1.憑霊が起こす病気

① 死霊、生霊、動物霊の三つ

(岡田先生療病術講義録▽(上巻)『病気と憑霊』▲より)

 病気の原因として、憑霊という事を知っておく必要があります。これを知らなくては解釈のつかぬ事が沢山出来て来ます。多くの場合、憑霊的病原は軽視出来ないものがあります。しかしこれを本当に知るには「霊覚」を持たなくてはならないし、といって又非常に誤られ易く、弊害も生じ易いので、まず常識的に一通り知っておけばいいのであります。

 これは、病気の説明の時にお話しますが、大体死霊、生霊、動物霊の三つに分ける事が出来ます。

② 原因が霊的か体的かは非常に分かりにくい。

(『大いに神書を読むべし』/栄光80号)

 これに就いて、序でに今一つ言いたい事がある。それは浄霊の場合、病原が分らないのに分ったような顔をしたがる。これは最もいけない。そういう人に限って思うように治らないと、必ず霊的だと言って逃げる。本当からいえば病原が霊的か体的かなどは、非常に分り難いものであるが、人間は元来霊体一致だから、浄霊の場合差別はないのである。とうのは、霊が治れば体が治り、体が治れば霊が治るからである。処が浄霊者は浄霊でスラスラ治れば普通の浄化と思うが、治らないと霊的と思い易いが、これは大変な間違いである。丁度お医者が、治りが悪い病気だと結核性にするのと同様である。

ア.病気と霊

(「病気症状の解剖/病気と霊」/「教修要綱」S29.9.1)

 病気とは浄化作用の発生と、その過程である事は詳細解説した通りであるが、茲に霊に依る病気も相当多い事を知る必要がある。これらも昔から相当唱えられて来た事で、特に或る種の宗教の如きは、病原の殆んどは霊作用としている位であるが霊作用と浄化作用と両方あって、両者は実に密接不離の関係にある事を知るのである。何となれば病霊憑依は病者の霊体の曇りの部分に限られるものであるからである。故にその曇りの解消により或る程度浄化されたる霊体に於ては、肉体の病患も無くなるのみか、病霊の憑依も不可能となり、心身共に健康者たり得るのである。

③ 病霊は病者の霊体の曇り部分に憑依。ある程度浄化された霊体となれば心身ともに健康者となる。

(天国の福音『病気と霊』より)

 病気とは浄化作用の発生とその過程である事は詳細解説した通りであるが、ここに霊に因る病気の相当多い事も知る必要がある。これ等も昔から相当唱えられて来た事で、特に或種の宗教の如きは病原の殆んどは霊作用としている位であるが、私の研究によれば、霊作用と浄化作用と両方あるが、両者は実に密接不離の関係にある事を知るのである。何となれば病霊憑依は病者の霊体の曇りの部分に限られるものであるからである。故にその曇りの解消により或程度浄化されたる霊体に於ては肉体の病患もなくなるのみか、病霊の憑依も不可能となり、心身共に健康者たり得るのである。

④ 祀ってもらいたい病霊が憑依して、病気を起こす。

ア.祀ってもらいたいために憑霊して起こした病気は、供養を約束すると納得してケロリと治っる。

(『霊的肺患』/自觀叢書第九編『光への道』)

 私は先年、私の妻が突然発熱、咳嗽、血痰等の肺患三期位の症状を起したので、早速私が治療したが、頗る効果が薄い。二、三日経ても症状は一進一退である。そこで、これは霊的ではないかと想ったので、憑依霊の有無を査べてみた所、果してそうであった。その憑依霊は、一年ほど前私が扱った青年の結核患者であって、終に死亡したが、その青年は父親と二人暮しで、長い病気のため、金銭を費し盡し、赤貧洗うが如き状態であったから、死後の追善供養など殆ど行わなかったのである。従って、霊は霊界に於て孤独不遇であるから、私によって祀って貰いたい希望で、私の妻に憑依したのである――という事が判った。そこで私は、準備もあるから明晩祀ってやる故、それまでこの肉体が苦しむから放れて待っておれと言ったところ、快く承諾し離脱したのである。離脱するや、妻はケロリとなし、何等平常と変りない状態となったので、私もあまりはっきりしているのに驚いたのである。右の霊は、今でも私の家に祀ってある。

イ.死人に鞭打つな。胃の激痛の原因は、生前の悪点を言われた憑霊だった。

(『死人に鞭つ』より/自觀叢書第九編『光への道』)

