「アメリカを救う」「結核信仰療法」と次々に出ましたが、つまりこれから、言葉は弱いが、いろいろな文化的のものを根本的に壊してしまうのです。そうして本当のものを知らせるという事です。これを一口に言うと、今までの文明は夜の文明です。つまり医学にしろ、農業にしろ、一切のものが電気とか行燈、それからガス、蛍光燈というものだったのです。ところが太陽が出て昼間になると、そういう物は要らなくなるのです。それで大分明かるくなったにかかわらず、そういう物を有難がっているから〝そういう物は要らない〟〝かえって物によっては邪魔になる物がある〟という様な事を知らせるわけです。だから今まで長い間それで間にあったり、或いはそれあるために便利を得ていたというのが、全然駄目だと言われるので、びっくりして反対したりいろいろするのです。ですから呑み込ませるのになかなか骨が折れるわけです。それで今日結核について、どれほど人間が苦しんでいるかという事は、皆よく知ってますから今さら説明の要はありませんが、そういう様で「結核信仰療法」はなかなか売れるらしいです。これで困っている人は沢山ありますから……。そしてあれはただ本人が苦しむだけではなくて、家族の者でも知合いの人でも、伝染するとおどかされてビクビクしている、その哀れな状態などは見て居られないくらいです。ですからそれを大いに知らせなければならないというわけです。それで今までの文明というものは間違っている点が沢山あるのです。今病気に関して一生懸命にやってますが、これが一番の根本です。
それから病気のない世界という基礎的な仕事をしながら、今度は外のいろいろな事もだんだんにやって行きます。二十三日、二十四日は教育の事について話し、昨日は政治の事を話しましたが、その外に経済とか社会問題とかもだんだんに知らせるつもりです。
この教育については、いずれ救世教でも学校を作るつもりです。ところが文部省令と低触(抵触?)するのです。というのは十二才から教育をさせるという事です。今までは早く教育をさせるために頭の良い人間が減るのです。おそらく今の人間くらい頭の悪いのはありません。その代り上面はばかに利巧になってしまったのです。というのは頭が発育しないうちに使い過ぎるわけです。まあ頭脳の酷使です。なにしろ人間、生まれて七つや八つでは、まだ頭が出来上がらないのです。中途半端なのです。ちょうど十ぐらいの人間に労働させるようなもので、あんまり子供のうちから労働させると背が伸びなくなるのです。頭もそれと同じで、頭が出来上がらないうちに使ってしまうから、それで発育が止まってしまうのです。本当の働きというものができないのです。ですから十二になってから学校を受けさせて、小学三年、中学三年、大学三年の九年で卒業できるのです。それから学問も、今は余計な学問を半分くらいやってます。医科大学とかやってますが、それは間違ったことです。その間違ったことに十年も十五年も無駄な努力をしているわけです。そういう事は無くなります。それは今までこっちでやっている浄霊ですが、そういう医学というものは十年もたてば覚えられます。あなた方はそういう事を規則的に学校教育で教えられなくても、二、三年で分りますから、実に簡単なものです。それから法律も今のようなややこしい、第何百何十何条という事も無くなります。しかし聖徳太子の十七カ条ではあんまり簡単過ぎます。それはあの時代とは時代が違いますから、もう少し余計になりますが、今の法律の十分の一くらいで済みます。それから農科大学というものも必要ないのです。何もしないで、土に種さえまけば良いのですから、農科大学という事も何も要りません。ですからまず学問の分量から言って、今の半分くらいで済みます。それから経済学も要りませんし、税法という様なややこしい事も要りません。そうすると半分以上学問は減ります。ですから九年でも多過ぎるくらいのものです。学校教育は半日くらいで良いのです。半日学校に行けば、午後は遊んでいて良いのです。午後はスポーツをやれば良いのです。そういう事もだんだんに書きます。
そういう様で、救世教がやる事は宗教ではないのです。一口に言えば世界の文化革命です。それをやるについては宗教的にやるのが一番良いのです。一番やり良いのと、結果が良いのです。というのは根本である霊があるという事を知らせるのは、それは宗教にもっていくよりしようがないのです。ですから宗教は、一つの宗教形式と言いますか、それを利用するわけです。だから救世教の中心は宗教的で、それを分らせるというのに浄霊で病気を治すという奇蹟です。これが霊の実在を知らせるのに一番良いのです。という事は、もうこれより外にしようがないのです。それで病気がなおるという事が今の人の頭で言ったら奇蹟ですから、それで今度は「救世教奇蹟集」というのを、今編集してますが、これは霊の実在を教える手段なのです。そういう様でだんだんそういう事を知るについて、文化革命になるわけです。そのうちでも根本は医学ですから、医学革命というこれが一番大きな問題です。だから今度売り出した「結核信仰療法」は問題になるべきものです。けれども問題になるというが、その形がどう出るかという事は丁度戦争と同じ様なもので、平和の戦争です。武器を使用しない戦争ですから、先方はどう出るかという事です。