アメリカに行っている嵐さんから報告が来ましたが、大分成績が良いです。これは第二信ですが、今読ませます。
(米国通信二) 【註 栄光二〇九号】
漸次あっちの方にも開けてゆくと思います。サクラメントも非常に熱心な信者が開拓しているようです。それからサンフランシスコに今度一人できましたが、これは種をまいたわけです。ですからこれからあっちの方も案外迅速に開けるのではないかと思います。それでハワイの方は素晴らしい勢いで開けています。もう二、三百人くらいは信者ができているようです。日本と違って、あっちは非常に分りがよいのです。素直と言いますか、気持良く開けるのです。とに角日本人が一番ひねくれているように思います。スレッカラシになっているとでも言うのでしょう。この嵐さんの方のお蔭話の報告が四つありましたが、今度の栄光に出します。なかなか素晴らしいお蔭があります。その中で精神病が二人ありましたが、これはどっちとも非常に早くなおったのです。一人は喋らないので沈黙しているのですが、これは気違いではよくありますが、黙まり込んでいるのです。それも数回で喋るようになりました。ほとんどなおってます。もう一人の方は喋り過ぎるので、朝から晩まで喋っているのです。これもあらかたなおったようです。どっちも確実になおってます。これはどっちも浄霊を始めてから間もなく血膿が下ったのです。ですからこれはもう確実になおります。それで今は精神病が、アメリカも多いとされてますが、日本も大変です。昨日かの新聞では日本の精神病は三百五十万人と言ってます。いろんな種類が書いてありますが、とに角確かにそのくらいはあります。今はむしろ結核よりも増え方がひどいです。それから今年は赤痢は大変な数に上るらしいです。今まででも随分数が多いようです。これは何時も言うとおり後頭部の毒です。今のアメリカの精神病で血膿が下ったという事は、後頭部から延髄の固まりが溶けて出たのです。これが精神病の因ですから、そういうようにしてなおるという事は根本的になおるのですから、確かな根治的ななおりですからよいです。それから赤痢はやはり後頭部という事はよく知っているでしょうが、なにしろ今の人は薬を入れては頭を使うから、どうしても薬毒が後頭部に固まってしまうのです。それで今は、精神病に限らず何処か工合が悪い人をみると、ほとんど十人が九人までこれです。必ず延髄の右か左のどっちかが腫れて固くなってます。そうして微熱が出て気持が悪いのです。それで微熱のために食欲が減るとか、気がふさぐとか神経衰弱的の症状があります。それからこれが溶けて咳が出て痰が出ると、ちょうど肺病みたいになるのです。ですからこれを浄霊するとほとんどなおって行くのです。ところがこれがなかなか頑固ですから簡単にはゆかないのです。余程根気が要ります。他の病気は、少ないのも少ないし、なおり方も非常に簡単にゆきますが、これが一番いけないのです。その次は淋巴腺ですが、これも又固まりが非常に多いのです。それで結核の人は大抵淋巴腺が多いのです。ですから胸の病というのでなく、首の病です。これが溶けて肺にはいって、それを医者が見て結核だと言うのですから、因は首ですから、首の病というのが本当です。まあ、サラリーマンにも首の病の人はありますが……。そういうようで、まず第一に後頭部を見る事と、第二は淋巴腺です。それで淋巴腺を浄霊するのは横から浄霊するのです。又場合によっては、指を二、三本当てがって、力をぬいてやると良く溶けます。それからその次には前頭部をみると、大抵な人は必ず熱があります。それで此処に熱がある時は額の中に浄化が起こっているのです。要するに中に毒があるのです。そういうのは暖かさが非常に強いのです。それから淋巴腺の熱が影響する熱もありますが、そういうのは淋巴腺をやれば額の熱は無くなります。それから額の中の熱は前頭部をやらなければ熱は冷めません。その区別は、ちょっとやって居れば分ります。それからこめかみに熱がある事がありますが、これは横からやればなおります。それから脳天に浄化が起こって熱のある人があります。まずこれだけやれば、体の病気でも大抵なものはずっと良くなります。