 私の妻が胃痙攣を起した時の事、胃部の激痛のためノタ打廻るのである。早速私は胃部に向って治療を加えたところ、痛みは緩和されたが全く去らない。然るに痛みの個所は一寸位の円形で、漸次上方へ向って進行しつつ咽喉部辺に来たと思うや、妻は、「モウ駄目だ。」と叫んだ。そこで私は、「これは憑霊だな。」と思ったので、「お前は誰だ?」と訊くと、憑霊は言わんとしたが口が切れない。仍で私は、「三月ほど前に脳病で死んだ○○の霊ではないか。」と気がついたから訊いたところ、「そうだ」というので、それから種々の手段で聞質した結果、憑霊の目的は、私がその霊の生前の悪点を人に語った事が数回に及んだので、憑霊は、「是非それをやめてくれ。」と言うのである。私は謝罪し今後を誓約したので、霊は喜んで感謝し去った。去るや否や忽ち平常通りとなったのである。そうして昔から死人に鞭打つなと言う事があるが、全くその通りと思ったのである。

<事例1> 霊は理解されないことが分るとある程度離れるが、医療で肉体は駄目になる。死ぬほど重症の霊が憑ると急激に重症化し、達者だった人が急に悪化して間もなく死ぬ。

(『御教え集』第2号/S26.9.18)

(お 伺) 私の妻は九月九、十、十一と毎晩十二時頃より急に結核的症状を起し、如何に浄霊しても余り効果なく、夜の明けると共に平常に戻りました。特に十一日の如きは咽頭結核的症状となり、何回も息が止まるかと思った事もありました。其時ふと頭に浮かんだ事は「明日の医術」第三篇中に明主様の奥様が、突然結核症状となられ、結局霊的であったとの事、早速夜が明けてから妻を調べて見ましたが、中々口がきけません。奉仕者中に霊媒的素質のある者が居りますので、其者に呼出して見ました処、やはり霊的にて、妻の三才の時、実母が他家に再婚して、其家で咽頭結核で死亡している事が分りました。霊の希望としては、他家に再婚して居る関係上、妻の実家の祖霊の中に入れぬ為祖霊様にお願いして欲しいとの事でした。早速紙片に俗名を書き大光明如来様に御守護をお願し、仏壇に入れて御供え物をし、善言讃詞、御讃歌を奏げて祖霊さんにお願しました処、早速御礼に出て、今日唯今離れると申しました。すると家内もケロリとして平常になりました。右の場合、霊的と感じたら霊媒等を使って呼出す事は宜しい事でしよ(ょう?)か。又、気がつかずに居た場合は如何なる結果になりましょうか。尚当時出る痰は憑依霊の曇りの物質化でしょうか。本人のも出るものでしょうか。

〔御 垂 示〕

 良かったですね。之は霊媒を使っても構いません。結構です。霊媒でも悪いんじゃない。良い事が出来れば結構です。この霊が早く救われますからね。そうすると、霊媒は良い事をした事になる。ものは使い様ですね。悪い事に使えば悪いし、良い事に使えば良いんです。霊媒が来ないで霊的と思った時には「私が云った事が合っていれば、首を縦に振って、違っていたら横に振ってください」と云う。そうすれば、口のきけない霊でも、それだけは出来る筈です。あなたは女ですか、男ですかと聞く。又最近亡くなったのですか、古い時にかと云う。又それなら何年前ですか、と云うと、大体見当がつきます。

 この質問のははっきりしてます。肺病で死んだので―祀って貰いたいとすると、何処に祀ったら良いかと、段々やっていると分る。之は幸いに霊媒が居たから良かった。病人の当人の状態になるんです。痰は憑霊の曇りです。だから憑霊も救われますからね。併し、痰は沢山あるから、少し位出ても大した事はない、その人の痰も幾らか出るが大した事はない。こう云うのはお医者にかかると、分らないから散々やられて、霊の方も離れないですね。分らせるのが目的ですからね。処が、霊は之は駄目だ―どうも分らないと云う事が分ると、ある程度離れますが、肉体はもう駄目です。其の身体を医者が結核の二期とか三期とかになっているから、安静にしなければならない―注射をしなければならないと云う。霊が離れても、医者につかまった以上死ぬ迄やられる。之が恐いですね。霊的に救われると大したものです。霊が憑ると急激に重症になります。霊は死ぬ程の重症ですからね。同じ苦しみになる。不断達者で居ても、急に悪くなって、間もなく死ぬと云うのがあります。こう云うのが多いです。

