「アメリカを救う」という本は、もう大体出来たので今翻訳の方をやらせてます。日本文の方は来月あたり印刷にかゝる積りです。徹底的に書きましたが、割合にアメリカの人は良いものは良いと、あんまり伝統に捉われるという事はないですから、非常に解るだろうと思ってます。日本人は解っていて分らないという人が多いのです。〝成程それには違いないが、そういうわけにはいかない〟という理窟です。此前の次のを読ませます。理論は五項目あって、此前は三項目迄読んでますから、その次を今読ませます。
御論文 アメリカを救う〔四、手術に就て〕
手術について
(『アメリカを救う』より)
日本もそうだが特にアメリカに於ては、近来手術の進歩を誇称し、大いに励行しているが、これは大変な誤りである。というのは手術の進歩とは、医術の進歩ではなく寧ろ退歩であるからである。何となれば真の医術とは、病に冒されている臓器その物を除去するのではなく、臓器はその儘にしておいて、病だけを除去するのが本当であるからである。しかもその為肉を切り、出血をさせ、非常な痛苦を与えるのみか、内部的不具者にするのであるから、医術どころか非医術であるに拘わらず、これを進歩した方法と信じているのであるから、その無智なるいうべき言葉はないのである。
しかも人間は、身体の一部と雖も毀損する以上、その影響のない筈はない。例えば盲腸炎にしても、膿だけ除るのならいいが、医療はそれが不可能な為、虫様突起までも共に切除してしまうのであるから、野蛮極るというべきである。何となれば造物主は人体に不必要なものは一つも造ってない筈である。これについてよく医家は盲腸は不必要だとか、腎臓は両方なくても差支えないなどというが、これは全くその必要性が不明であるからで、如何に今日の医学が幼稚であると共に、一面神への冒涜でもある。何となればそんな理屈をいう医学者自身も神から造られたものではないか。何よりも盲腸手術後一時は健康になったようでも暫くすると他の病気が必ず起る。というのは元来盲腸の役目は下半身の毒素排除の機関であるからである。今それを詳しくかいてみるが、初め毒素は背面右側腎臓部に集溜固結し、少しずつ溶けて盲腸部に移行し固結する。それがある程度に達するや浄化が起って発熱し溶解される。その苦痛が盲腸炎であるから、その際右の腎臓部を見れば必ず固結があり、圧すと痛むからよく分る。其処を浄霊するや忽ち盲腸の痛みは去り、間もなく下痢があって治るのである。
この理によって盲腸炎発病するや、何等治療もせず、寝ているだけで三、四日乃至一週間も経てば必ず全治し、生命の危険など聊かもないのである。処が医師は手遅れになると生命の危険ありとし、手術を奨めるが、吾々からみればその盲点に呆れるばかりである。右の如く毒素排除の役目である盲腸がなくなるとすれば、其処へ集溜せんとする毒素は、止むなく腹膜や腎臓部に溜る事となり、それが原因となって、反って盲腸炎よりも始末の悪い病気が起るし、尚又手術の際の消毒薬が膿化し排除されようとし、種々の病を起す事がある。それは悪性歯痛、中耳炎、結膜炎、顔面の腫物等である。
御論文 アメリカを救う〔五、浄霊医術〕
浄霊医術
(『アメリカを救う』より)
これから米国に於ける現在の病気状況の調査表と併せて、私が創成した治療法(浄霊法)によって全快した人達の感謝報告を載せるが、これは全部本人手記のものであるから一点の間違はないので、万一疑のある人は、宿所姓名を詳しくかいてあるから、本人にブツかって訊けば何よりである。しかし専門家も一般人もこれを見たら、現代医学に比べて余りに卓越せる治病力に到底信じられないであろう。しかも施術の方法は患者から数尺離れて、空間に手を翳すだけで、時間は十分乃至三十分位の短時間で終り、何等の器具も費用も要らないで、一人で一日数十人の患者を施術出来るのであるから、これこそ最も進歩せる理想的医術である。そうして文中明主様とあるのは無論私の事である。
尚驚くべき一事は、何等医学の素養もなく普通教育程度の者なら、商人でも、労働者でも、農民でも、官吏、会社員でも、数日間の教修によって、この技術が修得されるのである。その結果大病院から見放された者、博士から死の宣告を受けた患者でも、一時的ではなく根本的に治るのであるから、実に二十世紀の奇蹟である処か、世界肇って以来未曾有の大奇蹟といってよかろう。今この治病効果を医学に比ベたら、医学が一とすればこれは百といっても過言ではあるまい。故にこの医術が世界中に行渡るとしたら、玆に病なき世界の実現は期して待つべきである。
