3.理論神霊学と火素の無限力

① 霊的昼夜が転換し、霊界では火素が多くなって浄化が強くなる。浄霊は万病治癒の理想的医術で、善主体従によって病気が解消し、病貧争が絶滅する結果、文明が革命され新紀元が誕生する。

(『御教え集第30号』/S29.1.5より)

(『浄霊は科学療法なり』(1)より/栄光243号)

 人間は霊と体との両面から成立っており、霊が主で体が従となっているのであって、これが万有の法則である。そうして病気なるものは体にある保有毒素が霊に移写して曇りとなる、それへ自然浄化作用が発生して曇りが解消すると共に、それがまた体に写って毒素は溶解し排除されるので、その苦痛を言うのであって、つまり前者は霊体一致の緯(よこ)の作用であり、後者は霊主体従の経(たて)の作用であるのであって、この理を充分知る事が肝腎である。では一体曇りの本質は何かというと、これこそ無色透明である霊に不透明な部分が発生するそれをいうのであって、これが真の病原であるから、これを払拭すれば病気は治るに決っている。この方法が浄霊であるから、浄霊とは読んで字のごとく霊の曇りを浄める手段で、これが真の医術である。(中略)

 では一層突進んで浄霊の根本原理を科学的に説明してみよう。(中略)そこで霊の曇りとは何であるかというと、これこそ薬剤の毒化したものであって、その本質は不純水素である。不純水素とは水素中に毒粒子が混入されたもので、この毒粒子を潰滅すれば純水素となり、病原は根絶される訳だが、これには非常な高熱を要する。それによってこの毒粒子を焼尽出来るからである。しかしこの高熱は地球上未だ嘗て存在しなかったところのXであるが、幸いなるかなこの説明に最も好都合な一事が発見された。それが彼の原子爆弾であって、人も知るごとく原爆の高熱も今まで全然なかったもので、二十世紀の今日初めて発見されたもので、この点よく共通しており、偶然の一致というよりももちろん神意の表現である。ただ異(ちが)うところは原爆の熱は体の熱で、浄霊のそれは霊の熱であるから、その強力さは比較にならない程のものである。すなわち体熱の方は限度があるが、霊熱の方は限度がない程の高度であって、もちろん科学では発見出来なかったのである。(中略)ではこの本質は何かというと、これこそ太陽の精であって光と熱の霊である。私はこれを名付けて火素といっているが、この火素が不純水素に向って放射されるや、水素中の毒粒子のみ一瞬にして焼尽される。つまり病原を焼いてしまうのである。というのは体的不純物と異い、霊的の方は霊熱でなくては焼けないからである。その方法としてこれも私は一紙片に「光」の文字を書き、それを希望者に頒(わか)ち与える。するとこれを御守として懐中へ入れるや、太陽から不断に放射されている火素が、私を通じて御守に伝流され、その人の掌から放射される。ちょうど太陽が放送局とすれば私は中継所であり、術者は受信機と見ればいい。それによって毒粒子は全滅し純水素となって漿液中に吸収され、かくして病気は全治するのである。(中略)しかも毒粒子は結核菌でも伝染病菌でもあらゆる菌の発生原であるから、それが全滅するとしたら、これこそ万病治癒の理想的医術である。

(『浄霊は科学療法なり』(2)より/栄光247号)

 人間は霊と体との両原素から成立っていると同様、地上といえども霊界と現界との両面から成立っており、その霊界もまた二つの原素から成立っている。その一つは霊気界、今一つは空気界である。そうして前者の本質は火主水従であり、後者のそれは水主火従であり、すなわち陽と陰である。この理によって万物は太陽の精と月の精が抱合一体となって地球を哺育(ほいく)している。(中略)。というように日月地の三位一体によって生まれるこれが自然力であって、これによって一切万有は生成化育されているのであって、これが宇宙の真相である。しかもその中心としての王者が人間であるから、人間なる者は神を除いての最高位の存在である。この故に万物は人間のために存在し、人間を哺育する以外の何物でもないのである。

 以上は人間と宇宙との関係であるが、ここに驚くべき大異変が近づきつつあるのである。(中略)

