7.霊光放射力の優劣条件

① 利他愛

ア.利他愛の人は治病力が優れる。

(岡田先生療病術講義録▽(上巻)『人間の造主』▲より)

 人間には「一種の神秘力」がある。その「神秘力」とは「一種の霊光」・・・であります。その霊光なるものは、誰しも有しているのでありますが、人によって、その「霊光放射」に、非常な差異があるのであります。その霊光放射に差別があるのは、いかなる訳か・・・といいますと・・・その人の魂の曇の程度に因る・・・のであって、その曇の程度は何によるかというと、その人の有っている・・・罪穢の多少によるのであって、その罪穢なるものの根源は「悪に属する思想と行為」の結果に因るのであります。たとえていえば、君国の為を思い、人類の幸福を念じ善徳を施すにおいて、その誠は正しき神に通じ、その人の魂は、曇が払拭されるから、常に明朗なのであります。こういう利他愛の人は、霊光の放射が強いから、治病力が優れているのであります。それに反し、国家社会より自己の為のみを思い、人を苦しめて平然たるごとき、自己愛の強い人は、魂に曇が堆積するので、霊光放射が無い訳であります。

 元来、病原なるものは、最初に述べた通り精霊の曇であるから、それを払拭するには、病人より清い魂の持主にして初めて目的を達し得らるるのであります。故に、病人と同一程度の曇のある人はいかに治療するも、その効果は、差引無い訳であります。又、病人より曇の多い人が治療すれば、反って、曇を移増するから、病気は悪化するのが事実であります。これによってみても、治療士なるものは「常に操行正しく、社会の模範的人格者」たるべく心掛けねばならぬのであります。

イ.大善心が根本になくてはならない。

(岡田先生療病術講義録▽(上巻)『治療士の心得』▲より)

 治療についての心得を述べておきます。第一に肝腎な事は治療しようとする時の想念であります。まず世の中を救い、人類を幸福にしたいという大善心が根本にならなくてはならぬのであります。これによって巧く金儲けしようとか、この人を治せば大いに自分に有利であるなどと思うのは面白くないのであります。又、治療の時だけは、施術する位置が肝腎であって、原則として、術者は上座に坐らなくてはいけないので、常識から見て、その部屋の上座は自ら判るもので、大体入口の方が下座と思えば間違いないのであります。しかし、その外の場合はなるだけ下座に居るべきで、それが謙譲の美徳であります。大変良く治る時と治らぬ時、又治る人と治らぬ人とがありますのは、右の様な種々の関係もあるのであります。

② 浄霊は他力

ア.一生懸命浄霊すると人間の力が多くなって神様の力が薄くなるし、霊を通そうとすると力が入る。力が入っているから痛みが長く続く。

(S27.5.17/『御教え集』10号)

 大体痛みというのは訳もなく治るものなんですよ。浄化作用では、一番激しい浄化作用だからして治りも良いんで、それが大分長い間そういう痛みがあるというのは、あれは浄霊の仕方がやっぱり悪いんです。というのは力を入れるんですよ。よく、一生懸命にやるという事を言いますがね。御蔭話なんかにも書いてありますが、一生懸命にやるとどうしても力が入る。だからそこを間違えない様にしなければならないですね。一生懸命にならない方が良く治る。一生懸命になると人間の力の方が多くなるから、神様の力の方が薄くなる。治してあげたいというのは結構ですが、治すのに一生懸命になるというのは、いけないんです。だから、全然一生懸命にならないで、極く軽い気持というよりか――軽い気持というと反って徹底しないので――まあ、どうでも良い、ええい面倒臭いと、そういう気持が良いんです。私はそういう気持でやっているんです。どうせ、うんと薬を飲みやがったんだから、自業自得だ。だからまあ可哀相だから治してやるんだけれども、そう何も一生懸命になる必要はないという様な――極短(端?)ですが、そういう様な気持でやる方が反って治る。すると、神様の御力の方が強くなって、人間力の方が弱くなるから治るんです。痛みなんか、極く力を入れないでやると直き治るんです。軽い気持で、霊が通れば良いんですからね。それで霊を通そうとすると力が入るんです。そこが難かしい。だから力を出来る丈抜いて霊を通そうとする。そうすると段々慣れてきますからね。そうすると痛みなんか割合早く治る。

