七月二十五日

 何時も言っている事ですが、新宗教に対しての〝科学的でない〟という事についてですが、この間の子供の睾丸が出来た事などは大変な奇蹟ですから、世界の医学界に知らせたいのです。あれを知らせないという事は非常に惜しいのです。医学の方では、心臓の手術が出来たとか、吾々から見ればつまらないヘみたいな事を大したもののように新聞などにデカデカと書いてます。だからこっちの、それの百倍にもあたる奇蹟を新聞に出したらよいだろうと思って、毎日、読売にも言ったのです。毎日ではいろいろ協議したそうですが、まだ出ないところをみると結局出さないように決まったのでしょう。それで本人を調査に行くとか言ってましたが、それもやらなかったようです。ところで新聞の方には<法規的ではないのでしょうが>一つの不文律のようなものがあるのです。それは日刊新聞、普通新聞では宗教の宣伝にわたるような事は書かないというような事になっているのです。この事は前から聞いてますが、おそらくそのためだろうと思います。結局救世教の宣伝になるからというのです。しかし宗教の宣伝になるとかならないとか言うが、この間の奇蹟というのはそんなチッポケな事ではありません。それこそ医学どころでなく、世界的の大問題になるべき事です。子供の睾丸から陰茎がすっかり取れてしまったのが、自然に生えて元どおりに育ったのですから、人類始まって以来の奇蹟ですが、要するに宗教宣伝になるというために出さないのでしょう。そうすると文明というものは、宗教とか科学とか言って一つの城郭をつくって、その中に閉籠(とじこも)って、敵視しているようです。新聞社の方は科学の城郭に閉籠って、宗教という敵の利益になるような事は絶対にやらない事になるからして、考えてみるとおかしな話です。けれどもそれも(あなが)ち全面的にケシカランとは言えません。というのは宗教そのものが実に科学以下のものが沢山あります。だから科学の方で軽蔑して、かえって宗教よりも以上の科学を微力なような事を言ったりする事はけしからんと言うのです。要するに科学も宗教であって、ただ形が違うだけです。ですから自分の方の科学宗教を守らんがために<科学と言っても唯物科学ですから>唯物科学の城郭を固守し、唯心科学の方を葬ろうとしたり、それから軽蔑して、それに乗るなという事を警告するというので、この間のラジオはそれなのです。ところが本当から言うと唯物科学も宗教もないので、あらゆるものを冷静に批判して、良いものをとって悪いものを捨てるというのが本当ですが、まだ人間の頭脳がそこまで行ってないのです。まだ小乗的文化の殻に閉籠って、そうしてアップアップやっているのですから、われわれからみれば実に可哀想なくらいです。

 医学の方ですが、医学の今の建前(たてまえ)というものは、黴菌即ち微生物が病気の原因であり、それを殺菌するという事によって病気は治るという建前になっていて、結核にしても結核菌を殺す薬、〝どうすれば殺せるか〟という事を研究しているのですが、このくらい馬鹿々々しい事はありません。体の中にあるものだけを殺すという事は、常識だけで考えてもできるはずはありません。私は前に書いたが、結核菌を殺すには人間を殺せば、それは一匹残らず死にます。そういう馬鹿げた事で世界中の学者が頭を悩めているのですから、宗教の迷信と同じようなものです。しかし宗教の方でも、そのとんでもない医学迷信よりかもっと以下のものが多いです。何となれば病院を造ってます。自分達では病気は治らない、医学でなければ治らないというのですから、医学よりもっと以下なのです。ですから医学が軽蔑するのも尤もかも知れません。医学の方を信じ、医学に手を合わせるのですから、医学の方が教主様になるわけです。そこで医学の一番の根本である黴菌について書いてみました。この前にも読みましたが。まだ分り難いと思ったので、もっと分りよく念を入れて書き直しました。これは簡単な事柄でありながら、なかなか難かしいのです。そこをもう一層深く突込んだのと、両方を読ませます。

 御論文〔科学では病気は治らない〕〔超科学〕

超科学

(『医学革命の書』より)

 私は先日ラジオで、最近帰朝した湯川博士を囲んでの、座談会の録音を聴いたが、それによると最近科学の方でも、余程私の説に接近して来たようで、喜びに堪えない次第である。それによれば素粒子論に対して、物性論という新しい説を話されたが、それは素粒子は目に見える粒子であり、物性論は目に見えぬ原子をいうらしいが、もちろん前者は実験物理学であり、後者は理論物理学であるから、これこそ私が唱えている前者は体であり、後者は霊という事になる。としたらようやく科学も吾々の方へ鞘寄せして来た訳である。

