三月二十三日(春季大祭一日目)

 今日は随分大勢ですね。人間というものはよく融通がつくものと思います。やっぱり弾力性があるのでしょう。

 今日は御祭りですから簡単にお話します。

 今更言うまでもありませんが、救世教というものは、つまり大きな革命運動です。一口に言うと世界文化の革命です。いろんな間違った文化を革命するのです。つまり間違った文化のためにいろいろな悩み苦しみが満ち満ちているので、そのために余計な事をして余計な金を使ったり骨を折ったりして苦しんで、世の中を悪くするので、今の文化は要するに愚かです。吉田さんが〝馬鹿野郎〟と言ったのは、今の文化を言ったと言っても良いです。確かに馬鹿野郎の世界です。しかしこっちが言うのは吉田さんより大きいのです。実に世界中が馬鹿野郎になってます。それをもっと利巧になる様に引き上げるという、これが救世教です。

 救世教と言うと宗教ですが、引き上げるための宗教的の一種の手段です。宗教という手段でやるというのが一番良い事と、又今までにない革命ですから、それより外に方法がないわけです。だから宗教的にやるより外にやりようがないのです。ですから救世教としては、宗教というものを利用し、一つの手段としているのです。従ってミロクの世になれば宗教というものは無くなるのです。というのは宗教の必要がないからです。つまり医学が無くなるのと同じです。だからそれまでの救世教です。悪い世の中だから救うというので〝救世〟ですが、良い世の中ならば救う必要はないのです。それは又形が違うわけです。良い世の中を一層良い世の中にするというわけです。今の世の中は、実は良いと思ってやっている事が逆になっているわけです。薬をのんで病気を良くしようという事が、反対に薬で病気を悪くするという事になるので、どんな事にもそういう事があります。この間違えているというその根本は何かと言うと、霊を認めなかった事です。

 今度「救世教奇蹟集」という本が大体出来上がりましたから印刷にかかりますが、二、三ヵ月先に出版の予定であります。この奇蹟というものは誰がやるかと言うと、勿論神様がやられるのですが、〝では何の目的だ〟漠然と〝奇蹟だ、不思議だ不思議だ〟と言って驚いているばかりが能ではないので、やっぱりそういう奇蹟を現わすという事は、神様の方の大きな目的がなければならないのです。ではその目的は何かと言うと、霊を認めさせる事です。霊を知らせる事です。だから霊の方が分れば、奇蹟という言葉はなくなるのです。奇蹟ではなくて当り前の事になるからです。しかし霊という事を認めないから、ああいう変った有り得べからざる事があるのです。断崖から落ちて怪我一つしないとか、自動車が汽車に衝突して跳ね飛ばされても助かるという、有り得べからざる事は、つまり霊の方で助かるから、体の方は大丈夫なのです。要するに霊主体従の法則です。それは奇蹟によるより外に認めさせようがないのです。大病人を浄霊してなおるのは、霊の力という事ですから、霊を認めさせるというために、神様は……神様が認めさせるわけではなくて、神様の方から言えば当り前の事をするのです。ところが今までの人間で霊を認めていない人は沢山居り、又霊を認めていても霊の働きを知らない人がほとんどです。それは宗教家とか、そういう事に関心を持っている人は、霊の実在は分っているが、ただ霊が分るだけの事で、ではどういう働きをするかというところまでは、まだ分っていないのです。ただそういった霊の力が現われた場合、物質的には実に不思議に思われますから、そこで不思議だというそれに刺戟を受けて考える。そこで霊界があり、霊があり、霊の働きはこういうものだ、という説明を受けて、なるほどと思うという事になるのです。奇蹟というのは、霊を知らせる第一歩です。そういう事を今度の「救世教奇蹟集」に書きました。そうして実例として百例を挙げました。病気以外のいろいろな奇蹟を七十、病気に関しては三十です。病気の方は今までのいろいろな本に出てますから、少し減らして三十とし、合計で百例にして載せてあります。今までに栄光に出た奇蹟を見直すと、実際驚くべき奇蹟です。私はその当時読んだが、ほとんど忘れてしまっているのです。今読んでびっくりしているわけです。ですからこれが本になって出れば、又大変な問題になるだろうと思います。キリストの〝ビッコを歩く様にした〟とか〝盲の目を開けた〟という事が、今もってキリスト教の方の一つの大変な自慢になっているのですが、それと比べたら、今度の奇蹟集の奇蹟は何倍上か分らないくらいです。これも勿論翻訳して世界中に出すつもりです。