それから息切れも覚えておかなければなりません。これは大体原因が二つあります。一番多いのは肋間神経痛です。胸から肺の周囲、背中の方にかけて毒があるのです。こういうのは押してみれば分ります。自分で押してみても分ります。それで押して痛いのは、其処に毒があるのです。そういうのは息切れがします。それで歩いたりすると浄化が起こって幾分溶けるので、それを肺の方で吸い寄せようとするので、これが息切れです。ですから押して痛い所を浄霊するとよいのです。息切れというのはいやなものです。喘息などもそういう訳です。それからもう一つは腰に非常に原因があります。尾骶骨の附近に毒が固まって、多く歩くと腰が痛くなって、そうして息切れがするのがあります。これは若い人より年取った人の方が多いです。そうしてその腰の痛いのは、結局腎臓ですから、そういう人は腎臓の所に非常に固まりがあります。それで腎臓の毒が溶けて腰に固まるのです。だからそういう人は腎臓を主にしてやるのです。ですから腎臓と肋間神経痛というように思えば、息切れの原因というものは分るし、その浄霊によってなおります。それからもう一つは、腰を浄霊しますと、女などはコシケになって出ますから非常に結構なのですが、男は下痢の方なのです。しかし下痢は余程沢山の毒でないと、男はそう下痢はしません。下痢は何と言っても後頭部の毒が一番です。そこで精神病などは此処が溶けて下痢をすると、これは一番良くなおるのです。ですから精神病というものは其処さえ溶かせば非常になおり良いものです。これから精神病は非常に増えますから、そこでそれを覚えておくとよいです。
この前婦人の病気についてちょっと話をしたところが非常に喜んだ人があるそうですが、これはなるべく詳しく言いたいが、ちょっと話しにくいのです。かえって医学的の方が露骨に話よいのですが、浄霊の方はもっと上品に言わなければならないのです。これは実に肝腎な事なのです。しかし女はそれを人に打ち明けるわけにゆかないし、人に聞くわけにもゆかないので、一人で苦しんでいるのが沢山あります。又婦人の病気は此処が最も原因なのです。だから女の魂というものは子宮にあるという事はよく言われますが、全くそういう訳です。男は睾丸という事になってます。男の魂は睾丸という事になってます。“あいつは全然金玉がない”とか言いますが、これが一番肝腎なものです。それで頭と婦人の局部とは非常に関係があるのです。よく子宮内膜炎とか実質炎とか子宮筋腫、卵巣膿腫というものの毒は何処から出るかというと頭からです。それで女は頭の毒が腰に行って、腰から前の方に行くのです。男の方は多くそれが痔になるのです。ですから痔は男の方が多いのです。男の痔もみんなこれですから、痔をなおすには頭をやればよいのです。それで一番肝腎なのは後頭部です。前頭部の毒も、後頭部から前頭部に行き、又前頭部が溶ける時も後頭部から下がってくるのです。そういうようで、つまり人間の体というものは天地になっているのです。だから一番肝腎なのは、男でも女でも、此処から一旦腰に来ます。尾骶骨の附近ですから、其処を浄霊すると下半身の病気は大抵なおります。面白いのは、足の悪い人は腰をやるのです。足は腰から分れているのですから、つまり足の因が腰になってます。だから足が歩きにくいとか重いとか、くたびれやすいというのは、足をやらないで腰をやるのです。そうすると実によくなおります。腰からずっと下に下がって足が悪くなるのです。その場合に鼠蹊腺、股から足の外側に毒が固まります。それから膝の裏に行きます。それからふくらはぎから足首に行くのです。それが急所ですから、足のあがきの悪いというのは、ももの外側がちょっと固いですから、其処をやると一番よくなおります。医学の方はそのくらいにしておきます。
それから何時も言う小乗と大乗についてちょっと書いてみました。
御論文〔裁く勿れ〕 【註 栄光二〇八号】
裁く勿れ
(栄光二〇八号)
