< イエスの教えと原始キリスト教会 >

――年表(1)―

BC6     イエス誕生

BC4     ヘロデ王の死。王国解体、三分割。

       ガリラヤはヘロデ王の第二子、ヘロデ・アンティパスが相続領主となる。

6      ユダ王国、ローマの属州に。アウグストゥスの勅令によるユダヤの住民登録。

6-15    アンアス、ユダヤの大祭司となる。

14      アウグストゥス帝の死。ティベリウス皇帝となる。(~37)

26      ローマのポンテオ・ピラト、ユダヤの総督となる。(~36)

27      ナザレのイエスが、ガリラヤを起点に神の国運動を開始。

30.4    イエスの磔 → 復活

※ キリスト教でエルサレムが聖地とされる理由・・・・・・第二神殿の時代、イエスが磔刑に処せられたのち復活した地。

30-31、五旬祭   初代教会の成立。

33      パウロの回心。

37      ステファノの殉教。

       アグリッパ一世、ローマ属州シリアの王となる。ティベリウス帝の死。

       ガリアに追放、ユダヤはアグリッパ一世の領地となる。

41      ガイウス帝の暗殺。クラウディウス、ローマ皇帝となる。(~54)

42頃     アグリッパ一世によるキリスト教徒の迫害。ゼベダイの子ヤコブの殉教。

47      パウロの第1回伝道旅行(~48)

48-49    エリサレムで最初の使徒会議。

49      パウロの第2回伝道旅行(~52頃)。

       クラウディウス帝、ローマのキリスト教徒を迫害。

53      パウロの第3回伝道旅行(~56頃)

        クラウディウス帝、毒殺、ネロがローマ皇帝となる。

        哲学者セネカ、小説家ペトロニウス。

55頃     「ローマ信徒への手紙」「コリントの信徒への手紙」など。

58、聖霊降誕祭 パウロ、エルサレムで逮捕。

        総督フェストゥスの前に出廷。カイサリアに監禁。

60       パウロ、ローマへ出航。マルタ島に漂着。

61頃      パウロ、ローマで投獄され、殉教(64年説あり)。

        最後の書簡執筆。

62       イエスの兄弟、ヤコブの投石刑。

64       ネロ、ローマに放火、ローマのキリスト教徒を迫害。ペテロの殉教。

66       エルサレムでユダヤ人暴動始まる。

67       第一次ユダヤ戦争(~70)

68       皇帝ネロ、自殺。帝位をめぐる混乱。

69       コロセウム建造。

69-79     ウェスパシアヌス帝。

70       ローマ軍、エルサレムを包囲し、破壊。この頃、『マルコ福音書』。

(神殿破壊と祭司の消滅後、律法学者はパリサイ派とともに、ユダヤの社会と宗教にとって最も重要な存在となった)

73       マサダ砦の包囲。

79       ヴェスヴィオ山噴火。ポンペイ、ヘルクラネルム埋没。

79-81     ティトゥス皇帝。

80頃      「マタイ福音書」

81       ドミティアヌス皇帝、ローマ皇帝となる。(~96)

90頃      『ルカ福音書』『ヨハネ福音書』「使徒行伝」

95頃      ドミティアヌス皇帝がキリスト教徒を迫害。「ヨハネ黙示録」

96       ドミティアヌス皇帝暗殺。ネルウァ皇帝。五賢帝時代、開始。

117       ハドリアヌス帝、ローマ皇帝となる。(~138)

125       ハドリアヌス帝、勅令によりキリスト教徒への一定の寛容を示す。

    132       第二次ユダヤ戦争

    ☆――☆

    1. イエス誕生前後のユダヤの状況

    BC63、ポンペイウスによるエルサレム奪取によってマカベア朝は終わり、ユダヤ地方はローマの属州となった。

    律法などを現実生活に即して柔軟に解釈して適用することで、ヘレニズムとヘブライズムの対立の調整を試みようとする一方、イスラエルの伝統的宗教の本質の保存と、律法の文書化によって風化と散逸を防ごうとする動きも顕著となった。こうした時代背景を踏まえ、BC200~AD200、後世のユダヤ教の聖典「タルムード」の中核部ともなった「ミシュナー」(成文律法)の編纂が進められる。

    ヘロデ大王(BC37~4)没後のイエスの生きた時代(AD25~30頃)のガリラヤ地方は、ヘロデ・アンティパス(在位BC4~AD39)が支配していた。また、アルケラオスが追放(AD6)された後のユダ・サマリア・イドマヤの三つの地域は、ローマ皇帝直轄の属州の「ユダヤ州」としてローマ総督の直接統治下にあった。ヘロデ大王の神殿拡張工事(BC20頃~AD30完成)をはじめ、分封指導者やローマの過酷な徴税が民衆の負担を増大させていた。

    BC1C、ローマの暴虐に苦しんでいたイスラエルは、「旧約」に示される、神がやがてメシアを遣わして自分たちを窮地から救い、輝かしい地位を与えるという預言者的終末論的メシア到来への待望をますます強めていく。

