1.医療は病を治さない

① 苦痛緩和が目的の医療は、薬で健康を弱めて病気が治ると錯覚させた。

(医学革命の書『現代医学論』より)

 医学は病気即苦痛と思う結果、苦痛解消には浄化停止より外にないので、此考え方によって進歩発達したのが現在の医療である。そうして浄化作用なるものは、人間が健康であればある程起るのが原則であるから、之を停止するには健康を弱める事である。そこで弱らす手段として考え出したのが毒を服ませる事で、それが薬であるから、薬とは勿論 悉く毒である。即ち毒を以て浄化を停止し溶けかかった毒素を元通り固めるので、固まっただけは苦痛が減るから、それを治ると錯覚したのであるから、世に之程の無智はあるまい。従って医療とは単なる苦痛緩和法であって、決して治すものではなく寧ろ治さない方法である。                   

② 嫌忌される薬の味は、反自然が病原となることを示す。

(『健康の真理』より/自觀叢書第10編『人間は健康の器』)

 病原である反自然とは如何なる点であるかを説明してみるが、まず人間罹病するや唯一の方法として薬剤を用いるがこれが抑々の誤謬である。薬剤とは東洋においては草根木皮、西洋においては鉱物植物等から抽出されるもので、これが根本的反自然である。考えても見るがいい。右の如き薬剤の性質は必ず苦味、臭味、酸味等、例外なく人間に嫌忌される味をもっている。昔から「薬の後の口直し」という事がよく物語っている。これらの飲み難いのは何故であろうかを考えるべきで、神は有毒であるから飲んでは不可である事を示されているのである。(中略)この理によってあらゆる飲食物は人間の嗜好に適するように造られている以上それを食えばいいので、それが自然である。

③ 医学の進歩は固め方法の進歩

(医学革命の書『固め方法と溶かす方法』より)

 療法という療法は、悉く固め手段であるから、医学の進歩とは固め方法の進歩でしかない事がよく分ったであろう。そうして薬剤以外の方法としては彼の電気、レントゲン、種々の光線療法等、何れも固め方法であり、氷冷、湿布、塗布薬等も同様であるが、只灸点、鍼、(すい)(ふくべ)だけは右と異い、刺戟によって浄化中の毒素を患部へ誘引し、一時的苦痛緩和を狙ったもので、勿論治るのではないから、灸など毎月というように定期的に据えるのは其為である。此様に今日までの凡ゆる療法は浄化停止であるから、病を治すのではなく、結局治さない方法でしかないのである。

(『観音講座』(七)▲より)

 西洋医学は治癒の妨害であるから治らんのである。氷で冷すのは最も悪いので、治すには熱が必要であるのを反対に冷すから熱の活動を止めて終う為癒らんのである。反って悪くなるのは当然である。熱が出て毒を道筋方面へ送ろうとするのを冷すから道筋方面へ行けずこれが肺の辺りへ寄るから肺気腫なぞになるのである。

④ 手術は野蛮医学

ア.機能も共に除去する残虐的行為

(医学革命の書『手術に就て』より)

 近来医学に於ては、手術の進歩を大いに誇称しているが、実は之程間違った話はない。寧ろ其反対で手術の進歩とは、医術の不進歩を表白する事は私は常に唱えている。従って真の医術とは、患部の機能は其儘にしておいて、只病気だけを()って了う事で、之が真の医術である。それは殆んどの病気は機能の近接部に毒素が集溜固結し、器能(機能?)の活動を圧迫阻害するからであって、機能自体には関係がないのである。従って治病とは右の毒素だけを除去して了えば、それで完全に治るのである。処が医学ではそのような巧妙な事が出来ない為、止むなく機能も共に除去して了うので、全く無力の結果に外ならないのである。

 従って病気を治す目的の為、患部全体を切り除るとしたら、原始人的方法であって、少なく共文化的でない事は言うまでもない。而もその手段たるや肉を切り、血を出し、骨を削るなどの残虐的行為により、患者に非常な痛苦を与えるに至っては寧ろ悲惨事である。成程手術中だけは麻酔薬を用いて痛苦を免るとしても、その後の傷口が治るまでのガーゼの取替や日数のかかる事、莫大な費用を要する等を考えたら、患者の負担は容易なものではあるまい。それでも順調にゆけばまだしもだが、中には経過が悪く再手術を要する場合もあり、切開してから誤診が分り慌てて口を(ふさ)ぐ事などもよく聞く話で、偶には手術の失敗で生命を失う事さえあるのだから、全く一種の冒険である。そればかりではない、外部的病気の場合手や足は勿論、指を切って不具にしたり、腫物などは醜い傷痕を残す等、一生涯の不幸の種を残す等忌憚なくいってみれば、現代医学は野蛮医学といってもよかろう。

イ.内部的不具者にし、第二、第三の病原をつくる

(『手術は野蛮?』▲より/『栄光』143号)

