< 十字軍遠征と反ユダヤ主義の嵐 >

  1. 十字軍遠征の目的

7Cにイスラームが起こり、アラビアからエルサレム、バビロニア、小アジア地域が勢力化に入った。状勢に危機を感じた西方教会は、1096年以降約200年間に、合計8回(7回説あり)の十字軍遠征を行った。

精神的動機と、社会経済的背景

o異教徒相手の聖戦に従軍することは、免償を得るための善行とする風潮

聖地エルサレムへの巡礼は、神の平和と教会が与える免償を得るために信徒が行うべき絶好の善行をみなされていた。

1071年、聖地エルサレムはセルジューク朝トルコに占領される。東方貿易の独占を意図して、キリスト教徒の巡礼者を迫害し、その勢力は東ローマ帝国までも圧迫するまでにおよんだ。それによって、異教徒相手に聖戦に従軍することも、免償を得るための善行であるとの風潮を、西欧キリスト教徒の間に急速に生み出していく。

当時は教皇権の最盛期にあたり、騎士道華やかな時代。1095年のフレルモン総会議で、皇帝の要請を受けた教皇ウルバヌス2世は、東方正教会守護の要請を受け入れ、十字軍召集を宣言。数百万人のキリスト教徒による十字軍遠征が始まった。

o中近東の占領予定地での西方教会の復活強化を図るため

東方正教会の援助要請を受け入れることで、1954年以降分離していた東方正教会をローマ・カトリック教皇の統治下へ復帰させ、中近東の占領予定地での西方教会の教会管理権の復活強化を図ろうとした。

o北イタリア諸都市の経済的利害から、支援へ。

世界の富の1/3を集めていたといわれる東ローマ帝国の富を獲得するため。商圏の拡大と東方交易の利潤独占をめざす北イタリア諸都市の経済的利害が十字軍遠征支援と結びついた。

o教皇権の優位を確立するため。

十字軍遠征を教会主導で進め、また十字軍税などの徴税を通じて教会への課税権を確立することにより、皇帝権に対する教皇権の優位を確立しようとした。

o対立を転用するため。

西欧の封建諸侯や騎士の争いを十字軍遠征に転用することで、彼らの間の対立を押さえ込もうとした。

o教会の権威高揚と、異端の取締りのため。

庶民に流行していた聖地巡礼熱を食材としての十字軍遠征参加へと組み直し、物心両面で褒美を与えることで、教会の権威高揚と教会内の異端の取締りにも役立てようとした。

o蓄積されてきた西欧社会の内的エネルギー

農業生産の高まりが西欧社会の入り口の爆発的増加と経済発展を促し、農民の階層分化、市民および騎士階級の形成などを通じて、西欧社会の内的エネルギーが蓄積されてきたことが大規模な対外遠征を可能にした。

  1. 十字軍遠征がもたらしたもの

当時の東ローマ帝国の経済活動を主に担っていたのは、ユダヤ人だった。そのため、十字軍遠征に伴い、遠征地の西アジアをはじめ十字軍の出発点となったヨーロッパ各地でも、遠征途上の東ローマ帝国領内各地でも、ユダヤ人に対する残虐な略奪や暴行が数多く起る。

