自然農法について今度大発見をしました。尤も私は自然農法の原理だけを教えたので、技術面の方はみんなの方で工夫するという事になったのですが、今度発見したのは技術面の方です。つまり無肥料を技術の工夫によって、より生かしたものです。生かしたという事は早めたわけです。今まで最初の年は非常に成績が悪かったのです。それを我慢して二年三年たつに従って肥毒が抜けるに準じて作柄も良くなるというわけだったのですが、今度は初年度から無肥料の成績がはっきりと現われるというやり方が分ったのです。というのは今までの長い間肥毒が下に溜まって、田の底がまるで壁みたいになっていたのです。よく考えてみると、それもその筈です。石灰窒素をよくやりますが、石灰窒素というのは鉱石で、言わばセメントみたいなものですから、今まではセメントを田の底にやっていたのだからして、田の土がまるでコンクリートみたいになっていたのです。それですから初年度はどうも工合が悪いのです。それで今度は深く耕す―天地返しというのをやるのです。そうするとその壁を破ってしまいますから、そこで稲の肥毒が余程緩和されるわけです。混じってしまうから僅かになるのです。そこで成績が良いのです。それで今度、初年度から五割増産の所があったのです。来年から増産になるわけですから素晴しいものです。この深耕の深さは一尺から一尺二寸くらいのところがごく良いそうです。それから株間は一尺から一尺一寸くらいが良いそうです。今までの株間が狭いのは成績が悪いそうです。というのは無肥料ですと非常に分蘖が多いのです。それから今まででもそうですが、日当たりが悪いと根の方まで日が当らない事になるし、従って田の水も日が当らない事になるのです。ですからあんまり繁ってしまうと、稲同志(同士?)で日が当らないようにし、水にも日が当らないようにしてしまうのです。そこで株間が広いと、第一水が温まる事と、蔭(陰?)が無くなりますから、そこで非常に育ちがよいわけです。そこで分蘖も多いし幹も太るという事になるからして、肥毒も無くなるわけです。そういうわけですから実りもよいし粒数が非常に多いのです。ですからそういう稲の茎などは随分太いそうです。まるで葦の茎みたいだそうです。そうなれば台風なども受け付けません。これがとに角無肥料栽培の一大改良です。そこで去年十八俵とった伊野という人は、無論今年も十八俵かそれ以上になるでしょうが、結局は反二十五俵まではとってみせると豪語しているそうですから、大変な事です。それに反して一般の今年の稲というのは、算盤をとってみるとますます減っていってます。今分っただけで政府の発表が五千八百五十万石ですから、去年からみると七百万五十石減っているわけです。この差額はますます甚だしく現在は全国的に減りつつあります。とに角政府でいろんな政策をとったり、又耕地も耕してますが、それにもかかわらず、どっちかと言うと減る傾向にあります。そうして人口の方は増えてゆきますから、このままで行ったら、どうしても日本は大悲観です。前途暗澹たるものです。これを一刻も早く救わなければならないので、焦眉(愁眉?)の急です。要するに日本の食糧危機と言ってもよいです。それで一面、今人造米とかをやっても、あんな不味い物は食い手がないでしょう。それで結局政府も工夫して、麦をやってパンを食べるようにしてますが、豊葦原瑞穂の国という言葉は消さなければなりません。それでこれをどうしても全国的に一度に分らせなければならないと思うので、今度大新聞の一頁広告を出そうと思ってます。自然栽培の理論と、今度の報告ですが、渡辺さんの報告と事務所の三浦さんの報告は実によいですから、この二つを実例として出します(。)それでいろんな原理の解説を書いて、それらを一纏めにして出します。なにしろグズグズしては居られません。全国民に原子爆弾をぶっつけ、そうして愕然とさせるというような手を打たなければ早く知らせるわけにはゆきません。これは信仰に入れというのではなく、これこそ読んだ人が誰でも実験できるのだから、分りさえすれば大変なものです。ですからこれはどうしてもこのくらいの事をしなければ追い付かないと思います。今書いてますが、なるべく誰にも分り、なるほどと思うように念を入れて書くつもりです。そうして一挙に日本人全部に分らせようと思ってます。題は〝全国民諸君よ〟という肩書で〝日本は救われた〟という大きな見出しにするつもりです。それで今まで、初年度は減る例があるという事がちょっと面白くないために、取掛らせるに困難だったが今度は初年度から素晴しい成績を上げれるとしたら、本当にそれを見たら、これは誰もがやらないわけにはゆきませんから、そこで神様はそういうふうな手を打たれたに違いありません。そこで今年の非常な不作という事は、要するに一大チャンスが来たわけです。この機を逃さず大々的にこれを分らせようというわけです。普及会の方でも、これから講演会やいろいろな事を大いにやるでしょうが、そういう方針でやるつもりです。
