二月十七日

 「アメリカを救う」の表紙ですが、この意味をよく聞かれます。あなた方も聞かれるだろうと思いますから、この意味をちょっと話しておきます。

 丁度時期が世界的に昼間の世界になって、つまり太陽がやっと昇り始めたわけです。そこでアメリカは星ですから、星が光るのは闇の夜の間です。それで闇の夜にまず太陽が出るという意味なのです。霊的にはそういうわけです。しかし体的に言うと、アメリカの国旗を上に画いて、下に日の丸を画くというと、アメリカ人が見ても気持がいいでしょうから、そういう工合にしておいて、実は今言った様な意味があるのです。

 それで英国は何時も言うとおり月です。月がだんだん西の方にはいって行くと、月の光が無くなるから、今度は星が光って来るのです。そこで英国が衰えて来るに従ってアメリカが世界的に輝やくというわけなのです。それで今度いよいよ日が出る事になると、今度は星の光はだんだん薄れて来るわけです。それはこれからです。そこでまずアメリカに太陽が出るというわけですから、それがだんだん具体的に現われて来るわけです。

 それでソ連は、ロシアと言いますが、これは(つゆ)です。そこで太陽が出よう(出ようと?)する夜明(よあけ)には露が一番多く大地に溜まるわけです。しかし日が出ると露は乾いてしまいますから、いずれそういう事が世界的に知れて来るわけです。それからフランスは(きり)なのです。それからドイツは土になります。ですから将来はヨーロッパでドイツが一番主になるわけです。ヨーロッパを統一するわけです。そういう使命になっているのです。世界というのはそういう様にいろいろと、天文とか天然現象というものにすっかり出ているのです。それで人間は星になるわけです。ですから人間が増えるに従って星の数も増えて行くのです。星の数はまだまだ増えて行きます。ごく古い時代には星の数はずっと少なかったのです。ですから、よく新星発見という事が言われてますが、新星というものはどんどん増えて来るのです。それでうんと大きいのだけが発見されているわけですが、この事は前に書いた事があります。それで月火水木金土の星というのは各国の元首になるわけです。

 それから「医学革命の書」は、この前は四まで読ませましたから、今度は五を読ませます。

 御論文 医学革命の書〔五、手術に就いて〕

手術に就て

(『医学革命の書』より)

 近来医学に(おい)ては、手術の進歩を大いに誇称しているが、実は(これ)(ほど)間違った話はない。(むし)(その)反対で手術の進歩とは、医術の不進歩を表白する事は私は常に唱えている。従って真の医術とは、患部の機能は其儘(そのまま)にしておいて、(ただ)病気だけを(と)って了う事で、之が真の医術である。それは殆んどの病気は機能の近接部に毒素が集溜固結し、器能の活動を圧迫阻害するからであって、機能自体には関係がないのである。従って治病とは右の毒素だけを除去して(しま)えば、それで完全に治るのである。(ところ)が医学ではそのような巧妙な事が出来ない為、止むなく機能も共に除去して(しま)うので、全く無力の結果に外ならないのである。

 従って病気を治す目的の為、患部全体を切り除るとしたら、原始人的方法であって、少なく共文化的でない事は言う迄もない。(しか)もその手段たるや肉を切り、血を出し、骨を削るなどの残虐的行為により、患者に非常な痛苦を与えるに至っては(むし)ろ悲惨事である。(なる)(ほど)手術中だけは麻酔薬を用いて痛苦を(まぬが)るとしても、その後の傷口が治るまでのガーゼの取替や日数のかかる事、莫大(ばくだい)な費用を要する等を考えたら、患者の負担は容易なものではあるまい。それでも順調にゆけばまだしもだが、中には経過が悪く再手術を要する場合もあり、切開してから誤診が分り(あわ)てて口を(ふさ)ぐ事などもよく聞く話で、(たま)には手術の失敗で生命を失う事さえあるのだから、全く一種の冒険である。そればかりではない、外部的病気の場合手や足は勿論、指を切って不具にしたり、腫物(はれもの)などは醜い傷痕(きずあと)を残す等、一生涯の不幸の種を残す等忌憚(きたん)なくいってみれば、現代医学は野蛮医学といってもよかろう。