 以上のごとく火主水従の霊気界、水主火従の空気界の両素が渾然融合し大気界が構成され、この地球を囲繞しているのであって、五感で分る一日の昼夜なるものは、言わば体的昼夜であって、これとは別に時間を超越した霊的昼夜のある事を知らねばならない。これこそ最も重要な意義であり、宇宙の大神秘である。すなわち現界の昼夜を無限大に拡げたようなもので、(くう)と同様であるから人間には分らないが、しかし規則正しく流転しつつある。しかもそれが十年に、百年に、千年、万年といったように大中小になっている。その一期間は三、六、九合計十八になっており、これが宇宙の実相である。彼の釈尊が唱えた五十六億七千万年後ミロクの世が来るとの説は、文字通りとすれば、余りに長過ぎて実際上無意味であるのは、全く右の数字を示唆したに外ならないのである。そこで前へ戻るが、今までの夜の世界は月の主宰であり、月は水であり体であるから、物質文化が発展したのであるが、それに反し昼の世界は日の主宰で、日は火(霊)であり、精神的である。またこれを善悪に別ければ体が悪となり、霊が善となる。これが真理である。従って今までの世界は悪主善従であったのが、今度は善主悪従の文明世界に転換するのである。(中略)このように神の経綸の深奥なる到底人智などで窺知し得られるものではない。(中略)彼のキリストのいった世の終りと、そうして天国は近づけりとの予言もこれであり、私の宣言する病貧争絶滅もその基本的条件である。そのまた基本が病気の解消であるから、神はこの鍵を私に与え給うたので、私は現在病の解決を主眼としているのである。

 以上によってみても、この大経綸たるや破天荒的大偉業であって、この結果文明は革命され、第二紀元の誕生となるのはもちろんである。

 (中略)全然新しい理論と、新しい説です。(中略)ただ夜の世界が昼の世界になるという事で、それになれば、今まで水素が多かった霊界が、今度は火素が多くなる。そうすると、暗かったのが明るくなる、夜が昼になるというわけで、そこで浄化が強くなるという……これは何時も説いている事ですが、それだけの事を知ればよいのです。そこで、病気の治る原理という事が分ると、それだけでよいのです。

② 無限力の浄霊と、有限力の医学

ア.医学は細かいものが見える進歩だけだから有限力。病気の原因は無限的だから、無限力に入れば宗教の分野となる。浄霊は無限力だから絶対力。

(『御教え集』第27号/S28.10.5より)

 医学と浄霊の原理をはっきり分らせるには有限力と無限力という事を説くと一番よく分ると思います。というのは、病気の原因というものは無限的なのであって、有限的の性質のものではないのです。ところが医学の方の顕微鏡で見た黴菌というものは―つまり細かい粒子です。そうしてだんだん細かいものが見えるようになって―今日ではヴィールスとなってます。ところがヴィールスというよりもまだまだ細かいものが発見されます。それは、科学の方では中間子とか素粒子と言うのは、やはり粒子です。そういうようで、結局科学の進歩というのは、細かいものが見えるというだけのものです。(中略)無限ではありません。(中略)ところが実は病気は有限なものではないのです。肺病なら肺病でも、これだけの黴菌は何億万個という事が分ったとして、それを殺菌しますが、それで治るかというと治りません。何故治らないかと言うと、その出来た黴菌だけ殺しても、後から後から出てくるからです。(中略)ですから無限の病原(源?)を()り去るとしたら、やはり無限の力でなければ駄目なのです。そこで浄霊とは無限力になるのです。だから原子爆弾は決して恐れるほどのものではないのです。というのは有限力だからです。あれ一つで地球全部が破壊できるものではありません。(中略)この方は無限力で、無限力というのは絶対力です。(中略)無限力は地球全体に行きます。そのくらい力が違うわけです。有限力では絶対の力がないから、或る限度しか解決できないのです。(中略)浄霊の方は時の限度もなければ、力の限度もないのだから、そこで病気をすっかり無くしてしまう事ができるのです。これは科学の説明です。そういうわけで、科学というものは有限力の範囲内が科学です。それで無限力に入れば科学ではないわけで、宗教の方に入るわけです。(中略)結局において、有限力と無限力の力比べです。

イ.形がないものほど力が強く、形があるものほど弱い。

(『御教え集』第27号/S28.10.7より)

