6.唯心医学と唯物医学の比較対決

① 病気が治ることと、グズグズ生きて死ぬのが伸びることは違う。

(『御教え集』第31号/S29.2.15より)

 即ち今の抗生物質というのは副作用が割合少なく起こるというのです。その代り結核の増加率は少しも減らないで、ますます増えるのです。ただ死ぬのを延ばすだけのもので、病気が治るのではないのです。病気が治るという事と、死ぬのが延びるというのとは、似て非なりで、違うのです。病気が治るという事は、ピンピンしてしまうという事ですが、ピンピンしないで、ただグズグズ生きているというわけです。

② 結果論のみで論戦すべき。

(『方法論と結果論』より/『光』19号)

 今日、本教によって行なわれている浄霊法はとかく世間から誤解され易い憾みがあるから、ここにその点を詳説してみよう。

 (中略)今日まで非難する者の言を聞くと、医療よりも効果が少ないという点は一つもない。然らば非難の言はどこかというと、方法が間違っているというのである。(中略)。私はそれについて反駁してみるが、彼らが非科学的で迷信的であるというのはどういうわけかというと、機械や薬剤の如き物質を使わないからというのである。ところがそれも無理はない。何となれば療法の対象物である人体を彼らは動物となし物質とみなすに反し、我らは人体は物質のみではない。目には見えないが精霊があり、霊体両様の元素から成り立っているのが人間であり、然も霊が主であって、霊の動き即ち意志次第で体は動かされるというのであるから、いうまでもなく唯物的解釈と唯心的解釈の相違であって、一口に言えば体主霊従と霊主体従の差別である。

 これによって、彼らは物質を治すには物質をもってするに反し、我らは霊を治すには霊をもってするのである。然らば右の二様の見方は何れが是であり非であるかを決定するとしたら、それは何によって正確な断案を下し得るかという――その事こそ問題解決の鍵であらねばならない。とすればその条件として絶対誤りのない方法としては実際的効果による外はない。

 その点について、唯物的解釈は目に見える物質を対象とする以上、何人にも認識され易いに反し、唯心的のそれは目に見えない空に等しきものである以上、簡単に認識させ難い不便がある。(中略)ところが事実は治病方法が機械と薬剤を如何に応用するも治癒せざる病患に対し、我らが機械も薬剤の力も借りないで、ただ人間掌の操作によって驚くべき治病効果を発揮するのであるから、一言にして言えば一方は理屈に合って治らない、一方は理屈に合わないで治る。一方は方法を主とするに反し、一方は結果を主とするという、その違いさの点に注目すべきである。しかし、この方法論と結果論は何れが是が非かはあまりにも分り切った話である。

 以上の論理をさらに徹底してみる時こういう事になろう。結果の非である方法がたとえ科学的であっても、実際に役立たないとしたら少なくとも正しい科学ではないという結論になり、右に反し結果が是であるとすれば、それは実際に役立つべき正しい科学という事になろう。ただ可視と不可視の相違だけであって、前者は可視的非科学となり、後者は不可視的科学という事になろう。

 以上の理によって、私のこの論旨がもし誤謬であるとすればそれを反駁すべきであると共に、万一反駁できず納得がゆくとすれば、今後は方法論を撤回し、結果論のみによって唯物医学と唯心医学との論戦を闘わすべきが本当ではあるまいか。かくして真に人類に役立つべき新文化の発展を期待し得られよう。

③ 優劣を決める実験をすべき。

(『科学封建』▲より/『栄光』149号)

 本教浄霊の効果は、現代医学とは比べものにならない程の素晴しさである事は、近頃大分世間に知れて来たようだが、これについて思いもつかない困る事が時々あるので、それをかいてみよう。いかに浄霊が偉効あるといっても、百人が百人全部治す事は無論出来得ない事は、常識で考えても分かるが、たまには運悪く死亡する人もあるにはある。すると普段から反対している人達は、それ見た事かと云わんばかりに問題にしたがる。またこれをいい事にして、待っていましたとばかりに新聞などに出すのは誰も知る通りである。

 ところがお医者の方といえば、吾々の知る範囲内でも、注射一本でたちまち死ぬ人や、最初から請け合いながら段々悪化し、遂に死んだりまた手術の失敗などで、死ぬ人の話もよく聞くが、それらに対しては誰も当り前の事のように思って、少しも怪しんだり咎めたりする人はない。時には近親者などで憤慨の余り、告訴しようなどという人もあるが、こういう問題は告訴をしても仲々埒が明かず、泣寝入りになるのが落ちだと言われて、大抵は諦めてしまうのである。

