六月十五日(箱根地上天国完成記念祭御教)

 いよいよ地上天国の模型が完成したので、その記念祝典という意味ですが、つまり真善美のうちの美の型が出来たわけです。ところで昔からいろいろな宗教がありましたが、真善はあったが美は作らなかったのです。何故美を作らなかったかというと、本当の天国の宗教でなかったからです。時期が夜の世界のために天国を造る事ができなかったのです。そこで美が欠けていたというわけです。それについて書きましたから、今読ませます。

 御論文〔神仙郷地上天国の大いなる意義〕  【註 栄光二一六号】

神仙郷地上天国の大いなる意義

(栄光二一六号)

 愈々待ちに待ちたる(かん)嶺上(れいじょう)の神仙郷、地上天国の模型は完成したのである。言う迄もなくこの神苑は、日本はおろか外国にも未だあるまいと思う程の作品であって、これだけ高い山の上に(おびただ)しい奇岩怪石を自由自在に駆使し、その狭間々々(はざまはざま)に数々の樹木、花卉、高山植物をあしらい、所々渓流縫い、潺々(せんせん)たる音を耳に、自然美を心ゆくばかり味わう風情は、俗塵を離れ天国に遊ぶ思いするとは、見る人毎に口を極めて絶讃する処である。然も錦上花を添えるが如く、絢爛たる美の殿堂も(そな)わり、全体的に見て自然美と人工美をマッチさせた、一個の芸術品として、誇るに足ると思うのである。

 併し乍ら、右は人間的に見ての感想であって、これを霊的に見れば、想像もつかない程の大いなる意味が(かく)されているのである。今それを詳しく説明してみるが、これが分れば、神の経綸の如何に深遠微妙にして、端倪すべからざるものであるか、人智を超越した偉大なるものかが窺われるであろう。そうしていつも言う通り、神の経綸なるものは最初は極く小さく造り、漸次拡って、遂には世界大となるという、洵に神秘極まるものである。これは現界にも当嵌る。即ち、人間が大きな物を造る場合、先ず模型を造り、然る後始めるようなものである。故に今度出来たこの神仙郷地上天国にしても、将来に於ける世界的地上天国を暗示していると思えばいいのである。それに就いては、何故箱根の山を選んだかという事で、この深い意味を書いてみよう。

 抑々霊的に見て、世界の中心は日本であり、富士山は地球の大黒柱である。見よ、その形たるや、世界に類のない秀麗な山容であって、昔から神山または霊峰と言われ、外国人は日本のシンボルとしている位である等、そこに深い意義が秘められているのである。というのは、この国の将来は地上天国の中心となるべきもので、已に天地創造の時(かむ)(さだ)めに定められているのである。見よ、山水の美、草木の多種多様なる、気候の変化による四季折々の景観、風物の変貌等々、その天恵の豊かなる、自ら天国的美を有しており、その昔彼の秦の始皇帝が、東方蓬莱(ほうらい)(じま)と言ったのも宜なる哉である。又我が国民性が、特に美の感覚に勝れている事は、外国人も認めており、世界如何なる民族も比肩(ひけん)する事は出来ない程である。然も日本には、古き時代から世界各国の美術品が蒐集網羅されている事も、不思議である。このように(さち)多き日本こそ(かむ)神的(ながらてき)に、すでに天国の要素が具わっているのである。私が常に「日本は世界の公園であり、美術館である」と言うのも、玆にあるのである。

 以上の如く、日本全土が世界の公園であり、中心であるとしたら、日本としての公園は箱根であろう。然も、箱根は日本の東西の中心に(くらい)し、箱根より東は関東、西は関西であるにみても明らかである。又文化的に言っても、日本程東西文化を悉く採入れている国は外にあるまいし、これをコントロールし、理想的平和文化を生む使命を帯びている国が日本である。近頃アメリカの一部の識者間には、右の説を唱え出した者があるという話を聞いたが、さもあるべきである。以上の如く、箱根こそ日本の中心であり、その又中心が強羅であり、そこから仰ぎ見る(そう)雲山(うんざん)の奥に聳えているのが神山(かみやま)で、箱根連山中の最高峰を占め、真の中心である。としたら、この山が日本東西の分岐点になっているのは言う迄もない。これこそ洵に神秘であって、神山の名も相応しいと思う。

