在来の日の本古記録によりて伝えらるゝ所の、天孫降臨天壌無窮の御神勅・三種神器御授受の御神勅及び天津神籬天津磐境の御神勅は、日の本の皇室と国体の尊厳に関する最大の根拠たる神勅とせらるれども、抑も之等の神勅は、其の根源に就きて、古事記・日本書紀・古語拾遺等の記述する所大なる誤謬あり、此の事に関する真個の事実を明かに為さば、日の本皇室の尊厳は更に一層其の意義を深め、国體の光輝億倍するを知るなり。
一、天孫降臨天壌無窮の神勅
即ち先づ古語拾遺の本文を掲げんに、
干時、天祖天照大神、高皇産霊尊、乃相語曰、夫葦原瑞穂国者、吾子孫可王之地、皇孫就而治焉、宝祚之隆当与天壌無窮矣。
とあり、右を、神代文字、「神體神名天皇御名の巻」記載の文並に神示によりて、之を綜合するに、
一、日本島に人類界出現せる時に当りて、神界統治神たる「天照日大神」より、人祖に対して、人類統一の神勅降下せるは、前述せる如くなれども(第六章・第十三章参照)、猶之を略述すれば、左の如し。
神 勅
○ 男人祖を天照日大神の皇太子と定む。
○ 皇太子男人祖と女人祖を夫婦とせらる。
○ 皇太子を地上に於ける人類界の統治者とし、天に於て、「天照日大神」が天職天皇として、天津比嗣永遠の御位に在ます如く、皇太子[御身魂 大地将軍]の霊血統者、此の地上に於ける天津比嗣を継承すべし。(爰に、皇太子、万国棟鿄天職天津日嗣天皇の高御座に即かせられ、皇祖として天日豊本葦牙気皇主天皇と称う。)
○ 皇位継承の象徴として、ヒヒイロガネの (は)玉を、天より下し給う。
○ 男女五十三尊及び其の子孫を、臣下に列せしむ。
此の神勅を、『天孫降臨の神勅』と称う。在来称うるが如く、天孫たる人類が天上より地上に降り来りし次第には非ず、第四次元界に臨む第五次元界の統治神ある如く、第三次元界たる人間界に於て、其の霊統者を永遠の其の統治者と定めし、大神の神勅たるに外ならざるなり。即ち、古記本文の「天祖天照大神」とは、統治神「天照日大神」に坐ますなり。皇孫就而治焉とは、人類統治者の決定にてあるなり。
二、皇統第三代「天日豊本黄人皇主天皇」の御代に、地球全部に大変動起りて、一面泥の海と化し、万国万物潰滅す。此時、天皇、皇族三百九十七名を率いて、天空浮船に乗り、秋津根国大台原峯より、天日球の国に登り、大難を逃れ給う。地上静まりて、天皇即位○年イヤヨ月(三月)立一日(一日)「天御光太陽貴王日大御神」[天照日大神]、「天日豊本黄人皇主天皇」に詔して曰わく、
『万国の天津比嗣は、汝の子々孫々まで、天壌と共に極りなからん。汝、天津越根中国(越中)に天降りて、再び地球万国を開き治めよ。』
玆に於て、天皇、皇子皇族に詔して、日球の国より越根中国のニ井ヤのトトの山に天降り坐し、御皇城山大宮を仙洞とし給い、皇太子「天御中主尊」は、越根中国鷲羽山に天降り、其の他の皇子皇族三百九十名は、神国及支那其の他に天降り、天皇は、更に万国の五色人の祖として、二十五名を天降し給う。(註 第十七章)
三、皇統二十四代「仁々杵天皇」、即位○年ケサリ月円十日(二月二十日)、天越根中御皇城山より、天空浮船に乗りて、奇日根日向国高千穂峯に、皇后・皇太子・皇族・臣僚八十八尊と共に天降り給いて、大宮を建て、其処に御遷都ありて、万国の万機を親裁遊ばさる。
右三項を按ずるに、「天御光太陽貴王日大御神」[天照日大神]の神名が「天照大神」の御名に相通ずる所と、又「瓊々杵天皇」高千穂大宮へ遷都の事実が相混同し、来来の古記に於て、「天照大神」の『天孫降臨』『天壌無窮』の神勅として、構成せられし次第にして、天孫降臨は、決して「天照大神」たる「天疎日向津比売天皇」の御代に於ける事には非ざるなり。
二、三種の神器御授受の神勅
更に、古語拾遺の本文を記さん。
