今度の九州の台風については分っているでしょうが、その事を分りやすく書いてみました。
御論文〔台風の霊的考察〕 【註 栄光二一九号】
台風の霊的考察
(栄光二一九号)
今度の九州の大風水害は、いかに惨憺たるものであったかは、新聞ラジオで詳細報告されたから、ここでは略すが、では一体台風というものの原因は何かという事は、誰も知りたいだろうが、科学では今のところ全然分っていないから私はかくのであるが、何しろ科学はいつもいう通り、浅薄極まる表面的物の見方であって、内在せる根本には触れていない以上、いかに進歩しても分るはずはないのである。そうして台風といえども人間の病気と同様、それ自体科学の分野ではない。霊の分野に属しているのである。それなら宗教で分りそうなものだが、実は分り得る程の高度の宗教はまだ出ないから致し方がないので、そこで私は神から教えられた真の原因を説くのである。
以前もかいた事だが、この世界における森羅万象一切は、絶えず汚穢が溜ると共に、それに浄化作用が起って浄められるのが法則となっている。従って地上の霊界、現界共に絶えず汚穢が溜り、ある限度を越えるやここに浄化作用が発生する。それが台風であって、つまり風で吹き払い、雨で洗い浄め、天日で焼くのである。この理によって今回のごとく田畑百数十万町歩も水底に沈んだという事は、全く人肥金肥の肥毒によって土壌が汚され切っているからで、それを洗い浄めなければ農作物に影響を及ぼし、減収になって食糧難に陥る憂いがあるからである。そうなるとここに浄化担任の神々はその活動を開始されるのである。
また破砕され流されたりする家屋は、その物の霊に汚穢が充ちたためであり、溺死した人間はやはりその人の霊に罪穢が溜って、生存の資格が失われたからである。これで大体分ったであろうが、ついでだから今一つの事をかいてみよう。それは火災である。これも知らるる通り、年々増加の趨勢にあり、国としての損害は軽視出来ないものがある。これらもやはり浄化であって、それぞれの建造物に罪穢が溜っているからである。それは今日どんな家でも土地購入、建築等に費した金が汚れていると共に、使用の場合その家屋を大なり小なり間違った事をするからで、これも現代生活上ある程度は止むを得ないが、それでも神仏の信仰者か余程善徳を積むとしたら、それだけ穢れは消されるからいいが、そういう人は滅多になく、ほとんどは罪の溜め放題であるから、どうしても火で焼き浄めなければならないからで、それが火災の原因である。火災の多いという事は無信仰者や悪徳者のいかに多いかを物語っている訳である。また山林もよく焼けるが、これも購入費やその目的に含まれている不正や邪念の汚れのためであるのは言うまでもない。
以上のごとく現代人は神を信ぜず、霊的智識なく、ただ物質のみを頼りにする以上、災害の多いのも当然であって、これが厳正なる神律であるから致し方ない。それに盲目なるがため末梢的手段のみで防ごうとする以上、根本的でないから、結局賽の河原の石積と同様である。従って結論としては人事を尽くすと共に、神を本位として罪穢を溜めないようにする事で、それ以外万全の方法はない事を心得べきである。
それから美術品の集まる訳ですが、この間歌麿の霊が憑って、非常に喜んで話をしたのですが、それを例として美術品の集まる理由ですが、これは何時も言うとおり不思議なほど良い物が集まるのです。浮世絵は昨日から陳列替えをしましたが、浮世絵は去年の今頃はまるっきり無かったのです。その後一年もかからないうちにああいうように良い物が集まってしまったのです。それで今は此処の浮世絵は日本で一番だそうです。陳列も博物館の専門の人が来て飾ったのですが、博物館の人がそう言うのだから間違いありません。実に不思議なものです。その原因を書いてみました。
御論文〔美術品蒐集の奇蹟〕 【註 栄光二一八号】
美術品蒐集の奇蹟
(栄光二一八号)
