編纂の過程と構成順とは一致しない。
65~100年頃、四福音書がローマ帝国内の諸地域で成立した。2C初頭にシリア、パレスチナで成立したとされる「ディダケー」(十二使徒を通して諸国民に与えられた主の教訓)や、ほぼ同時代の「バルナバの手紙」の中に『マタイ』への言及が見られることことから、福音書の集成は2C前半以降と推定される。
現存する最古のキリスト教文書「パウロの書簡」は、パウロの死後まもなく初代キリスト教会の間で交換され、礼拝の際に旧約聖書に加えて朗読されていた。しかし、「コロサイ人への手紙」は2C前半頃でも、「旧約聖書」と同じ意味で正典(カノン)としては認められていなかった。「パウロの手紙」「四福音書」のほかにも、現在の福音書に含まれている多くの文書は、1C後半~2C前半にかけて著された。これらが正典としての扱いを受けるようになったのも、2C末~3C以降で、「ヘブライ人への手紙」のように、4Cの終わり頃に認められるなど、かなり後代のものもある。
〇福音書
マタイによる福音書(BC80―85年頃)
ルカによる福音書(BC80―85年頃)
ヨハネによる福音書(BC90-95年頃)
〇歴史書
使徒言行録(90-95年頃)
(福音書記者のひとり、ルカが執筆した、イエス死後の使徒の布教記録。前半はペテロを、後半はパウロをイエスの後継者として描き、使徒たちの活躍ぶりをリアルに伝えている。大部分のユダヤ人に拒否されたイエスの教えがペテロ、ヨハネ、ヤコブ、フィリポ、バルナバ、パウロらによって、ユダヤのエルサレムからサマリア、小アジア、ローマにまでいかに広がっていったかを述べる。回心後のパウロの地中海世界における布教活動を生き生きと描き出した部分は、「パウロの書簡」とともにキリスト教成立の最初期の歴史を伝える貴重な記録。復活のイエスが現れた40日間のうち、最後の時期から始まる。)
〇パウロの書簡
ローマ人への手紙(56年頃) ※
コリント人への第一の手紙(55年頃) ※
コリント人への第二の手紙(55年頃) ※
ガラテヤ人への手紙(54年頃) ※
エフェソ人への手紙(100年頃)
フィリピ人への手紙(55年頃) ※
コロサイ人への手紙(80-90年頃)
テサロニケ人への第一の手紙(55年頃) ※
テサロニケ人への第二の手紙(90-95年頃)※
テモテへの第一の手紙(100年代前半) ┓
テモテへの第二の手紙(100年代前半) ┃牧会書簡
テトスへの手紙(100年代前半) ┛
フィレモンへの手紙(50年代前半)
(パウロの書簡は、パウロが各地の信者宛に書いた手紙の集成。※はパウロの真筆と認められるもの。困難にぶつかっているキリスト教会の人々にあてられたもので、パウロとその弟子、ヤコブ、ペテロ、ヨハネ、ユダによって書かれた。手紙が信徒の手によって筆写され、布教のために用いられたと推測される。)
〇公同書簡
ヘブライ人への手紙(80-90年頃)
ヤコブの手紙(100年頃)
ペトロの第一の手紙(90年代前半)
ペテロの第二の手紙(100年代中頃)
ヨハネの第一の手紙(95-100年頃)
ヨハネの第二の手紙(95-100年頃)
ヨハネの第三の手紙(95-100年頃)
ユダの手紙(100年代前半)
(公同書簡の7通の手紙は、全キリスト教徒にあてて書かれているが、実際には特定の教会に送られた手紙だった公算が高い。年代はパウロ以降。パウロの影響が次第に大きくなりつつあった時期に、それに対する批判として執筆されたと推測される。)
〇予言書
ヨハネの黙示録(95-100年代前半)
◇四福音書――『マタイ』『マルコ』『ルカ』『ヨハネ』
イエスの生涯を綴った福音書(エウァンゲリオン)と呼ばれる4つの文書からなる。実際には4人ではなく、多くの人の合作であり、執筆年代や書かれた場所も異なり、それぞれ独立した記録と見られている。
ペテロの通訳マルコの手によるとされる『マルコ』は、イエスを直接知るペテロから聞き取った情報をもとに執筆されたとみなされている。イエスの死から40年経って書き始められた『マルコ』が発端となり、マタイ、ルカなどがイエスの神の国運動について書き始め、内容さえもがまちまちの福音書が書かれた。『マタイ』と『ルカ』は、最初に書かれた『マルコ』の物語様式に倣い、『マルコ』の一部を資料として使用しながら、独自の資料に基づいて書かれていたと推定されている。
