この前話した農業特集号ですが、あれからよく調べてみると、肝腎な中京方面が数量に未だ予想が多いのです。予想では面白くないので、やっぱり正確な数量が出ないといけないのです。何んだ彼んだ言って本当に分るのは、どうしても今月一杯過ぎなければ駄目だそうです。それに佐渡の方面も去年は非常に良かったのですが、今年は未だ一つも来ませんから、どうしても春早々に出した方がよいと思って、一時延ばしますから、そのつもりで居てもらいたいと思います。なにしろ全国的に注目の的になってますから、少しでも不正確な点がありますと、やっぱりアラを見付けようと思っている者も居り、そこを大きく広げて地方新聞に出したり、そういう評判を立てたりするとまずいから、何処から突いても一点の誤りがないというように、できるだけ正確なものにした方がよいわけです。なにしろ、科学との戦いですから、隙があると科学の方で切り込んで来るのです。世界中が科学を神様のように思っている現在で、その科学をやっつけるのですから、こっちも余程戦備を怠りなく堂々とやらなければならないのです。
「救世教奇蹟集」はこの間読売新聞に出しましたが、毎日と朝日は首をひねっているらしいので、余程困っているらしいです。私はそれは百も承知しているのです。なにしろ数十万のキリストができているというのですから、良いとか悪いとかと批評はできないのですが、中を読んでみると事実に合っているのです。と言うよりも本人が書いたものなのですから否定するという事はできないし、そうかと言って、あんまり桁外れな、思いも付かない事であるために気味が悪いのです。私の方からみると実にナンセンスです。先方は真面目で、相当議論をしているだろうと思いますが、なにしろこっちのやり方があんまり時代よりか離れ過ぎているわけです。離れると言っても、上の方に離れているのです。
二、三日前にアメリカのシカゴ・トリビューンという大きな新聞――アメリカでも大新聞の方でしょう――の東洋総支配人の奥さんで、婦人の記者です――アメリカには婦人で偉いのが居ます――なかなか頭が良く、観察や、そういう事が実によく、日本人と違った見方をして居ました。相当に新聞に出すらしいのです。随分よく質問し、約二時間ぐらいいろいろと話をしました。これは無論相当紙面に出すようです。〝日本における兎に角飛び抜けた存在だ、飛び抜けたものが現われた〟というような見方をしているらしいです。そして救世教を紹介するのに、自分の所がトップを切りたいという意向なのです。当分の間はアメリカの他の新聞が若しか来ても、話をしない事と、広告をしない事と、そういう事を前もって断ったくらいですから、相当に認められるだろうと思ってます。やはり美術館によって一番心を動かしたらしいのです。ああいうようなものは、つまり日本には未だない、それからその根本は宗教だ、そこで主に宗教的の事を聞きましたが、その中で面白いと思ったのは、私が宗教の仕事をしたのは五十ぐらいからで、本当に専門にやるようになったのは約二十年ぐらい前からです。ところが釈迦やキリストは、生まれながらと言うか、ごく若い時に宗教の仕事をやった、私は五十からというのは実に世界に例がない、珍しいと言ってましたが、そういう見方などは、日本人にはちょっと気が付かないような事だと思います。いろんな話をしましたが、結局アメリカは緯の文明の中心であり、日本は経の文明の中心だ、だからどうしても経と緯を結ばなければならない。救世教はその結びの仕事をするという事は前から決まっているのだから、あなたが来られたのもそういう意味ではないかと思う、というような話をしました。それから熱海の地上天国も見せましたが、非常に驚いて感心してました。どうも見るもの聞くもの心を打たれる、だから何んと言ってよいか言葉がないと言って、とに角こういうような構想はアメリカにもないと言うのです。それでこういう事を聞いてました。〝こんな景色の良い所をどうして〟と言うから、〝私が八、九年前から手に入れてやった〟と言うと、〝それまで熱海の人がどうして残しておいたか、何もしなかったという事はどうも疑問だ〟という事を言ってました。