――貴船神社(丑)と鞍馬寺(寅)関係――
二つの神社の由来については諸説あるが、面白い対比がある。
★貴船神社は、貴船大神が「丑の年 丑の月 丑の日」に貴船の山に天降ったことが由来。鞍馬寺は、鑑禎上人(がんていしょうにん)が宝亀元年(770年)の「寅の月 寅の日 寅の刻」に、霊夢を見て開基したことが由来。
・貴船:丑(北北東)―鞍馬:寅(東北東)ライン。「丑」+「寅」=「丑寅」(艮)。「艮の金神」は大金龍、「国常立神」。鬼の姿は、牛(丑)の角と、虎(寅)柄パンツ?
★「鞍馬山」は太陽神、「貴船神社」は龍神(水神)を祀る。
鞍馬山は、650万年前、金星から地球に降り立った磐座パワーをあらゆる魔障を跳ね返し善魔に転向させる大王「サナート・クマラ」を「魔王尊」と称して祀る。鞍馬寺を開基した鑑禎上人が見たのは、太陽の中から燦然と現れた毘沙門天=太陽神(鞍馬寺の基調色は黒=太陽)。鞍馬寺ではその後、仏が付加されていき、現代では三尊が一つになった尊天として祀られる。貴船神社の祭神は、「高龗神/高淤加美神(たかおかみ)」。「龗」の字は「雨+品+龍」で構成され、龗は雨や雪など水をつかさどると信じられていた神。
――貴船神社――
貴船神社WEBサイト<https://kifunejinja.jp/>
全国に約450社ある貴船神社の総本社。式内社、二十二社の一社。旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。気の生ずる根源の地という意味から「気生根(きふね)」とされていたのが、貴船となる。地域名の貴船「きぶね」とは違い、水神であることから濁らず、「きふね」と読む。
【起源】
社記では、「貴船明神」が、国家安穏 万民守護のため、貴船山中腹の鏡岩(かがみいわ)に、丑の年の丑の月の丑の日に降り立ったのが起源と言われる。この伝説により、貴船神社の縁日は丑の日とされ、鏡岩は現在、立ち入ってはいけない禁足地になっている。
別の伝説では、約1600年前、初代神武天皇の皇母「玉依姫命」が、浪速(現在の兵庫県尼崎市)にあらわれて、「私が今から乗る船がとまるところに神社を建てましょう。そうすれば、国は潤い、民は幸せになります」と言い、黄色い船に乗って大阪湾から淀川、鴨川、貴船川と遡り、現在の貴船神社の奥宮がある場所に清らかな水が湧き出るのをみつけて、406年、そこに神社を建てて水の神様を祀ったとされている。
創建年代は不詳。白鳳6年(666)、最も古い社殿造替の記録があるが、1046年7月.水害により社殿が流失。天喜3年(1055)、元々の御鎮座地より、現在の本宮の地に社殿を再建して遷座し、現在に至る。元々の御鎮座地は奥宮としてお祀りされている。
【祭神】
「奥宮」の祭神は、「高龗神/高淤加美神(たかおかみ)」(伊奘諾尊の子神)。一説には、高龗神は「闇龗神/闇淤加美神(くらおかみ)」とも伝わるが、社記には「呼び名は違っても同じ神なり」と記される。高龗神(たかおかみのかみ)の「高」は山で、高龗は「山上の龍神」、闇龗神(くらおかみのかみ)の「闇」は谷で、闇龗は「谷底暗闇の龍神」とも言われる。降雨・止雨、水の供給を司る龍神(水神)。同じく、水神・罔象女神・国常立神・玉依姫命を併祀する。
「高龗神」については――地上にいろいろな神様をお生みになった伊奘諾尊と伊弉冉命の夫婦神が、最後に火の神をお生みになったとき、伊弉冉命はその火に身を焼かれて亡くなる。歎き悲しんだ伊奘諾尊は、腰に下げていた「十握剣」で、火の神を断ち切った。古事記では、剣の柄に溜まって指の間から漏れ滴る血がそそいでなった神が「闇龗」と記す。日本書記では、火の神「軻遇突智」は三つに絶たれ、一つが雷の神、一つが大山祇神、一つが高龗となったと記す。ともあれ、火の神から水の神「高龗神」が誕生した。
「結社」の祭神は、「磐長姫命」(木花開耶姫命の姉姫)。
【御神徳】
貴船神社は、水の神様として朝廷からも信頼が厚く、ときの天皇は日照りが続けば雨乞いを、疫病が流行すれば厄除けのため、国事多難の際にはその克服のため、勅使を遣わして祈願した。源義経が100日間籠ったという言い伝えもある。江戸幕府三代将軍家光が疱瘡で伏せった時、治癒を祈願し、家光が無事回復した後には、乳母である春日局がお礼参りに来た。神船玉神としての信仰もあつく、歴朝はじめ現在も農漁業、醸造業者らの信仰が厚い。水を司る神様が祀られていることから、飲食業や染織業、浴場業など水を扱う職業の人々や、消防士や海上自衛隊の隊員も自らの職務をまっとうするために参拝。また、絵馬の始まりの場所でもある。
