① 最も実際に即した試験制度は、治病力。
(天国の福音『民主的試験制度』▲より)
今日医学における試験制度なるものは、日本も外国も大体共通の方法である。すなわち医学的解釈による理論と経験によって成る学問的形式の作文を唯一のものとしている。しかしながらこの方法たるや、実際上病患の治癒そのものとの関連があまりに薄いという事である。なる程右の試験方法は医術すなわち病患治療の基本的条件ではあるが、それだけでは治療技術とはならない。しかしながら現代医術の程度としてはこれ以上を期待し得られないから、止むを得ざる便法として無意識に持続して来たに過ぎないのである。しかるに私が今ここに提唱せんとする新しき試験制度なるものは、最も実際に則する進歩的方法であり、しかも民主的制度でもあり、これ以上の方法は考え得られない事である。それは次のごときものである。
まず受験者は患者に向かって直接治療を施すのである。例えば生命の危険のおそれない病症として慢性頭痛、神経痛、首肩の凝り等の患者を施療病院等から試験委員が選択するのである。この場合治療時間十分位を限定し施術をなさしめる。幾分なりとも効果を挙げる者を及第者となし、無効果はもちろん落第者となす。なお付帯条件として、施術方法が患者に苦痛を与えない事、すなわち注射針の刺痛、灸点の火傷痛、強圧の苦痛等は点数が減じ、麻痺剤等による一時的苦痛緩和も不可である。
以上のごとき試験制度を採用するとしたら、及第点は真の意味における医師または療術者としての資格を有する訳である。これこそ最も進歩せる理想的試験制度として何人といえども賛意を表するであろう。従って従来のごとき方法は、官僚的試験制度ともいうべきである。何となれば従来の方法とこの私の唱える方法との可否を民衆の輿論(よろん)に愬(うった)えるとすれば、民衆はいずれを希望するであろうか、いうまでもなく後者である事は予想に難くない。
次に今一つ問題がある。それは学位である。衢(ちまた)の噂によく聞く「蚤の睾丸の研究によって博士になった」とか、または「数人の博士の診療を受けても効果がなかった」というような事実は何を物語るものであろうか。全く学位授与の方法が妥当でない結果からであろう。いかに優秀な論文を書く医家といえども、臨床上の技能がそれに伴わなければ意味をなさない。この点からいっても現代医学の試験制度が、いかに現実と遊離しているかが知らるるのである。この事に対しても、私は次のごとき方法を提唱する。
まず患者に対し、苦痛の問診以外例えば既往症や近親者の死亡やその病歴等の問診をなさざる事を条件とし、ただ患者の肉体のみを対象とし一時間を限定して診断を下すのである。それによって疾患の原因、重軽、治癒非治癒の予想等を断定する。次いで一週間位の時日を限定し、実地施術を行い、その結果診断とほぼ同様の治癒成績を挙げ得るとすれば、それは診断の適確も技能の優秀をも証明し得るのであるから、学位授与の資格は充分である訳である。この方法こそ実際に即した進歩的方法といえるであろう。
以上のごとき試験制度へ対し現代医家は挙(こぞ)って異議を唱えるであろう。何となれば現代医学の程度では不可能の一言に尽きるからである。しかるに、本医術においては可能である事を言い得るのである。要するにこの新しき試験制度こそは全世界医学界に対する原子爆弾であろう。しかしながら私は徒(いたず)らに刺戟を与えようとするのではない。人類文化向上のため止むを得ず全世界医事に携わる人士に向かってこの論文を提供するものである。
② 教師は、病気に関する研究会や座談会、質問等で研鑽し、神様の方の病気に関する知識をできるだけ豊富にしなければならない。
(『御教え集』26号/S28.8.5より)
これからはつまり鼠算式にゆきます。たとえば十のものが倍になれば二十で、十増えただけですが、百のものが倍になれば百増えた事になるわけですから、大きくなり出す勢いというものは大変なものです。又そうならなければならないし、神様はそういう予定ですから別に不思議はありませんが、余程腹を大きくしてないと面くらうようになると思います。だから何時も言うとおり、小乗ではいけない大乗でなければいけないと言うのは、腹を大きくするという事です。ですから凡て、物事の解釈にも、全体的に、一番大きな見地から判断してゆくという事が間違いないです。まあ一種の全体主義です。全体的と言うと、世界的という意味です。そういうようで、規模はだんだん大いに大きくなるのです。それには一番の武器は浄霊ですから、そこで病気を治すという事が根本ですから、そのつもりで、だんだん病気についての知識……と言っても、これは医学的でなく、神様の方の病気に対する知識というものを豊富にしなければいけません。何時も言うとおり、急所を見付けるという事は、やはり知識が豊富でないと見当がつかないわけです。ですから病気に対する研究会とか座談会というものもやると結構だと思います。それから又病気に関しての分らない事は、書面でもよいですから聞くようにする事です。というのはつまり本当の医学、霊的医学、新しい医学をつくるようにしなければいけないと思います。それは医学と違って、そう解剖学的に知らせなくてもよいのです。勿論、ただ霊的ばかりでも、治るには治るが暇がかかるわけです。同じ浄霊するにもピタッと急所に見当がつけばずっと早く治ります。それを、見当はずれなどをやっていると非常に暇がかかるわけです。だから霊的と体的の両方の事をよく知った方がよいです。時々質問などで、分りきったような事を質問する人があります。この間の質問事項などは、何処の支部長でも分るような事を質問したりしてました。そういうのは〝支部長に聞け〟という返事をしました。それから又御神書に幾つも書いてある事などを質問するのがあります。それから又あんまり分りきった事、つまり一年生の生徒が質問するような事を質問するのですから、如何に病気に対する頭が貧困かという事が分ります。ですから教師などは病気に対する知識をできるだけ磨くようにしなければいけないと思います。
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