4.病原となる〝曇り〟

① 罪穢による霊的な病気は治り難い。

(天国の福音『罪穢と病気』より)

 人は悪を思い悪の行為を重ねるに従って漸次曇りが増量する。然るに曇りの濃度がある程度に達する時、それを解消すべき自然浄化作用が起こる。(中略)右の浄化は多くの場合病気となって現われるが、時としては他の形即ち種々の災害等による事もある。勿論右の曇りと雖も、体的には毒血、膿の溜積である。しかしながら体的方面からでなく罪穢による霊的からくる病気は治り難く長年月を要する。結核、カリエス、癌等執拗なる症状の多くは、これに属するのである。

② 悪の想念は、人間の健康にも農作物にも悪影響

(『大三災と小三災』より)

 想念の悪に属するものとして、不平、憎み、呪い、嫉み、個人的怒り、偽り、復讐心、執着等が霊界を曇らせるのである。

 次に言葉であるが気候が悪いとか悪天候とか米の不作とかいうような自然に対する不平や、人に対する非難攻撃、怒号、罵声、秘密、欺瞞、咎め、愚痴等、すべて悪から発するものは想念界の次位である言霊界を曇らすのである。それら種々の曇りの堆積の量がある程度を越ゆる時一種の毒素が発生し、人間生活に支障を来たす事になるので、その自然浄化が発生する。それが天地の法則である。前述の如く霊界の曇りは人間の健康にも影響すると共に、草木特に農作物にも悪影響を与える結果、凶作との原因ともなり、害虫の発生も旺盛になるのである。

③ 過ちに対する刑罰として霊が曇り、血が濁った濁血者に黴菌はわく。

(『黴菌は有難いもの』▲より/『栄光』115号)

 一体濁血というものは、どうして出来るかという事で、これこそ万有相応の理によって、実に合理的に造られるのである。というのは人間は神様の定められた役目を自覚し、それを正しく行えばよいが、多くの人間はつい不正や過ちを冒し易いので、その結果霊が曇り、霊が曇ると血が濁るので、それが病の元となり、苦しみとなるのだから、つまり過ちに対する刑罰という訳で、こうしないと人間は正当に役目を果さないのみか、世の中へ害を与えるから、止むを得ず神様はそういうように造られたのである。従って人間が正しい行いさえすれば、濁血者とならないから黴菌は湧かず、病気はこの世から無くなるのである。

(岡田先生療病術講義録▽上巻『病気発生の原因』より)

 人間の悪念及び悪行為に因る罪穢の堆積が精霊を曇らし、燃焼と洗浄作用をする結果、それの残渣が物質化して毒血となり、膿汁となり、それの排除作用が、即ち、病気現象である。

④ 善行を怨む悪から曇りを受け、肉体的な苦痛も運命的な苦痛もあるが、善行で助かって喜ぶ人の想念が光となり、受ける曇りは非常に少ない。信仰に入るとその浄化が起きるが、神様のお恵みによって少さくて済む

(『御教え集』第28号/S28.11.17より)

 例えてみれば、人を苦しめずに何かやっていて発展する――われわれの方でも宗教が発展して信者ができますが、それでこのメグリが来るのです。それは何かと言うと、他の宗教が影響を受けるのです。仏教とか、そういうものの方で非常に信者が減るとか衰えるとか、又維持に苦しむとか金が足りなくなるという場合に、どうもこの頃新宗教が大分勃興して来たので、その影響を受けるのだ、特に救世教というのが一番活動して、あんな立派な美術館を造ったりしている、シャクに障る、羨しい、といった想念がやはり曇りになってこっちにぶつかって来るのです。ですから善い事をしておれば何もないかというと、決してそうではないのです。かえって善い事をすると悪の方で怨むのです。又例えてみれば、泥坊とか人殺しをして警察に引張られて酷い目に遭って調べられたりすると、自分がその因の種をまいていても、やっぱり警察官を怨むのです。(中略)しかし他でその良い事のために助かって喜んでゆく人がありますから、その人からは良い光を受けますから、さのみではないので、非常に少ないわけです。自然栽培が非常に拡がれば、今度は肥料屋が大変です。最初は、この肥料屋の怨みの方が農村の喜びよりも、多いかもしれません。そういうようで、それが曇りになると、その部の血が濁りますから、やはり体が悪くて肉体的苦痛もあるし、運命的苦痛もあります。(中略)それで信仰に入ると浄化があるが、つまり神様の御恵みによって小さくて済むのです。大難を小難にというわけで、小さくて済むのです。

⑤ 苦しみを軽くするには、人を救うか、救い方が足りなければ自分が苦しむか。

(『御教え集』第30号/S29.1.26より)

