現在の時局について少し話したいと思います。新聞にもあります通り、〝アイクが二十八日から居所不明だ、多分朝鮮に行ったのだろう〟という事が出てましたが、つまりアイクが朝鮮に行くというのは何の目的かという事ですが、これは新聞にも出てます。別に言うほどの事もありませんが、とに角朝鮮問題が何時までたってもグズグズしてさっぱり埒があかないというのは、何時も言うとおり中共の奥の方はソ連ですが、つまり米国に対する消耗戦術なのです。それであそこを解決してしまえば、連合軍が徹(撤?)退する事になりますから、そうすると米国が引き上げるという事になると、消耗戦術はもうおしまいになって、それではおもしろくないから、どうしても平和にはしない、休戦協定は結ばない、という最初からの目的なのです。ですから私が何時も言うとおり、絶対に協定はできないのです。とに角あそこにアメリや国連軍を相当引き付けておいて、断えずそれだけの金と人間を消耗させているのです。現在でもアメリカの兵隊が月に千人くらいずつ戦死してますから、共産軍のおあつらえ向きというわけです。ですから今度も印度の提案が中共やソ連の方に有利な様に見えても、結局停戦協定が結ばれると今言ったとおり工合が悪いから、それで今度の賛成不賛成の議決などもソ連の方の五カ国だけは反対して、他の五十カ国というのは賛成したのです。だから絶対に協定はできないのです。そうすると情勢はどういう事になるかというと、アメリカの方で新兵器とか水素爆弾をこしらえたりして非常にいいですが、軍備などの数量はソ連の方が増えているのです。大体アメリカもヨーロッパの方も力一ぱい軍備は出しきっていると言うか、充実していて、もうこれ以上軍備を充実するという事は、経済上も許されないのです。しかしソ連の方は五カ年計画をやるたびにドンドン増えております。そこでソ連の方としては時を稼ぐのです。時さえたてば自分の方は太っていくという事で引き延ばしているわけです。そのためにアメリカの方では、これをどうしても解決しなければならない。その程度は分りませんが、思いきってやらなければならない。とに角今のようではいけない、もっと相当強力なやり方をしなければいけない。それにはまず一応現場を見なければならないというので、アイクが飛んで来たわけなのです。その結果どうしても積極的にやらなければならないという事になります。そうすると沿岸封鎖とか、或いは満州を爆撃するとかです。満州の爆撃は最も主なる点でしょう。そうするとかなり中国動乱という事になるとも言えます。そうしてそれを機会に蒋介石の国府軍の方が又中国に進撃して行くだろうと思います。そうすると中国全土がかなりの大騒動をするだろうと思います。どうしても遅かれ早かれそこにいかなければならないのです。それが早いほどよいのです。私は前にマッカーサーの戦略が非常に良いと褒めた事がありますが、今度もマッカーサーの案と大体同じです。そういう事に対してトルーマンは非常に消極的で、事なかれ主義というか、思いきったことはできるだけ差し控えるというやり方の人ですから、そういう考え方はしないでグズグズして、今までの様な手段をとってきたのです。しかしそれでは何時までも片(方?)が付かないのと、だんだん時がたつに従ってアメリカの方が不利になりますから、アイクとしては堪らないのです。そこで大統領に当選しないうちから、朝鮮に飛んで行って解決すると言っているのですから、場合によっては相当大きな場面が出ると思います。しかし第三次戦争はもっと先だろうと思います。何故と言ってソ連はなかなか積極的には出ません。非常に算盤勘定が高いのです。大体共産主義というのは戦争しないで制覇するというのが建前なのです。その代り軍備は大いに充実させて、先方から喧嘩をふっかけたら応じない事もないが、自分からやるという事はまずしないのです。そこに考えの深い点があるのです。だからしてたとえ中共がやっつけられてもソ連は手を出さないでしょう。しかし第三次戦争は起こらないとしても、中国を舞台として相当な波瀾はあると見なければなりません。そうして中国が大いに変化します。その変化するという事は、神様の方ではいろいろの経綸上そういう必要が大いにあるので、まず来年からそういう動きがあると見なければなりません。それはやはり大きな経綸の一つですから、おもしろいと言っては甚だ変ですが、経綸の進み方が余程はっきりしてくるわけです。
