此間も話しておいた「アメリカを救う」という本を、約半月ばかりで急いで書き上げたのですが、翻訳の上手い人が居て其人の色々な仕事の都合で、どうしても今月半迄というので、一生懸命書いたのです。何しろ大統領始め各著名人に読ませるのですから、出来る丈分り良く、少しも破綻がない様に極く入念に書いたのです。何しろ彼等が思っている事や、又教育した事とは全然逆ですから、それを成程と思わせ様とするのですから非常に難かしいのです。おまけに米国の医学というのは、あの通り新しい薬や手術や、色々とそういうもので骨を折っているのです。それを全然ぶち壊そうというのですから非常に書き悪いのです。それでも否定する事は出来ない様に書いてある積りです。そこに一つ一つの病気に就いて、御蔭話を多いのは六つ少いのは三つ挿んでありますから、理論と実証と両方で分らしてありますから、反対する事は出来ないのです。五章丈が理論になってますが、之を読ませてみます。
御論文 アメリカを救う〔序論〕
序論
『アメリカを救う』より
今回本教信者立松文二君が、米国ノートルディム大学(カソリック系)に留学、一カ年を経た最近一先ず帰朝したので、予て依頼してあった現在米国に於ける主なる病気の統計を精査記録したものを持って来たので、私は一見するや愕然としたのである。それは同国に於ける驚くべき病者の氾濫であって、全く私の説を立証して余りあるからである。そうして今日日本人の誰もが思っている事は、つい最近迄世界医学の覇権を握っていた彼の独逸を凌駕して、隆々たる今日の米国医学の事であるから、定めし素晴しい成果を挙げているに相違あるまいと共に、私もそう思っていた処、事実は余りに裏切られており、その悲惨なる現状には、到底見るに忍びないものがある。従って今後もこの趨勢が続くとしたら、この恐るべき状態は益々深刻の度を加え、何れは国を挙げての一大危機に直面する日の来ないと誰か言い得るであろう。
しかも米国が現在国を挙げてその対策に腐心し努力しつつある彼のソ連の軍備と、共産主義の驚異であるが、これも重大には違いないが、それとは別な意味でのこの健康問題に至っては、寧ろそれ以上の重大性があろう。何となれば共産主義が如何に侵略の爪を伸ばすと雖も、自由主義国家群の連合によって、軍備を充実すれば防止出来ない事はないが、この方はそうはゆかない。何故なれば現代医学の余りにも無力であるからで、まだその原因すら分っていないばかりか、仮令分っても解決の手段は絶対あり得ないからである。としたら前途は全く暗黒の一語に尽きるであろう。これを吾々からみれば現代医学そのものに、恐るべき一大欠陥が伏在している事である。にも拘わらず全然それに気が附かず、寧ろ反対な方向に進んでいるのである。それは左記の統計を見れば分る通り、年を経る毎に加速度的に、凡ゆる病気が殖えつつある現状で、若しもこの儘としたら、向後一世紀を出でずして今日の強大な米国と雖も、急速度に衰退の止むなきに至るのは断言出来るのである。その例として現在ヨーロッパに於ける高度の文明国家としての彼の英仏である。両国近来の衰え振りはどうであろうか。彼のトラファルガー戦争時代の英国といい、ナポレオン戦争時代の仏国といい、その国民の元気を今日と較べたら、余りの異いさに驚かざるを得ないのである。この原因こそ全く誤れる医学の結果に外ならない事は、以下の解説によって判る筈である。
そうして今私は世界の文明各国を見渡した処、兎も角キリスト教を以て立国の方針となし、一般国民は神を信じ、正義の行われている国としては、先ず米国を以て第一とせねばなるまい。それが米国繁栄の礎でもあり、今日の如き偉大なる国家となった原動力でもあろう。という意味に於て今日世界の平和を維持出来る力をもつ国としたら、同国を措いて他にない事は言う迄もない。この意味に於て何よりも先ずこの国の国民の健康をよりよくする事こそ焦眉の急であり、世界の平和と人類の幸福に対する最大條件であろう。従って私は一日も速かに同国に於ける病気蔓延の趨勢を食止めると共に、尚進んで病なき米国たらしめるべく、先ずこの著によって自覚を促さんとするのである。そこで私は統計の順に一々の病気について、その原因と治す手段と、予防方法と、治病実績とを詳しくかいて英文に訳し、大統領始め会う方面の識者、医事関係者に頒布するのである。
