梅原猛「神々の流竄」より
「正直にいって、この論文の前半部、ヤマタノオロチ=三輪山説、イナバのシロウサギ=宗像神説について、現在の私は懐疑的である。前者について五○パーセント、後者について八○パーセント、否定的な意見を私は持っている。せいぜい、それは一つの比喩として語られるべきであったと私は思う。」
――この本の特色
・ 7世紀後半から8世紀初頭にかけての律令体制確立期に、神道史上の一大変革があった。(物部神道から中臣神道へ)(仏教/蘇我氏 → 儒教/天智帝 → 神道/天武帝、中臣=藤原氏)
・ 古事記と日本書紀の制作主体を藤原不比等と見る。
梅原猛「黄泉の王」より
「天皇の神格化による律令官僚制の神格化、その神話の目的はそうであるが、その思想内容は「ハライ」である。「ハライ」は、私は刑罰であると思う。「大祓祝詞」には、しきりに、罪の「ハライ」がかかれ、古事記神話において、スサノオノミコトは、罪を犯して、出雲の国へ流刑される。そしてまた、オオクニヌシノミコトは、おそらく反逆罪のかどで、海の中に「おかくれになること」つまり、自害を命ぜられるのである。私は「大祓祝詞」をもっとも重要な祝詞とし、スサノオの流罪と、オオクニヌシノミコトの自殺をもっとも重要な神話とする中臣神道こそ、律令制のイデオロギー化に他ならないと思うが、このようなイデオロギーは、すでに用意され、文武初年には、その基本は出来ていたと思われるのである。なぜなら、文武二年八月には、藤原という姓は附人の子孫に限り、その他の意美麻呂(おみまろ)などの藤原氏は、神事をつかさどる仕事をするので、もとのように中臣にもどれという詔が出ているからである。これは正に政教分離であるが、その分離によって、不比等を中心として藤原氏が政治を支配し、意美麻呂を中心として中臣氏が宗教を支配しようとする、たくみな二面作戦なのである。しかもこの政教分離には、政治の優位という原則が伴っている。(中略)この宗教改革は、大成功であったと思う。なぜなら、この宗教改革によって、神道は全く中臣神道一本に化したのである。そして、古事記神話は、その意志を見破られることなく、あたかもそれが、絶対にして永遠なる国家の大道を意味するかのように、多くのひとびとを、今日もなお欺き続けているのではないか。(中略)
読者は、天孫降臨の神話を御存知であろう。(中略)このところの記紀の、特に日本書紀の記事をよく読むと、この天孫降臨を命令し実行しているのは、皇祖母アマテラスより、むしろ外祖父タカミムスビなのである。これはなぜか。私はそれは、宮子に聖武を生ませ、その聖武を即位させることによって、政権をわが手に治めようとする不比等の願望の実現であると思う。」
「天と黄泉、この世界は、正に記紀神話において根源的に対立する二つの世界であった。つまり、豊葦腹の中つ国はその中間にあるが、この世界をして死の世界、黄泉の世界から守り、天の支配、アマテラスの支配を実現さすことに、いわば、古事記神道、中臣神道の意味があったのである。この天と黄泉という垂直な考え方は、古事記においては、天のシンボルとしての伊勢、黄泉のシンボルとしての出雲という水平的な考え方になって展開される。そしてその思想の中に、私は流罪思想のイデオロギー化と同時に、仏教の西方浄土の思想の影響があると思う。もっとも重い政治的犯人の流罪地である隠岐の近くにある出雲は、神々を葬る西方浄土としても適当なところであったのであろう。
古事記における出雲神話は、何のためにあるのか。イズモの神の祖先、スサノオは、アマテラスの皇位を軽んじたために、いわば謀反の罪によって出雲へ流罪にされ、その子孫オオクニヌシは、アマテラスの御孫ニニギノミコトの降臨のために、杵築宮、すなわち出雲大社へおかくれになる。(中略)オオクニヌシは自殺を賜ったのである。
そのオオクニヌシを鎮魂するために、雲の天井画を持った巨大な神社が建てられる。そしてその巨大な神社は、同時に神の死霊の永遠の牢閉のための神社であった。
記紀神話の出雲の話は、結局、反逆の神々の、刑罰と鎮魂のための神話なのである。どうしてこのような神話が必要であったのか。私は、高松塚において鎮魂は失敗したゆえではなかったかと思う。弓削が死んでから八年目、七○七年には、文武帝が二十五歳でなくなった。やはり怨霊の祭り方は十分ではなかったのであろう。もっと大胆な宗教政策が必要である。一切のタタリ神をオオクニヌシの名の下に一括し、出雲地方へ流して、そのタタリ神を手厚くまつる必要がある。かくして出雲大社は建てられ、それが皇孫尊すなわち、首皇子の降臨の前提となったのであろうが、(後略)」
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