此(か)く依(よ)さし奉(まつ)りし国中(くぬち)に荒振(あらぶ)る神等(かみたち)をば神問(かむと)はしに問(と)はし賜(たま)ひ神掃(かむはら)ひに掃(はら)ひ賜(たま)ひて語問(ことと)ひし磐根(いわね)・樹根立(きねたち)・草(くさ)の片葉(かたは)をも語止(ことや)めて天(あめ)の磐座(いわくら)放(はな)ち天(あめ)の八重雲(やえぐも)を伊頭(いず)の千別(ちわ)きに千別(ちわ)きて天降(あまくだ)し依(よ)さし奉(まつ)りき
『此く依さし奉りし』
こう命令されまして、こういうお言葉を聞いて、
『国中に荒振る神等をば』
〝国中〟は、日本の国という意味ではございません。天に対しての地という意味で、地上の国々という意味です。〝荒振る神等〟、大変乱暴をし出鱈目をする神々様。神等(かみたち)ですね、一人や二人の神様ではございません。大勢の神様方を、
『神問はしに問はし賜ひ』
いちいち呼んで、その言い分を聞いてられるわけです。どうしてそんな乱暴をするのか、どうしてそう言うことを聞かないのかと、頭ごなしにおっしゃるのではなくて、いちいち聞いておやりになって、
『神掃ひに掃ひ賜ひて』
言って聞かせてわかるものはよし、と。だけども、いくら言っても聞かない者がありますね。そういう者は〝神掃ひに掃ひ賜ひて〟、統治(とうぢ)しておしまいになる、神(かむ)あらいにあらっておしまいになる、追っ払っておしまいになるという意味です。ですから、
『語問ひし』
いろいろガヤガヤ騒いでいた、
『磐根・樹根立・草の片葉をも』
大概の人はよく説明申しませんと、イワネ・キネ・タチクサノとお奏げになっている方が多いと思います。ここでもし切るとすると、イワネ・キネタチ・クサノカキハヲモということになるわけです。〝磐根〟とは、岩のことでございます。〝樹根立〟とは立ち木、樹木のことです。〝草〟は、草でございますね。岩も木も草も、物を言うものではございません。そういうものでさえガヤガヤ騒ぎ出すような、乱れていた世の中ということです。それから昔、人民のことを青人草(あおひとくさ)と申しますね。天皇陛下から人民をご覧になって、われわれ人民は青人草でございました。だから、つまらぬ人間もガヤガヤガヤガヤ、何となく騒ぎますね。そういうものが磐根・樹根立・草の片葉と形容されていると取ってもいいわけです。そんな非情なものさえ、喧しく申していたものも、
『語止めて』
ピタッとおさまってしまったということです。つまり、物情騒然として治まりのつかなかった世の中が、神様のお言葉によって、ちゃんとこちらの言い分を聞いて鎮まってしまったということです。〝語止めて〟というのは、物言い騒ぐことが静まってということです。
『天の磐座放ち』
〝天の〟というのは、天界の、天上の、高天原のと申しますか。天上の〝磐座〟は玉座、尊い方のお座りになるところを玉座と申します。その玉座をお離れになられ、お出ましになられまして、
『天の八重雲を』
空にはいろいろな雲が棚引いております。幾重にも幾重にも雲が棚引いておりますのを、
『伊頭の千別きに千別きて』
〝伊頭〟というのは、御稜威(みいつ)のことでございます。〝千別き〟というのは、神様のご威光でその八重雲をこうして分けながら、道を分けながらという意味です。道分(みちわ)きということです。
(参照 「道分く」と書いて、チワクと読む。)
今の熱海、伊東というところは、伊豆地方と申しますね。伊豆と書きますけれども、ここでは、これ(頭)をズと読みます。イズというのはニイズ(?)で、お湯がたくさん湧いているという意味で、イズ地方(?)と名付けたのではないかと、これは学者の説でございます。温泉は出湯(いでゆ)と申します。出(い)ず湯、水によってわいた湯ということがだんだん訛(なま)ってきて、温泉と書いて出湯と呼ばれているという一つの説がございます。だから、簡単に分(わ)くんでなくて、神様の御稜威によって、ご威光でもって道をつけて、
『天降し依さし奉りき』
地上にお下りになりました。
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