① 生霊はほとんど男女関係が原因で、善悪の二種がある。死霊の憑依は悪寒を、生霊の憑依は温熱を感じる。
(天国の福音『霊的病気の種々相』▲より)
ここで生霊について一言する。死霊の外に生霊の憑依がある。生霊はそのほとんどは男女関係が原因であって、善悪の二種がある。善の方からいえば純なる恋愛、たとえば男が女を愛する場合、その生霊が女に憑依すると、女は一種の快感を催すものであるが、それは女もその男を愛しているからで、もし愛していない場合、すなわち一方的愛の生霊は反対に不快を感ずるものである。そこに相愛と片愛との異いさがある。そうして相愛の場合は霊線によって愛の想念が交流するために、その思慕の情禁じ難く、別離している事の苦悩に堪えないもので、ついに前後を忘れて、情死や駆落ちするまでに到るのである。しかるにこの際注意や意見等をするがそれは逆効果となり、反って取返しのつかぬ不幸な事態が生ずる危険があるから放任しておくに限る。何となれば霊線の交流は一時的のもので決して続くものではないからで、恋愛は熱病というが全くそうである。また片愛の場合、失恋者の生霊が憑依するから、失恋者の想念通りの感じがし、淋しく味気なく憂欝に堪えないのである。
次に悪の場合、本妻と妾との霊的葛藤などが最も多い。たとえば一方が一方を呪う場合と両方で呪い合う場合とがあり、全く修羅道である。そうして呪われる結果としてブラブラ病のごときものに罹るが、医診ではもちろん判る筈がない。これが重症に進み、生命を奪われる事さえある。しかるにかかる霊が霊界に往くや復讐せんとして生残った相手をたおすに至る事がある。もちろん霊的で見えざる事とはいいながら、一旦夫婦の道を外し、妾などを蓄える結果、女の生命まで犠牲にするに到ってはその罪軽からず、大いに慎しむべきである。そうして死霊の憑依する場合は悪寒を感じ、生霊の場合は反対に温熱を感ずるものである。
(「附録 浄霊の実際に就いて 病気と霊 生霊」/「教修要綱」S27.12.1)
生霊はその殆どは男女関係が原因で、善悪の二種がある。善の方から言えば純なる恋愛、例えば男が女を愛する場合、その生霊が女に憑依すると、女は一種の快感を催すものであるが、それは女もその男を愛しているからで、もし愛していない場合、即ち一方的愛の生霊は反対に不快を感ずるものである。そこに相愛と片愛との違いがある。次に悪の場合は本妻と妾との霊的葛藤などが最も多い。例えば一方が一方を呪う場合と、両方が呪い合う場合とがあり、全く修羅道である。そうして呪われる結果としてブラブラ病の如きものに罹る。これが重症に進み生命を奪われる事さえある。然るに斯かる霊が霊界に往くや復讐せんとして生残った相手をたおす事がある。勿論霊的で見えざることとはいい乍ら、一旦夫婦の道を外し妾など蓄える結果、子女の生命まで犠牲にするに至つては、其の罪軽からず大いにつつしむべきである。
② 飯綱使が使う管狐の生霊は恐ろしい。狐霊も生霊だけが活動する。
(『生霊』より/『霊界叢談』)
人間の生霊はそれほどでもないが、ここに恐るべきは管狐の生霊である。これは昔から飯綱使といい、女行者が使うのであって、人に頼まれ、怨みを晴らす等の事を引き受けるのであるが、管狐というのは大きさはメロンの少し小さいくらいの大きさで、白色の柔毛が密生した頗る軽くふわふわとしたもので、その霊は人間の言う事をよく聞き、命令すれば如何なる悪事でも敢行するのである。この飯綱使は昔から関西地方に多く、その地方では飯綱使と縁組するなと言うそうであるが、これは少し感情を害しでもすると返報返しをされるからである。
また、狐霊の生霊も多く、肉体だけが稲荷や野原に棲息し、生霊だけが活動するのである。
③ 色情関係の怨みは性器に来る。流産の原因は怨み生霊が多い。
(岡田先生療病術講義録▽(上巻)『病気と憑霊』▲より)