夫の心変わりに悩んだ平安時代の女流歌人・和泉式部が、「夫の心を取り戻したい」と参詣し、そののち夫と復縁したという逸話は有名で、島根県の出雲大社、石川県の気多大社とならび、日本三大縁結び神社の一つに数えられる。
ただ、藁人形を呪いたい相手に見立てて、釘を打ち込むという日本古来の呪術「丑の刻参り」の発祥地でもあり、呪いの名所という夜の顔もある。
――鞍馬山(くらまやま)――
左京区にある標高584mの山。東を鞍馬川、西を貴船川に挟まれた尾根が南北に連なる。もともとは毘沙門天を祀っていたが、現在は毘沙門天・千手観世音・護法魔王尊の三尊が一つになった尊天をまつる。霊山として知られ、密教による山岳修験の場として栄えた。
新宗教・鞍馬弘教の総本山となっており、立教後の説明では、護法魔王尊が650万年前に金星からやってきたとされるなど、近代神智学の教義の影響がみられる。
【鞍馬の名の由来】
- 鞍馬山は山が濃く木々が生い茂り周囲と比べても暗いことなどから、暗山(くらまやま)と呼ばれていたのが、転じて、鞍馬という地名になった。
- 日本列島では、日本海側の方が、海洋プレートが沈み込む際に海底が陸地になった付加体が古い。北九州~上越にかけては2億5千万年前のペルム紀に付加体(秋吉台など)となり、九州中部、四国中部、近畿中部~関東まではジュラ紀付加体が形成され(伊吹山など)、残る列島部分が新生代古第三紀(6600万年前~2300万年前)までに付加された(四万十帯など)。中新世(2300万年前~530万年前)、地殻変動で大陸と付加体の間に亀裂が入って日本海が形成されるとともに、中央部が太平洋側に押し出されて弧状列島となった。現在の海底は最も古いもので2億年前。それより古い海底はマントルに沈み込んでいるため、それ以前の古い地層は「山」にしか残されていない。鞍馬山も貴船山も、2億6千万年前に付加体となった列島最古の陸地の一部。弧状列島となって、人類が誕生したとされる650万年前の頃、金星からサナート・クマラが鞍馬山に降り立ち、そのクマラが転訛して鞍馬になった。
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鞍馬山は、659万年前、金星から降臨したという「サナトクマラ」が降り立った場所。地球人を守ること、人々を光に導く事を約束したサナトクマラを、鞍馬山では「尊天」と呼ぶ。「尊天」とは、人間を初め、この世に存在するすべてを生み出している宇宙生命・ 宇宙エネルギー。その働きは愛と光と力となってあらわれ、「月輪の精霊―愛=千寿観世音菩薩」「太陽の精霊―光=毘沙門天王」「大地の霊王―力=護法魔王尊」の姿で三つの「氣(エネルギー)」をあらわし、この三身を一体として「尊天」と称す。それ故、「月のように美しく、太陽のように暖かく、 大地のように力強く」と祈り、「すべては尊天にてまします」とお唱えする。650万年前に金星から地球に降り立った存在「護法魔王尊」は、16歳のまま年をとることがないといわれ、大本神話に出てくる”艮の金神”こと国祖・国常立尊のことだと考える人もいる。
鞍馬山一帯は、大自然の宝庫。往古から社寺林として守り継がれ、「京に最も近く、最も深い自然」と称されてきた。人の手の加わらない鞍馬山の自然は、動植物が網のように相互に関係しあって複雑な森林生態系を形成。鞍馬山では、その響きあいを「羅網」として表し、「共に生かされている命」を共感し、様々な命が支え合い響きあい、生かし合っていることに気づき、私たちの「いのち」が本来、光り輝く宝珠であることに目覚めて 欲しいと願う。
本殿内陣を荘厳する羅網
鞍馬寺WEBサイト<https://www.kuramadera.or.jp/index.html>
――鞍馬寺――
鞍馬寺は、奈良時代末期の宝亀元年(770)、鑑禎が、正月4日寅の夜の夢告と白馬の導きで鞍馬山に登山し、鬼女に襲われたところを毘沙門天に助けられたことから、毘沙門天を祀る草庵を建てたことから開創された。