 (しか)(なが)ら医師は()うであろう。「成程それは分っているが、()し手術をしなければ生命に関わる以上、不具や傷痕(きずあと)など云ってはおれないから、止むを得ず行うのだ」との理由もあろうが、(これ)が大変な誤りである。というのは手術を要する程の病気なら、無論固結毒素に強烈な浄化が起ったからで、熱も痛みも相当激しいに違いない。つまり(さか)んに治りつつある状態であるから、放っておけば迅速に毒は溶けて、排泄され必ず治るのであって、苦痛はそれまでの期間と思えばいい。それを手術の苦痛に比べたら何分の一で済むのであるばかりではなく、堪えられない程の苦痛であればある程短期間で済む訳で、長くとも数日位と思えばいいので、(しか)も自然療法なら順調に治るから心配がなく、(むし)ろ楽しみとなる(くらい)だから我慢し易い訳である。(ところ)が世間よく何十日も痛む患者があるが、(これ)は元の病気の外に薬毒を追加する為、(その)痛みが増したからである。(しか)も自然治癒なれば不具にもならず、醜い(あと)も残らず、短時日で順調に治り費用もかからず、生命の危険さえないのだから、(この)事を知っただけでも大きな幸福を得たのである。(しか)(これ)を読む医師も一般人も、今迄の考え方との余りの(ちが)いさに、容易に信ずる事は出来まいが、(これ)こそ絶対の真理である以上、白紙になれば簡単に分る(はず)である。それに(つい)ての二、三の例をかいてみよう。

 手術に(つい)て最も多いのは、彼の盲腸炎であろうが、(この)病気の原因は服み薬の毒が胃壁を滲透(しんとう)して右側腎臓部に集溜し、それが少しずつ溶けて一旦盲腸部に移行し固結するので、健康であっても盲腸部と右側背部腎臓部を()すと、多少の痛みがあるのはそれであって、(これ)がある人は早晩盲腸炎が(おこ)るとみていいのである。(これ)が或程度に進むと(ここ)に浄化作用発生し、高熱に激痛を伴い、右の固結が溶け下痢になって排泄されて治るので、之が順序である。(ところ)がその際溶けた毒素は腹膜を通過するので、医師は間違えて「之は大変だ。早く手術しないと虫様突起が破れて、腹膜炎を起すと最早(もはや)手後れで助からない」と()うが、(これ)を吾々からみれば笑えないナンセンスである。というのは右は順調な経過であって、命に関わるなどは絶対ないからである。従って盲腸炎の場合何等手当もせず、放っておくだけで、一週間以内に必ず治るのである。而も盲腸は重要な機能である以上、それが()くなれば他に影響を及ぼすのは当然で、前記の如く腎臓部に溜った薬毒の移行する個所がなくなるから、その毒は他へ氾濫する。それが腹膜及び腎臓部である。そうなると反って盲腸炎より始末の悪い病気となり、容易に治り難くなるのである。(この)様に放っておけば簡単に治るべきものを、誤れる医療は反って将来の禍根を残すのであるから問題である。

 次に多い病気に扁桃腺炎がある。(これ)は液体薬を服む場合、それが口内の粘膜から浸入し、膿化し、扁桃腺部に集り固るが、それに浄化が起って熱で溶けて腫れ、破れて膿が出て治るのである。(ところ)が医療はルゴール等の塗布薬で固めるから、一旦治っても必ず再発するというように癖になって(しま)う。勿論(その)(たび)毎に増大し、遂に手術の止むなきに至るのである。

 次によくある病気に瘭疽(ひょうそ)脱疽(だっそ)があるが、(この)原因は瘭疽(ひょうそ)は右なら右、左なら左の頸部(けいぶ)(りん)()(せん)に固結している毒素が溶けて、指の先から出ようとするその為の激痛であるから、その際頸部を探れば必ず固結と発熱があるからすぐ分る。故に吾々の方では瘭疽(ひょうそ)でも指先に構わず、頸部だけを浄霊すれば(たちま)ち痛みは去り、長くも数日で全快するのである。(ところ)が医診では指が腐るなどというが、(これ)こそ噴飯物(ふんぱんもの)である。(この)間違いは最初指先に一寸した腫物が出来ると、それが段々上の方へ拡がって行く。恰度(ちょうど)腐れ込むように見えるからである。然し(これ)は或程度拡がれば必ず(とま)って(しま)うものである。(また)脱疽(だっそ)瘭疽(ひょうそ)と同様()(けい)(りん)()腺に溜った固結毒素の浄化作用で、(これ)は略すが、(この)両方共医療では必ず手術するから不具になるので、(これ)も浄霊か自然治療なら必ず元通りに治るし、その他の腫物(はれもの)や皮膚の湿疹にしても(ことごと)く薬毒であるから、自然療法に限るのである。即ち(すべ)ての腫物(はれもの)類は放っておけば、腫れるだけ腫れて最後に小さな穴が穿()き、其処(そこ)から血膿が排泄して全治する。(しか)もどんな大きな腫物でも(いささ)かも痕跡(きずあと)は残らないから、今後(この)理を心得ておれば、驚く程の膨大な腫物(はれもの)でも何等心配はない。(しか)(これ)は非常に結構な浄化で、()し右の毒素が内攻(ないこう)すれば、内臓の病気になる(ところ)を外部に排泄されたので、大難が小難で済んだ訳である。(また)傷や火傷の場合よくその部へ膿が集るので、医師は黴菌(ばいきん)浸入の為としているがそうではない。その付近にある毒素が、刺戟(しげき)の為其処(そこ)へ集まり排除されるので、それだけ毒が減るから(これ)も結構である。

