2.信仰姿勢についての御注意

① 明主様の思う通り言った通りに

ア.明主様のお言葉は神様のお言葉

(『御教え集』第27号/S28.10.27より)

 信仰の考え方が未だなかなかずれている点があるのです。例えば肥料にしても、本当に私の言うとおりにやる人は少ないのです。大抵中途半端が多いようです。(中略)金肥人肥はいけないというと、それでは鳥の糞や馬や牛の糞なら良いだろう、油カスなら良いだろうとか、ヤレ灰をかければ良いだろう、ごくよいところで、堆肥をウンとやれば良いという考えなのです。ところがそれはみんな土を穢すからいけないのです。これは私が言うのではないので、神様がみんなを助けるために言うのです。どうも私の考えで言うように誤解するのです。

イ.明主様のお言葉の意味を、自分で作って間違う。

(『御教え集』第13号/S27.8.6より)

 私の話を間違える人が非常にある。私は随分はっきり言うのですが、昨日も一週間に一回と言ったら、今日は二回という人がある。一週間に一回と二回では倍違います。(中略)というのは私の言う通りに考えないのです。明主様は斯う仰ったが、あれは斯ういう意味なんだ。斯ういう意味というのを自分で作って了うのです。それで間違う事がよくある。(中略)ですから私の言った通りにやる人が少いのです。私は何時も言うのですが、私が思う通り言った通りにする人は英雄と言うのです。偉いです。

 (中略)特に日本人はどうも言う通りにやらない、言う通りに考えない、という一種のくせみたいな、病気みたいなものだと思う。だから私が何時も話する事がよく違って了うのです。だから明主様が斯う仰ったので斯うやったがどうも旨くいかない。そういう筈はないと、良く聞いてみると違う。今の病気の事もその通りです。私は決して駆引や嘘はないのです。

ウ.素直が一等

 (『御教え集』第30号/S29.1.17より)

 自然農法にしても、私の言うとおりにした人は、チャンと予定どおりに進んでゆくのです。効果もあるのです。ところが農民は長い間の習慣でなかなか言う事をきかないのです。(中略)それについてこういう話があります。大本教の教祖様が神様から〝直よ、お前はこれから外国に行くんだよ。直ぐ外国に行きなさい〟と言うので、教祖様は〝私にはそんな金も何もないのに外国に行けないでしょう〟と言うと、〝なにいいんだよ、五円持って行けばいいんだよ〟というので、教祖様は五円札を持ってノコノコ出掛けたのです。そうすると途中まで行くと〝直や、もう行かんでもよいぞよ〟と言うので、〝神様はどうして御からかい(ヽヽヽヽ)になるのです〟と聞くと、〝いや、お前がどのくらいワシの言う事をきくか試してみたのだ。だから、もうこれで分ったからいいんだよ〟というわけで、神様が試されたわけです。そのくらいに素直に言う事を聞くという事です。お筆先に「何事も神の申す事に間違いはないから、素直が一等であるぞよ」とありますが、そういうようで、何時も言うとおり、私が何んでもなく言った事でも大変意味がある事ですから、そのとおりにやれば決して間違いはないのです。今度の無肥料栽培も、最初はテンデ耳に入らなかったです。それこそ〝明主様は病気を治す事はなるほど確かに大丈夫ですが、農業の事はそれほどの事があるわけがない〟と思ったらしいのですが、これは時節の事だから、幾ら言っても分るわけがないので、しようがないのですが、そういうようで、漸く思うとおりの実績が上って来たわけで、非常に結構です。

エ.明主様のお言葉を信じられるだけ、その人の腹が大きくなる

(『御教え集』第8号/S27.3.26より)

 そんな様に、私が不断から大きな事を言うけれども、それは著々として実現していきますから、それを絶対に信じて貰えば良いですね。そうすると、その人の腹も大きくなります。どうも、信者さんの考え方と言うのは、どうも小乗的になり易くていけないですね。ですから大乗――と言っても、範囲がなくちゃ、之もいけない。ちゃんと――範囲、言動と言う事はキチッとして――世界人類を救うんですからね。いずれ世界に地上天国と言うのは出来ます。(中略)之らは世界中の人達が拵える事になりますから、大きなものです。

オ.明主様のお言葉通りにやらせるのが一番難しい。

(『御教え集』第9号/S27.4.16より)

 一つの教育ですね。私の言った通りやると言う教育を呑込ませる迄に相当かかるんです。(中略)そんな訳で、こっちの言う通り、どうしてもやらないですね。簡単な事ですがね。(中略)だから一番難しいのは、私の言う通りにやらせるというのが、一番難しいんです。

カ.明主様のお言葉が腹に入っていないから、説明に力がない。

(『御教え集』第27号/S28.10.26より)

 それでおかしく思うのは、信者の人で未だ肥毒に気が付かない人が今までに相当あったようですが、今年からはみんな目が覚めるだろうと思います。(中略)そういう人達が他の百姓に対して説明しても、それは駄目です。自分が本当になってないから説明に力がありません。       

② 天国を造る宗教

ア.楽にすらすらと行くことだけをやり、折れるような難しい事は避ける。人間と神様の考えは違うから、人を救う場合、あまり人間の考えや知恵は出さない。

(『御教え集』第23号/S28.6.7より)

 それでミロクの世という素晴らしい世の中ですから、あんまり汚ない、訳の分らない人間は、かえって邪魔になるわけです。(中略)これは何時も言うとおり、今度の御神業は、人がやるのでなくて、神様がやるのですから、骨を折らなくてできる御神業です。ですから骨の折れるような難かしい事は避けた方がよいです。楽にスラスラと行く事だけをやればよいのです。だからかえって楽で非常によいです。そこが天国を造る宗教としての適ったやり方になるわけです。今までは地獄の中で天国を造ろうとするのですからして、まだまだ天国を造る時が来てないのです。地獄の中で天国を造るのだから、苦心惨憺して非常に骨が折れるのです。人間はそういうのを長い間見て来ましたから、どうしても苦しむ事がよいように、つい思うのです。だから今言ったような事を本当に意識するには、なかなか骨が折れますが、その点はよく気がつくように心掛けて居なくてはいけません。

 (中略)ですからミロクの世というものは、地獄の世界を天国にするのですから、まあ人類肇まって以来の大革命です。これほど大きな革命はないと共に、これほど楽にできる革命はありません。(中略)無血革命でなくて、最も楽にできる革命だからして天国的革命とでも言いますか、そういうようなわけです。(中略)それが霊主体従の法則によって霊界の方がそういうようになって来ます。ですから物質界、現界の方にそのとおりに映って行くというわけです。だからその点においては、傍観していてもよいくらいです。ただ神様から与えられた仕事をすればよいわけです。ぶっつけられた仕事をすればよいわけです。だからその点において、あんまり人間の智慧や考えは出さない方がよいです。たとえば病人が来ますが、この病人を救えばこういうふうになるだろうとか、そういう事は考えない方がよいです。ぶつかって来た人は救えという事なんだから、それはやればよいです。それから嫌ったりする人は、これは神様はお助けにならない人だと考えて追いかけたりしない方がよいです。その方が楽に行きます。それを人為的考え方で、〝この人を救えば大変発展する、信者が沢山できる〟という事をよく考えますが、それがいけないのです。人間に分るわけがないのです。ですから〝こんなつまらない人が〟というのが案外役に立ったり、〝この人は〟と思う人が駄目だったりします。それは人間と神様の考えの違う所です。

イ.左進右退の渦巻きという大浄化作用で残ったものが善。浄化が強くなると助かる死ぬがはっきりし、慢心取り違えをするとはねのけられる。小乗的に物事を決めないで御神書で善悪を判断する。霊体が結ぶと本当の力が出、左進右退に回り始めるのが「力」の字。

