十一月二十六日

 ついこの間日展を見ましたが、それについて感想を書いてみたので読ませます。

 御論文 〔日展を観て〕     【註 栄光二三六号】

日展を見て

(栄光二三六号)

 私はこの間今年の日展にってんを見に行ったので、その感想を例によりいささか書いてみるが、先ず第一会場に入り一見するや、どうもいつもと違うのである。いつも日本画であるこの会場に、今年は洋画ばかりなので、不思議に思い、同伴どうはんの者にたずねた処〝これは全部日本画ですよ〟と言うので、私は驚いて目をこすながら、そのつもりでよく見ると、なるほどコレハ、コレハ全部日本絵具で画いた洋画ばかりなので、二度吃驚びっくりというわけである。それから順々じゅんじゅんに見ながら思ったことは、最早もはや展覧会の日本画は、昨年限りで消えて無くなったのである。伝統一千年を誇ったなつかしい我が日本絵画は、ここに終焉しゅうえんを告げたのである。思えば一掬いっきくの涙なきあたわずと言いたいのである。というわけで、私はよく考えてみた。一体これはどうしたのだろう、全く不思議だ、何か理由がなくてはならないと思うのは、私ばかりではあるまい。

 その時フト浮かんだのは、今日のそうである。ほかにも色々原因はあるであろうが、何と言っても日本人通有つうゆう西洋せいよう崇拝すうはい観念かんねんの為であろう。早い話が近頃ちかごろの青年の間に流行しているジャズにしても、若い女性の化粧、髪形かみかたち、服装などをみても、アメリカしょくはなは濃厚のうこうな事に驚く。又新聞広告を見ても、化粧品や売薬の宣伝文の中には、必ずアメリカ云々うんぬんの文字が目につく。というように、アメリカ文化の浸潤しんじゅんせいまじいものである。つまりこの波が美術方面に迄も流れ込んだのであろう。勿論絵画は仏蘭西フランスの波ではあるが、ヤハリ西洋せいよう崇拝すうはい思想しそうには変りない。これに就いて私は、東西に於ける絵画の歴史を振り向いてみた。それは、先ず日本に於ける東山ひがしやま時代の初期日本画である。当時支那しな宋元そうげん画が盛んに輸入され、それからヒントを得て生まれたのが狩野派かのうはである。当時有名な画家としては、周文しゅうぶん蛇足だそくけい書記しょきせっしゅう等から能阿彌のうあみ芸阿彌げいあみ相阿彌そうあみ元信もとのぶせっそん等に及び、桃山期に入るや、友松ゆうしょうとうはく雲谷うんこくえいとくさんらく探幽たんゆう等々、続々名人巨匠が現われた。

 処がここに特筆すべきいちがある。それまで支那画しながの伝統から一歩も抜け出られなかった日本絵画を見事みごと打ち破って、日本人独特どくとくの感覚を表現した革命的画風を創作そうさくしたのが、そうたつ光悦こうえつである。然もその後ひゃく有余ゆうよねんを経た元禄げんろく時代に至って、その流れをんで一層飛躍的大芸術を生んだのが、光琳こうりん乾山けんざんの二兄弟であった。処が面白い事には欧羅ヨーロッパに於ても、これとせつを合わしたような出来事が起ったのである。即ち中世期以来絵画芸術は愈々いよいよ進んで、写実しゃじつ一点張いってんばり極致きょくちに達したと共に、これと歩調を揃えたのがのルネッサンス様式ようしきであったが、これも一時は当時の工芸美術を革命的に、欧州おうしゅう全土を風靡ふうびしたが、ヤハリ絵画と同様どうよう行詰ゆきづまり状態となり、どうにもならなくなった時、突如とつじょとして現われたのがかれ光琳こうりんであった。何しろその画風がふうたるや、今迄のそれとはおよそ反対であって、大胆だいたんにして簡素かんそすべてを省略しょうりゃくして、物体の本質を遺憾いかんなく表わしたその技法ぎほうは、見る者をして驚歎きょうたんせずにはかなかった。これによって、暗夜あんやともしびを得た如く、眼開まなこひらけ、百八十度の転換てんかんとなったのは言う迄もない。その時を契機けいきとして、ここ前途洋々ぜんとようようたる道が開けたのであるから、事実欧州おうしゅう画壇がだんを救った光琳こうりんこそは、日本人の一大誇りと言ってよかろう。その後しゃらくうた麿まろ北斎ほくさい広重ひろしげ等の浮世絵の刺戟もあって、これら東方の息吹いぶきに蘇生そせいした欧州画界は、溌剌はつらつとして前進を始めたので、それから生まれたのが彼の前期及び後期印象派いんしょうはであった。セザンヌ、ゴッホ、ゴーガン(ギャン?)、ルノアール等の天才が、続々と生まれたのもこの頃であって、茲に近代的画風がきずき上げられたのである。以上東西の絵画史を考え合わす時、私はこうも思った。それは現在このもしからぬ西洋模倣もほう風潮ふうちょうも、いずれは行詰るに違いないから、その時こそこのからを破って、突如として驚異的きょういてき大天才が現われるであろう事は、期待きたいし得らるると思うので、従って現在の洋画崇拝熱もその課程かていとみれば、敢えて悲観ひかんようはないであろう。