 (ここ)で大いに注意すべきは消毒薬中毒である。手術とか外傷の場合消毒薬を不可欠のものとしているが、何しろ何十倍に(うす)めても黴菌(ばいきん)を殺すだけの劇薬であり、直接筋肉から滲透(しんとう)するので、時が経てば必ず何処(どこ)からか出ようとする。その場合多くは頭痛、眼(失明)、中耳炎、歯茎(はぐき)等であり時には下降して肛門(痔)、陰部、手足の関節等へ(まで)も集溜し、腫物(はれもの)か湿疹となり痛み痒みの苦痛が伴うが、(ただ)消毒薬に限って激痛であるからよく分る。その場合(これ)はアノ時の消毒薬だなと思うと必ず(うなず)くであろう。(また)近頃膝から下に腫物(はれもの)の出来る人が多いが、(これ)は予防注射の薬毒が下降したもので、放っておけば膿が出て必ず治り、少しも心配はないのである。

 それから注意したい事は漢方薬ですが、漢方薬というのは非常な毒なのです。これはむしろ西洋の毒よりも毒が強いわけです。それで又漢方薬というのは量が非常に多いのです。よく病人などに〝あなたは薬を随分のんだでしょう〟と言うと、〝いいえ、私はそんなに薬はのみませんよ〟と言うのです。〝そんな事はないでしょう。何か薬をのんでいるでしょう〟と言うと、〝そうですね、薬と言えば子供の時に煎じ薬をのみました〟と言うのですが、この漢方薬を普通は薬と思わない人があります。もっともお茶の代りにのむという事を言いますが、ところがこの漢方薬が恐ろしいのです。一番良く分るのは顔色の悪い人、始終青い顔をしている人に聞いてみると、必ず漢方薬をのんでます。〝あなたは漢方薬をのんだでしょう〟と言うと、〝ほんの少しです、まあ土瓶に二、三杯です〟と言うのです。ところが土瓶に一杯でも大変な毒なのです。それから日本人が早死にになったのは漢方薬のためなのです。それで最近寿命が延びたという事は、漢方薬をのまなくなったという事が非常に原因しているのです。そこにいくと西洋の薬は、顔色は割合に悪くなりませんし、漢方薬ほどに命にはいきません。しかし西洋の薬も、近頃は漢方薬に負けずになって、ペニシリンとかやってますが、これがずーっと行くと、一時寿命が延びて、それから先になると縮んで来ます。だからこれからはそういう新しい薬が恐ろしいのです。効くという事は、つまり毒が多いのです。そういう様で、これから患者に聞く場合は漢方薬を聞いてみるといいです。ところが漢方薬は昔から、都会の人より農村の人の方が多くのみますが、そこで農村の人は昔から顔色が悪いのです。青黒いと言うか黄色いのが多いのです。それは粗食をしているから顔色が悪いと言ってますが、そうではないので、煎じ薬をのむからです。農村の人は必ず何かしら煎じ薬をしまっておいてあります。又これは金を出さなくても、山に行って何の草だとか言って、取りやすいためです。只で取れるのです。それを乾しておいて始終のむというので顔色が悪いのです。それから多く青ぶくれる人があります。青くて太っている人がありますが、そういうのは漢方薬中毒です。青ぶくれの人が一番多い様です。それから西洋の薬の方はあんまり青くならないで、やせる方です。ですから青くて太っている人は漢方薬中毒の代表です。それで支那人は昔から黄色いのです。支那人というと、黄色くて太っている人が多いのですが、それはやはり漢方薬中毒のためです。

