七月二十六日

 今「医学革命の書」という本を書いてますが、その中でちょっと変った事を書きましたから、それを読ませます。

 御論文〔科学では病気は治らない〕

科学で病気は治らない

(『医学革命の書』より)

 科学の進歩は、科学発見以前の世界と較べたなら、比較にならない程素晴しいのは今更言う迄もないが、さりとて向後百年、千年後を想う時、それは想像も出来ない程の超驚異的文明世界である事も勿論である。そこでよく考えてみると、今日迄の科学の進歩は、端的にいえば光学の進歩でしかない事である。即ち小さなものが拡大して見える硝子(ガラス)玉の進歩である。大は天体観測の望遠鏡から、小は微生物発見の顕微鏡に至るまで、つまり大と小の極端の進歩で、中間は殆んどないといっていい。そこで医学に関する面を主としてかいてみるが、現在の(ところ)電子顕微鏡で見得る限度は二十万倍とされている。(この)限度内で把握された微生物即ち黴菌(ばいきん)、又はウイルスを病原としているのが医学の考え方である。そこで医学は此菌を殺滅すれば、病は治るものと信じ、それを建前として研究を進めているのは言う迄もない。

 (ところ)で考えねばならない事は、右の如く二十万倍以下の菌を対象としており、それ以上の菌を重視しない事である。としたら(ここ)に問題がある。それは真の病原は二十万倍処ではない。百万倍か、一千万倍か、科学者は想像もつかないであろう。それのみか仮に一千万倍の菌が見えるようになったとしても、それで根本的治病が可能なるかというと、之も分りよう(はず)がない。(あるい)は真の病原は菌の大きさ(どころ)ではなく、無限であるかも分らない。としたら科学が如何に進むとしても、病気を治す事は絶対不可能であるのは断定しても間違いはない。それに()いて言いたい事は、医学は紀元前彼のヒポクラテスが創始したものであって、(すで)に二千有余年を経ている今日、今以て病気は解決出来ないのである。(しか)し言うであろう。十八世紀後半俄然として科学が勃興(ぼっこう)し、それに伴って医学も発達したのであるから、此儘(このまま)漸次(ぜんじ)進歩の(あかつき)、理想的医学となるに違いないから、それを期待しているのである。

 (ところ)が医学の病理の如く、病原は(ことごと)黴菌(ばいきん)としている以上、前記の如く顕微鏡が如何程進歩し、微生物の極致まで発見されたとしてもそれで解決出来ないのは右によっても明かである。(また)別の面から見ても、人間の生命は造物主が造られた万有中、最も神秘極まるものであって、他の物質とは根本的に違っている事を知らねばならない。(これ)は説明の要はない程高級な存在である。言うまでもなく智性、思想、感情等の思想的面は他の動物には全然ない。(この)意味に(おい)て人間以外の一切(いっさい)は、科学によって解決出来ると共に、益々進歩発達させねばならないのは勿論(もちろん)であるというのは一切(いっさい)の物質は人間よりレベルが低く、従属されているものである。

 従って人間が同一レベルである人間を、自由にする事は真理に外れているから、どうしても人間以上である(エックス)の力でなければならない。だとすれば人間が作った科学を以て、人間の病気を治そうとするのは、如何に見当違いであるかが分るであろう。故に治らないのが当然である。標題の如く科学で病気の治らない訳は分ったであろう。(また)次の例を挙げてみると一層ハッキリする。昔から至大(しだい)無外(そとなし)至小(ししょう)無内(うちなし)という言葉がある。勿論(もちろん)大も小も無限という意味である。例えば大空の無限大と共に、微生物の本質も無限小である。(これ)を人間に(たと)えれば想念の無限である。宇宙一切、森羅万象如何なる事物でも想念の届かぬ(ところ)はない。(これ)によってみても人間は如何に高級であり、神秘な存在であるかが分るであろう。

