九月五日

 面白い論文を書いてみたのです。今の世の中は色んな苦しみがあって地獄の様なものですが、その色々な事の(もと)がみんな悪から発生しているのです。割合にそこに気が附かないのです。あんまり悪の世の中が来過ぎた為に、それが当り前みたいになっている。だから分り切った事でうっかりしているのです。それを書いてみたのです。

 御論文「悪の世の中」     【註 栄光一七四号】

悪の世の中

(栄光一七四号)

 現在世界のどの民族もそうだが、戦争と病気の不安、思想問題、経済難等、何や彼やで苦しみ抜いているのは、誰も知る通りであるが、玆では先ず日本の一々に就いて書いてみよう。その中での大きな悩みである経済難から書いてみるが、政府は固より、民間に於ての経済的行詰りは事新しく言う迄もないが、この原因に就いては殆んど誰も気が附かない処にある。それは言わずと知れた悪の影響である。

 先ず政府事業であるが、これは官吏の悪の観念が大いに災いしている。若し官吏諸君が出来るだけ悪を避けるとしたらどうであろう。一切の支出は国民の血と汗で納めた税金である事を考えるから、無駄な金など費う気になれないし、又執務時間の浪費も慎しむから大いに能率も上り、役人の数も今日の半分位で充分間に合うだろう。然も誠意を以て事に当る以上、万事スムーズにゆき、国民の気受もよく、今日のように役人を恐れたり、軽蔑したりするような風潮はなくなるであろうし、親しみ深く、尊敬も受けるようになるのは勿論である。

 その上御馳走等の暗い面などもなくなるから、汚職問題なども起らず、安心して任せられる。としたら、調査監督の必要もなく、裁判問題も起らないから、国家経済上どの位プラスになるか分らない程であろう。又個人的にも、御馳走酒の飲過ぎや、無意味な不衛生もないから、健康も増し、生活も豊かに、家庭円満となるのは勿論である。その他政府事業に附物の裏面運動もなくなるから、総てが非常に安価となり、この点の利益も予想外なものがあろう。以上並べた事だけでも実現が出来たとしたら、政府の予算は今の半分でも余る位で、税金も大減額となるから、国民はどんなに喜ぶかしれない。

 次に民間の事業会社にしてもそうである。従業員全部が悪の精神から脱却出来れば、どうなるであろう。何事も誠意を以て仕事に当る以上、対外的にはコンミッションや御馳走政略、運動費等の支出もなく、駆引や誤魔化し等も極く稀になろうし、取引は円滑となり、余計な暇もかからず、気持よく商売が出来ると共に、生産も増すから、コストも低くなるので大いに(さば)け、殊に輸出方面は世界無敵となるであろう。然も最も喜ぶべきは今日の如き労使の軋轢(あつれき)は影を没し、円満協調、和気藹々として、楽しみ乍ら生産に当る以上、能率は素晴しくよくなり、その結果収入も大いに増し、生活の心配など消し飛んでしまうだろう。そのような社会となったら、金庫番も要らず、帳簿にしても、今のように二重三重などの面倒もなくなるし、五人も六人もの税務官史と、毎日のように、不快な交渉の必要もなく、一人か二人で二、三時間話合えば事済みとなろうから、双方の利益も大きなものであろう。

 そんなわけで万事能率がよくなり、勤務時間も今より半分位で済むばかりか、儲けも多いから、慰安設備なども充分に出来、生活の楽しみは今とは比べものにならないであろう。又重役や幹部にしても、社員の面従(めんじゅう)腹背(ふくはい)などの不愉快は消えてしまうから、気持よく明朗となり、事業の繁栄は請合である。

 次に政治の面を見てみると、これは又如何に巧妙な悪が行われているかは、誰も知る通りで、心から国家本位、人民本位など考えている役人も党員も、寥々たるものであろう。成程国家人民の利益も考えない事もあるまいが、利己的観念が強く、何事も自己本位、自党本位であるのは事実がよく示している。そうして反対党の意見となると、是が非でも必ず反対する。全く反対せんが為の反対で、その見苦しさは御話にならないが、今日は当然のようになっている。又議場での反対党に対する弥次、暴言、喧燥等も浅ましいばかりか、果ては腕力沙汰に迄の醜態で、丸でナラズ者の喧嘩を見るようである。