 従って本当を言えば、神山の上に地上天国を造るべきだが、それは不可能である為此処を選んだのである。私は強羅へ来た最初の住宅を『神山荘』と名附けたのも、神山の型としたわけで、この日光殿の所を当時早雲寮と名附けたのも、右の如く早雲山の意味である。次に面白いのは、元々強羅を拓いたのは彼の登山電鉄会社で、最初この神仙郷の場所を日本公園の名で作ったもので、その下段である今の強羅公園が洋風公園としたのも神秘である。こうみてくると日本は世界の公園であり、日本の公園が箱根で、箱根の公園が強羅で、強羅の中心が神仙郷であるから、神仙郷こそ世界の真の中心という事になろう。

 この意味に於て、今度神仙郷地上天国が完成したという事は、世界の中心に愈々地上天国が生まれたわけで、言わば地上天国の誕生であるから、世界肇って以来の一大慶事であり、未来永劫に亘っての世界の大祝祭日であるわけで、この六月十五日は将来の地上天国誕生祭という事になるであろう。処で、玆に重大な事を告げたいのである。それは、今日を契機として霊的活動が促進され、此処を中心に左進右退的リズムの大渦巻(おおうずまき)が、徐々として世界的に展開されてゆき、空前の大変化を(もたら)すであろう事で、これこそ世界の立替え立直しである。

 この終りの所にあった事が大変なのです。以前も言った事がありますが、「ゴーラ」というのは「ゴ」は「火」です。それで「ゴー」と引張るのはパッとした火でなく、持続的な火です。「ラ」は「螺旋」と言って渦巻く働きです。火は左進右退ですから、これから左進右退のリズムが霊界に始まるのです。そうすると霊気というのは、太陽の霊気は火素だからして、この渦巻の中にある汚ないものはみんな整理されるわけです。今までは霊界があべこべの右進左退の渦巻だったのです。そしてこれは月の精のリズムですから、言わばごく弱かったのです。つまり夜の世界のリズムだったのです。だから汚ないものや間違ったもの、悪に相当するものは或る程度は許されていたのです。しかし今度の太陽の世界は、昼間の光線と同じですから、どんなものでも分ってしまうから、汚ないものはみんな御取り払いになるわけです。このことは、汚ないものにとっては怖い事です。しかしきれいなものは、あべこべに有難いのです。それが最後の審判なのです。ですから今日を契機(けいき)としていよいよ最後の審判にはいって行くのです。だからだんだんそれが形に現われて行きますから、よく分ります。それと共に、どうしても救世教にお辞儀しなかったら、つまり生きて行けない事になるわけです。随分バタバタする者が沢山できるでしょうが、これは神様がやっている事で、私がやるのでないから、どうも仕方がありません。その前に一応は知らせなければならないというので、それが聖書にある「遍く天国の福音を宣べ伝えらるべし、しかる後末期到る」というこれです。そこで〝天国の福音を遍く宣べ伝えられる〟という事は、「アメリカを救う」はそのごく最初の一段ですが、今度「世界救世教奇蹟集」が出、その次には「医学の革命書」が出ますが、これはみんな英文にして世界中に配るわけです。それから最後に「文明の創造」が出るわけですが、これらが天国の福音となって、世界中に読ませるわけですが、これを全部読ませるまでに行くか、それとも、「医学革命の書」だけは充分ですが、「文明の創造」が間に合うかどうかという事は、ちょっと分りません。そういうわけで、いよいよ霊界が一大転換をするのです。それが現界に写るからして、そのつもりで居なければなりません。

