一月二十五日

 随分風邪が流行してますが、特に信者の人は溶けやすいから風邪を引きやすいのです。ところで風邪を引かない人は、健康でもなんでもないので、つまりよく固まっている人なのです。こういう人の方が、溶け始めると急激ですから、かえって危ぶないのです。ですから風邪は早く引く人ほど、軽く済むのですから、いいわけです。

 私も十二日から風邪を引いてますが、まだすっかりなおりません。風邪を引いても大抵は一日か二日でなおってしまいますが、今年はなかなか御念がいってまして、一晩だけは苦しくて仕事ができなかったのです。あとは不断と違いはありませんが、けれども体が痛だるくて、水洟や咳が出て、それだけはうるさかったです。信者でない人は〝風邪をお引きになっても、よくお休みになりませんね〟と言いますが、それで私は〝風邪というものは薬をのまなければなおるに決まっているから、そういう必要もないから不断のとおりにしているのです〟と言いました。だから何の病気でも、特に怖いという病気はありませんが、特に風邪は薬さえのまなければ、なおるに決まったものですから安心なものです。それについて非常に面白く、分りやすく書きました。

 御論文 〔風邪引結構〕   【註 栄光一九三号】

風邪引結構

(栄光一九三号)

 それで風邪は、べつに何処の毒という事ではなくて、体中にあるものは何処からでも溶けて、咳と痰になって出るのです。私は最初水洟がうんと出ました。それで鼻紙が山の様になりました。これは何処から出るかと言うと、頭全体が溶けて水洟になって出たのです。その後は頭が軽くなりました。それは、私は原稿を書いてますが、頭が軽くなると、原稿を書いても長く続くからすぐ分ります。それが済んでから、腰から足の方が痛だるくなってきたので、おかしいなと思って見ると、お腹の下の右の方の丁度盲腸と腎盂の間の所に熱があって、それが溶け始めたのです。それから痰が出て、それで痛だるかったのです。それでそこを浄霊したら、すっとよくなりました。頭や頸から痰が出るという事は分りますが、お腹の右手の方から痰が出るのです。それが風邪の状態です。そこから咳と痰が出て、腰から下が痛だるいのです。これは信者さんでも一寸見当が付かないくらいです。ですから案外な所から熱が出て、溶けて、咳と痰が出るのです。今まで気が付かない様な所から溶けて、毒を出してくれるのです。ですから風邪というものは実に結構なものです。それが分らないから、ワクチン何万人分を取り寄せるとか言って、大騒ぎをしてますが、このワクチンというものは、そういう出ようとする毒を出さないように止めるのですから、それを知らない文化族というのは、実にどのくらい馬鹿だが分りません。だから、こういう人間を教育してやらなければならないが、これを分らせるのは、なかなか大変なものです。すっかり迷信にかかっているのですから……。それで神様はそういう迷信族をどうして分らせるだろうという事になりますが、そこは神様ですから、神様の方には到底人間の想像も付かない秘策があります。それは、だんだん浄化が強くなって来て、今までの様に薬で固めるという事ができなくなるのです。それで、今ワクチンと言っても、一時固める事ができるのです。溶け出したものが一時でも固める事ができるからやっているのですが、これが一寸でも固める事ができなくなると、そうなると考えざるを得なくなります。その事を書いてみました。

 御論文 〔大恐怖時代来らん〕   【註 栄光一九四号】

大恐怖時代来らん

(栄光一九四号)

 この題を見たら、誰しもギョッとするであろう。信者はそうでもあるまいが、初めて見た人はそう思うに違いあるまい。この事に就いては普段から私は凡ゆる面から説いて来たが、その時期が大分近づいた様だから、玆に徹底的に書こうと思うのである。勿論霊界に於る浄化作用が、日に月に強くなりつつある今日、近き将来一般社会も天手古舞(てんてこまい)をするようになるであろうが、それに就いて私は最近医学革命の書なる著述を書き始めたが、これもその必要を痛感するからである。