処で日本についても言いたい事は、米国医学が如上の如き真相であるに拘わらず、今日最も進歩せる医学と過信し、これを採入れようとしているのであるから、実に恐るべき迷妄である。これも全く唯物科学心酔の結果、米国医学の外形的進歩に幻惑されたからであろうが、これを考えれば日本も米国と同様洵に危い哉である。故に日本の当事者もこの著を読んで、速かに目醒られん事を望むのである。最後に一言したい事は医学が進歩する程病人が増えるという厳たる事実は、現在米国が遺憾なく全世界に示している事である。
御論文 アメリカを救う〔病気とは何ぞや〕 【註 栄光一七九号】
病気とは何ぞや
(栄光一七九号/『アメリカを救う』とは少し異なる)
序論にもある通り、現在米国に於ける病気の漸増は何が為であるかを、その根本から説いてみるが、先ず病気なるものの発生原因であるが、驚く勿れ病気というものは医療が作るのであって、特に薬剤がその中心をなしているという事実である。つまり病気を治し、病人を減らそうとするその方法が、反対に病気を治さないようにし、増やしているという、到底信じられない程の迷妄である。そうしてこれは説明の要のない程明らかであるに拘わらず、それに気が附かないのであるから、全く二十世紀の謎といってもよかろう。それ処か益々医学に信頼し、これを進歩させれば病気は解決出来るものと固く信じているのである。ではその様な不可解な原因は何処にあるかというと、それは医学の考え方が逆になっており、病気を以て悪い意味に解釈しているからである。それをこれから徹底的に解説してみよう。
本来人間なるものは、生まれ乍らにして例外なく先天性毒素と、後天性毒素とを保有している。先天性毒素とは無論親からの遺伝であり、後天性毒素とは生まれてから体内へ入れた薬毒である。というと何人も意外に思うであろう。何となれば昔から薬は病気を治すもの、健康を補うものとの観念が常識となっていて、良い薬さえ出来れば病気は解決するものと信じ、それを医療の主眼としているからである。特に米国は薬に最も重点を置き、新薬発見に非常な努力を払っているのは誰も知る通りである。故にもし薬で病気が治るとしたら、病気は漸次減らなければならない筈であるのに、逆に益々増えるのはどうした訳か、これ程理屈に合わない話はあるまい。元来薬というものは、地球上只の一つもないのであって、悉く毒物であり、毒だから効くのである。それはどういう意味かというと、薬という毒の作用によって病気症状が減るから治るように見えるので、実は治るのではないのである。
では薬が何故毒物であるかというと、抑々人間が口へ入れるものとしては、造物主が人間を造ると同時に生を営むべく用意されたのが食物である。そうして食物にも人間が食うべきものと、食うべからざるものとは自ら別けられている。即ち食うべきものには味を含ませ、人間には味覚を与えられているのであるから、人間は食いたいものを楽しんで食えば、それで栄養は充分摂れるので、これだけを考えても造物主の周到なるは分る筈である。この意味に於て生きんが為に食物を摂るというよりも、食物を摂る事によって生きてゆけるので、丁度生殖と同様、子を得る目的で男女が営むのではなく、別の目的の営みで偶然子は授かるのであるから、神秘極まるものである。
右の如く人間の体内機能は、食物として定められた物以外の異物は、完全に処理出来ないようになっているので、薬は異物である以上、含まれている栄養分だけは吸収されるが他は体内に残ってしまう。これが薬毒であって、しかも厄介な事にはこれが各局部に集溜し、時の経つにつれて固結してしまう。その集溜個所としては神経を使う処に限られている。神経を使う処といえば、勿論上半身特に首から上で、頭脳を中心とし眼、耳、鼻、口等であるから、其処を目掛けて毒素は集中せんとし、一旦頸の周りに固結する。如何なる人でも頸の周り、肩の辺に必ず固結をみるであろう。これが凝りであって、或程度に達するや自然排泄作用即ち浄化作用が発生する。その場合発熱によって毒結は溶けて液体となり、咳、痰、鼻汁、汗、下痢、熱尿等になって排除されようとする。これを名附けて感冒というのである。
