今年のお祭は珍しく雨が多いですが、これはやっぱり光が強くなった関係なのです。これは此処ばかりではなく、今年になって全国的に雨が多いのです。それは霊界で火素が多くなった関係なのです。この分で行ったら今に雨ばかりになってしまう事になるが、そんな事はありません。今年は光が特に強くなり始めたというわけで、つまり火素が多いという事は水が動くのです。溶け易い、流れ易い、つまり活動が強くなったというわけなのです。人間ならば心臓が強くなるので肺の活動が旺盛になるという意味なので、これは当然な話ですが、しかし光が強くなったという事は確かです。
それから今年は驚くほど米が不作です。なにしろこの数年のうちで一番とれたのが六千六百万石です。今年は農林省の発表では五千八百五十万石ですから、約七百万石違うわけです。というと大きなものです。それが毎年農地改良だとか何んとか言って非常に増産になるような方法をとりつつあるにかかわらず、結果の方は馬鹿々々しいマイナスになっているのです。丁度病気を治そうと思って大いに医療や薬をやるほど、だんだん病気が重くなるのというのと同じです。農業も、肥料をやらず何もしなければもっとずっと豊作にもなるし、又人間は健康にもなるわけです。この間「超愚」とい論文を書きましたが、つまり超馬鹿――馬鹿を通り越しているわけです。カラカサ屋の小僧と同じで、骨折って叱られるというわけです。ですから懐手していた方が余程ましです。それが文化が発達してみんな大いに教養を得て、一般的の智識なども向上したというわけなのですから、如何に見当が違っているかという事です。本筋を行ってないのです。それだからわれわれが大いに救う必要があるのです。しかしみんなが超愚でなく利口だったら敢えて救いの必要はないかもしれません。とに角今年の不作という事の原因は、東北地方の冷害、九州、近畿の水害、あとは病害虫という事になってますが、このうちで一番影響しているのが病害虫です。これは何時も言うとおり肥料が作っているのですから、それを分らせるためにみんな一生懸命になっているのですが、しかし今年のこの不作のために自然農法が注目されて大いに拡がるという、いい結果、いい効果がありますから、われわれの方から言うと、今年の不作という事は、やはり神様が如才なくおやりになったという事がよく分ります。そういうわけで信者以外で自然農法の普及会の会員になる人が各地とも非常に増えつつあるようです。ですからもう二、三年もたつと大変な勢いになるだろうと思ってます。医学の方と違ってこの方は案外早く全般的に知れ渡ると思います。今日は短い時間でいろんな事をお話しようと思ってますから、ラジオニュース的に簡単にお話します。
自然農法の事
米国の布教状況
美術館の事
理論神霊学―今大騒ぎをやっているのは理論物理学です。
光明台の建設
そこで次の米国の布教状況ですが、先月からロスアンジェルスに支部ができて活動を始めました。ばかに成績がよいのです。それで樋口さんは一旦ハワイに帰って十一月あたりに又ロスアンジェルスに行くつもりです。それで今度はサンフランシスコ、シヤトルにどっちも信者が三人ずつできたのです。ですから近々サンフランシスコとシヤトルに支部ができるわけです。とに角来年あたりの米国の発展は素晴しいものだと思ってます。私が一番狙っている、と言うとおかしいが、狙っているのはアメリカですから、アメリカにウンと救世教を弘めると、これは世界的になります。結局においてアメリカ人を信者にしなければならないのです。今までの日本の文化は、とに角白人に頭を下げさせたというのは僅かに古美術品ぐらいなもので、外にはありません。勿論宗教や何かでも全然ありません。ところが救世教は白人に頭を下げさせるのです。つまり間違いを直し、救うのです。そしてこの間の戦争は武力で頭を下げさせようとしたので失敗したのです。今度は反対の平和で頭を下げさせるのです。これなら先方は大いに喜ぶのですから結構な話です。その意味でやるのです。それで勿論ハワイもドンドン発展してます。つまりハワイが発展すれば米国はそのとおりに写るわけです。ハワイは米国の種みたいなものです。米国の雛形のようなものです。と言うより、むしろ世界の雛形かもしれません。それはハワイぐらい世界各国の人種が集まっている所はありません。そういうようで、外国の発展はいよいよこれから軌道に乗って来るわけです。それでアメリカ人が救世教に入れば、日本人の特にインテリ階級の目が覚めますから一番よいです。つまり逆輸入です。救世教が舶来宗敎になるのです。これが一番効果があるのです。