 処で総選挙も一カ月後に決定したが、これに就いても聊か書いてみよう。今日迄大部分の議員は、公明選挙ではなく、金銭や情実の為が殆んどであろうから、前記のような逆選良(ぎゃくせんりょう)が多いのである。従って民主日本となった今度こそ、恥ずかしからぬ人物を出したいものである。尤も、今度は公明選挙などと言って、大分自覚したようだから、今迄よりはよくなるであろうと思う。政治面はこの位にしておいて、次は一般社会を見てみよう。

 知っての通り、何処も彼処も悪ならざるはなしの現状で、どこの家庭を覗いても大抵は、夫婦は固より、親子兄弟の争い、朋輩同志のいがみ合いなどお定りで、円満な家庭は洵に少ない現状である。その他親戚知人などとの仲違(なかたが)い、裁判沙汰等もよく聞く話であるが、近来流行の親身の殺傷沙汰に至っては、情ないのを通り越して、恐ろしい気がする。その他空巣、掻払(かっぱらい)、強窃盗、詐欺、横領、万引、掏摸、タカリなども毎日の新聞を賑わしている。ザッと書いただけでこの位であるから、世の中の悪ときたら底なしの泥沼のようなものであろう。要するに今の世の中は、お釈迦さんの唱えた通りの苦の娑婆には違いないが、その苦を生む(もと)は悉く悪であるから、現代は悪による被害者ばかりの社会と言っても過言ではなかろう。全く一日と雖も安心して生活出来る人は、万人に一人もあるまい。その中で、不安の一番大きなものは、何といっても病気である。いくら泥棒が怖いと言っても、戸締さえ厳重にすれば先ず防げるし、貧乏も健康で働きさえすれば解決出来るし、処世上充分注意をしていれば、裁判沙汰なども先ず起さずに済むが、只病気と戦争だけは今の処絶対不可抗力である。併しこれも深く検討してみると、悪から発生したものである以上、帰する処一切の災いは悪が因である以上、これを除くのは宗教より外にない事は余りに明らかである。処が世の識者たる者、これが分っているのか分っていないのか、我等には判断がつき兼ねるが、どんなものであろう。

 それから二、三日前のラジオで、スエーデンのハルマンと言う博士ですが、その研究によると地球の温度は五十年前に較べると平均十度高くなっているというのです。之は実に驚くべき事です。何故というと昔から――古い時代から、五十年で十度上るとすると、五百年ですと百度上りますから、大変な事になります。処が最近の五十年に十度上ったという事は、何時も言う地球が昼間になりつつあるという事を科学的に実によく説明したわけです。ですから今年などは非常に気候が変って来た訳です。私は前に、気象の温度も――ラジオで言いますが、聞いてみると全国で一番暑いのは東京です。で、九州とかあっちの福岡、鹿児島の方が東京より低いのです。強羅も割に高いです。今日なんかの温度は、東京と強羅が二十四度です。一番高いです。他はみんな二十三度、二十二度、広島なんか二十一度でした。そんな様で強羅に来てから今年の様な年は初めてです。すると強羅の高いのは火素が教線の為に増えたから当り前かも知れないが、昼の世界になりつゝあるという事は、その点でも良く分ります。ですから暖くなると共に段々平均しつゝあります。之は火素の増えた迄とか、後は無線電波が発達―ラジオみたいなものですが、之が気候を平均にして来るのです。ですから北海道辺りも非常に暖いに違いないです。で、もう何年か経つとシベリヤ辺りも非常に豊穣な豊作地になる訳です。ですからソ連のそういった生産でも非常に増えます。アメリカに負けない位になるでしょう。そんな訳で色んな事が変って来るのです。

 それに就いて第三次戦争の事を書いてみたのです。之は知って置くべきですから出来る丈はっきり書きました。今読ませます。

 御論文「第三次戦争は果して有る?」   【註 地上天国第四十号】

第三次戦争は果して有る?