    BC130年以後に誕生したエッセネ派、パリサイ派、サドカイ派のほかに、「人の子」の来臨を待望する黙示文学者集団や、ガリラヤ地方のシカリ派、ローマからの民族解放を目指し武力闘争も辞さないゼロテ(熱心党)などの政治的武装集団もあった。同じ頃、クムラン教団の影響を受けたと思われる洗礼者ヨハネが、メシアの出現と神の審判の近いことを荒野で告げていた。

    「預言者イザヤ(第二イザヤ)の後期ユダヤ教」 → 「エッセネ派」 → 「クムラン共同体」 → 「洗礼者ヨハネ」 → 「ナザレのイエス」

     oプレ・クリスチャン(キリスト以前のキリスト教徒)

    キリスト教におけるユダヤ教再評価。

    イエスの教えには非常にユニークな点があるとはいえ、当時のユダヤ教のラビの教えからそう隔たったものではない。キリスト以前のキリスト教徒とも言うべき人たちもおり、キリスト教が「クムラン・エッセネと呼ばれるユダヤ教の一派に発することは議論の余地はない」(ヘブライ大学マジウ・ブラック博士)とされている。

    1. ユダヤ教からキリスト教へ

    ヘロデ大王の死後、ローマ皇帝アウグストゥスは、ヘロデの遺言に従って、王国を3人の息子に分割相続する。そのうち、カナンの北部にあるガリラヤとペレアはヘロデ・アンティパスが支配した。その時代に登場したのがイエス。

    イエスが公に伝道を始めたのは30歳頃で、それまでどこでどう過ごしていたか、福音書では多くを語っていないが、荒野での洗礼者ヨハネの生活は、クムラン教団との関係をうかがわせる。ヨハネを通してイエスも、少なくとも活動の初期の頃には荒野で苦行生活をしていた様子がうかがわれ、クムラン教団の影響を間接的に受けていたと推測できる。

    また、イエスにはパリサイ派からの影響もあると考えられる。

    1. イエス出生に関する問題
    • 名前

    「イエス」は、ヘブライ語では「イェホシューア」で、「ヤハウェは救い」を意味するユダヤ人の一般的な男子名。簡略して「ヨシュア」ともいう。

    そのギリシャ語の発音が「イェースースー」、アラム語では「イェーシュ」。

    日本語の「イエス」はこのいずれとも異なる。

    • 生年 

    イエスは、西暦1年生まれで、誕生日12月25日とされているのは俗説。後世の調べによると、生誕年は西暦4年頃、ヘロデ大王が死んだ西暦4年の少し前とされる。誕生日が12月25日とされたのは4世紀のローマの時代で、冬至の祭りの日に当てたものとされている。

    その他、いろいろな説がある――『マタイ』(2章)にある「東のほうで星を見た博士」から、星の軌道計算から逆算して、BC7年とする説。AD31あるいは32年死没説。ローマ皇帝アウグストゥス治世下の戸籍調査の実施年代から推定する説。

    (by「世界の宗教101の謎」21世紀思想研究会編集、河出書房新社)

    • 降臨(エピソード、場所)

    イエス降誕の記述は、4福音書の『ルカ』『マタイ』にあるだけで、『マルコ』『ヨハネ』には全く記されていない。しかも、羊飼いの祝福は『ルカ』のみ、東方三博士の来訪は『マタイ』のみに留められているため、この二つのエピソードにどこまで信憑性があるのかはわからない。

    • 処女降誕と血脈

    70~80年の成立とされる『マタイ』(2―1)、『ルカ』(2―6以下)では、ダビデの生誕地・ベレツヘムで処女マリアから生まれたとする。神の霊によって妊娠したイエスは、純粋に神の子であることを意味する。

    しかし、『ヨハネ』『マルコ』「パウロの手紙」では、ベレツヘムでの処女降誕に触れていない。現在では、両書の処女懐胎伝承は後世の教会人によって加筆改竄されたものとみなされており、『マタイ』『ルカ』は、イエスがダビデの系図の正しい継承者であることを強調するための意図的な創作と考えられている。

    『マタイ』(1章18―5節)の部分は、もともと天使が父ヨセフに「マリアなる乙女と結婚せよ、そして生まれた子をイエスと名付けよ」と命じているだけのシーンであったという。これに「マリアが婚約時代に聖霊によって妊娠し、それを知ったヨセフは離縁しようと思い悩んだ。それを天使がたしなめた」といった内容の文言と、「ヨセフはイエスが生まれるまでマリアと交わらなかった」という文言が加筆されることによって神の子受胎シーンに変じてしまった。

    ・血脈

    正統キリスト教会は、旧約はイエス=キリストの出現を預言し、その登場をもって新約が始まるとする。

    「イエスは処女マリアから生まれた」として、ダビデに続いて「来るべき王」(エゼキエル書)や「エッサイの株から一つの芽が出、そのネームから一つの若枝が生えて実を結び、その上に主の霊がとどまる」(イザヤ書)などの記述から系図を作っている。『マタイ』が、「イエスはダビデの子」(『マタイ』1―1)としたのは、イエスの権威の正当性を意図していたと思われる。