では斯くの如き素晴しい治病法が、何故今世紀に生まれたかというと、これを徹底的に説くには、どうしても宗教的にならざるを得ないと共に、進んで本教信者になるより仕方がないが、それは別として本著の目的は、現在のアメリカの現状を知って到底黙止出来ないので、取敢えず警告の第一歩として発表するのである。そうしてこれに関して最も重要な一事はこの様な驚くべき病理の発見と、それに伴のう治病力を与えられたという理由であるが、これこそ神エホバの神意の発動によって、私をして最後の救いを行わしめんが為であって、この点深く銘記されたいのである。その証拠として彼のキリストの治病奇蹟である。現在数十万に上る私の弟子が日々顕わしつつある奇蹟は、キリストと比較して勝るとも劣らない例も数多くあるので、これ等多数の奇蹟中から、その一部を載せたのである。
そうしてこの報告は、目下の処一ヵ月百数十から二百通に上ってをり、しかも月々増えつつあるので、本教発行の週刊栄光新聞並びに月刊雑誌地上天国に満載されているが、近来載せ切れなくなったので、嬉しい悲鳴を挙げている程である。又実例中特に癌、結核、精神病、小児麻痺の四種は、現在米国で最も困っている病気であるから六例宛を載せ、他は三例宛にしたが、この例も別段顕著なものを選んだのではなく、手当り放題採り上げたものである。というのは何れも大同小異で選択の必要がないからである。
処で遺憾に思うのは、この著を読んで心が動き、直ぐにも浄霊を受けたい米国の人も多数出来るであろうが、今の処不可能であるから暫く待たれたいのである。というのは我方に於ても出来るだけ早く、優秀な浄霊施術者を選んで出張させるべく、目下準備中であり、遅くも来年上半期中には実現の運びになる予定であるからである。しかしこの著を熟読玩味しただけでも病気の本体と医学の根本が或程度分る以上、それだけでも相当の効果がある筈である。ではこれから個々の病気について解説する事にする。
近来米国では結核が一番増えて来たそうですから、結核の理論を精しく書きました。何ういう訳かと言うと、ストマイとかパスとか、あゝいった様なつまり固める薬が色々出来て、一時抑え附けられる為に結核の死亡率が減ったと言って喜んでいるのですが、死亡率が減ったという事は、死亡を延ばしたわけです。固めて延ばしたわけですから、此の浄化が来ると、延ばした丈薬毒が――無論延ばしたという事は毒が強い薬ですから、その浄化が起ると、以前より悪性の結核が起るわけです。日本も遠からずそうなりますから、見ていれば分ります。悲しむべきナンセンスです。其為に米国は結核が増加しますから、それを良く分らせ様と思って精しく書きました。
御論文〔結核〕 【註 栄光一八〇号】
結核
(栄光一八〇号)
この病気も全く医学が作るものであって、曩にも記いたごとく、薬毒が体内各局部に集溜固結し、その浄化作用として感冒が発り、熱によって溶解した液体毒素は、痰となって肺臓を通って出ようとする。という訳で肺とは喀痰排泄の為の一通過路の駅ともいうべきものであるから、痰は一旦肺臓内に滞まり、咳とういうポンプ作用によって咽喉を通って出るので、咳と痰が出れば出る程よく浄化される訳である。処がそれを逆解した医学は、咳と痰を極力停めようとするのであるから、実に驚くべき錯誤である。この結果痰は肺臓内に滞溜したまま、日を経るに従い漸次固まってしまい、暫くすると再び浄化が起り風邪を引く、その時医師に診て貰うと、発熱と肺臓内にある痰の固結、咳や吐痰、喘音等によって、結核初期と断定する。尚又前の時軽微な肋膜炎もあったので、その固まりが溶けて肺から出ようとする。これを肺浸潤と言い、首肩の凝りが溶解し、肺の上部から浸入するのを肺門淋巴腺、または肺尖加答児というのである。
右の如き順序を見れば、結核は全く誤れる医療によって作られるものである事がよく分るであろう。これを一言にしていえば、自然浄化によって体内の汚物が出ようとするのを、医療は出さないようにする。勿論服薬も注射も安静も何も彼も悉く固め手段であるから、医学の進歩とは毒素固め方法の進歩でしかない事は余りにも明らかである。