 こんなにしても自分は苦しい事や災難がいろいろあるという事は、それはまだ霊に重い点があるからして、神様が軽くして下さるために、軽くするには人を救うか、若し救い方が足りなければ自分が苦しむかで、このどっちかで曇りが取れるのですから、その点さえ分れば、世の中は決して難かしくも何んでもないものです。結局、一切は浄化作用です。それで浄化作用とは一つの掃除ですから、ゴミがあるとどうしても掃除されなければならない事になっているのです。(中略)これを大乗的に言うと、もっと面白い浄化作用があります。仮に、火事で焼けるのは無論そうですが、泥坊に盗られるとか詐欺師に引掛って瞞まされるとか、それから最近の問題の保全経済会とか、いろんな貯蓄で損をする人が沢山ありますが、これはやっぱり浄化作用です。その人の持っている金の中に非常に汚ない金があるのです。そういう金はどうしてもその人が持つ事ができないので逃げてしまうわけです。(中略)凡て汚ないものはきれいにするというように神様がこの世界を造られたのです。だからそれを本当に分るという事は大乗的見方なのです。ところがこれはあんまり私が話をしないというのは、その話をすると泥坊も必要だという事になります。間違えますから、こういう事は腹の中で覚ることです。

⑥ 病気で排除されるのは毒血で、浄血は排除されない。

(岡田先生療病術講義録▽(上巻)『毒血と膿』▲より)

 毒血と膿でありますが、これは陰陽のごときものであります。しかし、毒血は膿になるが、膿は毒血にはならない。ですから、毒血の浄化されたものが膿で、それは断えずどこかへ溜るので、婦人などは腹部へ溜りやすく、それが自然浄化によって溶解され、白帯下(こしけ。おりもののこと)となって出るのであります。ところが、白帯下が出ると、子宮が悪い、内膜が悪いんだと心配しますが、実は白帯下の出る程、結構なのであります。白帯下になって出ない人は、腹膜炎を起したり、足が重くなったり、利かなくなったりするのであります。次に、よく喀血や痔で出血する事がありますが、これは決して浄血ではないので、毒血であります。浄血は、病気では排除されないものであります。そのことを知らない為に、喀血でもすると非常に吃驚するが、これは大変結構な事なのです。ですから喀血する肺病は、十人が十人治ります。又、喀血性はほとんど発熱がない。稀には微熱のあるものもあるが、滅多にないのであります。この症は、膿結がないから、発熱の必要がないのであります。医学の方でも喀血をする肺患は、質(たち)が良いというのは、そういう訳であります。喀血性肺病は、普通業務に従事しつゝ自然に任しておっても治るのでありますから、少しの心配も要らないのであります。

ア.浄霊は霊的輸血。医療で輸血した血はいずれ排除される。

(お伺い/昭和24年4月)

――輸血は生命が危急の場合に使用し、ある程度効果があるように思うが、罪になるのか。

 罪にはなりませんが一時的なものですよ。いずれ治ってから浄化作用を起こしますよ。輸血した血は決してその人の血とは混じりませんからね。やがて痔の出血だとか、喀血だとかして排除されますよ。……このご浄霊と言うのは霊的輸血ですよ。これが本当の輸血ですよ。血液の霊化したものがこれ(ご浄霊)ですからね。(中略)

 だからね、ご浄霊で病気が治るってのは、実にすばらしい文化ですよ。で、私は、これは21世紀か22世紀の文化だって言うんですよ。

イ.浄霊五分くらいで、二百グラムの輸血より血が多くなる。

(出典不明)

 ご浄霊というのは霊的輸血ですよ。血液の霊化したものがこれですからね。5分くらいご浄霊すれば、二百グラム輸血するよりも血が多くなりますよ。

⑦ 曇りの多少で、霊体の病気治癒が肉体に表れる速さに遅速がある。

(岡田先生療病術講義録▽(上巻)『霊と体の法則』▲より)

 霊に体が従う事は、万物の法則であります。従って、霊を治す事によって体の病気は治るのであります。たゞしかし、霊の病気が治って、直に体に映る人と、遅く映る人、例えば半日か一日位かゝる人があります。これは曇の多い少いの関係であります。よく痛い痛いとうなっていたのが、眼の前で治る事がよくある。それは、霊体から肉体へ映るのが、すこぶる速い人であります。一例として、以前、睾丸へ膿が溜る子供があって、相当治癒して半分位まで小さくなった時ばったり来なくなってしまった。すると、半ケ月ばかり経つと、私の所へお礼に来て、取込みが出来て伺えなかったが、お蔭ですっかり治ってしまいました。・・・と言っていたのであります。これは、霊体が治ってから、肉体へ表われるのに数日かゝった訳であります。そういう事は珍らしくないのであります。霊体から肉体へ移るのに、非常に速い場合と遅い場合とある事は心得ておくべきであります。

 

 

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