 従って人間の病気と(いえど)も、有限である科学では治し得ないと共に、無限の力によらなければ治し得ないのは明々白々たる事実である。(この)理によって医学の誤謬(ごびゅう)の根本は、人間と他の物質との違いさを知らない(ところ)にある。としたら、その幼稚なる未開人的といっても過言ではあるまい。以上思い切って科学にメスを入れたが、現在の(ところ)私の説は到底信じられないであろうが、科学の理論物理学が実験物理学によって確認されると同様、私の唱える理論が実験上確認されるとしたら、(これ)こそ真理である。(ただ)私の説が余りに飛躍しすぎているので、直に受入れられないだけの事で、承認されるのは時の問題でしかあるまい。

 以上の如く無限の病原を、無限力によって万人を救う例として、現在日々数万の患者が救われている。例えば医学では絶対不治とされ、死の宣告まで受けた患者が、医学の医の字も知らない人々が数日間の修業によって得た方法を以てすれば、(たちま)ち起死回生的に全治する。(また)彼の盲腸炎の激痛でも、術者が数尺離れた所から、空間に手を(かざ)すだけで、二、三十分で痛みは去り、間もなく下痢によって排毒され全治する。結核菌を()んでも感染しない、感冒に(かか)る程健康は増すとしての喜び、目下(もっか)流行の赤痢、日本脳炎など、数日間で全治する等々、例は何程でもあるが、(これ)だけで充分であろう。従って(この)著を読んだだけでは余りの偉効に到底信ずる事は出来まい。恰度(ちょうど)幼稚園の児童に、大学の講義を聴かせるようなものである。(この)大発見こそ夢の現実化であり、不可能が可能となったのである。私は断言する。何人と(いえど)(これ)を身に着ける事によって、完全健康人となり、安心立命の境地になるのは断言する。

 故に(この)事が全世界に知れ渡るとしたら、空前の大センセーションを捲き起すと共に、文明は百八十度の転換となるであろう。その時になって(ほぞ)()むとも間に合わない。(この)例として明治以後西洋文明が国内を(ふう)()するや、今迄嘲笑され下積になっていた人達が、一挙に新時代を受持つ栄誉を担うに反し、旧思想に捉われ頑迷(がんめい)丁髷(ちょんまげ)連中は、(あわ)てて後を()うとも追いつかなかったのと同様である。(しか)(この)大発見たるや、それよりも幾層倍、(いな)幾十層倍大であり、永遠性があるとしたら、(いたず)らに躊躇(ちゅうちょ)逡巡(しゅんじゅん)バスに乗遅れないよう(あえ)て警告するのである。

 今読んだとおり医学というものは実に馬鹿々々しいものなのです。つまり病気というものは何だか全然分らないでいて、だろうくらいでやっているのです。〝この薬が効くだろう〟とか〝薬で病気が治るだろう〟という甚だ確信のない事をやっているのですからして、これが本当に分ったら〝とんでもない代物〟という事になります。そうして人間を病気で苦しめて命までもまき上げるのですから、全くとんでもない代物です。これをだんだんはっきり説いて世界的に知らせるわけなのです。この間ラジオで聞きましたが、湯川博士を囲んでの座談会があったその録音ですが、それについてちょっと面白い事があるので読ませます。

 御論文〔超科学〕

超科学

(『医学革命の書』より)

 私は先日ラジオで、最近帰朝した湯川博士を囲んでの、座談会の録音を聴いたが、それによると最近科学の方でも、余程私の説に接近して来たようで、喜びに堪えない次第である。それによれば素粒子論に対して、物性論という新しい説を話されたが、それは素粒子は目に見える粒子であり、物性論は目に見えぬ原子をいうらしいが、もちろん前者は実験物理学であり、後者は理論物理学であるから、これこそ私が唱えている前者は体であり、後者は霊という事になる。としたらようやく科学も吾々の方へ鞘寄せして来た訳である。