  • 第1回(1096~1099)――エルサレムを陥落させ、エルサレム王国(1099~1187)を建設した。この遠征開始直後に欧州全域でユダヤ人への暴行、虐殺、略奪、強制洗礼が行われ、多くのユダヤ教徒が虐殺された。
  • 第2回(1147~1149)――エルサレム王国がトルコにより再び脅かされたことに対して、ドイツ、フランスが遠征したが、ドイツ十字軍の略奪と、フランス十字軍の食糧補給の途絶、十字軍遠征の東ローマ帝国の富の略奪を見抜いた東ローマ帝国側の非協力などにより、エルサレム王国奪回を果たせず、失敗。
  • 第3回(1189~1192)――イスラームのアイユーブ王朝のサラディンによるエルサレム占領に対し、神聖ローマ皇帝、イギリス、フランスの十字軍が遠征したが、イギリスとフランスの間の隔週が原因で失敗。
  • 第4回(1202~1294)――4回以降の十字軍からは聖戦の意識がほとんど薄れ、世俗的欲望を求める略奪征服戦争の正確をいっそう露わにしていく。東部地中海沿岸の諸港を占領して貿易の拠点をつくり、オリエントの産物を西欧に持ち帰ることで莫大な利益の独占を狙うベネチア商人の野心が、十字軍を動かす。聖地奪回の目的を放棄し、東ローマ帝国の都コンスタンチノーポリスを占領、ラテン帝国(1204~1261)が建設される。
  • 第5回(1217~1221)――エジプト占領を図ったが、失敗。
  • 第6回(1228から1229)――神聖ローマ帝国のフリードリッヒ2世によって、エルサレムを何とか確保する。
  • 第7回(1248~1254)――フランスのルイ9世が率いる軍がエジプトへ向かって進軍したが敗北、ルイ9世は捕虜となる。
  • 第8回(1270)――普段素のルイ9世が弟シャルルの援助を得てエジプトやテュニジアにまで遠征したが、エルサレム入場以前にルイ9世が死去、弟シャルルの交渉により、十字軍は終結した。1291年、パレスチナのキリスト教徒最後の根拠地アッコンがエジプト人の手により陥落し、聖地奪回という十字軍遠征の目的は達成されることなく、すべて失敗に終わる。

十字軍遠征という当初の目的は失敗したが、市民層、富裕層を中心として信仰心を強めた。

十字軍遠征は教皇権の権威を衰退させ、騎士階級の没落を促したが、東西両文化の興隆と発展に大きく寄与、その後の中世西欧社会に地球的規模での視野を提供した。東方交易の成果は、商人階級と各国王の勢力台頭を促し、中世から近世への転換を進め、近世絶対主義国家の形成を促した。また、イスラームによる陸路の遮断か、大航海時代の機運を開き、東アジア地域への植民地獲得時代を生んだ。

  • アルビジョア十字軍(1182~1229)

エルサレムへの十字軍遠征によって、正統派キリスト教徒の市民層、富裕層を中心とした信仰心の高まりは、キリスト教内部の異端に対する敵意となり、残酷な武力弾圧として向けられた。

その一つが、南フランスのアルビ地方に勢力を張ったアルビジョア派と呼ばれる西欧中世最大の異端に対する、カトリック教会の凄惨な武力弾圧。

  1. 全ヨーロッパ規模でのユダヤ人排斥

十字軍遠征後、全ヨーロッパ規模でのユダヤ人排斥は一段と激化していく。イスラエルの民は西欧社会の中で権威アル地位から追放され、重要な職業から締め出され、社会的に最も低い位置へと落とされ、主要な都市から追放された。

  • 1179年、第3回ラテラノ総会議

1179年、第3回ラテラノ総会議では、「キリスト教徒がユダヤ教徒に雇われることも、キリスト教徒とユダヤ教徒が一緒に住むことも禁止」した。

カトリック教会では、金銭を軽蔑し、信徒が日常生活で利子をとることを反福音的であるとして禁止していた。総会議で、「利子をつけて人に金を貸すことは邪悪でつみ深い仕事」として卑しめ、利子をつけて金を貸そうとするキリスト教徒は「キリスト教の埋葬拒否」で脅された。

農地の所有が禁じられていた西欧各地のユダヤ教徒は、金融業や行商などで活路を見出さざるを得なかった。十字軍遠征に伴う仲介沿岸の各都市の勃興と都市市民の台頭の過程で、ユダヤ教徒は次第に商業活動からも駆逐され、農業はもとより医学、弁護士などの仕事からも排除されていく。

  • 1215年、第4回ラテラノ総会儀

1215年、第4回ラテラノ総会議は、ユダヤ人抑圧を決定した総会議。「ユダヤ人は男女を問わず公の場において非ユダヤ人と区別するため、すべてのキリスト教国において、キリスト教徒とユダヤ人の犯罪的な性関係の予防のため特別の衣服を着けなければならない」と規定し、差別バッジ(鑑札)の着用をユダヤ教徒に義務付けた。