そうして結核菌であるが、これも医学でいう如く伝染するものではなく自然発生であるというのは肺臓内に固めた痰は、時日を経るに従い腐敗する。腐敗すれば微生虫が湧くのは物質の原則であり、しかも体温という好条件が拍車をかけるに於てをやである。以上の如く結核は医療が作るとしたら、この事が分らない限り、増えるとも減る筈のないのは断言して憚らないのである。何よりも事実がよく示している。最近米国でも日本でも、結核の死亡率が大いに減ったと言い乍ら、患者の数は一向減らないという矛盾である。これは全く毒を強めた新薬や手術等による浄化停止法が進歩した為で、成程一時的生命は取止め得たとしても、全治ではないから、死にもせず働く事も出来ないという宙ブラ人間が益々増えると共に、発病者の数も依然たるものであるから、ベッドが足りないといって悲鳴を挙げている現状は、米国は兎に角日本はよくそれを物語っている。
玆で結核菌についても徹底的にかいてみるが、近来結核医学は大いに進歩したとされているが、吾々から見れば進歩処か、門口にも入っていない事実である。というのは医学は菌のみに囚われ、菌さえ殺せば結核は解決出来るものと誤信している事である。しかし菌と雖もまさか偶然空中に発生したものでもなく又人間の体内に理由なく湧いたものでもないのは勿論で、その発生源が必ず何処かにあらねばならない筈である。
それが愈々私によって発見されたので、以下詳しく記いてみるが、それについて前以て知っておかねばならない事は、人体なるものの構成であって、科学は人体を単なる物質と看做しているが、これが大変な誤りである。何となれば若しそうだとすれば、人間の生死はどう説明していいか分らない事になる。茲で肝腎な事は人間の精神即ち心である。これは目には見えないが科学と雖も否定は出来ないであろう。というのは人間は肉体の外に、肉体と同様な形をしている霊という無に等しき個体が、厳然と存在しているからである。というように霊と体とは密着不離の関係にあり、死とは霊が脱出し、体の活動が休止する事である。そうして心は一秒の休みもなく動いており、人間が何等かの意欲が起るや、間髪を容れず体に移って行動となるので、体が勝手に動くのではない。としたら人間の本体は心、即ち霊にあり、霊こそ支配者であり、体は隷属者であるから霊主体従である。この理によって病と雖も最初霊に発生し、体に移写するので、これが真理である。従って根本は霊を健康にする事である。これを一層詳しく説いてみると、元来霊なるものの本質は無色透明体であって、最初この透明体に曇りが発生する。これが病原であって、科学的にいえば、本来霊の物質化が血液であり、血液の非物質化が霊であるから、霊の曇りが体に映るとその部の血は濁り、濁血が霊に映ればその部が曇る。というように霊体一致ともいえる。
では霊の曇りの原因は何かというと、宗教的にいえば罪穢の堆積であり、物質的にいえば薬毒の溜積である。そこで一体曇りの本質とは何かというと、これこそ不純水素であって、日を経るに従い漸次濃度を増すと共に縮小する。するとこれにバクテリヤが発生する。このバクテリヤは、いわば植物性無機質もいうべきものであるが、時と共に漸次有機質に変化し動物性となる。これが菌の卵子であって、この卵子が育って個体即ち一人前になったものが、顕微鏡で見得る黴菌であるから、ヴィールスとは右の如く菌の卵子から親になろうとする中間粒子で、顕微鏡には映らないが確かにあるのは、医学でも認めている通りである。これを最も分り易い譬えとして、彼の塵溜に湧く蛆である。医学は蛆だけを殺そうとして、塵の方に気が附かないと同じである。
以上の理によって、結核を全滅させるには菌の発生原である霊の曇りを解消する以外絶対ないのである。処が現代医学の研究はそこまで達していない為、結果である菌のみを対象とし、研究しているので、根本に触れない以上、何程努力しても徒労以外の何物でもないのである。尤も現在の顕微鏡ではヴィールス以上の微粒子を視る事は不可能であるからでもあろう。処が幸いなる哉私によってその根源が発見された以上、最早結核問題は解決されたのである。