私はいつも信者にいっている事だが、アノ人は善だとか悪だとか、御邪魔になるとかならないとかいっている人もあるようだが、そういう人がまだ少しでもあるのは充分教えが徹底していない訳である。そうして度々言う通り、人の善悪を云々するのは、徹頭徹尾神様の地位を犯す訳で、大いに間違っているから充分謹んで貰いたいのである。それは勿論人間の分際として人の善悪など聊かも分る筈もないからで、分るように思うのは全く不知不識の内に慢心峠に上っているからである。従ってこういう人こそ、実は信仰の門口にも入っていない証拠である。又御経綸にしても人間の頭で分るような、そんな浅いものではないので、この点も大いに心得ねばならないのである。何しろ三千世界を救うというような、昔からまだないドエライ仕組なんだから、余程大きな肚にならなければ、見当など附く筈はない。つまり小乗信仰の眼では、節穴から天井を覗くようなものである。
私は耳にタコの出来る程、小乗信仰は不可ない、大乗信仰でなければ神様の御心は分る筈はないと言っているが、どうも難かしいとみえて、間違った人がまだあるのは困ったものである。処が世間一般を見ても分る通り、凡ゆる面が小乗的であり、特に日本はそれが甚だしいようである。信仰団体なども内部的に派閥を立て、勢力争いなどの醜態は時々新聞を賑しているし、その他、政党政派、官庁、会社等の内部にしても、御多分に洩れない有様で、これ等も能率や事業の発展に悪影響を及ぼすのは勿論である。尤もそういう間違った世の中であればこそ、神様は建直しをなさるのである。そうしてこれ等の根本を検討してみると、悉く小乗なるが為であるから、どうしても大乗主義でなくては、到底明朗おおらかな社会は実現する筈はないのである。
それだのに何ぞや、本教信者でありながら、世間並の小乗的考え方がまだ幾分でも残っているとしたら、早く気がつき、頭を切替えて、本当の救世教信者になって貰いたいのである。そうでないと段々浄化が強くなるにつれて、神様の審判も厳しくなるから、愈々となって臍を噛んでも追っつかないから、改心するのなら今の内と言いたいのである。大本教の御筆先に〝慢心と取違いは大怪我の因であるぞよ〟という言葉が、繰返し繰返し出ているが、全くその通りである。又キリストの〝汝人を裁く勿れ〟の一句も同様である。要するに人の善悪よりも自分の善悪を裁く事で、他人の事などは無関心でいる方が本当である。
処がまだ驚く事は、アノ人は余り感心しない事をしているのに、明主様はお気が附かれないのか。イヤ御気が附かれても御慈悲で御見逃しになられているのか、或は仰言り難いのでその儘にしておかれるのではないか。若しそうだとすれば、吾々が明主様に成り代わって、警告を与えなければならないと思うだろうが、これが大変な誤りで、私としては反って不快である。というのは私はそんな甘ちゃんに見られているのかと思うからである。考えてもみるがいい、仮にそうだとしたら世界人類を救い、悪魔の巨頭と闘って勝つというような、すばらしい事など出来る訳がないではないか。故にこういう御親切な人達こそ、私から見れば大甘ちゃん処か、赤ん坊としか見えないのである。以前私がかいた〝甘くない者を甘く見る甘さ〟である。
そうして信者は知らるる通り、現在どんな人間でも毒素のない者は一人もない。これは体的だが、霊的にみても同様欠点のない者は一人もないので、それだからこそ神様は浄化によって救われるのである。又〝馬鹿野郎よく考えりゃ俺の事〟の名句の通り〝甘い奴よく考えりゃ俺の事〟でもある。序だから今一つの事をかいてみるが、私は誰の心の中でも必要だけはチャンと分っている。只それを口へ出さないだけで、その為明主様は御存知ないのだろうと心配するが、私としては百も承知で、只黙して神様にお委せしているのである。というのはどうしても見込のない人は、神様は撮み出すか、悪質な人は命まで召上げて解決されるのであって、今までもそういう人も何人かあったので、古い人はよく知っている筈である。右のように万事神様にお任せしている私はいつも気楽なもので、心中春風の如しである。そうして私からみれば、世の中の人の殆んどは甘ちゃんばかりといっていい。世界的英雄にしても、日本の偉方にしても、甚だお気の毒だが、お人好の坊ちゃんと思っている。その中でも最も甘ちゃんは悪人である。面白いのはカノ踊る宗教の北村教祖は、人の顔さえ見りゃ蛆虫と言うが、言い方は野卑だが、本当だと私は思っている。話は大分横道へ外れたから、この辺で筆を擱く事とする。