 という訳で公平に見て、浄霊で失敗する数よりも、医療で失敗する数の方がどのくらい多いか知れない程で、まず一対十と言っても過言ではあるまい。ところがこの点において医学は実に恵まれている。衆知のごとく徹頭徹尾政府の厚い保護を受けているから、結果の如何など問題にならず済んでしまうので、医師は思うままの治療が出来るのである。そこへゆくと吾々の方は、どんなに効果があっても精神的に治ったくらいに思われてしまうばかりか、たまたまいささかの失敗でもあったが最後、前述のごとき非難や攻撃を浴びせるのだから、医学迷信も極まれりというべきである。(中略)

 まず現代における国家的建前からいうと、その基本条件を唯物科学に置いている以上、科学以外のものはほとんど迷信として、締め出しを喰わせている無定見さである。ところがいかに進歩した科学といっても万能ではないから、科学で解決出来得ないものも沢山あるに違いないのであるにもかかわらず、そこに眼を向けないのは不思議というの外はない。(中略)一言にしていえば、現在の日本は全く科学封建といってもよかろう。しかしこれにも理由がない事はない。現在のごとく科学時代が生まれない以前は、随分迷信が横行し社会に害毒を与えたからで、これも歴史の示す通りであって、この弊害を無くす上に科学は少なからず役立ったので、いつかしら科学崇拝が行き過ぎ、人間の魂までも占領してしまったのである。

 (中略)ではこの医学と浄霊との優劣を決めるには、ここに名案がある。それは効果の比較検討で、すなわち適当な方法を以って多数の病人を集め、二つに分けて実験する。その結果より治る方と治らない方とがハッキリ分かるから、治る方を国家が採用すればいいのである。これ以上公平な手段はあるまいから、この結果浄霊の方が勝つとなったら、医学は当然退陣せざるを得ないであろう。その結果病なき日本となるのはもちろんで、しかもこの事実を見た世界各国はたちまち共鳴し、その国の政府はこれを採用し、ここに病なき世界が実現するのである。それによって日本は全世界から崇敬の的となり、万人こぞって日本の徳を謳歌する時代となるであろう。これこそ神が私に委任された人類救済の大使命である。

(『浄霊医術の実験』▲より/栄光239号)

 何しろ人類から病を無くし、天寿を全うし得るという人間最大の悩みの解決法が生まれたのであるからこれ程偉大な福音はあるまい。全く夢の現実化である。従ってこれ程の大問題を分らせるとしたら、その方法においても尋常一様の手段では難しい。どうしても事実によって納得させるより外はないので、考えたのが次のごとき方法である。それはまず第一着手として私を招聘して実験を行う事である。その場合帝大のごとき権威ある大病院を選んで、そこで医師の指定のまま一人一人の患者について徹底的に質問する。それに対して私は理論からも実際からも、微に入り細に渉っても充分納得のゆくよう解説する。それと共に医師の面前で病人の苦痛を手を翳すだけで片っ端から治してゆき、浄霊医術の卓効を示すのである。以上は実に大胆極まる提言であるが、もちろん絶対確信があるからである。

 そこで右のごとき手段方法によって充分認識されたとしたら、第二段の方法に移るのであるが、右の実験の場合もしいささかでも私の言と事実との食違いがありとすれば、それこそ私はいかなる責任でも負うのはもちろん、断乎たる制裁をも甘受する。たとえ再び起つ能わざるまでに葬られても止むを得ないとして諦めるであろう。だが私としてそんな分りきった自殺的行為などするはずがないのは考えるまでもあるまい。従ってこの文を見、今までに発行した私の多くの出版物を見たら、当事者たる者直に調査研究に取掛らない訳にはゆくまい。それと共に前述のごとき手段方法に出て、その結果果して私の言うがごとしとすれば、ここに大問題として国家は取上げるべきであろう。

④ 医者たちは非常に強い医学迷信にとらわれている。

(『御教え集』10号/S27.5.5より)

(『恐るべき医学迷信』   【註 栄光一五七号】)

 それで思う事は、こうして自分がやった病人が之程に治った事を知り乍ら、それっきりになっちゃうんです。唯不思議だとね。こんなに治るものなら、大いに研究しなければという心が起らなければならない。それを、ハイドラジットなんてやって大騒ぎをやる。それで、完全に――もっと治るもっとはっきりしているのを医者が何とも言わないし、それにこういう記事を一年位前から厚生省に送っているんですが、こういう記事を読んでいる筈ですが、それで知らん顔しているんですから、こういう人の頭脳ですね。何と言って良いか、到底表現しようがないんです。(中略)それを頑として頭を変えないですよ。之は非常に強い迷信ですね。この迷信は宗教に負けない。宗教以上と思う。医者が始終御蔭話を見れば解りますが、始終各地で医者は驚いているんです。それで何とも言って来る人はないし、それを厚生省の連中が見ていて、それで何とも言って来ないんですから、それは実に不思議ですよ。けれどもいずれは頭を下げます。唯遅れれば遅れる丈犠牲になって命をなくす人が沢山ありますから、それが如何にも可哀相だと思ってね。

