9.語句

  • 三界

欲界、色界、無色界

  • 六道

地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天

  • 十方

東西南北、東南・東北・西南・西北、上下。あらゆる方向。

  • 濁悪穢土(じょくあくえど)

「濁悪」は、五濁と十悪。

「穢土」は、「浄土」に対して、けがれた国土。悪にまみれ、迷いから抜けられない世界。

  • 如意宝珠

思い通りに宝を出す珠。願望も成就し、災禍を防ぐ功徳がある。

  • 六波羅蜜

布施、持戒、忍辱、精進、禅定、般若(知恵)の実践修行。

  • 須弥壇

仏像を安置する壇。須弥山をかたどったもの。四角、八角、円形などがある。須弥座。

  • 大師

功績のある僧に贈られる称号。称号を贈られ、最澄は伝教大師、空海は弘法大師と呼ばれるようになった.

  • 比丘と沙弥(しゃみ)

比丘は、出家得度して具足戒を受けた男子。女子(尼僧)は、比丘尼。

沙弥は、修行見習い中の仏教者のことで、まだ正式な僧にはなっていないもの。正式な僧となるためには、修行を積むほかに、資格をもつ高僧たちから戒律を授かり、以後、僧として道を生み外さずに生きていく旨を誓う儀式が必要。この授戒を受けてのち、沙弥は国家から公認された正式な僧である比丘になれた。

聖武天皇の時代まで、日本には戒を授ける資格をもった僧がいなかったため、正式な授戒の儀式は行われず、個々が誓いを立てることをもって比丘となる自誓(じせい)授戒(じゅかい)が行われていた。しかし、聖武天皇はこれが仏法の乱れにもつながっていると憂慮し、唐国から授戒の師を招くよう命じる。

ようやく招聘に成功したのが、高僧、鑑真。鑑真の来朝で、授戒を経て正式に出家したり、在家の信者として仏と結縁することができるようになる。そのための施設として、東大寺の大仏殿前に戒壇院が設けられ、戒壇の四隅には四天王が安置された。

  • 優婆塞(うばそく)

梵語ウパーサカの音写。仏教に帰依した在家の男性信者。女性は優婆夷(うばい)という。

  • 注好選

寺院における小童の教育用として編集された説話集。12世紀前半の成立。3巻。編者未詳。上巻は中国の故事逸話、孔子譚、中巻は仏や弟子たちの行状・逸話、下巻は動物説話から成る。

  • 補陀落(ふだらく)渡海(とかい)

観音信仰の実践行動の一つで、天竺(古代インド)南海上にあるという観音浄土の補陀落山(ふだらくせん)に、直接海を渡って行き着こうという狂信的な信仰。

平安時代中期以降、熱情的な信仰者が、四国南端土佐国(高知県)の室戸岬や足摺岬、紀伊国(和歌山県)那智の浦、常陸(ひたち)国(茨城県)那珂湊(なかみなと)などから、南方を目指して船出した。特に那智の浦は有名。一種の自殺行為に似た実践行動だが、補陀落渡海を試みる僧や行者は多くの信者たちの尊敬を集め、熱狂的な喝采を浴びた。

  • 西国霊場巡り

西国観音霊場三十三所巡礼は、平安時代末期頃。詳細な起源は不明。起源を説く最古のものは、15世紀前半の「枝葉(しょうし)(しょう)」に記す(かく)(ちゅう)の蘇生譚で、その後のものはこれを脚色して再構成したものと考えられる。

※ 覚忠(1118~77)・・・・・・平安末期の天台宗寺門派の僧。園城寺の長史、天台座主。

※ 蘇生譚・・・・・・頓死した覚忠僧正が、閻魔大王に「観音霊場を知っているか」と問われ、「知らない」と応えると、大王は三十三所の霊場を教示する。覚忠は蘇生して霊場寺院を巡り始め、その後、これが天下に広まった。

三井寺(園城寺)の高僧の伝記を記す「寺門(じもん)高僧記」では、行尊(ぎょうそん)僧正が120日間かけて巡った「観音霊所三十三所巡礼記」として、1番は長谷寺(奈良県桜井市)、33番は千手堂(京都府宇治市の三室戸寺)とする。同書にある大僧正覚忠が75日間をかけて巡った33の寺(1161年)は、1番が那智山(和歌山県那智勝浦の青岸渡寺)、33番は御室戸山(三室戸寺)。