それから今朝の読売新聞にデカデカと〝神様は金儲けがお上手〟という見出しで、その次に小さく〝ヌレ手で粟、税務署も罷り通る〟という事が出ていたのです。読んでみると、やっぱり救世教を主にしてあるのです。救世教と立正交(佼?)成会の二つの事を書いてあるのです。しかし立正交(佼?)成会の方は附録ぐらいで、大体救世教のことです。何かというと、ヌレ手で粟の収入は多過ぎる、というのです。それでけしからんとも言いませんが、そこのところをうまくやってやがる、だから信者というものは甘いものだ、という様な書き方です。それで私が何時も言う〝甘くないものを見て甘く見る甘さ〟という事です。それでいろんな収入の事を書いてあります。御守を幾らで売って、合計何億になる、という事が書いてありますが、私にはあの人たちのそういう頭に割切れないところがあります。収入が幾らあっても差支えないし、収入があるという事はどういう訳だろうという事を考える事です。なにも詐欺や泥坊をするのではないのです。それだけの収入があるという事は信者が上げるのです。上げるという事は上げるべき理由があるのです。このせち辛い世の中に、少しの人間なら献金もあるでしょうが、何十万という人が只で上げるわけがありません。そこのところを考えなければならない。只収入が多いと言うが、それも悔しそうな言い方です。どうも考え方が低級です。いまのジャーナリストはもう少し頭の切り代(替?)えをしなければいけないと思いました。そして大事な事は収入の使い道を調べてみることです。多額の収入があったとして、その使い道が人類の為国の為になればそれで結構ではないですか。それでいろんな社会事業とか国家がやっている事がありますが、国家で気が付かない事や国家がやれない事は、誰かがやらなければならない。国家がやれない事をこっちがやるのですから、要するに信者さんが上げる金は国家の欠陥を幇助しているというので非常に結構です。一例をあげれば、近頃アメリカが日本の美術品を非常に欲しがっている。そうして買いたくて随分いろんな人が策動しているのです。それで大抵は博物館に持って行きますが、ところが博物館は金が足りないのです。日本は軍備という事には気前良く金を出しますが、そういう平和的な事には実にしみったれなのです。なにしろ博物館の一ヵ年の予算は二千万円です。それで美術品の一寸有名な良い物は五、六百万円からします。だから二千万円を全部出しても数点しか買えないのです。それで博物館でも買えないし、日本人の個人で買える人もほとんどありません。昔なら財閥やいろいろな富豪が買ったが、今はそういう連中は没落同様になってます。それで新しい成金があるにはありますが、そういう事に趣味がないし目がきかないからあぶなくて仕様がない。ですから買える力のある者は買わないし、それからいろいろな頭のある人や目のきく人は金がない、という変な状態になっているのです。そこで博物館で買わないと救世教に持って行こうと、私の方に持って来るのです。ですから私の方でもそれを買わなければアメリカに行ってしまうのです。そういう事がときどきあるのです。そこで私の方でくい止めるのです。ですから文化財保護委員会とか博物館では私の方に非常に感謝しているのです。その点は国家にもできない重要な事をやっているのです。ですから救世教という宗教なるものは国家ができない様な事、国家に対する肝腎な事をしているのです。そういう事が分かってくれば、それこそお辞儀をしなければならない事になるが、そういう事は全然無視して、只収入だけを何だ彼だ言うのです。とに角読売あたりは大新聞ですから、大新聞がそんな低級なことを堂堂と書くということは非常に遺憾です。もう少し大人らしくインテリらしい頭で扱って貰いたいと思います。それは駆出しの新聞ならまだしもですが、今では駆出しの新聞でもそういう事はありません。あまりに低劣です。それを非常に残念に思うのです。
それから近頃はいろんな面で名人が無くなったのです。その理由を書き始めたのです。まだいろいろ書いて行こうと思いますが、今読ませるのは俳優、特に歌舞伎俳優の偉い人はほとんど無くなってしまったのです。この次は画家の偉いのが無くなったという問題も書いてみますが、今日のは俳優だけの論文です。
御論文〔名人の失くなった理由(一)〕 【註 栄光一九〇号】
名人の失くなった理由(一)
(「栄光」一九〇号)