(地上天国四十号)

 標題に就いての質問はよく受けると共に、今日世界人類の誰もが、これ程痛切に知りたいと思う問題はないであろう。事実見ようによっては有りそうでもあり、無さそうでもあり、これ程の大問題であり乍ら、迷わざるを得ない有様である。というのは、全く唯物的に考えるからで、これも現代人としては無理はないが、私は宗教家として霊的の面から判断を下してみようと思うのである。

 私は常に「旧文明世界は近き将来終りを告げ、代って新文明世界が生まれる」という事を唱えているが、勿論これは(しん)(てい)のプログラムであるから、信ずるより外はない。という意味で、第三次戦争もプログラムの中での最も大きな節であると思えばいいのである。併し、これは私が今日改めて言うのではない。已に二千年前キリストは世の終りが来ると言い、天国は近づけりとも言っている。然もキリストの再臨まで予言されたばかりか、又ユダヤ教の聖典にも、将来メシヤが降臨し、世界を救われるという予言もあるので、若しこれ等を信ずるとしたら、当然来るべきものが来るわけである。今私はそれを具体的に書いてみるが、前記の如き新世界というのは、悪に充ちた醜汚(しゅうお)の世界が崩壊し、反対に善に充ちた(せい)(れい)な世界が生まれるのである。その為どうしても、何千年来溜りに溜った処の、人間の犯した罪穢(つみけがれ)の汚れを浄めなければならないのは当然である。罪穢とは、勿論凡ゆる(しゅう)塊物(かいぶつ)であって、その大掃除が近づいたのである。

 ではこれがどういう方法によって行われるかと言うと、それは、旧文明時代に造られ現存しているものの中から、汚穢の為使い道にならないもの悉くが破壊され、焼尽されると共に、誤れる学問も思想も宗教も、役済みとなったもの、将来性のないものは悉く潰滅(かいめつ)の止むなきに至るのであって、この最も重要な役目として生まれたのが彼の原子爆弾である。これこそ右のごとき迅速な破壊行動に役立つものは外にあるまい。その素晴しい威力を見ても分る。

 以上によって、第三次戦争は必ずあると共に、世界的大破壊は最早免れ得ない当然な運命であろう。何よりも現在米国もソ連もあらん限りの力を尽して、原爆の多量生産に夢中になっているではないか。これこそ右の予想を物語っている何よりの証拠である。

 ただここで誰も知りたいのはその時であろうが、それも私には分っているが、まだ発表する時期になっていないから、今少し待たれたいが、しかしこれだけは言える。それは今私が記いている文明の創造の著書が完成し、世界中に配られ、暫くしてから最後の審判が始まる事である。

 ここで今一つの肝腎な事がある。それは単に大破壊といっても物質のみではなく、汚穢に充ちた人間も清算される。これが最も恐ろしいのである。従って神は滅ぶべき運命にある人々を、一人でも多く救わんがための警告が文明の創造書であるから、これこそ二十世紀のバイブルでなくて何であろう。もちろんこのバイブルこそ、天の父であるエホバの聖書であるから真理そのものである。以上が信じ得らるるとしたら、第三次戦争に対しての心構えも、自ら見当がつくはずである。

 

 それから之は「文明の創造」の一駒で、先にも話した事がありますが、はっきり書いてみたのです。一寸面白いですから読ませます。

 御論文「文明の創造 救い主と(あがな)い主」

救い主と贖い主(救い主と贖罪主)

(『文明の創造』より)

 私はこれまで悪についての根本理論として、悪が必要であった事、悪によって今日のごとき文化の進歩発展を見た事をかいて来たが、ここで今一つの重要な事をかかねばならない。それは有史以来今日まで幾多の宗教が生まれ、その説くところは例外なく善を勧め、悪を極力排斥はいせきしたのであった。もちろんこれは悪そのものを除くのが宗教の建前であるからもちろん当然であるが、それについて私はよくこういう質問を受けたものである。「一体神や仏は愛と慈悲の権化ごんげでありながら悪人を作っておいて罪を犯させ、それを罰するというのは大いに矛盾むじゅんしているではないか。それならいっそ最初から悪など造っておかなければ、罰を当てる必要もないから、それこそ真の神の愛ではないか」というのである。なるほどこの質問はもっとも千万で一言もないが、実をいうと私にしても同様の考え方であるから、その都度私はこう答える。「なるほどそれには違いないが、元々私が悪を作ったのでないから、私には説明は出来ない。つまり神様が何か訳があって悪を作られたのであるから、いずれ神様はそれについての根本理由をお示しになるに違いないから、それまで待つより仕方がない」といったものである。

 ところがいよいよその時が来たので神はその事を詳しく啓示されたので、私は喜びに堪えないのである。そうして右と同様の疑問をもっている人も多数あるのであろうから、これを読んだなら暗夜に灯火ともしびを得たごとく豁然かつぜんと眼を開くのはもちろんであろう。ではなぜ今までの宗教開祖のことごとくが悪を非難したかというと、さきにも詳しく書いたごとく、ある期間悪が必要であったからその深い意味をしんは知らさなかったのである。従ってたとえ正神といえども知り得る由はなかったので、正神はどこまでも正義のみによって天国世界を作らんとするに反し、邪神はどこまでも目的のため手段を撰ばず式で、悪によって野望を遂げんとしたのである。