※ 「寺門高僧記」・・・・・・鎌倉末期に成立した伝記。天台宗寺門派の歴代高僧の略歴と業績を修正したもの。10巻のうち、6巻が現存。

※ 行尊僧正(1055~1135)・・・・・・平安末期の天台宗寺門派の僧。園城寺長史、天台座主。通称、平等院僧正。

順序については定まっておらす、いくつかのルートがあった。京都栂尾(とがのお)の高山寺に残る「観音三十三所日記」(1211年)では、大和国の長谷寺が最初。醍醐寺所蔵の「枝葉抄」では、山城国上醍醐寺が最初。15世紀末の「天陰語録」には「三十三所霊場は南紀那智に始まり、東濃谷汲(たにぐみ)に終わる」と記される。

室町時代末頃には、現在と同じ順序がほぼ定まった。江戸時代、関東地方からは、まず伊勢神宮に参拝後、熊野三社に詣でて那智山(青岸渡寺)に参る。そこを一番とし、紀伊、河内、大和、山城、丹波、摂津、播磨、丹後、近江を巡って美濃の谷汲山華厳寺(岐阜県斐郡谷汲村)に至るようになる。信仰心だけではなく、観光旅行をかねて多くの人が巡礼を行うようになったため、寺院の縁起、霊験譚を記した観音霊場記がいくつも版行された。

※ 熊野三所権現・・・・・・熊野三山の主祭神。本宮の家津美(けつみ)御子(みこ)大神(おおかみ)、新宮の速玉(はやたま)大神、那智の熊野()須美(すみ)大神。

観音は三十三の姿に身を変えて人々を救うという、それにあやかって三十三箇所の霊場が設置された。西国三十三箇所のほか、関東地方に坂東三十三箇所、秩父にも三十四箇所が設けられる。

  • 四国霊場巡り

弘法大師ゆかりの四国霊場八十八箇所遍路の始まりは不明だが、伊予国の右衛門(えもん)三郎が、四国八十八箇所を開いた祖と伝えられる。基本的なコースは、徳島県鳴門市大麻町の霊山寺を第1番の札所として、時計回りに回り、88番所の香川県さぬき市多和の大窪寺で吉願となる。

1番(阿波国・徳島県)~23番までが、発心の道場、24番(土佐国・高知県)~39番までが修行の道場、40番(伊予国・愛媛県)~65番までが菩提の道場、66番(讃岐国・香川県)~88番までを涅槃の道場と呼んで、修行の階梯が上がっていく。

四国では霊場巡礼者を「お遍路さん」と呼び、慈悲心から布施の食物などを用意して接待することで、接待する側も功徳を積むことになるとする。

「同行二人」とは、弘法大師とともに修行しているという意味で、姿は見えないけれども遍路修行を大師と一緒に行うという信仰心の表れ。

  • 竜神八部

竜を中心にした仏法守護の生類。

天、竜、夜叉、乾闥(けんだつ)()阿修羅(あしゅら)迦楼羅(かるら)緊那羅(きんなら)摩睺羅迦(まごらか)

  • 山伏

日本人は古来から、山には霊魂が住んでいると考え、霊山や霊峰として神聖視してきた。そんな山岳信仰に、密教や道教などの要素がミックスされたものが「修験道(しゅげんどう)」で、その行者は「修験者」と呼ばれた。

当時の仏教(南都六宗)は、「学問仏教」と呼ばれ、国家の統制の下、主に経典の学習や研究の没頭する生活をしていた。7世紀末の飛鳥時代、そんな生活に飽き足りず、山林などに入って修行を積み、霊力を身につけようとする者が現れる。開祖とされる役行者(えんのおづぬ)もそのひとりで、彼らは山林に起き伏して修行することから、「山伏」とも呼ばれた。

山伏の修行は、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の「六界」と声聞・縁覚・菩薩・仏の「四界」の十種の修業をするもので、宇宙の仏である大日如来、その化身である不動明王と一体化し、即身成仏することを目指した。

山伏の多くは妻帯者で、そのため正式な僧とは認められず、時の権力者からはいかがわしい者と見なされたが、加持祈祷や病気治療などを盛んに行ったことから、次第に民衆から支持されるようになる。