〝それは此処は藪みたいで、こんなような形さえ全然想像もできないほどだった〟と言ったので、やっと分ってました。とに角これからアメリカの方もだんだん燃え始めるだろうと思ってます。ハワイの方はますます発展しつつありますから、近き将来ハワイはメシヤ島になるかも分りません。つまり殆んど救世教信者になるとすると、ハワイ島じゃなくてメシヤ島になるだろうと思ってます。そうすると世界的に注目されて来ますから、急激にハワイ全島に拡がるという事は、余程の脅威的力があるものに違いないというような事になって、そこでアメリカなども大分注目されて発展して来ると、そこで初めて日本の新聞とかそういうものが目が覚めて喫(吃?)驚する事になり、そうすればこっちの出版物でも何んでも喜んで歓迎し、それから又私の言った事は何んでも〝結構だ、本当だ、それに違いない〟と言って感心するというようになります。それまでの事です。大本教のお筆先に「燈台下は真暗がり、遠国から分りて来るぞよ」というのがありますが、今言ったような意味だろうと思ってます。なにしろ日本人は、つまり自信がないのです。劣等感が強いのです。それも無理がないので昔は支那文化で、何んでも支那でさえあればよいというのです。ですから骨董品もそうで、唐物と言えば大変喜ばれたものです。それで今茶入などでも唐物と言ってあります。尤も文字から一切支那の文化を取り入れたのです。ですから調べてみると、宮中―皇室の行事やいろんな事は支那のものを写したものです。昔から〝日本は駄目だ、どうしても外国で出来たものでなければ良い物がない〟というような、一つの伝統的にそういった信仰というようになっているからして、今でも舶来物でなければ駄目だというのです。尤も大体今の日本の文化はみんな舶来ですから無理もないです。化粧品の広告も、いやに〝アメリカ、アメリカ〟と出てます。アメリカで流行るとか、薬がどうとかとあります。ペニシリンの広告に〝アメリカ以上の効果がある〟とか出てます。しかし化粧品などは馬鹿げてます。アメリカの婦人と日本の婦人とは皮膚が違います。第一食べ物が違います。それを同じに思っているのですから、アメリカ崇拝の結果そういうふうになったわけです。ところが私はアメリカの文化が間違っていると言うのですから、余程くい違っているわけです。なにしろアメリカを救うというわけですから、或る時期までは〝救世教という奴は変な奴だ〟と言うのが、そうかと言って悪いものとは思えないのです――悪くはないのですから。良いものとしても、少し桁外れだし、そんな偉いものが日本から出る事はない、日本人でそんな偉い者はいないと決めているのです。特に決めているのは――これは世界的かもしれないが――キリストとか釈迦とか、ああいう人よりか偉い人はもう出るはずがない、地球上に現われるはずがないと固く決めているのです。私がキリストや釈迦などはずっと下だと言っても、正気の気違いくらいに思って、どうも少し変だととられるぐらいなもので、そう急には分るわけがないのです。これもあまりに桁違いなので仕方がないです。だから「奇蹟集」などは、いずれは大問題になるべきものです。
四、五日前に文部省の宗教課長補佐と朝日、毎日とか、その他のいろんな新聞の記者が六、七人で会いたいというので会いましたが、医学の事を言ったところが、〝近頃よく寿命が延びたという事を言うが、これは医学が進歩したのではないか〟という事を言ってました。それで簡単に説明してやりましたが、なかなか分りそうもないのです。その事を書いてみました。
御論文〔寿命が延びた理由〕 【註 栄光二三四号】
寿命が延びた理由
(栄光二三四号)
近来人間の寿命が延びたといって、この原因を医学の進歩としているが、これは大変な誤りである事をかいてみよう。それは何かというと、漢方薬と西洋薬との関係にある。すなわちこれまでの日本人が短命であったのは漢方薬使用のためであって、誰も知る通り漢方薬なるものは量を非常に多くのまなければ効かないとされているからである。ところが近来に至って漢方薬はほとんど影を没し、普通薬といえば洋薬を指すようになった。何しろ洋薬は毒分としては漢薬と大差はないが、量が非常に少いため害も少く、これが寿命の延びた理由の一つであって、歴史的にみても分る通り、日本においても上代は普通百歳以上であったものが、*紀元千百二十八年雄略天皇頃、支那文化と共に漢方薬も渡来し、その頃から病人らしい病人が出来ると共に、漸次寿齢も短くなったのである。
