起こった〟という点に奇蹟である所以が求められるものもある。自然界はワンダーに満ちており、聖書の時代の人々はそこに創造主の存在を思い、ことにある特別な場合に起こった驚くべき事件を、創造主のわざが身近に現わされた出来事として「奇蹟」と呼んだ。
後世、〝奇蹟認定の条件〟もつくられる。(第24代ローマ教皇ベネディクト14世(在位1740~58)が定めたものなど)
<例>ルルドの泉
1856年2月11日、南フランス・ピレネー山脈の山間の小さな町で、ベルナデット・スピールという14歳の少女が顕現した聖母マリアに命じられ、地面を彫ると泉が噴出。この水が不治の病や難病を治癒する奇蹟が起こる。20世紀、アレキシス・カレルのレポートなどで、泉に特別な治療成分が含まれていたり、自己暗示で治ったりするわけではなく、科学では説明しきれない脅威の現象が明らかに存在するとされた。
さらにベルナデッドは、成長して修道女となり1879年に35歳で死んだが、30年後の1909年、彼女を聖列に加える(聖人の称号を与える)ために遺体の検証を行ったところ、柩には埋葬のときのままの姿が横たわっていた。1913年、23年の検証でもやはり腐敗していなかったと記録されている。
- 賢者
知識をもち、なおかつ信仰の光のもとで「なぜ生きるのか」「なぜ死ぬのか」などに真剣に思索した。ヨブ記、コヘレトの言葉など。
- 原理主義者(根本主義者、ファンダメンタリスト)
聖書の無謬性を主張し、天地創造、処女降誕、キリストの復活と再臨などの教理を根本原理として信じる人たち。
- 祭司
各地の聖所やエルサレムの神殿で祈りを指導したり、神に犠牲をささげたレビ人たちのこと。まことの神と同時に偶像をあがめ、不正な金儲けをしていたとして、預言者からたびたび非難された。王国と預言者の消滅により、祭司は次第に重要な位置を占めるようになる。
- サンヘドリン
大サンヘドリンは大祭司がつかさどり、71人の議員はサドカイ派とパリサイ派で構成された。ユダヤ人の宗教、行政、司法を支配し、ヘロデ大王のもとでは限定されていた権力を、ローマの支配のもとで増大させた。
小サンヘドリンは、日常事件を裁く地方機関。
- 死海文書
最初のものは、死海の荒野の洞窟で羊飼いによって偶然発見された。紀元1世紀前後のキリストの時代に書かれた多数の羊の皮の書物などで、20世紀最大の宗教考古学上の発見と言われる。その後、ベレツヘムの古物商から、ヘブライ大学のアレクアザル・スケーニク教授がエルサレムへ持ち帰るが、不思議にもこの日は、国連がパレスチナをユダヤとアラブに分割することを可決した(イスラエル建国が決定した)日だった。その後、他の洞窟からも巻物や断片、銅版などが発見される。
7つの洞窟からの発見物――「旧約」のほか、「外典」「偽典」のテキスト、「旧約」の註解、それらの断片、法律関係のテキスト(「ダマスコ文書」「宗教要覧」、神社の巻物、「トーラー」の一部)、礼拝文書、終末論的文書、「知恵のテキスト」、銅の巻物、記録文書(手紙、借金の確認書、土地売買書類、財産売買書類、穀物取引書類その他)など800点。
最も古い「旧約聖書」でさえ2世紀頃書かれた写本だが、「死海文書」中最古のものはBC2世紀とされる。「死海文書」の大部分はエッセネ派が書いたものといわれており、イエスが出る前に記されていて、キリスト教徒は直接の関係はない。
- 士師(しし=裁きつかさ)
BC1200-1020、人々を導き、敵から救った者たちのこと。部族の長といった役割ではなく、部族が外敵の脅威にさらされたとき、勇敢な人々の中から急造で選ばれた軍隊の長のこと。
デボラ、ギデオン、エフタ、サムソン、サムエルなど。(サムエルの母がハンナ)
- シナゴグ(会堂)
BC6C頃から始まった、ユダヤ人が集まって聖書を学び、祈りをささげるという習慣を行った場所。
- 聖書の民の呼称
- ヘブライ人 ・・・ カナンに移住するBC1235年以前、遊牧民であったとき。
- イスラエル人 ・・・ イスラエルは民族の祖ヤコブが神から与えられた名前だったが、BC1235年カナンに定住してから、民族の名前となった。
- ユダヤ人 ・・・ 最初はイスラエル民族のうちユダを祖とする部族のことだったが、BC536年バビロン捕囚から戻って以後、民族全体の呼称となった。
- 聖地エルサレム