これ([生霊])は男女関係に多いもので、色情関係の怨みはほとんど男女の性器へ来るのも面白いのであります。流産などの原因には、この怨み生霊の場合が多い。妾と本妻の場合なども、両方で怨み合うから、どちらか弱い方が病気に罹るのであります。私は以前、俗に茄子といって、つまり子宮脱出症を治療した事があります。起った時には口許まで出る、坐って半分位出るので、これが治らなければ離縁されるというので、私も可哀想に思って、何とかして治してやりたいと思ったのでした。その時「貴女は女に怨まれた事はないか」と訊くと「ある」というのです。それは結婚前主人に約束した女があった為、その女が非常に怨んだそうです。つまり、その約束の女の怨みが、自然性交不能にすべく、前述のような病気にしたのであります。それから暫(しばら)く通う内に半分位治り、田舎へ帰って半年位経ってから全治した・・・という礼状が来たんですが、全くこれなど生霊の好い見本であります。
<事例1> 某大学生に憑る芸者の霊、芸者に憑る旦那の霊、令嬢に憑る青年の霊。
(『生霊』より/『霊界叢談』)
某大学生に霊の話をしたところなかなか信じない。「それなら僕に何か憑依霊があるか調べてくれ」と言うので、早速霊査法に取り掛った。間もなく彼は無我に陥り、若い女らしい態度で喋り出した。その憑依霊というのは、当時浅草公園の銘酒屋の女で時たま遊びに来るこの大学生に恋愛し、生霊となって憑依したものである。霊の要求は、「この人はちっとも来てくれないので、遭いたくて仕方がないから来るように言って欲しい」と言う(いう)のである。私も生霊とは言いながら、惚れた男(へ?)の伝言を頼まれたというわけで、まことにご苦労千万な次第である。そうして覚醒するや彼は怪訝な顔をしている。私は「どうでしたか」と聞くと、彼「無我に陥ったのが全然分らなかった」と言うので、私はその女の話をしたところ、彼はびっくりして恥ずかしそうに頭かきかき恐れ入って霊の存在を確認したのである。
次に、ある所で若い芸者を霊査した事があった。すると旦那の霊が出て来たので、私は種々質問したところ、左の如き事情が分った。その生霊は某砂糖問屋の主人で「今晩この芸者に会う約束がしてあったところ、拠ろない用ができ、会う事ができないから明晩会うという事を伝えてくれ」と言うのである。その言葉も態度も、まず四、五十歳くらいの男性の通りであったから疑う余地はない。その話をすると彼女はびっくりした。自分は無我に陥って何を喋ったか全然分らなかったので、私の話により、右の生霊の言う通りに約束がしてあったというのであった。
二十歳ぐらい某家の令嬢、私の所へ来て訴えるには「自分は近頃憂鬱症に罹ったようで世の中が味気なくて困る」と言うので、私は「あなたのような健康そうで然も十人並以上の美人でありながら理屈に合わないではないか、何かよほどの原因がなくてはならない」と種々尋ねたところやっとそれがわかった。というのは、近所にいるある青年がその娘に恋慕し、「手紙や種々の手段で、自分を承知させようとするけれども、私はその青年が嫌いで何回も断ったところ、その青年は始終私の家の付近に来るので、恐ろしくて滅多に外出もできない」と言う。私は「その男の生霊があなたに憑くのだ」という事を聞かしたため、彼女もなるほどと納得し、それから漸次快方に向かい全快したのである。それは病気でないという事が分ったので安心したからである。
現代人に死霊の存在を認識させるのさえよほど困難であるが、生霊に至ってはなおさら困難である。(中略)生霊は総て男女間の恋愛関係が殆どである。そうして右の令嬢の憂鬱症は如何なるわけかというと、相手の男が失恋のための悲観的想念が霊線を通じてそのまま令嬢に反映するからである。右の如く生霊は相手の想念が反映するわけである故に、右と反対に両者相愛する場合は相互の霊線が交流し、非常な快感を催すもので、男女間の恋愛関係が離れ難い関係に陥るのはこの快感が大いに手伝うからである。また死霊が憑依する場合は悪寒を催し、生霊が憑依する場合は温熱を感ずるものである。
<事例2> 三角関係の争い。
(『生霊』より/『霊界叢談』)
恐ろしい生霊もある。それは本妻と妾などの場合や三角関係等で一人の男を二人の女が相争う場合、その嫉妬心が生霊となり闘争するのであるが、たいていは妻君の方が勝つものである。その理由は、正しい方が勝つのは当然であるからで、その場合妻君の執念によって妾の方は病気に罹るとか死亡するとか、または情夫を作って逃げるとか、結局旦那と離れるようになるものである。
Copyright © 2020 solaract.jp. All Rights Reserved.