 医学に関した事は駄目になる事がはっきり分っているのです。というのは、総て力というものは、計算のできるもの、何馬力とか、或いは粒子とか(中略)要するに理論的に計算してゆくので、科学は大いに進歩しているようですが、それでだんだん進歩してゆくと、結局零になってしまうのです。(中略)大体科学というものは「物」なのだから、物には限度があります。だから科学を極めて行っても、結局或る程度まで行ったらお終いになります。機械や理論では分らない所に行きます。(中略)それで無限力というのは限度がなく、時間空間を超越しているから、これほど大きな力はありません。浄霊の力というのは無限力です。レントゲンとかラジウムで病気を治そうというのは有限力です。何んとなれば無限力というのは、さっきも読んだとおり目に見えない手にも触れないもので、空と同じです。科学は有限力を研究する学問なのだから、無限力にまでゆけば、それはもう科学ではなくなります。だから科学がだんだん進歩してゆけば無限力に行ってしまいますから、そうするとそこでお終いです。(中略)

 それで浄霊の方は無限なのです。(中略)この無限力というのは神様の力より外にはないのです。(中略)そういうようなわけで、何事でも無限の目に見えない力が一番大きいのです。(中略)ですから宗教という、形のないものほど力は強いのです。力は一番形があるものほど弱いのです。(中略)それで上等のものほどだんだん細かくなるのです。そうしてその最も細かいのを通り越すと無限力になるのです。

ウ.釈迦の「一切は無(空)」とは無限力で、その理がわかる手前まで文化を推し進めてきたことが科学の功績。

(『御教え集』第27号/S28.10.5より)

 物性論なども馬鹿々々しいくらい幼稚なものです。(中略)粒子が幾らかでも分る間は科学が必要だが、その先に行けば必要がないのです。それは無限境に入って行くのだから、科学はお終いになるのです。ですから科学者というのは技師などになったらよいでしょう。そういった学問というのは必要がなくなって来るのです。それがやっぱり限度というものです。(中略)それをお釈迦さんは知っていたのです。奥までは知らないが、或る程度は知っていたのです。そこで一切〝無〟或いは〝空〟と言ったのです。それは間違ってはいません。無限力というのは空です。物質的には分らないのです。(中略)つまりその理を分らせる手前にまで文化を推し進めて来たという点においては、科学の功績も大したもので、高く評価してもよいわけです。

エ.浄霊は掌から、原子爆弾よりも熱度がある極微粒子で稀薄な火素を出して、水素中の不純物である曇りを焼く。目に見えないほど力は強く、言葉より人間の考えの方が強い。

(『御教え集』第29号/S28.12.27より)

 浄霊の原理は、相当の信者の人でも分り難い点があるだろうと思います。その一番分り難い点は火素の力です。急所というのは曇りです。曇りというのは水素の中にある不純物で、毒粒子ですが、この毒粒子は細かくて到底顕微鏡では見られません。それを此処(掌)から出す火で焼くのです。水の中にあるものを焼いてしまうのです。ところがこの場合の水素というのは、ごく微粒子で、稀薄なものです。それでこっちから行く火素の熱度というものは大変なものです。原子爆弾よりももっと高いのです。だからこの火素の力に遭えば、原子爆弾でも大丈夫なのです。又、それは物質ではないので、物質なら限度があるから弱いのです。原子爆弾でもその力というのは弱いのです。それで最も強い力というのは最も物質的でないものです。要するに目に見えず感じもしないという、ごく稀薄であればあるほど力は強いのです。ですから一番強いのは風の力です。風というのは大きな家でも倒したり吹飛ばしますが、これは一番目に見えないもので、おそらく、どんな大風でも目に見えません。見えるとすれば、それはホコリとか他の物質が見えるのです。風そのものは絶対に見えないのです。その見えないものがそれほどの力があるのです。ですから稀薄なものほど強いのです。人間でも、人間の考えが大したものです。大戦争をする英雄の頭の〝ああしよう、こうしよう〟という考えが大したものです。(中略)それが言葉に出ると物質化して来るから、いくらか見えて来るのです。ですから考えている、それが一番力が強いのです。その考えたものを物質に現わす場合の働きが言葉ですから、言葉の方ではそれ以下という事になります。そういうようで、目に見えないものほど力が強いのです。それで一番目に見えるものの力は馬力という馬の力ですが、これは一番よく見えます。これが今の浄霊の原理の急所というわけです。

オ.浄霊は黴菌を殺すのではなく、黴菌の発生源である霊の曇りを溶かす。浄霊によって掌から放射される霊光(光の霊)は、レントゲンや太陽燈のような目に見える光(光の体)より強い。光の霊は毒素を溶かし、体は固めるという反対の働きをする。

(『御教え集第7号』/S27.2.26より)