旧市街地は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という三大宗教の世界的巡礼地。
・「オリーブ山」
聖地一帯は約4キロの城壁に囲まれており、そのほぼ中央に位置する標高825メートルの小高い山。イエスが死後3日目に復活して、その40日後に昇天したと言われる。
・「岩のドーム」
金色のため、黄金のドームとも呼ばれているイスラム教のモスク。終末の世になると、現在モスクが建っている同じ場所に、ソロモンの神殿が再建されると預言されている。
「岩のドーム」内部には、マホメットのミラージュ(昇天伝説)の大きな岩があり、マホメットの聖地メッカ、メディナにつぐ第三の聖地として、全世界のイスラム教徒に崇められている。
「岩のドーム」のある神殿内には、部族の門、鉄の門、綿商人の門など8つの門がある。その中で「開かずの門」として知られ、今も閉じられたままの「黄金の門」。将来、ソロモンの神殿がこの場所に再建されたとき、ユダヤ教のメシアが神殿入りする際に通る門とされているため、イスラム教の管轄下に入ってから、そうした事態が生じるのを阻止するために、イスラム教徒によって閉じられた。
・「モリヤ山」
岩のドームを中心とした周辺一帯で、「神殿の丘」と言われる。ユダヤ教によれば、世界が創造されたときの基礎石が置かれた場所であり、その基礎石の三層下には泉がわき、天地創造以来、その泉の水が水脈として全世界に流れ渡っているという。ユダヤ教にとって〝世界のヘソ〟ともいえる重要な場所。
またここはユダヤ人の太祖アブラハムが神と契約を結んだ聖なる山でもあり、その後、ダビデ王が都を置き、荼毘での後継者ソロモン王が神殿を築いた場所でもある。
・「ケデノンの谷」
モリヤ山の裾野から谷間にかけてみられるユダヤ人の墓群。将来、ユダヤ教のメシアが現れ、黄金の門を通るとき、ここに葬られている死者がよみがえると旧約聖書に預言されているため、墓地の下には3000年以上も前から幾層にもわたって古い墓が埋まっている。
・「嘆きの壁」
BC586年、南王国が滅ぼされたとき、神殿はバビロニア人により破壊され、ユダヤ人はバビロニアに連行された(バビロン捕囚)。その後、バビロニアがペルシアに滅ぼされたため、ユダヤ人はカナンの地に戻り、BC515年、第二神殿を再建する。この第二神殿は、ギリシャ時代、ハスモニア王朝時代、ローマ時代という変遷を経て、ローマ時代のユダヤ・ローマ戦争によって、70年にローマ軍より破壊される。イエスが生誕したのは第二神殿の時代であり、「嘆きの壁」はその第二神殿の基礎石の部分。
- 聖霊
「主の霊」および「神の霊」をあらわす特別な語。ヘブル語はルアッハ、ギリシャ語はプネウマ。もとの意味は風、息、空気など、人の目には隠された、しかし森羅万象を動かす不思議な力を指している。
- トリノの聖骸布とイエスの画像
福音書には、イエスは麻布に包んで仮埋葬されるが、3日の間に死体は消え、墓穴にはその布しか残っていなかったとされる。この布が現存し、そこにはイエスの全裸姿がネガ像として残っていると言われる。
今日に残る最後のイエスの画像は、メソポタミアのユダヤ人居住区跡のフレスコ画(3C)とされ、髭はなく短い髪の若者として書かれているが、現在一般的となっている、中央で分けた肩にかかる長髪、そう長くはない二つに分かれた口髭と顎髭、長く高い鼻は約6C以降のものであり、トリノの聖骸布からきているとされる。聖骸布の確定的な分析結果はまだ出されていないが、信憑性は高いとされ、血液AB型、身長181センチ、年齢30~45歳も推定されている。反面、オックスフォード大学の研究では、麻布は14世紀のものであるとされ、真偽はまだ決着がついていない。
イエスは金髪碧眼であったという説もある。ユダヤ総督ピラトがローマ皇帝に送った現地報告書には、イエスは金色の髪と髭をたくわえており、黒い髭と期褐色の顔色をした聴衆とは好対照とあると書かれている。パリサイ派がローマの国宝を犯したという理由でピラトに処刑させたのは、ユダヤ人ではないイエスをユダヤの法律によって処罰できなかったとも考えられる。ジェイコブ・イーロン・コナーは、カナンの先住民はBC4000年から白人のアーリア人であり、BC1300年、そこへ旧約のヨシュアが一族を連れて乗り込んだが、ユダヤ人は非ユダヤ人との結婚を厳禁しているため、ガラリヤ人はユダヤ人ではなかったとしている。