 近来手術が大いに流行し、アメリカの医学者などは、手術を進歩させる事こそ、医学の最高条件とさえ唱えているが、無論日本にも同じように思っている医家もあるであろう。ところがこれを私からみると、大いに間違っているので、その事をかいてみるが、本来病気とは私が常にいうごとく、ある局部へ毒素が溜結し、それが排除される苦痛をいうのであるが、それに対し医学の考え方は、手術によって現在あるだけの毒素さえ除ればそれで治るという浅薄な考え方である。なるほどそれだけの毒素ならいいが、多くの場合後続部隊があって、一時は無くなっても、次々溜結してくるので一旦手術で治っても、また悪くなり、再手術、再三手術をしなければならない事が、よくあるにみて明らかである。

 例えば盲腸炎で虫様突起を除去するから、なるほど盲腸炎にはならないが、後続毒素は腹膜や腎臓の方へ溜結する事になり、第二、第三の病原を作るのである。また腎臓病で右か左か一方の腎臓を摘出しても、それだけで治り切りになる事は滅多にない。大抵は残った方にまた起るというような事になる。次に最も多い胃癌の手術にしても、完全に除去される事は少ないそうで、ほとんどはいくらか残り、それが拡がって再発し易いとされている。

 右のような訳で幸い手術で成功しても、元通りの健康体に復する事はほとんどない。盲腸手術後腹力がなくなったり、腎臓摘出後ヒョロヒョロになったり、胃癌の手術後満足に食事が摂れず、柔らかい物を何回にも分けるなどの苦痛もある。というようにいわば内部的不具者になるので、真の医術の方法とはいえないであろう。しかもいつも私のいう通り、手術とはメスを揮って人体を切り刻むのだから、野蛮極まるやり方である。

ウ.人体に不必要なものはない

(天国の福音『扁桃腺及び盲腸炎の手術』▲より)

 医学においては扁桃腺なる機能は未だ判っていないのである。何となれば不用として手術によって除去するからである。考えてもみるがいい。人体に不必要なるものを造物主が造る筈がないではないか、医学者も人間である。造物主に造られた人間である。しかるに、造物主が必要として造られた物を人間が不必要として除去するのは何たる暴逆であろう。この意味において、医学で扁桃腺が不必要というのは実はその存在理由が未だ不明であるからで、それを判明したように錯覚するとは、まことに危険千万というべきである。

 扁桃腺は、私の発見によれば、非常に重要な役目を果している。それは人体の上半身中最も毒素集溜する個所は頚部淋巴腺付近である。それが浄化によって排泄される場合、一旦扁桃腺に凝結し、発熱溶解、液体となって排泄せられるのである。(中略)

 また扁桃腺除去は他に悪影響を及ぼすのである。(中略)盲腸炎は、周知のごとく下腹部右側(極稀に左側もある)の一局部の激痛である。そうして医学においてはその原因を食物に置いているようであるが、これは誤りで、真の原因は上半身における扁桃腺と同様、下半身における毒素排泄機能である。

 ここで、手術について一言を挿むが、(中略)病気以外患部の機能をも除去するので、人体における重要機能を消失する以上、他に悪影響を及ぼさない訳にはゆかない。なる程手術後一時的ある期間は健康であるが、数年後徐々として健康に支障を及ぼす事は確実である。それは浄化機能の喪失によって、毒素は他のあらゆる機能を侵す事になる。事実、扁桃腺除去後、首より上方の病気に罹りやすくなり、また虫様突起除去は腎臓、腹膜、胃腸等に障碍を来し、婦人は月経不順勝ちになり、頭痛、肩の凝り等に悩み、全身的にも活力減退は争えない事実である。常識で考えても判る筈である。最も高級で微妙極まる人体組織の一部なりとも毀損する以上、なんらかの影響がない訳はない。(中略)かくのごとく手術は病気のみの除去ではなく、あわせて機能の除去でもあるから、いかに理由づけるとしても医術の進歩とはならない。医術の真の進歩とは病気だけを除去して機能はそのまま元通りであらねばならないのである。しかしながら、内科的手術は、外面に痕跡をのこさないから、直接不自由と外観に影響がないのでさほど恐れられないのであろう。従って私は思う、手術の進歩とは医術の進歩ではなく、技術の進歩に過ぎないのである。また思う、メスを揮い、痛苦を与え、血液を消耗させ、人体の一部を不具者たらしむる事は、全く野蛮的行為でなくて何であろう。

(註 中略部分の無い「扁桃腺と盲腸の機能と、除去手術と悪影響」は、それぞれの病状の項目で再掲載。)

⑤ 科学は医学以外の分野で貢献を

(『御教え集』24号/S28.7.27より)

 医学は科学では駄目だという事です。他の事は科学で結構なのです。いろんな機械にしろ原子科学とかは何処までも進歩させなければならないのです。ただ人間は他の物質と違うという事が科学ではまだ分らないのです。というのは人間は非常に高級な動物だから、人間の病気を治し、生命を延ばすという事は、人間以上の力を持たなければできないのです。ところが其処らにある物質上の発明、電気や動力というものとは全然段が違います。ところがそういうものと人間の体、人間の病気、生命を同じに見ているところに大変な間違いがあります。その認識さえできれば、科学者は医学の研究をやめて他の研究を一生懸命にやればそれでよいのです。

 

 

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