故に感冒とは毒素排除の過程であるから、少し苦しいが我慢して自然に委せておけば順調に排泄され、体内は清浄化し、治るという実に結構なものであるから、感冒とは全く簡易な生理作用で、神の摂理であるから、大いに感謝すべきであるに拘わらず、それを知らない人間は、この浄化の苦痛を反って悪い意味に解釈し、これを止めるべく考え出したものが医療であるから、如何に間違っているかが分るであろう。そうしてこの浄化作用なるものは、人体の活力が旺盛であればある程起り易いので、これを停めるには人体の活力を弱らせるに限る。そこで薬と称する毒を用いたのである。昔から草根木皮、鉱物、動物の臓器等から探り出し、煎じたり、粉末にしたり、抽出したりして水薬、丸薬、塗布薬、注射薬等色々な形にして、浄化停止に応用したのである。それには毒が強いと生命に関わるから、微弱にして少しずつのませる。この為一日何回などと分量を決めたので、よく効く薬とは中毒を起さない程度に毒を強めたものである。
このように薬毒を以て溶解排除せんとする毒素を固めて来たので、今日の人間が如何に有毒者であり、病気が起り易くなっているかは、近来予防衛生などと喧しく言ったり、感冒を恐れるのもその為である。又人間の寿命にしても六十余歳となったといって喜んでいるが、これも大変な誤りである。というのは人間病さえなければ百歳以上は楽に生きられるのに、百歳以下で死ぬのは病による不自然死の為で、無病となれば自然死となる以上、長生するのは当然である。右の如く医療とは病を治すものではなく、一時的苦痛緩和手段で、その為の絶対安静、湿布、塗布薬、氷冷、電気、光線療法等々、凡ての療法は固め手段ならざるはないのである。その中に一、二異うのは灸点と温熱方法であるが、これも一時的熱の刺戟によって、その個所へ毒素を誘導させるので楽にはなるが、時間が経てば元通りになるから何にもならないし、又ラジウム放射で癌を破壊する方法もあるが、これも癌だけの破壊なら結構だが、実は組織をも破壊してしまうから、差引プラスよりマイナスの方が多い訳である。
以上の如く現在迄の療法という療法は、徹頭徹尾固め方法であって、治す方法とは毒素を溶かして排除させる以外決してないのである。何よりも医師は〝治す〟とは言わない。〝固める〟というにみて明らかである。しかも固め方法の内最も有効なものが薬であり、その薬が病原を作るのであるから、医療を受ける程余病が発り易く、悪化するのは当然である。その結果遂に生命の危険にまで及ぶのである。それについてこういう事がある。治そうとして熱心に高貴薬など用いる患者程成績が悪く、その反対にどうでもいいと思う患者程治りがいいという話は、医師からよく聞く処である。又衛生に注意する者程弱く、無頓着の者程健康である事や、医師の家族や病院の看護婦などが多病であるのもよく聞く処である。面白い事には稀な健康者、長寿者に訊いてみると、「自分は病気した事がないから、医師や薬の厄介になった事はない」などというが、吾々からみればそれだから健康であり、健康だからそうであるので、この点大いに味わうべきである。
御論文〔種痘と薬毒〕
種痘と薬毒
(『アメリカを救う』より)
玆で先天性毒素について説明してみるが、後天性毒素とは勿論生まれてから後に入れた薬毒であるが、では先天性毒素とは何かというと、これこそ祖先以来遺伝されて来た薬毒であって、日本の諺に〝自惚と瘡気のない者はない〟という言葉があるが、この瘡気こそ昔から俗間でいう胎毒であり、近代医学では遺伝黴毒というのである。勿論これは薬毒の古くなったもので、どうしても一度はその排除作用が発生しなければならない。それが天然痘である。この理を知らないが為、一七九六年彼の英国の碩学ジェンナー氏が種痘なるものを発見し、それ以来天然痘を免れ得たので、人類は救世主の如く仰ぎ、今日尚感謝の的とされている。
処で玆で知らねばならない事は、種痘によって天然痘毒素は消滅したのではない。単に然毒排除の力を弱らせたまでであるから、然毒はその儘体内に残り、これが種々の病原となる。今その順序をかいてみるが、然毒は時を経て何れかの個所に集溜し固結する。その浄化作用が感冒であり、又種々の皮膚病、擬似小児麻痺、脳膜炎、小児の腺病質等であり、その他の病原となる事もある。何よりも最初かいた如く英仏国民の元気が衰えたのは、種痘発見後からであるのは検討すれば分るであろう。この理によって人類から天然痘を駆逐するには、薬剤を全部海へ捨ててしまうより外はないが、しかしそうしても急には効果は現れない。というのは何しろ何世紀もの間薬詰めにして来た人間であるからで、全く解消してしまうには少なくも二、三代は掛かると見ねばなるまい。しかし漸次的に薬毒が減少するから、仮令発病してもその都度軽く済むようになるのは勿論、我浄霊法によればその人一代で済むのである。