 それで特に女などは漢方薬中毒をすると、(はだ)が非常に悪くなってカサカサです。(つや)も何もありません。だから今の女の人は先祖から代々漢方薬で悪くして、それから近来は西洋の強い薬や注射というものでだんだん悪くするのです。そこにもっていって、今の化粧品には薬がはいっているのです。昔はおしろい(ヽヽヽヽ)というと、鉛毒くらいでしたが、今は鉛毒の外に化粧品に薬毒が加わってますから、今の女の人は実に肌が悪くなってます。若い人でも、化粧をしなければ見られないくらいになってます。それで化粧品はますます進歩してます。進歩と言っても、ごまかす進歩です。それで、ちょっと見るときれいなのです。その代りにいろんな化粧品を厚くつけなければならないのです。美容院に行ってタオルでむしたりしてやりますが、大体そんな手数をかけなくても、女はきれいになって居るべく神様が造ってあるのです。それで今世界で一番皮膚の悪いのはアメリカの国です。それはとてもアメリカの若い女は、まるで荒びて居るそうです。というのはいろんな薬や方法で始終やっているから、だんだんそうなって来るのです。第一今口紅をつけますが、これは唇の色が悪いからです。それから頬紅というのもおかしいのです。ホッペタは赤いに決まっているものなのです。ですからみんな薬毒で悪くしているのです。だから近頃の女の子というのはますます化粧品に身をやつしているのです。今の若い人の支出では、化粧品代が一番の王座を占めているでしょう。顔を気にしていろいろするのは、少しおシャレをする人は命がけというくらいです。それこそ夫婦などは、外出すると言っても、女房の方は化粧するのに鏡台の前で一時間や二時間はかかりますから、亭主はそれを待って居なければならない。そのための被害というものは大変なものです。そういう様な工合で、ほとんど可哀想なくらいです。それもこれも、みんな薬毒です。ですから今の世の中に美人というのは居りません。昔の小野小町の時代にも相当漢方薬がはいってますが、今ほどではありませんから、それこそ美人だったに違いありません。それで救世教信者になると女の人もだんだんきれいになります。それは何故かと言うと薬をのまないで、浄霊で血がきれいになるからです。それはまだまだずっときれいになりますが、先祖代々のが残っているから、孫の代くらいになったら、ずっと美人が出て来ます。しかし孫の代より、自分がきれいになった方がいいでしょうが……。そういう様で漢方薬は非常に悪いのですが、又量が多いのです。そのために、いくら浄霊しても、あとからあとから溜まって来ます。それは漢方薬です。西洋の薬はすぐ腫物、オデキになって出ますから、その点は割合に始末がいいです。西洋の薬では、今読んだ様に、消毒薬が怖いのです。又漢方薬で一番怖いのはげん(ヽヽ)()しょうこ(ヽヽヽヽ)どく(ヽヽ)()()です。どく(ヽヽ)()()とは()溜め(ヽヽ)と言う事でしょうが……。このどく(ヽヽ)()()というのは花柳界の人が多くのんでます。昔の話ですが、お女郎はお茶の代りに始終どく(ヽヽ)()()を煎じてのんだものです。ですから花柳界の人はやはり化粧しないと非常に顔色が悪いのですが、それは煎じ薬のためなのです。それで漢方薬中毒は女の人の方がずっと多いのです。中将湯とか、いろんな物がありますが、みんな漢方薬です。だから女の美しさというものは、漢方薬が非常に害をしているわけです。だからそのつもりで漢方薬を多くのんだかのまないかという事によって、多いほど浄霊に暇がかかるという事を言い聞かせてやるのです。こっちもそれを心得てやれば余程違うわけです。

 ちょっと面白く書いた論文を読ませます。

 御論文 〔平和の英雄〕   【註 栄光一九九号】

平和の英雄

(栄光一九九号)

 今日英雄という言葉を聞いただけでも、何かしら崇拝の念が起るのは誰しもそうだろうが、その半面どうも割切れないものを感ずるのも私ばかりではあるまい。というのは一抹(いちまつ)哀愁(あいしゅう)の湧く事である。考えるまでもなく、英雄というものの史実に現われた事績をみても分る通り、彼等が歴史の舞台の上に華やかに躍ったその裏には、自己の利慾のためその時代の大衆を犠牲にし、恐るべき惨害を与えたその罪禍は打消す事は出来ないからである。といっても、一面又吾々にとって感謝してもいい面もある。それは今日文学、劇、映画等に見る、彼等が創作したシナリオの如何に吾々を楽しませてくれるかである。

