アメリカに行っている嵐という人から報告が来て、大分成績が良いです。まだ日本人だけですけれども、もう少したつとアメリカ人の方にも拡がるだろうと思ってます。あの人はかたわら絵をやりながらやってますが、もう二、三カ月になるでしょう。二十二人かの入信者ができました。それで非常にお蔭があるので、日がたつに従って、ばかに発展すると思ってます。今度の報告で二人の精神病がなおったのがあります。一人は何年間とか沈黙しているのが普通に喋るようになったのです。又一人の方は朝から晩まで喋り過ぎるのですが、それも普通になって来たのです。これは完全になおったのです。というのは、どつちも浄霊を始めてから血膿のようなものを非常に下痢したのです。これなら確実になおるのです。やっぱり此処(後頭部)にあるのが溶けて出たのですから、頭の霊の曇がとれるからして、精神病の変な霊は抜けるか萎びるかどっちかですから、完全になおるわけです。それに今アメリカでは精神病が一番多いそうです。ですからこれがアメリカ人に少し分るようになったら大変な事になります。無論そうなるに違いありません。それから癌がなおったとか、とに角今度のお蔭話が四つありましたが、みんな顕著なお蔭で、とに角アメリカに信者を作るのが一番肝腎なのですから結構だと思ってます。又、昨日の手紙ですが、サンフランシスコで前から栄光を送ってあったのですが、それを読んで是非入信したいというが、なにしろロスアンゼルスまでは三百哩からあるので大変なのです。それで御守を送ってもらいたいというので、特別に便宜上送ってやる事にしました。これがサンフランシスコに種をまく事になるわけです。ですから将来は大いに有望なわけです。それからあとはサクラメントはまだ本格的には教修を受けてないようですが、しかし御守をもらって、非常に熱心にやっている者が居るそうですが、いずれこの方面も始まるだろうと思ってます。それからハワイの方はだんだん増えています。今までに二、三百人くらい信者ができたようですから、今年一年たてば大変なものだろうと思います。そういうようでいよいよ外国方面に拡がり始めたという事は、面白くなって来たと思ってます。嵐さんの報告を読ませます。
(米国通信二) 【註 栄光二〇九号】
お蔭話は今度の栄光に出しますから、それを読めば分ります。今の精神病で血膿が下ったというのは、後頭部の固まりなのです。大体延髄附近です。此処がやっぱり脳の血管を圧迫して、そこで貧血しているために霊が憑るというわけです。ところが今ほとんどの病人は頭が一番多いのです。これはあなた方も知っているでしょう。そのための熱です。それで頭がぼんやりするとか食欲がないとか元気が出ないというのは、ほとんど後頭部にあります。だから此処にある固まりですが、此処はどっちかが必ず腫れてます。大抵左の方が多いです。それからその次は頚部淋巴腺です。これで大抵な病気はなおります。結核などでもこれ(淋巴腺)が多いです。だから胸の病気というのは間違っていると何時も言いますが、つまりこれが溶けて肺に浸入して、其処に固まりが出来るのです。そこで固まりがあるから胸の病気と言うのです。元は淋巴腺にあるのです。だからまず今言った所をやれば大抵な病気はなおります。延髄が一番目、淋巴腺が二番目、それから三番目は前頭部です。此処を触ってみると熱があります。熱のない人はないので、ほとんどあります。これは此処の中の熱と淋巴腺が影響する熱と両方ありますが、これは熟練しなければ見分けができませんが、大体上面が熱いのと芯から熱いのがありますが、芯から熱いのは前頭部の中からのものです。それから上面が熱いのは淋巴腺の影響です。それで上面の熱い人なら大抵淋巴腺に熱があります。それから脳天ですが、これは患者をかがまして、できるだけ奥の方をやるのです。それだけやれば体の方は大抵良くなります。まして精神病などはきっとなおります。それから目の悪いのもなおります。何時も言うとおり、目の悪いのは後頭部の真中で、此処に必ず固まりがありますから、これを浄霊すれば目ははっきりします。それから後頭部の固まりは下痢の原因にもなります。これからは精神病とまではいかなくても、精神病に近い人は沢山出ます。今でも沢山あります。ちょっと頭の変な人はみんなそうです。精神病でなくても、言う事のトンチンカンな人や、線を外れる人はよくあります。それから心得ておかなければならない事は、後頭部を浄霊すると胸が気持悪くなります。軽い吐気や胸がムカつく事がありますが、これは溶けたのが胃にはいるのですから、これも浄霊してやる必要があります。そうしてこれが済むと、今度は下痢になって出ます。その順序を心得てやればよいです。