(註 「鑑禎上人」…奈良・唐招提寺の鑑真和上(688~763年)の高弟。律宗に属す)
その後、桓武天皇が長岡京から平安京に遷都した2年後の延暦15年(796)、造東寺長官・藤原伊勢人が、観世音を奉安する一宇の建立を念願。夢告と白馬の援けを得て登った鞍馬山には、鑑禎上人の草庵があって毘沙門天が安置されており、そこで再び「毘沙門天も観世音も根本は一体のものである」という夢告があり、伽藍をととのえ、毘沙門天を奉安。後に、千手観音を造像して併せ祀り、鞍馬寺の原型が完成した。その後、平安遷都後北方鎮護(王城鎮護)の役割を担う。
源義経(幼名牛若丸)は、7歳頃に鞍馬寺に入山し、16歳頃、鞍馬寺を出て奥州平泉に下ったと言われる。牛若丸は、由岐神社の上手にあった東光坊で、昼間は仏道修行、夜は僧正ガ谷で天狗に兵法を授けられた。
平安中期、藤原道長・頼通、藤原師通などにより、都の遠郊外にある深山・霊山、鞍馬寺に参詣が相次ぎ、平安王朝に仕える多くの女流文学者(清少納言「枕草子」、菅原孝標の女「更級日記」、紫式部「源氏物語」)も多く来山した。
中興の祖、峯延上人は真言宗の十禅師とも言われるが、後に、天台宗の影響が強まり、天台法華・天台密教・天台浄土が取り入れられた。鞍馬山には、神代以前からの古神道や陰陽道、修験道等の山岳宗教の要素も含まれており、宗派に捉われない懐の深さは鞍馬寺の宗教伝統となっている。昭和22年、初代管長信樂香雲は、このような多様な信仰の歴史を統一して鞍馬弘教と名付け、昭和24年、鞍馬寺は鞍馬弘教の総本山となった。
平安末期の末法の時代、鞍馬寺の僧兵は、僧数は比叡山に劣るが、より勇猛だと讃えられ、南北内乱期には、僧兵の出兵を促す文書や後醍醐天皇の綸旨などが多数残る。戦国時代になると、武田信玄、豊臣秀吉、徳川家康などの武将がしきりに戦勝祈願を行い、豊臣秀頼が由岐神社拝殿を再建。江戸時代は、鞍馬山の参道沿いに十院九坊と呼ばれた塔頭が並び、本尊毘沙門天が武神から福神へと信仰の形を変え、多くの参拝客が全国から参集した。春は桜、秋は紅葉の名所としても知られ、京都所司代や町奉行所が、鞍馬山の桜をみだりに折ってはならないという禁制「花の制札」を多数、発給した。
出口王仁三郎は明治33年秋、「鞍馬山出修(くらまやま・しゅっしゅう)」という御神業を行った。
【鞍馬寺への道】
鞍馬寺と鞍馬山は密接な関係にあり、「鞍馬山」と言った場合、鞍馬寺を指していることも多い。最寄りの叡山電車「鞍馬駅」から歩いて数分、阿吽の虎の狛犬が両側に鎮座する、鞍馬山の仁王門に着く。三神の一つである毘沙門天が、寅の年、寅の日に現れたとされていることから、鞍馬山には、虎の狛犬や虎のお守りがある。(次の丙寅は2046年)

しばらく坂道が続き、九十九折(つづらおり)を少し登ると、右手に脇道があり、その奥の祠が「鬼一法眼社」。牛若伝説によると、武術に秀でた陰陽師・鬼一法眼は、牛若丸に兵法の指南書「六韜(りくとう)三略」を授けた。今でも、武道の神として崇敬される鬼一法眼に、武道上達を祈願する人は多い。本社の右横に、650万年前に金星から魔王が降り立った地と言われる小さな池「魔王の滝」がある。魔王尊像が祀られている崖の上の丹塗りの小祠から、樋を伝って清冽な清水が落下しており、鬼一法眼が水垢離をした滝とも。
その後、ひたすら坂道。
さらに上ると、白い建物「由岐神社」が見えてくる。(途中に乗り場があるケーブルカーに乗ると、この由岐神社には行けない。)「由岐神社」の祭神は、大己貴命(おおむなちのみこと)と小彦名命(すくなひこなのみこと)。社伝では、天慶3年(940)、朱雀天皇により、度重なる戦乱・災害の鎮護のため、王城の北方鎮護として宮中から遷宮された。そのため、鞍馬寺への参道の途中に建つ。現在の由紀神社は、慶長15年(1610)、豊臣秀頼が再建。背後にご神木3本。樹齢600年以上の杉のご神木「大杉さん」(別名:願掛け杉)がある。
その後、かなりの山道(約30分)を登って限界となった頃、鞍馬山山門に着く。階段に次ぐ階段を上って、やっと、鞍馬山の本殿「金堂」が見える。