 また「結核信仰療法」の方も話題にならざるを得ないと思います。これもお医者なり、或いはそういう事に関係のある学者などの専門的の人が見たら、黙まっては居られないと思います。〝医学が結核を作る〟という事でも、仮に政府の当局者が見たら大変な事になります。とに角結核は医学によって解決しようとしていろいろな手段を尽くし、法律まで出してやっており、大変なものですが、それがかえって結核を作るものだという事を天下に発表したとすると黙まっては居られないです。しかしそれを突込んで来る事はできないのです。と言って黙まっていると黙認した事になります。それから〝結核は感染しない〟という事も、結核は感染するという立前(たてまえ)で、消毒だとか何だとかいろいろやって大騒ぎをやってますが、それを感染しないとなると、当局のやり方を全然叩きつけた様なやり方ですから、これも何とか先方で言わなければ認めた事になりますから、そうなると変な事になります。だからとに角これからあっちの方の人達が首をひねって相談をしたり、溜息をついているのではもう追いつかないので、何とかしてやっつけたいが、それはちょっと難かしいのです。何故難かしいかというと、私の方で書いてある本には少しばかりも突込む所がないのです。とに角横綱の前で子供が前から取り組んでいる様なものですから、先方に勝ち目はないのです。そうかと言ってこれを黙まっていると、当局や専門家の面目に関わるし、そうして又問題は大変な問題です。考えてみれば実際大きな問題です。こんな無鉄砲……では変ですが、こんな大胆な事をした人は今までに無いでしょう。そうかといって、こっちは理論と実際との両方で行くのです。実際はこうだ、結核菌という物の根本はこうだ、こういう物から発生していると言っているのです。つまり先方は菌だけを発見して大騒ぎをしますが、こっちは菌の根元をうち開けてありますから喧嘩のしようがないのです。先方に勝ち目はないのです。だから正面きってぶつかって来るという事はできますまい。そこで黙まっているという事もできないというジレンマに陥るでしょう。彼等の方はどういう態度に出て来るかという事が興味あることです。それで最後には病院に行って私が片端(かたはし)から浄霊をやってやるとか、医者との質疑応答でも、沢山集めて疑問に思う所はどんどんこっちで教えてやります。そうすると先方ではどうにもしようがなくなると思います。それでやっつけられないとすればカブトをぬぐよりないのです。カブトをぬぐというと、医学の方の法規を急に改正する事はできないが、本当にやれば医学禁止法案というものを作らなければならないのです。そうすると今日の再軍備問題によって憲法を改正しなければできないというより、もっと大きな問題になるだろうと思います。やはり医学を禁止するという事は憲法改正にまで行くかも分りません。結局はどうしてもそこに行かなければ追いつきません。しかしこれはあえて私がやるわけではなく神様がやるのですが、神様はどういう様な結末をつけるかという事が、大いに興味ある問題で、私も今から楽しみにしてます。

 それからもう一つの農業革命の自然栽培も大きな問題になります。しかしこの方は簡単です。肥料をやらないという事だけで何でもない話です。ただそれが分って実行するというだけの事ですから、医学の方とは比較になりません。これは殊によると数年ならずしてそういう輿論になってしまうかも分りません。そうしたら、これだけでも大変な問題であるし、又救世教というものが如何に本当に救う宗教であるという事が分るのです。そうしてこの肥料問題はひとり日本ばかりでなく世界的のものです。よく調べてみると肥料を沢山使うのは日本が一番だそうです。ロクでもない事で一番の事が日本には沢山あります。そうでしょう、日本は糞尿というものがあるが、外国には無かったでしょうから、外は世界並でしょうが、糞尿だけが日本は多くなるから、世界一になるわけです。それから薬も世界一だそうです。アメリカはあんなに薬で大騒ぎをやっているが、日本の方がずっと多いそうです。それはアメリカには漢方薬がないのです。これも肥料と同じで倍になります。

