5.如来(仏陀)

『阿弥陀如来は法身弥勒であり、釈迦如来は報身弥勒であり、観世音菩薩の応身弥勒のご三体を、三尊の弥陀と称え奉るのである。また日の弥勒が観音であり、月の弥勒が阿弥陀であり、地の弥勒が釈迦であるとも言えるのである。』 <明主・岡田茂吉様>

仏教で最高の位である如来は、修行によって悟りを開いた仏で、人々を正しい道へと導いてくれる。

本来の意味(仏陀の姿を現した像)での仏像は、如来と呼ばれるものだけ。「如来」は「仏」と同義。その本質は永遠に不偏に存在し、さまざまな姿で現れると考えられている。

仏教の開祖・釈迦も如来の一人で、釈迦如来という。その他、人々を極楽浄土へ導いてくれる阿弥陀如来、病気を治してくれる薬師如来などがいる。

如来の像は、出家解脱をした姿を表す。着衣は双肩を覆った姿もあるが、正式には片側の肩を覆った姿。髪型はほとんどが螺髪(巻き毛)で、眉間には白毫(光を放つ白い毛。仏像では水晶などをはめ込む)。手には何も持たず、印相を結ぶ。

※ 仏像の起源・・・・・・釈迦の姿が仏像として誕生したのは、1世紀~3世紀頃のクシャナ朝の時代のガンダーラ仏。それまでは釈迦の遺骨を納めたストゥーパが信仰の対象。仏像ができてから、菩薩・明王・天などの仏像が登場し、世界に広がった。

釈迦は、クシナガラで火葬にされた。遺骨は8つに分けられ、それを祀るウトゥーパ(塔)が各地に建てられた。19世紀末に、インド・ネパール国境のピプラワー遺跡から遺骨が出土、本物と立証されている。

< 弥勒 >

弥勒は梵名をマイトレーヤといい、慈氏・慈尊と漢訳する。

弥勒は、悟りの境地に至り覚者(仏陀)となった釈迦如来の次に、未来仏となることを予言された菩薩。弥勒三部教によれば、弥勒は現在、菩薩として欲界の第四天である兜率天(都率天)の内院で()(ゆい)し修行しているが、釈迦入滅後56億7千万年経ったとき、この世に下り生まれ(下生)、竜華樹の下で悟りを開いて如来(仏陀)となり、衆生を救済し教化(きょうけ)するという。釈迦の入滅後、その代わりに衆生を救済する役を補うので、一生補処の菩薩といい、未来に必ず成仏して現われるので、未来仏、当来物とも称される。

如来(仏陀)になるためには、自ら悟りを求める(自利)行とともに、慈悲の心で衆生を救済する(利他)行の6つの菩薩行(六波羅蜜)を経なければならないとされる。

 ・弥勒信仰の広がり

弥勒信仰は、飛鳥時代の仏教伝来とともに行われた。「日本書紀」によれば、584年、百済から弥勒の石像が献上されると、蘇我馬子は自分の邸宅の東に仏殿を作って安置し、敬った。603年には、秦河勝が聖徳太子から仏像を預かり、蜂岡寺(現在の広隆寺)を創建して仏像を安置し、礼拝した。

奈良時代には弥勒信仰も広がり、行基はこの信仰を背景にして、兜率天の内院四十九院にあやかり、畿内に四十九の寺院を建立したと伝えられる。

※ 弥勒三部教・・・・・・「弥勒大成仏教」「弥勒下生教」「弥勒上生教」

平安時代半ば、末法思想を背景に、弥勒下生のときまで経典を地中に埋め、弥勒に出あうことを願う埋教(まいきょう)も盛んに行われた。

高野山を弥勒浄土と捉え、そこで入定する(死ぬ)ことは兜率天に上生往生することと同じであると考えた弘法大師空海は、835年3月、高野山奥之院で禅定に入ったまま入定した。それゆえ、真言宗では今でも弘法大師は死んではおらず、入定したまま弥勒の下生を待っていると信仰する。これは近世に入ると、出羽の湯殿山や富士山などで僧が断食をしたまま入定し、生きたままミイラとなって弥勒の下生を待つという、過激な信仰を生み出した。