近頃目立って寂しくなったものに、芸能界と美術界がある。これに就いて、先ず芸能界の方から書いてみるが、何と言うっても主だった歌舞伎俳優のなくなったことである。この面での名人は固より、主だった俳優で、それぞれの特徴を持っており、狂言によってはなくてはならない人達が、永遠に舞台から退いてしまった事であって、旧劇のファンならざる我々とても、一抹の哀愁を感ずるのである。というように、今日相当の年輩で芸の円熟した俳優は、殆んど見られなくなってしまった。現在残っている人としたら、吉右衛門、猿之助、三津五郎の三人位であるが、関西方面は知らないが同様であろうと思う。然も、右三人のうち、三津五郎は最早老齢で、後何年舞台に立てるか分からないであろうし、吉右衛門にしても病弱だから、この人もいつ倒れるか分からない有様である。只一人猿之助だけが頑健壮者を凌ぐものがあって心強くは思うが、この人だけでは一人相撲で、どうにもならないのは勿論である。そうかと言って現在の若手俳優にしても、成程相当頭数もあり、将来性のある人も少なくはないが、まだ年も若いし、見応えある舞台は当分望めないであろうから、好劇家こそ寔に気の毒なものである。そうして歌舞伎劇は他の劇と違って、相当年輩で貫禄のある俳優でないと、第一舞台が引締らないし、味も出ないから、困るのである。
以上のような現状を、私の若い頃と比べてみると、隔世の感というよりも、不思議とさえ思えるのである。何しろ私が二十歳頃の歌舞伎の舞台の素晴しさは、今でも忘れる事が出来ない程で、彼の団菊左の三頭目は別としても、片市、八百蔵、松助、小団治、段四郎、訥子等々の中堅処から、若手では福助(後の歌右衛門)家橘(後の羽左衛門)染五郎(後の幸四郎)二代目左団次、勘弥等がいて、実に多士済々たるものがあった。又音曲方面にも名人は中々あった。今でも忘れられないのは、長唄の伊十郎、六左衛門(後の寒玉)のコンビで、舞台の浅黄幕を背にしての、アノ息もつけない大薩摩である。その他常磐津林中、清元延寿などの名人芸も時々思い出す事がある。又新派俳優、落語、講談、浪曲、新内等も、書けば限りがないから略すが、何といっても昔の名人位のレベルの人は、今日指を屈する程もなかろう。
以上芸能界に就いてのありのままを書いてみたのであるが、これは次に言おうとする一つの前提としたいからである。以上の通り、中年過ぎて芸も円熟に達し、愈々これからという時になると、次々世を去るというのは、実に不可解ではないか。これは誰しも気附くであろうが、その原因が不明な為諦めるより致し方ないのである。処が私はその根本原因をハッキリ知った以上、玆に書くのであるが、それは何かと言うと、驚く勿れ現代医学が原因であると言ったら、何人も愕然とするであろう。
これに就いては、先ず一例として、私の経験から書いてみるが、以前私が麹町に居た時の事である。当時女形としては中々人気があった市川松蔦という俳優であるが、この人の年は慥か三十幾歳位と覚えている。私の近所に住んでいた関係もあって、時折治療に来たのである。というのは、非常に肩の凝る人で、それを治す為であるが、偶々関西方面で興行中肺炎に罹ったので急遽帰京し、ぜひ私に来てくれという依頼なので、私は早速行って見た処、かなり重体であったが、よく聞いてみると、松竹の会社から毎日お医者が来て熱心に治療するとの事なので、私は困ったと思った。併しマサカ断れとも言えないから、ただ注射と薬だけは絶対止めなさい、それが出来なければお断わりするより致し方ないと言った処、大いに当惑した末、ではその通りに致しますからと言うので、私も毎日治療に行った処、数日ですっかり全快したのである。
そうしてその時の話によれば、自分達は一寸した病気でも、会社は直ぐに立派な博士を寄越し、親切に手当をしてくれるので、今までは安心していたということなので、私は成程それだなと思ったので、それとなく注意は与えたが、間もなく私は玉川(今の宝山荘)ヘ移転してしまったので、遠方になった為その後パッタリ来なくなったのである。処がそれから数年後、同優は病気で死んだという記事が新聞に出ていたので、さてこそと残念に思い、やはり運がなかったのだと思った。
これも以前書いた事があったと思うが、歌舞伎俳優で女形になると、例外なく早死する事実で、これは古い人はよく知っているであろう。併しこれに就いても立派に原因がある。何しろ年中重い鬘を被り通しなので、頸肩が非常に凝り、其処へ度々浄化が起るので、発熱、咳嗽、喀痰も出るというわけで、医師は結核の初期と診断し、熱心に逆療法を施す結果、斃れるのである。