 これについて従来から理論物理学者が新説を立てる場合、想像、推理、仮定が基本となり、実験に移るのであるが、湯川博士の場合もそうで、初め新発見の中間子(素粒子)にしても、幸い米科学者が実験中、宇宙線撮影の際偶然発見され確認されたので、その功績がノーベル賞授与となった事は衆知の通りである。ところがそれに一歩前進した理論が右の物性論であり、この研究が現在主眼となっているようだ。しかしながらこれが実験によって確認されるまでには、まだ相当の迂余曲折を経なければならないと共に、事によると意外な難関に逢着するやも知れないと思うのである。というのは現在の顕微鏡がそこまで発達するには容易ではないからで、そうかといって仮にこの物性子が実験によって把握されたとしても、それだけでは何ら意味をなさない。要はそれが人類の福祉にどれだけ貢献されるかである。ところがこれに対して科学では夢想も出来ない重点がある。それは現在以上科学が進歩するとすれば、吾々が常に唱えている霊の圏内に飛込んでしまうからである。霊の圏内とはもちろん宗教であるから、そうなると当然科学の分野から離れてしまい宗教に隷属する事となる。という訳で唯物科学の現在は進歩の極致に達し、今や壁に突当らんとする一歩手前にまで来たと言える。従って壁を突き破るとしたら、顕微鏡の能力を今より数倍以上、数十数百倍にも引上げなければならないかも知れないがそれは無理である。よしんばそれが可能としても、何世紀かかるか見当はつかないであろう。以上によって考えてみても、今後の世界は科学でも哲学でも既成宗教でもこれ以上の進歩は至難とみねばなるまい。この意味においていよいよ現在文化のレベルから超越した(エックス)が現われる時が来たのである。このXの一大飛躍によって現在のごとき行詰り文明の一大危機を打開し驚嘆すべき新文明を創造するのであって、それが私の使命である。

 次に素粒子論と物性子論について一層深く掘下げてみよう。そうして私の唱えている素粒子とは物質を構成している細胞のごときものであり、それは物と霊子との結合である。換言すれば前者は陰子であり、後者は陽子である。これがあらゆる物質の本体であるが、今日までの科学はそこまでは未発見であった。ではこのような高度の科学理論に対し、私のような浅学の者がなぜ発見出来たかというと、もちろん主神が必要によって私に教えられたのであるから、私は史上何人も知り得なかった万有の真理を会得したと共に、実験科学的にその実証を示す力をも与えられたのである。それがこの著の付録である治病実績報告であって、もちろん多方面の信徒から寄せられたものである。なお言いたい事は宗教にしろ科学にしろ、最も貴重なる人間の生命を救い得るとしたら、これ以上の福音はあるまい。今その原理を詳しく説明してみよう。

 言うまでもなく人間は万物の霊長であり、地球の王者であり支配者でもあり、天地間一切の万有ことごとくは、人間のために必要な存在であって、第一は人間の生命を保持し、第二は一人一人の使命を援助しているのはもちろんである。という訳で生命力をより旺盛に、健康で活動出来るようになっているのが人体である。としたらたまたま健康が(そこ)ねられ、生命を脅かすものとして病気なるものが発生した以上これを排除すべき作用が起るのは当然であって、何ら不思議はない。考えるまでもなく他の条件がいかに具備しても不健康である限り、人間使命の遂行は出来ないからである。この意味において科学でも宗教でも何でもいい、病さえ解決するものなら、それが真の科学でもあり、宗教でもある。としたら現在までの宗教も科学も遺憾ながらその能力がないから、真の科学でも真の宗教でもない事は分り切った話である。としたら正直にいって現在までの文明は仮のものであって、本当のものでない事は余りにも明らかである。