(『御教え集』第23号/S28.6.16より)

 霊界ではいよいよ左進右退的活動が始まるのです。そうするとそれはどういう結果になるかというと、火の霊気はつまり火素ですから、浄化作用が強くなるわけです。そうするとこの左進右退の渦巻が一切のものに行って、或る程度浄化されたきれいなものは中にはいれますが、汚ないものは外にはねられてしまうのです。大浄化作用です。ですから残ったものは善で、はねのけられたものは悪ですから、自然に善悪の立別けがついてしまうわけです。それでこの渦巻を自然に通って、はねのけられない人を作るのが救世教の信仰です。あなた方ははねのけられないでしょうが、しかしあんまり漫(慢?)心したり取違いをしたりすると危ぶないですから、そこをうまくやってもらえばよいのです。それで中にはスーッと通る人もあるし、通っても(つか)えたりして、かなり苦しむ人もあります。それでそれが一番現われるのは病気です。これはあなた方が始終浄霊していて、だんだん浄化が強くなって、強くなるとどっちかに片付くのが早くなるのです。助かる死ぬという事がはっきりするのです。これは日のたつに従ってそういうようになって来たという事で充分わかるわけです。ですからこれからは非常に面白くもなるし、恐ろしくもなるし、間違っている間違っていないの結果が早く分るわけです。けれども、私の話をよく聞いて御神書を読んで居れば、そう難かしい事はありません。それで今までの小乗宗教と違って窮屈なやかましい事はないのですから、本当の意味さえ分れば楽々と峠は越せるわけです。一番肝腎な事は、小乗的に物事を決めない事です。というのは、一番分りやすいのは、人間の考えでは分らないと思えばよいのです。ところが小乗的考えの人は、自分で理窟をつけてそれが本当だと思い込んでしまうのです。だから一生懸命にやりながらかえって間違ってしまうのです。(中略)だから良いと思い善と思っている事が、実は神様のお邪魔になる事があります。それは自分の思う事が本当だと思うからです。そう思うという事は実は慢心なのです。だからお筆先には慢心取違いを一番注意してあります。それで〝人民の眼で分るような、そんなチョロコイ仕組は致してないぞよ。神界の事は、分らんと思いたる人は分ったのであるぞよ〟というのがありますが、御神書を読めば何処かしらにチャンとありますから、それさえよく気に止めて判断すれば、別に難かしい事も何もないので、かえって楽なのです。だから間違っている事をやっている人は、骨折ってます。いろんな苦しい事をし骨折ってやってますが、それは間違っているからです。楽々と行くのが本当なのです。それが今までの宗教とは違います。今までの宗教は地獄的宗教であって、天国的に救う事はできない宗教です。というのは力がないのです。救世教は天国を造る宗教であるから、そのやり方も天国的やり方でなければならないのです。結局力です。今までの宗教は力がなかったのです。キリストにしろ釈迦にしろ力がないのです。だから理窟はいろいろうまく説くが、実際の力がないから、本当に救えなかったのです。というのは夜の世界ですから、今までの力は月の力ですから、ごく弱かったのです。(中略)それで力というものは霊体一致すると力が出るのです。今までは霊体が一致しなかったのです。霊体一致という事は、火と水がチャンと結ぶと本当の力が出るが、今までは結ばなかったのです。というのはキリストは緯の教えを説いて、釈迦は経の教えを説いて、離れ離れになっていて結ばなかったから力が出なかったのです。ですから力という字は、経の棒を引いて緯を結んで十の字になっているが、結ぶと初めて力が出るのです。そうして左進右退に廻り始めるのです。ですから力という字は、十の字になって左進右退に廻るのですが、文字は神様が作ったのですが、実によく出来ているものです。 

③ 急所の発見と理窟に合うこと

ア.急所を発見することが人生最大の条件で、信仰もその修行。

(『御教え集』第24号/S28.7.5より)

 何事もそうですが、まず急所です。(中略)ところがこの急所を外れている事が多いのです。これは病気ばかりではないので、日常の事の話や、いろんな事、又宣伝の工合でも、人が〝信仰にはいろうか、どうしようか〟と迷っている時に急所をピタッと言えば、〝では、はいろう〟という事になりますが、その急所を見付けるのがなかなか難かしいのです。しかしその人の智慧正覚が進むと、急所の発見が早くなります。どんな事でもその急所をやる事です。それから急所が見付からない時に、あせってやってはいけません。それはまだ時期が来ないとか、いろいろな事情があるのです。ですから不断心掛けていれば、時期が来さえすれば急所は見付かるものです。ですから病気でも、どうも熱が冷めないという時に、ちょっと急所に来ると冷める事があります。これはあなた方でも経験する事があるでしょうが、急所を発見するという事が、人間人生の最大の条件です。(中略)ですから人間は急所の発見ができるような頭を作る事です。信仰もその修業です。救世教というものはですから、今まではみんなこれが分らなかったのを、これを分りこれを主にして救うという事が根本なのですから、そういった頭で物事をみたり、いろいろやったりすると素晴らしいものです。これはなかなか難かしいですが、せめて急所に近い所が直ぐ分るようになれば結構です。

イ.信仰は理屈に合わなければお蔭がない。急所を外れている事と条件が理窟に合わない事に気づく、智慧正覚を磨く。

(『御教え集』24号/S28.7.6より)

 病気などは特にそうですが、急所の発見という事が一番肝腎なのです。それからこの前も言ったとおり、理窟に合わない事はいけないと言ったが、いくら一生懸命にやっても、その人を浄霊すべき条件が理窟に合わないと、いくら一生懸命にやっても治らないのです。これはこの前話したから大体分っているでしょうが、その理窟に合わないという事の一つの条件というのは、神様の事を知った人と全然知らない人とは大変違うのです。知らない人は大変無礼な事をしても、これは知らないから許されます。ところが信仰にはいって相当たって、知っているはずのところの人が、理窟に合わないとお蔭がないわけです。そういう事もよく考えるべき事です。やってみて、どうしても思うようにゆかないという事は、自分の浄霊の霊力が弱いのだろうとかいろんな事を思うが、そういう事はごく少ないので、本当は急所を外れている事と条件が理窟に合わない事が一番多いのだから、そういう事に気がつくようにならなければならないです。それはその人の智慧正覚です。だからまず智慧正覚を磨くという事が一番肝腎です。智慧正覚が磨けると急所の発見が早いのです。

④ 霊的面の再浄化と、体的面の再浄化

ア.信仰は理屈に合わなければご守護はない。体的面の再浄化は、健康回復に伴って起きる溜まっていた薬毒の排除作用。霊的面の再浄化は、お陰の取りっぱなしでご恩報じをしないための命の召し上げ。

(『信仰の合理性と再浄化』より/「栄光」210号)

 抑々信仰の根本は、合理の二字にある事を忘れてはならない。如何に信仰上もっともらしい説を立てても、道理に合わないとしたら真の信仰とはいえないのである。この意味において神様というものは、理屈に合えば何程でもご守護があるが、理屈に合わなければ如何に拝むとてもご守護はないのである。この点が最も肝心であって、再浄化の意味もこれに外ならないのである。

 さんざん医療を始めあらゆる療法を受けても治らない病人などが、浄霊によって忽ち治ったので喜んで入信することとなる。そして暫くしてから再浄化が起こる人がよくあるが、これはどういうわけかというと、勿論理屈に合っていないからである。即ち医者から見放された病気が、神様のおかげで治ったとしたら、神様から無い命を頂いたわけであるから、どれほど感謝してもし切れないほどであるに拘らず、中にはその当時の感激もいつか忘れて、もはや治った以上それで済んだと思ってしまう。そうなると信仰前と同じでないまでも、感心できない生活態度となってしまうが、それで何事もなければ万々歳だが、どっこいそうはゆかない。というのは長い間さんざん薬毒を注ぎ込まれているため、健康回復に伴い、溜まりに溜まっていた薬毒の排除作用が起こる。これが再浄化である。しかしいつもいう通り右は体的面だけの事だが、実は霊的面の方に体的以上重要な問題があるのである。(中略)