以上によってみても、歌舞伎俳優が割合早死するのは、全く医療の為という事がよく分るであろう。処がそんな事は夢にも思えない会社の事とて、不幸な人が出来てはならないと、益々医療に頼るのであるから全く恐ろしい話である。そうかと言って、その事を分らせようとしても、今の処可能性はないから、時節を待つより致し方ないが、大変な世の中になったものである。これ等を考えれば考える程、一日も早く医学迷信を打破しなければならないと、痛感して止まないのである。
それからいずれ書きますが、話の方がかえって分るくらいですが、画家の名人がほとんど無くなってしまったのです。そうしてしかも油絵の真似をして、東洋画の力強い絵は無くなってしまったのです。これは展覧会に行って見れば分りますが、只ベタベタと絵具を塗っているだけです。ああいう画き方は非常に楽なのです。誤魔化しがきくのです。画き損いをしても、直ぐ絵具で濃く塗ってしまえば分りません。しかし東洋画の線で画くのは、塗ったらもう駄目です。そこに価値があり、芸術があるのです。今の塗る方は芸術としてもレベルが低いのです。たとえて言えばペラペラ喋る様なものです。それよりか一言二言いって先方の琴線に触れるとか、本当に分る様にするのです。鉄砲の弾をうつ様なもので、名人は一発で中りますが、そういった技能がないから散弾とかをバラバラやって、やっと一つ中るのです。東洋芸術の真髄は一筆画きにあるのです。それで筆に一番力があって頭の下る様なのは、一番は支那の宋時代の画家です。これは美術館に出たので皆見たでしょうが、牧渓とか梁楷、それから馬遠、顔輝。そういう人の線は真似ができません。これだけは日本の昔の狩野派のいくら偉い人でも、やっぱりそれを真似ているのです。そうして宋元時代の筆勢に大体追い付くのは宮本武蔵です。つまり武芸の腕、剣を筆に持ち代えて画いたのです。実に力があります。どうしてそういう力が出るかというと、宋時代の画家というのはほとんど坊さんが画いたのです。その坊さんたるや、その修行が大変なのです。山に籠って絶対菜食で何十年も修行を積んだのですから、人間が違っているのです。そういう人が筆を持つから違うのです。あの筆勢を見たら何とも言えません。今ではそういう物を楽しむ人が少ないのです。しかしあるにはあります。何故かと言うと、非常に値段が高いのです。むしろ西洋の名人の油絵よりも高いでしょう。そういう訳で、大体人間が違っているのです。ところが現代人はそういう筆が使えないのです。筆に力がないのです。力がないという事は、一番の原因は食物にあるのです。ですから私は、ビフテキを食べたり牛乳を飲んでいては東洋画は絶対に画けないというのです。と言うのは筆に力が出ないのです。今の古徑とか靱彦、青邨を見ても、只形だけは画くのです。それに絵具を塗りつぶすのです。あれだったら誰でも画けます。只線を一本引いてスーッと画くという、ああいうのは誰でも画けないのです。というのは筆が弱っているからです。それで力がないのです。というのは、それで薬をのみますが、薬をのんで肉食をしたら体が弱るに決ってます。その原因を私は書いたが、それは種痘です。私は今度論文に書こうと思ってますが、種痘が名人をつくらないという事を言いたいと思ってます。これは日本ばかりでなく西洋でもそうです。種痘が出て以来、西洋でも名人が無くなったのです。音楽でもベートーベン、シューベルト、バッハ等は皆百年以上前の人です。それで種痘以来だんだん名人が無くなったのです。実に不思議なくらいです。それで日本の戯曲でもそうです。長唄は小三郎さんが来るからよく聞きますが、結局明治以前の曲か、明治初年くらいまでの曲です。日本は種痘が遅いからですが、種痘をやって以来名人が無くなったのです。それは何かと言うと、種痘によって薬毒の排除を止めるから体が弱るのです。それはどういう点に一番影響するかと言うと、根気が無くなるのです。直ぐに嫌になるのです。それで根気がないからいい加減なところで我慢してしまう。もっと進んでいい曲を作ろうとする事がない。だから肉食をして薬をのんだら根気が無くなるから、だんだんそういったいいものができなくなる。そういうところに原因があるとは誰も夢にも思いません。しかしこれが事実だから仕方がありません。これが本当なのです。芸能人もだんだん救世教信者になってから大いに有望ですが、結局救世教信者から名人が出る様な時代がくるわけですが、それはまだ気長に待たなければならないが、そういう様な訳です。そういう事もだんだん分らせ様と思ってます。
