此(か)く聞(き)こし食(め)してば罪(つみ)と言(い)ふ罪(つみ)は在(あ)らじと科戸(しなと)の風(かぜ)の雨(あめ)の八重雲(やえぐも)を吹(ふ)き放(はな)つ事(こと)の如(ごと)く朝(あした)の御霧(みぎり)夕(ゆう)べの御霧(みぎり)を朝風夕風(あさかぜゆうかぜ)の吹(ふ)き払(はろ)ふ事(こと)の如(ごと)く大津辺(おおつべ)に居(お)る大船(おおふね)を舳解(へと)き放(はな)ち艫解(ともと)き放(はな)ちて大海原(おおうなばら)に押(お)し放(はな)つ事(こと)の如(ごと)く彼方(おちかた)の繁木(しげき)が本(もと)を焼鎌(やきがま)の敏鎌(とがま)以(も)ちて打(う)ち掃(はろ)ふ事(こと)の如(ごと)く遺(のこ)る罪(つみ)は在(あ)らじと祓(はら)へ給(たま)ひ清(きよ)め給(たも)ふ事(こと)を高山(たかやま)の末(すえ)短山(ひきやま)の末(すえ)より佐久那太理(さくなだり)に落(お)ち多岐(たぎ)つ速川(はやかわ)の瀬(せ)に坐(ま)す瀬織津比売(せおりつひめ)と言(い)ふ神(かみ)大海原(おおうなばら)に持(も)ち出(い)でなむ此(か)く持(も)ち出(い)で往(い)なば荒潮(あらしお)の潮(しお)の八百道(やおじ)の八潮道(やしおじ)の潮(しお)の八百会(やおあい)に坐(ま)す速開都比売(はやあきつひめ)と言(い)ふ神(かみ)持(も)ち加加呑(かかの)みてむ此(か)く加加呑(かかの)みてば気吹戸(いぶきど)に坐(ま)す気吹戸主(いぶきどぬし)と言(い)ふ神(かみ)根国底国(ねのくにそこのくに)に気吹(いぶ)き放(はな)ちてむ此(か)く気吹(いぶ)き放(はな)ちてば根国底国(ねのくにそこにくに)に坐(ま)す速佐須良比売(はやさすらひめ)と言(い)ふ神(かみ)持(も)ち佐須良(さすら)ひ失(うしな)ひてむ
『此く聞こし食してば』
そうして天界の神様、地上の神様が、われわれが誠のお供え物をしているのをご覧になったり、またわれわれがお詫びしている祝詞や神言を通してのお詫びの言葉をお聞きになりましたならば、
『罪と言ふ罪は在らじと』
罪をお許しくださるわけですね。
『科戸の風の雨の八重雲を吹き放つ事の如く』
〝科戸〟は、息長(いきなが)いということです。息(いき)の長い風、つまり強い風ですね。息の長いところと書いてシナト、語源はそこから来ているらしいです。息という字はシと発音するらしいです。息が絶えた時にシイヌ、息がいぬ時に死ぬという字になるのです。
(参照:級長戸と書いてシナトとも読むようである。)
強い風が〝八重雲を吹き放つ事の如く〟、天(あめ)に、天(てん)に重なっている雲を吹き払ってしまうように、
『朝の御霧夕べの御霧を朝風夕風の吹き払ふ事の如く』
朝には朝靄(あさもや)がたち、夕べには霞が棚引きますけれども、それを、朝には朝の風が、夕べには夕風が吹いて、すっきりその曇りを払ってしまうように神様がしてくださるということです。
『大津辺に居る大船を舳解き放ち艫解き放ちて大海原に押し放つ事の如く』
〝大津〟というのは、港のことでございます。京都の近くに大津というところがございますけれども、琵琶湖の港のことを大津と申しますし、他の地区にも津という名称のある所はたくさんございます。三重県にも津という港がございまして、三重県だけでなくて、九州にも津という場所があるようでございます。あちこち、港のことを津と申します。
港に泊まっている船が〝舳解き放ち艫解き放ちて〟。港に船がいるときは、しっかりと港に結わえてあって、船が出鱈目に動かないようにしてあります。その舳先(へさき)や、その結わえてあるものを解き放って〝大海原に押し放つ事の如く〟。船は留まっていては仕事ができないわけでございます。航海して人間を運んだり荷物を運んだりすることで、船の役目が達成されるわけでございます。罪が人間にありましたならば、あるところに縛られてしまって、どんなにもがいてもそこから脱却できないわけでございます。罪穢が鎖になって人間を縛ってしまっております。その罪の鎖を取り払って、どこへでも人間が自由自在に活動できるように。これは船を準(なぞら)えて、人間をどのようにでも活動させてくださる、そういう広場をお与えくださるように、という意味も中に含んでおります。
『彼方の繁木が本を焼鎌の敏鎌以ちて打ち掃ふ事の如く』
(※ テープがしばらくの間途切れているため、「彼方の繁木」についてどういう説明をなさったのか不明。辞書では、「彼方(おちかた)」は、遠く隔たったところ、かなたという意味と、「時の隔たったところ」という二つの意味がある)
よく切れる鎌というのは、よく焼いた鎌、よく鍛えた鎌。鈍(なまく)らな鎌では切れません。手入れが悪かったら、鎌が鈍(にぶ)ってしまっているというか、錆びてしまっていて充分に鎌としての働きができません。ですから、よく磨いた、よく切れる鎌で繁ってきた罪穢、人間的に申しましたら罪穢で曇り曇っていたその曇りをよく切れる鎌で切って掃ってしまうと。