 抑々世の中の事は一切相応の理によって動き、道理に合うようにできている。特に信仰にあってはそれが顕著である。(中略)死を覚悟し絶望的となった重病患者が全治したとしたら、何をおいても力の限り神様にご恩報じをするのが当然であり、これが合理であるに拘らず、忘れるとしたらおかげの取りっ放しであり、恩知らずも甚しいのである。この理を一層分り易く言ってみると、例えば生命の価値を十とすれば、十の感謝ならプラスマイナスであるが、十以上であればその余分だけはプラスになり、神様はその何倍にも当たるお恵みを下さるものである。それと反対に感謝が五とすれば、差し引き五だけマイナスとなるから神様への借金となる。そこで一日も早くお返しすればいが、それを怠るとすると利息がかさんで借金は増えていく。この点現界と少しも変わりはないので、これも相応の理である。そこで借金が溜まってある程度を越えると、神権裁判所から督促や差し押えが来る。これが再浄化であるから、それに気が付き心からお詫びをすると共に、元利合計お払いすれば助かるのは当然である。(中略)我が神慈秀明会はご利益があってから分相応の感謝をすればいいので、至極合理的であるに拘らず、それを怠るとしたら全く人間の方が間違っており、お気付けを頂くのは当然である。それでも気が付かないから命まで召し上げられるので、何処までも不合理は赦されないのである。今一つ肝心な事は、神様が命を下さる御目的はその人をご神業に働かせるためであるから、それを覚って実行すれば健康はますますよくなり、幸福は何程でも恵まれるが、それを裏切るとしたら折角の救いを自分から拒否するわけである。

イ.健康回復に伴う再浄化は、強烈。

(結核信仰療法『毒素の解剖』▼より)

 ここで薬毒についての原理を実地経験によってかいてみるが、浄霊によって一旦治癒した患者でも、しばらくすると再発する事がある。これを吾々の方では再浄化というが、この理由は初めの浄霊は、浄化発生している分だけの毒素が解消されるので一旦は快くなるが、業務につき仕事にかかるや、この時は相当活力も出て来たので、活発な浄化作用が発生する。つまり浄化によって健康になり、健康になるから浄化が発るという訳で、それを繰返しつつ健康は漸次快復するのである。というように再浄化の場合は割合強烈なため、高熱や激しいせきが発る。これは固まった古い痰が出るためで、濃厚なのと薬の臭いでよく分かるが、もちろん食欲不振、衰弱等も加わり、稀には不帰の客となる事もないではない。その率は今日までの統計によると、浄霊で全快した者百人に対し、七人の割合であるから、後の九十三人は完全健康者となって、現在皆活動している。

⑤ 本当に仕事の急所をやる人ほど頭を使うが動かず、部下や新しい信者にやらせるとうまくいく。

(『御教え集』第27号/S28.10.6より)

 霊体を説明するには掌が一番よいです。手の平はいろんな役をし手の甲はあんまり役をしません。手の平は体の方です。ですから霊というのは目で見てはあんまり動いてないのです。その代り主にはなってます。人間の体で言えば、背中は霊です。それで背中の方に病原(源?)があるという事は、背中の方が(もと)だからです。だから本当に仕事の急所をやる人ほど動きません。下の方の事をやる人ほど動くのです。ところが霊を知らないで体だけで見るから、そこで労働者が威張り、労働者が肝腎だという事を言い出し、それが共産主義です。(中略)それは体だけであって、主なる霊という事を無視しているために永久性がないから、共産主義というのは長く続くものではないと言っても、外れません。そういうわけで働いているのが目に見えない者ほど、かえって大きな働きをしているわけです。だから主人公や主脳者というものは動いてはいけないという事を私は前から言っているのはそういうわけです。よく、明主様は地方の方にはお出かけになりませんか、と言われますが、それは車の心棒の例えで、心棒は動いてはいけないと言うのですが、それで分る筈です。(中略)昔から、戦争で大将などが先に立って采配を振ったらきっと負けます。やっぱり大将は幕の内に引込んで、姿を見せないというやり方の方が勝ちます。それはやっぱり霊主体従の法則に合っているからです。(中略)そういうように、目に見えて働いたり動く事を良いと思う事は逆なのです。だから教団の支部なども、支部長があんまり先に立ってやるよりか、部下とか、或いは新しい信者といった人にできるだけやらせるというようにした方がよいです。(中略)平和的の事をやるには、今言った法則を守らなければいけないわけです。だからただ活動する、あせったりいろいろするという事がよいわけではなく、やはり自分の地位と境遇に準じて理窟にあったやり方でなければいけないのです。だから骨折ってうまくゆかないという事がよく世間にありますがそういう点をよく見ると分るわけです。(中略)そうかと言って(なま)けるのと、今言う霊的働きとは、外観はちょっと同じように見えるので間違えるのでしょうが、そこに面白いところがあります。結局頭を働かせるという事です。それから体を働かせるという事も、人間生まれながらにして自ずから決まっているのです。だから頭を働かせるべく生まれた人と、体を働かせるようにできている人と、喋るために生まれて来た人もあります。あいつは口から先に生まれて来たと言いますが、やっぱりそういう人が政治家なら始終演説をするとか、宗教家なら講義をするとかで、そういう人も肝腎だから、その役目でよいのです。

⑥ ご神体をご奉斎していると病気が早く治る。

(昭和10年10月11日)

 病気治しについて、観音様を奉斎さしておいて治すのと、そうでなくて治すのとたいへんな違いがあります。本部へ来る人でも、観音様を奉斎しなくてやると長くかかり、奉斎した人は非常に短くてすむ。それが実にはっきりしている。まして医療士の方などがする場合、特にお祭りするとしないとの違いさはたいへんなもので、少なくとも三倍は違う。風邪とか腹下しくらいはよいが、少し慢性になると、どうしても観音様を祭らせなければいけない。お祭りさすと非常に楽であります。それでこちらも先方も助かるわけであります。というのは、以前話したこともあるが、お母さんは真宗に凝って、とても頑固で観音様をお祭りしない。観音様をお祭りするくらいなら、治してもらわぬと言う。娘の病気は治らなくてもいいかと言えば、治らないなら娘一人くらい犠牲にしてもいいというふうで、その娘は掌の指が曲がっていて、合わすとピタリと合わなくなっている。また、座ると足が曲がらない。阿弥陀さんは外国の仏様で、日本人が拝むべきではない。その娘はここへ来て治療すると、踵(かかと)が三分か五分くらいつくようになる。それが翌日来るとズーと離れている。また、短縮して家へ帰るとまた戻るのです。阿弥陀さんは夜の仏様ゆえ、それをお祭りすると家が暗くなる。いくら光で治してもまた暗い所へ行くから戻る。それでこの間は、観音様をお祭りしなかったらしようがない。どうしてもお祭りしなければ、その病気は駄目だと言ったんで、それっきり来なくなったんであります。

⑦ 順序を守る

(S10.10.11)

 今日もこういう人が来た。非常に商売が忙しいが、いくらやっても結局肝腎のところへ行くと駄目になってうまくゆかぬ。で、原因が判ってみると、その人の家には不動様を外に、弁天様を内に祭ってある。弁天様は龍ですから外に祭り、不動様は内へ祭るべきものであります。それでものが逆になって行く。それでは力が足らぬから、観音様をお祭りするよう奨めたわけです。それでお受けして行ったんですが、順序が違うとその通りに行く。観音様を祭ったり祭らしたりするのに、他の神様が上になると、どうしてもそれ以上お力が出ないから御利益も薄い。それで順序とか障りとか、気をつけるとたいへんな違いであります。