    しかし、これにしたがうと、処女降誕と血脈とは真っ向から対立することになる。

    『マタイ』はヨセフを養父とする。イエスが父ヨセフの種でないという認識が一般的だったなら、ヨセフを実父とする男系の系図が作成されるはずがない。

    『マタイ』や『ルカ』では、養父ヨセフに、エッサイ→ダビデ→ソロモン…と続く血の流れは、今日、否定されるべきものとなっている。

    また、『マタイ』(1―23)の「見よ、おとめがみごもって」の「おとめ」は、ギリシャ語本文では「パルテノス」となっている。この箇所の引用元となった「ギリシャ語70人訳」の「イザヤ書(7―14)」でも、同じく「パルテノス」となっている。ヘブライ語の原典「マソラ本文」ではこの言葉に相当する「アルマー」は、「既婚あるいは未婚を問わない若い女」を意味する。福音書と同時代の資料はごくわずかで、イスラエル側には「古代誌」、ローマ川には歴史家タキトゥスの資料があるが、後代のキリスト教徒による加筆編集の跡があり、そのまま信用はできない。

    • イエスの家族

    新約聖書では、イエスには4人の兄弟がいたとされている。また、外典には、2人の姉妹の存在も記されている。

    ただし、兄弟とは言っても、父ヨセフの連れ子の可能性もあり、実際の家族構成は現在までにさまざまに論じられている。

    カトリック教会は、当時のパレスチナ地方の標準語(アラム語)では兄弟と従兄弟の区別がなかったため、これは兄弟ではなく従兄弟であると説いてきたが、福音書の原典はギリシャ語で、ギリシャ語では兄弟と従兄弟を書き分ける。『マルコ』は、アラム語から訳したものではないと考えられている。

        ┌ イエス

           │ ヤコブ

       ヨセフ │ ヨセ

    ││―――――│ ユダ

       マリア │ シモン

           │ 姉妹

            └ 姉妹

    • イエスの幼年時代

    新約聖書には、イエスの幼年時代の記述が非常に少ない。確かなのは、イエスの故郷はナザレということだけ。

    1. 愛の教え

    イエスの教えは「愛の教え」といわれる。人間存在の根底に横たわる苦悩やエゴイズムを徹底的にえぐり出し、民衆に対し終末的な神の国の到来を語り、神の慈悲と許しによる人間の悔い改めと、イスラエルの神へのまったき信仰を説く。そして、イスラエルの民衆に対し、民衆の伝統としての律法の完全な成就を目指して生きるように教え、隣人に対する共同体的愛をも目覚めさせた。

    生まれ故郷のガリラヤ地方で最初の説教を開始後、イエスはユダヤに足を伸ばし、エルサレムの神殿内外で説教を行った。わかりやすい小話やたとえを豊富に引用したイエスの教説は、ローマの圧政下で過酷な収奪に苦しむ下層社会の多くの民衆の心をひきつけ、差別や偏見、宿命の中で絶望的生活を余儀なくされていた病人や障害者たちを癒すなど、非凡な力ある業を示したことも民衆に励ましと慰めと希望を与えた。

    古代ユダヤでは、病気は悪魔や汚れた霊、病人の罪からくるものと考えられていた。宗教的意味を強制することによって人々を恐怖に追いやり、呪われた病気に対する医療行為・・・・・・検診、診断、治療、隔離、社会復帰の権限を、ユダヤの最高法院を通して集中的に祭司の手にゆだねていた。

    神殿祭儀と律法順守を不可欠とみなすサドカイ派などの伝統的祭司階級から見ると、病人や罪人などの肉体的社会的弱者は、律法を順守できない宗教上の弱者や罪人だった。状況はユダヤ律法主義の復活を企図するパリサイ派の横行によっていっそう悪化、神の呪いという病気にまつわる差別の論理は二重三重に民衆を縛り上げた。

    イエスたちはユダヤ社会を支配する差別の力学に真正面から挑戦する形でこうした病人に接近し、弱者を真っ先に祝福、彼らの社会復帰を促していく。イエスの病気治しの活動は、ユダヤ社会の最底辺で、人々から差別されつづけてきた人々を解放する力となるが、結果、パリサイ派の律法主義者と衝突することになる。

    イエスは、戒律のみを重んじる律法主義のユダヤ教を強く批判。律法の形式的順守を誇る祭司階級や律法学者に対して激しい非難の言葉を浴びせた。そして、彼らを神の名によって糾弾し偽善者としたことが、祭司や律法学者たちの怒りを買い、彼らはついにイエスの死を求め始める。

    祭司長たちはイエスの弟子の一人であるユダを買収し、最後の晩餐の後、オリーブ山の麓にあるゲッセマネの園で祈るイエスを捕らえた。大祭司の家に連れて行かれたイエスは、神殿冒涜などの罪で死刑を宣告されるが、宗教的理由による罪は死刑にできないため、イエスはユダヤの王としてロー前への反逆を企んでいるという罪が代わりに着せられた。