では霊の曇りは如何にすれば解消出来るかというと、これを説くに当っては、その前に曇りの実質をかかねばならない。前記の如く不純水素というのは水素中に不純分子が含有されており、勿論顕微鏡でも見得ない程の超微粒子であって、この微粒子を消滅させるのが浄霊法である。これによれば右の毒微粒子のみが焼尽され、純粋水素は残り病原は全く解消されるのである。そうしてこの施術こそ人間の掌から放射される不可視光線であって、この光線の本質は火素といって火の霊である。即ち火の体は熱であるが、火の霊は熱くはないが、体以上の素晴しい強力さである、これについて以前から科学では水素を言うが、火素を言わないのは不思議である。では右の火素がなぜ掌から放射されるかというと、この説明についてはどうしても宗教的でなくてはならないから、読者はその積りで読んで貰いたい。何となれば現代科学は霊を無視し、物質のみを認めている以上、容易に信じられないからである。この様に科学は体のみの進歩で、言わば跛行的不具的進歩であるから、真の病理も治療法も発見出来ないのは当然である。この意味に於て私は医学は機械的であるが、科学的ではないと常に言っている。その証拠には病気の場合、患者が医師に向って病原を訊いても、曖昧極まる一時のがれの答えしか出来ないのは医師も経験する処であろう。それに引替え吾々の方ではどんなに深く訊かれても、立派に科学的理論を以て堂々答えるから、如何なる患者も納得し安心するのである。
話は戻るが右の浄化力こそ、神エホバが火素の本源ともいうべき霊光の玉を私に与えられたのであって(これは腹部の中央に直径六糎位で肉眼で見る人もある)この玉から無限に光波が放射され、その伝達方法として三分の一メートル位の紙片に、墨と筆で光の文字を書いたものを畳んで懐へ入れさせる。すると私から出る光波は、霊線を通じて施術者に伝わり、その人の掌から放射される。これが浄霊法である。丁度ラジオの放送局と、アンテナと受信機のようなもので、実例報告中にある御守というのがこれである。では何故神はそういう方法を私に授けられたかというと、これこそ彼のキリストが「天国は近づけり」と予言された処の、紀元的時機が来たからである。その根本としては第一に人類から病を追放する事で、神は病気滅消の方法を私に教え給うたのである。
右は結核菌とその他についての説明であるが、次に伝染病菌についても聊かかいてみよう。
御論文〔伝染病〕
傳染病
(『アメリカを救う』より)
伝染病は近来米国では非常に減ったとされているが、日本では今もって相当猖獗している現状で、これも序だからかいてみるが、先ず伝染病菌である。これについては何人も夢想だも出来なかった程の私の新発見であって、恐らく容易に信じられないであろう。しかし再三かいた如く、薬毒によって濁った血液に対しては、必ず浄化が発生する。これが自然の摂理である。という訳で伝染病に対しても、神は巧妙な方法を造られた。それは人間中最も甚だしい濁血者の血液中に、最初微生虫が発生する。すなわち伝染病菌である。この菌が次の濁血者の血液中に、何等かの物質を介して伝染する。つまり菌が血管中に食い入るのである。そうして血液中にある濁りの微粒子を蚕食しつつ殖えていく。というのは血液中の濁りは菌の食物となるからで、それを食尽せば浄血となって治るのである。従って伝染病菌なるものは、全く人間の血を浄める役目として神が造られたもので、言わば血液の掃除夫である。それを運ぶのが彼の蝿であるから、この虫も人間にとっては大きな役目をしている訳で、余り憎めないのである。
右の理によって、伝染病を人類から絶滅するとしたら、濁血者を作らない事で、これが根本である。しかしそれは急速には不可能であるから、現在としては先ず伝染病発生の場合、患者を安静にし、自然のままにして置けば殆どは治癒するものであるから、左程恐怖するには当らない。故に軽症者は右の理を心得て適当に扱えばいいし、重症者は本教の浄霊を受ければ一人の間違もなく全治するから、これ程安心な方法はあるまい。それは伝染病程猛烈な浄化作用はないからで、浄霊によれば実によく治る。そうして現在日本では赤痢、チフス、日本脳炎が主なるもので、医療は浄化を妨げるから成績は悪いが、右の如く自然療法なれば、十中八、九は全治間違いないと共に、浄霊によれば猶更よく治る次第である。何よりも本教信者で伝染病に罹る者も偶にはあるが、今日迄一人の不幸者も出ないにみて明らかである。しかも赤痢などは予後非常に頭脳が良くなり、頭痛、頭重などの持病は殆ど消えてしまうのである。その訳はこの病気は頭脳の毒血が下痢になって出るものであり、又日本脳炎の原因は背部から肩へかけての固結毒素が浄化で溶け、後頭部から前頭部へ抜け、目や鼻から多量の膿血となって排泄され治るのであるから、予後は病気前より頭脳明晰となり、学童などは成績一変する位で、恐れられている不具者などには絶対ならないのである。又チフスは大抵二、三回の浄霊で全治するから説明の要はあるまい。
御論文[結論〕
結論
(『アメリカを救う』より)