 これについて従来から理論物理学者が新説を立てる場合、想像、推理、仮定が基本となり、実験に移るのであるが、湯川博士の場合もそうで、初め新発見の中間子(素粒子)にしても、幸い米科学者が実験中、宇宙線撮影の際偶然発見され確認されたので、その功績がノーベル賞授与となった事は衆知の通りである。ところがそれに一歩前進した理論が右の物性論であり、この研究が現在主眼となっているようだ。しかしながらこれが実験によって確認されるまでには、まだ相当の迂余曲折を経なければならないと共に、事によると意外な難関に逢着するやも知れないと思うのである。というのは現在の顕微鏡がそこまで発達するには容易ではないからで、そうかといって仮にこの物性子が実験によって把握されたとしても、それだけでは何ら意味をなさない。要はそれが人類の福祉にどれだけ貢献されるかである。ところがこれに対して科学では夢想も出来ない重点がある。それは現在以上科学が進歩するとすれば、吾々が常に唱えている霊の圏内に飛込んでしまうからである。霊の圏内とはもちろん宗教であるから、そうなると当然科学の分野から離れてしまい宗教に隷属する事となる。という訳で唯物科学の現在は進歩の極致に達し、今や壁に突当らんとする一歩手前にまで来たと言える。従って壁を突き破るとしたら、顕微鏡の能力を今より数倍以上、数十数百倍にも引上げなければならないかも知れないがそれは無理である。よしんばそれが可能としても、何世紀かかるか見当はつかないであろう。以上によって考えてみても、今後の世界は科学でも哲学でも既成宗教でもこれ以上の進歩は至難とみねばなるまい。この意味においていよいよ現在文化のレベルから超越した(エックス)が現われる時が来たのである。このXの一大飛躍によって現在のごとき行詰り文明の一大危機を打開し驚嘆すべき新文明を創造するのであって、それが私の使命である。

 次に素粒子論と物性子論について一層深く掘下げてみよう。そうして私の唱えている素粒子とは物質を構成している細胞のごときものであり、それは物と霊子との結合である。換言すれば前者は陰子であり、後者は陽子である。これがあらゆる物質の本体であるが、今日までの科学はそこまでは未発見であった。ではこのような高度の科学理論に対し、私のような浅学の者がなぜ発見出来たかというと、もちろん主神が必要によって私に教えられたのであるから、私は史上何人も知り得なかった万有の真理を会得したと共に、実験科学的にその実証を示す力をも与えられたのである。それがこの著の付録である治病実績報告であって、もちろん多方面の信徒から寄せられたものである。なお言いたい事は宗教にしろ科学にしろ、最も貴重なる人間の生命を救い得るとしたら、これ以上の福音はあるまい。今その原理を詳しく説明してみよう。

 言うまでもなく人間は万物の霊長であり、地球の王者であり支配者でもあり、天地間一切の万有ことごとくは、人間のために必要な存在であって、第一は人間の生命を保持し、第二は一人一人の使命を援助しているのはもちろんである。という訳で生命力をより旺盛に、健康で活動出来るようになっているのが人体である。としたらたまたま健康が(そこ)ねられ、生命を脅かすものとして病気なるものが発生した以上これを排除すべき作用が起るのは当然であって、何ら不思議はない。考えるまでもなく他の条件がいかに具備しても不健康である限り、人間使命の遂行は出来ないからである。この意味において科学でも宗教でも何でもいい、病さえ解決するものなら、それが真の科学でもあり、宗教でもある。としたら現在までの宗教も科学も遺憾ながらその能力がないから、真の科学でも真の宗教でもない事は分り切った話である。としたら正直にいって現在までの文明は仮のものであって、本当のものでない事は余りにも明らかである。