今一つの理由は近来薬学の進歩によって、浄化停止のための薬毒の力が強くなった割に、副作用の現われ方が延びたからである。そのため浄化と浄化停止との摩擦が余程緩和された事と、今一つは最近の薬の成分が今までとは全然異った、すなわち抗生物質の発見で、これが大いに効いた訳である。というのは医師も経験者もよく知っている通り、何程効く薬でも一つものを長く続けていると免疫性になり、漸次効かなくなる。そこで薬を変えると一時よく効くのと同様であって、抗生薬を続けるとしたらいずれは元の木阿弥となるのはもちろんである。というように薬効なるものはある限度があるから、治っても安心は出来ない。つまり根治とはならないからである。何よりも今日病気をもちながら、どうかこうか働いている人が非常に多くなった事実である。それは前記のごとく病の一時抑えが、今までよりも期間が延長したためで、これを進歩と錯覚したのである。従って若くして老人のような消極的健康者が増え、元気溌剌たる人間が段々減るのである。この例として近来の英、仏等の民族がそうである。ところがこの理を知らない我国の当局は、矢鱈に医学衛生を奨励し、無理をするな、大切にせよ等と注意を怠らないのは、健康が低下したからである事は、これで分るであろう。
(*紀元<皇紀>1128年=西暦468年)
ところがこれが長く続けばまだよいが、そう長くは続かないのです。というのは浄化がだんだん強くなって来ますと、そう長い事はありませんが、二、三年ぐらいが精々です。それから先は病人がベラボウに増えて来るのです。アッチでもコッチでも訳の分らない病人が増えて、何時も言うとおり、医者がちょっと手を付けるとコロッと死んでしまうというような時代が来ると、それから慌て出すのです。本当に医学の間違いは分るのはそれからです。それからがこっちの本舞台になるわけです。今はそういう時に働く役者を神様は作られるわけです。あなた方はみんなそういう人です。その時になると体が幾つあっても足りないという事になります。兎に角医者自信(自身?)が駄目だという事になります。注射でもしようものならコロッと行ってしまうという事になります。その時に〝救世教の奴はトンデモナイ事を言っていたと思ったら、これだな〟と、いよいよそこで頭を下げるのです。丁度稲作が今年は大変な凶作だというので、何処でも青色吐息しているというこれが、病気もやはりそうなるのです。ですから今その準備をしているわけです。
それから宗教についてちょっと面白い事を書いてみました。
御論文〔生きてる宗教〕 【註 栄光二三三号】
生きてる宗教
(栄光二三三号)
宗教にも生きてる宗教と死んでる宗教とがあるといったら変に思うであろうが、それをこれからかいてみよう。生きてる宗教とはすなわち実際生活に即したものを言うのであって、死んでる宗教とはその反対である。ところが世間数ある宗教の中で実際生活にピッタリしているものは絶無とは言わないまでもまことに寥々たる有様である。なるほど教えはどれもこれも実に立派に出来てはいるが、教化力の点に至っては気の毒ながら期待をかけられまい。しかし何百何千年前教祖開教当時は、その時の社会情勢に合い教化の力も大いにあったには違いないが、その後星遷り年変り、時の流れにつれて教勢は漸次衰え、現在のごとき状態となったのは周知の通りである。これも自然の成行であって致し方はないが、この事は独り宗教のみではない。あらゆるものがそうであって、ただ宗教だけは遅れて最後になった訳である。