    最終的な死刑宣告と処刑は、ローマから派遣されている総督の権限だったが、イエスが無実であると悟ったローマ総督ポンティウス・ピラトゥス(聖書ではポンテオ・ピウト)はイエスを救おうとする。しかし、祭司長らに煽動された市民がイエスを十字架に架けるよう要求して騒いだため、死刑を宣告せざるを得なくなる。

    ※ ローマ帝国が派遣した総督たちは、当初、ユダヤ人を刺激することを避けつつ支配してきたため、ユダヤ人が理不尽な要求をしてきても飲まざるを得ない場合があった。イエスの処刑はそれを端的に示す例。

    この背景には、エルサレムのユダヤ人たちのメシア(救世主)観とのズレがあったと言われる。彼らは自分たちをローマ支配から解放してくれる救世主を求めていたが、イエスは、ローマに反旗を翻さなかったことが民衆を失望させた。

    最大の対立点は、律法についての考え方。事細かに律法の遵守を求めるユダヤ教の指導者に対して、イエスは「律法のために人があるのではない」と主張する。

    労働をしてはならないとされる案族日に病人を治癒したり、律法を破った者や律法を守れない罪人にまで、神を信じて悔い改めれば救われるなどと説くイエスに、ユダヤ教指導者たちは、イエスを「メシアを騙る罪人」と考え、十字架刑に処した。

     o安息日(サバス)

    ユダヤ教の休日は現在でも、金曜日の日没と共に始まり、土曜日の日没により終了する。この休日が安息日と呼ばれる。創世記において、第6日目に人間を創造した神がその後休息したことが起源で、「7日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない」(出エジプト記20章10節)につながっていく。その遵守のために、39の禁止事項と234の細則を決めて、安息日を過ごすように督励していた。

    <安息日に禁止されていること> 

    土地を耕すこと、種を蒔くこと、刈り入れをすること、脱穀をすること、パンを焼くこと、羊の毛を刈り取ること、糸を紡ぐこと、糸と糸を結ぶこと、狩をしに行くこと、動物の皮を剥ぐこと、文字を書くこと、火をつけること・・・・・・・など

    ・ 既存のユダヤ勢力「安息日に労働するとは何事だ」・・・・・・律法の遵守こそ、人間には求められるのだ。

    ・ イエス「人の子は安息日の主なのである」・・・・・・安息日のもともとの意味を忘れていないか?

     o安息の年

    安息の年とは、7年ごとに土地を休ませることで、畑は耕されず、そこで実ったものは貧しい人たちに与えられた。

    1. イエスの奇蹟

    奇跡を行ったのはイエスが最初ではなく、律法学者なども行い、ギリシャの治癒神アスクレピオスの神殿では治癒の例が80ある。また、イエスと同じように、旧約聖書の大預言者エリヤとエリシャも死者を復活させている。

    福音書には約25の癒しの記述があるが、イエスが行った奇蹟は、預言者イザヤが、メシアが起こす奇蹟について預言していることと一致する。

    「そのとき、見えない人の目が開き、聞こえない人の耳が開く、そのとき、歩けなかった人が、鹿のように躍り上がる。口の聞けなかった人が喜びを歌う」

    ①「病気の癒し」  

    重い皮膚病を患う人、中風のローマ軍将校の部下、発熱した弟子ペテロの姑、寝たまま担がれてきた中風の人を治癒した等々。

    ②「悪霊の追い出し」

    ③「死者の復活」  

    若者(『ルカ』7章12-15)、ラザロ(『ヨハネ』11章1-44)、指導者の娘(『マタイ』9章18-26)の復活

    福音における復活という言葉は、死を乗り越え、神のもとで満たされた相対的な生へ移ることを意味している。キリストの復活は、終末における全人類の復活を意味する。

    ④「自然の事物に対する奇跡」

    イエスにとって癒しは、福音による解放を事実として示すもので、神の国を意味する。癒しの奇蹟でイエスが強調していることは、その人間の信仰。逆に、少しでも疑ったり、信仰が薄くなったりすると、奇蹟の力は働かなくなることもある。

    「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。あなたの病気は治った」(出血症の女の逸話、『マルコ』(5―25~34))

    「信仰の薄い者よ。なぜ疑ったのか」(『マタイ』(14―24~36)))

    イエスの癒しの力は、12弟子に、ついで72人の弟子に引き継がれた。

     oプネウマ

    風を表すヘブライ語「ルアッハ」のギリシャ語訳が「プネウマ」であり、イエスの超能力にかかわる原語。人間の目には隠されているが、森羅万象を動かす不思議な力を指す。

    イエスはプネウマに導かれて荒野に分け入り、悪魔の誘惑に勝利する。「さわる」「手をあてる」といった行動や言葉によって数々の奇跡を行った。

    1. イエスの称号

    < 主 >

    神の名ヤハウェをみだりに唱えることを固く禁止されていた古代イスラエル人は、「主」(アドナイ)を使った。そのギリシャ語訳「キュリオス」が、ヘレニズム時代のローマ皇帝を崇拝する称号と同じだったため、「イエスはキュロス」と告白する者は逮捕され、殉教へ追いやられた。