それから救世教奇蹟集が出来上がったので発行しようと思ってますが、新聞に広告を出すつもりです。なにしろ初めて出来た本ですから、広告文も、大体が理解できるとともに、どうしても読みたいという購読慾が出るような書き方でなければ面白くないから、そういうように書いたつもりですが、その広告文を今度初めて書いてみました。
〔世界救世教奇蹟集 広告文〕
世界救世教奇蹟集 広告文
(読売 昭和二十八年十月三十日)
凡そこの世に神は在るか無いかという事程、簡単にして難しい問題はあるまい。という訳は昔から今日迄肯定派と否定派とが何程論議を闘わして来たか分らないが、今以て結論は得られないにみても明らかである。これに就いて私としてもよく考えてみると、神が無いという方が当ってはいないかと思う。何故なれば目にも見えず、耳にも聞えず、手にも触れないからである。従って誰にでもハッキリ分る処の唯物科学を以て唯一無上のものと信じ、絶対的信頼を払っているのが現在である。処が困る事には何程科学が進歩しても、割切れない問題が次から次へ出て来るので、科学のみでは到底安心出来ないが為、或者は哲学へ、或者は宗教へ、或者は何々というように、何等か力強いものを求めてはいるが、それを満し得る程のものはないので、人々は不安に怯え乍ら、希望なき人生を送っているに過ぎないのである。成程文化の進歩は何も彼も便利となり、政治も社会機構も改善され、昔とは比べものにならない程恵まれているに拘わらず、右の如しとすれば現代文明の何処かに気の附かない大きな欠陥があるに相違ない事が考えられる。
では欠陥とは何かというと、即ち科学過信であって、特に智識人程そうであるから、何よりもこれに目覚めさせる事で、これが先決問題である。といっても智性の進んだ今日、何事も学理第一主義になっているから、この誤った考え方を是正し奇蹟によって神の実在を認識させる事である。従ってこれが一般に知れ渡るとしたら、玆に人類待望の平和幸福な世界実現は必然である。又昔から奇蹟は宗教に附物とされているが、その中でも彼のキリストの奇蹟である。これが同教発展の上に如何に大きな役目をしたかは、今日文化民族の大半が基督者であるにみても明らかである。それに引換え彼の仏教が、現在見る如き極東の一角に漸く命脈を保っているにすぎないのは釈尊在世中見るべき奇蹟がなかったからでもあろう。又今一つの重要事がある。それは昔から宗教、倫理、道徳、教育等々理屈を以て教化の方法として来たが、これも殆んど魅力を失ってしまった。というのは如何に巧妙な理屈といえども、事実が伴わない限り、人心を捉える事は出来ない。理屈だけで悪人が善人にはならない。理屈で幸福は掴めない。理屈通り医療を施しても病人は減らない。というように人間は最早理屈不感症となっている(只医学のみはそれに気附かないだけの事だ)然しこれより外に方法がない現在、ないより増しだ位に続けているのである。斯うみてくると今日真に人類を救い得る力のあるものは殆んどないといってよかろう。
処が驚くべし、この大問題を確実に解決出来る一大福音が生まれたのである。これこそ人間が夢想だもしなかった超人間力、即ち最高神の力であって、これが本教を通じて今や暗黒無明の世界をして、光明赫々たる世界に転化せしめんとするのである。その唯一の方法が奇蹟であり、本教位奇蹟の多い宗教は未だ嘗てないとされている。一例を挙げれば一信者にして、キリストと同様の奇蹟を顕わし得る者已に数十万に及んでをり、尚益々増加の傾向にあり、この事自体が已に一大奇蹟である。その実例百二十を載せてあるが、余りに超現実的なものばかりで、直ぐに信じ得られまいが、事実は飽くまで事実であり、全部本人手記のものである以上、疑念のある人は本人に直接打っかって訊くか、本教に来って直接検討されん事である。以上によってキリストの曰われた天国も、釈尊の曰われた彌勒の世も神の準備は已に成り、今や呱々の声を挙げんとするその直前が今日である。故に現在迄の人類苦闘史は、その陣痛の為でしかない事が分るであろう。