しかしその間といえども時代に即した色々な新しい宗教が生まれたのはどこの国でも同じであるが、さらばといってそれまでの宗教を圧倒する程の力あるものは滅多に出ないので、いつか姿を消してしまうのが常である。その中でともかく近代に生まれ、今なお相当勢力を保っているものとしては、彼の日蓮宗と天理教くらいであろう。以上は大体の宗教の推移であるが、それはそれとして今言わんとするところのものは現代としての宗教のあり方である。知らるるごとく十八世紀以降科学文化の発展は、宗教にとっての一大脅威となり、それがため今日のごとき衰退状態となったのは争えない事実である。そのようなわけで、科学は恣いままに人心を掌握してしまい、今日科学の文字が入らなければ、人は承知しないようになってしまったのである。それだけならまだいいが、これが原因となって無神思想を生み道義の頽廃止まるところを知らざる有様で、国家社会は混迷状態となり、現在のごときさながら生地獄そのままの世界となったのである。しかも旧い宗教にあっては、今なお何百何千年前の教祖の教えを建前として、長い間に練り上げた教えをもって教化に努めているが、何しろ時代から余りに離れすぎたため教化の力とてなく、正直にいって現実性を失った骨董的存在でしかないことになってしまった。なるほどその当時は香り高い美術品として大いに用いられたには違いないが、今日となっては重要文化財としての価値だけであろう。ところが新宗教の中には右の重要文化財を恭しく飾り立て人寄せに利用はしているが、これとてもある時期までの生命でしかあるまい。何といっても素晴しい文化の進歩に追越され、宗教は遥か遠くへ置去りにされた形である。これをたとえれば飛行機や自動車、無線科学時代の今日、マサカ牛車や駕籠を持ち出したところで何の役にも立たないのと同様であろう。ここでいつもながらの自画自讃を言わざるを得ないが、本教は知らるるごとく歴史は歴史として尊重はするが、それにこだわる事なく、神命のまま独自の方針をもって進んでいる。しかも新生宗教としての若々しさは青年の血が通っており、今行っている事業にしても、医学や農業の革命は固より、あらゆる文化の欠陥を指摘し、新文化の理念を指導精神としている。その具体化の一つが地上天国の模型や美術館の建設であって、これこそ第一線的のものであり、もちろんこの狙いは汚され疲れた魂の憩いの聖地であると共に、俗悪極まる今日の娯楽に対する一塊の明礬として、人間の品性を高める事でもある。
以上のごとき本教の経綸は、個人的には健康、救貧、思想の健全化等に資するはもちろん、大にしては明朗不安なき社会を作らんとするのである。この事は近来識者間にもようやく認められ、注目の的になりつつあるのは喜ばしい限りである。しかし今は小規模であるが、いずれは世界的に拡充された暁、日本から平和幸福な理想世界の構想が生まれるわけで、これは敢えて夢ではない事を明言する。これらによってみても本教こそ真に生きた宗教のあり方でなくて何であろう。ただしかし遺憾に思う事は、現在新宗教を目する社会の眼は、残念ながらはなはだ冷淡軽侮的なものがあり、特にインテリ層程そうであって、本教に触るる場合といえども世間を憚るごとき心使いをする傾向のあるのは遺憾に堪えないのである。
しかしこれも無理はない。何しろ旧い宗教にしても、信者の数だけはおびただしいが、教養が低くいわゆる愚夫愚婦級の人が大部分であり、新宗教にしても顔をそむけるような奇矯極まる言動のものや、迷信的分子が多分に含まれ、常識眼で見てさえ苦々しく思うようなものも相当あるからで、これらもある時期までとは思うが、当事者には考慮を促したいのである。また右とは反対に古い聖者、賢人、教祖等の説を焼直し、新しい衣を着せて時代に迎合するような宗教学者もあって、外面からは進歩的に見え、インテリ層には受けそうには思われるが、果して実際生活にどれだけ役立つかは疑問であろう。これについて思い出されるのは、彼の有名な米国の哲学者ウィリアム・ジェイムズのプラグマチズムである。訳して哲学行為主義であるが、これを私は宗教行為主義に替えたいと思うのである。