 次に彫刻であるが、これは御多分ごたぶんれずと言った方がよかろう。その次の美術工芸品であるが、これも遠慮えんりょなく言えば見るに堪えない位である。何しろ古い伝統にはき足らず、そうかと言って西洋の模倣も出来ず、というのは、日本の風俗ふうぞく習慣しゅうかん制約せいやくもあり、材料ざいりょうの点もあるからである。と言って、何か新しい物を生み出そうとする旺盛おうせいな意欲は認められるが、その為の焦慮しょうりょ苦悩くのうの跡もにじみ出ているので、面白くない。併し、これら工芸美術も、根本としては絵画の歩みにつれる以上、当分は現在のままで進むより致し方ないであろう。以上思い浮かんだままを書いてみたのである。

 つまり根本の又根本の原因は、日本人がその自覚がないのです。という事は、白人よりも劣っていると思っているのです。だから何んでも西洋で出来た物ならよい、西洋人は偉いと思っているのですが、これが大変な間違いです。私はこの事も大いに言ったり書いたりしようと思ったのですが、これは終戦以前まではいろいろ書いたりしてました。私の「明日の医術」に書いてありますが、英国は月、米国は星、日本は日という事を書いた事がありますが、これも終戦後進駐軍が来てから、それを密告した者があるのです。しかしいい塩梅(あんばい)にそういう事はなくて済みました。そういうような工合で、日本人にそういう事を教えたいと思っていたのですが、なにしろ占領中はそういう事は言えないから黙まっていたのです。もう講和になった以上言えるから言うようなものの、実際日本人の方が白人よりも劣るというこの考えが大変に間違っているのです。これは日本人は世界一なのです。全く、日の本と言って、日の民族なのです。要するに太陽系民族です。つまり月の系統の民族が白人なのです。丁度、言わば金と銀です。ですからテンデ比較にならないのです。そのために私は〝アメリカを救う〟という本を出したのです。日本人は劣等感がありますから、あれを大変に大胆な、トビ上ったように見た人があるようですが、それを知らないからです。日本人は太陽系ですから、昼間の人種です。夜の民族を救うのは当り前で、少しの不思議はないのです。値打が違うのです。つまり金の値打と銀の値打の違いです。そういうようなわけで、芸術も日本人の方がずっと上なのです。だから日本人が油絵を真似するという事は、とんでもない間違いです。これはかえって外国人の方がよく知ってます。現代の日本画は外人はハナにもかけません。日本画と言えば、古い時代というほどの事もないが、油絵風にならない時の画は大いに買いもするし認めていたのですが、今の洋画風になってからは全然見向きもしないです。それでいてそれに気がつかないのです。それでこの間展覧会に行った時に、一体こういう画は売れるのですかと、その方の事を知っている人に聞いたところが、売れないと言うのです。一体どうするのかと言ったところが、これはいろいろな会社の応接間とか何かに頼んで掛けてもらって、そうして絵具代としてお礼をもらうというぐらいなもので、殆んど収入というものはないのです。第一アンナ物は買手がないです。いっそ油絵ならよいですが、日本画は馬鹿デカイのです。普通の家で買っても、床の間に掛けるわけにもゆかないし、屏風のようなものです。ですから宝の持ち腐れになってしまいます。私などは、くれると言っても要りません。それがウンと出ているのです。そのウンと出た何分の一が入選したのですが、私は見て気の毒でしようがないのです。その絹とか絵具代というのは大変なものでしょうが、勿体ない話です。それでそれを画く間暇をつぶすのですから、生活費とかそういう事を考えたら、あのくらいな浪費はないと思います。これは本当は止めたほうが国家のためにどのくらい利益になるか分りません。何んにもならない事をしているのです。それは日本画の良い絵なら日本人を楽しませる事もできるし、外国にも出す事ができますが、これでは日本人を楽しませる事はできないし、外人は見向きもしないです。今国家において一番無駄なものはそういう人達でしょう。それと病人を大事にしろ、肺病などは安静にして何年も寝ていろという、これも随分不生産です。だから日本が貧乏になるのは当り前です。今日本人ぐらい貧乏になる条件を備えている民族はないと思います。