次に美術館は大分世間から認められるようになって、観覧者も非常に増えつつあります。それは去年とは比べ物にならないほど増えました。それから外人の方にも大分知れて来たとみえて、毎日何人か必ず来てます。そこで、今年はもう僅かですが来年の計画は、一番の呼び物、と言うと興業みたいですが、やっぱり美術館というのは、ごくお上品な興業です。あんまり下劣な興業物が多過ぎますから、少しは上品な興業もなくてはならないのです。向うは肉体的のストリップなどですがこっちは絵でストリップを見せるというわけです。それで浮世絵が非常に効果があったのです。非常に吸引力があります。ですから来年も第二回の浮世絵展をやろうと思ってます。それから来年は桃山展をやろうと思ってます。これは会期中を通じて本館の方でやります。別館の方では近代名品展をやろうと思ってます。それは明治以来のいろいろな良い物です。ところが東京などでやっている近代美術品展というのを見ると油絵が多いのです。ですから近代美術品展と言うのは嘘です。近代外国美術品展とするならよいです。日本でそう言うのなら日本の物を並べるのが本当です。ところがあれでは日本を全然無視しているのです。しかし実際言えば外国のより日本の方が上なのです。上のものを無視して下のものをやっているのです。これは時代がそうなっているので、舶来崇拝の結果です。それは間違ってますから、私は日本美術を主にした東洋美術に力を入れているのです。日本の近代名品展は六、七の二カ月やり、八、九、十の三カ月は第二回の浮世絵展をやるつもりです。ところで日本の近代美術というのは素晴しいです。これは殆んど門外不出のような物が多いのです。明治以来の名人の傑作を私は心掛けて集めたのですが、美術工芸品などではみんな知らない物が多いのです。例えば蒔絵では白山松哉、赤塚自得、植松包美の三人が明治以来の名人です。その他彫金の方では加納夏雄です。彫金にもいろいろありますが、加納夏雄がとに角頭角を抜いてます。それから陶器では板谷波山ですが、去年幾らか出しました。彫刻では佐藤玄々。次は平櫛田中です。それから、堆朱は揚成。竹細工では飯塚琅玕斎。絵の方では抱一、是真、雅邦、芳崖、栖鳳、鉄斎、春草、大観、玉堂です。そういう人達の作品を出します。これは相当に評判になるだろうと思います。不断ちょっと見られない物です。こういう物を外の美術館などで出した例はありません。博物館などでも出した事はありません。それはなかなか良い物があります。
それから今世界の有名な物理学者が五十数人来て会をやってますが、新聞などでも度々出てます。この理論物理学というのは湯川博士が世界的に有名をはせたので、それが機会で日本で開会する事になったのですが、とに角そのために日本が科学界の世界的水準というような地位を占めたという事は、その湯川博士の功績は大したものです。ところで理論物理学者の一番の主力としては物性論です。これはこの間も話をしましたから知っているでしょうが、つまり素粒子論から物性論に進んで来たのですが、素粒子というのは物質の最も微小なもの、顕微鏡ではまだ本当に摑まえられないくらいの小さなものです。それから物性論というのは物の性質と書くのですが、顕微鏡では把握できないが、つまりいろいろな試験によって、あるべきはずだ、なくてはならない、というような仮定的の理論です。その物性論というのについてのいろんな変化などをいろいろと発表してますが、また確定はしていません。みんな想像です。ですから開会式の時に湯川博士が〝丁度今の物理科学は暗闇の中をみんなであっちに行った方がよいとか、こっちに行った方がよいとか、各々その人の考えで見当をつけているような状態だ〟というような事を言ってますが、全くうまく言ったと思います。そういうわけで、物性論に行くと、その先はもう科学では駄目なのです。今科学は、つまり科学と宗教の丁度結び目に来たわけです。それで物性論の先に行けば、どうしても霊界に入ります。ですから私の言う霊という事はずっと先の事を言っているのです。それで浄霊で病気が治るという事は物性論よりずっと先の事なので、その間にもいろいろあります。それで、これから理論物理学のもっと先に行った理論神霊学というのを書こうと思ってます。つまり科学者に対する指導的理論なのです。けれども私が有名な科学者ではないので、どうせ新宗教の教祖なんていい加減な迷信鼓吹なんかやっているようなもので、ちょっと毛の生えたようなものとしか見ていませんから、ああいう人達に認めさせるという事はなかなか不可能です。しかし将来いずれ此処に来るに決まってますから彼等の行く先、つまり終点の駅の所在と駅のいろいろな構造を説明しておくというわけです。