 浄霊ですね。こうやると、ここ(掌)から霊光が放射されますが、之は光の霊なんです。ですから、ピカピカ目に見える光は、光の体なんです。で、光の霊は今言う様に、目に見えないが、光の体より強いんです。(中略)光の霊と体は、反対の働きをする。霊の方は毒素を溶かすんです。体の方は固めるんです。ですから、レントゲンとか太陽燈は、光の体ですから、毒素を固めるんです。レントゲンなんかかけると、豆粒の様にコチコチに固まるんですね。霊の方は溶かすんです。それで、之(浄霊)でやると、霊が行って、霊の曇を溶かすんですね。溶かすと黴菌が発生しなくなるんです。霊の曇と言うのが黴菌の(もと)ですからね。ですから、こう(浄霊)やる事は、黴菌を殺すことでなくて、黴菌の発生源をなくする事です。

カ.物性粒子よりもっと細かい気体はいくらでもあり、気体よりもっと奥に霊、霊界がある。霊の根本は光で、その根本である太陽の黒点が太陽の中心で、大宇宙の種の芯。浄霊の光は黒点から出ている。科学が霊を認識すれば、科学的に浄霊で病気が治る説明ができる。

(『御教え集』第24号/S28.7.26より)

 物質の最も細かい、その物質の粒子を素粒子と言うのです。(中略)次に物性というのは、物の性、つまりわれわれから言うと霊で、一つの気体です。これは多分そういうものがあるのだろうという想像なのです。それが粒子科学の今一番進歩した説なのです。ところがその物性粒子よりまだまだもっと細かいものがいくらでもあるので、さっき読んだとおり無限なのです。(中略)そうなると一つの気体になるのだから、気体は科学でははっきり摑む事はできないので、〝多分あるべきだ〟という所まではゆくのですが、ところが気体よりかもっと奥があるのです。つまり霊、霊界と言って、これが何段にもなっているのです。そこで霊にも上中下といろいろあるのです。その霊の根本というのは光なのです。光の根本は太陽なのです。太陽の光の根本というのは、太陽の黒点なのです。これがつまり大宇宙の種の芯のようなものです。(中略)つまりこれが太陽を支配しているものです。太陽の中心です。それで()のチョンが黒点なのです。それで浄霊で病気が治るこの光は黒点から出ているものです。こういう事は説明すれば切りがないし、又そんなに深い所まで知る必要はないのだから、それだけ知っていればよいわけです。今言ったとおり科学の方ではその霊を認識しなければならないという手前にまで来ているのです。(中略)それが分れば、浄霊で病気が治るという事は科学で充分説明ができます。(中略)ただそれまで時を要しますが、それを証拠立てるためにこうやって病気が治るという事を見せているというわけですから、その点から言えばそんなに難かしくはありません。

キ.霊を治すには霊で治すのが本当。無限力である太陽の霊の火力(火素)が病気個所に放射され、霊体の曇りを溶かす。浄霊によって、滅ぶべきものを生かし、破壊さるべきものを創造する。

(『御教え集』第30号/S29.1.3より)

 此処(掌)から出る力は一体何かという事は一番知りたいと思います。(中略)これは、一番分りやすく言うと、霊的原子爆弾なのです。というのは、原子爆弾というものは非常に熱度が高いのです。これは今まで地球上に現われた事がない熱です。つまりピカ・ドンですが、そのピカ・ドンで地上にある物は全滅してしまうのです。それは何かというと、火力ですから、火力で焼けてしまうのです。原子爆弾の説明には、つまり太陽の小さいものを造るのだという事を言ってますが、そういうものなのです。太陽熱というものは熱の体ですから熱いとか光るというわけです。ところがこの霊というのは目に見えず五感に触れないものです。何時も言うとおり、霊の方が力が強いのです。(中略)これはやっぱり科学なのですが、科学というと見えるものばかりを言うが、そうではないので、これは見えない霊科学です。(中略)この火素の火力というものは無限と言ってもよいのです。この間も無限力という事を言いましたが、とに角無限力です。(中略)私は原子爆弾は殺人光線、霊の方の火素は活人光線と名をつけたのです。片方は殺す光線で、こっちは生かす光線で、反対なわけです。それが丁度同じ頃に地球上に現われたという事は非常に意味があるわけです。何時も言うとおり地上天国というのは創造=建設ですが、つまり破壊と創造です。ですから原子爆弾は破壊の力です。それで火素の方は建設の力、創造の力です。だから浄霊によって、滅ぶべきものを生かす、破壊さるべきものを創造するという事になりますから、その点から言っても破壊と創造という事がよく分ります。医学が病気を作り人間を破壊し、こっちは浄霊でそれを治すのですから、これも破壊と創造という事になります。