即以八咫及草薙劔二種神宝、授賜皇孫、永為天璽、矛玉自従、即勅曰、吾児視此宝鏡、当猶視吾与同床共殿、以為斎鏡・仍以天児屋命太玉命天鈿女命便配待、
右を「神体神名天皇御名の巻」の記載の文に照合すれば、
一、皇統第二十二代「天疎日向津比売天皇」(後代、天照大神と称し奉る)、詔して、劔・玉・鏡をヒヒイロガネにて造らせ給い、三種の神器と名付け給う。鏡・劔は「天真浦命」(宇麻志阿志訶備比古遅天皇の皇子)に命じ、玉は「生玉命」に命じ磨かせ、天皇御自身常に御身に着けさせ給い、之を「天忍穂耳尊」に譲り給う。(天真浦命作の劔は、長さ二尺二寸五分)
二、葺不合第六代「石鉾歯並執楯天皇」の御代、御即位式の際、「天疎日向津比売天皇御神霊」より神勅ありて、
『三種之神器を吾れと思いて秘蔵し祭りせよ。』
と宣り給う。依て、六代天皇御自身所持の御宝の神器となし給う。
右により、本文の「吾児視比宝鏡、当猶視吾」とあるは、葺不合六代天皇の御即位式の際「天疎日向津比売天皇御神霊」よりの神勅にして、「仁仁杵天皇」に降し賜いしものには非ず、又三種之神器は、天皇御自身常時御所持の御身守御宝にして、そが皇位継承の神宝となりしは、葺不合第十一代「禍斬劔彦天皇」の御時、「三神宝剱並に天疎日向津比売天皇の造らせ給える、三種神器を以て、御位に即かせらる。」とあるが其の始にして、此の時以前は、代々天皇、三種神器以外の諸神宝を以て、御即位し給いし次第なり。故に、古語拾遺の本文は、「仁仁杵天皇」を皇孫とし、其の天降りに権威を附さんが為の創意に出でし、加筆なりと知るべし。
三、神籬磐境の神勅
更に、古語拾遺の本文を掲げん。
因又勅曰、吾則起樹 天津神籬及び天津磐境 当為吾孫奉斎矣 汝天児屋命太玉命二神 宜持天津神籬降於葦原中国 亦為吾孫奉斎焉 惟爾二神 其(共?)待殿内 能為防衛(護?) 宜以吾高天原所御斎庭之穂 亦当御(於)吾児矣 宜太玉命(率) 諸部神供奉其職如天上儀 仍令諸神(亦)与陪従
右を、古文書記載の文に照合すれば、
一、皇統第十代高皇産霊天皇即位大礼祭
天皇御自身、先づ天神人祖一神宮「天照日大神」に天盃を捧げ奉り、次に、天津日嗣の高御座に即かせ給う。高御座は、其の八方位に神籬を樹て、其の外方四方位の
東に 青幣旗立て 青人王神服にて拝礼し
西に 白幣旗立て 白人王神服にて拝礼し
南に ヒヒロ幣旗立て 青人王神服にて拝礼し
北に 紫幣旗立て 黒人王神服にて拝礼し
四方位の中間四ヶ所に、黄幣旗立て、黄人万国五色人の棟鿄天皇の臣副にて、三十二臣拝礼す。(註 現今大礼に使用し給う万歳旗にある瓶は神籬立瓶を表し、五尾の魚は中東西南北の五を示し、三十二の波は三十二臣を表す。)
二、皇統第二十三代「天之忍穂耳身光天津日嗣天皇」、「天万栲幡千幡比売尊」の姫「天玉依毘売尊」と御成婚、「皇祖皇太神宮」前殿にて、即位の大典を挙げさせ給う。此時神勅により、天皇御自身にて、神籬立瓶を造り、上代天皇の大神名を神代文字にて彫刻し、爾後、即位式の際に必ず用うることに定め給う。
三、皇統第二十四代「天之仁仁杵身光天津日嗣天日天皇」、即位十六年イヤヨ立一日(三月一日)、天越根中日見日高見赤池上「皇祖皇太神宮」にて、即位大祭礼に方り、天皇自ら、神籬立瓶を造り、上代天皇の大神名を神代文字にて彫りつけ、八つを八方位高御座に建てゝ、御即位式を挙げ給う。爾後、代々の御即位式には、必ず神籬立瓶を建つる事とし、且つ、御三剱の御神宝を受けつがせ、御即位当日、天皇より「天照日神」に天ミキサカツキを奉り給う。之を天盃と云う。