 神仏でなく人間でもそうで、奉公人を二階へ寝かし、主人が下へ寝るようでは、その奉公人は必ず言うことをきかぬ。これは子供を上に寝かしてもそうで、妻と夫が寝る場合でも部屋にも上座下座あり、上座のほうへ奥さんが寝るのは違う。病気を治すのも治療する人が上座へ、下座へ病人をおくべきもので、私はどこの家へ行っても上座に行く。本当は宣伝の場合もそれでいいが、場合によってはそうはいかぬ。時と場合によっては下座にもなる。そこは千変万化で、臨機応変にやって行けばいいが、原則としてはそうであります。

 しかし、 病気を治す場合は絶対的に上座にならなければならぬ。

⑧ 信仰姿勢についての事例

ア.霊界は意志想念の世界。仏壇へ飲食を上げる場合、人にやらせたり、義理的に上げたりすると何にもならない。

(『憑依霊の種々相』より/『霊界叢談』)

 其頃小山某なる三十歳位の青年があった。此男も霊媒として優秀なる資格者であった。(中略)その中の興味あるものを選んでかいてみる。

 或日憑依した霊は数ヶ月前死亡した近所の酒屋の親父で、非常に角力が好きであったとみえ、憑霊するや肘を張り、四股を踏み、「サア、どいつでも掛って来い。俺に(かな)ふものはあるまい」といって威張るのである。(中略)

 又或日の事である。老人の如き霊が憑依したので、聞いた所、「俺は此肉体の伯父に当る者で、埼玉県の百姓であるが、俺は酒が好きで堪らないから此肉体に憑いて酒を飲むんだ。」といひ酒を要求するのである。(中略)

 右の老人が出ると入れ替って又何かが憑依したらしく頗る慎ましやかな態度である。聞いた処「妾は近くの煙草屋の娘で○○といふ。今から二月ばかり前に死んだものですが、竹ちゃんが好きだったので(此男の名は竹ちゃんといふ)今晩来たのです。」といふので、「何か用がありますか?」と訊くと、「喉が(かわ)いて堪らないから水を一杯頂戴したい。」といふので私は、「未だ新仏である貴女は毎日水を上げてもらうんでしょう。」といふと「ハイ、上げてはもらひますが呑めないのです。」といふので私は不思議に思ひ、再び訊ねた処、彼女曰く「水を上げる人が私に呑ませたい気持などはなく、ただ仕方なしお役で上げるのでそういう想念で上げたものは呑めないのです。」との事で、「成程霊界は想念の世界」といふ事が判った。故に仏壇へ飲食を上げる場合、女中などにやらしたり、自分であってもお義理的に上げるのでは、何にもならない事が判った。彼女の霊に水を呑ませると、うまそうに都合三杯のんだのである。

<事例1> お守は湯に入る時だけはずして、あとは絶対にはずしてはいけない。

(『御教え集』第4号/S26.11.8)

(お 伺) 妻前田こずえ(五十三歳)昭和十八年以来御浄霊を戴いて居りますが、十三年来の中風が段々と重くなり、最近は歩行も不自由になり痩せて参りましたが、何分にも(しも)の方の不始末で困り居ります。以前御伺い申上げましてから、前後頭部と延髄に重点を置いて御浄霊させて戴いて居りますが、之は一家中の悪因縁を背負って呉れて居るものと存じ、大切にして居りますが、(しも)の不始末の為に粗相があっては申訳ないと思い当人の御守様は大光明如来様の御神前に起き、掛けさせて居りませんが、之でお許しが戴けますでしょうか。又、妻に此の様な事がありますのは、未だ私の信仰の度合が薄い故で御座いましょうか。御浄化のうちと心得て宜敷う御座いましょうか。

〔御 垂 示〕

 いけないですね。飛んでもない間違いです。そんなに汚ごす事はないじゃないですか。大小便でしょう。お守をそんなに下迄やる事はない。お守は掛けなければいけない。掛ける為に戴くんですからね。紐がついていると言うのは、掛ける為なんです。それでなければ御守護戴けないですよ。よく、勿体ないと言って掛けない人があるが、之程間違っている事はない。お守は湯に入る時丈けはずして、あとは絶対にはずしてはいけない。お守ですから、一時も離してはいけない。よく、怪我したりする時は、きっとお守が原因ですね。この人もそれですね。根本問題は、お守をはずしている事ですね。固まりが溶けて来たんですが、こんな事はない訳ですがね。悪因縁を背負っても、やはり神様に、それを取って戴くんだからね。もっと治らなければならない筈ですがね。今言った様に、お守を掛けさせる事と、それからお守を汚ごす様なら、神様が汚ごさない様にして呉れます(。?)それから、浄霊に力が入り過ぎるんだね。こう言う人は、そういった肝腎な事を考え違いしている(。?)浄霊の力を入れてますね。力を出来る丈け抜く事と、お守と、頭を始終やっていれば、もっと良くなります。それから、首の横の両方を見て御覧なさい。固りがありますから、それを良く溶かす。それから、尾骶骨を良く溶かす。それを主にしてやって御覧なさい。もっと良くなって来ます。

<事例2> 頭痛や発熱が長かったら浄化で、この信仰によって大いに救われているから楽しみにするという真理を教師はきちんと教える。入信したのに注射するのは悪い。

(『御教え集』第8号/S27.3.16)

 (お伺) 船橋博(昭和二十六年十月入信。二十五歳)本年二月十一日突然悪寒が致し、四十度位の熱があり、後頭部が痛み腰がふらつき、医診で急性肺炎との事にて注射を一本打ちましたが効果なく、御浄霊にお縋り致しました。十三日に会長先生の御浄霊を戴き、熱も下り食事も少し戴ける様になりました。十五日再発熱、後頭部及び左の背中が痛み、咳を致しますと特に苦しみます。以前に打撲の時に湿布にて固めております。二十一日迄余り食事は進まず、体も衰弱して参り、其夜御浄霊戴き楽になり、一膳半頂きました。二十三日に光明如来様御を(を御?)奉斎させて戴き、その折寝汗が多量に出、悪寒が致しました。十二日より頭痛がし、翌日午後より発熱し、後頭部及び背中が激しく痛み、左耳下腺が腫上り、御浄霊にて楽にさせて戴きました。現在右耳下腺が固く、起上ると眩暈が致し、寒気が致します。入信前に両眼共底翳の初期症状となり、眼球注射を射っております。又、先に打撲した折にストレプトマイシン及びペニシリン二十本程射っております。御浄霊の個所を御教示御願い申し上げます。今後如何させて戴きましたらお救い戴けますでしょうか。

〔御 垂 示〕

 二十六年入信して、それで注射したんですか。しようがないな。お救い――もう救われているじゃないか。頭痛がしたり寒気がしたり、汗が沢山出たりするのは、大いに救われているのですよ。こんな結構な事はない。急性肺炎となってますが、急性肺炎は良いですよ。この位有難い浄化はないですよ。頭が痛くて熱が長かったら、大いに喜んで楽しみにして居なさい。浄化だからね。その真理が解るのが、この信仰のお蔭です。それが解らなかったら駄目です。教修の時に教わらなかったのかね。本を良く読みなさい。こんな結構な事はないですよ。それで身体がすっかり掃除されて健康になるんですからね。之は、もう救われているんだから、喜んで待って居なさい。浄霊は苦しい処をやれば良い。之は、先生が良くこう言う処を教えなければ駄目だね。

<事例3> ご神体をお祀りしなければ未だ信仰に入っていない。自然を忘れて屋根藁を堆肥にする間違いをした。薬毒の浄化は幾度も治っては悪くなりを繰り返すから、気長に。