それからもう一つ、自然栽培が非常に良く出来るという事は、霊的の訳があるのです。それは信者になって光明如来様を御祀りしますと、無論光が出ますが、その光がその人の田地内に漲るのです。光が充満するのです。そこで光は熱ですから温かくなるのです。温かくなると言っても、普通の火のようにはっきりはしないが、何んとなく温かくなるのです。前に試験した人が、他人の田より二度温かいと言われましたが、とに角温かいのです。その光がだんだん強くなって来ました。私は何時も注意してますが、今日の此処の温度は十六度です。東京が十六度、鹿児島と福岡が十四度ですから、鹿児島より高いのです。今日の全国で一番高いのが東京と此処です。それで平均してみると此処は東京より幾らか高いでしょう。高い日の方が多いです。というのは私の光が強くなって来たので温かくなったので、それが体的にも温かさが現われるわけです。そういうわけですから、御神体から出る光も強いからして、どうしても其処の田が温かくなり、そのために良く出来るという事も大いにあります。しかしそれをあんまり言うと、どうも信者にならないと良い成績が上がらないというように思われると普及が遅れますから、それを未信者には言わない方がよいです。信者の人だけ心得て居ればよいのです。そうして信者になったらその説明をしてやればよいので、そうでなければ入り難いのです。そういうわけで、そこの囲いなら囲いの其処だけの霊界が違って来るのです。それで隣が信者でないと、そこにはっきりと境界されるのです。ですからよく信者の田は良く出来て、お隣はまるっきり違うという事があるのはそういうわけです。
それからもう一言話しておきますが、私は五カ年で五割増産という事をモットーにしてましたが、これは余程遠慮して言ったので、本当は十割、十五割なので、十割以上は増産できるのです。ところがそれではあんまり良過ぎるので疑いを起こすため、疑いを起こさない程度として五カ年にして五割増産としたのです。ところが今年は十割上は何んでもありません。さっき言ったとおり伊野さんなどは二十五俵とってみせると言っているくらいですから、十割以上は何んでもありません。それを私は前に言った事があるような気がしましたが、三年前に書いてありました。
〔昭和二十五年五月二十日付救世六十三号掲載の記事〕
『農業の大革命 飯米十割増産は易々たり』
(救世六十三号)
いよいよ、わが国民主食の自給自足時代の来った事を弘く天下に公表せんとするのである、全く驚異的農耕法は遂に完成したのである、ここにその真相を伝えるべく、本紙特集号を刊行する事となったので、国家のためまことに慶賀に堪えない次第である。
昔はとにかく文化日本となってこの方、農事については各般の施設改良に腐心し官民共に不断の苦心努力を払いつつ来たにかかわらず、今もって予期の成果を挙げ得られないのはなぜであろうかという事である、もちろんそれには原因がなくてはならないがその原因こそ従来の農耕法に一大誤謬のある事である、今その点を明らかにすると共に、真の農耕法を発表し、吾らが永年唱え来った無肥料栽培法とはいかなるものであるかという事で、今やその理論を実施の結果、正に画期的一大成果を挙げ得た事によって、最早一日の猶予もなり難く、ここに天下に発表し、全国農村に向かって一大奮起を促すと共に、即時実行に移られん事を念願して止まない次第である。
まずこの革命的農耕法がいかに卓越せるかを左に列記してみる。
(一)金肥人肥は一切使用せず、ただ堆肥のみで足りる事
(二)従って、高価な金肥購入の必要なく、施肥の労力も不用となる事
(三)虫害はほとんど皆無となる、何となれば害虫発生は金人肥が原因であるからである
(四)量目が増し、品質優良美味である事
(五)人肥を使用せざるため、近来大問題とされている、寄生虫の危険なき事
(六)風水害に遭うも草質強靱なるためほとんど被害を受けない事
右のごとく、増産以外の有利なる点も多々あり、実に想像もつかない画期的空前の農耕法である、この実際を知るにおいて、今日までの農耕法がいかに誤っていたかが判るのである、吾らからみれば、従来の農耕法は好んで、苦難の途に迷い込み、喘ぎ苦しみつつあったという事実で、ここに天の時到って全農民を挙げて光明の道へ誘い幸福者たらしめんとするのである、国民生活上、最重要なる食糧問題が一挙に解決出来るという本農法の実施が、再建日本の前途にいかに大なる光明をもたらすかは表現の讃辞さえないであろう。