⑤ 憑依霊同士の争いは、先住が勝つ。

(教えの光『憑依霊に就て』より)

 副霊が憑っている肉体へ別の副霊が憑るべく入ろうとして争う事がある。其際憑依霊同志(士?)が戦うので、人間の方はフラフラしたり、煩悶状態になるものである。そして前住の副霊が後入より弱い時は後の霊が勝つことがあるが、それは一時的で長い間にはやはり先住の副霊が勝つのである。

⑥ 霊憑りは断然止める。神様の正邪判別法。

(天国の福音書『霊憑りについて』より)

 霊憑りの危険な事は、常に私は注意しているに拘らず、今もって止めない人があるが、これは断然止めるべきである。それについて何故悪いかを詳しく説明してみるが、霊憑りの八、九割までは狐霊であって、狐霊の九割九分までは邪霊であるから、人を瞞す事など本能的であり、人間に悪い事をさせるのは何とも思わないどころか、寧ろ面白くて仕様がないのである。(中略)そうして狐霊中でも劫を経た奴になると、相当神通力をもっており、人間に憑依するやその人の思っている事は何でも分るから、それに合わせて色々なたくらみをする。(中略)その他狐霊の他、狸霊、龍神、悪質天狗等も憑って人間を誑かすが、その中でも邪悪の龍神が最も恐るべきものである。本来龍神なるものは、並々ならぬ強い力と、そうして知恵をもっているから、人間を自由にし、場合によっては人に傷害を与えたり、命をとる事など朝飯前である。(中略)しかも狐霊などとは違い、龍神は知能的で、悪知恵が働くから思想的にも人間を自由にする。何々主義などと言って悪質犯罪を平気でやらせ、社会に害毒を流すのも原因の多くはそれである。そこへゆくと狸霊や天狗の霊は大した事もないが、只天狗は霊力が強いのと、学問のあるのが多いので、彼らの中の野心家はそういう人間を掴まえて躍らせ、世間に名声を博し、出世をさせて多いに威張りたがる。(中略)以上憑霊に関しての色々な事を書いたが、ここで充分知っておかねばならないのは、単に邪神といっても個性的に悪い事をするのではない。その奥に邪神を操っている頭目があって、此奴こそ最も恐るべき存在である。この頭目の力にはたいていな神も歯が立たないくらいである。ところがこの邪神の頭目は陰に陽に絶えず我々の仕事を妨害している。特に本教は邪神にとっては一大脅威であるから、彼らの方でも頭目中の頭目が対抗しているので、これこそ正邪の大戦いである。

 ところがここに注意すべき重要事がある。それは本教信者は自分はご守護が厚いから大丈夫だ、邪神など容易には憑れるものではないと安心しているその油断である。この考え方が隙を与える事になり、邪神は得たり賢しと憑依してしまう。然も小乗信仰者で熱心であればあるほど憑り易いから始末が悪い。いつも私は小乗信仰を戒めているのはそういうわけだからである。(中略)

 そうして右の理は霊的にみてもよく分る。何しろ狐、狸等は動物霊であるから、人間より以下である。従ってこれを拝んでいると、四つ足の居所は地上であるから人間は地の下になり、霊界では畜生道に落ちているわけで、霊界の事は一切現界に映るから、その人は地獄に落ちているのである。(中略)勿論霊憑りもそうであって、動物の入れ物になる以上、やはり畜生道に落ち、不運な境遇となってしまうのである。(中略)しかし神憑りにも除外例がある。それは祖霊または正守護神が重要な事を人間に知らす場合、一時的に憑る事がある。これはほんの僅かの時間と必要だけの言葉で、決して余計な事は言わないものである。ここで序でだから正か邪かの判別法を教えるが、神様に関係のある正しい言葉には無駄は決してない。物事の急所を簡単明瞭にお知らせなさるものである。故に邪霊であれば必ず余計な事を喋りたがるもので、よくあるのべつ幕なし立て続けに喋るなどは、狐霊と思えば間違いない。しかしこういう場合もある。それは正守護神が言葉で知らせようとする場合、狐霊は人間に憑る事も、喋る事もうまいので、狐霊を使う事もあるが、そういう場合必要以外の事を喋り、地金を現わすから大いに注意すべきである。

⑦ 神憑り

ア.神憑りは、正神、動物霊が神を呼称、人霊の三種。

(天国の福音『神憑り』より)