ク.浄霊は、掌から放射される無限な光の気体で、病原という無限なものを焼いてしまう。

(『御教え集』第24号/S28.7.17より)

 今の文化が発達したというのは顕微鏡の発達が根本です。いろいろな発明発見にしても、結局細かいものが見える、今まで見えなかったものが見えるという事が根本です。そこで他の事は結構ですが、医学だけは、なにしろ相手が人間ですから、電気の機械や他のいろいろな機械の科学ではないのだからして、人間の生命というものは一番高級、上等なのです。だから細かさから言っても一番細かいのです。たとえてみれば人間の想念ですが、想念も結局細かい粒子なのです。ですからその粒子というものの細かさというものは、天文学的数字でも現わせないのです。無限微なのです。だから顕微鏡で見る何倍とか何百倍とか何万倍とか言っても、それはごく粗いものです。ごく細かいものは見えないのが本当です。やはり無限です。(中略)その無限の細かい所に病原があるのだから、顕微鏡で見て〝これが病原だ〟〝これを殺せば治る〟という事は、粗過ぎてテンデ話になりません。(中略)そこでどうすれば治るかというと、治す方の道具もやはり無限なるものをもって治さなければならないのです。それで浄霊で掌から放射される光の力というものは無限なのです。だから無限な悪いものを無限なるもので焼いてしまうという事が浄霊の原理なのです。それで火素というものは粒子には違いないが、到底粒子という名はつけられないものでしょう。一つの気体です。ですからこの力というものは大変なものです。

ケ.理論物理学、特に医学は行き詰まって無限力に行き、無くなる。浄霊の力は無限力で、無限力は神様の力しかない。形のないものほど力は強く、上等のものはだんだん細かくなり、最も細かくなるのを過ぎると無限力となる。

(『御教え集』第27号/S28.10.7より)

 理論物理学ですが、これについてはこの間も話したとおり、結局において行詰ってお終いになってしまうのです。それで他の事はとも角、医学に関した事は駄目になる事がはっきり分っているのです。(中略)大体科学というものは「物」なのだから、物には限度があります。だから科学を極めて行っても、結局或る程度まで行ったらお終いになります。機械や理論では分らない所に行きます。(中略)それで無限力というのは限度がなく、時間空間を超越しているから、これほど大きな力はありません。浄霊の力というのは無限力です。レントゲンとかラジウムで病気を治そうというのは有限力です。何んとなれば無限力というのは、さっきも読んだとおり目に見えない手にも触れないもので、空と同じです。科学は有限力を研究する学問なのだから、無限力にまでゆけば、それはもう科学ではなくなります。だから科学がだんだん進歩してゆけば無限力に行ってしまいますから、そうするとそこでお終いです。(中略)科学の方では、例え原子爆弾でも地球全体を壊す事はできないので、やっぱり限度があります。(中略)それで浄霊の方は無限なのです。ロスアンジェルスでも大変な奇蹟がありますが、そうすると私の霊がロスアンジェルスにまで行くわけですが、私の霊がロスアンジェルスまで行くのに一秒の百分の一もかかりません。(中略)それで早いという事は無限力だからです。この無限力というのは神様の力より外にはないのです。(中略)そういうようなわけで、何事でも無限の目に見えない力が一番大きいのです。恋愛の結果心中しますが、これは無限力です。つまり有限力なら心中しなくても済むのです。無限力だから生命を落してまでやってしまうのです。とに角生命を自由にするのですから大変なものです。信仰というものがやはり恋愛です。信仰というのは恋愛の極致ですから、最も素晴しい無限力です。科学が幾ら何んと言っても、それは信仰の力には(かな)いません。(中略)ですから宗教という、形のないものほど力は強いのです。力は一番形があるものほど弱いのです。(中略)それで上等のものほどだんだん細かくなるのです。そうしてその最も細かいのを通り越すと無限力になるのです。

コ.科学は粒子が分る間は必要だが、無限境に入れば必要なくなる。それが分る手前まで文化を推し進めた功績は高く評価してよい。無限力は空で物質的には分らないから、釈迦は一切は無とか空と言った。