(『御教え集』第8号/S27.3.16)

 (お伺) 前川鶴一、今月一日より胃部と肺部が同時に痛み出し、長い時は七、八時間激痛があり、御浄霊一時間位で鼠蹊部の方に下り、楽になり、下痢を致します。痛み出す前には臍の上部が固くなって参ります。一昨年十一月より昨年四月迄、今年よりは軽い御浄化を戴いており、其節御垂示戴き「薬毒だから長くかかる」との御言葉で御座いました。之は二カ月程で全快致しました。二十三年三月入信。大光明如来様、御屏風観音様を御奉斎、御資格を戴き、自宅でお道に御奉仕させて戴いております。尚、左下腿切断致して居ります。父は胃潰瘍で死亡しております。本人は戸主で御座いますが、妹に養子をとり家を出ており、生家も父のお祀りを致しております。生家の養子も入信致し大変協力致しておりましたが、昨年六月自然農法を致し、村人や親戚の反対に興奮状態で居ります時、古寺の整理があり、屋根藁を堆肥にすべく買取りましてより、精神異常となり、親戚が入院させましたが一週間で退院致しましてより、信仰を強制的に()めさせられ、御屏風観音様もお祀り出来ず、本人がお預りさせて戴いております。生家又は父の霊と関係が御座いましょうか。今後の処置及び御浄霊の個所に就き御垂示御願居申し上げます。

〔御 垂 示〕

 屋根藁を堆肥に――之は一寸いかんですね。可哀相なものだな。この屋根藁なんて、大変間違っているですね。つまり自然と言う事を忘れるんで、こう言う事になるんですね。若し屋根藁が堆肥にして良い物なら、之から方々の屋根藁を取って堆肥にしなければならない。大変な事です。やはり、こう言う事は大変間違っている。片っ方の足を切断しているんですね。

  「左様で御座います」

 兎に角廻りで反対しているんでしょう。

  「亡くなった父と関係が――」

 お父さんの霊とは関係がありませんよ。

  「入信戴いた時薬毒が――」

 そんな事は良いけれども、現在本人は家に居るんですか。

  「左様で御座います」

 精神病と言うのは誰ですか。

  「実家の妹の主人で御座います」

 精神病はこの人と何う言う関係があるんですか。

  「生家の妹の婿で御座います」

 信仰に入っておりますか。何時ですか。

  「入っておりますが、判りません」

 精神病の居る家は、側が反対しているんですか。

  「親戚が反対で、御屏風観音様を前川鶴一がお預りしております」

 夫婦二人切りで、亭主が精神病ですね。光明如来様は――。

  「未だで御座います」

 それじゃしようがない。妹と言うのは信仰に入っているんですか。

何時ですか。大体で良いですよ。

  「大体、二十三年頃と思います」

 然し、未だ信仰に入ってないじゃないですか。光明如来様をお祀りしなければ、信仰に入ってないんですね。屏風観音様は止したんですね。

  「左様で御座います」

 それじゃ治りっこない。それは、あなたが浄霊に行っているんですか。

  「致しておりません」

 浄霊しなくて尋ねるんですか。

  「前川の御浄化と精神病と関係が――」

 関係ない。薬毒ですよ。先に薬毒と言ったでしょう。だから、やっぱりそうじゃないか。長くかかると言ったんだろう。その通りですよ。聞く必要ないですよ。だから一旦治ったが、それは治ったんじゃなくて、一時的なんだから、こう言うのはやはり幾度も、治っては悪くなり、治っては悪くなるんです。薬毒だからね。だから痛い処を浄霊すれば良いんだからね。痛い処に浄化が起こったんだからね。気長にやれば良いです。

<事例4> 入信五年たっても御神体未奉斎という心がけだからご守護がない。後頭部に内出血が固まって、智能的な機能の発育が不全。

(『御教え集』第7号/S27.2.6)

(お 伺)矢島ヒサ(二十二年入信。十歳)二十一年九月、三尺の処より落ちて、後頭部を強打失神致しました。一週間後より発熱し、その時薬名不明の注射をし、それより激しい引附けを絶えず繰返し、死の一歩手前迄参りました時に、御浄霊を戴き救われましてより、めきめきと良くなりましたが、五カ月目頃より再浄化戴き、その状態は死の断末魔の様相で、全身冷く、紫色に硬直し、顔面は引吊り、正視出来ない様な状態で御座いましたが、御守護戴き最近は体も暖かくなり、血色良く、特に顔色は綺麗になり、体格も普通の子供より良い位で御座いますが、智能は二、三歳位の幼児と同じで御座います。家中入信させて戴いており、御屏風観音様はお祀りさせて戴いてを(お?)りますが、御神体は未だで御座います。薬毒の為で御座いましょうか。又は、何か霊的関係が御座いましょうか。御教示の程御願い申し上げます。

〔御 垂 示〕

 之は薬毒ではありませんね。薬毒でこう言う風にはならないですね。やっぱり、後頭部を強く打って、その内出血が未だ固まっているんですから、智能的な機能が発育不全になっているんですね(。?)ですから、後頭部を良く浄霊すれば良いんです―気長にね。そうすれば段々良くなる訳ですがね。丁度、やっぱり霊が憑ったと同じ様な症状になるんでしょう。で、御神体をお祀りしなければいけませんね。之が根本だからね。御屏風観音さん丈じゃいけないですね。早速御神体を御祀りして、後頭部を浄霊すると治りますよ。二十二年に入信して居て、今以て御神体をお祀りしない様な事じゃいけませんね。その心掛けが、やっぱり御守護戴けないのですね。やっぱり何処迄も、やる丈の事はやって――そうしてやらなければ、御守護が薄いですよ。

<事例5> ご神体をお祀りしておらず、信仰が間違っていたからみんな注射でやられた。薬が溶けると、腎臓も腫れるが、全身が浮腫む。食事中毒という病気はない。

(『御教え集』第8号/S27.3.16)

 (お伺) 渡辺テル子(昭和二十四年五月入信、二十八歳)二男幹男(二歳)は医師に食中毒と言われ注射一本射ち、其後ヨチヨチし乍ら上り段より落ち、元気がなくなり、やつれて発病後四日目に死亡致しました。尚、三男明信(出生五十日)が急に意識を失い、注射二本射ち二時間後に死亡致しましたが、御浄霊戴き死後一時間して生返り、三時間後に息を引き、二時間後に又生返り、翌日十一時頃死亡致しました。其後会長先生より御指導戴き信仰の間違を御注意戴き改心致しております。家が汚なく、みずぼらしい為に一時も御神体を御奉斎出来ないとの事で、早速家を探しました処、適当な家が御座いました。子供が死亡してより段々心臓強心的な痛みを起し息切れを致し、会長先生の御浄霊を戴き大変良くなりましたが、最近具合が悪く顔、手足、腹が膨れて参り、先月十八日御守護御願をさせて戴きました。御浄霊の方法を御教え賜り度く御願い申し上げます。

〔御 垂 示〕

 食事中毒なんて病気はありませんね。食事で中毒しても一日か二日で治っちゃう。死亡――之は注射だな。注射の為に椅子から落ちて、打ち処が悪かったんですね、みんな注射でやられたんですね。之は未だ入信前だね――信仰に入っていたんですか。可笑しいな。未だ御祀りしていなかったんですね。御注意戴き――解って良かった。その人は来ているんですか。何の人ですか。中々しっかりしているじゃないですか。之は大した事はないですよ。今苦痛は――腫れているんですか。

  「多少腫れております」

 薬は今迄何の位――

  「以前に服薬、注射を相当致しております」

 その浄化ですね。薬が溶けると、みな浮腫みますからね。腎臓でなくてね。腎臓も腫れるんですが之は薬が溶けて腫れるんです。御浄霊の方法――方法は始終教えている。個所ですか。方法と個所は違う。之はあなたがやっているんですか。

