明 治 天 皇 [御身魂 大地将軍]
美 子 皇 后 宮 [御身魂 大鶴姫大神]
「神武天皇」の時、「天照日大神」よりの神勅で、やがて「大地将軍」の霊統たる「明治天皇」が出現あるべき事が定められていた。その神勅がいよいよ実現する時期に到り、皇統第220代神倭第123代天皇として、御身魂「大地将軍」たる「明治天皇」が即位。「美子皇后」の御身魂は「大鶴姫大神」。ここに、武門は700年にわたって掌握した政権を奉還して、皇政が復古。海内統一して、いよいよ神政復古の準備に向かうことになる。
天皇は立派で優れた16歳の時に皇位を継承し、維新の大業を進めた。明治元年8月、即位の大礼に際しては、紫宸殿の南廂下に「水戸斉昭」が献上した径二間の大地球儀が置かれ、天皇は高御座に登られた後、親しく地球儀を左右左と見て回り、神政復古、世界統理の神意を表明された。この時、天皇が高御座に登られたと同時に、内侍所に安置された神宝を、高御座と同平面にまで高さ1尺5寸を上げさせられたことは、皇祖皇宗御神霊の延長として、天津日嗣(=天皇の位)に就く意義を明らかにされたことで、太古での登極令(=皇室令)の意義をそのまま則ったもの。
ところがその後、明治時代の日本は欧米の文化を急激に輸入したために、天皇が即位した当初の意志・計画はことごとく破壊される結果を招来したことは、明治初年に発布された、天皇が意思を表示する文書「詔勅」、法律・勅令・条約・予算などを公布する時、冒頭に付して天皇の裁可を表示した「上諭」が一つとして実現されたことがなかったことによっても明らか。これは、「山武姫大神」系の外国諸神等が、皇政復古という、彼等に望ましくない事態となることに対抗すべく、西洋の文物制度を急激に輸入することで、神政復古の神勅を妨害しようとする策に出た結果に他ならない。
すなわち明治6年より、国祖「国万造主大神」が天皇に憑って諸般の事を親授されたが、天皇を輔佐する群臣百僚の多くは「山武姫大神」以下外国諸霊の虜となり、神政復古の神の意義を理解する者は少なく、明治維新後の諸施設は、全く神意神策に反して物質的にも精神的にも日の本を欧米化し尽して、個有本来の日の本を混乱させたに過ぎない状態で、神政復古の真意と遠く隔たっていた。ことにその間、明治22年2月11日には、帝国憲法と皇室典範の制定があり、日の本は単なる立憲君主国となってしまい、世界随所に存在する帝王国の一例に過ぎない状態となった。世界棟鿄天職天皇が統べ治めるという大目標と甚だしく隔たり、また翌23年11月には帝国議会の招集があって、神政復古の形勢はここに頓挫を来す。この状況を見た国祖「国万造主大神」は、現界の建替を除いて、まず「神・人の身魂の建替建直し」より着手すると決め、これを実施すべく、23年春、「明治天皇」への憑依から離れた。
国祖「国万造主大神」は、「明治天皇」の皇政復古の維新を機縁として、現界的に神政復古の準備を進めようと計画されたが、未だ「山武姫大神」以下外国諸神霊の勢力が強く、皇室と政府はことごとく外国身魂を有する人々によって占拠され、どうにも策の施す術がないことを憲法発布・議会招集によって見究め、まず「明治天皇」より離れて、神・人の身魂の建替・建直しから着手すべく、神・現・幽三界の諸神霊に対して、「国常立大神[国万造主大神]神勅によって、地の祖神として再び出現し、三界の大整理・身魂の建替・建直しを実施して神政成就に達すべき。内外の諸神はいずれもこの命に服従すべし。」と宣言し、創造神の神策と宇宙の天律について、順次説明した。
この宣示の中で、「国万造主大神」は自らを「国常立大神」と名乗る。(これより以降、「国常立大神」と称し奉る)そして明治25年1月、国祖の分霊神「稚比売君大神」の霊統たる大本開祖「出口直子」に「国常立大神」が親憑して、その宣示を発表。ただし、日の本皇室では当時、なお「山武姫大神」の部下たる「金毛九尾」と仏魔の跳梁が甚しく、これら諸悪霊の爪牙の害毒が及ぶことを考えて、日本天皇の世界統理復帰の一事については説くことをされなかった。
