① 現代科学は有限力の研究。霊界と現界のちょうど中間である物性論が進めば、科学は宗教に入って、神霊に行く。結局、宗教と科学とは同じ事で、科学が求めていたものが宗教となる。
(『御教え集』第26号/S28.9.27より)
今の科学界の現状は、何んと言っても物性論が研究の中心になってます。それで物性論というのは素粒子から次に入ったものですが、これはわれわれの方で言うと、そう難かしい事はないので簡単な事なのです。(中略)大体素粒子というのは物質の粒子の最も細かいもの、微少(微小?)なものです。微少(微小?)ではあるが、物質までにはゆかないものです。つまり物質の少し手前のものです。(中略)ところがそれから先に行くと一つの気体みたいなものになります。分り易く言うと、人間の病気の因は霊に曇りを生ずる、というその曇りの粒子なのです。それがまだはっきり把握できないために、物性―物の性質というような意味になっているのです。これはこういうふうになるほど粒子は細かくなるのです。けれどもつまりはっきり摑む事はできないが、いろいろな操作によって有るべきはずだというわけです。だから物性論というのは非常に変化があるというのです。いろいろな性質があるというのです。甲の場合の物性論と、乙の場合の物性論とは性格が違うのです。それで所によって性質が違うというので、今度の科学者の会では「場」という事を言ってます。場によって違うという事を言ってます。元は一つですが、或る物を通す時に変化するのです。つまり病気と同じで、医学では病気によって治し方が違ってますが、われわれの方では何病気でも同じ方法です。これ(掌)から出るものは一つで、何病気でもそれで治るというわけです。物性論の研究をみても、これと同じ事になってます。ところが例えそういった粒子を発見しても、それが役に立たなければ何んにもなりません。そこで役に立つという事は、それから発する力です。そこで今度も外人で量子力学という事の講演をしてます。そこで量子力学が結びつかなければならないというのです。ですからやはり浄霊というものも一つの力学です。力です。ただこれだけは知っておかなければなりません。それは、科学で作る力は限度があるのです。幾ら顕微鏡が精巧になっても、一ミリの中に粒子が何万個、何億万個と言っても、そういうように数えられればそれが限度ですから、それだけの力しか出ません。原子爆弾が如何に素晴しい爆発力があっても、それは局部的のもので、地球全体を壊すという事はできません。それは物質で作る力だから有限力なのです。ところが神様が作る力は無限力なのです。最近ロスアンジェルスでは素晴しいお蔭話が出たのですが、そうすると私の力がロスアンジェルスまで何んでもなく行くのです。これは無限力だからです。この無限力というのは時間空間を超越したもので、それは神様の力です。だから現代の科学というのは結局有限力の研究です。いずれ或る程度まで行けば、頭を下げるよりしようがないのです。その物性論というのは、霊界と現界、霊と体の丁度中間になっているのです。物性論が進めば要するに科学は宗教に入って来るのです。科学が宗教に入って来ればもう科学ではなくなるのです。私はこれから書こうと思っているが、科学が物性論に入り、その先はどうだ、又その先はどうだ、と何処までも行くと、結局神霊――神様の所に行くわけです。これはなかなか説明し難いのですが、できるだけ書こうと思ってます。とに角今は科学と宗教の結び目に来ているわけですから、それを予め知っておけば、どんな学者が質問して来ても何んでもありません。(中略)結局そういう工合につきつめてゆくと、宗教と科学とは同じ事です。むしろ科学が求めていたものが宗教という事になります。しかし宗教と言ったところで、今までの宗教では其処までは行っておりません。今までの宗教では科学のちょっと先くらいの所です。だからむしろその力によって負けてしまうのです。ですから私の説というのは宗教ではないのです。しかし宗教の分野に入るべきものですから、そこで書くわけです。
② 科学も哲学も見えない世界の手前に来た。素粒子にまで来た科学をやっつけられるのは、科学に負けた粗い旧い宗教ではなく、救世教だけ。物の性質のもとになるものを摑まえるには宗教の世界に入らなければならない。
(『御教え集』24号/S28.7.27より)