箱根美術館に陳列されている美術品は、相当目のある人なら驚かない者はない。何しろ、容易には手に入らないような名品が、こうも沢山集ったのは、全く不思議と思うより外考えようがない。又私もそうで、僅かの間に、然もこれ程の物が割合安く、よくも沢山集ったものだと感心している。そうして面白い事には、是非欲しいと思うが、迚も手に入りそうもないので諦めていたものが、偶然ヒョックリ入って来る事もよくある。それが予想もつかない所からなので、余計吃驚する。というように、考えれば考える程、何も彼も奇蹟づくめで、奇々妙々、端倪すべからざると言っていい位である。然も、それが日本ばかりではない、欧州の古美術品まで集って来る。よく聞いてみると、欧州でも中々手に入らない名品だというのである。
以上の如き驚くべき奇蹟は、一体どういうわけかと言うと、それは立派に理由があるので書いてみよう。
今、東西引括めて霊界に於ては、本教の出現が追々知れ渡るにつれて、本教によらなければ未来永劫救われない事が、多くの霊に分って来たので、霊界はテンヤワンヤの大騒ぎである。そこで、生前名人とされていた霊は、競って手柄を立て、来たるべき審判を無事に越せると共に、弥勒の世になってから幸福な地位につきたいとの念願から、活動しはじめたのである。勿論一家一門の霊も、現界にいる子孫の人達をも、無事に大峠を越し、幸福になるようとの願望もある。
というわけで、芸術家は、自分が作った作品中の傑作を選んで提供し、大名や富豪の霊は、生前愛蔵していた名品中の名品を選んで、適当な人を介して私の所へ運んでくる。そんなわけで、私としては少しの苦労もせず、放っておいても自然に集ってくるので、短期間にかくも良い物が沢山集ったのである。故に、骨董屋達にしても、いつも不思議々々々と言っている。又終戦後平価切下や、財産税などで、華族、富豪など、所蔵品を手放さざるを得なくなったので、止むなく到底手に入らないような名品が続々出たので、今日から見ると、お話にならないような安価で手に入れる事が出来たのも、全く神様の仕組である事がよく分るのである。それに就いて左の御蔭話は大いに参考になると思う。
喜多川歌麿の霊(本文省略)
今読んだような訳ですが、私の欲しい物が世の中にはまだ沢山あります。中には売ると言ったのが売らなくなったり、それから欲張ってどうしても手放さない人があるのです。そういうのは霊の方では売るようにしなければならないから、経済的にいろんな手段で苦しくして売るようにしてしまうのです。だからどうする事もできません。偶には〝美術館に永久に残るのなら値段はとも角是非買ってもらいたい〟というごく奇特な人もありますが、大抵な人は救世教は金があるのだからと、つけこんで、大いに高く売ってやろうという事もチョイチョイあります。石黒忠篤という人の息子か甥で、ヨーロッパに行っていろんな美術品を買って来て、日本で初めてですが、それを芝の西洋骨董屋に陳列してあって、私の所に持参した二、三点を買い込んだ人が紹介者と一緒に来て、ポンペーから掘り出した土に画いた絵で、なかなか良い物ですが、値段を聞くと百二十万円と言うのです。それではとに角置いていってくれ、と置かしたのです。それから二、三日たって、私の方のその方の係が来て、この春行ったときに七十万円の値段だったと言うのです。七十万円でも高くてなかなか買手がなかったのだそうです。ですから人を馬鹿にしてます。そういう事は沢山あります。救世教というのは金が沢山ある。それもどうせ信者からもらったような金だから、取るだけ取ってやろうという腹です。しかし私は逆に言ってやろうと思っています。自分で儲けた金なら幾ら高くても買ってやろうと思うが、信者が心血をそそいだ零細な金だから、アダやオロソカに買えない。相場だったらよいが、少しでも高かったら、信者に対して悪いから、相場以外のものなら絶対に買えない、と先方の考えと逆に言ってやるつもりです。私はよくそういう事を言うのですが、こういうのはまだ穏やかな方で、もっとひどいのが多いです。