    それほど「主」はイエスに対する重要な呼びかけの称号だったが、最古の福音書である『マルコ』には、『マタイ』や『ルカ』と違って、「主の」称号がほとんど用いられていない。

    異邦人であるシリア・フェニキアの女の呼びかけ(『マルコ』7―28、他に『マタイ』1―21以下)が、ただ一つの例だが、それは奇跡を行う人への呼びかけ。

    < 神の子 >

    イエス自身が本来、天の神の国に帰属し、この地上の国に遣わされた方という特性を強調する場合に使用される、特別な称号。

    「あなたは私の愛する子、わたしの心に適(かな)う者」

    (『マルコ』1―9~11)(『マタイ』17―1以下、『ルカ』9―28以下)

    < メシア(=キリスト) >

    ヘブライ語では「マーシーアハ」、ギリシャ語は「クリストス」。どちらも「油注がれた者」を意味し、「救い主」を指す。

    オリーブ油の中に神の霊力が含まれているとした古代イスラエル人は、オリーブ油を体にぬったり頭に注いだりする行為に「聖別」という特別な宗教的意味を与え、儀礼として守ってきた。ダビデ、ソロモンなど古代イスラエルの王たちは、油を注がれることによって王の位についた。

    メシアが独自の意味を持ち始めるのは、捕囚期以後。メシア概念がイスラエルを解放する地上の王への期待と結合し始めてからであり、「油注がれた者」を意味するヘブライ語「メシア」は、神に仕える特別な人を意味する宗教用語として定着し、新約聖書に引き継がれていく。

    「メシア」は、「神の子」概念よりもはるかに強く、この世の救世主と結び付けられるようになる。そして、イエスの神の国運動も救世主待望と一つになり、権力者との対決姿勢を強めていき、その究極に十字架の死があった。イエスのメシア称号は、第二イザヤ的「苦難」や「卑賤」と結合し、やがて殺されるメシアとして結晶化する。

    < 人の子 >

    「神の子」「メシア」はイエスに対して外側から付与された称号。「人の子」は、常にイエスがイエス自身に対して使用した称号。

    「人びとは人の子をだれと言っているか」(『マタイ』16―13)

    「人の子には枕するところもない」(『マタイ』8―20、『ルカ』9―58)

    この称号には、対立する全く異質の二つの概念――尊厳に対する卑賤、あるいは聖なる世界への帰属性に対する地上における受難――が一つに結合されていると言われる。(byドイツの聖書学者ゲルト・タイセン)

    1. 最後の審判

    ゾロアスター教の終末論と最後の審判の概念は、以後のユダヤ教を初めとするアブラハム系宗教に受け継がれた。

    ユダヤ教でも、キリスト教でも、イスラム教でも、この最後の審判の時には、死者も再び復活して審判を受けるとされている。イスラム教では、このとき、善行と悪行が秤にかけられ、最後の楽園に入る者と地獄に落ちる者が分けられるとする。

     o十字架と復活が教える永遠の命

    (by「世界の宗教101の謎」21世紀思想研究会編集、河出書房新社)

    キリスト教、ユダヤ教、イスラム教では、この地上での肉体の死はあまり重要なこととは考えられていない。いよいよ神の国が建設されるというときには、死者もすべて復活させられ、「最後の審判」に呼び出されて、さばかれなければならないことから、死は通過点に過ぎないと思われている。重要なのは、神の国の建設という「神の計画」であって、人の一生ではない。

    しかし、キリスト教では、人が死ぬと、「神の国に召されました」という言い方をする。「最後の審判」はまだ来ていないのだから、ほんとうなら「神の国」に召されたかどうか、まだ解らないはずなのに。

    この疑問を解く鍵は、イエスの「十字架における死」と「復活」にある。イエスは、本当なら「最後の審判」のときまで引きずっていかなければならない人間の罪を、すべて自分の身に背負って十字架にかかり、自らの血で贖った。このイエスの贖いによって、私たちすべての罪は、神によって赦されるとした。

    その3日後にイエスは復活、これは「永遠の命を得た」ことを意味する。

    キリスト教では――私たち罪深い人間は、イエスの十字架による贖いを通してその罪を赦された。わが子イエスを十字架で死なせてまでも、人の罪を赦そうとしたのは、神の愛であり、人間はその愛を信じて罪を悔い改めれば、イエスの復活と共に永遠の命に連なることができる――と教える。

    私たちの罪は、あらかじめ贖われているから、もはや死も、死の後でやってくる「最後の審判」も恐れることはないと。

    1. メシア概念の違い

    救世主のことを、ユダヤ教では「メシア(ヘブライ語)」、キリスト教では「キリスト(ギリシャ語)」とする。

    イエス時代の民衆は、エリヤのような預言者をメシアとして期待する者が多かった。ほかにも「神の子」「イスラエルの王」「天から下ってきた者」「人の子」などとも理解され、当時のメシア理解はかなり混乱していた。共観福音書でさえ、政治的救済者として「ユダヤ人の王」、超人的終末的救済者として「神の子」など、人物像は混乱する。