イ.神様にお願いするのは一生懸命でいいが、浄霊は軽く何でもない気持ちでする。

(『御教え集』第18号/S28.1.5より)

 浄霊について話したい事は、何時も()()ぬけ(ヽヽ)という事を言いますが、力をぬくというだけでは足りないのです。というのは、みんな「一生懸命に」やりますがそれがいけないのです。「一生懸命」にやるためにどうしても力が入るのです。ですから『なんだこんなもの、一生懸命にやってもしようがない、可哀相だからやってやれ』という様な、ばかにした様な気持でやるのです。ですから「一生懸命」にやるといけないのです。『ええい面倒くさいな』という気持だとよくなおります。これはおもしろいのです。だから一生懸命だとなおりが悪いのです。一生懸命にならないとなおりがいいのです。あべこべです。しかし神様にお願いするのは一生懸命でいいのです。『どうか楽にしてもらいたい、なおる様にしてもらいたい』といいのは結構ですが、浄霊の方は今言った様にごく軽い気持で、なおそうと思うのは結構ですが、なおそうと思うだけであって、手に力を入れたり、一生懸命な気持が浄霊の手の方にいってはいけないのです。浄霊は軽く何でもない気持でやるのです。試してごらんなさい、そうするとなおりがいいのです。

ウ.浄霊はやり方は楽だが、力を抜くことが難しい。力を抜いてその霊が向うに通らなければならない。。

(S27.5.15/『御教え集』10号)

 大した事でなくて直きに直る様な事で御守護の電報が来ますが、あれはどうも治し方が違っているんですね。浄霊が違っているんですね。というのは矢張り力が入るんですよ。で、力を抜いてやれば何でもなく治るという事が、治らないという事はそういった訳ですね。だから浄霊の一番の修行というのは、力を抜く修行ですよ。力を抜いてその霊が向うに通らなければならない。だから本当いうと難かしいんです。やり方は楽なんです。だから楽で難かしいと、こう思わなければならない。通そうとすると力が入るんですね。そうでなく力を抜いて霊を向うに通す。之をやると非常に良く治る。兎に角力が入っちゃいけない。若し治りが悪いと、力が入ったなと気がつかなければならない。私が始終そうです。私が、一寸誰か浄霊してやる場合に、力を抜くと非常に良く治る。可笑しいなと思うと、不知不識力が入っている。ですから力を抜く修行ですね。それが出来るに従って良く治ると、こういう風に思っていいですね。

エ.火素が増えるに従って、力を抜くほど浄霊の光が出る。ちょっとでも力を入れると、霊を邪魔して治りが悪くなる。

(『御教え集』第15号/S27.10.27より)

 「一生懸命浄霊しても、何うだ」という事があるが、一生懸命浄霊したらいけないのです。治りが悪いのです。(中略)一生懸命と言っても、腹の中は一生懸命でも良いですが、その一生懸命が手に出て了うから力が入るのです。ですから軽い気持で力を抜くのです。そうすると治りが良いのです。斯う(御浄霊)やって、どうも治りが悪いなと思ったら、力が入っているのです。益々霊界が変って来て火素が増えるに従って、余計そうなるのです。つまり人間の力というものが邪魔するのです。力を入れると折角の霊を邪魔して了うのです。それ丈治りが悪くなる。ですから私なんかでも、始終力を入れない様にしてます。そうすると、とても良く治る。今迄の人間は大抵な事はあべこべをやっていたのですから、之なんかも理窟から言うとあべこべです。何でもなく治る様な事が割合に治ってないが、それはみんな力が入るからです。今は非常に火素が増えてますから、病気は非常に簡単に治るのです。あなた方でも、大抵な病気は簡単に治ります。どうも治らないという事は力が入っているのです。