四、皇統第二十五代「天津彦火火出見天津日嗣天皇」、天越根中日見日高見赤池上「皇祖皇太神宮」の前殿にて、御即位の大祭礼を挙げ給い、詔して、「太神宮」の本殿及び前殿を造替え、四方位に鳥居を建て、天皇・皇后御自身にて、神籬立瓶を造り、上代天皇の御名を神代文字にて彫り付け、御即位式当日、高御座の八方位に建てゝ位に即き給う。神籬立瓶は、「皇祖皇太神宮」に奉納。「天照日の神」の御神勅に依り、即位の年イヤヨ月立三日、天皇・皇后祭主となりて、大遷宮祭を行い給う。此の時、「思兼命」祭長となり、「児屋命」「太王命」祭官たり。五色人王三百八十名来朝参拝す。
五、葺不合第六代「石鉾歯並執楯天皇」、「皇祖皇太神宮」の本殿及び前殿を造替え、天皇即位五年ジブリ月立三日(十一月三日)、即位大祭礼を、天皇祭主となりて挙げ給う。天津高御座に登り、「天照日神」に、天皇御自身にて、一尺七寸二分の大盃に酒を奉持、朝六ッの刻より、四ッの刻まで、天盃を奉り、正九ッ刻に天皇南面して即かせ給う。高御座の八方位ヒガシ・ヒニリ・ヒナタ・ヒウケ・ヒタミ・ヒサリ・ヒイル・ヒトツに神籬立瓶を立て、高御座の天皇の左の方に、天下万国の棟鿄天皇の宝ヒヒイロガネの三種の三神宝劔を奉安し、其の右の方に、天皇竹笏を持ちて立たれ、天皇の白羽衣には、身守りとして十六菊、中真の丸は天照日神、十六菊花びらは、十六方位の万国としたる初代ウガヤフキアへズ天皇詔して自ら造らせ給いて十六菊紋と名づけ、我子孫は必ず此の紋を身の羽衣に付すべしと宣りたまえるを付けさせ、南面して御位に即かせ給う。此時、「天疎日向津比売天皇御神霊」の御神勅に、
『天下万国に一人天皇の身羽衣にのみ、日の神の守として、十六菊紋章を付すべし、三種神器を吾れと思い秘蔵せよ。祭りせよ。』
と宣べ給う。
以上列記の御即位式の模様を拝すれば、高御座は即ち磐境にして、ここに神籬を樹てゝ、天上の諸大神の神霊を招き奉り、上代天皇の御霊としては、神日本魂御劔其の他代々天皇が残し給いし神宝を、南面せる天皇の上位即ち左方に置かれ、玆に天神皇祖皇宗と御共々に、天津日嗣継承の大典を挙げさせらるゝ次第と拝察せらる。
即ち、「天之忍穂耳天皇」が神勅によりて、神籬立瓶を御自身作られ、これに上代天皇及び諸大神の御名を神代文字にて彫刻し、将来之を即位式に用うべき事を遺詔し給いし御事を稽うれば、古書本文の天津神籬・天津磐境の真意は彷彿として脳裏に浮かび来るべく、在来諸学者の唱えし解説の如きは、余りに論議に亘り、天神皇祖皇宗と共々に天津日嗣天皇の高御座に昇らせらるる御大典の本義を含む、神籬磐境の真意よりは、遠くして其の及ばざる事遙かなるを思わしむ。
殊に、本文「天児屋」「太玉」二神の如き、決して四次元界の神霊に非ずして、「太玉命」は皇統十代「高皇産霊天皇」の皇子(佃女命は其の子なり)、「児屋命」は、「神皇産霊天皇」の皇子「天豊津速産霊尊」―「市干魂命」―「居に登魂命」の子にして、皇后宮即ち「高皇産霊天皇」の皇女「天万栲幡千幡比売尊」の女「天玉依毘売尊」冊立と同時に大臣となりしものにして、「天疎日向津比売天皇」の御宇、「皇祖皇太神宮」大祭典の時、「児屋命」は既に祭典長を勤め居り、「仁々杵天皇」御即位式には祭官を勤め、完全なる人間なり。之を天上より派遣されし神霊の如く書き記せしは、前述の如く、天孫天降りを権威付けんとする、筆者の曲筆に過ぎざるなり。
以上によりて、三神勅の起源は略明瞭となりしが、現在諸学者が唱うるが如き、神現混合の鵺式解説は、之等上代の御即位式の事実を知らざるため、臆測に臆測を重ね、之を神秘化し哲学化して挙げつらう観念の遊戯は過ぎずと云うべく、猶、後段「第百六十九章登極令の変遷」の章を参照するに於ては、以上は、惟神にして、全く何等の言挙げをも要せざる明瞭なる事実なる事を首肯し得べし。
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