別項、多数に上る実地報告〔略〕を一読すれば、何人といえども疑う余地はあるまい、しかしながら、初めて見る人のために本農法の原理を概略説明の必要もあろうからここにかくのである、そもそも本農法の原理は、今日まで永い間金肥人肥の毒素によって土壌を殺して来た事に気がつかなかったのである、それを反対である生かす方法こそ本農法の根本義である、というのは従来の農耕法の大誤謬は、土壌本来の力を無視し、作物は金肥人肥によらなければ充分な成果を挙げ得られないと固く信じて来た事である、これを判りやすくいえば、近来流行のアドルムやモヒ(モルヒネ)中毒と同様で、人間一度この中毒に罹るや、薬が切れると人間活動が出来なくなる、ちょうどそのように肥料中毒に罹っている土壌は肥料が切れると、土壌の活力発揮が出来ないという訳である。
実例報告にもあるごとく、無肥料実施の第一年目は例外なく、最初の数ケ月間は葉色悪く、茎細く、いかにも貧弱なので、隣人からは嘲罵を浴びせられ、本人も非常に心配するがこれ全く肥毒のためで、土にも種子にも肥毒が充分含まれているからである、ところが、その後成熟期が近づくに従って漸次好転し初めるのは、肥毒が漸減するからで、漸次土本来の活力を取り戻すからである、ゆえに一年目より二年目、二年目より三年目というように年を追うて収穫が増すのは、肥毒漸減と正比例するからである、従って無肥料栽培三年以後ともなれば、最低五割ないし十割の増産は確実である。
我国昨年度の産米六千三百万石であったから五割増産は正に九千四百五十万石となり、現在人口八千二百万人に対し、この上一億くらい増したとしても、実に余裕綽々たるものがある、のみならず米以外の雑穀、薩摩芋、馬鈴薯、豆類等、あらゆる物も増産となる以上、食糧問題の危惧は全く解消してしまうのである、右は最低を規準としての予想であるが、実際は十割ないし二十割の増産は可能であるから、数年後は食糧大増産に悲鳴を挙げる嘘のような時節が来るとしたら今からその対策を講じおく必要もあるであろう。
しかも、労力は半減する以上、世界的有名な日本農民の労働過重も一挙解決するのみか、肥料代その他の経済的利益も加わる以上、ここに農村の黄金時代は出現し天国は農村からという事も決して痴人の夢ではあるまい。
今一つ言いたい事は、この一大福音を天下に発表するについては、本教の宗教宣伝に用いるように思われやすいが、そのような意図は毫もなくただかくのごとき空前の一大発見を一刻も早く知らしめ、苦悩に喘ぐ農民を救い国家の繁栄に資せんとする以外他意はないのである、また実例中にある浄霊であるが、これはもちろん大いに効果はあるが、そのような信仰的手段をとらずとも、単なる堆肥のみの栽培で五割以上の収穫は確実である事を付言しておくのである。
それから今年の問題としては台風ですが、今年ぐらい台風の多かった事と、その被害の大きかった事はないでしょう。それについて、大抵今までに書いてはありますが、幾らか違った事も書いてみました。
御論文〔台風禍〕 【註 栄光二三〇号】
台風禍
(栄光二三〇号)
知らるるごとく今年程、後から後からと物凄い台風が現われた年は、今までに覚えがないであろう。そうしてこの災害たるや人畜をはじめ、田畑、道路、堤防、橋梁、船舶等々全部の被害を換算したら、どのくらいの額に上るか見当もつかない程である。ところが情ない事にはこの台風に対しての対策は、政府始め地方当局においても、余程以前から年中行事のように、鋭意あらん限りの方策を講じてはいるが、いずこも同じ秋の夕暮で財政逼迫、計画通りの実行はとても困難で、手も足も出ない有様である。としたら今後当然来るであろう数知れない台風に対しての、その不安たるや考えるだけでも慄然とするのである。それもこれも台風なるものの本体が全然不明であるからで、私はその根本を知らしたいためここにかくのである。言うまでもなくその原因は科学迷信の結果、何事も唯物的方法をもって解決しようとする、その考え方が根本を外れている以上、一時的膏薬張でしかないのである。