最後にこの著の結論をかいてみるが、理論と実際によって、病気とは如何なるものであるか、現代医学が如何に間違っているかは充分判ったであろうが、要するに人間は健康で、休みなく働けるよう神が造られたものであって、これこそ不滅の真理である。それだのに病気に罹り人間の役目が果せないとしたら、それは何処かに不合理な点があるに違いないからで、その点を発見し、それを矯正する事によってのみ治るので、それ以外治病と健康の要諦は断じてないのである。処がこれ程ハッキリしている道理に気が附かなかった人間の迂闊さは、不思議とさえ思えるのである。しかも飛んでもない間違った考え方によって、薬と称する毒を以て治そうとした事で、それが反って病を作る元になるなどとは、夢にも思わなかったであろうが、この誤謬の為今日まで如何に大多数の人間が、被害を受けたかは計り知れないものがあろう。そうして今一つ言いたい事は、人間は平常薬をのんで健康を保っているのではなく、無薬で健康で活動しているのが自然の常態である。それをどう間違えたものか、病気に罹るや全然的外れである薬で治そうとするのであるから、その迷妄驚くの外ないのである。何よりも若し薬で病が治るものなら、今日迄の人間が先祖代々如何に多量の薬を体内に入れたかは分らない程であるから、病は疾くの昔に無くなっていなければならない筈である。それだのに何ぞや、至る処病人の氾濫である。何よりも薬のなかった時代の人間は健康で、普通百歳以上の長寿者が大部分であった事は、歴史がよく示している。
以上長々とかいた通り、進歩したと誇称する現代医学も煎じ詰めれば、治病方法としては溶けかかった毒素を固めて病気以前に戻す事と、病んでいる臓器をメスを以て切り除ってしまう事の只この二点であって、外には何にもないのである。それのみか逆理によって病人をふやし、人間の寿命を縮めて来ながら、それに気が附かない処か、政府はじめ一般人民も信頼し謳歌しているのであるから、その損害たるや戦争よりも甚大であろう。
又別の例として、近来スポーツ競技を見ても分る如く、白人に比して黒人の方が目立って体力の強い事である。しかしこれは黒人が強くなったのではない。白人が弱くなったのである。これも医学衛生の進歩の為としたら、実に恐るべき進歩である。故にこれに目醒めない限り、文化民族の将来は全く悲観の外ないと思う。
従ってこの真相が世界に知れ渡るとしたら、当然医療に関係ある人々は、失業か営業不可能となるであろうから、今からその対策を考究しておく必要があろう。その事を考える時、実に気の毒の限りではあるが、事は全人類永遠の幸福に関する重大問題であって、小の虫を殺して大の虫を助ける意味に於て、当事者は充分理解の上、善処されん事を望むものである。
今聞かれた通り、随分こっぴどく書いてありますが、別にこっぴどく書こうと思ったわけではないのですが、先様の方がこっぴどいから書かざるを得ないので、まあアメリカの人も之を読んだら相当驚くだろうと思ってます。若し之が非常の向うの人の注目を引く事になったら、非常に売れるだろうと思います。非常に売れて、ドルを出来るだけ獲得したい……と。之は一石二鳥で、少し欲張り過ぎますが、併し悪い事でなく良い事ですから、それに先方も之を知って助けられるとしたら、御礼しても良いと思ってます。御礼の方は戴くわけにはいかないが……。そうしてアメリカが之を問題にする様になれば、それこそ日本人は大騒ぎをやって問題にしますから、無論日本人を助けるにも非常に有意義なものになるかも知れません。
何しろ日本人は未だに西洋崇拝で、舶来物でなければいけないという観念がこびり附いてますから、之も大いに壊さなければならないと思っている。それで〝アメリカを救う〟という題は、今、日本人はアメリから救われたいという精神で一杯です。その反対の方はソ連に忠義を尽くさなければならないという思想です。ですから、それというのは日本人の劣等感で、日本人は人の厄介にならなければならないとか、つまり外国人の御厄介にならなければならない、或いは外国の思想、それが進歩したものだという風に、兎に角ソ連崇拝もアメリカ崇拝も、結局に於て日本人の劣等感が根本です。ですから、この劣等感を段々打破らなければならない。というのも理由がなく、只独善がりでは何んにもならないが、実を言うと日本人は世界で最優秀の民族なのです。で、今迄戦争や封建的の武士道だとか、あんなもので日本の優秀性を異った方面に発達させたのです。ですから私は武士道は大嫌いです。