室町時代には、天台宗を後ろ盾にした「本山派」と、真言宗から指示された「当山派」の二大集団が形成された。

江戸時代には、飢餓に苦しむ民衆の救済を願って、自ら進んで土中の穴に篭り、断食して絶命した本明海上人が現れる。ミイラとなった遺体を民衆が「即身仏」として崇拝し、一躍ヒーローとされたこともあって、山伏の存在が浮世絵の題材にもなった。

  • 菩提寺

一家が代々帰依し、葬式や追善供養を営むお寺のこと。「檀那寺」とも呼ばれる。

昔、子族は一族の冥福を祈るために、墳墓を築き、氏寺を建てた。中世に入ると、武家もこれにならい、江戸時代に一般庶民にも波及、氏寺は菩提寺と呼ばれるようになった。

  • 檀家制度

幕府はキリスト教禁止を徹底するため、庶民の一人ひとりに関して、キリシタンではないという証書(請書)を全仏教寺院の住職に書かせて提出させた。この「寺請精度」によって、庶民は、所属宗派、特定の寺院(檀那寺)、住所、生年月日を記した「宗旨(宗門)人別帳」を毎年、提出することが義務付けられた。

幕府はこれをチェックするための役人「宗門改め役」を諸藩に設置。こうして、全国にある仏教寺院は、完全に幕府の統制下におかれることになる。

庶民は、特定の檀那寺に所属する「檀家」となり、その寺院から仏教徒であると証明してもらうかわりに、仏事や法事を檀那寺の祖に依頼するようになり、寺院の修復などの費用も負担した。

寺院の側は、信者を獲得するための布教をする必要がなくなり、葬式などの法事に専念するようになるが、これが仏教そのものの堕落を招く一因ともなった。日本の仏教が「葬式仏教」などと呼ばれるようになったのも、この檀家制度が契機。

檀家制度が始まった頃は、夫婦別々の寺に所属することもあったが、次第に一家が一つの寺に固定されることになり、寺や宗旨を変えることができなくなった。また、幕府は新しい宗派の設立を認めなかったため、宗派の教義争いもなくなり、

幕末までの期間、江戸時代の安定が保たれることになる。

 o供養の習慣が一般化

家に仏壇を設け、位牌を安置し、遺骨を寺のお墓に納めて先祖を供養する習慣が民衆の間で一般化したのは、この檀家制度以降のこと。

※ 位牌は儒教の習慣・・・・・・家に仏壇を於いて先祖を供養するのも、そこに位牌を置くのも、もともと仏教の習慣ではなく、儒教の習慣が仏教に取り入れられたもの。位牌の「位」は、死者の官位を表すものだった。

明治時代になって、現在のようにお墓が、寺院墓地、公営墓地、民営墓地の3種類になった。

現代は、この菩提寺と家との関係が希薄になりつつある。檀家制度によって縛られていた個人と宗門の関係が、制度の崩壊と共に、危機に瀕している。

  • 火葬と土葬

輪廻転生は、人は生まれ変わるという思想だが、ユダヤ教やキリスト教、イスラム教では、「生まれ変わり」ではなく、「復活」が説かれる。「復活」を信じる宗教では、遺体を焼いてしまうと、復活するボディがなくなるので、そのまま遺体を土に埋める。古代エジプトのファラオのように、ミイラにすることもあった。イスラム教では、土葬。地獄の責め苦が火責めでもあることから、特に火葬を嫌い、決して荼毘に付すことはない。キリスト教でも本来は土葬だが、最近では火葬も取り入れているらしい。

「生まれ変わる」とする宗教では、遺体そのものには意味がないため、焼いてしまう。仏教では、火葬にする。

<参考文献>                

「となりの神様仏様」稲垣泰一、小学館

神仏のかたちシリーズ②「四天王」土屋俊介総括編集、学習研究社

神仏のかたちシリーズ①「観音菩薩」土屋俊介総括編集、学習研究社

「知識ゼロからの〝神社と祭り〟入門」瓜生中、幻冬舎

全国宿坊ガイド「お寺に泊まろう」宿坊研究者編著、ブックマン社

「世界の宗教101の謎」21世紀思想研究会編集、河出書房新社

「仏教要語の基礎知識」水野弘元著、春秋社

 

 

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