  「家族が致しております」

 方法はあなたが教えてやったら良いですよ。個所は腫れている処とか、痛みとか熱のある処とか、其処をやれば良いんだからね。之は治りますよ。

<事例6> 指導者を失ったからと一時信仰を離れたのがいけない。

(『御教え集』第3号/S26.10.5)

(お 伺) 妻美彌(四十三歳)は二十年前に長男出生後一年で婦人病に罹り、数年間医師の治療を受け、良くなりましたが、昭和二十一年春より肺尖カタルに罹り、衰弱していきますので困って居りました処、本教を知り私が入信し、一年間御浄霊を続け殆んど健康状態になりました。其後指導者を失い、お守様も神棚にあげて数年を過しました。其間昭和二十三年に、永らく子供が無かったのが、妊娠し臨月になるにつれ腎臓炎を起し医療を受けましたが、死産し、其時腹部を氷冷しました。その後は丈夫になり、死兒はお祀りしてあります。昭和二十四年春より頸部淋巴腺が腫れ上り、医師よ薬よと迷って居りました処、翌年二月滝先生の御指導を得、妻も入信致し、御浄霊を続けて半年程で丈夫になりました。本年八月十五日箱根に御参拝させて頂き、帰ってから腰部の痛みを感じ、諸先生方に御浄霊を御願いして居りましたが、段々痛みは激しくなり八月末から九月にかけて、毎夜八時頃より十二時頃迄、腰部全体に激痛が波状的に起り、苦しみます。御浄霊を戴くと楽にはなりますが、毎日斯る状態を繰り返して居ります。昨今は食事も殆んど摂りませんので日々衰弱していきます。熱は三十七、八度を上下して居ります。昭和二十五年八月御屏風観音様を、十二月に光明如来様を奉斎させて戴きました。如何致しましたらお救い戴けましょうか。

〔御 垂 示〕

 指導者を失い――と言うのが大変な間違いですね。指導者を信仰しているんじゃないんだからね。之が抑々の間違いで、こう言う事をすると、どうもいけない。あとが中々取れない。肺炎カタルが兎に角健康状態になったと言う事は非常なお蔭ですから、尚一層信仰に強くならなければならないのに、指導者を失いと言うのは、あべこべです。然かも二十三年に、永らく子供がなかったのに妊娠――と言うのですから有難いんですね。それでも気がつかないので――医療を受け死産した。態々自分で悪い様に悪い様にしている。その後、氷冷――之も悪いですね。頸部淋巴腺――先に之(浄霊)で肺尖カタルが治ってい乍ら、医師よ薬よ――と言うのはおかしい。頭が何うかしている。之は、つまりやりそこなったんだから、取返えすんですが、やりそこなって、あとで取返えすのは中々簡単にいかないんです。一時御守護が切れますからね。やはり、救いの綱に摑まって居て、離したんだが、今度摑まっても中々簡単にいかない。衰弱――之が悪いんですね。病気の方は治るが、治る迄に衰弱で体が持たないとしようがない。腎臓と後頭部の毒が下に下るので、腰でも――腎臓ばかりじゃないですよ。腎臓の方は知れたものです。こう言う痛みは、後頭部を良く浄霊すると良い。食事が摂れないのは熱の為です。腰から上の方――背中も相当に毒がありますから、背中も精々浄霊すると、治る訳ですがね。腰と言うが、腰だけじゃ駄目です。上の方を肝腎にやらなければならない。後頭部から背中にかけてね。

<事例7> 入信後にご無沙汰したからご守護がなかった。産後は非常に霊が憑りやすい。御神体、観音様ご奉斎、御神書拝読、参拝が必須。

(『御教え集』第4号/S26.11.18)

(お 伺) 山口いち(二十八歳)昭和十九年入信後嫁入り致し、四年間程御面会も戴きませんでした。一昨年女児を産みましたが、子供はメレナで死亡し、本人は産後が悪く四十日間床に就いて居りましたが、母親や近所の信者さんが御浄霊させて戴き全快致しました。本年又妊娠致し、至極丈夫でしたが本月五(、?)六日頃より少々脚に浮腫みが来、九日にお産致しましたが、極く軽く済み、下り物は少しもありませんでしたが、直ぐに足がひどく浮腫んで(主に左足)翌日に紅く腫れ上り、痛み激しく、その翌日は「火ブクレ」の様になり、忽ちくづ(ず?)れて方々が、赤、青、白等に色どられ、丁度火傷のくづ(ず?)れの様になり、その傷口から水が沢山出て居ります。医師も原因不明と言い、ペニシリンを打って帰りました。産婆も初めてだとの事です。私は四日目に迎えに来られて出張致し「之は霊的でしょう」と申しますと、産婆は、自分の枕元に髯ボーボーの老人が立ちスーッと脚の方に廻って、悪い方の足を持上げる様にしたそうです。近所の老人に聞きますと、その家は三代目で、先々代がつぶれ屋敷を買って建てたものだが、前の家の隅に掘立小屋を作り、一人の老人が住んで居り、脚が悪く杖に縋って歩いていたが、何時の間にか何処かえ(へ?)行って了ったとの話です。多分癩病だったのではないかと思われます。三回程御浄霊をさせて頂きますと大変楽になりました。右は癩病になって了ったのでしょうか。それ共、一時的で直き治して頂けますものでしょうか。尚、その家の娘も嫁入りしてお産しますと、急に頭髪が抜けて一時はツルツルになりましたが、放って置いて、近頃は生えて参りました。

〔御 垂 示〕

 之は、入信後四年間御無沙汰したと言う事の為に、御守護がなかったんですね。それで、メレナで死んだと言う事が、そう言う訳ですね。四十日間――之もそうだ。御浄霊で治った――之は結構だ。脚に浮腫み――之は妊娠腎ですから何でもないですがね。軽く済み、下り物がなかったのがいけない。之がおかしいですね。普通、うんと下りなければならないが、下りない為に、足が浮腫んだんですね。古血ですね。翌日は紅く――と言うのは、古血が出なかった為に、足にいった。出ないと言う事が少しおかしんですがね。之が、或いはじいさんですね。じいさんの霊が憑ったかも知れない。と言うのは、お産をしたあとは、非常に霊が憑り易い。貧血する為にね。だから、産後におかしくなるのがありますが、その為です。出るべき血が出なかったので足に来た。色どられ――丁度癩病の様だね。じいさんの霊も障ってますがね。足の方から――之は救われたいんだね。之は心配ないです。何でもない。癩病になりっこないから心配ない。癩病なんて、そう言う事でなるものではない。癩病の霊が憑るとそうなる事がありますが、一時的なもので、長くなるものではないから心配ない。こゝは、光明如来様は未だでしょうね。

 「未だで御座います」

 光明如来様をお祀りして、屏風観音さんもそうですが、じいさんですね。この霊を救ってやるんです。光明如来様をお祀りする事と、お嫁さんが出来る丈け、御神書を読む事ですね。それで良いですね。それで、時々月に一ぺん位は中教会――支部に行かなければならない。それで、出来たら一年に一回か二回は本部に――此処に来なければいけない。大した事はない。他人の霊ですからね(。?)すっかり解決つきます。

<事例8> 祖先以来のメグリが沢山あって一家断絶位の運命だった。入信しても罪穢の半分位は取れないから未だ不幸があったが、打ち切りとなった。一生懸命に人助けをして徳を積むとだんだん良くなる。

(『御教え集』第7号/S27.2.7)