 二、三日前にアメリカの女の新聞記者が来ましたが、その人の御亭主はNHKの外語放送をやっている人です。夫人は日本タイムスという新聞の記者で=私のことも今度出す事になってますが=いろんな話の中で、アメリカ人には非常に金持ができるというのですが、その金持の弁明をしているわけです。これは日本人は不断から、アメリカの金のあるのを羨んでいるのを、ちょっと言い訳を言うかのように言ってましたが、ロックフェラー<三世で、今は孫になっているそうですが、よく知っているらしいです>にしても、あんまり金ができ過ぎてしまって、もう金などは要らないと言っているそうです。だから頭は始終世界を平和にして、人類をみんな幸福にさせるという事しか考えていないと言うのです。それでロックフェラーだけでなく、アメリカの大きな金持というのはみんなそういう考えを持っているそうです。というのは、つまり非常に金が儲かる、金が溜まるような組織にもなっているし、日本みたいにそういう無駄とか、結果において不利益な事というのはアメリカ人は嫌いです。だから国が富んで、そのためにああいう、今言ったように日本人が崇拝するような国になってしまったわけです。そこで私はそれに対して、かえって私の方で言い訳を言ったのです。アメリカで金を集め、非常に富むという事は、自分達が贅沢したり威張ったりするというためでなく、世界を平和にするという事のためだ。それについては非常に金が要るから、アメリカで金を集めるという事は、根本は正義感だ。それでアメリカくらい正義感が強い国はないので、それで私はアメリカを非常によいと思っている。兎に角世界の正義を維持しているのはアメリカなので、それにはやはり非常に物資も要ります。例えてみれば軍備です。だからアメリカが金を集めるという根本はそういう目的だからして、大いに集めて金持が沢山できた方が結構だと思う、と言ってやりました。私は不断から思っているのは、若しかアメリカのあの富がなかったら、世界は共産主義になってしまいます。兎に角共産主義の根本は人類愛ではないので、世界を自分の支配下にして、そうして要するに世界封建――ロシヤ帝国を造って、そうして世界を自由自在にしようというので――そういった根本が悪ですから、それではいけないから、それを押(抑?)えるというのはアメリカの力です。朝鮮問題にしても、最初北鮮が南鮮を攻撃して釜山まで来た時に、若しアメリカが救わなかったら、もうとうに朝鮮は北鮮のものになっていて、南北朝鮮を合併して、その後を中共が押え、その後をソ連が押えているという事になります。そうしてその次には日本にやって来るに決まってます。ですから若しあの時にアメリカが乗り出さなかったら、日本は中共のものになって、われわれは共産政策の下にナッパ服のような物を揃って着ていなければならないのです。なにしろ中共の国民はみんなナッパ服です。それを兎に角中共を押えて、こうやって居られるのはアメリカのお蔭です。それをアメリカのそれに対して、怨むのではないが、怨ませるように煽動(せんどう)しているのです。社会党のように……。そうして軍備をさせないように一生懸命にやってますが、この軍備をさせないという事は、いずれは中共やソ連が日本をやっつける時に、日本に軍備があると余計な手数がかかるというわけで、全然ソ連の方の味方です。そうして投票までするのがあるのです。ただ軍備をなくすれば亭主も伜も兵隊にとられない、安全だというわけなのですが、そこにちょっと気がつけば何んでもないのです。そうすれば、ある程度はやはり軍備をしなければならなのです。如何に再軍備反対と言ったところで、そんな事にかまわずドンドンやってゆきますが、これはやはり神様は邪には味方しないので、正の方に味方するから、心配はありませんが、そういうようなわけで、なかなか簡単にはゆかないわけです。