(『御教え集』第27号/S28.10.15より)

 それで浄霊してどうも治りが悪いという時には力が入るからだという事を心得ておくとよいです。この力を抜くという事は、むしろ難かしいです。しかもだんだん浄化が強くなるに従ってますます光が強くなるから、そうすると光を出すには力を抜くほど出るのです。少しでも力を入れると光の出が悪くなるのです。妨げるわけです。力を抜くという事は、これ以上は抜けないというところまで抜かなければならないのです。力が入るのと入らないのとでは大変な違いです。私などもそうで、浄霊していてもちょっと力が入っていると治りが違います。この力を抜くと何倍もよく治ります。

オ.自分の力や直そうとする熱意は出さず、力を抜いて浄霊するのが修行。

(S27.5.16/『御教え集』10号)

 浄霊の仕方が未だ間違っているんですね。力が入るんです。大抵の痛みは本当に力を抜いてやれば、割合に早く治るんですよ。力が入ると治らない。ですから力を抜く事を、一層骨折ってもらいたいですね。それで、力を抜いて其霊が出来る丈向うに通るようにね。そうすると非常に治るんです。ですから、つまり力を抜く稽古をするんですね。処が、苦しがったり痛がったりすると、反って一生懸命になるんですね。一生懸命になると力が入るんです。だからむしろ一生懸命にやらない様にする方が良いですね。苦しがって七転八倒すると、反ってボンヤリして、何を苦しんでやがるんだという積りでね。ですから、自分の力とか、治そうとする熱意とか、そういうものは出さないんです。何んだこんなもの。といった様な、要するに一生懸命にならない事です。そうすると良く効くんです。だからそれには力を抜く事ですね。そこの処が、一つの修行ですね

カ.一生懸命になると掌で神光がつかえてしまうから、何でもないことをしている気持ちで浄霊する。

(『御教え集』第18号/S28.1.7より)

 最初に一寸注意したい事は、浄霊のやり方にどうもまだ力がはいる様なのです。その力がはいるというのは「一生懸命」にやるからです。この「一生懸命」がいけないのです。しかも急病とか患者が苦しんでいる場合には早くなおしてやろうとして余計に一生懸命になるから、かえって効かなくなるのです。だから患者が苦しんでいる時や、早くなおしてやりたいという時ほど「一生懸命」になってはいけないのです。神様の事は反対の事が多いのですから、できるだけ軽く、まるで人事の様な気持でやる事です。というのは、光がお守から手を通って出る場合に、ここ(掌)で一生懸命になると、そこでつかえてしまうのです。掌はなんてもなく気がはいらないと、この光がずっと通るのです。私は浄霊する場合には『なおしてあげ様、曇を取ってあげ様』という気持はありますが、手の方は『ええい、可哀想だからやってやろう』という様な至極不真面目と言えば言えますが、そういう気持でやってます。又その方がよく効くのです。ですからそれを忘れない様にしてやる事です。まあ、なんでもない事をしているという気持です。

キ.力を入れないようにすると指が広がって霊が集中しないが、指をくっつけると力が入るから、力が入らないようにして指をくっつける。

(『御教え集』第17号/S27.12.27より)

 それから一寸注意しておきますが、浄霊に力を入れない様にするためには、どうしても指が広がりますが、指が広がると霊が集中しません。これからは浄霊の時には指をくっつける様にして下さい。そうすると非常にいいです。ところが、指をくっつけるとどうしても力がはいりますから、力がはいらない様にしてくっつける事です。

ク.指をくっつけると霊がまとまるからずっと効果がある。

(『御教え集』第17号/S27.12.25より)

 浄霊の時には指を附けた方が効果があります。というのは、こうすると(指をつける)霊がまとまっていきます。開けると間が隙きますから、くっつけた方がいいのです。それから場所によっては、指だけで(掌でなく)浄霊する時に効果がありますから、指を開けないでくっつける様にすると、ずっと効果があります。