 そうして信者はよく知っているであろうが、今日どんな人でもその薬毒の多い事は驚く程で、分れば分る程(まこと)に恐ろしい気がする。といっても、今日世間を見ると、至極健康そうにセッセと働いている人も沢山あるので、上辺(うわべ)からみると、そんな恐ろしい時代が来ようなどとは到底想像もつかないのである。その様な訳で、未信者は無論だが、信者でも信仰の新しい人などは首を(ひね)って、容易に信じられないであろうが、実をいうと健康そうに見える人程危い訳で、それというのは薬毒が大いにあり乍ら、非常によく固まっているからなのである。従って愈々となると寧ろこういう人こそ一ペンに浄化が起って、真先に槍玉(やりだま)に上げられる側の人と見ねばなるまい。

 私は二十数年前から病気の原因は薬毒である事を唱えて来たが、初めの内は中々信じられない人が大部分であったが、信者になって長くなる程徹底するのである。しかしそれも無理はない。何しろ先祖代々病は医者と薬という合言葉同様になっている位だから、一度や二度で(てのひら)を返したように分る人は、先ずいないといってよかろう。それでも近頃は大分わかり方が早くなって来たようで、それ丈こちらを見る目が異って来た訳である。併し前記の如く浄化が段々強くなる以上、分る人も愈々増えるのは勿論である。というのは、医療の固め方法が一日増に固らなくなるからで、それに引替え浄霊の方は溶かす方法である以上逆になるからで、つまり時節が浄霊に味方する訳である。

 そうなると病人は増える一方で、今迄にないような種類の病気も多くなり、医師はどうしていいか判らない事になって、二進(にっち)(さっ)()もゆかなくなるのは当然である。又今までなら直に効いた飲薬も注射も、全然効かない処か逆結果となって、医師が手を附けるや忽ち悪化したり、死んだりするというような恐怖時代が来るであろう。こうなると政府始め専門家も一般人も医学の真価が分って、医療をボイコットせざるを得なくなるから、これこそ大問題である。そこで始(?初)めて救世教の説に頭を下げざるを得なくなると共に、アノ時随分変な説と思って悪く言ったが、実に申訳なかったという事になり、玆に初めて目が醒めるのである。

 然もこうなったら命には代えられないから、インテリもジャーナリストも、(たば)になって救いを求めて来るのは勿論だが、そうなったら一どきになる以上、コチラはやり切れない。マア事情の許す限り救ってはやるが、誰も彼もという訳にはゆくまいから、御気の毒だが外れた人は自業自得と諦めて貰うより仕方があるまい。大本教の御筆先にこういう一節がある「愈々となりてから神に縋りて来たとて(あと)(まつり)であるぞよ。不断から神の申す事を(うわ)(そら)で聞いていた人民には、神は構うておられんから、どうしようもないぞよ。俄か信心は間に合わんぞよ」という寸鉄殺人的の言葉がある。これが丁度私が今言わんとする処と同じである。又御筆先に「今度の建替えはこの世に神が有るか無いかを分けて見せてやるのであるから、神有る事が分りたなら、如何な人民でも往生せずには居れまいがな」。何と痛烈骨を刺す思いがするではないか。

 玆で誰も余り気がつかない事で且他教に関する事だから気が進まないが、何しろ時節が迫って来たのと人類救いの為としたら、言わない訳にはゆかないから思い切ってかくのである。それは何かというと、愈々来るべき最後の審判に際しては、宗教は何の役にも立たない事になるのである。というのは、その宗祖、開祖の殆んどが、最早世を救う力がない処か、御自分及びその信徒が救われねばならないから、近来、私に対して後から後から歎願に来る有様で、これにみてもその辺よく分るであろう。成程凡ゆる宗教は、今までの世界が続いているとしたらそれ相応の役には立つが、愈々世界大転換という空前の事態となった以上、既成文化は一度は破局的運命とならざるを得ないからである。それと共に万教帰一の時となるので、玆に一切の宗教は一団となって、本教を中心に人類救済は固より、地上天国建設に協力する事になるのである。

 今一言いわねばならない事がある。それは帰する処本教に背を向けて滅びるか、本教に抱かれて助かるかの二者何れかを選ばなければならない事になる以上、今から覚悟すべきである。これが今後に於ける全人類の課題でもあろう。

 この頃新聞で宗教欄などをつくって、大分宗教に関係した事を書いてます。中には宗教界の偉い人の説なども相当出てますが、読んでみると煙みたいな事です。昔から言っている様な事をただ繰り返して言っているに過ぎないので、そんな事を言ったところで、どうせ何の役にも立たないのです。実際、新聞の紙や活字が勿体ないくらいです。ですから、結局だんだん浄化作用が強くなると、みんな慌てたり分らなくなったりする事になって、大変な事態になりますが、その時になって〝はああ、救世教はこれを言っていたのだな〟という事が分れば、非常に早く救われますから、今はその準備をしている様なものです。