    旧約聖書の預言書に関する記述を、ユダヤ教では、神の言葉を預かったさまざまなタイプの預言者たちの書と、キリスト教では、その後に出現したキリストの形取り(前ぶれ=先駆け)の書と解釈している。

    ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の「救世主」解釈は三者三様で、互いに譲らない。

    • ユダヤ教「未だに救世主は現れていない」

    ユダヤ教は、メシアがナザレのイエスであるとは絶対に認めない。近年、ユダヤ教からイエス再評価の動きも出、イエスをラビ(ユダヤ教の尊師)の一人としているものの、キリスト(メシアのギリシャ語訳)とは決してしない。

    ユダヤ教では、メシアがこの世の終末には神がメシアを遣わし、ユダヤ民族を救ってくれると考えている。メシアは救済者としてあくまでユダヤ民族を政治的に開放してくれる者であり、究極的には万民の征服者であるとする。罪や贖いをメシアと結びつけることはなく、苦難や死と関連させてメシアが語られることはあっても、メシアが苦しんで死ぬとは理解しない。

    ※ 十字架にかけられたイエスに向かってユダヤの祭司長や律法学者たちが投げつけた罵り「他人は救ったのに、自分は救えないメシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら信じてやろう」(『マルコ』5―31~32)

    ユダヤ民族の圧政下で、人々の間に、「偉大な預言者が現れて、われわれを救ってくれる」という期待感が満ち満ちていた頃、メシア誕生の声が最高潮に達していた。その頃、イエスは誕生し、布教を始めた。すわ、メシア到来か・・・の噂は、当時のユダヤ教指導者たちの間にも流れたが、イエスが説く教えはことごとくユダヤ教の教えと対立する。

    ローマの従属から解放されて独立し、選ばれた民族として強力なユダヤ王国を築き上げてくれる現実的な王を熱望していた彼らからみれば、当時の形骸化したユダヤ教の腐敗を具体的に批判したイエスは、自分たちの誇りと既得権を侵す危険な人物であり、「汝の敵をも愛せよ」という教えは彼らには考えられないことだった。

    • キリスト教「イエスが救世主」

    キリスト教では、イエスは旧約聖書に書かれている預言どおりのことが起こったとして、メシアとする。

    「メシアは黄金の門を通って、ソロモンの宮殿に入る」のとおりに行動し、イエスの死後、「メシアが黄金の門を通ると、ケデロン谷の墓から死者がよみがえる」という預言。

    キリスト教では、黙示的審判者だけではなく、万民の贖罪者として自らの命を与える苦難のメシアとして理解されている(『マタイ』(20―28))が、イエス自身は「ダビデの子」であることを否定(『マルコ』(12―35)している。

    また、福音書には、イエスが自らを「キリスト(メシア)」だと言ったとする確かな記述はない。ユダヤ教の大祭司やローマの属州ユダヤの総督ポンシオ・ピラトから、「おまえは神の子キリストか?」「ユダヤ人の王なのか?」と尋ねられたとき、イエスは言明を回避している。

    新約聖書の原文(コイネー・ギリシャ語)では、「私がそう(=メシア)だと言っているのは、誰あろう、ほかならないあなた方なのだ」(『ルカ』22―70)と応え、否定とも肯定ともとれる曖昧な返答を繰り返しただけ。ルカ以外の福音書の平行記事でも、すべて『ルカ』と同じ表現になっている。(『マタイ』26―64、『マルコ』15―2、『ヨハネ』18―38)

    日本聖書協会訳やドン・ボコス訳などの従来の日本語訳聖書では、すべて「そうだ」と、あたかもイエスがキリストであると断言したような翻訳だが、共同訳聖書実行委員会が1987年に日本聖書協会から出版した「新共同訳聖書」は、「私が主だとは、あなたが言っていることです」となっており、ギリシャ語原文に、より忠実に修正されている。

    • イスラム教「アッラーのほかに救世主は存在しない」
    1. イエスの刑死についての問題や疑問

    正統派キリスト教では、イエスの十字架上での死の秘義は、アダムとイヴの堕罪以来人類に入ってきた原罪の許しと贖いのためと解釈されてきたが、歴史的にみて多くの問題や疑問がある。

    判決はその証拠や有罪条項に照らし合わせてみても、サンヘドリンの規定を無視した違法判決であり、後世のキリスト教会が、ユダヤ人に対して「キリスト殺し」の汚名を浴びせ続け、キリスト教社会の民衆に、反ユダヤ主義の感情を流し続けたのではないかとも考えられる。

    ▼「当時のローマの刑罰の中ではもっとも残酷で、政治犯に対してのみ行われる極刑であった十字架刑によって処刑されたのはなぜか。」

    聖書では、イエスが自らを「神の子」「王」「キリスト(メシア)=救い主」と主張したこと、および神仏を冒瀆したことで、ユダヤのサンヘドリンから訴えられたことが原因とするが、福音書には、イエスが自らを「キリスト(メシア)」だと言ったとする確かな記述はない。