 ところがいよいよ悪の期限が来たので、主神の直接的力の発揮となった事で、ここに私という人間を選び、善と悪との根本義を開示されたのである。それというのは今までの各宗開祖は力が足りなかった。その最もいい例としては彼のキリストである。キリスト自身は贖罪しょくざい主といったが、救い主とはいわなかった。贖罪主とは読んで字のごとく、罪のあがない主である。つまり万人の罪を一身に引受け、主神に謝罪をし、ゆるしを乞う役目である。早くいえば万人の代理者であり、赦される側の神で、赦す方の神ではなかった。そのため罪の代償として十字架に懸ったのである。

 この理は仏教についてもいえる。彼の釈尊が最初は仏教によって、極楽世界を造るべく数多くの経文きょうもんを説き、専心教えをれたのであるが、どうも予期のごとく進展しなかったところへ仏典にもある通り「吾七十二歳にして見真実を得た」といわれた通り、この時自己の因縁と使命を本当に知ったのである。そこでこれまでの誤りを覚り、極楽世界出現は遥かに先の未来である事が分ったので、これまで説いたところの経説には誤謬ごびゅうの点少なからずあり、これから説くものこそ真実でありと告白し、説いたのが彼のほう滅尽めつじんきょうであり、弥勒みろく出現しゅつげん成就じょうじゅきょうであり、法華経ほけきょう二十八ほんであったのである。一言にしていえば釈尊は仏滅すなわち仏法は必ず滅するという事を知り、その後に至って現世的極楽世界である弥勒の世が来るといわれたのは有名な話である。ただここで時期について注意したい事は、釈尊は五十六億七千万年後ミロクの世が来るといわれた。しかしよく考えて見ると、いくら釈尊でもそのようなてつもない先の事を予言するはずはない。第一そんな先の事を予言したとて何の意味もないではないか。なぜならばそんな遠い時代、地球も人類もどうなっているか、到底想像もつかないからである。これは神示によれば五六七の数字を現すためで、この数字こそ深い意味が秘めてあった。すなわち五は日(火)、六は月(水)、七は地(土)であり、これが正しい順序であって、今日までは六七五の不正な順序であった。これは後に詳しくかく事として、とにかくキリスト、釈尊の二大聖者といえども、真理は説けなかったのである。何よりも経文やバイブルにしても明確を欠き、何人といえども到底真理の把握は不可能であったにみて明らかである。もちろん時期の関係上止むを得なかったのである。

 ところがここに主神は深奥しんおうなる真理をいよいよ開示される事となった。この著に説くところ明快にしていささかの疑点なく、何人も容易に真理を掴み得るのである。そうして今まで強大なる悪の力が一切を九分九厘まで掌握し、後一厘という間際に来て、意外にもここに一厘の力が現れ、邪神の謀略を一挙に覆えすのである。つまり悪主善従であった世界が、善主悪従となるのである。そうしてこれを具体的にいえばこうである。すなわち九分九厘の悪とは現代医学であって、これもさきにかいた通り必要悪であるから、今まではそれでよかったのである。しかしその結果として人間の最大貴重な生命を完全に握ってしまった。もし医学が誤っているとすれば、生命の危険は言語に絶するといってもいいであろう。これほど世界人類から固く信じられている医学を是正するのであるから、容易な業でない事は言うまでもない。

 