それからさっき言ったシカゴ・トリビューンの記者にこういう話をしたのです。地上天国は箱根、熱海に造って、更に京都に造る。その次はハワイにも造るし、それからアメリカにも造り、漸次ヨーロッパから世界中に造る事になる。これは今まで公園は世界中何処にも出来ているが、公園ではあまりに大衆的で、ただ憩いとか、或いは子供の遊び場といったようなもので、レベルが低いのです。ところが地上天国の方はもっとレベルの高いものです。要するに美によって人の情操を高めるという考えでやるのだ、私はそういうものが必要だというのです。兎に角現在いろいろとそういった娯楽的に見るものとしては、あまりに俗悪過ぎて、要するにそれを見て品性を向上するというよりか、品種を堕落させるものが多いくらいです。そういった観覧物が一ぱいですから、その中で品性を高めるべき、要するに高級なものでなくてはならないのです。私の言う地上天国というのはそれが目的だ。だから公園のもっと上等なものです。そういうものを世界中に造って、美によって大いに人間の品性を高めるのです。そういうつもりだという事を話しましたが、非常に共鳴してました。そこで救世教は病気を治すという事は分り切った話です。それから農作物は食って余るくらい出来るという事も分ってます。それとともに人間の魂を磨き良くするのです。ところが今までは魂を磨くというと難行苦行でなくてはいけないと思っていたのです。いろんな修行です。それがこっちは反対で、楽しみながら魂を磨くというわけです。汚ない社会、厭な事を聞いたり見たりして、要するに心を始終汚してしまうのです。ですから時々はそれを洗濯するわけです。つまりその汚れを取るという機関がなくてはならないのです。それが地上天国です。それには美というものですが、美にもいろいろあります。ストリップでもやはり美です。あれは、神様の造った人間の若い女性というものは素晴しい美です。けれどもあの美は、美しいだけで品性を高めるという事とはちょっと逆です。だからあれも敢えて全部否定するという事は、道理学者的になりますが、ああいうものも見て結構ですが、それと共に品性を高める美というものも見なければならないのです。それにはどうしても地上天国的のもので、それには何時も言うとおり天然の美と人口(人工?)の美です。この人口(人工?)の美という事は、口では言うが、今までは駄目だったのです。その記者に言いましたが、立派な芸術家が苦心して作った良い物を、或る一部の特権階級が人の目に触れない所にしまっておいて、少数の自分の関係者に見せるという事と、財産保護法の手段としてそういう物を集めるというだけのもので、どうも甚だ本当ではない。それは非常に間違っているから、私はできるだけそういった立派な物を集めて、そうしてそれを誰でも見られる、一人でも多くの人に見せるという事が本当なのだから、その目的が主なものだという事を言ったが、非常に共鳴してました。これは日本人もそうですが、外人は特にそういう美の独占は非常に悪いという事を思っているのです。ですから国によっては、日本の国宝とか重要文化財という事もいけないと言って、フランスあたりでは、そういった非難があるそうです。国宝などと言って、自分の国に大事にしまって、外国の人に見せないという考えはどうも良くない、という事を言っているそうです。箱根美術館のようにああいった良い物を大衆に見せるという事は非常に共鳴するのです。兎に角民主的美術館です。ところで今までは外の個人的美術館というと、まず財産保護のためです。これは記者も言ってましたが、他の美術館は漸く春秋二回の僅かの期間見せるだけだから、どうも一種の財産保護のためのようで面白くないが、救世教の美術館はそうではなく一般に見せるという事は、今まで日本人ではやらない事だ、という事を言ってました。そういう事もよく見たと思って感心しました。又博物館はどうかと言うと、博物館は美術が本位でなくて、歴史学的、考古学的のもので学問的の一つの参考品です。本当に美術と言えば古美術であって、古い方がずっと良いのです。それで現代美術の方もこの頃は大分人の目に触れるようになりました。それから良い物でも西洋の絵は見られるようになりましたが、日本の古美術というのは誠に見られないのです。これは箱根美術館だけです。又支那の東洋美術にしても、それが本当に鑑賞できるのは箱根美術館だけです。その意味において外人も漸く認めて来たわけです。
それから今のシカゴ・トリビューンは、社員が四千二百人で、本社が二十四階だそうです。日刊の頁数は六十頁というのですから、ベラボウに大きなものです。
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