 それで、「力」という事について話をしますが、今までの世界は本当の力というものが出なかったのです。力と言っても、それはいろいろあります。人間の力の「腕力」。それから凶器を使ったりして大いに暴れるのは「暴力」。それから馬の力の「馬力」。それから今は「機械力」で、これが非常な活動をして世界的にいろんな文化を進歩させていますが、これも結構です。ところが現代の宗教のような力は「微力」と言います。甚だ弱い力です。それから人間を大いに自由にしているのが「政治力」。それから「金力」ですが、この「金力」というのがなかなか恐ろしいものです。この金力を善が握れば結構ですが、今までの金力は悪の方が多いのです。善もありますが悪の方が量が多かったのです。この金力に私なども随分いじめられました。それからいろいろ問題にされたり裁判所に引張られたり、言論機関が大いに圧迫したりするのは「権力」。それから「経済力」というこれも、今までは良い方より悪い方に使った方が多いです。そこで「金力」は「経済力」に付随してますが、「金力」というのは大変な力を持っているのです。ソ連が共産主義によって世界の制覇を握ろうとし、朝鮮戦争を起こして、それをアメリカがくい止めましたが、アメリカの何の力がくい止めたかというと「金力」です。それは他にもいろいろありますが、その最も根本的力と言いますか、それは「金力」で止めていたと言うか、「金力」で平和を維持したというわけです。だから今までの世界では「金力」が一番力があったわけです。それから戦争をやるのは「戦力」。その戦力を行使すると「破壊力」。それから又文化の力というものには、学問の力の「学力」。その学んだ結果の智恵の「智力」。智恵にもいろいろありますが、これは前にも言ったから、今は言いません。それから「智力」を応用して考える「思考力」。それから「筆力」。筆の力ですが、これが又恐ろしいのです。今の世界は「金力」が主で、「筆力」がその次と言ってもよいと思います。それから「宣伝力」。これも大変な力があるものです。それから引く力の「引力」。押さえる「圧力」。まだまだ沢山ありますが、大体そのくらいで分ると思います。ただ、今までなかったのは神の力の、「神力」です。全然ない事はないが、薄かったのです。強く発揮ができなかったのです。というのは夜の世界のため、つまり月の光は、光から言っても太陽の六十分の一ですから、余程弱かったのです。それがいよいよ時期が来て、今度は火の力、太陽の力になって来たのです。それが昼間の世界と言うのです。それで浄霊して病気が治るという事は太陽の力だからです。今までは、救世教のように病気を治すという力はなかったのです。というのは月の力だからして、見らるるとおり、本当に病気を治す力はないし、それから又病気というものの根本は何かという事も発見されていなかったという事は、力もないし光も薄いから、つまり見得る事ができなかったのです。