こういうのは普通の道具屋ではないのです。何故かというと、大学出のインテリなのです。それでスでもコンニャクでもまるっきり喰えない道具屋のやり方です。そこで冷水三斗を浴びせてやりたいと思います。だからそういうつけこむやり方だったら、到底これから取引はできないから、真面目にやればよいが、さもなければ駄目だからと言ってやるつもりです。それでだんだん分ってくると真面目になるのです。そういうのは一つの教育をする必要があります。そういうようで、世の中にはまだ欲しい物があります。中には、これは良い物を沢山持っている所ですが、主人が死んでしまって、主人の弟は売りたがっているが、婆さんが頑張っているのです。主人が死んで、自分が跡を継ぐようになってからそういった品物を手放すという事は面目に関わるから、自分が生きている間だけは絶対に売らないでくれと言っているのです。ですからそういう人は長生はできない事になるのではないかと思ってます。そういうようで、何だ彼んだと売らないようにしても、結局売らざるを得なくされるわけです。それは神様がされるのではなくて、其処の祖霊が霊界で早く自分が手柄にしようとして売らせるようにするわけです。だから皆が、どうしてこんな良い物が集まりましたか、と驚きますが、つまりこれは人間業でないという証拠です。それで聞いてみると、良い物というのはなかなか手にはいらないものだそうです。だからやはり神様がこの美術館を造り立派にしつつあるわけです。
それから自然栽培をやる人で、まだ徹底しないところがあります。それは土を生かすという事です。今まで金肥、人肥で土の力を殺していたというのを、今度は反対に土を生かすようにするという場合に、連作が非常によいのです。それはどういうわけかというと、土自体が植物なら植物を育てるような一つの性能をだんだん発揮して行くのです。それで農村では連作を嫌って年々畑を変える事をよいとしてますが、そういう事を言うとちょっとおかしいと思う事は、米くらい連作をしているものはありません。先祖代々昔からやってますが、若し連作がいけないものなら年々悪くなるはずです。尤も今は肥料で悪くしていますが。とに角肥料をやるために土が変質してしまうのです。そのために連作が悪いように、土が一種の片端になったようなものです。だから二毛作で米と麦を半々にやる事をよいとしていたのを、私が二毛作はいけないという事を言って一毛作にして非常に成績がよいという報告がありますが、そういうようで無肥料にして連作をすれば、土は幾らでもその作物に対する性能が増して行くのです。だから実際言うと米にしてもだんだん増えていって、今の三倍くらいになります。最近来たお蔭話で、その人は七年目ですが、最初一、二年というものはやはりどうしても無肥料が信じられないで、何か他の肥料も時々混ぜたそうです。それが分って、三年目くらいから本当に全然無肥料にしたのですから、とに角正味五年目くらいでしょう。それで去年は反当十俵幾らというのです。それで他の近所の収穫は五俵幾らというのですから、丁度倍は穫れたわけです。そういうようなわけで倍くらいは何でもありません。私は五割増産としましたが、本当は倍と書きたかったのです。しかしあんまり穫れ過ぎるように書くと、かえって本当にしないのです。何か常識外れのように思われますから、割引して五割としたのです。それで農村の人はなかなか肥料迷信にかかってますから、本当に全然無肥料に切り替えるのはなかなか難かしいのです。というのは土が連作によって今言うようにその作物に合うような力が出るという事を本当に知らないからです。そこでそれをよく知るように今話もし、又書くつもりです。この連作により土の性能が増すという事をよく心得てもらいたいと思います。
ちょっと面白い論文を読ませます。
御論文〔借金二十年〕 【註 栄光二一七号】
借金二十年
(栄光二一七号)