(『御教え集』第27号/S28.10.5より)

 粒子が幾らかでも分る間は科学が必要だが、その先に行けば必要がないのです。それは無限境に入って行くのだから、科学はお終いになるのです。ですから科学者というのは技師などになったらよいでしょう。そういった学問というのは必要がなくなって来るのです。それがやっぱり限度というものです。(中略)それをお釈迦さんは知っていたのです。奥までは知らないが、或る程度は知っていたのです。そこで一切〝無〟或いは〝空〟と言ったのです。それは間違ってはいません。無限力というのは空です。物質的には分らないのです。(中略)つまりその理を分らせる手前にまで文化を推し進めて来たという点においては、科学の功績も大したもので、高く評価してもよいわけです。

サ.世界全土に力がいかなくては世界人類を救えない。物質の力は有限だが無限力は神様の力という説は新しく、理論神霊学は物性論より先の分野。

(『御教え集』第26号/S28.9.26より)

 物性論というのは素粒子論から一歩進んだものです。物性論というものは今まで発見した微粒子より一層細かいものです。しかしまだ実験物理学では把握できないものです。(中略)そこで理論だけでは確かにあるというけれども、まだ実験の証明はできないのです。素粒子までは今言う宇宙線によって物理的に分ったけれども、物性論の方はなかなか難かしいのです。というのは、もう霊の方に入って来ているからです。ですから科学というのは大体物理科学ですが、科学は今、量子科学の方に入りかけて来たのです。ですから科学がこれから先に行けば行くほど、だんだん分らなくなって来ます。(中略)それで私が書こうというのは物性論から先の分野です。(中略)そこで科学はつまり霊界に入って来たのです。即ち自分の受持でない所に入りかけて来たのです。そこで結局何処まで行くかというと、この間も言ったとおり無限界です。科学というものは例え素粒子だとか物性論だとか言ったところで、又そのものが発見できたところで、それを如何に全人類に役立たせるかという事が最後の問題です。それには力です。(中略)その発見した物質なり粒子なりの力をどうすれば出せるかという事です。要するに原子爆弾も原子科学から力を発見したわけです。これは私はその原理は信仰雑話にも書いてあるとおり、地球から水分を抜けば一瞬にして爆発するというそれです。これだけの範囲の中から水分を抜いて空にしてしまうというのです。全然水分を無くすれば気体が爆発します。そうすると沢山の核というものがあって、次のを爆発し、又次へと行く。それがある程度に行くのです。私はこの理論は何十年か前に書いているのです。その方法を科学の方で発見したわけですが、これは科学の方でもかなり成功した方です。今のは原子科学の力を出したという事ですが、それとても一部です。(中略)それはつまり物質の力だからです。物質の力というのは有限力なのです。有限力とは限りある力ですから知れたものです。ところが科学が自分の分野でない霊の方に入るとなれば科学ではなくなるのです。結局科学は粒子ですから、これは数えられるわけです。(中略)それで浄霊で病気が治るという事は無限力です。この無限力というのが神様の力です。ですからロスアンジェルスも最近非常な奇跡のお蔭が幾つもありましたが、そうすると私から発する霊がロスアンジェルスまで行くのだから、とても原子爆弾どころの小さなものではありません。そこに有限力と無限力との違いさがあるのです。それでやっぱり有限力では限度があるから、人を救うとか世の中を良くするという事はできないのです。ある程度まで、ある範囲までという所ですから、それでは駄目です。(中略)ですから世界人類を救うという事は、世界全土に力が行かなければならないのです。それが神様の力です。(中略)それで浄霊でどういうわけで病気が治るかという事を、今言った理論科学的に納得のゆくように詳しく書くつもりです。そうするとどうしても神様の解剖という事になるのです。そこで神様を解剖すると言っても、主神は別ですが、いろんな神様の種類があるし階級もありますから、そういう事もよく分るように書きます。

シ.理論物理学は素粒子論から物性論に入った。神様を解剖し、浄霊で病気が治るわけや善悪の根本も分る明主様の理論神霊学は、未来の学問。

 (『御教え集』第26号/S28.9.23より)