 神憑りは三種に区別する事が出来る。第一は真の意味に於ける神(正神ではあるが上中下の階級がある)の場合と、第二は動物霊等が神を誇称する場合と、第三は人霊の場合とである。第一に於ては例えば何々宗の教祖、即ち天理教に於ける中山みき刀自、大本教の出口直子刀自、徳光教の金田徳光師、人の道の御木徳一師、その他金光教、黒住教等の教祖や、往昔の弘法、日蓮、法然、役の行者等の如きはそれであり、第二は世間数多くある如何わしい宗教、稲荷下しの行者、飯綱遣等の類であり、第三は人霊主に祖霊や近親者の霊等であるが、これは神憑りではなく霊憑りと称すべきが本当である。したがって神憑りに対し判別なし得る能力を養って、その取扱いと指導が宜しければ、人類社会に少からず役立つのである。併し乍ら神憑りに対する智識浅薄の場合、弊害発生の懼れもある事は自明の理である。

イ.神様は神饌物に霊気を入れてくださる。

(観音講座(四)『地獄』より)

 供養の事については、色々の霊は喰うのであるが、本当の神様は食物は召上がらんで、反って神饌(しんせん)物に霊気を入れて下さる。大神様は森羅万象皆自分のものであるから人の上げるものなぞ召上らんでも良いのである。召し上りたければ何んでも召し上がれる。それも決して盗み喰いするのではない。

<事例1> 産土に昇格すると縁は切れるが、祖先である氏神を人手に渡したのは悪い。光明如来様によくお願いして、祖霊、氏神にお詫びする。氏神には月に一度お参りに行く。

(『御教え集』第2号/S26.9.18)

(お 伺) 私の家は長野県埴科(ハニシナ)坂城(サカキ)町南日名で御座います。村でも芝切りと言われる位に古い家で、八幡様を氏神として代々祀られて居りましたが、今から四代前のおじい様が、道楽の為に田畑を売り、遂に氏神様迄人手に渡して了いました。それから昭和廿三年二月四日に祖母が半身中風となり、今(未?)だに治らないのに、又母が十月十五日頃より腹膜となり、二、三の医師に見て貰って居りますうちに、大光明如来様の御神徳を知り、八月一日よりお縋り致して、私は入信させて戴きました。御屏風観音様も御奉斎させて戴きました。御蔭をもちまして、毎日少くない乍らも排便はありますが、お腹が膨れて少しも変りなく苦しんで居ります。又咽喉元に指先位の固結が出来、どうしても流動物以外は通りません。霊的に何か御座いましょうか。御教示御願い申し上げます。

〔御 垂 示〕

 半身中風と云うのはない。中風は半身なんですからね。之も霊的ですね。氏神様を人手に渡したのは悪いですね。氏神と云うのは、ここの先祖―祖先ですからね。氏神と産土とは違いますね。先に書いたが、氏神と云うのは大祖先ですからね。ですから、産土に昇格したんだから縁が切れてますからね。良くお詫びして、御先祖様を―仏様はあるんでしょうね。ないんですか。

 「御座います」

 宗旨は。

 「分りません」

 分りませんじゃしょうがない。肝腎な事です。

 先祖代々の位牌は。

 「祀ってあります」

 お詫びだね。今迄間違っていた事を許して貰いたいと、良くお詫びをするんだ。そうなったら、どうする事も出来ないから、良く光明如来様にお願いして、間違った事を心から悔い改めたから、祖霊さんに承知する様にお願いしたいと云えば―良くお願いすれば、それでいいです。

 光明如来様は、

 「未だで御座います」

 早速お祀りして、そうすれば良くなります。

 「その場合、祖先の位牌にお詫びするので御座いましょうか」

 そうです。

 「氏神様の方は」

 氏神様の方も勿論です。

 「人手に渡したのですが、家が本家で、家だけがその中に入ってお祀りして居ります。氏神の仲間に―」

 それだけでは他の人と同じだ。あなたの家は祖先だから特別だ。あなたの方で、その土地を買う様になります。手に入る様になります。そうなるべきものです。急じゃないですが、段々にです。そう云う事は割合肝腎な事ですよ。氏神には月に一度づ(ず?)つお参りに行けば良い。お産日と云って、月に何日とあるでしょう。知っているでしょう。知らないですか。毎年お祭りはありますが、お産日と云う日が必ずありますから、毎月お参りするんです。普通の人でも、月に一度づ(ず?)つお参りするのは結構です。私も大森に居る時行ったが、産土神は色んな事をやって呉れているんですからね。そのお礼に行くのが本当です。