(お 伺)村原政直(二十七歳)十歳の時父は三十九歳で生活苦の為頚動脈切断自殺、次男の弟は空襲で機銃弾にて左腎臓盲貫で死亡。間もなく母が脳溢血から中風を患い、二十二年九月頃より御浄霊を戴いてを(お?)ります。同年十一月私が入信させて戴き、翌年一月弟妹が入信、二月に母と其妹と嫁先の姉が入信させて戴き光明如来様、御屏風観音様を御奉斎させて戴きました。母は御浄霊を戴き乍ら眠るが如く他界(二十三年十一月)致しました。翌年八月より妹が、以前頭部に打撲傷を受けたのが再発し、又肝臓の御浄化を戴き、本年に入って又弟が心臓の御浄化で死亡(十月)妹も十一月に死亡致しました。二人共御浄化中何よりも水を欲しがり、吐く位飲まぬと収まらず、特に妹は死ぬ二日前に、何も思い残す事はないが水をバケツ一杯飲みたいと言ってを(お?)りました。考えて見ますと、入信以前に屋根に青大将が居たのを殺した事が御座います。弟妹の死は、何か霊的関係が御座いましょうか。尚、親類は浄土宗の信者で、お道に反対で、会う度毎に信仰を()めよと迫ります。今後この儘で宜敷う御座いましょうか。御教示の程御願い申し上げます。

〔御 垂 示〕

 吐く位――之は蛇の霊ですね。今の儘で良いんですがね。一生懸命信仰をして、人助けをしなければいけないですね。ここの家は、祖先以来の「メグリ」が沢山ありますからね。こう言うのは、もう一家断絶位の運命になっていたんですよ。それを助けられたんだからね。やっぱり入信したからと言って、直ぐ全部罪穢れが無くなってしまう訳じゃないんだから、まあ――半分位はどうしても早く取れない訳ですね。それで、あと未だ不幸があった訳です。然し、こんなもので不幸も打切りになったらしいですね。それから、水を飲みたい――之は青大将を殺したそれがくっ憑いているんですよ。つまり居所がないからくっ憑いちゃうんですよ。やはり祖先ですがね。そう言う場合もそこの家の「メグリ」が減って浄まって居れば。(、?)そう言うのが憑いたり、害をしようと思っても、力が出せないんですがね。こっちにそれ丈の弱味があるからね。それで、霊に自由になっちゃうんですよ。まあ――一生懸命に人助けをする。そうして徳を積むんですね。そうすると段々良くなりますよ。こう言う家は沢山あるんですよ。

<事例9> 以前より浄化が強くなったから薬毒が早く出る。背中の固まりを早く取る。ちょっとでも食欲が増したら峠を越した。ゲンノショウコをたくさん飲んだ人は助からない。

(『御教え集』第3号/S26.10.5)

(お 伺) 一家入信、御神体、御屏風観音様も御奉斎させて戴いて居ります。此度の父の浄化に就きお伺い申し上げます。

 五十四、五歳頃迄は時折風邪を引く程度で、学校も無欠勤で御座いました。三年程前に空腹になると胃部に痛みが起り、食べれば止まる状態で当時「わかもと」「ノルモザン」「ともさん」等服用。又歯槽膿漏の為アルバヂル、ヂセプタール等の売薬を服用致して来ました。其後下痢の浄化を極度に恐れ、下痢をとめる為に濃い「げんのしょうこ」を服用し続け、下痢は止りましたが顔色悪く食慾なくなり、医薬の恐ろしさを知り御守様を二十四年一月拝受致しました。其後三年間、今日迄御浄霊を毎日続けて居ります。この間御浄化は緩慢でしたが、痛まない日は御座いませんでした。併し御浄霊を戴き大変楽にさせて戴いて居ります。去る九月二十七日頃から腹痛激しく、十月一日から特に強い浄化を戴き、二日からは吐き気を催し、殆んど連続的な腹痛にてうめき通しにて、毎日四、五回薄茶色の水を多量に吐きます。食事をしないのでリンゴ汁等御霊紙、御饌米等共に戴きましても、全て嘔吐致します。四日夕刻は吐いた水は茶褐色の泥状のもので、お小便も茶色になりました。現在は激しい胸焼けと腹部全体言い様のない苦しさで御座います。

 右御垂示賜り度謹んで御願い申し上げます。

〔御 垂 示〕

 学校に行っていた、と言うと――先生かな。之は薬毒ですよ。「わかもと」「ノルモザン」「ともさん」は大した事はないが、「アルバヂル」は悪いんですよ。「アルバヂル」を少し続けて飲んで死ぬ人は沢山あります。非常に悪い。それから、げんのしょうこ―之が一番悪いですね。「げんのしょうこ」は自殺ですよ。あれを沢山飲んだ人は結局治らないですね。私は、昔そう言う人を沢山やったが――だから「げんのしょうこ」を沢山飲んだ人は請負わないでやれと注意した事がある。この人は薬毒の浄化ですが、以前と今は、浄化が強くなって違ってますから、早く出る。この人は大分早く出ているが、治らないとは言わないが、吐いたり出したりして命が持てば治ります。衰弱さえ旨く耐えれる様にすれば、きっと治ります。

 食事は普通ですか、流動物ですか。

 「何も食べません」

 非常に良くないですね。浄霊は背中を多くやるんですね。背中に固まりがある。それで背中の毒が溶けて胸に来るんですからね。最近の力を入れないやり方でやっているんでしょうね。動かしては駄目ですよ。そうして、力を入れないでやれば溶けが早いですからね。前は水落が良いです。下痢はどうです。

 「全然便秘して居ります」

 「げんのしょうこ」は何の位服んだ。期間は。

 「十日位で御座います」

 之は薬毒ですよ。今言った通り、手を動かさないで、力を抜いて、背中を触ってみて一番固い処、そこをやる。肩は。

 「柔かいのです。凝った事がないそうです」

 それじゃ、大体丈夫な体ですよ。

 「薬は入って居らず、予防注射位です」

 それだから持っている。大体この年になって肩が柔らかいのは健康だね。今の様なやり方でやって、一寸でも食欲が出たら峠を越したと思って良い。

 「名前は如何で御座いましょうか」

 ()角峰吉――名前は良いでしょう。玄角(カネ)子――カネと読むかね。あなたの系統は中々大変なものですね。いずれ、あなたの名前は変えた方が良いが、今の処は別に何うと言う事はないから、今言った通り、浄化が強いから案外早く溶けて、越すかも知れないですね。兎に角原因は背中の固まりですから、それを早く取る様にして、出来るだけ何回でも良いからやって、背中の固まりを取る様に。

<事例10> 父親も母親も一生懸命に信仰させたい祖霊のお気附け。霊界の浄化が強くなり、信者だから固まらず、悪影響も厳しい。

(『御教え集』第4号/S26.11.5)

(お 伺) 信者北沢文治の長男邦男(一歳八ヶ月)は十月三十日頃より風邪気味にて身体全部に赤発疹が出来、親達は「ハシカ」ではないかと思って居りましたが、三十一日朝頃より、余り泣かず唯口で呼吸をし、起きようともせず寝ていますので、何うした事かと心配になり、十一月一日支部に連れて来ました。その時は相当に熱もあり、鼻汁が出て、お乳も飲み(にく)い様でありました。浄霊を戴いて帰ってから、大変濃い鼻汁が沢山出る様になりました。翌日支部に連れて来た時は、全然熱はなく、相変らず言葉も出ず、泣く事もなく眠って居る様な状態で、時々(うつろ)(うつろ)?)な目で見開きする程度にて首のまわり、後頭部、腎臓部など良く御浄霊致しましたが何等変化なく、昨日はお乳も飲みそうにせず、たゞうとうと眠って居る許りです。一昨日頃迄は、多少の下痢もありましたが、それもなく不絶放屁して居ります。父親は二十二年二月入信致し、光明如来様を御奉斎させて戴いて居ります。初めのころは、教導師補の御資格を戴き、布教に努力致して居りましたが、、( ?)父母弟妹が非常に反対なので、御用も思わしく出来ず、今は長男であり乍ら別居致して居り、ゴム裏、草履製造業を営んで居ります。母親は二十五年十一月入信致しました。丁度、昨年母親が肋膜の御浄化を戴き、御浄霊にて健康にさせて戴きましたが、その発病日と子供の発病の日と同一であったとの事です。右は、何か霊的の関係が御座いましょうか。又御浄霊は何処を主にさせて戴きましたら宜敷いでしょうか。

