(岡田先生療病術講義録▽(上巻)『病気発生の原因』▲より)
病気に対して、霊的定義を下してみましょう。
「病気とは・・・人間の悪念及び悪行為に因る罪穢の堆積が精霊を曇らし、それが、血液の溷濁(こんだく)となるので、その汚血を、心臓と肺臓が、燃焼と洗浄作用をする結果、それの残渣が物質化して毒血となり、膿汁となり、それの排除作用が、即ち、病気現象である」
魂は「人間の小雛形」ともいうべきものであるから、魂の方の胸のあたりへ曇が発生すると・・・心を通じて精霊へ移り、肉体へと映るのであります。(中略)
曇が、内部より外部へ表われるものは・・・自己的病原であります。しかるに、他動的に、外部からの原因による事もあるのであります。例えば、人から、怨まれたり、羨やまれたりすると、それらの人の悪念が「一種の曇」となって、こちらの魂へ来射し、曇らすので、それが病原となる事も多いのであります。しかし、右二つの原因は、いずれも霊的であるが、それらの外に「体的の病原」もあるのであります。それは・・・、大酒を飲むとか、娼婦に接するとか、極端な不摂生をするとかによって病気になるのであって、これは一般世人のよく知っているところであります。洋漢医学の病原説は、ほとんどこの体的のみの解釈でありました。しかし、これは再三述べたごとく、表われた半面であって、他の半面・・・即ち、隠れたる霊的原因こそ、真の病原であるので、この認識のない限り完全な治療法は確立しない事は申すまでもありません。
今一つ有力な病原として祖先の罪穢に因るそれを説かなければなりません。祖先の罪穢とは・・・、絶えず祖先が霊界において「霊の浄化作用」を行われる結果、その残渣ともいうべき汚濁が「子孫」即ち吾々へ流れて来て、それが病気となるのであります。吾々個人とは、実に、祖先と子孫との間をつなぐところの 一連の鎖の・・・その一個に過ぎないのであります。故に「祖先の行為」が吾へ結果し「吾の行為」が子孫へ結果するのは当然であります。坊さんの持っている数珠は「祖先代々の魂の繁り」を表わしたもので、あれを揉んで、お経をあげると「祖先各々の罪穢」が、その功徳によって浄化消滅するというのであります。大体、病原なるものは、前述のごとく数種あるのであります。そうして、それら曇の排除作用が病気であるから、病気が発生するや・・・、曇の物質化であるところの「水膿毒血」は、極力外部へ外部へと排除されようとするのであります。それはちょうど天然現象と同じようなもので、風邪を引いて咳をし、痰を吐く事など、ちょうど大風が吹いて穢を払う、大雨が降って汚れを洗い流すのと同じ理であります。故に、あらゆる一切の物象は絶えず汚濁され「断えず、浄化作用が行われている事が原則である」のを知らなくてはならないのであります。これを別な意味からの定義にすれば、「病気とは・・・健康保持の為の、又は、死を免れしむる為の不断の浄化作用の苦痛である」
このように人間は・・・「病気によって、健康保持が出来、病気によって死を免れるのである」と聞いたら、現代人は驚倒するでありましょう。しかし、今日までそれに気付かなかっただけであって、病気といえば直に不治を連想し、死を予想して恐怖して来た事の、いかに大きな誤りであったかが知られるのであります。
② あらゆる病原は三毒(然毒、尿毒、薬毒)
(天国の福音『三毒』▲より)
あらゆる病原は然毒、尿毒、薬毒の三毒によるという事は既に説いた通りであるが、これらを一層詳しく述べてみよう。まず然毒とは何ぞや、これは薬毒の遺伝ともいうべきものであって、薬毒が何代かの人体を経てついに変化し一種の毒素となったものである。従って日本においても歴史はそれを物語っている。すなわち天然痘は千三百年以前欽明天皇時代以後から発生したという事になっている。それは欽明天皇十三年に仏教が渡来し、間もなく初めて各地に疫病が発生したので、時の執権者は、仏教渡来によって日本の神々の御怒りになったためであるとなし、仏教を禁じたが、疫病は更に減退しないので、仏教に関係はないとして再び許されたという事である。私の考察によれば、仏教渡来より余程以前に漢薬が渡来したためであろう。もちろん疫病とは天然痘である。医学においては種々の病原として遺伝黴毒を挙げている。(中略)しかし私はこの遺伝黴毒こそは然毒の誤りであると想像するのである。何となれば遺伝黴毒保有者といわれる患者が、その父母もその祖父母も、黴毒罹患の実証がない者がすくなからずある事である。
次に尿毒とは、腎臓の機能的活動の鈍化による余剰尿を言うのである。それはいかなる訳かというと、元来医学においてもとなえるごとく腎臓機能は尿の処置とホルモンの生産である。すなわち飲食物中の不必要分が糞尿となって排泄せられる場合、さきに述べたごとく異物は全部が排泄不能であるから、それが腎臓内部より外部へ滲透し、その付近に累積固結する。その固結が腎臓を圧迫する結果萎縮腎となり余剰尿を生じ漸次脊柱の両側より肩部へかけて溜積固結する。それが背や肩の凝りである。次いで延髄部、淋巴腺、耳下腺、扁桃腺部等に移行する。故に歯槽膿漏は、これら尿毒が歯齦(しぎん)より排泄せられんとするための病気であるから、この病気は尿が腐敗して口中から排泄さるる訳である。この原因を知るにおいて、その不潔なるに顰蹙するであろう。かくのごとく尿毒は万病の原因になるといってもよいのである。