※ 共観(きょうかん)福音書・・・・・・共通の資料を採用し、内容も酷似しているため、『マタイ』『マルコ』『ルカ』これら3つを一括して「共観福音書」と呼ぶ。
※ Q資料・・・・・・Q資料とは、『マルコ』以外にも両者が共通資料として利用したと推定される原資料で、50年代頃までに編纂されたと推定されているが、実在は確認されていない。
※ 現在、『マタイ』と『ヨハネ』の作者はイエスの弟子で、実際に目撃したことを書いており、『マルコ』と『ルカ』はペテロとパウロの弟子で、使徒本人から聞いた話だけを書いたというエイレナイオスの主張を支持する新約聖書学者はほとんどいない。四福音書も実際に誰が書いたのかはわかっていない。
成立は、紀元50年代、ローマ帝国の諸地方で執筆された「パウロの書簡」がもっとも早く、ついで70年代-90年代初頭にかけて執筆編集された四つの福音書と「使徒行伝」、やや遅れて2C前半に、「牧会書簡」と「公同書簡」、最後に「ヨハネ黙示録」が書かれた。
①『マタイによる福音書』(BC80-90年頃)
「救いの書」といわれる。シリア・パレスチナで、ユダヤ教からキリスト教への改宗者のために書かれたが、『マタイ』は、福音は世界に向けられたものだと主張する。マタイは十二使徒のひとり、元徴税人のレビ。
4つの中でも最もユダヤ人的な性格を備えている。自らの伝統に誇りを持つ彼らは、イエスを新しいモーセとして、律法を廃止するためではなく完成するために来たとする。彼らはユダヤ教から排斥され、80年頃からは会堂からも締め出されたため、マタイはパリサイ派に対して厳しく、異邦人を象徴するガリラヤ人に高い地位を与えた。
②『マルコによる福音書』(BC70頃)
四福音書の中で一番古い。異邦人の改宗者に向けて、イエスの生き様を伝えるため、使徒ペテロの後述を弟子のマルコが筆記したものとされる。マルコは、使徒言行録に登場するヨハネ・マルコと同一人物と思われる。
この書は、迫害されていたローマのキリスト教徒のもとで書かれたと考えられる。マルコはユダヤの習慣を懇切丁寧に説明し、神はユダヤ人と同じくらい彼らを愛していると強調。マルコは第一回伝道旅行に同行し、ローマでは獄中のパウロに仕えた。
③『ルカ福音書』(BC80―90年頃)
「憐れみの書」と呼ばれる。イエスの死と復活が核心になっており、パレスチナ以外に住む異邦人や、ギリシャ文化のもとで育った人々の中で生まれた福音書。パウロが伝道旅行に伴った、医者であり歴史家の異邦人ルカが、アンティオキアで、ギリシア人に向けて書いたと言われる。ルカは、生前のイエスを知らない。
『ルカ』はギリシャ人にはなじみのない概念〝イエスの復活〟を強調し、イエスを「メシア」より理解しやすい「救い主」という言葉で呼んだ。また唯一の神は皇帝ではなくイエスであるという、異邦人とは相反する考えを強調。蔑まれていたキリスト教徒に希望を与えるため、福音がもたらす解放を強調した。
④『ヨハネによる福音書』(BC95-100年頃)
共観福音書とは異なった、独自の内容・形式の文書。作者は十二使徒のひとり、ゼベダイの子ヨハネと言われてきたが、確定できない。小アジアで生まれたと言われるこの書には、ユダヤ教の影響など、さまざまな影響が見られる。
ギリシャ哲学では、不可知の神は言葉によって自らを伝えると考えられていたため、ヨハネはイエスを〝言〟とする。グノーシス派の影響で、ヨハネはイエスを、自らを顧みない愛という神の奥義を明らかにするものとする。独自の超越性を打ち出し、復活者として完成したイエス像を描いている。
◇『ヨハネの黙示録』
『ヨハネの黙示録』は、旧約聖書に対する見方や救い主イエスの表象の仕方において他の福音書とは大きく異なり、独自性がある。『ヨハネの黙示録』は、より神学的、文学的な内容で、他書とは毛色が違う。著作時期も遅く、ローマ皇帝ドミティアヌス帝によるキリスト教徒弾圧時の95~100年頃にかけて、小アジアで書かれたのではないかと言われている。
執筆年代は筆者ヨハネは、福音書のヨハネとも、手紙のヨハネとも全く違う別人が想定される。厳しい迫害のもと、エーゲ海の孤島パトモスに流刑されたヨハネが、苦しい立場にいる信者たちを励ますために書かれたといわれる。
神の国の神秘や幻想を空想力豊かにダイナミックに示した文学的な作品で、新約聖書の末尾にある黙示録は、迫害下の信者へ向けた、神の裁きとイエスの勝利の物語。教会あての手紙の様式をとり、この世に対する間近の審判について語りながら、イエス・キリストの復活と昇天から再臨と、世界支配の確立にいたる出来事が記されている。