<事例2> 大元愛善は神様ではないが、何かの神様が居られるから、御神体をお祀りしてお盛物をし、神様にお帰り願う。弁天様の祠は早速お祭りしなければならない。

(『御教え集』第1号/S26.8.1)

(お 伺) 昭和二十四年五月頃急に喘息となり多くの名医にかかっても効果は一時的で反ってひどくなり、医学ではどうにもならなくなりました。それで弁天様をお祭り(裏庭へ)したら丁度六十日咳一つ出ず、全く治りましたが、又再発し、それから色々と宗教に頼り、昭和廿五年八月頃大元愛善様と称する大元愛善主大神を奉祭する社と、先祖代々の霊を祭った小さな仏壇と二つを床に祭りました。この仏壇は私の家より御位牌を全部持って行き(山口県支部)先祖代々の霊を移してもらったものです。それで今迄の真宗の仏壇には先祖の霊が居ないそうです。然し、半年も一生懸命拝みましたが何一つ御利益はありませんでした。

 ふと此お道を聞き今年初め、御利益を頂き、二月入信させて頂き、尚屏風観音様も拝受させて頂きました。すると浄化が起り、午前二時頃より夜明け迄咳の連続で六時頃にはケロリと治ります。他の時も時々発作がきます。何か霊的関係でしょうか。浄霊は何処をしたら良いでしょうか、又大元愛善様を片附け度いと思うのですが如何致したら良いでしょうか。尚祖先の霊は元の真宗の仏壇に移し度いのですが、何ういう風にして行ったらよいものでしょうか、又弁天様の祠(石造り)は何う致したらよいものでしょうか。尚屋敷内には昔の武士の墓が三つ、四つあり、私の祖母はひどい喘息で死亡、父は崖から落ち不慮の即死、母は脳充血で死亡しております。

 右御教示御願い申上げます。

〔御 垂 示〕

 大元愛善様と云うのは、別に、神様――御神体じゃないですがね。之は、やっぱり元にお帰り願ったらいいですね。一寸お盛り物をして、やはり何かの神様が居られますからね。然し光明如来様をお祭りしなければ駄目ですよ。光明如来様をお祭りしてからお帰り願う。この神様も私の部下ですからね。安心して祖先の霊は真宗の霊界に行くから、是非仏壇に元通りにしなければならない。弁天様の祠は早速お祭りしてやらなければならないです。昔の武士の墓は――之は光明如来様をお祭りすればなくなります。横隔膜に固まりがあります。それを浄霊すれば良い。それから背中、首のまわり。そうすれば、段々治って来ます。

<事例3> 人間の霊と動物霊の両方が憑った神狂い。御神体未奉斎は未だ信仰に入っておらず、お守を掛けなければ未入信だから救われない。家中の人にも罪穢れがあるから、家族に霊憑りがある。

(『御教え集』第5号/S26.12.6)

(お 伺) 私の父(六十一才)は十七年前の或る夜、就寝中急に危篤状態となり、医師が来ても診察させず、霊憑り状態となり、食塩水のみで一週間程過し、其後は平常になりましたが、翌年五十日程同様の霊憑りとなりました。其後六年程異状ありませんでしたが、昭和十六年頃より高野山にお参りして弘法大師のお姿を戴いて来てより、二十一日間家に居り、弘法大師が出入りするのが良く判る、この二十一日間に病気治しやお経の読み方を良く教えられた、と申します。其後病人を大勢集めて、良く治しました。又紛失物を当て、次第に熱中し、弘法大師、不動明王、千手観音様の御像をお祀りする様になりました。三、四年前より私共も父も、このお道に入信致しましたが、お守様は外して居ります。二十四年十二月頃又もや霊憑りとなり、大声で説教をし暴れましたが、毎月二十一日にお祀りする事にして収まりました。又本年十一月、三十八度余の熱が数日続き、熱が下りますと憑依致し、苦しんで怒ったり暴れますので、私が謝りますと、「俺が勝った」と言って喜び、静まります。又、家族を集めて説教をし、恐多い事で御座いますが御屏風観音様を焼いて了いました。最近は弘法様より、不動様を拝み、弘法様の上に不動様が居られると申し、不動様(大日大照不動明王)を拝めと言います。現在、私も家族もお守様を外して集会所にお預け致してあります。又、父に対しては家中充分に心遣いして大事に致して居りますが、今後如何致しましたら宜敷う御座いましょうか。