それからこの前婦人病について話した結果を二、三の婦人の告白で聞きましたが、ああいう話は今まで聞けなかつたし、非常に結構だというのです。これは一番の悩みの病気なのですが、それを分らしてもらったという事は非常に有難かったという話がありましたから、時々それについても話をしようと思つてます。婦人の病気については、医学的に本などでもいろいろ書いてあるが、あれはほんの上面で根本が分らないからして、やっぱり根本を知っておかなければ駄目なのです。それで今言った頭の毒が下がって来て、一旦腰に集まって、男は痔になりやすいのです。ところが女の方は腰に溜まった物が、痔の方でなく前の方に行くのです。これだけが男と違う所です。ですから女の方が便利と言えば変ですが、排泄の管が大きいだけに非常によいのです。男の方が厄介なのです。男の方は出血と言っても非常に重く見られますが、女の方は平気なものです。そういう点から言っても非常によいのです。ところがそれを知らないために神経を起こしたりしますが、女のコシケというのはごくよいわけです。そのコシケを悪いと思って止めたりするのが今までの医学の考え方ですが、それはとんでもない間違いなのです。そういうようでコシケに出ればよいですが、コシケでなく出るのが困るのです。これはつまり粘膜にカタルを起こしたり、それからシコリのような物が出来たり、それが横の方に来て、股の方に固まって、足が吊ったりする事になるのです。それからお腹がはるのです。それで凡て毒が下に下がって行って、お腹から足にかけて溜まって行くわけです。しかし頭だけでなく、いろいろと胸から下がって、心臓とか肝臓の附近などのも、やっぱり幾分下に下がります。だから下半身の病気というものは凡て毒が下がって溜まるというように思って居れば間違いありません。その毒がお腹に溜まると膀胱を圧迫しますから、その結果小便が近くなるのと遠くなるのと両方あります。遠くなるのは膀胱の尿の出口の方に毒が固まって尿道が細くなるので、そこでそういうのは小便が遠くなるのです。それからそうでなく外部から圧迫するのは近くなるのです。それは膀胱が小さくなるからです。それから腎臓の廻りに元気がないとか腰がふらつくとか力がないというのは、それが今度は腰の廻りに溜まって来ます。腰が痛いとか、直ぐにくたびれるとか、足が重いとか、よく不精と言いますが、女の人でもまめなのと億劫がるのがありますが、億劫がるというのは腰から下が重いのです。重いという事は腰に一番固まりがあるのです。だから尾骶骨の辺を狙って浄霊しますと、とても足が軽くなって歩きよくなります。従って歩いて息切れのする人などは非常になおります。息切れが腰に関係があるという事は全然気がつかない事です。だから自分でもそうですが、少し足が工合の悪い時は尾骶骨の附近をやると非常に足が軽くなります。それで婦人病の中で女が非常に怒りっぽくなったり憂鬱になったり元気が無く不愉快なようなのは、子宮の辺の原因が非常にあります。そこで腰のが溶けて前の方に出ますから、そこで腰と前の方と両方やるのです。そうすると非常に気持良くなります。それで夫婦喧嘩というような点が大いに良くなるわけです。夫婦円満になります。ですからこれは大いに関心を持たれる事です。信者の人ですと自分で浄霊すればよいのですから、これは一番よいです。ただ信者にならない人はそういうわけにはゆかないから、外部からやれば、それで余程違います。それからよく結婚を嫌う娘がありますが、これは此処に原因があるのですから、そういう娘さんなどを普通の人間にする事は実に大した事です。これは医学の方ではどうにもならない事なのです。外部や医学的では全然駄目なのです。それからもう一つ知っておかなければならない事は月経不順です。月経が無いとか少ないというのは、貧血が一番多いです。それからあとは喇叭管の入口に毒があるために、つまり月経の通りが悪いのです。そういうのは月経が少なかったり不順だったりするのです。それから痛むのは、下腹と恥骨の中間辺りをやれば、おそらく固まりがありますから、着物の上からでも離してやれば必ずなおります。月経痛というのは必ずなおります。それから月経不順もなおります。貧血というのは、血が少ないので、これはそうはいきません。そのくらいにしておきます。