これはちょっと面白い論文です。
御論文〔墳墓の奴隷〕 【註 栄光二〇九号】
墳墓の奴隷
(栄光二〇九号)
この題を見た人は、随分変った題だと思うだろうが、よく読んでみれば、成程と合点がゆくはずである。というのは、旧い思想や黴の生えた文化を後生大事に有難がっていて、捨て切れない人の事を言ったのである。御承知の如く人間というものはどうも先祖代々守って来た伝統や習慣から中々抜け切れないものである事は誰も知る通りであるが、こういう人こそ墳墓の奴隷と言いたいのである。日進月歩の今日、そういう思想の持主こそ時世後れで、敗残者になるのは事実がよく示している。この例を大きくしたものが、彼の米国と英国の現在であろう。
言うまでもなく、今日世界をリードしている米国の、アノ繁栄と国力の充実振りは、実に世紀の偉観と言っていい。そうしてこの原因こそ、同国民の卓越せる進取思想の為であって、新しい、今迄の物より勝れているものでさえあれば、何物でも容赦なく採入れるという気概である。これに反し英国の方はアノ根強い保守的思想が災いしていて、それを誇りとしている位である。倫敦をみても、古典的美しさは洵に結構だが、そうかと言って新時代の都市美は大いに欠けているにみても、現代英国の実体がよく現われている。従って同国国連にしても、つい半世紀前頃のアノ隆々たる姿を思えば、全く隔世の感がある。世界七つの海を我が物とし多くの植民地を領有し、働かずして莫大な収入が入って来るのであるから大したものであった。実に今昔の感に堪えないのは同国民ばかりではあるまい。以上二つの例を挙げてみても分る如く、墳墓に支配されている国と、されていない国との違いさは、余りにもハッキリしている。
その他の国としては、西洋では埃及、希臘、波斯、西班牙、葡萄牙、東洋では印度、中国、朝鮮も同様の運命を辿って来た。この原因こそ、華やかであった時代の夢醒めやらず、それが進取的観念の邪魔になって、遂に今日の如き弱国化したのであるから、この墳墓の奴隷観念が如何に災いするものであるかは、右の如く歴史が物語っている。なお且つ宗教と雖も例外ではない。その最も著しいのが仏教であろう。仏教生誕地の印度が現在の信徒三十数万人というのであるから、丁度千人に一人の割合で、事実は滅びたも同然であろう。又中国等は殆んど仏教の蔭だにないとの事であって、只僅かに日本に於て命脈を保っているに過ぎない有様である。次にキリスト教であるが、これが最も盛んであったのは中世期頃で、何しろ裁判権まで握った位であるから、他は推して知るべきである。それが科学文化の影響もあって、今日は形式的存在でしかないのも衆知の通りである。
以上の事実によってみても、凡ゆる文化は時の流れに従って変転しつつあるのは言うまでもない。彼のベルグソンの万物流転の説もこれであろう。右の如く、進化の法則は古き物の没落と新しい物の勃興との歴史の過程を見ても明らかに分るのである。この意味に於て、新しい時代を指導すべき価値がある思想が生まれてこそ、文明は進歩するのであって、それには歴史的偉大なる宗教である。としたら我が救世教こそ最もそれに当嵌る事を断言するのである。勿論事実の立証は固より、何よりも現在本教が経営しつつある多方面に亘る救いの業である。これを一々挙げる事は略すが、実際を見れば直に分るのである。何となれば、その悉くは今まで誰も手を染めなかったものばかりであるからで、この事に就いて私は常に人に言う事は、今日迄誰かが行ったものは、その専門家に任せておけばいい。私は誰も夢としてやらなかった文化的新天地を拓こうとするのであって、それが私の天の使命と信じている。勿論その根本としては、標題の如く墳墓に支配されない主義の下に邁進しているのである。
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