〔御 垂 示〕

 お守様をはずして居ります――之はしようがない。それじゃ、入信したんじゃない。形丈の入信です。第一番にお守を掛ける事ですね。それでなければ御守護戴けない。こう言う事があると言う事は、家中の人にも罪がある。こう言う事があると、苦しみますからね。苦しむと言うのは、罪穢れがあるからですね。それを減らさなければならない。減らす為には、お守をかけなければならない。それが第一番です。そうして、光明如来様をお祀りしてありますね。

 「未だで御座います」

 じゃ駄目です。未だ信仰に入ってないですね。光明如来様をお祀りし、お守を掛けなければ、救われっこないですよ。兎に角、それが根本ですよ。そうして、良くお願いするんですね。光明如来様をお祀りして、祝詞を奏げますね。善言讃詞とか――あれが、そこの一家を浄めるんですからね。之は、俗に神狂いと言ってね。宗教で狂いになるんですね。昔、神狂いと言ってね。それで、色んな出鱈目なんです。無論霊ですがね。こう言う霊は、人間の霊と動物霊と両方です。それで人間の方は、光明如来様の熱心な信者かで、それに霊が憑って、霊が色んな――からかったり、いたずらするんです。之も、そこの家の霊界が浄まって来ると、萎縮するんです。それには、今言った様にしなければならない。それが根本です。

<事例4> 出雲系(素盞鳴尊、大国主命)の元家来の御魂だから出雲系に執着がある。素盞鳴尊はメシヤ教で働いているから、父親が信仰に入る段取りになるまで待つしかない。

(『御教え集』第6号/S27.1.27)

(お 伺) 大石数雄(未入信。四十一歳)昭和十五年六月、左耳乳子突起病にて手術、十八年十月精神分裂症となり、県立精神病院に入院。電気、注射療法により二カ月にて快方に向いましたが、二十五年八月再発、同年大本教に入信、御神体奉斎しましたが、父が反対で御神体を焼捨て、再度御神体を奉斎、又も先組の位牌と共に焼捨て、位牌はお寺で戒名を戴き祀りましたが、之も焼捨て、この時父は病院に入院、二カ月で退院十一月発病、再入院。二十六年五月退院後も経過悪しく、八月に入り御浄霊させて戴いており、十二月に奉仕隊に参加させて戴きましてより温和しくなりました。家には先祖代々の宝物として龍玉が二つありましたが、新家に一つ譲りました。大きさは直径三寸五分位で、新家のは一廻り小さく、今は床の間の吊棚に祀ってあります。御屏風観音様をお迎え致し度く思っておりますが、仏壇の方が下座になりますが、如何致しましたら宜敷いでしょうか。又、この龍玉は二つ一緒に祀った方が宜敷いでしょうか。又父の病気は霊的関係が御座いましょうか。

〔御 垂 示〕

 大石数雄――大石良雄じゃないね。

 下位になります――之は構わないですよ――下位になってもね。一緒に――無論二つ一緒に祀った方が良いですね。之は、夫婦の者ですからね。一つ一つ別にすると、夫婦別れしている様なものだからね。やはり人間と同じで、夫婦は一緒の方が良いですからね。霊的関係もありませんがね。まあ、済んだ事はそれで良いですからね。未だ光明如来様をお祀りしていない様ですね。之も、時日だから、急にやら(ろ?)うとしてもね――(。?)

 「何かお祀り致しますと、皆破きます。お家ではお祀り致したく居ります」

 誰か信者になってますか。

 「息子が救われ、信者になって居ります」

 お母さんは――

 「未だで御座いますが、段々に致したいと申して居ります」

 急がない方が良いですよ。息子さんが信仰して居れば、それで良いですからね。時節を待てば、神様も御祖霊さんも、良い様にして呉れますからね。ちゃんと、無理が無く、お父さんが祀りたい、或いはお父さんが信仰に入ると言う段取りになりますから、それ迄待つよりないですね。焼いたと言う事も意味がありますよ。

 「出雲様に入るから御先祖は要らない。出雲様に入信して呉れと言いますが、出雲に何か霊的関係が御座いましょうか」

 元、素盞鳴尊とか大国主命の家来の御魂ですよ。その因縁で、何か執着があるんですよ。素盞鳴尊は、メシヤ教で働いていますからね。だから、いずれ入りますよ。待つんですね。そう言う事は無理はいけませんからね。神様にお任せしていると言うと、案外無理がなく信仰に入るものです。

 

 

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