という訳で、どうしても真の原因である唯心方法によらなければ永久的解決は不可能である。では唯心的方法とは何かというと、つまり台風なるものの真の発生原因を知って、それに合う対策を立てる事である。それは度々言うごとく台風は天災ではなく人災であって、人間が作って人間が苦しむという呆れる程の無智なためである。といったら現代人は驚くであろうから、これを詳しくかいて一般の眼を覚そうと思うのである。そもそもこの世界とは見ゆる物質と見えぬ霊との二つから成立っており、ちょうど掌のようなもので、表(手の平)は体で裏が霊と思えばいい。つまり表裏結合一体となっている。そうして一切は霊が主で、体が従であるのが万有の法則である以上、現界に発生するすべては最初霊界に発生し、それが現界に移写するのである。ゆえに台風も最初霊界に発生するのはもちろんであるから、この発生原因を作らないようにすればいいので、それ以外の方法は決してないのである。ところがこの理を知らない人間は、結果である物質面のみを対象とする。ちょうど医学の対症療法と等しい訳で、一時的効果でしかない訳である。では霊的原因とは何かというと、すなわち霊界を曇らす事である。その曇りがある程度を越えるや、ここに自然浄化作用が発生する。これが台風であるから、この曇りを作らなければいいので、それには人間の想念と言葉に注意する。というのは想念が悪に属するもの、すなわち憎み、妬み、そねみ、怨み、嫉妬、不平等が霊界に反映し、気候不順の原因となると共に、今度は悪に属する言葉、行為すなわち讒侮〔誣〕、中傷、欺瞞、愚痴、卑劣、あらゆる罪悪等で、前者は一次元、後者は二次元の霊界を曇らす事になる。これを台風という自然浄化作用発生によって払拭するのである。
今一つは全然物質的原因である人肥金肥等の肥料、病虫害防止の薬剤等によって土を汚すため、自然はこの浄化のため大雨によって水で洗い流すのである。といったようにすべては人間の無智が作るのであるから、この事を知って原因を作らないようにすれば解決するのは当然で、大災も小災となり、小災も無災となる。これが宇宙の真理であるから、これを守る以外根本的効果のない事は断言するのである。
霊体を説明するには掌が一番よいです。手の平はいろんな役をし手の甲はあんまり役をしません。手の平は体の方です。ですから霊というのは目で見てはあんまり動いてないのです。その代り主にはなってます。人間の体で言えば、背中は霊です。それで背中の方に病原があるという事は、背中の方が因だからです。だから本当に仕事の急所をやる人ほど動きません。下の方の事をやる人ほど動くのです。ところが霊を知らないで体だけで見るから、そこで労働者が威張り、労働者が肝腎だという事を言い出し、それが共産主義です。ですから共産主義というのは霊を認めなければ共産主義の理窟は本当です。それはうまくできてます。ところが霊を認めれば共産主義というのは屁のカッパみたいなものです。ですからよく前から共産主義について私に意見を聞く人がありますがあんなものは何んでもない、今に無くなってしまうと言ってました。それは体だけであって、主なる霊という事を無視しているために永久性がないから、共産主義というのは長く続くものではないと言っても、外れません。そういうわけで働いているのが目に見えない者ほど、かえって大きな働きをしているわけです。だから主人公や主脳者というものは動いてはいけないという事を私は前から言っているのはそういうわけです。よく、明主様は地方の方にはお出かけになりませんか、と言われますが、それは車の心棒の例えで、心棒は動いてはいけないと言うのですが、それで分る筈です。そういうようで、よく先に立ってやらなければいけない、つまり主脳者とか長という人が先に立って采配を振れという事を言いますが、それは嘘なのです。昔から、戦争で大将などが先に立って采配を振ったらきっと負けます。やっぱり大将は幕の内に引込んで、姿を見せないというやり方の方が勝ちます。それはやっぱり霊主体従の法則に合っているからです。東条首相が戦争の時に南洋まで飛行機に乗って行きましたが、その時私は、これは駄目だと言ったのです。首相が官邸に居て碁でも打っているようなら勝つが、ああいうようではきっと駄目だと言ったのです。それから話は違うが、あの時代の実業家で社会に相当有名になった、浅野セメントを作った浅野総一郎という人が居ましたが、この人は朝早くから起きて、方々を駆け廻っているのです。それで一時パッとゆきましたが駄目になりました。そういう事も、私は不思議だなと思っていましたが、霊主体従の法則を知ってから、なるほどと思いました。そういうように、目に見えて働いたり動く事を良いと思う事は逆なのです。だから教団の支部なども、支部長があんまり先に立ってやるよりか、部下とか、或いは新しい信者といった人にできるだけやらせるというようにした方がよいです。戦争が始まった頃に陣頭指揮という事を言いましたが、軍部は軍需会社の社長が陣頭指揮をやらなければ駄目だ、引込んで居ては駄目だと言ってましたが、陣頭指揮をやるようでは駄目です。