それから、話はデパート的になりますが、私は神様を拝まないのですが、こんな宗教はないのです。古い信者の人は知ってますが、新しい信者や、これから信者になる様な人に対して、一応知っておかなければならないので書いたのです。これは「地上天国」の論文です。
御論文〔私が神様を拝まぬ理由〕 【註 地上天国四十三号】
私が神様を拝まぬ理由
(「地上天国」四十三号)
私は神様を拝んだ事がないのは信者はよく知っているが、恐らく昔からあるどんな宗教の教祖でも、そういう例は絶対ないであろう。という訳で、信者の中でも疑問に思う人もあるであろうから玆にかいてみるが、元来私という者は、神格上からいって最高地位にあるので、私より上位の神様はこの世の中にないから、拝む訳にはゆかないのである。従って本当をいうと八百万の神悉くは、私の部下と見ていいのであるから、私は凡ゆる神仏を救う力を有っている以上、近来霊界に於ては私に縋って罪を赦さるべく謝罪すると共に、今後救世教の仕事を手伝わして貰いたいと願望する神仏は数知れずという位出て来るので私も出来るだけ救ってやりたいと思っている次第である。こんな事をいうと、神仏ともあろうものが、御詫びをする程の罪を犯すなど、到底信じられないという人もあろうが、それはこういう訳である。即ち夜の世界の間は本当の事が隠されている為、良いと思ってした事が、実は邪神のお手伝いをしていた事に気がついたので、それを知って慌て出した訳である。それは愈々審判の時が迫って来た事で、愚図々々してはおれないから、何とかして救って貰いたいと急にそうなったのである。そこへゆくと人間の方は現界だけしか見えないからウカウカしているが、仮にも神仏である以上、霊界の事は何でも見えるし、総ての事は霊界が先になるからよく分るので、何等執着なく、右のような態度に出たのである。この事は最近本誌に毎号載せている多賀夫人の霊憑りの通り、各宗の開祖、教祖の霊が後から後から嘆願に出て来るにみても分るであろう。
又話は違うが、本教の経綸にしても、私の思う通り総てがスラスラと然も迅速に運んでゆく。これは改心した神仏の霊が主神の命によって、霊界で大いに活動しているからでもある。その例として近来容易に手に入らないような素晴しい仏像なども次々手に入る事で、これ等もその宗祖、開祖や高僧達が霊界で活動し、手柄を立てようとしているからである。その他仏教以外の美術品にしても、その作者や持主であった人達の霊が働いて私の手に入るように仕向けるので、結構とも思うが、玆に始末の悪い事がある。というのは、それ等の霊が世の中に生きていた時代は、経済観念等の必要がなかったが、今日は丸っきり違っている事に気附かず、只品物さえ運べばいいと思っているのであるから、現界人たる私はその為の金の支出も相当なものである。そこでいつも嬉しい悲鳴を上げている次第である。
次に私の神格の現われとしての今一つの事をかかねばならないが、知っての通り、私の治病力の素晴しい事である。言うまでもなく、光という一字を懐へ入れた丈で、何千何万の人が救われると共に、何百何千里離れた所で危険に見舞われた死の刹那でも、私を祈願すれば助かる奇蹟である。
そうして目下地上天国を造りつつある箱根・熱海にしても、今日までの数々の奇蹟もそうだが、今度の京都の平安郷も最初の困難な条件を突破し、スラスラ短期間に手に入ったのを思い合せても、只々感嘆の外なく、然もその土地の位置といい、環境といい、京都第一という事が最近判ったので驚いている。勿論最初からそういう所を探したのではなく、全く自然にそうなったのである。という様に、神様は最初地球を造る時から、全世界隈なく救世教出現に対する準備をされた事で、これこそ一点の疑う余地はないのである。以上思いのままをかいてみたが、余りに自画自讃にすぎるので記き辛いが、そうかといって一応は知っておかねば、今後出て来る私の経綸の余りにドエライので、見当のつかない事もあろうと思うから、予め概念を得させようと玆にかいたのである。
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