この「国常立大神」の宣示によってようやく天津神策を理解し、「国常立大神」が地の親神である事を認め、直ちに国祖の許に馳せ参じたのは、「竜宮乙姫」系神団がその先駆。その他の内外諸神霊は、宣示は聴いたが、国祖の威力を識らず、直ちにこれに服従しようとするものは殆んどなく、かえって諸神は宣示に反抗したため、内外諸神系間に大争闘を起こす。この度再起した「金神」系諸神と日の本在来の神系は、「盤古大神」系諸神と大戦争を開始し、神霊界の山河はことごとくこれら神霊で埋められた。この四次元界の戦争が現界に反映したのが明治27・8年の日清戦争で、この神現両界の戦争の結果、将来の建設に必要な破壊、すなわち身魂の淘汰整理は、創造神の意志に沿うべく相当程度まで行われた。
それ以後の10年、「国常立大神」は引き続き天の神策を説き給い、補佐役として神定された「日之出大神」の穏健な政策を快く受け入れて、争闘を用いず、外国諸神系の神霊に覚醒を促し、一日も早く宇宙の「限定の時代」に入らんと努力した。ところが、「山武姫大神」系の諸神霊はなお猛威をふるったために、日の本系の神霊は耐えられなくなり、ついに再び大戦争が起こる。これが現界に反映して明治37・8年の日露戦争となったもので、両戦争とも日の本系神霊の勝利に帰した。
「明治天皇」はこの間、日本天皇として国家経営と同時に、「大地将軍」の御身魂として国祖「国常立大神」より諸種の神示を受けたが、神示と経営する現実との不一致が絶えず、その一部分を拝察する。御製の殆んど全部は、神霊が何ものかを経験しない人間には、その意味を読むことはできない御歌のみ。ことに、「国常立大神」が憑られている間の御歌には、現実的な解釈だけでは全くその意味を推し量れないものが多く、また、世間で伝えられる御製も、この国祖大神の神意を推し量る上で、おのずから別の歌意を読める。ゆえに、「明治天皇」の御製を単に日本皇国の元首としての御歌とのみ考えるのは大いなる誤りで、国祖大神再出現の神意なり。天がその神策を進めていることを理解して、初めて陛下の数万首の御製の本当の意義を理解することができる。
とすれば、明治43年の日韓合併は、決して日の本天皇の意志ではなく、また国祖「国常立大神」の意志でもなく、やがて神政復古と共に、朝鮮には自治を広くいきわたらせるべきもの。太古での日の本の地図を見れば、天越根国[スミラミコトクニ]の境界は決定されており、支国の一半島朝鮮を合併して、地図の色彩を変えるような些細な事は天皇の御意でもなく、神意でもない。天皇はその当時の時勢の赴く所、止むを得ず合併を許されたもの。その時の御製に「ひとむらと思ひし雲のいつの間に 天津み空を覆ひはてけん」と詠まれたのは、日韓合併に到る制止がたき経緯を歌われたものと拝察する。このほか凡て「天照日大神」と国祖「国常立大神」の真意と天職天皇としての意志はどうかを心に銘じて御製を読めば、「明治天皇」の御製はことごとく創造神の神策と宇宙の天律に即した理解から作られたものと拝察できる。明治23年春、「国常立大神」が、天皇より離憑された時の御製「おのが身に まがつの神はなけれども うからやからに悪はゐるなり」を読めば、ほとんど推察できるのではないか。
かつて、「神武天皇」出現の時、「天照日大神」の神勅によって、「饒速日大神」[十道行成大神]以下日の本の諸神霊が、日の本に入り込んだ「山武姫大神」系神霊に対する矛を収めた時の神勅に、「やがて一旦は、大地将軍の身魂たる明治天皇に、此の世を持たすにより汝等矛を収めよ」とあった。「明治天皇」が出現して45年にわたる維新の大業を遂行されたが、この神勅にあるように、見たところ天皇の治世の間に神政成就に到らなかったのは、懼れ多いが「美子皇后宮」の御身魂が「大鶴姫大神」で、未だ全人類統率者としての皇祖の御身魂「大地将軍」と「常世姫大神」に復帰されていなかったため。神勅の通り、天皇の出現と経綸は一旦終わり、世は「大正天皇」の御代となった。
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