尤も昔時は戦争の時には、山賊などは親分がやらないと子分が動かないからやったのですが、そうでなく平和的の事をやるには、今言った法則を守らなければいけないわけです。だからただ活動する、あせったりいろいろするという事がよいわけではなく、やはり自分の地位と境遇に準じて理窟にあったやり方でなければいけないのです。だから骨折ってうまくゆかないという事がよく世間にありますがそういう点をよく見ると分るわけです。昔からよく言いますが、あんなに働くのにどうして年中貧乏をしているのだろう、又あの人は年中ブラブラしているのに割合に懐が温かいと言うが、その事を知ればよく分ります。そうかと言って怠けるのと、今言う霊的働きとは、外観はちょっと同じように見えるので間違えるのでしょうが、そこに面白いところがあります。結局頭を働かせるという事です。それから体を働かせるという事も、人間生まれながらにして自ずから決まっているのです。だから頭を働かせるべく生まれた人と、体を働かせるようにできている人と、喋るために生まれて来た人もあります。あいつは口から先に生まれて来たと言いますが、やっぱりそういう人が政治家なら始終演説をするとか、宗教家なら講義をするとかで、そういう人も肝腎だから、その役目でよいのです。
それから時間がないから短く話しておきます。講和以前にはあんまり話さなかったが、日本民族の優秀性という事です。この間科学者の会議がありましたが、外国でもいろいろな発見や意見がありますが、今に日本が一番になります。今に湯川博士のような人が沢山できて来ます。これは霊的に優秀だからです。それで日本人は機械を動かすとか、そういう事は下手なのです。これも日本民族の根本を知ると分ります。それを知らないからしてやたらに西洋の真似をしたらよいと思っているのです。この間も油絵の事で、そういった方面の人と話したのですが、日本は油絵がとてもフランスに負けていると言うから〝それは駄目だ、日本人は油絵がうまくなるような人種ではない。そういう事は外国人に任せておけばよい、日本人は東洋画をやればよいのだ〟と言ったのです。それは国民性があるので、日本人は墨絵をやればよいのです。一筆スーッと画いて現わすというやり方ですが、あっちはそういう天分がないので一生懸命に絵具をこするのです。それで効果は同じなのです。或いは日本人の方が上かも知れません。医者は機械や薬で病気を治そうとするが、こっちはこうやって浄霊で治すという事を日本人は知らないから、骨折って結果がうまくないというわけなのです。私はそういう事もだんだん分らせようと思ってますが、アメリカの目玉が光っているうちは、そういう事を言うと妙に見られますので、ウッカリ言えないが、そういう事もだんだん日本人に知らせなければならないのです。ところが今は何んでも彼んでもアメリカ崇拝です。頭はみんなやってますが、酷いのになると服装から顔から真似て、日本人放れ(離れ?)にする方がよいと思っているのです。これも或る程度まではよいですが、行過ぎると又妙な事になります。この間のように信者で髪を縮らせるために強い薬を使って、それが因で死んだ人があります。そういったような非喜劇があります。今銀座あたりでは、西洋人だか日本人だかわからないような、自ずから、二世のような恰好をしたがっているのがあります。こういうのも今言う西洋崇拝の被害です。というのは民族の違いを知らないからです。それは日本人は霊的に素晴しい優秀性を持っているのです。それを知らないから日本人は世界を相手にして戦争をするという太い了簡を起こしたのです。つまり何時も言うとおり、日本人は何処までも平和の国民なのです。つまり床の間に坐っているようなのが日本人です。そうしてあと座敷で働いているのは他国の人間です。だから日本人は何処までも美術、芸術を主にすれば本当に合っているからうまくゆくのです。大体服装でもそうです。和服というのは働く服装ではないのです。懐手をしてアグラをかく方です。そうして下駄をぬいで上がるという事は素晴しいものです。靴をはいて床の間に上がるという事は獣と同じです。寝室に土足のままで上がって行くのですから、犬小屋と同じ事になります。それは、よく見るといろんな面にあります。ですから日本人と外人、又東洋人でも、朝鮮人、支那人、インド人と違いますが、そういう区別もチャンとあるのです。つまり日本人は頭なのです。
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