 この事はちょっと難かしいのですが、一とおりは知っておかないと、ああいう事を聞いたり読んだりした時に余程分らなくてはしようがありませんから。今の科学で最も進歩した説は素粒子論というのですが、素粒子というのはうまい言葉を使ってます。「素」というのは粗いという事で、つまりまだ仕上げができてないというわけです。物質の最も細かい、その物質の粒子を素粒子と言うのです。ところでこれも最初は湯川博士が理論はそうだという考え方だったのですが、宇宙線撮影の時に、写真に六つか七つ写って、それが素粒子だという事になったのです。次に物性というのは、物の性、つまりわれわれから言うと霊で、一つの気体です。これは多分そういうものがあるのだろうという想像なのです。それが粒子科学の今一番進歩した説なのです。ところがその物性粒子よりまだまだもっと細かいものがいくらでもあるので、さっき読んだとおり無限なのです。そこで今の物性粒子より先に行くと科学では分らない、というよりか、どうする事もできないのです。つまり顕微鏡がもっとウンと発達しない限りしようがありません。そうなると一つの気体になるのだから、気体は科学でははっきり摑む事はできないので、〝多分あるべきだ〟という所まではゆくのですが、ところが気体よりかもっと奥があるのです。つまり霊、霊界と言って、これが何段にもなっているのです。そこで霊にも上中下といろいろあるのです。その霊の根本というのは光なのです。光の根本は太陽なのです。太陽の光の根本というのは、太陽の黒点なのです。これがつまり大宇宙の種の芯のようなものです。しかし天文学ではこれはとても分らないのです。黒点は一つに見えますが、幾つもあるものです。望遠鏡で見るとわかりますが、私は前に科学博物館で見た事がありますが、幾つも散らばってますが、それが纏まって人間に見えるのが黒点です。この黒点というのが大変なものです。つまりこれが太陽を支配しているものです。太陽の中心です。それで()のチョンが黒点なのです。それで浄霊で病気が治るこの光は黒点から出ているものです。こういう事は説明すれば切りがないし、又そんなに深い所まで知る必要はないのだから、それだけ知っていればよいわけです。今言ったとおり科学の方ではその霊を認識しなければならないという手前にまで来ているのです。ですから科学者の方では、まだ研究する問題が非常に多いという事を、湯川博士なども言ってますが、だんだん研究問題が増えて困っていると言ってます。それから又一方の科学者は、実存主義の哲学の方ですが<そこまでゆくと哲学も科学と同じですが>その方は、もうこれ以上はしようがないと行詰っている一派があります。両方とも間違ってはいませんが、むしろ行詰った方が先見の明ありと言えます。その科学が行詰ったその先はどうだという事を書きますが、書いたら湯川博士にも送るつもりですが、どのくらい分るか、分らないか、それは未定ですが、少なくともヒントは得られると思います。それが分れば、浄霊で病気が治るという事は科学で充分説明ができます。ただこっちの方の科学は現代の科学よりずっと進んだものです。そこで薬や機械で病気を治すという事は、実に低級な未開人的なものです。それを薬などを有難がってのむという事は、これは二十一世紀ぐらいになってみると、二十世紀の奴はナンテ幼稚なものだったか、実際あの時分に文明とか文化と言ったが、実際哀れなものだと言って笑う事になります。ただそれを咀嚼するだけの頭脳が今の人にはできてないから、なかなか難かしいのです。けれどもやはり真理ですから、一時は分らなくても結局は分る事は間違いありません。ただそれまで時を要しますが、それを証拠立てるためにこうやって病気が治るという事を見せているというわけですから、その点から言えばそんなに難かしくはありません。ですからそういう意味から言っても、今までの宗教というものは幼稚なものです。ですから本当を言えばキリストでも釈迦でも、それはまだまだごく子供みたいなもので、幼稚なものです。しかしその時分にはやはりそれほど深い所や高い所を人間に知らせる必要がなかったから、あの時代の人間にはああいうような説き方でよかったのですが、もうそんな事を言っては追いつかないからして、結局時がそこまで進んだわけです。文化がここまで進んだという事は、もうそういう事も知らせなければならないという意味もあります。他に悪魔の方の関係もありますが、それは別の話になりますが、今は科学、文化の発達の先をお話ししたわけです。そういうわけですから、もう近い将来、或る時期に行くとだんだん分って来ます。

 この間聞いた話ですが、最近アメリカでは〝今の医学は駄目だ。医学でないもの、そういった薬とか機械を使わないで治す方法を研究しなければならない〟と言っている一派ができたそうですが、大分近付きつつあるわけです。ハワイは大分素晴らしい成績で、来月あたり樋口さんはアメリカに行く事になってますが、しかしいろいろとなかなか複雑な事情がありますから、簡単にはゆかないが、神様がよい工合にされるだろうと思ってます。今アメリカの人に分らせるのが一番手取り早いですから、神様は予想もつかないような手を打ったに違いないと思います。そういうようで、もう一息のところです。