それから小乗と大乗について、小乗信仰はいけないという事について書いてみました。
御論文〔裁く勿れ〕 【註 栄光二〇八号】
裁く勿れ
(栄光二〇八号)
私はいつも信者にいっている事だが、アノ人は善だとか悪だとか、御邪魔になるとかならないとかいっている人もあるようだが、そういう人がまだ少しでもあるのは充分教えが徹底していない訳である。そうして度々言う通り、人の善悪を云々するのは、徹頭徹尾神様の地位を犯す訳で、大いに間違っているから充分謹んで貰いたいのである。それは勿論人間の分際として人の善悪など聊かも分る筈もないからで、分るように思うのは全く不知不識の内に慢心峠に上っているからである。従ってこういう人こそ、実は信仰の門口にも入っていない証拠である。又御経綸にしても人間の頭で分るような、そんな浅いものではないので、この点も大いに心得ねばならないのである。何しろ三千世界を救うというような、昔からまだないドエライ仕組なんだから、余程大きな肚にならなければ、見当など附く筈はない。つまり小乗信仰の眼では、節穴から天井を覗くようなものである。
私は耳にタコの出来る程、小乗信仰は不可ない、大乗信仰でなければ神様の御心は分る筈はないと言っているが、どうも難かしいとみえて、間違った人がまだあるのは困ったものである。処が世間一般を見ても分る通り、凡ゆる面が小乗的であり、特に日本はそれが甚だしいようである。信仰団体なども内部的に派閥を立て、勢力争いなどの醜態は時々新聞を賑しているし、その他、政党政派、官庁、会社等の内部にしても、御多分に洩れない有様で、これ等も能率や事業の発展に悪影響を及ぼすのは勿論である。尤もそういう間違った世の中であればこそ、神様は建直しをなさるのである。そうしてこれ等の根本を検討してみると、悉く小乗なるが為であるから、どうしても大乗主義でなくては、到底明朗おおらかな社会は実現する筈はないのである。
それだのに何ぞや、本教信者でありながら、世間並の小乗的考え方がまだ幾分でも残っているとしたら、早く気がつき、頭を切替えて、本当の救世教信者になって貰いたいのである。そうでないと段々浄化が強くなるにつれて、神様の審判も厳しくなるから、愈々となって臍を噛んでも追っつかないから、改心するのなら今の内と言いたいのである。大本教の御筆先に〝慢心と取違いは大怪我の因であるぞよ〟という言葉が、繰返し繰返し出ているが、全くその通りである。又キリストの〝汝人を裁く勿れ〟の一句も同様である。要するに人の善悪よりも自分の善悪を裁く事で、他人の事などは無関心でいる方が本当である。
処がまだ驚く事は、アノ人は余り感心しない事をしているのに、明主様はお気が附かれないのか。イヤ御気が附かれても御慈悲で御見逃しになられているのか、或は仰言り難いのでその儘にしておかれるのではないか。若しそうだとすれば、吾々が明主様に成り代わって、警告を与えなければならないと思うだろうが、これが大変な誤りで、私としては反って不快である。というのは私はそんな甘ちゃんに見られているのかと思うからである。考えてもみるがいい、仮にそうだとしたら世界人類を救い、悪魔の巨頭と闘って勝つというような、すばらしい事など出来る訳がないではないか。故にこういう御親切な人達こそ、私から見れば大甘ちゃん処か、赤ん坊としか見えないのである。以前私がかいた〝甘くない者を甘く見る甘さ〟である。
そうして信者は知らるる通り、現在どんな人間でも毒素のない者は一人もない。これは体的だが、霊的にみても同様欠点のない者は一人もないので、それだからこそ神様は浄化によって救われるのである。又〝馬鹿野郎よく考えりゃ俺の事〟の名句の通り〝甘い奴よく考えりゃ俺の事〟でもある。序だから今一つの事をかいてみるが、私は誰の心の中でも必要だけはチャンと分っている。只それを口へ出さないだけで、その為明主様は御存知ないのだろうと心配するが、私としては百も承知で、只黙して神様にお委せしているのである。というのはどうしても見込のない人は、神様は撮み出すか、悪質な人は命まで召上げて解決されるのであって、今までもそういう人も何人かあったので、古い人はよく知っている筈である。右のように万事神様にお任せしている私はいつも気楽なもので、心中春風の如しである。そうして私からみれば、世の中の人の殆んどは甘ちゃんばかりといっていい。世界的英雄にしても、日本の偉方にしても、甚だお気の毒だが、お人好の坊ちゃんと思っている。その中でも最も甘ちゃんは悪人である。面白いのはカノ踊る宗教の北村教祖は、人の顔さえ見りゃ蛆虫と言うが、言い方は野卑だが、本当だと私は思っている。話は大分横道へ外れたから、この辺で筆を擱く事とする。