 それが根本だから、それが分れば浄霊で病気が治るという事は訳なく分るわけです。それで救世教の信者はキリストと同じような奇蹟は毎日のようにやっているという事だけでも、その力たるや大変なものです。それで今までは、宗教が本当に救う事はできなかったのです。現在救われているのは各宗の教団の方です。仏教にしても、仏教がその信者を救っているのではなくて、その本尊が信者から救われているのです。これは別に悪口を言っているわけではないので、事実を言っているのです。というのは闇の世ですと月の光だけでも結構なのです。だから闇の夜道を歩いている人は、月の光によってとに角安全に歩けるというわけです。そこにだんだん太陽が出て来ると、月の光は薄れて来、ついには無くなるというようなわけですから、そこで霊界では非常に明かるくなって来ているから、月の光というものがもう駄目になったというわけで、それが現われているわけです。だからして結局火の力を行使する事は、私という者が出て、初めてその力を与えられたのです。つまり「力」です。ところが「力」というものと「光」というものとは同じなのです。つまり「火」と「水」の密合したものが「光」であり又「力」なのです。だから「力」という字はよくできてます。経と緯、火と水が十の字に組むのです。そうするとそこにズーッと曲線がつながって、跳ね返ってますが、とに角文字というものは神様が造ったのですが、実によくできてます。ですから文字と言霊が分れば、宇宙のいろいろな神秘は分るわけです。私はそういった事を書こうと思ってますが、どうしても書けないのです。やっぱり神様はどうしても、それを分らしてはいけない事があると見えます。そこで経が先で緯が来て結ばり、曲って、跳ね返っているが、これは左進右退のリズムが現われてます。ですからさっき言ったとおり、この地上天国の模型が中心になって、左進右退的活動が始まるという事は、これが真の力なのであります。つまり救世教というものは力の宗教と言ってもよいのです。この力が本当の神力です。経緯結んだ火と水の力です。「カ」は「火」で、「ミ」は「水」ですから、「カミ」の力です。この力を行使したという人は世界肇って以来ないのです。それは言霊から言うと「シン」の霊返しは「ス」になりますから「神力」は「主の力」とも言えます。それで何時も()は丸にチョンと書きますが、チョンが火で、丸が水になります。太陽の黒点はチョンになります。学者はあの黒点を研究してますが、それは今言った事なのですから、こっちは別に研究の必要はありません。この太陽の黒点のチョンが大変なものです。つまり宇宙の魂です。果物なら種です。それで今までの世界はチョンがなかったのです。丸だけだったのです。要するに(から)だったのです。それでいよいよ私が世界にチョンを入れるわけです。この神仙郷はチョンなのです。ポチなのです。その意味において非常に重要なわけなのです。その始まりの今日は非常な意味があります。

 それから六月十五日というのは天照大御神様の誕生日になりますが、誕生日という事は日が出るわけです。これは私の本にあります。前に房州の日本寺に行った時が昭和六年六月十五日ですが、これがつまり日本の日の出になるわけです。そしてそれが世界の黎明です。その時もいろいろな神秘な事がありました。それから三月と三日たった九月十八日に満州事変が起こりましたが、この満州事変ということが大変な意味があるのですが、これについてもそのうちに書きます。それから日本寺という寺の名前も、これは日の本で、あそこから日が出たのですから、寺の名前も、日本寺となっており、この名前は外にありません。おまけに乾坤山というのですが、乾坤という文字は「天地」という事ですから、あの寺というのは大変な意味だったのです。そこで非常に神秘な事がありました。これはまだ書いてありませんが、もうそろそろ書いてよい時期ですから、もうじき書きます。

 それから一昨々年の静岡の裁判で、警察に留置されている間に素晴らしい神秘な事がありました、。その事を簡単にお話しますと、連れて行かれたのが五月二十九日かで、その時神様に此処に居るのは何時までだと訊いたところが十八日間だというので数えてみれば六月十五日になります。その日は非常な神秘な事があったのです。それは天照大御神様が生まれるというわけです。これは一言だけ言いますが、その時面白いのは差入れする弁当屋の内儀さんが非常に太った人で、大変世話を焼いてくれたのですが、この人は踊りを習っていて、前の晩大いに踊ったのです。明くる日に自慢そうに話をしましたが、それは何かというと、岩戸開きの時の天宇豆売命が舞い踊り足を余り高く上げた為陰戸が見えたので大勢の神々が大いに笑った声を聞かれ、天照大御神様は岩の戸を細目に御開けになったのを逸早く手力男命が御手を取られ外にお現われになった事が古事記に出ていますが、この型であります。

 それで六月十五日の朝方に夢を見ましたが、前にも話した通り富士山に登った事でそれが関連してます。それから、此処に渋井さんも居ますが、あの時引張られた連中は五人なのです。それで岩戸開きの時には(いつ)伴男(とものお)と言って、五人の男の神が御供になるのです。まだいろいろありますが、そういう岩戸開きの型があったのです。それで今日は、丁度三年目になるわけです。やはり神様の事は非常な神秘な事が関連しているので面白いです。ですからこれからだんだんリズムが拡がって行くにつれて、それが具体的に現われます。それでリズムというのは最初小さく、だんだん大きくなって世界的になって行くのですが、とに角素晴らしいわけです。又面白いわけです。信者の人などもそのつもりで、世の中を見ていると分ります。