故に一般人としたら今直ぐに種痘を廃めなくともいい、その人一代位薬を廃めれば、次の子供の代は軽く済み、孫の代位から絶無となるであろう。そうして種痘なるものの効果は醜い痘痕を残さないだけの事で、他に与える悪影響の方がそれ以上である。というのは今日流行の注射である。これは全く種痘からヒントを得たものであろうが、注射による被害のいかに恐るべきかは、この著を読めば納得されるであろう。次に病気と薬毒について主なるものをかいてみるが、最も恐るべきは彼の六○六号サルバルサンである。この中毒は必ずと言いたい程頭脳を犯し脳疾患となり、重いのになると本物の精神病となる事さえある。又この薬毒は非常に悪性であると共に、医学は精神病は梅毒が原因であるとし、梅毒を治すべく六〇六号を注射するので、その結果右の如く頭脳に異常のない者まで精神病にするのであるから、何と恐るべき錯覚ではなかろうか。
次に薬毒による病気中最も多いのは、胃に関するものであろう。この病気は最初食過ぎ、胸焼、消化不良等、一寸工合の悪い場合胃薬をのむと一時は治るが、日を経て必ず再発する。また薬で治す、又起る、というように繰返す内遂に慢性となり、名の附くような胃病となるのである。従って最初の時自然に放っておけば一、二回で済むものを、右の如く誤った方法を繰返す結果、本物となるのであるから、その無智及ぶべからずである。又その外の二、三をかいてみると、よくある胃痙攣は浄化の為の痛みであり、これも一時的麻痺剤で治めるが多くは癖になり持病となる。次に胃潰瘍であるが、これは最もハッキリした薬毒である。というのは胃の薬には必ず重曹が含まれているから、食物を軟くすると共に、胃壁までも軟くしてしまう。そこへ固形物が触れると亀裂し出血するので、これが吐血である。処がそれと異って胃の底部に血の溜る症状がある。これは前記の如く胃の粘膜に低抗力がなくなるから、不断に血液が滲み出る為で、これが糞便に混って出る場合、黒色の小さな塊となるからよく分る。すべて血液は新しい内は赤いが、古くなると黒色に変ずるものである。次に最も多い胃弱であるが、この原因は消化薬を用い、消化のいい物を食いよく噛む為胃の活動の余地がないから弱る。それを繰返す内漸次悪化し慢性胃弱となるので、胃弱も人間が作ったものである。
次に頭痛に鎮静剤、鼻にコカイン、眼に点眼薬、扁桃腺炎にルゴール、凡ゆる膏薬、塗布薬等々道理は一つで、何れも一時的効果を狙ったものにすぎないと共に、必ず中毒となるのである。又発熱の場合もそうで、放っておけば順調に段々解熱するが、解熱剤を用いると一時は解熱するが、反動的に再び発熱する。又薬で下げる。というように繰返す内遂に頗る執拗な熱病となり、医師は困却し原因不明の熱というが、右の如く医師自身が作ったのであるから、原因不明なのも当然である。次に世間よくある下剤服用も浣腸も中毒的逆作用となり、益々便秘し習慣となるのである。又浮腫の場合もそうで、利尿剤を用いると一時は尿量を増すが、必ず反動作用が起って浮腫は前よりひどくなり、又利尿剤を用いるというようにこれも繰返す結果、いよいよ膨満甚だしく、止むなく穿孔排水を行うが、これも一時的で、遂には臨月より大きくなり、医師も匙を投げるのである。
次に薬毒の中でも、案外気が附かないでひどいのは、手術の際用いる消毒薬である。何しろ殺菌力がある程の劇薬であり、しかも直接筋肉へ滲透するから堪らない。種々の悪性病原となるので、最も多いのは激痛性疾患で且執拗であるから、治るにしても非常に時日がかかる。その他口内粘膜の病気にしても、原因は何回もの服薬が滲透毒素化し、それが排泄されようとして加答児や腫物などを起すのである。