メシアであるとされたキリストが再びこの地上に現れるとき、不信心な者や悪者を除いて地獄に放り込み(最後の審判)、そののち一千年にわたって平和な王国(千年王国、至福千年紀=ミレニアム)を築くが、ミレニアムの前には、偽キリスト(反キリスト)や偽預言者が出現し、神と悪魔の二大勢力による大戦争が起こるとする。
キリスト再臨直前の世界最終戦争に至る一連の出来事が「世の終わり」であり、まず、さまざまな前兆があるとする点は、『マルコ』(13章)『マタイ』(24章)『ルカ』(21章)と「黙示録」はほぼ共通する。
「黙示録」ではイエス・キリストの再臨を信じる選ばれた者だけに救いがあるとするため、〝救いは既に信仰により受けている〟といった面が弱められるなどの理由から、キリスト教文書としての妥当性をめぐって激しい論争があり、長らく正典からはずされていた。
教会が承認したのは成立から300年後の4C後半。救いよりも滅びの書であり、解釈が難しいことから過激な異端に走る危険があるため、正典とされたあとも明確に解釈を施すことが警戒された。
宗教改革者として名高いルターは、自分に敵対する人物こそ「666の獣」といった安易なきめつけを行い、誤読した。一方の宗教改革者カルヴァンは、新約聖書の各巻について注釈を施したが、黙示禄のそれだけは書かなかった。
※ 「三つの霊は、ヘブル語でハルマゲドンという所に王たちを招集した」(16―12~17)とあるように、ハルマゲドンは終末における最後の戦場だが、全世界の王たちがこの地で決戦をすることから最終戦争を意味するようになった。
〇終末について
エルサレムの神殿の崩壊を予告したイエスに、弟子たちが、終末はいつ、どのように起こるのかと質問すると、イエスは、やがて全世界に福音が述べられる時がやってくる。また、終わりの時や、イエスの再臨は全く予期しないときにやってくると語った。そして、
「それらの日には、このような苦難の後、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から落ち、天体は揺り動かされる。そのとき、人の子が大いなる力を栄光を帯びて雲に乗ってくるのを、人々は見る。そのとき、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める」(『マルコ』13・24-27)
と告げるが、誰もこの話を本気にせず、イエスを殺してしまう。
● 地上に訪れる7つの災い
- 戦の準備が整えられる。
- 平和が奪われ、殺し合いが始まる。
- 食料が乏しくなり、貪欲な世となる。
- 人類への滅亡が開始される。
- 死者が徐々に増加していく。
- 大地震が発生し、この世が暗闇となる。
- 7人の天使と7個のラッパが与えられる。
● 7人の天使が吹くラッパによって起きること
- 血の混じった雹(ひょう)と火が地上に投入
- 海の生き物とこの世の船の3分の1が消滅
- 河と水源が毒され、川の生物と多数の人が志望。
- 太陽と月、星の3分の1がなくなり、暗闇となる
- いなごの大群が出現し、人間を襲うようになる
- 人間の3分の1を殺す4人の天使が放たれる
- 〝最後の審判〟の時であることが告げられる
〇新旧聖書の終末論
- 旧約聖書の終末論・・・・・・この世はやがて神によって裁かれ破滅するが、神を信じる者だけが救われる。
- 新約聖書の終末論・・・・・・イエスを信じることによって、今救いが得られて、永遠の命に預かることができる。
「神の国は、見える形では来ない。〝ここにある〟〝あそこにある〟と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ」(『ルカ』17・10―21)と、イエスによって、神の国はすでに実現しているとする。
〇「666」
「知恵のある者は獣の数字を数えよ。それは人間の数字であって、その数字は666である」(「黙示録」13章)
著者ヨハネがユダヤ教、中でも黙示文学の思想の中で育ったため、解釈が難しい。このことは、新約聖書を認めないユダヤ教徒たちが、「黙示録」だけは受け入れていることも一つの証左となる。
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