 それはそれとして、どうも世の中では英雄と偉人とを混同しているようである。というのは、彼のキリスト、釈迦、マホメットの三大聖者にしても、成程偉人には違いないが英雄ではない。これは一寸考えても分る通り、彼等の業績である。彼等が聖者として精神的に飽まで人類を救おうとしたのは今更言うまでもないが、これを科学と対象(対照?)してみる時、今日の如き絢爛(けんらん)たる文化を創造されたのは無論科学の業績ではあるが、これは表面に現われたものであって、別の面における宗教家の活動も見逃してはならないのである。とはいうものの、この方は目に見えない為か余り関心を持たれなかった。それ処か、どちらも相反するものと誤られたことであって、このためどの位人類不幸の原因を作ったか知れない。処が事実は物質と精神、表と裏、陽と陰といったように、両々相俟って現在の如く文明は進歩発達して来たのであって、勿論これは()(しん)経綸(けいりん)であったのである。そうして人的からいえば、物質面は英雄と学者の功績であり、精神面は宗教的聖者の功績であったのである。

 併し以上の如くにして文明はこれまで発展はして来たものの、これ以上の期待は最早かけられないのであって、それは文明の行詰(ゆきづま)りである。事実人類の不幸不安は増すばかりであるに見て分る通り、この儘では人類の理想たる平和幸福の世界は、いつになったら実現するや見当もつかないのである。従ってどうしても現在文明の一大飛躍によって、一層高度の文明を築き上げねばならないのは言うまでもない。処が幸いなる哉その時は来たのである。すなわち私という者に神はその根本を明確に知らされ給うと共に、大いなる力をも与えられたのであって、今やその実行に取掛ったのである。というと、余りにも大言壮語的なので驚くであろうし、自画(じが)自讃(じさん)と思うかも知れないが、真実であるからどうにもならないので、何よりも今後の世界の推移と、これに伴なう私の仕事を刮目(かつもく)すれば、右の言の偽りないことが分るであろう。

 話は前へ戻るが、科学と宗教について今少し言いたいことは今日までの宗教は根本が小乗的であることである。すなわちどの開祖の言説もそれ程深くはなかった。何よりも、迷いが多く真の安心立命は得られなかったにみて分るであろう。これも時期の関係上止むを得ないが、私は最高神から無限絶対の根本まで知らされたのである。併しこれは今説くことは許されないから、ある程度までかくのである。それについて凡ゆる既成宗教を見ても分る通り、その救いの方法としては、文字による聖典と言葉による説教との大体この二つであろう。その他としては山岳や土地の開発などを主なるものとし、建造物、宗教、芸術品等が遺産として残されているのであって、深く検討してみる時、今後の世界をリードする程の力はあり得ないと思うのである。

 玆で私のことをかかねばならないが、私は知らるる如く現在小規模ながら日本における箱根、熱海、京都三箇所の風光(ふうこう)明媚(めいび)なる所を選んで聖地とし、地上天国の模型を造っている。その構想は内外の特長を調和したパラダイス、山水の美を取入れた大庭園、美術の殿堂、宗教的型破りの建築物等の外、医学、農業の革命的啓発(けいはつ)に専念しており、又驚異的無数の奇蹟によって神の実在を万人に認識させる等、前人未踏(みとう)の方法によって教線を拡げつつあるのである。勿論その悉くは如何なる宗教にも全然なかった処の物ばかりであって、これこそ真善美完き世界の重要なる基礎的経綸であるのである。

 次に言いたいことは、今後における本教の建設的諸般の事業であるが、これも最後までの設計は私の頭の中に出来上っており、時を待つばかりになっている。といっても、時の進むに従い漸次具体化するのは言うまでもないが、それは想像もつかない程の大規模なものであって、言わば新文明世界の創造であるから、これにみても本教は宗教ではないので、適当な命名さえ出来ないのである。しかも今日まで神示通り運んで来たので、その正確さに私自身も驚いている位である。何よりも本教の歴史を見ても分る通り、本教が宗教として発足したのが去る昭和二十二年八月であるから、僅々(きんきん)六カ年にして今日見るが如き素晴しい発展振りであって、その間と雖も官憲の圧迫、ジャーナリストの無理解、種々の妨害に()いながらも以上の如くであるとしたら、到底人間業とは思われないのである。勿論今後と雖も神定のプログラム通りに進むに違いないと共に、何れは世界を舞台としての大神劇(だいしんげき)の幕が切って落されるであろうから、このことを考えただけでも興味津々(しんしん)たるものがあり、然も驚歎すべき奇蹟も続出するであろうし、血湧き肉躍るような場面も展開されるであろうから、刮目して待たれたいのである。つまり私という者は平和の英雄であると思っているのである。

 

 

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