⑤ 大病院で病人を治し、医科大学で教授に講義する。

(『御教え集』20号/S28.3.7より)

 私はいよいよとなったら、大病院でやってやるつもりです。そこまで覚悟しているのです。そこまで行くと面白いです。そうして痛がっているのやウンスウンス言っている者をなおしてお医者に見せてやるのです。それからもう一つは医科大学に行って講義をしたいと思うのです。それは生徒でなく、少なくとも博士級の教授を四、五十人並べてやるのなら喋ってやろうと思ってます。結局そこまで行くでしょう。そこまでいかなければ解決がつきません。しかし先方の方では弱みがあるから怖いのです。自分の方が贋物でこっちの方は本物ですから、あばかれては大変だと思ってます。それは私の書いたものを見ると、はっきりとは分らないが〝なるほどそうだ〟と思います。例えば、手術を一つみると「手術は医学の進歩ではない、医学の退歩だ。医学の進歩なら臓器を切り取らないで、そのままでなおすのが本当だ」と書いてありますが、そうするとこれは本当だから苦情は言えません。切り取る事を威張るわけはないですから……。そういう様だから、それを言って来るだけの勇気はないと思います。しかしそこまで行かなければ本当の解決はつきません。

⑥ 健康の自由主義

ア.幸福の第一番は、現在の人間が一番心配している病気から解放されること。メシヤ教の信者が感じる心配から解放されたノンビリした気持こそ、本当の自由。

(『御教え集』第25号/S28.8.5より)

 今は健康に対する自由がないのです。(中略)ですから今の人間が一番心配な事は病気なのです。(中略)ですから、この事から解放されるという事が幸福のまず第一番のものを握ったわけです。これは別に言う必要はないくらいですが、救世教の信者になると、その点が実によいわけです。反対の考えですから。このノンビリした気持というものこそ本当の自由です。(中略)そこで健康の自由主義という事を書いたわけです。けれどもこれはそう言われればなるほどそうだと思いますが、世間一般の人は〝そんなうまい事ができるわけはない〟と、病気は怖いものではない、病気は浄化作用だから結構だという事は知らないし、又信じないから、大変な医学封建に苦しめられているわけですから、大いに健康の自由主義を世の中の人に知らせなければいけないと思っているのです。

イ.医学封建によって恐怖に陥っていることに気付いていない。医学が言う通りにすればするほど逆効果となって弱い人間が増え、それを防ぐために医療という逆方法を使っている。

(『御教え集』第25号/S28.8.7より)

 封建というものは、勿論人間の〝したい、やりたい〟という事を、それはいかんと制限されるのです。非常に窮屈にするのです。そこでそれに反抗してできたのが自由主義ですから、実際日本でも現在自由主義のお蔭で大いに楽になったわけです。ところが昔の封建よりかもっと封建なのがつまり医学なのです。この医学封建というものは大変なものだが、みんな気がつかないのです。(中略)ところが神様の医学からみると、それが人間の非常な苦しみになっているわけです。食いたい物が食えない、したい事が出来ない、無理してはいけない、人混みに行っては空気が悪い、そうしてそれが命に関わるような事を言っておどかすのです。ですから人間は震えあがって、ちょっと汽車や電車に乗っても、隣に変な者がいて青い顔して咳でもすると、これは肺病ではないか、うっかりして伝染するといけない、窓を閉めきると空気が悪くなるからいけない。そういったような恐怖は大変なものだろうと思います。(中略)

 今読んだような工合で、ますます医学はそういう面倒臭い事や、ややこしい事を進歩した事だと思っているのです。(中略)それでそうすればするほど、だんだん弱い人間が増えて来るので、これは丁度農業で肥料をやるのと同じ事です。逆効果になってゆきますが、その逆効果を妨ぐのに又逆方法をやりますから、そうなると、そういう点における文明というものは実に困りものです。

ウ.健康によかれと思って無理に強制的にやらせていることが、健康に対する封建となっている。

(『御教え集』25号/S28.8.6より)

 今日の自由主義という事は政治的の自由です。しかし政治以外に自由主義のある事にみんな気がつかないのです。そしてそれは政治の封建よりかもっと恐ろしい封建なのです。それは何かというと健康の自由主義です。今は健康に対する封建です。自由主義はないのです。(中略)たとえてみれば、ヤレ予防注射をしなければいけないと言うが、これが封建です。いやだと言っても、規則だからやらなければならないと無理に強制的にやりますが、これが健康に対する封建です。それから病気になったら医者にかからなければいけない、衛生上こうしなければいけない、こういう物を食ってはいけない、こういうようにしろ、という事を一々注意したり、半強制的にやっているわけですが、これは立派な封建です。私はその封建を破ろうとしているわけです。

 

 

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