 今言った様な二つの革命は大変に大きな革命です。外の問題についてもいずれ本を出すつもりです。政治の問題、教育の問題という事もだんだんに発表します。

 教育の問題にしても、教団の方で学校を作って実際に見せなければならない事になります。これはいずれだんだんにやって行きます。今日の教育は子供のうちからやり過ぎるのです。外の事は別として一言だけ言っておきますが、教育は十二才からやるのです。その前にやってはいけないのです。今の人間は非常に頭が悪いのですが、これは早期教育のためなのです。というのは、人間は或る程度頭の組織が出来るのに十二才くらいまでかかるのです。それをもっと早く頭を使うと、頭がそこまで出来ないうちに発育が止まってしまうのです。丁度労働と同じ様なもので、労働はやはり青年になって初めてどんな労働でもできるのです。それを十一か十二の子供に労働させると、発育が止まるのです。それについて私は前に柔道をやった時に、十五才以下は柔道をやってはいけないという事でした。それは背の発育が止まるからです。ですから柔道の先生などは割に背が低いのです。横は張っているが背は低いのでも分ります。それはつまり肉体的の発育が止まるのです。それと同じで、頭脳もあまり完成しないうちに使うと発育が止まるのです。ですから働きが悪くなるのです。そういう訳で十二才まで遊ばしておいて、それからやると非常に覚えが良いのです。ですから今までよりか倍くらい良くなるのです。十二才からで、小学三年、中学三年、大学三年と、それだけやれば充分です。ところがそういう事を知らないから、早期教育をやるのです。それこそ今は小学校の生徒などでもいろいろと難かしい事を教え込むのです。ですからつまり子供を早く大人にしようというやり方です。今の子供を御覧なさい、以前なら丁度親父が言う様な事を言ってます。子供の大人を作っているのです。早く大人にするのを良いとしているのです。だからちょっと見ると大変ませて居て良い様だが、肝腎の頭脳の発育を止めてしまうのです。だから後になって本当に大人になるに従って、言わば耄碌(もうろく)が早くなります。そういう事が大変な間違いです。そこでそういう教育をするには学校を作らなければならないのです。ところが今では文部省令にぶつかります……十二までは遊ばせておくという事が大変な問題になります。ですからそういう事をやるにも、救世教なるものは、たとえてみれば自然栽培というこれによって増産になり、これは大変なものだと言って先方で頭を下げるという時代になれば、教育もこれでなければいけないと言うと、それではこれが本当だろうという事になります。それが時期です。

 それから今年の美術館は去年とは大分違って、今度の別館で浮世絵展をやりますが、これは皆知っているでしょう。その外に外国の物で、エジプト、ギリシャ、ペルシャ、インド、勿論中国もですが、そういう美術品を多分一室全部に陳列するつもりです。そういう外国の美術品展は日本にあるにはあるが、そういう美術館式のものはないのです。不思議な事に博物館でもやらないのです。博物館はやはり日本美術を紹介するというのが主眼だそうで、外国の美術品は軽視して手を出さなかったのです。と言って今のところ外には勿論ありません。それですから割合隠れているのです。それは神様がやるのですから、今年になってそういう物が手にはいって来るのです。美術館の一室を一ぱいにするくらいは集まったのです。そういう物は知らないから買手がないので安いのです。今に高くなります。なにしろ二千年三千年の物でなかなか面白い物があります。今度出ますから見れば分ります。ですからこれだけは日本一と、最初から威張れます。案外注目されるだろうと思ってます。

 浮世絵の方も、おそらく今までの浮世絵展としては一番だろうと思います。又実に良い物が集まったのです。これも神様がやられているのですが、割合安く、非常に奇蹟的に集まったのです。美術館も去年あたりはまだ世の中がほとんど知らなかったが、だんだん知るに従って、今年は相当見物に来るだろうと思ってます。博物館でもなかなか援助してくれてます。私の方をすっかり見て、不足している分だけは博物館の品物を貸してくれるそうです。そういう様で美術館の方も今年は一層充実して、去年より()(ごた)えがあるものができるわけです。それから別館も出来、すっかり整頓しますから気持が良いです。去年の様なガタガタした所がすっかりきれいになりますから、大いに楽しみにして良いと思います。

 

 

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