 今日はこれだけにしておきます。

 それから話は違いますが、結核は必ず治ると言いたい事を今日発表しようと思います。今まで大体そうは思ってましたが、やっぱり時期があって、どうもその気にならなかったのです。というのは、これは皆経験しているでしょうが、病気がだんだん治って行くのに、衰弱のために倒れて行くというのが殆んどです。だから結核でも、病気が重くなって死ぬという事は殆んどありません。みんな衰弱で死ぬのです。病気はだんだんよくなって行っていて、衰弱のためにやられるのです。そういうわけですから、衰弱さえせず命さえ続いていれば、だんだん毒素は減って行きますから治るわけです。では衰弱は何かというと食べ物です。食べ物さえ食べていればよいのです。なにしろ食べ物が少ないのと、熱のために食欲がなかったり、咳をしたり睡眠がとれないという事でやられて行くのです。ですから、むしろ食欲が減らないようにするのです。それには肩です。結核の人は必ず肩が固くてコチコチです。結核の人で肩が柔らかいという人はありません。拳骨を入れたような人がありますし、まるで骨としか思われないような人がありますが、これが食欲に一番関係するのです。だから結核の人は何がなんでも肩を柔らかくする事です。それを溶かす事です。そうして肩さえ柔らかくなれば必ず食欲が出ます。だから結核とは肩の凝った病気と思っていれば間違いありません。そうすると按摩さんがよいように思うような事になりますが、按摩さんは一時ですから、除ることはできません。よくスポーツマンなどが割合に早死だということ、それから必ず結核で死ぬのですが、この事は私は前に書いた事がありますが、やはり肩が凝っているためです。特に水泳選手がそうです。非常に肩が凝ってます。これは腕を使いますから、どうしても毒が肩に固まります。そういうわけで、つまり肩を柔らかくするという事を、一つ心得てやる事です。そうして肩が柔らかくなれば、必ず食欲は出るし、熱も減ります。肩からの熱が一番多いのです。それで肩が柔らかくなれば、此処(頸)も柔らかくなります。ですから大体結核というものは胸の病気ではありません。肩と頸の病気なのです。だから此処で溶けたものが肺にはいって痰になって出るのですが、医学の方では此処(頸、肩)の方を見ないのです。此処のが溶けて肺にはいって痰になって出る、その出ている所を見て、肺の病と言うのですが、こっちの方が元なのです。だから結核は肩というように思っている事です。

 それからついでに話しますが、息切れは何処に原因があるかというと、これもよく知っておくとよいです。これは肋間です。息切れのある人は横腹に毒が多いですが、押してみると必ず痛い所があります。骨に固まっているというのが多いのです。それで歩いたり急いだりすると、肋骨にからんでいた毒素の固まりが、少しでも溶けますが、溶けると出そうとして肺が引張るのです。それが息切れです。だから特に喘息などはそうです。よく肺病の人に息切れが多いですが、あれは肩が少し溶けたものが此処に来て固まるのですから、やはり元は肩にあります。結局結核は肩が第一、それから頸の廻り、それから肋骨附近と思って、その浄霊をすれば、まず治ると言ってよいです。ただ衰弱が或る程度を越えて過ぎていると、浄霊を始めても間に合わない事がありますから、それだけは心得ておかなければいけません。やはり肩をやっても、肩で溶けたものが一旦肺にはいって痰になって出るのですから、衰弱しきっているのをやっても間に合いませんから、それだけは心得ておくとよいです。それから食欲がないという事は肩のためという事を知っていればよいです。ですから胃を浄霊するより肩を浄霊した方が食欲はつきます。

 それからもう一つは頭ですが、結核の熱というのは頭が多いですから、これは肩をやれば頭もよくなります。けれども前頭部を触ってみれば熱があるのは分りますから、それも一緒にやれば、より早く治るというわけです。

 

 

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