以上種々の面から説いた事によって、病原の悉くは薬毒である事が分ったであろう。故にこの事を知って今後医師諸君が診断の際、この病原は何時何の薬をのんだか、何時何の注射をしたか、何時何処を手術したかを患者に訊けば、大体は見当がつく筈である。しかも薬というものの性能は非常に固り易く、排泄し難いもので、普通十数年から数十年、否一生涯固まったままであるのが殆どである。私でさえ約五十年以前、肋膜と結核を患った時の薬毒も、三十数年前歯痛の為一ヵ年間毎日のようにつけた薬毒も、今以て残っており、現在毎日自分で浄霊している位である。
そうして薬毒といっても洋薬ばかりではない。漢方薬も同様で、只症状の異いさがあるだけで、洋薬の苦痛は尖鋭的であるが、漢方薬は鈍感的である。何よりも凡ゆる痛み、痒みの原因は悉く薬毒であるから、人間薬さえ体内へ入れなければ、一生涯病苦の味は知らなくて済むのである。要するにこの薬毒迷信を打破しない限り、人類から病気の苦悩は絶対解決されない事を断言するのである。
未だ二章ありますが、之をアメリカの人が読んだら喫(吃?)驚するだろうと思います。それで病気は薬でなければ治らないと思っているのです。之丈言えば、相当腹に堪えないわけはないと思います。或いは問題になるか、センセーションを起すか、相当反響があると思います。
それから今度、メシヤ教の信者で代議士に三人当選したのですが、之は、非常に骨折った信者さんもある様ですが、私からも……御礼と言いますか、信者の労を犒います。兎に角宗教で、然も新しい宗教で三人も国会議員が出来たというのはないそうです。メシヤ教丈だそうです。之からも、教団は直接政治的に関係はないから効果はないとしても、その教団の対外的信用です。例えば何処かで講演しても、現代議士という意味で非常に重きを置く、つまり信用ですが、それに大いに良い影響があるという事は確かです。やはりそういう必要に依って神様がそうしたのですから、非常に結構だと思ってます。昨日一人来て、非常に喜んで居ました。
それから明日私は京都方面に二晩泊りで行きます。名古屋に寄ってそれから京都、奈良へと、そういう予定です。之は皆知っているでしょうが、嵯峨に将来の地上天国の土地と……。一寸見た丈で未だ充分見てないから、今度は充分見て……、未だその外にも、其の附近に手に入れなければならない所がある様です。神様はあの辺に中々深い計算がある様です。その用と、それから京都の美術館で浮世絵の展覧会があり、そこに私の処から五点ばかり出しました。私も非常に見たいですし、何しろ大分大仕掛の様です。
来年は箱根の美術館で、今度別館を造り始めましたが、別館が出来たら浮世絵展覧会をやろうと思ってます。大分浮世絵の良い物も集まりつゝあります。之は神様の計画で、そういう時には必ず浮世絵の素晴しいものが、頼みもしないのにひとりでに集って来るのです。それで之は浮世絵の展覧会をやれというのだと思うのです。そういう様で、相当素晴しい展覧会が出来る筈です。猶未だ外にも色々ありますが、大体その用件で行くのです。聞いてみると、嵯峨の土地というのは、最初手に入れた処は一万八千坪ですが、あの辺が平安朝時代の文化の中心だったそうです。藤原時代の色んな絵に山が画いてありますが、今度の地所の周囲に二つ三つ山があって、それを画いたものです。それからよく水に月が写ったりしているのは、広沢の池を画いたのです。それから其処の地所の前の通りは蔦の細道と言って、よく巻(蒔?)絵なんかにあります。そんな様で、あの附近一体は藤原時代の当時の偉い人の住居があったのです。歌人などが多かったのです。紫式部とか清少納言という人達があの附近に住んで居たのです。そういう様で、あの附近が、何処となく落着いた、雅びた感じがするのです。私はあそこに「平安郷」と名前を附けましたが、そんなに深い事は知らなかったが、丁度名前が良く合っているわけです。つまり平安朝文化の中心です。奈良朝文化は仏教文化ですが、平安朝文化は仏教文化でない美術的な文化の発祥地というのは、やはりあそこなのです。だからその点に於て世界的にも非常に意味があるのです。ですからいずれはあの辺がそういった意味での新しい、むしろ世界的といった文化が、あそこを中心に出来るのかも知れません。神様が色色計画なさって居るのですから、段々時の経つに従って分って来ます。そんな様な意味で、非常に楽しみでありますし、面白いと思います。話はその位にして置きます。
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