いずれは其処に行くのだから、其処に行ってから喫(吃?)驚して、なるほど神はある、科学では駄目だという事になるのです。それで宗教と言ったところで、今までの宗教は其処まで行ってないのです。今までの宗教は科学のちょっと先、物性論の一歩先までしか行っていないのです。ですから結局において負けてしまうのです。というのは宗教の方でも低いわけです。というのは宗教のうちの一年生ですからどうしても力が足りないのです。それと、徹底的に分らないために、どうしても科学に負けるのです。今まで科学に負けつつありますが、しかし科学よりは少し上の所がありますから負け切りにはなりません。従って救うという事はできないのです。それで救世教の方は科学よりずっと先の深いもので力があるから、科学で治らない病気が訳なく治るという事は、そこに力の相違があるわけです。そうしてだんだん科学の方でも行き詰まって来ます。これは湯川博士も〝理論物理学は行き詰まっている〟という事を言ってます。それでは止したらよいだろうが、止すわけにはゆかないのです。何んとなれば、終点の立派なものをまだ見ないから見当がつかない。そこでかじりついているのです。医学もそうです。とに角それを見せておけば、何時かは彼等が分る時が来るのと、それから分る人が増えますから、そこで刺戟を受ける機会もできるというわけで、あとは神様がうまくやりますから、案外早く分るようになるかもしれません。そういう事がアメリカの科学者があたりに知れると案外早い事になるかもしれません。とに角この間も言ったとおり、素粒子にしろ物性論にしろ結局微粒子の問題で、細かいものが分るとか、細かいものを摑まえようとしているのです。ところが細かいものと言っているのは手前の事で、結局は無限なので、科学で摑まえようとしても摑まえられないのです。そうなると粒子ではなくなり、無限力です。それが分れば科学も本当に分ったのです。そこでこの無限粒子というものが一番力があるのです。それが、粒子なら粒子を把握していろいろしても、結局原子科学などが最高なものです。今言っては少し言い過ぎるが、原子爆弾というのは少しも怖いものではありません。これを遁れる方法は何んでもありません。しかしそこまで行くと誇大妄想と間違えるから言いませんが、つまり科学界というのはそういう状態です。そこで、とに角超宗教の分野に入りかけつつあるという事だけ知っていればよいわけです。まるで学術講演のようになって、神様のお祭に相応わしからぬ話になりました。
それから、ついこの間光明台に設計に行ったのですが、大体一万人入る殿堂を造ろうと思ってます。今までは長方形に造りましたが、そうすると多人数は入りません。入れれば入らない事はないが、それではあんまり遠くになって実用になりません。私が話しているのを双眼鏡で見るような事になって、それではいけません。そこで今度は円形にします。つまり末広形にすると一万人ぐらいは差し支えなく入ります。そこで半円形でもなく、三分の二くらいが丸くなる扇子形です。この形は末広がりで発展する形です。この末広というのは大変な意味があるのです。よく目出度い時に白い扇子を持つという事はそういう意味なのです。ですから婚礼の時には白扇を持ちます。いろいろに使いますが、末広がりと言って、この形がよいのです。それで三分の二ぐらいに椅子をおきますが、そうすると一万人ぐらいは何んでもなく入ります。それで地形などもすっかり設計ができたので命じました。一番先にケーブルの下を通るトンネルをやりますが、それを言いつけました。そうして取った土を、今植木畑になっている所に埋めて、平にするのです。そうして其処に天理教でやっているような休憩所を幾棟も造って、これは勿論教団の経営ですが、一時凌ぎとしてはそれでよいでしょう。それから一万人入る殿堂の廻りに、二万人の人が立つだけの広さのものを造るつもりです。今では大きすぎますが、だんだんに丁度よくなります。それも熱海が出来てからでなければ順序がつかないのです。熱海は、会館と展望台は一緒に出来、その後に美術館が出来て、それから光明会館――或いは光明殿とするかもしれませんが――にかかりますが、大体そういうような計画です。これは霊的には大変な意味がありますが、それはだんだんに話をします。それで敷地だけに三年ぐらいかかりますから、建築にかかるのは三年ぐらい先になりましょうが、決まっただけを発表しておきます。
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