なにしろ〝医学が結核を作る〟〝結核は感染しない〟〝黴菌というものは根本原因ではない、結果だ〟という様な事を書いてありますから、若しあれを見て医学が黙まっていたら、あれを認める事になります。容認する事になるから、どうしても先方は何とか言わなければならないのです。そうかと言って実例が百つけてありますから、それを読むと、自分の方はあれほどの結果は得られないのですから、先がこっちに攻勢に出るという事はできないわけです。そこでいずれ医師会や何かで皆が相談したりし、それから当局の厚生省あたりでも、何とかしなければならないというところまで、だんだん追いつめられて来ます。これはどうしても医学より救世教の方が確かになおる、効果がある、そうすれば浄霊の方を一般に行わなければならない。そうすると医学を廃止しなければならないという事になります。そうかと言って、理論とか科学とか言ったところで、実際になおる方が良いのですから、向うでもだんだん研究し調査をする事になるでしょう。そうすると医学よりもずっとなおるという事が分ります。何時も言うとおり、百対一でも足りないのです。そうすると浄霊を採用するか、医学を採用するか、というところまで行きますから、政府でも徹底的に調査しなければならない事になります。そうしたら私はまず大病院に行って病人を片端から浄霊してなおして来ます。その場合でも、薬を沢山使ってある者はなおりが悪く、薬が少ない者はこのとおり早くなおるという事を見せますから、そうすると薬毒という事も分ります。これは私が行くまでもなく、私の弟子で沢山だと思います。それだけの効果を上げる事ができると思います。そうなるとどうしても浄霊を採用しなければならないのです。そうして医学の方を廃止しなければならないという事にまで行くわけです。又行かなければならないのです。それでもグズグズしていると、病人の方で医者の方に行かないで、皆こっちに来る様になります。ですから若しか先方が執着が取れないで頑張っていたら、自然に亡びるという事になります。そうなると浄霊をする人が何万人出来ても足りない事になります。今医者は全国で七万人ありますが、そうするとまず信者で浄霊を専門にする人が七万人は必要になります。しかしこっちは何年もかかって学校で教育するのではないからわけはありません。そうなると浄霊医者になり手が沢山あります。それで一カ月卒業くらいでドンドン卒業させてやっていると、しまいにはそれが外国の方に知れて是非来てくれというので、浄霊教師を招聘する事になります。そうなると外国人が皆生徒になりますから、皆頭を下げます。それだけで、とに角日本が世界を救い、日本人というものは一番優秀な国民だという事になりますから、日本人に全部頭を下げるに違いありません。いずれはそうなりますが、もっと手取早いのは自然栽培です。数年くらいたつうちにはドンドン増えて行きますから、そこで米の輸入をしなくても済むというので、救世教のお蔭だという事になって、皆頭を下げます。そうなってから今度は政治とかいろいろな仕事をするのです。さもなければなかなか信用しないのです。
政治も、今の政治界のあり様を見ると、しようがないのです。悪く言えば皆お神楽でも踊っている様なもので、皆馬鹿踊りをおどっているのです。事実、吉田さんは〝馬鹿野郎〟と言ったのだから、馬鹿踊りに違いありません。ところが〝馬鹿野郎良く考えりゃオレの事〟で、吉田さん自身がやっぱり、〝オレの事〟だったのです。今度の総選挙にしろ、不信任案が因ですが、不信任案の可決というものは馬鹿野郎問題によって起ったのです。あれまではそうなかったが、あれからがうんと騒がしくなったのです。そうすると、それも前の総選挙から半年たつかたたないうちにやるのですか、国民の迷惑から国家経済から言っても、その費用も何百億というのですから大変なものです。少なくとも三百億は要るだろうと言われてます。その三百億というものはみんな国民の税金です。その税金は楽に出せるものではないのです。その負担も大変なものです。だからどっちが良いかは分らないです。そういう様ですから政治も改革しなければならないのです。この間衆議院議員が三人、参議院議員が一人と、幹部の人が居ましたが、その時言った事ですが、信者で代議士が三十人以上できれば、私は政党を作ると言ったのです。三十人以上なら交渉団体になりますから、発言権があります。その代りこっちの方針は本当の公明選挙です。看板だけではなく、やる事も公明選挙です。爪の垢ほども不正はやりません。本当にやるのです。そうして今の様なだらしのない事はしません。それでちゃんとこっちの政党の方針なり、候補者の意見なりを詳しく印刷した物を選挙人に配ります。それで若し場合によれば、大新聞でなくも中新聞をこっちの機関紙とするのです。昔は機関新聞というものがありましたが、今の政党では全然ないのです。それはいろんな事情があって経営できなかったりするのですが、本当は新聞に出さなければいけないのです。それで今新聞を機関紙としてやれないのは、本当の事をやってないから、思いきって新聞に書けないのです。人のアラを探してやったところで、御自分の方も同じなのだから、堂々と意見を書く事ができないのです。それでどうしても新聞で政治教育もしなければならないのです。日本で一番困るのは個人々々になっている事です。人物本位で投票しろと言うが、これが一番いけないのです。