〔御 垂 示〕

 やっぱり祖霊ですね。之は、祖霊が早く神様の事――御神業を一生懸命にやって貰いたくてしょうがない。だから、御用も思わしく出来ず――と言う之ですね。之で、祖霊が非常に困っちゃった。母親が入信したのは結構だが、唯入信した丈けでは駄目だ。最初母親を信仰に入れたい為にこうして、今度は父親も母親も、一生懸命に信仰させたい為のお気附けです。よく、それを心から解ってお詫びするんです。そうしないと、之は或は死ぬかもしれないですよ。祖霊さんは、こんな事じゃ駄目だと思って、一人亡くしたらば目が醒めるだろうと言う様にして――之は危ぶない処です。だからお父さんもお母さんも、一刻も早く目が醒めて、よくお詫びして、之から一生懸命に神様の事をさせて戴くからお許しを戴きたいと言う事を、神様にお詫びして、それから祖霊さんにもそう言う風にする。そうすると、直き治ります。それで、早くそうしないと、霊界に居る祖霊が救われないんですからね。段々最後が来るに従って、祖霊さんは気が気じゃないですよ。

〔御 教 え〕

 (中略)つまり、霊界の浄化が強くなっているから、B・C・Gが今迄固まったのが、固らなくなったんですね。この子供なんか信者だから固らない訳ですね。だから忽ちこう言う悪影響が来たんです。ですから、段々薬が固まらなくなるから、今迄なんともなかったのが悪化する事になるから、嫌でも薬毒と言う事が分って来る訳ですね。

<事例11> 浄霊で救ってもらった以上、明主様のお言葉通りにしなければ救われない。頭が割れるような頭痛も膨張した腹も祖霊の咎めだから、本人が心からお詫びすれば治る。

(『御教え集』第7号/S27.2.27)

(お 伺) 高柳龍子(三年前入信。三十七歳)昨年十二月四人目の出産を致し、御守護により安産でありましたのと、従来の習慣にて、其日より便所に通いました。翌日の御教えに産後の御注意を戴きましたので早速お伝え致しましたが、大して気にも止(留?)めない様子で御座いました。四日目に頭部に激痛を覚え、頭が割れる様で十日間続き軽くなりました。産後にも関わらず腹部が膨張し尿量も少なく、遂に全身に浮腫みを生じ、血痰を激しく吐き呼吸困難を起す様似なりました。二回目の呼吸困難があり、御浄霊戴き楽になりましたが、全身的浮腫は取れません。三回目に及び、全身浮腫は以前より甚だしく、特に腹部はパンパンに膨れ下りました。一月末大光明如来様を御奉斎させて戴きました。三カ月に及びますが、変化が御座いませんのは御浄霊の急所が違っているので御座いましょうか。又霊的に関係が御座いましょうか。尚、姑が入信後亡夫(金光教と禅宗の両方で祀っております)の慰霊の為に金光教会にお参り致しましても差支え御座いませんでしょうか。

〔御 垂 示〕

 之はいけないな。こんな習慣なんてあるやしないですよ。之は、この人の習慣ですよ。尤も、人の道の信者はやりますが、之は嘘ですよ。こう言う事は以前から言ってありますがね。書いてありますがね。一週間は絶対便所に行ってはいけませんよ。頭が割れる様――言う事を聞かないからだ(。?)金光教会に――差支えありませんよ。亡夫は信者だったんだからね。或いは、未だ金光教に執着があるかも知れないからね。お詣りしても良いし、しなくても良いし、任意で良いですがね。之は霊的じゃない。大して気に止(留?)めない――之は、その通りやらなかったんですか。

 「致して居りません様で御座います。前三階が非常に楽なお産を致しております為に――」

 その為です。そのお詫びですよ。それを本人が心からお詫びすれば、それで治りますよ。浄霊は結構だけれども、そのお咎ですよ。信者になった以上―じゃない、メシヤ教の浄霊で救って貰った以上――つまり私のやり方を言って、その通りやらなかったら救われっこないですね。だから、そのお詫びをするんです。頭に激痛――之は、祖霊さんが戒告したんです。それでも気がつかないんでお腹が膨張したんです。それで治る訳ですがね。本人が心からお詫びしなければ駄目ですね(。?)

<事例12> 人間の身体は針一本でも疵つけてはいけない。メスで魚の目を切ったことに対する神様のお咎めで、正守護神が叱った。お詫びすれば治る。

(『御教え集』第3号/S26.10.15)

 (お伺) 袴田隆次(五十二才)昭和二十五年三月入信致しました者で御座います。長男浩司(十二才)が九月十五日頃左足踵の魚の目を「メス」にて疵(傷?)をつけました。その為二十日より急に発熱し、左足の大腿部が大分腫れ、非常な激痛を感じ、脊柱はそりぎみになり、身体は硬直し痛みが強く、御浄霊後は少量の排尿が御座いました。脊柱のそりは一週間位にして治りましたが、熱は四十度位約二週間続き、食欲も皆無の状態にて非常に衰弱致しましたが、御陰様にて、最近十日程食欲は大分旺盛となりましたが、その割に体力がつきません。最近は時々高熱を発し、特に両足(大腿部)に卵大の「しこり」があり、一寸触れても非常に痛がり、右足は曲げて居り、除(徐?)々に伸ばせば、伸びる程度で御座います。一週間程前より咳の御浄化を戴き、激しい折は血痰も出ます。御浄霊を戴く度に楽にさせて戴いて居ります。尚、八月中旬お墓に居りました縞蛇を殺して食べた事も御座います。又次女は八年前、脳脊髄膜炎にて死亡して居りますが、何か霊的にも関係しているので御座いましょうか。又御浄霊の個所に就き御教の程御願い申し上げます。御屏風観音様は今回奉斎させて戴きました。

〔御 垂 示〕

 魚の目をメスにて疵(傷?)をつけたと言うのは、切ろうとした。それで膿でも出そうとした。この為です。私は、針一本でも疵つけてはいけないと書いてあるでしょう。だから神様のお咎めです。お詫びが一番良い。他には何にもないんです。それを覚る様に正守護神がひどく叱ったんです。お詫びすれば治ります。つまり、神様の言う事を守らなかったからです。それを心から悔い改めて、お詫びして、それで治っていきます。そうして、あとは悪い処ですね。熱の高い処とか、悪い処から、出るんだから、固まりを――つまり之だけの毒があるんだから、魚の目を浄霊していれば――気長にやっていれば、苦痛なく治るんです。こう言う事をした為に苦痛が出るので、悪い事ではないが、腫れた処とか、熱の出た処は分りますから、そこを浄霊する。

 体力がつかないのは、今迄食事をしなかったので、急にはいきません。それと、熱があるからで、あと気長にやれば良い。霊的の事はありません。蛇を食べた事も何でもありません。脳脊髄膜炎も別に何でもありません。

 神様は身体に疵(傷?)をつけると言う事は非常に厳しい。一寸悪い時に切るとか、突くと言うのは、霊を信じない事になる。体的を信ずる事になる。喰い違って来る。御守護していたのが、パッと切れちゃう。そこに持っていって正守護神が怒りますからね。之は良い教えです。

 

 

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