 今中心となっているのは物性論です。これはつまり素粒子論から物性論に入って来たのですが、物性論というのは、まだ顕微鏡などでも分らないもので、けれども有るという物の性質、つまり霊です。そこに入って来たわけです。(中略)それで今の科学では物性論から先には行きようがないのです。そして今のは理論物理学ですが、私のは理論神霊学です。それは理論物理学から先に行くと理論神霊学に入って来るのです。それはもう学科ではないから宗教には違いないが、しかしそれは今までの観念で見る宗教観とは違うのです。というのはまだ宗教でもそこまでは分らない世界です。それで今までの宗教は水準がまず科学と同じくらいなものですから、私はその先を説くつもりです。そうなると神様の解剖という事になって来ますが、これはまだ誰もやった事がないのです。それがすっかり分ると、浄霊で病気が治るという事も何んでもなく分ります。(中略)何処まで説けるか、なにしろ難かしいのです。そうすると善と悪の根本もすっかり分ります。ですからこれは大変な未来の学問です。

ス.浄霊は経の霊主体従で、左廻りだから善主悪従。医学は緯の体主霊従で、右廻りだから悪主善従。

 (『御教え集』第30号/S29.1.7より)

 霊体一致で、体の毒素が霊に写るという事は、今言ったように緯の作用です。それからそういったのを治す場合に、霊を浄めて、それが体に写って毒素が出るというのは経の方法なのです。こういう事にも、非常に面白い事は、経の方の霊主体従は、言い変えると善主悪従であるわけです。善の働きです。それから緯の方は悪主善従になるわけです。要するに今の世の中は悪主善従です。だから薬という毒をのんで霊に写すというやり方になっているのです。それで、こういう点にも経と緯がよく現われてます。そこで霊主体従という事が本当のやり方になるわけです。

(『御教え集』第16号/S27.11.15より)

 丁度今の医学は右進左退ですから体主霊従です。右廻り医学です。今度は浄霊という〝霊〟を主にするというのは左廻りです。それで私がやっている仕事は伊邪諾尊の仕事です。

セ.曇りという無限な毒素を無限な霊気で焼く。神霊医学は無限だが、現代の唯物医学は非常に幼稚で低い。

(『御教え集』第24号/S28.7.16より)

 今の医学というものは顕微鏡医学です。顕微鏡で微生物を発見し、それによって医学の一種の革命的のものになったわけです。ところが微生物というものはどこまでも小さいのです。(中略)本当から言うと無限なので、教えられないものです。(中略)そこで、黴菌は粒子ですが、何億万倍、何十億万倍と何処まで行っても分らないくらいなものですから無限ですが、その無限なるもの、一つの気休みたいなもので、空気は割に粗い物ですが、空気よりもっと細かい物で、霊気です。それで霊気というものは無限なものです。そこで無限の病菌というものは、曇で、悪いもので、毒素ですが、無限な毒素です。そうするとこっちでそれを治すという事は、此処(掌)から出るやはり無限なる力をもっているもので焼くのです。(中略)ですからこの神霊科学が分れば、今の科学というものは非常に幼稚なもので、幼稚園程度です。神霊科学は無限なのですから、唯物医学はもっと低い事になります。

ソ.お守の霊的な光は、体的なレントゲンの光線を遮断するほど強い。

(『御教え集』24号/S28.7.17より)

 二、三日前に読んだお蔭話で、お守をかけているとレントゲンがどうしても写らないのです。それでレントゲンに写ったものが必要なので困って、お守をとってお願いして写してもらったところが、はっきり写ったのです。そこでお守から発する光というものは大変なものなのです。この前もそういう事が二度あって栄光に出してありますが、今度は三度目です。三回ともレントゲンを遮断するという事が実験されたようなものですから、三回の実験でそうなら科学では確定したわけで、定説になったわけです。だからレントゲンの光線を遮断するというと、レントゲンというものはとに角今までの光では一番強いのです。なにしろ大抵な物は通過してしまうのです。けれども科学の力だからして無限ではありません。通過しない物もあるのです。大抵な物は通過するというのですから強いのは強いです。しかしその光線を通さないほどこっちの光は強いのだから、病原である一つの汚いもの、悪いものくらいを殺すのは何でもありません。レントゲンでは骨を通す事はできませんが、浄霊の光は骨でも何でもドンドン通してしまいます。そういうようでこの光が如何にその効力が強いかという事が科学的にも分るわけです。

(『御教え集』24号/S28.7.27より)

 掌から出す光はレントゲンが通らないという事は、光が細かいからです。レントゲンの方はもっと粗いのです。そうして力というものは細かいほど強いのであり、粗いほど力が無いのです。(中略)ですから掌から出る光は、光としては一番密度が細かく、濃いのです。それでレントゲンの方は粗いからして通す事ができないのです。つまりそういったものは細かいほど高級で上等なのです。