    ▼「誰がイエスを処刑したか」

    総督ピラトの命により、イエスは対ローマ反乱を企て民衆を扇動したかどで反逆罪に問われ、ローマ法規に基づいて、政治犯に対して適用された十字架刑で処刑された。

    ピラトがローマ皇帝から認められていた権限は、徴税権、軍事権、司法権としての政治犯への死刑執行権。これら以外の一切は、ユダヤ人の自治機関サンヘドリンに委託されていたが、イエスの頃には政治犯以外の一般犯罪者の死刑執行権もなくなり、自治機能も大幅に奪われつつあった。

    ▼「ピラトが十字架刑を決定するまでの経過に対する疑問」

    異常なまでのユダヤ人弾圧のため、ユダヤ総督の地位を後に解任されたほどのピラトが、被告人イエスの判決をまだ下さないうちに、二人の被告人(イエスとバラバ)の恩赦を裁判官自身から申し出るのも、当時の慣習から考えて極めて異例で、不自然。(『マタイ』27―17)、『ヨハネ』18―39)

    さらに、『マタイ』(27―19)」では、ピラトの妻がイエスの処刑に関するピラトの責任の軽減を暗示させたり、ピラト自身も「この人(イエス)の血について私に責任がない」(『マタイ』27―19)と自己弁護している。一方で、「その血の責任はわれわれの子孫の上にかかってもよい」と、ユダヤの民衆全体がすすんでイエスの処刑の責任を申し出たかのような記述もある。

    ▼「異例の超スピード裁判」

    慣例に照らし合わせると、異例のスピード裁判。まず、イエスはピラトの尋問の前日の深夜、サンヘドリンで裁判にかけられて瀆(とく)神罪を宣告された。しかし、大祭の過越祭の前日(あるいは当日)の深夜に集会を開くことは、「ミシュナー」を初めとする当時のユダヤの諸法規には全くなく、極めて異例。

    また、サンヘドリンが設置された約300年間(BC135~AD2C半ば)に処刑された者は、わずかに7人。「ミシュナー」の「サンヘドリン篇」では、サンヘドリンで処刑を決定する場合は、多数決によるか、二票差以上でなければ処刑してはならないとされている。しかも、その場で即決するのではなく、一晩おいて翌日にもう一度投票をやり直さなければならなかった。いよいよ処刑というときでも、サンヘドリンに対して再審請求がなされた場合は、白い布を持って処刑場に駆けつけるなど、最後まで極力死刑を回避する規定だった。

    さらに、裁判で極めて重要な証拠とみなされていた「証言」の問題がある。告発する者は、その告発内容の一切が伝聞でないことを宣誓しなければならず、万一偽証に基づいて誤審され処刑されたことが後で判明した場合には、その偽証者も同じ刑で処刑される厳しい規定もあった。イエスの裁判の証言については、四福音書すべてが言及しているが、いずれも伝聞でしかなく、サンヘドリンが禁じている以上、有罪の決定的決め手ではない。

    また、イエスの唯一の直接証言とされる言葉にも、瀆神罪に該当する「神聖四文字」(YHWH)の言葉は見当たらない。

    <相反する処刑理由>

    ・ 後世のキリスト教徒の多く――イエスの処刑はサンヘドリンの規定も無視した不当な判決だったから、パリサイ派を初めとするユダヤ人の裁きのやり方は「ミシュナー」の規定そのものを自ら踏みにじるなどフェアではなかった。それゆえ、イエスはユダヤ人によって冤罪にかけられたと解釈した。

    ・ ユダヤ教側――イスラエルの生活習慣やサンヘドリンでの被告人に対する細かな人身保護規定などを故意に覆い隠した不正な裁判であり、イスラエルが不正な裁判を行ったかのように福音書を読む者に印象づけようとする記者の意図が働いた結果の描写。事実はもっと違った方法で処刑されたとする。

    ▼イスカリオテのユダ

    (by「ユダの福音書を追え」ハーバード・クロスニー著、日経ナショナルジオグラフィック社)

    新約聖書の福音書が、すべてユダは堕落して弟子であり、教義に対する排教者、信義に背く裏切り者とするが、ユダの裏切り行為に関する詳細についてはかなり食い違いが見られる。

      ●ユダとユダヤ人

    新約聖書の著者たちは、それぞれの見方でユダをとらえ、その観点から彼に関する話を書いている。新約聖書の時代以降、こうした記述が真実と見なされて、ユダについての伝説が広まっていった。最も問題なのは、「ユダ」という名前を特に強調し、語源上つながりのある「ユダヤ人」と結びつけたこと。中世になると、ユダとは〝不実な〟ユダヤ人と同義語だった。貪欲で金に汚く、人を欺く泥棒で、油断のできない〝キリストを殺した〟民族というわけで、迫害が続けられた。