第一、人物本位にしろと言っても、どの人が一番偉い人かという事は分りません。道路で自動車の中から〝岡田茂吉、岡田茂吉〟という様に言うが、そういう様に数多く広告する人が偉いかというと、むしろそういう事をするのは偉くないでしょう。そうすると誰が立派な人物かという事は分りません。又分るはずがありません、そこでアメリカの様に政党第一主義で、政党に投票するとなると、〝わが党はこういう政見である〟という事を言いますから、そこでその党の誰に投票しても良いのです。日本の様に人物本位というと、国民に対する罪です。そうかと言って、政見発表と言っても、この忙がしいのに聞きに行くのは大変です。それなら政見発表を文章に書いて出せば良いのです。私は前にこの事を書いた事があります。ですから誰がどんな意見を持っているか、誰が偉いかという事は見当もつかないのです。そこで名前を沢山呼ぶというやり方になるのです。又そういうのが効果があるのです。名前を沢山言った人は票数が沢山入って、大抵当選するのです。しかしこんな馬鹿馬鹿しい事はありません。そういう事も、大いに政治の革命をしなければならないところです。だからいくら宗教が良い事を言って、国家社会に良い事をしようとしても、権力は政府にあるのだから……。この頃は民主的になったために大分良くはなったが、それでも宗教は政治に干与すべからずという不文律があるのです。前に注意された事があります。政治的の事を光新聞の頃に書いた事がありますが、〝にらまれますから、これはやらない方が良いです〟というのです。それで私は寸鉄に書いたのです。論文ではいけないが寸鉄なら一種のユーモラスでごまかせますから……。そういう様で政治というものは世の中を良くし人類を救うには肝腎なのです。しかしこれはローマ時代からずっと宗教の方が権威を持っていたために大変な弊害があったので、それに懲りて政教分離という政策をとったのですが、日本などにはそういう事をする必要はありません。それはローマ法王という様な人間が威張った時代には、コペルニクスやガリレオの地動説は、宗教のためにやられてしまったのです。そしてその時分には宗教裁判と言って、裁判も宗教の方でやっていたのです。そこで憲法政治になってから、宗教はくちばしを入れられない様になったのです。しかし今日はそういう心配はないのだから、相当に宗教家に口を出させるのが良いのです。又宗教家は間違った変な事をしたり、変な事を言ったりする事はありません。ところで今宗教家に干与させないのは、宗教家は正しい事をやるのに、自分の方は正しくない事をするからという意味ではないかと思います。政界演説の様になりましたが、信仰する上において、そういう事も知っておかなければなりません。今にだんだん信者が増えるうちに、代議士や参議院議員の希望者が増える様になりますから、そうなったらその人に投票すれば結構です。早くそうなれば良いと思います。
その話はこのくらいしにて、美術館についてちょっと話します。美術館は別館があらかた出来て、普通は去年と同じに六月から開館するつもりだったのですが、箱根の旅館や電鉄の方で、早くやってくれと頼むし、その外にもそういう要求を時々耳にしますから、四月二十一日から開館します。それでこの特筆すべき事は外国の古美術です。エジプト、ギリシャ、ぺリ(ル?)シャ、インドなどの物が大分集まったので、一室だけはそれを並べようと思ってます。こういう展覧会というのは今まで日本にはないのです。というのは博物館は手を出さなかったのです。そこで今は後悔している様です。前には帝室美術館というので、要するに宮内省の管轄でしたから、どこまでも日本的で、国粋主義が旺盛ですから、美術は日本に限るというので、あんまり外国の方に目をつけなかったのです。そのために外国の古美術という物は日本人の目に触れる機会がなかったのです。又個人も手を触れなかったのです。ところが日本には割合あるのです。それは不思議ですが、いろんな妙なことではいって来たようですが、又その古美術になかなか良い物があるのです。ところが不思議にも今年になってからドカドカはいって来たのです。それは神様がやられているのですが、そこで神様がやれということと思ったので、それを特別展覧会として陳列するわけです。そうして六月からは浮世絵展ですが、これもすっかり品物が集まって、私の方にない分だけは博物館で貸してくれるそうです。この間博物館から来て、すっかり調べてくれました。そういう様にこの浮世絵展は、今までに何回もありましたが、今までにない傑出した展覧会になります。ですから外国のそういった鑑賞家も日本に相当居ますから、そういう人は非常に期待を持ってます。この間英国大使館の参事官で、ブルームという米国人で、その方では大変な識者ですが、見たいと言って私の方に来たので見せてやりましたが、非常に驚き、又褒めてました。そして自分が外国のそういった人に大いに宣伝するからと言って、自分は一週間に一回来て見せてもらうという様な事を言ってました。その人は一旦アメリカに帰って六月とかに又出てくるというのです。この人は美術館について、将来大いに働くのではないかと思ってます。そういう様で六月からの浮世絵展は相当評判になるだろうと思ってます。
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