 それから浄化も、本当の浄化が強くなって病人が至る所に続々出て、死ぬ人が大変だという事も、大体その時期は分ってますが、まだもう数年くらいかかるらしいです。霊界が明かるくなるその順序から考えてみると、少なくとも二、三年先になって著しくなり、はっきりするというような順序になってきつつあります。これは最近はっきり分りました。ですから結局は神様はその準備を抜目なくされているのです。今読んだ論文などもその準備のうちの一つです。これらは時の進むに従って深い所やはっきりした言い方をします。それは分ってますが、文章に書くようにはっきりするのは、やはり時が来るとそうなってくるのです。ですからとに角面白いものです。それで神様の方は早過ぎもせず遅過ぎもせず、丁度うまい工合にやるのです。

 それからこの間も言ったとおり、肩の固いのを柔らかくするについて注意しなければならない事は、肩の固いというが肩の凝りは、昔から凝ると按摩でもむとか、普通よく叩いたりしますが、そういう頭があるために浄霊の場合も力がはいりやすいのです。ところが肩の凝りというのが一番固いのですからして、特にその力を抜かなければいけません。それはどれでも力を抜かなければいけないが、肩はどうも力を入れたい気分になりますから、それを逆に、肩が固いほど力を抜くと効果があり柔らかくなります。私も経験があります。始終按摩をやってましたが、按摩をやるほど、一時は気持がよいですが、後が凝ります。ですからだんだん強くなります。それに気がついてからは素人の女中にもませるようにしたために、それからはかえってだんだん凝らなくなりました。そういうようで、力を入れるのやもむのと反対に、力を入れずに柔らかくするというのが一番なのです。それでむしろ後から、凝りの中心辺りを狙ってやると、割合に溶けます。そうすると、この間も言ったとおり一番は食欲が非常に増えます。だから肺病なら衰弱を非常に少なくする事になります。それから消化不良とか胃下垂とか胃痙攣とかにも非常に効果があります。だから上半身の病気は肩を柔らかくするという事が一番よいという事を知って、肩を中心にやるとよいです。それから次は頸の廻りですが、特に延髄附近から淋巴腺、此処は大いにやらなければなりません。この間面白い事がありましたが、舌がつりロレツの廻らない人ですが、この原因が鼻の奥にあります。舌がつるのは普通は此処(顎下)で、横からつるのが普通ですが、縦につるのがあります。それは医学で言うアデノイドという所の辺からつるのです。ですからそういうのは、此処(鼻と口の真中の奥)と後の真中をやると、そのつるのがずっとよくなります。だからその原因というものは実に案外な所にあるものです。それから足や腰の悪い人で、頸をやってから良くなる人も沢山あります。上半身は今言うとおり肩を中心にするのです。下半身は何と言っても腰の真中で其処をやると足がとても軽くなります。又息切れもとてもよくなります。これは私自身の経験がありますが、前には坂を上ったりすると大分息が切れるのです。原因は肋間などはそれほど関係はないようだから、これはおかしいと自分で、今言う腰の尾骶骨の附近を浄霊したところが、足が非常に軽くなって息が切れなくなったのです。ですから今でも、箱根の山は坂が沢山ありますが、上るのに私はとても速いのです。若い人には負けません。しかし今の若い人はもっと酷いのがいて、私の方で加減してやっているのです。〝明主様はとてもお速いです。追いつかない〟と言う人がありますから、〝それは年のせいだ〟と言うのです。腰の此処をやるだけでそんなに違います。