      ●裏切り行為の理由

    ・『マルコ』(イエス死35~40年後にあたる紀元65~70年ごろ)・・・・・・なぜユダがイエスをユダヤの祭司長たちに引き渡すことを決意し、磔刑へと追いやった理由が書かれていない。

    ・『マタイ』(紀元80~85年)・・・・・・ユダは、銀貨30枚のために裏切ったとする。だが、イエスが有罪の判決を受けると、ユダは後悔し、自責の念から首をつったとされる。湯だが自殺したと述べているのは、『マタイ』だけ。『マタイ』では、後悔したユダが、返した血の代価によって、聖職者たちが土地を買い取って外国からの旅人用の墓地とし、そこが、「血の畑」と呼ばれるようになったとする。

    ・『ルカ』(マタイとほぼ同時期)・・・・・・ユダは悪魔にあやつられてイエスを裏切ったとし、あの裏切りは、神の子に対する悪魔の仕業とみなされる。

    ・『ヨハネ』・・・・・・ユダ自身が悪魔になったとされる。

    ・『使徒言行録』・・・・・・『ルカ』と同じ著者が書いたとされる。ユダは自ら買った土地にまっさかさまに落ちて、はらわたがみな流れ出してしまった」という。墓地を買ったのはユダ自身であり、「血の畑」と名付けられたのは、ユダの血が飛び散ったせいだとする。

      ●ユダのイメージ

    イエスや他の弟子たちはガリラヤ地方出身だが、ユダだけはユダヤ地方出身で、使徒の中で会計係だった。

    ユダは、イエスを裏切った者、排教者というのが今日の一般的な見方。けちで欲が深く、紙への中世より金に興味のある男というイメージが出来上がっている。「西洋では犬にさえユダという名はつけない。ドイツでは、子供にユダとつけるのは違法」(by米国宗教学者ウィリアム・クラッセン博士)

    ダンテの「神曲」地獄編では、ユダヤ地獄の最下層へと送られ、巨大な猛禽類のような姿となった魔王ルシフェルに頭から貪り食われてしまう。

    イエスと使徒たちはユダヤ人であり、正統派のユダヤ教徒だったが、時が経つにつれて、ユダの卑劣な行為がユダヤ教そのものを悪とする象徴と見なされるようになっていく。言葉の上で似ているからだけでなく、中世に広まっていたユダヤ人のイメージ――強欲で信用できない者――という思い込みが、イエスを裏切った者と結びついたのではないか。ユダについての描写が、何世紀にもわたる激しい反ユダヤ主義につながっていった。

    1. 死と復活

    復活をどう理解するかという問題は、キリスト教の教義を理解する上で、もっとも重要な「かなめ」となっている。

    イエスの復活については、4福音書とも簡潔で、詳細は謎。

    十字架上での死後、使徒たちの前に数回ほど復活した姿を拝した後、イエスはエルサレムの東方のオリーブ山から昇天したとされる。その後、聖霊が降臨した使徒たちは「十字架上で死んで復活したイエスこそがキリスト(メシア)である」と宣教する。

    「新約聖書」の中で復活に関する最古の記述は、「コリント人への第一の手紙」(15―3~5)だが、福音書は「復活のありさま」について多くは語っていない。十字架の死後3日目にイエスは復活したと、すべての福音書は記述するが、後代のキリスト教会は、そのことを、人間の原罪からの救済と死後の復活、永遠の命へ入る証であり、「信仰の神秘」「人の目には不思議な業」であるとして、復活伝承を信仰の要においた。キリストの復活は、終末における全人類の復活を意味し、福音における復活とは、死を乗り越え、神のもとでの絶対的な生へ移ることを意味した。

    十字架上でのイエスの刑死によって、アダム以来の人類に入ってきた原罪に神の愛が打ち勝った、それがキリストの復活だったとされるのは、パウロの登場以降。

    1. イエスと異邦人

    『マルコ』5章1節、7章6節、『ルカ』7章2節。

    イエスは、神はユダヤ人、異邦人の別なく、すべての人間を平等に愛してくださると説き、行動で示した。これは、当時のユダヤ教では革命的な教えだった。

    • 百人隊長の僕(『ルカ』7章6-10)

    ローマの百人隊長が愛し、大切にしていた僕が病気になった。百人隊長は、ユダヤ人の長老たちを送って、イエスに病人を治してくれるよう頼んだ。家に着いたキリストに、百人隊長は言った。「主よ、ご足労には及びません。わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。ですから、わたしのほうからお伺いするのさえふさわしくないと思っていました。一言おっしゃってください。そして、わたしの僕を癒してください」

    イエスはこれを聞いて感心し、従っていた群衆のほうを振り向いて言った。

    「言っておくが、イスラエルの中でさえ、わたしはこれのほどの信仰を見たことがない」

    使いに行った人たちが家に帰ってみると、僕は元気になっていた。

    • ギリシャ女の信仰(『マルコ』7章27-30)
    • 悪霊につかれたゲラサ人(『マタイ』8章28節、『マルコ』5章1節、『ルカ』8章26節)

     

     

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