いろいろな罪をお許しくださる表現が、ここに――風が雲を吹き払うように、また朝風夕風で霧を吹き払うように、それから船が航海できるように、そして木が繁ってしまって人の出入りができないところを人が自由に活動できるように、その雑草、雑木(ざつぼく)を刈り取ってしまう――と。この四つの表現は、われわれの曇り、罪穢をお許しくださるということに準(なずら)わっているわけでございます。そういうふうにきれいさっぱりと、
『遺る罪は在らじと祓へ給ひ清め給ふ事を』
罪が残らないように〝祓へ給ひ清め給ふ事を〟、お祓いくださりお清めくださることを。
これはどういう神々様がお働きになるかと申しますと、祓戸四柱の神様のご活動がその後に出てまいります。瀬織津比売の神、速開都比売の神、気吹戸主の神、速佐須良比売の神――この四柱の神々様を、祓戸四柱の神と申します。
教会は布教所でございますから、お祭の行事も非常に簡略に教主様からお許しをいただいております。ですけれど、教団の本当のお祭の儀式はと申しますと、大祭にお参りなさるとき、地上天国祭にお参りなさるとき本部で行われるわけでございます。まずご神殿の、向かって左側に祭壇が設えられております。そこに祓戸四柱の神様をご招魂いたします。祭主が、祭員がいたしますけれども、あそこで祓戸四柱の神様のご降臨をお願いいたしまして、そして幣帛(へいはく)と申しますか、お祓いでまず清めてくださるわけです。皆さん、本部にいらっしゃいましたね。いらしてくださったら、大祭のときは必ずそういたします。お祓いで清めてくださって、そして神様のお上がりを待ちまして、それから大神様に献饌その他をいたします。その祓戸四柱の神様のご活動を、ここで要請するわけでございます。
『高山の末短山の末より佐久太理に落ち』
高い山の頂きや低い山の頂きの上から。〝佐久太理〟は、まっ逆さまに、
『多岐つ速川の』
〝多岐つ〟、上から落ちるときは滝と申しますね。滝が飛沫を上げて迸(ほとばし)り落ちますけれども、あのようにたぎり落ちる、大変、えらい勢いで流れ下ってくる流れの速い川の、
『瀬に坐す瀬織津比売と言ふ神』
そこに瀬織津比売という神様がおいでになります。いろいろとここに神様のお名前が出ております。神様の名前のことをいちいち申し上げるのは大変畏れ多いのですけれども。
川の流れが波紋になって出てくる――ちょうど織物を織った時に素晴らしい柄がそこに出てまいります。そういう美しい神様の表現で、瀬織津比売というお名前を被せたのではないかというわけですが。その速くたぎり落ちる、流れの速い川の瀬のところに、瀬織津比売という神様がおいでになる。そして、
『大海原に持ち出でなむ此く持ち出で往なば』
流れ落ちてきた罪を、大洋にまでお運びになってくださる。海にまで流れて出た罪穢というものは、そこまで流れてきましたならば、
『荒潮の潮の八百道の八潮道の潮の八百会に坐す速開都比売という神』
〝荒潮〟というのは、非常に大きな荒波の海流の。〝八百道〟というのは、いろいろな潮の流れ寄ってくるところ、潮の出会いの場所でございます。そこに、速開都比売という神様がおいでになる。そのいろいろな潮流の流れ集まるところに、速開都比売の神様という方がおいでになる。
『持ち加加呑みてむ』
そして海まで流れてきました罪穢を〝持ち加加呑みてむ〟、お呑み込みになっておしまいになる。〝加加呑みてむ〟というのは、ガブガブ、ガブガブ呑んでくださることです。
〝速開都比売〟の〝速(はや)〟というのは、迅速にという意味です。速やかに、極めて速く。〝開都〟は開くという字が書いてありますけど、明らかにとか、清くするとか、明るくとかいう意味で、明という字も当て嵌められるわけです。明治の明、明らかに。そういうお働きを持ってらっしゃる神様です。速(すみ)やかに、きれいに、美しくする――そういう働きをする神様が、罪を呑み込んでしまってくださる。それも、ガブガブ、ガブガブ呑んでくださる。そして、
『此く加加呑みてば』
こうして呑み込んでくださいましたならば、
『気吹戸に坐す気吹戸主と言ふ神』
〝気吹戸〟というのは――明主様のご教書に、第三編の霊界のことをお説きくださったご論文の中に、霊界は百八十段階あると。下の地獄界のその一番下が、根国底国とお書きになっていますね。根底の国、無明暗黒の世界という表現をなさっております。その根底の国と地表の国との中間が、この気吹戸でございます。根底の国と地球上との中間に、気吹戸という門戸(もんこ)、ご門があります。そこに気吹戸主という神様がおいでになる。
『根国底国に気吹き放ちてむ』
その気吹戸主という神様が、一番最底の根国底国、さっき申しました無明暗黒の一番地球の中心のところまで〝気吹き放ちてむ〟、フーッと息で吹き払ってくださる。そして、根底の国までその罪穢を持っていってくださるわけです。
『此く気吹き放ちてば根国底国に坐す速佐須良比売と言ふ神』
そしたら、根国底国においでになるところの速佐須良比売という神、最後にこの四柱の神様の祓戸の働きをなさる神様がおいでになって、
『持ち佐須良ひ失ひてむ』
〝持ち佐須良ひ〟というのは、漂泊とか流浪という意味でございます。それから潰して粉々にする。摩(さす)って、こうして流離(さすら)って、罪を粉々に砕いてしまう。地軸においでになる神様がその罪をすっかり無くしてしまってくださる。
Copyright © 2020 solaract.jp. All Rights Reserved.