タ.世界がいよいよ地上天国となる間近に来たから、神様は、物質的に戦争を無くす力・原子爆弾と、霊が浄まって戦争しようと思わなくなる浄霊という、霊と体の両方を同時に出現させられた。

(『御教え集』第30号/S29.1.1より)

 原子爆弾と浄霊とは同じ事なのです。霊と体だけの違いで、非常に似ているところがあるのです。それはどういう訳かというと、原子爆弾というのは熱です。(中略)ところで、あの原子爆弾から発する熱というのは、二万度か三万度か、何万度という事になってます。或いは、水素爆弾などの度数はもっと高いでしょう。そうすると、その火力の前には何物も焼けてしまうので、地上は無になってしまうのです。それで浄霊のこれ(掌)から出る光線と同じというか、むしろ本当の意味から言うと、浄霊の方がもっと火力が強いのです。ただ、原子爆弾は体の火力で、この方は霊の火力です。霊だからして、人間の五感に触れるような熱ではないのです。まるで無に等しい熱ですが、しかし力においては原子爆弾以上です。それで此処からの霊の熱というものは、どういう働きをするかというと、病気の因は、私が説いてあるとおり霊の曇りです。霊の曇りというと不純水素ですが、不純水素というのは、不純水素中に毒粒子という非常に細かい粒子があり、それを浄霊の火素が焼くのです。ですからそれが体に写って肉体の方の毒素が溶けて出るというわけで、これは一つの科学的説明で、つまり理論科学です。ですから、人間の霊の曇りの内のその毒分は焼いてしまうだけの霊の火力が出るのだから、丁度霊の原子爆弾と言ってもよいわけです。そこで、体的原子爆弾が出来ると同時に霊的原子爆弾が出来たという事になりますから、非常に面白いです。

 それで体的の原子爆弾によって――(中略)要するに物質的に戦争を無くす一つの力が出来たのです。それで浄霊の方は、これによって霊を浄めるために、人間の方が戦争をしようという気持にならないわけです。(中略)それから又体的には戦争ができないようになり、これをやれば人類が破滅になるという事を分らせるという、霊と体の両方を、神様が同じ時に出現させたという事は、そこに非常に関連した意味があります。これが、世界がいよいよ地上天国=ミロクの世になる……出来上がるという間際に来たわけです。

チ.浄霊は活人光線、原子爆弾は殺人光線。

(『御教え集』第30号/S29.1.2より)

 浄霊の火素が原子爆弾と同じ事です。(中略)ただ浄霊の方は霊的の熱です。そこでそんなに熱くもないし光も見えないのです。では力はどうだというと、これは原子爆弾よりずっと強いのです。(中略)それで、病原は人間の霊の曇りです。曇りというのは水素中にある不純粒子で、つまり毒粒子で、これは計算のできない細かいものです。それが火素の放射によって毒粒子が焼けるのです。ですから、毒粒子を焼く光線ですから、その強さというのは大変なものです。これ(浄霊)が物質だとしたら、やはり物質を焼いてしまいますが、これは物質ではないから霊を焼くのです。それで霊の内の毒粒子というのは霊の物質なのです。それでこの光によって霊の物質を焼いてしまって純水素が残るのです。それが漿液に混ってしまい、そうして毒粒子だけが焼けてしまうのです。ですからその焼けるという事は、丁度原子爆弾と似ているという事は、火力が強い事で、その点が似ているわけです。それが丁度二十世紀の同じ頃に現われたという事が面白いです。私はそれを、原爆は殺人光線、浄霊は活人光線というふうに名前をつけたのです。   

ツ.浄霊で病気が治れば、理論物理学に対する実験が完成する。

(『御教え集』第26号/S28.9.17より)

 今世界中の有名な科学者が日本に集まって、理論物理学の知識の交換をやってます。ところがこの骨子は物性論ですが、これはこの間も書いたとおり、顕微鏡で見えない粒子があると仮定して、物性即ち物の性質を理窟だけで摑まえたわけです。ですから理論物理学というのは理論です。その理論を実験するという実験物理学までにはまだ行っていません。そこで浄霊は、理論物理学に対する実験です。これは科学者が発見したのではなく、私が発見したのです。そこで病気が治れば実験が完成したわけです。

 

 

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