武士道というのは、つまり自分さえ良ければ人は何うでも良いという、利己的観念の非常に強烈なものです。昔は、自分の殿様とか将軍とか、そういったものに忠義を尽すという事が武士道であり、御維新この方は天皇に忠節を尽すというのが武士道の根本になってました。其為に日本人は敗戦という様な憂き目をみたのです。ですから武士道というものは一日も一刻も早く葬むらなければならない。それだから私は忠臣蔵というのは大嫌いです。処が此頃忠臣蔵が頭を持上げて来た。それで私は余興の講談とか浪曲で……講談が多いですが、忠臣蔵をやらない様にという事を注意しているのです。処が日本人はあれが好きで、此頃復興的にいくらか頭を持上げる様な形勢がありますが、困ったものです。
それから今度の「栄光」に出した〝今や亡びんとする日本画〟というあれも、やっぱり結局に於て西洋崇拝です。日本の画家迄西洋崇拝に陥っている。それですから私は油絵は高級家具だと書いてます。怒るでしょうが、高級家具だから高級家具と言うので、別に悪く言うのではありません。芸術ではないのです。芸術と美術工芸の中間の物だと書いてますが、あれは画くのではない。塗るのですから、塗るという事は一種の細工ですから、工芸品の性質を多分に含んでいるのです。あれは主なる画家だとか美術の関係者にみんな配りました。画家の二百何十人というのにみんな配ったから、読んで有難がる人と、腹が立つ人と、色々あるでしょうが、併し段々西洋崇拝というよりか――西洋崇拝も良い処があります。良い処は崇拝しても良いですが、日本人の劣等感を無くしなければならない。日本人崇拝でなければならない。それで私は美術館に日本美術を多く出してあるという事は、日本人崇拝を教える事です。昔の日本人は斯ういう偉い人があったという事を知らせるのです。ですからして日本人は、今言った様な封建精神が戦争に依ってぶち壊されましたから、之から民主的になって来た以上、平和的に非常に立派な仕事をしていくのです。それで結局西洋で驚いて日本崇拝という事になるのですが、それは時の問題です。ですから私は余程前――二、三十年前から分ったのです。このヒントを得たのは大本教の為ですから、其点は非常に感謝してます。それで段々自分が神様だと言われる様になってから、それがすっかり分って来ましたが、講和になる迄はウッカリそういう事は言えないから言わなかったのですが、講和になって独立してみれば、そういう事も思い切って言えるから言ったわけです。何しろ西洋医学に頼ることは、やはり一つの西洋崇拝思想が多分に出ている。ですから薬でも、外国で出来た薬なら喜んで買おうと……ヒドラジットが出来た時など、早くアメリカから来れば良いと何の位待って居たか分りません。そういう様で日本人の劣等感というのは酷いです。ですから私はボツボツそういった事を知らせ様としているのです。いずれ熱海に出来る美術館は世界一を狙ってますから、段々医学が分るにつれて、段々西洋の方で分って来ますから、之が第一日本崇拝です。それから「文明の創造」の本が出来ると、あれは医学以外に色々な文化方面に、現在の文化よりずっと進んだ文化ですし、それから美術だとか色々な点で、西洋から日本崇拝をさせる積りです。積りと言っても、之は私がやっているのではない、神様がやっているのですから仕方がありません。で、日本人は何故そういう事があるかと言うと、之を人種的に……先にざっと書いてありますが、之を本当の事を言うと分るのですが、未だ発表するのは早いので、もう少し経ったら発表します。そこで日本人の優秀であるという事は、根本の神様から説いていくと分るのです。それこそ破天荒の説で、面白いのは面白いです。そうすると本当に分るが、併し日本人の内でも、本当に優秀なのは少いです。丁度百人に一人位の割合です。之が日本人の中に居るのです。これが約三千年の長い間抑え附けられて来た。それが、今度メシヤ教に依って現われて来るのです。ですから斯う(御浄霊)やって病気が治るという事は日本人丈なのです。日本人というよりか、日本人の内の又一層特別の日本人ですが、それ丈がそういう事が出来るのです。ですからずっと以前、何千年も前は、やっぱり之で病気を治したものです。それが或る事情に依ってその日本人が下積にされた。斯ういう事も段々時期の進むに従って発表していきますから、それを楽しみにして貰いたいと思います。話はこの位にして置きます。
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