 それからもう一つは女の人の化粧ですが、これでいろいろな事があるのです。第一は、化粧品つまりオシロイやクリームを止めると、半年乃至一年は真黒で、南洋の土人みたいになる事がありますが、それを我慢して通り越すと非常にきれいになります。これはこの間のお蔭話にもありましたが、これは化粧できれいになったのと違って、透きとおってきれいなのです。それからもう一つは、近頃の化粧品はいろんな薬毒がはいってますから、それがしみ込んで行って、顔の皮膚病が起こる人が随分あります。それから昔から逆上(のぼせ)性と言って、逆上せると顔が熱くなりますが、これは字で書いても逆上ですから、下から血が上るようですが、そうではないので、顔に浄化が起こって熱くなるのです。これも昔からオシロイはつけており、その時分のオシロイというのは非常に鉛を使います。それで此処に浄化が起こって熱くなるのです。それからもう一つ面白いのは或る立派な中教会長で、幾らかの痛みもありますが歯がグラグラになるというので私が浄霊してやりました。それから顔が非常に熱くて熱があるのです。それから熱をとるために浄霊すると歯がだんだん締まって来ました。そうすると歯のグラグラになるのは化粧品中毒なのです。実に恐ろしいものです。これは歯医者に行ったら、全部抜いて総入歯にしてしまうところでした。それからもっと恐ろしいのは、最近の事で、大分年をとった人ですがパーマネントをかけに行って変な薬をつけてもらったのです。尤も近頃は変な薬を使いますが、それが頭にしみ込んだのですが、そのしみ込んだ痛さにびっくりしたのです。それからだんだん浄化が起こって、浄霊しても効かないのだそうです。それでいろんな症状が起こって、霊的ではないかと、私の所に聞きに来ましたが、聞いてみるとパーマネントの中毒に違いないので、或る一定の日数がたって命に別条(状?)がなければ大丈夫だ、という事を言ってやりましたが、それから二、三日たって死にました。これも古い人です。ですから近頃はだんだん強い薬になって来たために、とんでもない事になって来たようです。だからして化粧品をつけないという事と、パーマなどでも薬を使わないでやってもらえばよいです。これは電気でちぢらせるだけですから、薬を使わなくてもできるのです。ただ長持ちをするというために使うのでしょう。とに角化粧品を止めるようにすると、とてもきれいになります。少しの辛抱です。それに大体お化粧するのは時間がかかるために、それは大変な損です。それからあれは又、夫婦喧嘩の一つの原因になります。私も経験がありますが、玄関で待っていて、何時までたっても出て来ないので、あんまり遅いから何をしているかと見ると、鏡台にかじりついて、こうやったりああやったり、自分の気に入るまでやってます。それから何処かに行って、劇場などで便所に行って幕が開いても出て来ないので行ってみると、一生懸命顔をたたいているのです。ですから女の化粧というのは一種の罪悪です。尤も根本はつまり人工的にきれいに見せようというのですが、それを昔から女の身仕舞とか何とか言って、女の道徳のように思ってますが、それはそういう理窟もあるけれども、実際言うとあれは誤魔化しで、一種の欺瞞行為です。これが顔だからよいようなものの、さもなければ、馬鹿な者が利巧に見せようとか、金のない者が金持に見せようというのと理窟は同じになります。大体女は暖かい心になる事です。そこで血がきれいになれば感じが良くなりますから、ただ皮膚だけを真白にしたところで、それよりか感じのよい方がかえってよいです。妙な話になりましたが、結局男でも女でも、感じがよいのが一番です。それは上面(うわつら)のきれいという事は、芸者とかパンパンとか女郎とかいう商売女にはよいでしょうが、始終附合うのは感じがよいというのが()きません。そこで芯からの美しさです。私はただきれいだけではさっぱり魅力がありません。(おだて)るわけではないが、やはり信者の人は実際感じがよいです。私は随分不思議に思う事がありますが、公平に有りのままを言うと、顔の形はあんまり感心しないのがありますが、その人から受ける感じが実によいので、不思議なものだなと思う事があります。そういうようで、化粧品も一つの薬毒ですから、そこで急に止めるというわけにはゆかないが、だんだん少なくして、ついには止めるという漸進的手段をとったらよいと思います。その結果は大いにプラスになると思います。現に化粧品を止めたためにきれいになってよかったと言って喜んでいる人があります。しかし薬毒を治すのと同じようで、一時的の事は仕方がありません。それがために利益するのは今言ったとおり大変なものですから、これがだんだん世の中に拡がるに従って、いろんな点に利益があると思います。こういう事もミロクの世の一つの条件かもしれません。

 

 

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