 今まで言ったのは病気の事ですが、病気以外の戦争などもなかなか大変なのです。今日本人が再軍備が良いとか悪いとか、平和がどうとかこうとか言っている事は屁みたいな事であって、何にもなりません。それを社会党とかいろんな偉い人が鼻高になって言ってますが、虫や蚊が鳴いている様なものです。それどころでなく、だんだん世界が全然引繰り返る様な事になって行きます。私は「栄光」の新年号に『世界夢物語』という論文を一寸書きましたが、あれは半分くらいのもので、あの先が大変ですが、それはあんまり恐ろしい事なので、今は早過ぎるから、書かなかったのですが、いずれ来年の新年号あたりに書こうかと思ってます。それは神様の方ではちゃんと決まっているのです。大体の事を言うと、いよいよ昼間の世になると、太陽が東から霊界に出て、だんだん明かるくなります。それで日本は極東ですから、日本から明かるくなります。それから朝鮮、中国、中央アジア、西南アジア、ヨーロッパという様に、だんだん明かるくなって行くのです。それで、明かるくなるとすると、今までの汚たない物が非常に目立って来ます。夜の世界では分らなかったもので、とんでもない汚たない物が沢山ありますから、この掃除が今度始まるのです。それが神様のなさる事です。それで神様は掃除をやられるのですが、しかしドタバタには立派な神様は手を出しません。そういう労働は悪魔にやらせるのです。そして神様は懐手をして見て居られ、指図されるわけです。それが人現界に現われてくるのです。それはだんだん分って来ます。これだけを言っておきますが、一番酷くやられるのは英国です。日本が戦争でやられましたが、英国はとてもそのような比ではありません。それは随分気の毒なものです。それだけではなく、アメリカもあるし、ソ連も最後は大変です。それは、時期が来たらそういう事も書きますが、今のところはこのくらいにしておきます。昼間の世界になるという事は、東方の光がだんだん昇って行き、それが現界に現われるという事で、これが根本です。それから、医学革命の書の次のを読ませます。

 御論文 医学革命の書〔四、固め方法と溶かす方法〕

固め方法と溶かす方法

(『医学革命の書』より)

 以上の(ごと)く現在(まで)の療法という療法は、(ことごと)く固め手段であるから、医学の進歩とは固め方法の進歩でしかない事がよく分ったであろう。そうして薬剤以外の方法としては()の電気、レントゲン、種々の光線療法等、何れも固め方法であり、氷冷、湿布、塗布薬等も同様であるが、(ただ)灸点(きゅうてん)(はり)(すい)(ふくべ)だけは右と異い、刺戟(しげき)によって浄化中の毒素を患部へ誘引し、一時的苦痛緩和を(ねら)ったもので、勿論(もちろん)治るのではないから、灸など毎月というように定期的に据えるのは(その)(ため)である。(この)(よう)に今日迄の(あら)ゆる療法は浄化停止であるから、病を治すのではなく、結局治さない方法でしかないのである。