祭神は、千手観音菩薩、毘沙門天、護法魔王尊の秘仏。毘沙門天の日(火)、千手観音の水、護法魔王尊の地で、火水土となる。(→ ミロク)
60年に一度、丙寅(ひのえとら)の年に公開される秘仏「大地の霊王―力=護法魔王尊」は、仙人のような成り立ちで、背中に羽、天まで届きそうな高い鼻。なので、天狗の最高位にある大天狗「僧正坊」が、護法魔王尊ではないかと言われる説が有力。金堂の前には、金剛床と呼ばれる宇宙からのエネルギーを受取れる場所、三角形の石が並べられた「六芒星」がある。
ここからは、鞍馬寺から奥の院へ向かう牛若丸が、天狗から修業を受けた際に駆け上がったとされる山道。進むと、木の根がむき出しになった「木の根道」。さらに進むと、義経が奥の院へ修行に行くときに飲んだとされる水が岩場から落ちている。(義経は死後、鞍馬山の「義経堂」で祀られている)
さらに山間に入ると、義経が鞍馬天狗に武術を教わったとされる場所に、「不動堂」がある。
最後に、650万年に降臨した護法魔王尊が安置される「奥の院・魔王堂」へ。

――サナートクマラ――
ヒンズー教の神話「プラーナ文献」で、サナートクマラは、ブラフマーから生まれた4人のクマーラ(息子)の一人。(4人の名は、サナカ、サナタナ、サナンダナ、サナト)「永遠の若者」の意味を持つ「サナート(真実)・クマラ(若人)」という名前でも呼ばれ、愛と美を司るビーナスはサナトクマラのパートナー。
地球のネガティブなエネルギーを浄化するため、約1850万年前に金星から地球に降臨し、物質界の繁栄を司る。サナトクラマがもつ浄化の力は非常に強く、人々が抱く恐れや不安などの暗いエネルギーをクリアにしてくれる。サナトクマラは、理想の世界を作るシャンバラ計画の総責任者でもあり、世界を理想に近づける使命と、強いエネルギーを持つ。高次の存在なので基本的には肉体を持たないが、必要な時には人間の姿となることもでき、人の姿に代わって導くこともある。(ブッダ、マリア、キリストなど)
仏教では、サナトクマラは「魔王尊(=魔を屈服させる存在)」とされるが、「魔王尊=魔神」と解釈してルシファーやサタンと結びつけ、単純にサナトクマラを信仰するのは悪魔教だという考えもある。また、サナトクマラには悪魔を破壊するという役割もあるが、サナトクマラは鬼のような存在だという声があり、悪魔教だという言われ方もされることがある。
また、サナトクマラは、日本神話ではスサノオ、西洋ではルシファーとも言われている。キリスト教で、イヴをそそのかした蛇は悪で、サタンである蛇はルシファーといわれる天使長。ルシファーは明けの明星(金星)といわれ、サナートクマラは金星から来たこととつなげると、イヴをそそのかした蛇はサナートクマラだったことになる。最高神は直接人間にかかれないため、国常立尊が、人間に近い赤城龍神を介して岡本天明に書かせた書と言われる「日月神示」では、スサノオは国常立尊と言っている。(私の意見――スサノオ(王仁三郎)を国常立尊だと間違えて受け取ったため、天水・天明などの〝大本教の裏神業〟は失敗した。)
ヒンドゥー教の神話にも出てくる、サナトクマラが祀られている神殿はスリランカのカタラガマにある。
サナト・クマーラ(近代神智学の記述では、サナット・クマラ)は、近代神智学提唱者であるヘレナ・P・ブラヴァツキーが言及し、炎の主方に属するとした。その後、神智学協会からの分派が発展させ、詳細な設定を追加した。――サナト・クマーラは、地球の惑星ロゴス(地球の創造主、神)の、物質界における繁栄の任を司るため、1850万年前に、炎の天主方などとも呼ばれる104人のクマラと共に金星からやって来た。サナト・クマーラは、当時から現在までも、エーテル体を纏っている。サナト・クマーラが地球にやって来た当時の1850万年前、人間は、動物としての魂が宿る器に過ぎず、人間としての魂が宿る器ではなかった。サナット・クマラは炎の主方と共に、人間としての進化の道にいる魂を人間として転生させるために、動物人間であった地上人類の進化を促進し、地上人類は本当の意味で人間となった。第2段階までは、マイトレーヤが司り、サナト・クマーラは、第3段階以上のイニシエーションを司る。
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