私は大正八年から昭和十六年に至る二十余年間、借金で苦しんだ。否苦しめられたのである。忘れもしない、大正八年三十八歳の時、今の妻と結婚の話が纏り、黄道吉日を選ぶや間もなく出し抜けに、生まれて初めての執達吏という、いとも気持の悪い種族三人が飛込んで来た。何か変な紙片を差出し読ませられたが、何しろ今迄そんな経験のない私とて、只目をキョロつかせるばかりだった。そうこうする間も、彼等は部屋々々を見廻し乍ら、目ぼしい家財道具に小さな紙片をペタペタ貼ってしまった。又差押え理由を細々と書いてある半紙半分程の紙を読んでくれろといい、箪笥の横ッ腹へ貼って帰って行った。よく見ると、色々な法律的箇条書があったが、その中でギョッとしたのは、差押物件は自由にすべからず、貼った紙片を破棄すると、刑法第何十何条に処すという事が書いてあった。
処が弱った事には、右の小紙片は箪笥の抽斗とその仕切りにかけて貼ってある。勿論開けさせない為だが、併し開けなければ着物が出せないので困った。そこで色々工夫の末、仕切りの方だけは巧く剥がれたが、抽斗の方は貼った侭でどうやら開ける事が出来たので、ホッと安心したというわけだ。
では何故こんな目に遭ったかというと、それはこうだ。私は以前も書いた事があるが、小間物屋で成功し、無一物同様から十数万の資産を贏ち得たので、大いに自惚れてしまい、予ての念願である新聞事業を一つやってみたいと思いよく調べてみた処、当時百万円の金を持たなくては難かしいとの事なので、何とかしてその百万円を作りたいと思い、種々な金儲けに手を出した。処が偶々吉川某なる海千山千のしたたか者と懇意になり、その頃の私は同業者から羨望の的とされていた位なので、世の中を甘く見すぎ、右の吉川の言うがままに第一次欧州戦争後の株熱の盛んな時とて、株屋相手の金融業を始めた。何しろ私の信用で先附小切手で銀行が貸してくれるので、借主からは日歩五銭の利子が取れるのだから堪らない。一文要らずのただ儲けというわけで、到頭現金と小切手で十数万円に及んだのである。処が、それを扱った銀行で倉庫銀行というのが突如破産したのである。彼はそれをヒタ秘しに隠し、小切手を高利貸方面で割引いたから大変だ。それが為高利が嵩んで、進退谷まり、到頭彼は私の前に叩頭してしまった。全く私にとっては青天の霹靂であったので、止むなく一時逃れとして銀行に頼んで小切手の支払全部を拒絶したから、怒ったのはアイス連中だ。忽ち前記の如く差押え手段をとると共に、私に対して詐欺の告訴を提起したので、私は検事局へ喚び出されて散々油を絞られたのである。そこで数人の高利貸に泣きついて、漸く約三分の二の八万円でケリが附き、半額現金、半額月賦という事になったが、これからがそれを払う苦しみが始ったのである。
その事件の為約束の結婚も不可能なので、ありのまま打ちまけた処、先方は普通なら秘密にすべき事柄を、正直に言うとは珍らしい、立派な人だと反って賞められ、反対に是非実行してくれと言われたので、私も世の中というものは妙なものだと思った事で、今でも覚えている。この痛手の為営業も窮屈となり、店を株式会社に改め、一時は小康を得たが、忘れもしない、アノ翌九年三月の経済界のパニックである。商品下落、貸倒れ等、これが第二の打撃となったが、それにも増して今度は彼の大正十二年九月一日の関東大震災である。当時京橋にあった店も商品も丸焼け、貸金全部貸倒れと来たので、一時は駄目かと思ったが、どうやら営業だけは続ける事が出来たには出来たが、そんなこんなで私は金儲けがつくづく嫌になり、生きる道を宗教に求めたのである。そこで色々の宗教を漁ってみたがこれはと思うようなものはない。その中で一番心を惹かれたのが彼の大本教で、早速入信した。これからの事は以前書いたから省いて、借金の方だけ書いてみるが、何しろ以上のようなわけで、金儲けを止めた以上借金返済は不可能となったので、アイス族共代る代る差押えに来た。何しろ信仰的病気治しの御礼位では知れたものだから、そこで、生活費を極度に切詰め、最低生活で辛抱し、少しずつは返したが、中々思うようにはゆかなかった。そうこうする内、幸いにも段々発展し、収入も大分増えたので、漸く借金残らず返し切ったのが昭和十六年であった。数えてみると丁度二十二年間借金で苦しんだわけだから、それまでは重い荷物を背負わされていたのが急に軽くなり、セイセイした訳である。