 

ケ.急所が分らないことと、浄霊に力が入っているから簡単に治らない。力を抜いて浄霊する癖をつける。

(S27.11.15/『御教え集』16号)

 よく御守護電報が来ますが、直きに治る様な、難かしい様な事でなく簡単に治る様な事の電報があるのです。これを大ざっぱに言うと、急所が分らないのと、それから浄霊に力が入る事です。その点が一番です。そこで急所を見つける事を大いに修行しなくてはいけません。それから〝力をいれてはいけない〟という事はよく言ってますが、つまり斯う(御浄霊)して治りが悪い。苦しみながら苦しいのが中々取れないという事は力が入るからです。力をグンと抜くのです。処が苦しいと力を入れますから、一生懸命になると治りが悪いという事は何時も言ってますが、そんな様でその点を大いに忘れないでやると段々慣れて来ます。そうすると力を抜いてやるのが癖になります。そういう様にやらなければならない。

コ.光が強くなってくるから手を動かさないで浄霊する。少しでも力を入れると、腹の玉からの光が遮られた明主様の実体験。

(S26.9.27/『御教え集』2号)

 病貧争絶無の世界と言う――病気ですね。病気は始終言っているから、今更言う必要はありませんが、浄霊法ですね。之を変えて貰いたいと思うのは、今迄は振りましたが、そうするとどうしても力が入るんです。之からは、光が強くなって来ると、力を入れると、人間に遮ぎられる。振らないで、すっとした方が、力が抜けるんです。だから、之からは動かさないと言うのを原則にして――場合によっては少しは振っても良いですが、出来るだけ力を入れないのです。ぼやっとしてね。その代り、霊が通らなければならないからね。通ると言うのは考えですからね。ですから通す積りで、力を抜くと言うんだから、慣れない中は難かしいが、慣れると非常に楽になります。今迄の離れ方で良いですが、この位(一尺)でも、力を抜くと割に霊が通るんです。だから、何倍治りが良くなるかやって御覧なさい。私なんかでも、力を抜く程治りが良くなる。ここ(お腹)にある光の玉が、楽にすると、ここ(手)から良く出る。一寸でも力を入れると光を遮ぎる。そうすれば、病気は段々治り良い様になって来ます。    

サ.今後は原則として手を動かさず、力を抜いて浄霊すると短時間で治る。

(S26.9.23/『御教え集』2号)

 最後に浄霊ですね。之は、今迄振ってましたが、之からはやめなくてはいけない。どうしても、こう(振る)すると力が入る。そこで、どうしても力が入らない様にするには、じっとしているんです。ですからそう言う様にして貰いたい。その代り、じっとして――少し位は動かしてもいいが――大体原則としては動かさないと言う事です。そうして、出来るだけ力を入れないで、ぼやっとしているんです。びんとしない。之は逆ですからね。一生懸命に治そうとすると力が入る。ここの処を間違わない様に。力を抜く事をやる様に。そうすると、今迄よりか何倍も良くなる。そうすると、今のお蔭話にあるが、一時間やったとか、二時間、三時間やったとか言うあれば嘘です。あなた方がやっても、二十分か三十分位で治ります。

シ.自分で一番浄霊するのは肩。霊が強い中指から出す霊は強い。

(S28.7.5/『御教え集』24号)

 それで自分で浄霊するにも一番は肩ですが、肩で固い所がありますから其処をやればよいのです。そうしてごく小さい固まりがある事がありますが、それを浄霊するには、指から霊を出すのです。これは何時も言うとおり触ってはいけません。二本の指でこうやって、中指から霊を出すようにするとよいです。この指から出る霊は強いですから、小さい固まりはよく溶けます。

ス.熱意をもって経験を積むと、一定型的ではない急所を発見できる。

(天国の福音『本医術と既存医術』▲より)