 ・弥勒信仰の種類

①〝弥勒上生信仰〟・・・・・・現在弥勒菩薩が修行している兜率天に往生し、再び弥勒菩薩とともにこの世に下って、弥勒の強化を受けたいと願うもの。

②〝弥勒下生信仰〟・・・・・・弥勒菩薩がこの世に下ってくるのを待ち、そのときまで自分の肉体を温存してミイラ化しておこうとするもの。

< 毘盧(るび)遮那(びるしゃな)(しゃな)如来 >

「華厳経」の本尊。太陽のように光明があまねく照らす、宇宙的存在としての仏。盧遮(舎)那仏、遮(舎)那仏ともいう。仏教世界全体を包括する。

< 大日如来 >

真言密教の教主。宇宙の本体の中で、あらゆる仏・菩薩もこの如来から生まれたとする。

< 薬師如来 >

東方瑠璃光世界の教主とされる仏。主に病気平癒をかなえてくれるので、医王如来ともいう。

「薬師如来本願経(薬師経)」によれば、薬師如来がまだ菩薩として修行中、12の大願を立てて万民和楽と無病息災を祈願したとされる。

その中で体の障害を通常に戻し、あらゆる病感を除き、飢餓に苦しむ者に食物を与え、貧乏人には衣服を恵むという誓願は、はななだ現実的だが、多くの人にとって切実な願いでもあったため、奈良時代の古くから現世利益を願う庶民の信仰を集めた。病気を治癒する効験から、温泉と結びついて信仰される。

  • 信仰の広がり

奈良時代、伝教大師最澄が比叡山延暦寺を創建するにあたり、薬師如来を根本中堂の本尊として安置する。天台宗では薬師如来を本尊とするところが多い。奈良時代以降、盛んに信仰され、薬師寺のほか興福寺、元興寺、唐招提寺などの寺院でも祀られた。

奈良・薬師寺本堂の薬師如来のように、12大願をそれぞれ表すものとして、十二神将を伴っていることもある。

病人の患部を舐めさせて慈悲心を試すという話は、光明皇后の湯屋の話や、玄奘三蔵にまつわる話と同じ。

< 阿弥陀如来 >

西方極楽浄土の教主。「阿弥陀如来」とも、「阿弥陀」「弥陀」とも呼ばれる。

「無量寿経」によると、阿弥陀仏がまだ法蔵比丘と称して修行していたときに、48の請願をたて、その願いが成就したことで仏になったという。

阿弥陀如来は、釈迦入滅後、仏の教えが廃れて教法のみが残るだけとされる末法の世の中において、あらゆる衆生を救済して極楽浄土に導くとされる。

 ○「南無阿弥陀仏」

「南無」は梵語「マナス」の音写、本来は「敬礼(きょうらい)」の意。心から帰依する(信仰する)ことを表すが、転じて、仏・菩薩に頼みごとをするときに使われるようになった。つまり、「南無阿弥陀仏」は、どうかお願い、阿弥陀仏様」と仏にお願いする文句。

阿弥陀仏の名を唱えて祈願することを「称名(しょうみょう)」「称名念仏」という。その名を呼ぶだけで、濁悪(じょくあく)穢土(えど)のこの世から極楽へと救ってくれるとするが、単に口にすればいいのではなく、一途に繰り返し唱えなければならない。①百万遍唱える、②常に称名に専念することが大切、③量よりも質が重要で、十遍でも例え一遍でも心をこめて阿弥陀仏の名を唱えさえすれば救われるという教えもある。

 ○信仰の広がり

平安中期以降、浄土教信仰の進展に伴って大いに信仰された。平安時代後期になると、次第に末法思想が広がり、無病息災、病気平癒などといった身近な現世利益の願い(薬師如来へ)だけではなく、西方浄土への往生を願う阿弥陀如来への信仰へと移っていく。

鎌倉時代に入ると、法然の浄土宗、親鸞の浄土真宗、一遍の時宗で最も尊崇される仏になる。

 

 

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