玆で特に言いたい事は、借金の抜けない内こそ、寝ても醒めても金が欲しい欲しいで心は一杯だったが、信仰が深くなるにつれて金は神様が下さるものとの訳も分り、然も全部返済ずみになったので気持も悠々となった。処が、皮肉にもそれから思いもつかない程金が入るようになり、年々増える一方なので、つくづく思われた事は、金という奴、欲しい欲しいと思う間は来ないもので、忘れてしまった頃入るのである。つまり、私の二十数年間の経験によって得たのが、この借金哲学である。宗教家の私がこんな事を書くのも変だと思うかも知れないが、これも何かの参考になると思うから書いた次第である。
それからこの前も〝結核は肩を主にして浄霊する〟という事を言いましたが、これは結核ばかりでなく、心臓病でも胃病でもこれが最も効果があります。心臓病の人は必ず左の肩が凝ってます。これが溶けたものが心臓の廻りに固まって圧迫するのです。それが心臓病です。喘息も無論それです。喘息の方は横隔膜の方に固まるのです。ですからよく医者の方では心臓性喘息と言います。それで心臓の活動が悪くなるから肺の活動が悪くなるのです。これはみんな知っているでしょうが、肺は水で心臓は火ですから、火が多くなれば水がよく活動しますから肺にもよい影響がゆくわけです。そういうようで肩を柔らかくすると肺が良くなるという事は、心臓が良くなるからです。それから肩が柔らかくなると非常に腹が減るのです。私はいろいろと昔の薬毒がウンとあります。順繰りにとれてますが、去年の秋あたりから肩を柔らかくするため肩を浄霊しました。それでごく固い所は指から霊を入れるのです。そうするとだんだん柔らかくなるのですが、今は去年からみると食欲は倍くらいになりました。そうして非常に美味いのです。そういうようで食欲が増えるという事は胃の活動がよくなるわけです。ですから肩を柔らかくするという事は、肺と心臓と胃が良くなります。ですからこの三つが良くなるという事は、他は問題ではありません。他の事は附録みたいなものです。肝臓が悪いと言ったところで、やはり肩から下がって行って溜まるのです。それから腎臓が悪いと、こういう所(腰)に溜まりますが、それも肩から下がって来るのです。それから糖尿病は膵臓ですが、左の方です。此処も肝臓と同じようなもので、肝臓が悪くなるから圧迫されて、胆嚢も起こり黄疸も起こるというわけですから、大体肺、心臓、胃とこの三位一体が良くなれば問題はありません。あとは頭ですが、今は非常に頭を使わなくては生活できません。昔のように暢気な時代ではないから、どうしても頭を使います。それで頭を使うと、これに固まりが来ます。これは大体は肩に溜まったものが、頭を使うので此処に来るのです。ですから肩を柔らかくすると、これも柔らかくなります。それで後頭部に溜まったものが溶けると赤痢ですが、今は赤痢が流行ると言って大騒ぎをやってますが、当局が一番注意している事は、手をよく洗えという事で、実に滑稽です。手が赤痢の原因と言うのですから、私は現代医学というのは子供騙ましだと昔から言ってますが全くそうです。そうすると手に黴菌がついて、それが口からはいるというような訳でしょうが、これがおかしいので、そうすると人間が凡て手摑みで食べ物を食べると思っているのです。尤も南洋のタイだとかマレーの方では、私は何時か映画で見ましたが、みんな指で食べてます。その理窟で行くと、向うは赤痢がウンとあるわけです。しかし日本人は、箸かフォークかサジで食べます。手摑みでは食べないから、手だけ洗えという事は変です。これは分らないからで、一つの気休めです。多分手だろうというわけです。実に可哀想な、一つのナンセンス的なものです。