これはちょっと面白い書き方です。
御論文〔墳墓の奴隷〕 【註 栄光二〇九号】
墳墓の奴隷
(栄光二〇九号)
この題を見た人は、随分変った題だと思うだろうが、よく読んでみれば、成程と合点がゆくはずである。というのは、旧い思想や黴の生えた文化を後生大事に有難がっていて、捨て切れない人の事を言ったのである。御承知の如く人間というものはどうも先祖代々守って来た伝統や習慣から中々抜け切れないものである事は誰も知る通りであるが、こういう人こそ墳墓の奴隷と言いたいのである。日進月歩の今日、そういう思想の持主こそ時世後れで、敗残者になるのは事実がよく示している。この例を大きくしたものが、彼の米国と英国の現在であろう。
言うまでもなく、今日世界をリードしている米国の、アノ繁栄と国力の充実振りは、実に世紀の偉観と言っていい。そうしてこの原因こそ、同国民の卓越せる進取思想の為であって、新しい、今迄の物より勝れているものでさえあれば、何物でも容赦なく採入れるという気概である。これに反し英国の方はアノ根強い保守的思想が災いしていて、それを誇りとしている位である。倫敦をみても、古典的美しさは洵に結構だが、そうかと言って新時代の都市美は大いに欠けているにみても、現代英国の実体がよく現われている。従って同国国連にしても、つい半世紀前頃のアノ隆々たる姿を思えば、全く隔世の感がある。世界七つの海を我が物とし多くの植民地を領有し、働かずして莫大な収入が入って来るのであるから大したものであった。実に今昔の感に堪えないのは同国民ばかりではあるまい。以上二つの例を挙げてみても分る如く、墳墓に支配されている国と、されていない国との違いさは、余りにもハッキリしている。
その他の国としては、西洋では埃及、希臘、波斯、西班牙、葡萄牙、東洋では印度、中国、朝鮮も同様の運命を辿って来た。この原因こそ、華やかであった時代の夢醒めやらず、それが進取的観念の邪魔になって、遂に今日の如き弱国化したのであるから、この墳墓の奴隷観念が如何に災いするものであるかは、右の如く歴史が物語っている。なお且つ宗教と雖も例外ではない。その最も著しいのが仏教であろう。仏教生誕地の印度が現在の信徒三十数万人というのであるから、丁度千人に一人の割合で、事実は滅びたも同然であろう。又中国等は殆んど仏教の蔭だにないとの事であって、只僅かに日本に於て命脈を保っているに過ぎない有様である。次にキリスト教であるが、これが最も盛んであったのは中世期頃で、何しろ裁判権まで握った位であるから、他は推して知るべきである。それが科学文化の影響もあって、今日は形式的存在でしかないのも衆知の通りである。
以上の事実によってみても、凡ゆる文化は時の流れに従って変転しつつあるのは言うまでもない。彼のベルグソンの万物流転の説もこれであろう。右の如く、進化の法則は古き物の没落と新しい物の勃興との歴史の過程を見ても明らかに分るのである。この意味に於て、新しい時代を指導すべき価値がある思想が生まれてこそ、文明は進歩するのであって、それには歴史的偉大なる宗教である。としたら我が救世教こそ最もそれに当嵌る事を断言するのである。勿論事実の立証は固より、何よりも現在本教が経営しつつある多方面に亘る救いの業である。これを一々挙げる事は略すが、実際を見れば直に分るのである。何となれば、その悉くは今まで誰も手を染めなかったものばかりであるからで、この事に就いて私は常に人に言う事は、今日迄誰かが行ったものは、その専門家に任せておけばいい。私は誰も夢としてやらなかった文化的新天地を拓こうとするのであって、それが私の天の使命と信じている。勿論その根本としては、標題の如く墳墓に支配されない主義の下に邁進しているのである。
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