- 預言者(ナービー)
ナービーとは、「語る者」を意味するヘブライ語で、神に代わって人々に語る者の意味。迷い、うちひしがれた人々に神の名において語るべく、召命を受けた信仰者。社会の各層(農民、貴族、祭司など)から現れ、活発に活動した。王さえ恐れず、事態が変わらなければ不幸が訪れることを告げて、人々に偶像を捨て悔い改めるよう促した。常に人々に受け入れられたわけではなく、彼らを迫害するものもあった。聖書の1/3は、預言者の言葉で構成される。
エリヤ(バァ-ル主義者と闘う、火の戦車で天に昇る)、
アモス、エリシャ、
ホセア(イスラエルに対する愛の予言)、イザヤ(神の国の幻を見る)、
エレミヤ(王国の滅亡を予言―二度のバビロン捕囚)、
エゼキエル(空を飛んだり、人骨が大群衆となってよみがえるという不思議な幻想を見たりした奇行の預言者)など。
- バプテスマ
水に体を浸し、洗うことを通して罪や汚れを清め、新しい生活を始めること、そして信者の仲間入りをすることの二つが意味されている。バプテスマを迫りくる神の最後の審判に対する備えとしてとらえ、予め水に浸されることによって、神の恐るべき火の投下から逃れることができると考えられていた。ヨハネは荒野で、罪の許しのバプテスマを宣べ伝えた。
イエスは洗礼者ヨハネからバプテスマを受けたが、イエス自身が人々にバプテスマを授けた記録はない。また、イエスはヨハネと異なり、荒野から街へ向かっている。
キリスト教のバプテスマは、イエスの死後、新たに組織された信徒たちの共同体によって独自に採用され、共同体への入会式に不可欠な儀礼として継承されてきた。
- バァール信仰
バァールは豊穣の女神の花婿神。本来は神の名を指す固有名詞ではなく、神の本当の名を隠す総称的な呼び名であり、本当の名はハダト。
この時期、イスラエルの民は十二部族に分かれてカナン(大地母崇拝に支えられた農耕文化)の占領地に住み、農耕生活が200年ほど続いていた。混血が進行し、カナンびとの宗教がイスラエルびとの家へ急速に浸透しつつあり、一神教から多神教へ、そして女神崇拝へといった危機的状況にあった。
荒野と砂漠の神である天の父ヤハウェを唯一の神として信じ、いっさいの偶像の拒絶を誓い、その破壊を叫んだ士師を含め旧約聖書のすべての預言者たちが、イスラエルの衰退および滅亡を、イスラエルの民がヤハウェ信仰を棄てて、カナンの神バァール崇拝に傾斜した結果とする。
- ファーティマの奇蹟
1917年5月13日、人口わずか2500人と言う寒村で、リチア・ドス・サントス(10歳)と従妹のヤシンタ・マルト(7歳)、その兄フランシスコ(9歳)の3人の子どもたちの前にマリアが現れる。まず同月同日(13日)・同時刻・同一場所に6回出現すると約束し、そのとおりになった。マリアが見えるのは彼らだけだっただめ信じない者が大勢いる中、子供たちも「誰も信じるような奇蹟」を願い出たのに応えて、最後の6回目の出現時には太陽を火の車のように回転させた。
さらにマリアは子どもたちに三つの預言を託す。それは①当時の第一次世界大戦(1914~18)がまもなく終わるが、②核が使われる、より大きな戦争(WⅡ戦)が起こる。この二つの預言は共に的中し、第三の預言は現在、バチカンの記録保管所に所蔵されたままになっている。それは人類の破滅への警告とされ、余りの内容の恐ろしさにバチカンは公表しないのだと言われている。
ファーティマ以降、世界の各地でマリアが顕現するようになる。フランスのラ・サレットやルルド、ニューヨークなどである。
- 黙示録
神自身から与えられた幻想と言葉によって、信徒に事実の隠された意味を明らかにすることを目指したもの。BC2C-AD2C、ユダヤ人の間で多数の黙示録が書かれた。信者が困難な時期にあるとき、遠からぬ将来に神が正義を回復し、悪の力を打ち破ることを断言したものだが、暗喩を用いることによって迫害者の目にとまることなく、神によって明らかにされた、隠された事実を示すことができた。
- 預言と予言
「預言」はあくまで〝神のメッセージ〟であり、「予言」は一人間が行う予知の意。
聖書では、「まじないをしてはならない。卜占(ぼくせん)をしてはならない」(「レビ記」19章26節)と、予知は禁じられている。
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