 これはなかなかややこしいのですが、今読んだように今の科学は素粒子、つまりごく小さい細胞ですが、それは分ったのです。それで今言う物性論というのは、それよりもっと細かい、顕微鏡で摑めないものがあるというのです。一つの理論物理学ですから、これは推理、想像し、実験によって確認されるのですが、それを実験する方法がないのです。というのは、もっと細かい所が見える顕微鏡でなければならないが、そういう顕微鏡は何時作られるか分りませんから、そうすると科学の研究は、今読んだとおり壁にぶつかる手前に来たわけです。それでその次はこうだという事をこれから書きますが、これが出来上がったら湯川博士に送ってやろうと思ってますが、理解できるかできないか分らないが、少なくともヒントを与える事にはなります。ですから世界のそういう偉い哲学者と言っても、私から見ればずっと手前のものです。ところが今まで駆け出していたのが息が切れて、これから先は駆け出せないという時期がもうじき来るのです。それでこっちで乗物を与えてやるのです。これに乗れば何処まででも行けるのです。ところでここで始末の悪いのは、その乗物というのは宗教なのですから、科学者は宗教と科学とは別物に思い、或いは宗教の方が下だと思っているのです。しかし偉い科学者はそうは思っていないらしいです。湯川さんなどは宗教に対して相当の知識を持っているようです。パスツールというのは、あの時代に神という事を余程分っていたのです。あの人達は科学と哲学と両方やっていたようですが、パスツールはコッホより曩に黴菌を発見した人ですから偉い人に違いありません。そうして結局最後は神だ、それでなければ解決はつかないという事を言っています。しかし一般の科学者はまだまだそこまで行ってないどころか、そういったような目に見えない科学以外のものは全部否定するというのですから、浄霊で治るとかいろいろ言っても、非科学的だと言うのです。ですからそういった科学迷信を大いに自慢しているわけです。そういうようなわけで、ただ有力な哲学者乃至科学者は、結局神、唯心論に行かなければ解決できないという事は朧げながら思っているが、そうかと言ってはっきり摑むことはできないのです。という事は、はっきり説明する人がなかったのです。又説明だけでは、如何に巧妙に言ったところで信ずるという事はできません。ところが私の方では、こうやれば病気が治るという、要するに実験を見せるのですから信じないわけにはゆきません。ただそこまで彼等を導くのが大変です。というのは、この門の中にあるこの扉を開ければ大変な宝があると言っても、そんな事はあるものか、絶対にないと思い込んで頑張っているのですから、その扉の中に誘なうのが大変な事です。しかしそれは神様がやられているのですから、神様がどんなうまい手を打つか分らないし、又手を打つに違いないですから、結論として時の問題です。時の問題と言ったところでそう長い事はありません。若しまだ長いとすると、だんだん浄化が旺盛になってくると死ぬ人ばかり多くなってくるから、人類は死ぬ人が多くなりますから、余程急がなければならないのです。それは分ってますが、もう少したったらはっきり言いますが、私もやっぱりそれを待っているのです。日に月に霊界ではだんだん変化しつつあるのです。それは実に面白いのです。その根本だけは話してもよいですが、その根本というのは力の根源です。それは何かというと太陽の黒点なのです。太陽の黒点が宇宙の支配力の中心なのです。あそこから力が出るのです。それで()のチョンが太陽の黒点なのです。これが大変なものなのです。ですから浄霊の力の元は太陽の黒点から来るのです。だから面白いとも言えます。それで学者もやっぱり昔から太陽の黒点を研究してますが、遠過ぎてそれは到底分りません。私は何時か科学博物館で望遠鏡で見た事がありますが、中に幾つも黒点が大きい小さいのが混じってます。それを綜合してみるとチョンになるわけですが、それが何だという事は、学者がいくら想像してみても、それは到底分るはずはありません。それで昼間の世界ということは黒点が変化するのです。それで太陽の熱というものは、太陽の黒点から放射されている一つのエネルギーですが、火力というものは太陽よりか黒点の方がもっと強いので、それは神秘なものです。その黒点の代表者が主神です。そこから私の体に光が来ているのです。だから病気などを治すのは何でもありませんし、大体病気というのは黴菌が今は二十万倍まで見えるというが、これが千万倍、一億万倍となっても、もっと細かいのです。それは何だというと無限なのです。これは丁度大空の広さが無限なのと同じように、小さいのも又無限なのです。ですからして病原というのは無限なのですから、顕微鏡が発達しようと、どんな機械が出来ようと、それは分りません。それは丁度大空の壁を発見するようなものですから、分るはずがありません。ですから医学が科学的に研究しても何にもならないので、害を与えるようなものです。それを分らせるように今書いているのですが、そこまで信じさせるのは容易なものではありません。ただ神様をどうしても分らなければならないというような事がいずれ始まりますから、そうすれば何でもありません。というのは霊界における太陽の精気、黒点の精気が非常に強くなりますから。あれは学問の方では十一年目に黒点が強く現われるという事になってますが、黒点が強く現われるという事は、これが十一年目にこういうように開くので、強くなるのです。あらゆるものは一定していないのです。即ち呼吸運動が行われているのです。太陽もやはり呼吸運動が行われているのです。十一年目に一回行うのです。拡がったり、つぼまったりする呼吸です。それは何でもそうです。太陽でも月でも地球でも呼吸運動をして、それによっていろんな変化が起こるのです。春夏秋冬の四季も呼吸運動の小さなものです。一年に一度の呼吸ですが、これは十一年目に一度、百年目に一度、千年に一度、という大きなものもあります。哲学のような天文学のような話になって、大学の講義のようになりましたが、もっとも神霊大学の講義かもしれません。それ以上のところまで知る必要はないが、ざっと話してみればそういうようなものです。