素粒子と言って、「素」というのは粗いという事です。素粒子というのは細胞の小さいものです。それで物性子というのは、物の性質の原になるもので、これは目に見えないものです。これを見ようとして実験科学をこれからやるのですが、これを摑まえる事はできようがないのです。だからどうしてもこれを摑まえるには顕微鏡で見えない世界にはいるよりしようがないので、その世界というのは宗教の世界です。この宗教の世界といっても、今までの宗教というのがごく下の世界なのです。だから今までの宗教は科学よりかもっと粗いのです。何故と言って、各宗教では今病院を造ってますが、という事は、もう科学にお辞儀をしているのです。科学が素粒子を発見したとすると、今までの宗教は素粒子よりも粗いのです。大素粒子です。何故と言って、各宗教では今病院を造ってますが、という事は、もう科学にお辞儀をしているのです。科学との戦いに負けているのですから、負けた方は粗いのです。つまり宗教の方は素粒子まで行ってなかったのです。結局科学との戦いで、科学が今までのように進歩してないうちは宗教の方が勝ったのです。昔からの古い宗教はとに角多くの人を救えたのです。ところが今は宗教の方が力が無くて科学の方が力があるから、そこで無神論者が増えるのです。(中略)そこで科学をやっつけられるのは救世教よりないのです。これは素粒子よりずっと細かいのです。レントゲンで通す事はできないのです。(中略)そこで科学でも哲学でも、丁度今は物性子、目に見えない世界の手前に来ているのですから、どうしてもその先を分らせなければならないのです。
③ 科学と宗教の結び目に来た。物性論の先にいくと霊界に入り、理論神霊学となる。力の相違があるから、浄霊で科学で治らない病気が治る。
(『御教え集』第26号/S28.9.24より)
理論物理学者の一番の主力としては物性論です。(中略)つまり素粒子論から物性論に進んで来たのですが、素粒子というのは物質の最も微小なもの、顕微鏡ではまだ本当に摑まえられないくらいの小さなものです。それから物性論というのは物の性質と書くのですが、顕微鏡では把握できないが、つまりいろいろな試験によって、あるべきはずだ、なくてはならない、というような仮定的の理論です。(中略)そういうわけで、物性論に行くと、その先はもう科学では駄目なのです。今科学は、つまり科学と宗教の丁度結び目に来たわけです。それで物性論の先に行けば、どうしても霊界に入ります。ですから私の言う霊という事はずっと先の事を言っているのです。それで浄霊で病気が治るという事は物性論よりずっと先の事なので、その間にもいろいろあります。それで、これから理論物理学のもっと先に行った理論神霊学というのを書こうと思ってます。つまり科学者に対する指導的理論なのです。(中略)いずれは其処に行くのだから、其処に行ってから喫驚して、なるほど神はある、科学では駄目だという事になるのです。それで宗教と言ったところで、今までの宗教は其処まで行ってないのです。今までの宗教は科学のちょっと先、物性論の一歩先までしか行っていないのです。(中略)それで救世教の方は科学よりずっと先の深いもので力があるから、科学で治らない病気が訳なく治るという事は、そこに力の相違があるわけです。(中略)そこでこの無限粒子というものが一番力があるのです。(中略)そこで、とに角超宗教の分野に入りかけつつあるという事だけ知っていればよいわけです。
④ 量子科学で作る力は有限力で限度がある。病気で浄霊が治る原理は、理論神霊学の骨子である無限力の発揮を説けば分かる。
(『御教え集』第26号/S28.9.25より)
物性論です。これはつまり素粒子から進んだものですが、素粒子というものは、粒子の最も小さなものです。これは顕微鏡で見えないくらいの小さなものですが、確かにあるという事はよく分るのです。(中略)ところが物性論というのはまだ分らないのです。これは物の性質ですが、というのは気です。われわれの方で言うと霊ですが、其処に入って来たわけです。だから科学の方は今丁度、宗教と科学、或いは物質と霊という所の継ぎ目の所に来たわけです。これから科学が進むと、もう科学ではなく宗教の分野に進むわけですが、其処までは気がついてないようです。(中略)そこで私は、今書いている「医学革命の書」の次に「理論神霊学」というのを書こうと思ってます。これは今言う理論物理学のずっと進んだ所です。というのは今の理論科学が進んだ所が理論神霊学だという事を知らせるためです。そこでこれについての最もの急所――肝腎な所は、今までの物理学は結局は力なのです。(中略)つまり量子科学です。力の発見によって、力の運用によって初めて効果があるわけです。だから原子爆弾も力です。爆発によって火の力が最高度に達したものです。ところが私の理論神霊学の骨子は無限力です。力には有限力と無限力とがありますが、科学で作る力は有限力で、限りがあるものです。つまり粒子となれば、要するに粒々ですから、それで限度があります。ところが無限力というのは粒子ではないのです。もっと奥のものです。そこで浄霊で病気が治るという事は無限力の発揮です。それで医者の方のラジウムとかレントゲンというものは有限力です。そこが大変な違いです。そこを説けば浄霊で病気が治るという原理は分ります。
⑤ 現代科学は有限力の研究で、無限力は時間空間を超越した神様の力。科学が物性論の先を求めると、神様のところに行く。
(『御教え集』26号/S28.9.27より)