 之から医学を説くのですが、之は医学を説く前提の理由なのです。只「悪」はいけないとか「医学」がいけないとか言う丈では人は納得しないのです。やっぱり今迄は必要であって、今迄は人間を弱らせなければいけなかった。何しろ百歳以上迄作ってある人命を段々弱らせて、到頭今は大体平均が六十歳位でしょうから、約半分に寿命を縮めたのです。それでみんな病気で苦しんでアップアップやっているわけです。ですから之丈文化を進歩発展させる為に何千年もかゝって人間を弱らせたのです。もうこれ以上はいけないのです。いけないのではない必要がないのです。そこで神様はこの位弱らせて置いて、今度は元作った様に百二十歳迄生きるという人間に立直すわけです。その根本を分からせるのがメシヤ教の使命なのです。だからそこを飽迄分らせる様に書くのです。処がそこ迄は皆分っていないから、今迄は一生懸命に医学に(かじ)り附いてやっているのですが、本当の事が分れば危ぶなくて可哀想で見て居られないのです。そうかと言って無闇にそういう事を言っても、反って気違い扱いにして逆効果になりますから、そこで時期と色々な事情――今此の位メシヤ教が発展して、それから言うと人は耳を傾けます。昔私が始め立ての時分にそんな事を言うと気違い扱いにして反って発展もしないのです。だから今迄は、はっきりと強く言わないで(ぼか)したり色々に弱めたりして言っていたのですが、段々社会もメシヤ教というものを認めつゝありますから、それに丁度合う位に医学なんかの事も発表しているわけです。ですから本当の事を言えば、それは大変なものです。最近はそういう様な工合で段々はっきりして来たのです。之はその内の一つですが、薬に就いて、薬の効能に就いてはっきり言ったわけです。

 御論文「医学断片集 薬と名の付くものは全部麻薬なり」   【註 栄光一七四号】

薬と名の付くものは全部麻薬なり  医学断片集(21)

(栄光一七四号)

 今日世人は麻薬というと、非常に恐ろしいもののように思っているが、実は薬と名の付くものは、全部麻薬である事の意味をかいてみるが、これは誰も知るごとく初め麻薬を用いるや、頭脳は明晰となり、爽快感が起るので、段々癖になってしまうので、これが中毒である。ところが実はあらゆる薬も同様であって、ただ麻薬と違うところは、麻薬は即座に効き目があるが、外の薬はそうはゆかないで、言わば長持がするただそれだけの異(ちが)いさである。風邪でも結核でも、胃病、心臓病、何でもかでも理屈は二つである。従って現代人のほとんどは、軽微な麻薬中毒に罹っているといってもいいくらいであるから、病気に罹り易いのである。

 そうして面白い事には、近頃よくこういう話を聞く、それはアノ薬は以前は非常によく効いたが、この頃効かなくなって困ってしまうというのである。これは全く薬の中毒患者が増えたためであるが、それに気が付かないだけの事である。でなければまさか人の方が以前と異なる体になった訳ではあるまいから、全く医学の盲点を物語っているといってよかろう。

 

 つまり斯ういう意味です。今の人間は全部麻薬中毒になっている。只普通の薬は麻薬の様に直ぐ効かないという丈のもので、病気の苦しみというものは薬を飲むと一時楽になりますから、そこでそれを薬で治ると斯う思って了う。治るのは、丁度麻薬を、苦しくなると一寸注射すると楽になりますが、あの理窟です。ですから麻薬は直ぐ効くが、他の薬は麻薬の様に直ぐ効かないで段々効くと、斯ういうわけです。薬によると少し(づゝ)段々飲んで、半年も一年も飲んでいる。その結果麻薬と同じ様に、いくらか楽になるというわけです。楽になるという事は、溶けかゝったものを麻薬で固めるわけです。ですからそういう風に説明すると一番分り良いと思います。皆麻薬中毒になっているから、その麻薬が溶け始めるとそれが病気なのです。それが分れば別に難かしい事も何でもないのです。患者に説明するのに麻薬を例にして説明するのが一番良いと思います。それで今の第三次戦争ですが、之は戦争ばかりでなく、その頃になると病気も非常に増えて来る。何故ならば凡ゆる浄化が一緒になりますから、そこで人間はどうして良いか分らなくなる。それが最後――世の終りです。それが非常に近寄って来ているのです。之は今度「栄光」に出しますが、多賀さんの奥さんに色々な有名な坊さんが近頃憑って来ているのです。法然上人だとか伝教大師だとか――。そうして「愈愈仏の時代は終りになって来た。だから明主様に、自分達が今迄間違った事をして来た、その御詫をして貰いたい」という事を頻りに頼んでいる。之は本当なのです。今迄は間違った考えだったのです。だから今仏界は大変なのです。然し最後の足掻(あがき)という事がありますが、最後の足掻で活動している仏に関した宗教がありますが、之は仕方がないです。最後の足掻をやっている宗教は殆ど狐です。それから龍神――そういった霊というものは非常にしつこいですから、何時も言う通り決して諦めるという事はないのです。だからそういう風にみると良く分るのです。

 

 

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