次に薬毒はさきに説いたから略すが、ただ薬毒の表われ方について述べる必要があろう。それは薬毒による苦痛は発熱、痛苦、掻痒苦、下痢、嘔吐、麻痺、不快感等が重なるものである。発熱は実験上薬毒多量者程はなはだしいのであるから、生来無薬用者はほとんど発熱は無いといっても差支えない位である。また薬毒痛は洋楽は鋭痛が多く、針刺型、錐揉型、稲妻型等で、漢薬は殆んど鈍痛である。掻痒苦は洋楽に多く特にカルシウム注射は必ず蕁麻疹の原因となるから注意すべきである。
以上説いたごとき三毒の区別を知る方法がある。それは固結部を指頭で圧診する場合、然毒は無痛、尿毒は軽痛、薬毒は強痛であるから、熟練によって見分ける事はさまで困難ではないのである。
(アメリカを救う『病気とは何ぞや』より)
本来人間なるものは、生まれながらにして例外なく先天性毒素と、後天性毒素と保有している。先天性毒素とは無論親からの遺伝であり、後天性毒素とは生まれてから体内へ入れた薬毒である。
(天国の福音『人口問題』▲より)
元来人間は生れながらにして先天的種々の毒素を遺伝保有している。すなわち天然痘、麻疹、百日咳等である。特に天然痘毒素(以下略して然毒と称す)は悪質なるをもって怖れられている。しからば天然痘がいかなる理由によって発病するものであるかというに、それは人体における自然浄化作用に因るのであって浄化作用のため然毒が体外へ排除されんとして全身的皮下一面に集溜されるのである。
すなわち内部から外部へ向かって圧出されるのでこれが発疹である。故に発疹の粒形一つ一つが破れて膿汁が排出されるにみても明らかである。その際の高熱は毒素を排除しやすからしめんがための自然溶解作用である。しかるに種痘なるものはこの然毒の自然排除作用を停止せしむるのであり、すなわち浄化作用を薄弱ならしむるのである。換言すれば陽性をして陰性化せしむるのである。かくのごとく排除力を失い陰性化した然毒すなわち陰化然毒は体内に残存する事になる。しからばその残存した陰性然毒はどうなるかというと、これがあらゆる局部に集溜固結し、種々の病原となるのみならず全身的機能をも衰弱せしむるのであるから、それが体位低下となり、特に婦人の奸孕率低下に及び人口問題の原因ともなるのである。
③ 根本原因を除去しなければ病気は治らない。
(『対症療法の可否』▲より/『栄光』114号)
本当に病気を治すには、症状などは末梢的なものであって、どうしてもその根本原因を探り当て、それを除去しなければならない事は余りにも当然である。
④ いかなる苦痛の原因も霊の曇りだから、汚濁を溜めないようにすると共に、溜まっている汚濁を排除する。
(天国の福音書『第三次戦争は免れる事ができる』より)
病気とは人間の霊に曇りが溜まり、その排除作用が肉体に映って生ずる苦痛であるから、人間の如何なる苦痛と雖も、原因は悉く霊の曇り、即ち肉体的に言えば汚濁の排除作用であるから、その苦痛を免れたいとしたら、汚濁を溜めないようにすると共に、既に溜まっているそれを排除する以外、解決する事のできないのは当然である。
(中略)そうしてここで知らねばならない事は、万有の法則は汚濁の溜まるところ、必ず自然浄化作用が発生する。例えば伝染病が流行するという事は、病菌発生が直接原因であるとしたら、その原因は何かというと、それは浄化の必要ある人間ができたからで、相応の理による自然発生である。ところがこの理は何ものにも共通する。
⑤ 病気の病原は一つだから、どんな病気も浄霊だけで治療。
(『医療誤点の種々相』▲より/『栄光』152号)
元来病気なるものは、人体に現れたる現象であって、実体ではないので、この区別が医学では分かっていないのである。従って病気の種類が多いという事は、現れる部分が多いからで、その部分部分の異いさによって病名が付せられているだけの事で、病原は一つなのである。というように医学は病気の種類によって、病理もそれぞれ異うように思い、治療手段を工夫したので、これが一大欠陥である。ゆえに進歩したといっても、右のごとく根本には全然触れていず、外部的症状のみを対象としている以上、治らないのは当然である。
私がこれを唱える証左として、本教の治療であって、いかなる病気でも浄霊一本で素晴しい成績を挙げているにみても分かるごとく、現代医学は全く幼稚極まるものであって、医学で唱える病理というのは、実は機械的推理以外には出ていないのである。何よりも根本原理が分かっているとすれば、その原理通りに治療を行いさえすれば、必ず治るはずであるから、動物実験などの必要はない訳である。以上によって私は全世界の医学者に希望するのは、まずこの点に気づく事である。それが分かれば既成医学は揚棄せざるを得なくなり、ここに医学の再出発となって、真の医学が生まれるであろう。
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