 それから病気の話を少ししようと思いますが、この間〝肩の固いのを柔らなくしなければいけない〟という事を言いましたが、肩を柔らかくするのに、よく間違える事があります。というのは肩をもむという事を言いますが、もんで柔らかくするのは按摩です。ところが肩をもむほど余計固くなるのです。ですから按摩を始終やっている人はだんだん肩が凝るようになります。これは私も若い時分に経験がありますが、私は按摩が好きで始終もましてましたら、だんだん固くなって、普通の按摩ではきかないくらいになったのです。それは私が大森に居た時ですが、そこの按摩の家には、なんでも十人前後の按摩が始終いたのですが、そこでは私が一番強いのです。誰が来ても私の気に入らないのです。そうすると、そこで一番強いのがいて、みんなが相談して〝一つ岡田の大将を誰かやっつけないか〟というので、オレがやろうというのが居て、今夜行って降参させようという相談が一決して来たのです。二十幾つかの者で、それがやったところがばかによい気持なのです。それで〝君はうまい、君くらい上手い者はいない〟と褒めたのです。それで帰って、始終私のところに来る男に〝いや駄目だ、オレは一生懸命やったが、よい気持だと褒めた。強過ぎると言うかと思ったら、気持がよいというくらいでは駄目だ〟とカブトをぬいだのです。そういうようだったのです。その時分は分らなかったのですが、今考えると体的にやるから駄目なのです。それで信仰をする人になってからそういう事が分ったので、ごく柔らかい按摩をしました。家の奉仕の若い女の人の素人もみをやりました。そうしているとだんだん柔らかくなって来たのです。それで浄霊を知るようになってから、浄霊でよくなって来て、この頃はもんでもらっても簡単にちょっとやるくらいで、それにいい気持でなくなって来ました。ですからもうじきもむ事もいらなくなるわけです。無論肩を柔らかくするという事も、固いほど力を入れないのです。ところが固いほど力を入れたがるのです。凡て力を入れないのがよいのですが、固いと、ちょっと力を入れたい気になりますから、それを注意して、これ以上力を抜けないというところまで力を抜くのです。そうすると固い肩でも柔らかくなって来ます。それで一番は結核によいです。それから心臓病によいです。心臓病によければ喘息にもよいし、それから食欲が出ますから、胃によいから、消化不良などは忽ち治ってしまいます。それから胃が良くなれば肝臓も膵臓も良くなり、胆嚢も良くなります。それで下の方は何と言っても何時も言うとおり尾骶骨の附近を浄霊すると、腰から下の、足などの重いのや、くたびれるのや、息の切れるのに一番効果があります。今話したのが急所です。

 それから近頃は信者の女の人でだんだん化粧しなくなって来ました。オシロイとかクリームをつけない人が増えて来ました。今にみんながそうなるでしょうが、これを少なくとも半年とか一年とやっていると非常にきれいになります。化粧代は要らなくなるし、大体こんな事(化粧の手間)をする必要はありません。それで人に招ばれた時など、ちょっと便所とかに行ってこうやりますが、あれは一つの不正直な行為です。一つの欺瞞行為です。より美しく見せようというのは悪いという事ではないが、しかし実価以上のものに見せようというので、善意の欺瞞です。罪にならない犯罪です。浄霊をやっていると、化粧を止めて当分は真黒で、それこそ南洋の土人か、アメリカのニグロみたいに見えますが、<私もこの間見てびっくりした人がありますが、これはオシロイを止めたせいだなと思いましたが、それは覚悟しなければなりません>その代りそれを過ぎると実にきれいになります。それも気持のよいきれいさです。それに始終浄化して血がきれいになりますから、きれいな血が皮膚から透けて見えるのですから、実に感じのよいきれいさです。だから本当は今の世の中に美人というのは居ません。それから形も違うようです。やっぱり性格において、女らしい優しさというのが無くなってます。何でも彼んでも理窟をつけて、男女同権とか言って威張るのですが、高慢な者が出てます。というのは、明治、大正時代の女の写真を見ると美しいです。ところが今の女の写真は美しくありません。ブツブツが出たり皮膚が荒れたりで、化粧しなければ見られたものではありません。化粧しないのを側で見たら、美ではなく醜です。だからつまり自然の美、天然の美というものをだんだん失ったわけです。ですからこれを再び自然の美に復活するという事が必要なわけです。それからもう一つは、今のクリームなどはいろんな薬剤を使いますが、それがだんだん強くなってます。この間新聞に出てましたが、アメリカの婦人は顔の皮膚が荒れて困っているという事が書いてありましたが、アメリカは余計強い薬を入れるからに違いないと思いました。そういうようですから、信者の女の人はそういったような事をよく知っていれば、つけるのも少なくなるからよいですが、ずっと少なくして、或る時期に行ったら断然止めて、自然の美人になった方がよいと思います。時間と金の非常な経済になって、夫の愛も増えるというわけですから、一挙三得というわけです。

 

 

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