この無限力というのは時間空間を超越したもので、それは神様の力です。だから現代の科学というのは結局有限力の研究です。いずれ或る程度まで行けば、頭を下げるよりしようがないのです。その物性論というのは、霊界と現界、霊と体の丁度中間になっているのです。物性論が進めば要するに科学は宗教に入って来るのです。科学が宗教に入って来ればもう科学ではなくなるのです。私はこれから書こうと思っているが、科学が物性論に入り、その先はどうだ、又その先はどうだ、と何処までも行くと、結局神霊――神様の所に行くわけです。これはなかなか説明し難いのですが、できるだけ書こうと思ってます。とに角今は科学と宗教の結び目に来ているわけですから、それを予め知っておけば、どんな学者が質問して来ても何んでもありません。(中略)結局そういう工合につきつめてゆくと、宗教と科学とは同じ事です。むしろ科学が求めていたものが宗教という事になります。しかし宗教と言ったところで、今までの宗教では其処までは行っておりません。今までの宗教では科学のちょっと先くらいの所です。だからむしろその力によって負けてしまうのです。ですから私の説というのは宗教ではないのです。しかし宗教の分野に入るべきものですから、そこで書くわけです。
⑥ 霊的科学によって浄霊が科学療法であることを説く。病気の原因を説明できない現代医学は、無理にこじつけて説明しているから、始終説が違う。
(『御教え集』第29号/S28.12.25より)
つまりこの不純水素の毒粒子を焼いてしまうのです。その焼く熱度というものが大変なものなのです。ですから此処(掌)から出る光の熱は、それこそ寒暖計では計れないほどの熱ですが、ただ熱の霊なのです。普通の熱いというのは熱の体なのです。熱の霊というのは、体ではないから、その熱さは感じないのです。その代り熱としての力は非常なもので、むしろ無限と言ってもよいくらいなものです。こう説くのが科学的説明なのです。科学的と言っても機械的ではないのです。いわば霊的科学です。それで霊的科学というのは今まで人間には経験がないからちょっと分り難いのですが、理窟はチャンと合っているのです。というのは今の医学などの科学というのはごく幼稚なものだから説明ができないのです。つまり病気の原因は何だと言っても、医学では説明できないのです。それを無理にこじつけて説明してます。よく新聞や雑誌に出てますが、その苦しいのはよく分ります。こじつけだからして始終説が違って来るのです。最初この薬は非常に効くという奴が、だんだん時がたって来ると逆作用が起こるとか言うのです。(中略)ですから私は今まで薬が出る度に、今に駄目になると言って笑うのですが、これは何んでもない事で、当然なのです。今までは物質的説明はできるが、科学的説明はできないのです。だから科学ではないと言うのです。ところがこっちの方を非科学と言い、自分の方を科学と言うのですから、おおよそ逆です。今の文化というのはそういうものです。それを今の文化的の人が威張って言っているのですから、笑うべきものです。物事がうまくゆくはずがないのです。
⑦ 破壊と創造が同時に起こる最後の審判だから、活人爆弾である浄霊と殺人爆弾である原子爆弾が同時期に生まれた。浄霊は溶かして出す力で、原子爆弾よりもずっと粒子が細かく、上等。
(『御教え集』第28号/S28.11.27より)
今殺人原爆と活人原爆というのを書いてますが、これを分りやすく言うと、これ(浄霊)が活人原爆です。それから今の原子爆弾は殺す原爆です。それで宇宙というものは反対な二つの力があって成生(生成?)化育されているのです。だから破壊の力と創造の力です。ですから地球は引力と言いますが、斥力もあるのです。吸う力と、はね返す力です。(中略)それが丁度時を同じくして生まれたという事が面白いのです。ですからこれはやはり原子爆弾と同じ事です。ただ此処から出る火素は、壊す原子爆弾よりもずっと粒子が細かい、上等なわけです。そこで、毒素を固める方法というのが、固まりきった時が破壊になりますから、それと原子爆弾とは同じです。ですからラジウムとかレントゲンというのはやはり固める作用をする物です。それのもう一層激しいものが、固まりを壊す作用になり、それが原子爆弾の原理です。ところが私の方のは溶かす力なのです。ですから溶かして出す力です。これは丁度今のと反対の力です。けれども結局において力の素晴しいのは原子爆弾と同じです。ただ働きがアベコベになっているだけです。ですからこれ(浄霊)を原子爆弾と思って説明すると一番分りよいのです。つまり人を殺す原子爆弾と活人原子爆弾が丁度同じ時に現われたという事が非常に面白いのです。というのは、何時も言うとおり、最後の審判は破壊と創造が同時に起こるのです。だからこれがつまりそれの根本的のものです。
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