 日本人は世界で一番優秀だという事は、勿論太陽の民族で、太陽系だからですが、日本人の中にも支那系と朝鮮系とあるのです。それで真の大和民族というのはごく少ないのです。これは少ないのは当り前で、良いものほど少ないのです。神様はチャンとそういうふうに造ってあるのです。丁度ピラミッドみたいなものです。一番上に行くほど範囲が小さくなってますが、それと同じで、日本人が一番少ないが、一番優秀なのです。そうして日本人の大和民族というのは一番争いを嫌うのです。絶対に争わないのです。戦争を嫌うのです。ですからその真の日本人の中心が私なのだから、私は武器を嫌うのです。私は博物館に行くと何時も、刀のある所は脇目(わきめ)もふらないで通り過ぎてしまいます。とても気持が悪いのです。だから私は美術品は随分集めるが、刀剣類は一つも集めません。大和民族というのはそういうものです。ですから大和民族が世界を支配する時がミロクの世界です。しかし目下の人間は、争いが好きな、戦争が好きな――戦争が好きと言ったところで、やっぱりみんな嫌いなのです。戦争は国家と国家の争いですが、個人と個人の争いという事は好きなのです。これが一番分るのは政治家ですが、政治家ぐらい喧嘩の好きなのはないです。何んでもない事で、穏やかに丸く済む事を、熊々喧嘩の材料にするので、見ていると実におかしいのです。今一番やっているのは、鳩山の方と吉田の方とが手を握ろうか握るまいかと、ウンだりツブしたり毎日のようにやってます。鳩山は吉田と仲良くなりたいと言うし、吉田の方も鳩山の方か改進党の方がなかったら絶対多数にならないので、それでは政治はできないから、どっちかを自分の方と一致しなければならない。しかし改進党の方は重光がナンダカンダと文句を言って、改進党の党員もいろんな苦情を言って容易に軽く行かない。そこで鳩山に目をつけて、この方が可能性があるからですが、今や両方が手を握らんとしている事ですが、ああいう事も、至極簡単に行く事です。そうして党員の中にナンダカンダと言って、つまらない事で、理由もなく、面目上か今までの成行(なりゆき)かで、変な事を争っているのです。だから戦争は嫌いだが、個人的争いは実に好きです。尤も、小さくは夫婦の争いですが、おそらく夫婦喧嘩をしない家庭よりも、する家庭の方がずっと多いでしょう。十軒の内に夫婦喧嘩をしないというのは一軒もどうですか。それから兄弟喧嘩と、実に喧嘩が好きです。そういうようなわけで、これは大和民族が喧嘩の嫌いなそういう民族が、今まで下積みにされていたわけです。そうして喧嘩の好きな系統がみんな上に立ってやっていたわけです。これを神様が平和的に、平和の好きな方の趣意(しゅい)に賛成するわけです。というのはやはり平和の力ですが、平和の力というのは、一番面白いと思うのは、私が今書いているのは、殺人原爆――人を殺す原子爆弾――と、活人原爆ですが、私の方でこうやりますが、これは人を活かす原子爆弾です。ところが、人を殺す原子爆弾は今まで人類にはなかったのです。最近に到って人殺し原子爆弾というのが現われて、世界中に一大恐怖が起こったわけです。ところがこうやって人を活かす原子爆弾も今まではなかったのです。丁度人殺し原子爆弾が生まれると丁度同じように、人を活かす原子爆弾が現われたわけです。これは神様もなかなかうまくやられたわけです。ところが人を殺す原子爆弾の方は形に現われるから、一度に世界に知れてしまったが、人を活かす原子爆弾の方はなかなか急には分らせられないのです。しかしながら、なにしろ神様がやっているのですから、世界中に分るのは決まってます。ただこの方は少し暇がかかるだけのものです。そこで人を殺す原子爆弾が最後に出て、それから人を活かす原子爆弾が出て、そこで初めて地上天国が出来るのです。そういうように考えるとよく分ると思います。そういう人を活かす原子爆弾、要するに平和を造る力というものは大和民族でなければならないのです。そこまで分らせなくても、日本人の優秀性は他の例でも沢山ありますから、私はだんだんそれをアメリカ人に分らせようと思ってます。しかしそれには余程慎重にやらないと、又日本人の奴馬鹿に偉がって、前のような事でオッ始めると大変だ、というそういう概念もありますから、どうしても浄霊で病気を治すという事が最初です。これをすっかり分らせなければならないのです。