 (この)理によって真の病を治す方法は、右とは反対に固結した毒素を溶かして体外へ排除させる事で、それ以外真の療法はないのである。それを理論と実際とによって、(これ)から詳しく解説してみるが、それに(つい)(まえ)(もっ)て知っておかねばならない事は、人間なるものの実体である。(これ)を医学では一個の物質と見做(みな)しているが、勿論医学は唯物科学から生れたものである以上、そう見るのも当然であるが、(この)見方こそ誤謬(ごびゅう)の根本である。というのは人間が単に物質のみであるとすれば理屈に合わない事になる。何となれば人間には意志想念という目にも見えず、手にも触れないものであり(なが)ら、確かに存在しているからで、(これ)ばかりは如何なる科学者と(いえど)も否定は出来ないであろう。とすれば(この)無なるものが、実は人間を自由自在に操っている本尊様という事になる。近来医学でも精神医学といって、精神的に治す方法を試みているが、(これ)が案外奏効するので、漸次(ぜんじ)関心を持たれて来たという話である。してみると医師の中にも、人間は物質のみでない事を認識された訳である。以上の如く人間は肉体以外見えざる心があり、心を包んでいるものを私は霊と名付けている。従って霊と肉体との両者併合(へいごう)によって成立っているのが人間である事は余りにも明かである。(ところ)が医学は右の如き人間の本体である霊を無視し、体のみを研究して来たのであるから、一方的跛行(はこう)的であって、言い換えれば肝腎な主人公たる魂を無視して、(その)配下共を対象とした訳である。つまり肉体は外殻で中身ではない。中身とは見えざる霊であるから、(これ)を主としてこそ真の医学は成立つのである。医学が(すべ)ての病原を細胞のみに持ってゆくのもその為である。では何故科学は霊を認めなかったかという(その)原因こそ、霊は肉眼で見えず、機械でも測定出来なかったからである。というのは全く現代科学のレベルが低いにも(かか)わらず、それに盲目であった為科学を実価以上に信じ、科学で把握出来ないものは一切無と決めて(しま)った。つまり科学過信の結果である。従って将来科学が幾層倍進歩した(あかつき)、霊の確認は勿論だが、(ただ)それ迄に如何に誤った医学による多数の犠牲者が出るかを想う時、一日も早く(この)迷盲を目覚めさせなければならないと痛感するのである。という訳で(この)発見が現在科学の水準より余りに進み過ぎている為、容易に信じ難いのである。とはいうものの(この)説こそ不滅の真理である以上、遅速はあろうが必ずや、全人類理解の時の来るのは、さまで遠くはないと思うのである。

 (ここ)で後へ戻るが、病の根本である霊の病とは何かというと、(これ)こそ霊へ発生した曇りであって、(これ)を除去する方法を浄霊というのである。即ち霊の曇りがなくなれば、体へ映って濁血は浄血となり、最も濃厚な分だけ種々の排泄物となって体外へ出て病は治るのである。そうして濁血の古くなったものが膿であるから、彼の排泄物には膿と濁血と、両者混合のものとの三種あるのもそういう理由である。

 以上の如く濁血が霊の曇りの原因としたら、一体濁血は何によって作られるかというと、意外も意外(これ)こそ薬剤であるから、初めて知った人は開いた口が(すぼま)らぬであろう。(ところ)が今日迄それを知らないが為、薬剤を()いものとして使用して来たのである。(しか)し薬毒は医学でも或程度認めてはいたが徹底しなかった。即ち医学では自然に排除されるとしていた事である。それに(つい)て次に説明してみるが、本来人間の食物としては五穀、野菜、魚鳥、獣肉等(ことごと)くは、人間の嗜好に適するように出来ており、その味を楽しんで食えばそれで必要なだけの栄養が()れ、生が養われるので、(これ)が自然である。(この)点生殖と同様で、子を造る目的ではなく、他の目的によって自然に出来るのである。(この)様に食うべき物は(おのずか)ら決っており、体内の消化器能もそれだけを完全に処理するようになっているので、他の如何なる物も処理されないのは勿論であるから、薬は異物である以上処理されず、大部分は残って(しま)う。(しか)も浄化を停止するだけの強い毒である以上、(その)毒分は残り血液中に吸収される。(これ)が濁血である。(この)理を知って医師も患者も既往を(かえり)みれば必ず分る。(この)病気は何年前、何十年前に、アノ病気の時()んだアノ薬、アノ注射の為であったと気が付くのである。というのは薬毒の執拗(しつよう)なる容易に解消するものではないからで、(この)例として私が五十二年前肋膜炎(ろくまくえん)(わずら)った時の薬毒が今も残っており、数年前から私自身毎日のように溶かしており、近頃は大分減ったが、それでも少しはまだ残っている。今一つは三十七年前歯痛の為約一ケ年間、毎日のように薬を()けた為の痛みも今(なお)残っており、(これ)も毎日浄霊している(くらい)であるから、薬毒の恐ろしさは到底想像すらつかないものである。(この)様に薬毒は一生涯の悩みの原因となるばかりか、全部の解消は()ず困難といえよう。(この)理によって我浄霊法とは薬毒溶解排除の方法であって、現に薬毒が減っただけは快方に向うにみても判るであろう。

 大体理論だけは出来ましたが、もっと先に行くとなかなか面白い事で今まで説かない様な事もあります。これをすっかり読めば、病気に関した事は徹底的に分るわけです。

 

 

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