 前項までにおいて個々の病気に対し概略解説したが、それ以外のあらゆる病気については類推すれば大体は判る筈である。本来病気なるものは一定型的ではなく、万人が万人面貌の異なるがごとくことごとく多少は異なるものである。例えば肺患といえども結核あり壊疽(えそ)あり気腫あり浸潤あり肺炎あり、また単に結核にしても各人それぞれその症状経過も同じではない。もちろんその理由としては体質、性格、環境、治療法の種類、過程、薬用の多寡等にもよるからである。

 以上のごとくであるから、治療の上においても、診査の場合 病原探求が主要条件で、いわゆる急所をつく事である。急所を外れる場合、施術をいかに努力するも効果は薄い訳である。しからば病原発見はいかにすればいいかというに、それは主として叡智と経験とであり、これらの条件を練磨するには熱意と時日を要する事はもちろんで、そうする事によって漸次技能の向上が得らるるのである。

セ.何事も一旦気を抜くと効果がある。一つ事を長くやらず、どんどん変えていくとうまくできる。

(『御教え集』第11号/S27.6.5より)

 之は何事もそうですが、浄霊なんかの場合も、つまり三十分なら三十分、一時間なら一時間やる場合にも、続けてやらないで一旦気を入れて、そうしてやると効果があるんです。それで急所を見附け様と思って、一生懸命やるが急所が見附からない。それで一旦気を抜くと、直ぐ見附かる場合がある。それも、そういった転換の為ですから、転換するという事が非常に良いんです。で、やってみてスラスラと行く事は良いんですが、一寸行詰ったり一寸考えに余ったり解らなくなった時は全然それから離れて他の事をやる。そうすると先の事が反って解るものです。ですから私は一つ事を長くやらない様にする。大抵な事は最近一時間以上やる事は滅多にない。御守とかを書く場合大抵一時間ですね。それから先はやっぱり能率が上らなくて、上手いものが出来ない。それから色んな指図ですね。大抵一時間から三十分です。それでどんどん変えていくんです。そうすると其一つ一つが割合旨く出来るんです。斯ういう事はつまらない事の様で、非常に仕事の上に影響があるんですね。それから何か考える場合に、一つ事を考えていると結局解らなくなっちゃう。だからあんまり考える事はいけないですね。何でも、一つ事を考えてみて斯うと思う考えがわかなければ止しちゃって、他のことを考えて他の事をするんです。そうして良い考えは刹那にフッと浮かぶものです。考え抜いて浮かぶものじゃないんですよ。ですから、よく相談なんかそうですよ。何時間会議をしたとか――よく聞きますが、そんな事で決して良い案は出るものじゃないんです。(中略)良い案というのは一つしかないんです。三つも四つもないんです。一つしかないんです。ゴタゴタやっているのは其一つが見附からないからやっているんです。(中略)今の人に一番の肝腎なのは、頭をもう少し良くしたいですね。(中略)やっぱり誠から出る論は良いですよ。不純な論だから変なんですね。(中略)本当に国を想い、社会を想い、人民の幸福を想って言う言葉は必ず人を動かす良いものが迸しるですね。

 話は横道にいきましたが、結局人間は頭の働きですね。よく智慧と言いますが、智慧というのはそれから出るんですからね。(中略)智慧正覚というと――お釈迦さんは覚者と言いますがね。覚りを得た人を覚者と言いますが、之は矢張り覚者になると良い智慧が出るんですね。それから偉い坊さんなんかは大智と言いますが、大きな智慧ですね。そういう様な智慧という事は、頭が良くなければならない。頭を良くするには、今言う精神を転換させるんですね。そうすると頭は非常に良くなる。

ソ.話しながら浄霊すると、霊は入っていない。

(年代不詳)

 この治療は話しながらやってはいけない、按摩のごとく体的療法になる。話すると霊は入っていない、話さぬことを原則としなくてはならぬ。必要以外の話は治療が済んでからすべきである。

 

 

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