しかし赤痢は頭が良くなりますから、赤痢くらい結構なものはありません。これは最初は肩からだんだん行くのです。そこで肩を柔らかくするという事が根本です。それでただ肩に関係のないのは中風です。中風の人はかえって肩が柔らかいのです。その代り中風の人は頸に固まりができます。中風の人は健康な人に限ってます。弱い人は決してなりません。健康で威張っている人が必ずなります。脂ぎった赤ら顔の頑健な人に起こります。簡単に言うと、健康な人は中風になり、弱そうな人は結核になるというわけです。中風と結核は極端に反対な病気と言ってもよいのです。そういうようで中風だけはかえって肩の柔らかい人が多いのです。あとはみんな肩の固い人です。前に三菱重工業の課長で立派な人でしたが、非常に剣道が好きな人で毎日やってました。その人は肩が非常に固くて、イカっているのです。この人もよく浄霊してやりました。丁度私が昭和十五年の暮に治療を止めてから、その人は私の治療を受けなくなりました。それから確か半年くらいたってから急に変な病気が起こって非常に血が出るのです。それで私は弟子を治療にやらせましたが、とうとう死んでしまいました。そんな死ぬような人ではなく、非常に健康そうな人でした。しかし肩が非常に固かったのです。だからスポーツマンが割に早死というのは肩が固いからです。砲丸投とか棒高飛(跳?)とか水泳とか、みんな肩に力を入れるから肩が固いのです。又スポーツマンに限って結核になります。これは肩に固まったものが、浄化熱が起こって溶けて咳と痰が出ますから、それは医者に行けば結核にされます。そういうようで肩が柔らかいという事が一番です。子供でも学校の成績の悪いのは必ず肩が固いです。腺病質という、青い顔してヒョロヒョロしたのはみんな肩の病気です。子供などは簡単に肩をやってやるのです。それで浄霊の場合に、前から肩を狙ってやり後からやり、酷い人は上からやれば、だんだん柔らかくなって来ます。大抵本人が肩が凝るという事を言いますから、それで分りますが、子供は触ってみればすぐ分ります。それから赤ん坊に沢山あります。カン持ちや、ジレたり、非常によく泣くのはみんな肩が固いのです。それからよく熱を出すのがそうです。それから扁桃腺は子供に多いですが、やはり肩の毒が行くのです。結局上は肩を主にして、それから頸の廻りです。それから頭は脳天の奥に毒がある人が多いです。これは始終心配すると此処に行くのです。それから頭を使うと此処に寄ります。本に書いてあるとおり、記憶とか、本を読むとか、学問をするとか、そういう考えるのは前頭部です。後頭部は感情です。ところが心配するのは感情と智性と両方使うから脳天に来るのです。そこで此処の中心が重い人や苦しい人は沢山ありますが、それは此処です。それから後頭部、延髄という順序でやって行けば何病気でも良くなります。今のは上半身ですが、下半身は、腰の悪い人は足が悪いのです。よく、くたびれやすいとか足がだるいとかです。それから腰が悪いと息が切れます。じっとしていると切れないが、歩いたり坂などを上ると息が切れますが、それは腰です。即ち腰が悪いと心臓の毒血が此処に固まるのです。それで足の悪い人は、尾骶骨をやれば必ずよくなります。尾骶骨を中心にやって、それから腎臓ですが、そういう人は腎臓の下部の方が多いです。それからお腹のはる人は、無論腎臓です。もう一つはお腹のはる人は小便の出が悪いのですから、臍の下から下腹の中心をやればよいです。みんな此処に両方から尿毒が寄って来ますから、そこの中心をやればお腹はずっと軽くなります。むしろ下の方がよいです。恥骨と言って毛の生えている所の辺がよいです。そうすると膀胱の毒がとれてゆきます。それから足のあがきの悪い人は腿の外側を押せば固いですから其処をやるのです。それから膝から下の悪いのは膝の裏をやるのです。
Copyright © 2020 solaract.jp. All Rights Reserved.

-1-scaled-2.jpg)