 それと、一つは宗教的に行くのですから、或る程度は最初から変な目で見る事はないです。アメリカの一部には大分救世教という事に関心を持って来て、つまり有識階級の人達が私に会いたいというような話もあります。それで一昨日来た日本タイムスの記者なども、自分は日本に四年居るけれども、あなたのような意見の人は日本人には一人も無い、自分も非常に共鳴するという事を言って、非常に褒めてました。というのは、一つは私が大体アメリカ人に似ていて、日本人離れがしているので、アメリカ人にはピタッとゆくのです。大体美術評論家なので美術に対する眼識は日本人にもないくらいよく分ります。私も感心したくらいです。それでこういう事を言ってました。自分は世界のあらゆる美術館を見た。なるほど立派な物も素晴しい物もあるが、唯それだけであって箱根美術館みたいに、いろいろな自然の風景とか草木、石類を調和して、一つのああいった雰囲気というものの造られている所は一つもない。それについて自分は実に打たれる。あそこに居るとどうしても去る事ができなかったと言うのです。一昨日来たのですが、時間がないので到頭(とうとう)思い切って帰ったというくらいで、あれほどの美術館というのは実に素晴しい物だと言って感心してました。今度は主人を連れて熱海の方も見るつもりだそうです。

 それから宗教の方にもなかなか関心を持っていて、宗教の話も随分しましたが、なかなかの見識があります。そこで、これからアメリカ人の偉い人を連れて来るからよいかと言うので、結構だからいつでも私は万障繰合わして会うからと約束をしました。そういうような工合で、全然日本人と違って非常に分りよいのです。宗教の事なども実に分るのです。というのは、どの点が私と一番一致するかというと、現実主義な事です。その仕事が形に現われる結果という事に一番重きをおくのです。それからこういう事も言ってました。即ち、日本一は明治天皇を非常に偉いとして崇拝している。しかし自分から見れば明治天皇は、軍人を沢山作った事と、武器を大いに作ったというそれだけではないか、だから平和に対する事は別に大してやってないではないか、という事を言ってましたが、これもアメリカ式の現実主義です。ですから私は、宗教も拝んだり太鼓叩いたりするという事は別に意味がない。それよりか病気が治るとか幸福になるとか、悪人が善人になるとか、本当に現実に現われる、それだけが宗教の価値だと考えてます。アメリカ式の考え方もそれですから、そこで話がよく合うのです。ところが日本人の一番悪い点はその点にあります。事実を無視する事です。例えてみれば、今度の「救世教奇蹟集」にしても、読売は出しましたが、朝日、毎日は広告を出さないのです。つまり私の言う事が、あまり意表に出るので、今までの宗教の言い方や説とは違うから、そこで恐れをなしたのだろうと思います。しかし一般ジャーナリストは、〝医学のイの字も知らない、おまけに新興宗教で、近頃ニョキニョキと頭を出したくせに、コンナ大それた〟という事で、事実を見ないで、ただそういったような理窟にならない理窟をつけて、そうして自分ではそれが良いと思っているのでしょうが、そういった現在です。ですからこれがアメリカ式にゆくと、何がなんでも、兎に角何者がこういう事をしても、事実医学よりもよく病気が治ればよいではないか、それを取上げるのがよいという考え方です。そこにアメリカがああいう立派な国になる根本があるのです。日本は、島国根性が抜けきれないで小乗的になってしまうのです。それが何にでも現われてます。話は違うが、今もって芝居やラジオで忠臣蔵をやってますが、これも日本人の今もって囚われた島国根性から抜けきれない証拠です。ですから忠臣蔵で、一生涯を犠牲にして自分の殿様の仇をうつというのですが、そういうような考え方として、結果は一体日本人の幸福に対してどれだけの役に立つかという事を言いたいのです。若し役立つとすると、その当時の権力者、大名などに対する忠義という事は、その大名が権力を維持する上においての一つの手段です。それがために一般民衆は何んにもならないので、少しも幸福の役に立つわけではないので、それを大したように思い、又思っている考えがあるので、それだから興行師がそういう物を扱うようになるのです。ですから今の本当の民主主義の思想と、くい違いも甚だしいです。日本人のこういった小さな思想を、もっと世界的に人類愛的に拡げるのが一番必要なわけです。そこで宗教も、ただ日本人だけを信仰させるというのでは、およそこれからの世界とは違っているわけです。世界救世教として、一番にアメリカ人を救おうと思ってます。そうすれば世界を天国の世にするにはこれが一番効果的であるし、手取(てっとり)(ばや)いです。神様は勿論その御心なのです。

 

 

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