そして、総会儀では、ユダヤ人への迫害の口実とされた「化体説」が確定される。そして、ユダヤ教徒が聖餐のパン(聖体)を冒瀆しているといった偏見や噂が流布するたびに、ユダヤ人に対する暴行や虐殺が頻発した。

  o「化体説」

9C中ごろから始まり、十字軍末期(13C)のユダヤ人への迫害の時期とほぼ平行して確定された聖餐儀式に関する教義。「形や色や味などの属性はパンとぶどう酒でしかなくても、司祭の聖別によってパンとぶどう酒の本質は流されたキリストの血、引き裂かれたキリストの体そのものに変化する」とする。

第4回ラテラノ総会議で確定されたが、その後も異論が続出。1547年のトリエント総会議で再確認されなければならなかったほど、カトリック教会内部でも疑問視された教義。

東方正教会でも教義化されたが、宗教改革後のプロテスタント諸派や英国教会では、排除された。

  • 1267年、ウィーン宗教会議

「ユダヤ人を辱める目的で、高く尖った角笛形の帽子の被り物をつけさせること」が強制された。

  • 1279年、ブダ宗教会議

ハンガリーと南ポーランドのユダヤ人が「赤い車輪形の布製バッジをつける」と布告。20Cにナチスがやった、ユダヤ人を鑑別し、公の侮蔑のさらす機能を担った「ユダヤ人バッジ」を最初に考案し強制したのは、カトリック教会や教皇。

  • 13~14世紀

13~14Cに入り、イギリス、フランス、ドイツなどのヨーロッパ各地の土地を中心に、ユダヤ教徒追放令が出されたため、ユダヤ人たちはオーストリア、ハンガリー、ポーランド、ロシアなどの東欧を中心とする各地に移住しなければならなくなる。

また、大火やペストなどの災害もユダヤ教徒の仕業であるとする嫌疑がかけられ、ユダヤ教徒への打ち壊しや暴行、虐殺が頻発する。

  1. ユダヤ人への迫害理由

oイエスがユダヤ教徒によって十字架に架けられ、殺されたから。

o「選民意識」と「原罪意識」

ユダヤ教の最大の特徴は、律法主義と選民意識が表裏一体になっているところ。「選民意識」とは、イスラエル民族のみが神に選ばれた民であるとする意識で、神が与えた律法を遵守することによって、自分たちだけが原罪から救われ、神の国に迎え入れられると考えていた。

※ 原罪・・・・・・ユダヤ教では、禁断の木の実を食べたアダムとイブの「人間が犯した最初の罪」を指す。キリスト教では「人間が生まれながらにして負っている神への罪」と解釈し、イエス・キリストを「人類の原罪を贖う存在」ととらえる。

キリスト教は、「原罪」を人間が生まれながらに負っている罪であると考える。人間が持っているエゴそのものが罪なのだから、「だれもが等しく罪人である」とイエスは説き、ユダヤ人であろうとなかろうと、自分の罪を悔い改めて神を信じれば救われると説いた。ユダヤ人にすれば、イエスの教えは、自分たちの優位性を否定する危険な思想。

ところが、ローマとの戦いに敗れて国を失い、各地に離散したユダヤ人だが、その選民意識を捨てず、律法に定められた細かな生活習慣を頑なに守ろうとしたため、離散先の社会に溶け込めなかった。一方、離散先のヨーロッパ諸国でもユダヤ人の土地所有を認めず、農業に就くことも禁じたため、多くのユダヤ人がキリスト教徒の嫌う金貸し業に従事した結果、富がユダヤ人に集中、また新たな憎悪を生んだ。

ローマ時代から始まっていたユダヤ人への迫害は、11世紀になるとさらにエスカレート。12世紀には、ユダヤ人を隔離する居住区(ゲットー)がドイツに作られ、1881年、ロシア皇帝暗殺事件に端を発した大虐殺(ポグロム)がロシアで、そして第一次世界端戦後のナチス政権下のドイツでは、600万人ものユダヤ人が犠牲となったホロコーストが起きた。

(by「世界の宗教101の謎」21世紀思想研究会編集、河出書房新社)

 

 

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