この間上野の日展を見ましたが、その感想を書いてみたので読ませます。
御論文 〔日展を観て〕 【註 栄光二三六号】
日展を見て
(栄光二三六号)
私はこの間今年の日展を見に行ったので、その感想を例により聊か書いてみるが、先ず第一会場に入り一見するや、どうもいつもと違うのである。いつも日本画であるこの会場に、今年は洋画ばかりなので、不思議に思い、同伴の者に訊ねた処〝これは全部日本画ですよ〟と言うので、私は驚いて目を擦り乍ら、そのつもりでよく見ると、成程コレハ、コレハ全部日本絵具で画いた洋画ばかりなので、二度吃驚というわけである。それから順々に見ながら思ったことは、最早展覧会の日本画は、昨年限りで消えて無くなったのである。伝統一千年を誇った懐かしい我が日本絵画は、ここに終焉を告げたのである。思えば一掬の涙なき能わずと言いたいのである。というわけで、私はよく考えてみた。一体これはどうしたのだろう、全く不思議だ、何か理由がなくてはならないと思うのは、私ばかりではあるまい。
その時フト浮かんだのは、今日の世相である。外にも色々原因はあるであろうが、何と言っても日本人通有の西洋崇拝観念の為であろう。早い話が近頃の青年の間に流行しているジャズにしても、若い女性の化粧、髪形、服装などをみても、アメリカ色の甚だ濃厚な事に驚く。又新聞広告を見ても、化粧品や売薬の宣伝文の中には、必ずアメリカ云々の文字が目につく。というように、アメリカ文化の浸潤は凄まじいものである。つまりこの波が美術方面に迄も流れ込んだのであろう。勿論絵画は仏蘭西の波ではあるが、ヤハリ西洋崇拝思想には変りない。これに就いて私は、東西に於ける絵画の歴史を振り向いてみた。それは、先ず日本に於ける東山時代の初期日本画である。当時支那宋元画が盛んに輸入され、それからヒントを得て生まれたのが彼の狩野派である。当時有名な画家としては、周文、蛇足、啓書記、雪舟等から能阿彌、芸阿彌、相阿彌、元信、雪村等に及び、桃山期に入るや、友松、等伯、雲谷、永徳、山楽、探幽等々、続々名人巨匠が現われた。
処が玆に特筆すべき一事がある。それまで支那画の伝統から一歩も抜け出られなかった日本絵画を見事打ち破って、日本人独特の感覚を表現した革命的画風を創作したのが、彼の宗達と光悦である。然もその後百有余年を経た元禄時代に至って、その流れを汲んで一層飛躍的大芸術を生んだのが、彼の光琳、乾山の二兄弟であった。処が面白い事には欧羅巴に於ても、これと符節を合わしたような出来事が起ったのである。即ち中世期以来絵画芸術は愈々進んで、写実一点張の極致に達したと共に、これと歩調を揃えたのが彼のルネッサンス様式であったが、これも一時は当時の工芸美術を革命的に、欧州全土を風靡したが、ヤハリ絵画と同様行詰り状態となり、どうにもならなくなった時、突如として現われたのが彼光琳であった。何しろその画風たるや、今迄のそれとは凡そ反対であって、大胆にして簡素、凡てを省略して、物体の本質を遺憾なく表わしたその技法は、見る者をして驚歎せずには措かなかった。これによって、暗夜に燈火を得た如く、眼開け、百八十度の転換となったのは言う迄もない。その時を契機として、茲に前途洋々たる道が開けたのであるから、事実欧州画壇を救った光琳こそは、日本人の一大誇りと言ってよかろう。その後写楽、歌麿、北斎、広重等の浮世絵の刺戟もあって、これら東方の息吹きに蘇生した欧州画界は、溌剌として前進を始めたので、それから生まれたのが彼の前期及び後期印象派であった。セザンヌ、ゴッホ、ゴーガン(ギャン?)、ルノアール等の天才が、続々と生まれたのもこの頃であって、茲に近代的画風が築き上げられたのである。以上東西の絵画史を考え合わす時、私はこうも思った。それは現在好もしからぬ西洋模倣の風潮も、何れは行詰るに違いないから、その時こそこの殻を破って、突如として驚異的大天才が現われるであろう事は、期待し得らるると思うので、従って現在の洋画崇拝熱もその課程とみれば、敢えて悲観の要はないであろう。
次に彫刻であるが、これは御多分に洩れずと言った方がよかろう。その次の美術工芸品であるが、これも遠慮なく言えば見るに堪えない位である。何しろ古い伝統には飽き足らず、そうかと言って西洋の模倣も出来ず、というのは、日本の風俗、習慣の制約もあり、材料の点もあるからである。と言って、何か新しい物を生み出そうとする旺盛な意欲は認められるが、その為の焦慮苦悩の跡も滲み出ているので、面白くない。併し、これら工芸美術も、根本としては絵画の歩みにつれる以上、当分は現在の侭で進むより致し方ないであろう。以上思い浮かんだままを書いてみたのである。
今読んだように西洋崇拝はいろんな事にありますが、美術面に影響されるのが、一番厄介なのです。というこの根本は人種的の見方、つまり日本人より西洋人の方が優秀だと思っている観念が大変間違っているのです。本当言うと日本人は民族的には世界で一番優秀なのです。これを私は日本人に知らせようと思って、終戦前はよく書いたり言ったりしたのですが、最初の「明日の医術」などに出てます。あれには〝日本は太陽の国で、英国は月の国、米国は星の国〟という工合に書いてあります。けれども終戦になってからそういう事を言うと大変ですし、パージにする資格があるというので随分危なかったのです。これはアメリカとしては無理はないのです。日本人がああいう戦争を起こしたのは、つまり自分の国の優秀性、八紘一字というあれが元ですから、それを心配するのは当り前です。だからそういう事には全然触れなかったのですが、しかし今日になってみればやはりそういう事を日本人に知らせるという事は必要なのです。と言ったところで、別に野心があったりして言う意味ではないのです。お国自慢とか国粋という事とは違い、本当の事です。特に美術などは日本人が一番です。これは私みたいに始終美術館を扱っているとよく分りますが、大体仏像などでも、これは支那から来たものです。支那の北魏時代と言って、丁度千五百年くらい前で、唐の少し前です。その時代に支那では仏像美術が非常に発達して、俗に六朝時代と言いますが、この時代の仏像が一番良いのです。それが唐の時代から日本に入り始めて、奈良朝時代になって俄然として、それをお手本にして日本が真似をしたのですが、ところが真似をするや否や、日本の方がずっと上手になってしまったのです。ですから日本の仏教彫刻或いは絵画でもそうですが、それは支那のとみると、まるっきり比べ物にならないです。それでどの点が一番勝れているかというと、日本仏像のお顔は非常に慈悲に満ちて柔らかく品格があるのです。それこそ拝む気になるようなよいお顔とお姿なのです。これは奈良に行けば沢山あります。ところが支那のは何んだか変なのです。安ッポイのです。間の抜けたような、仏像じみないで人間のような顔なのです。明治以後の仏像は人間じみてますが、これはやっぱり思想的にいやしくなったのです。そういうようなわけで、日本人の美の感覚というのはとても勝れているのです。という事は、人種的にそうなのですから当り前なのです。それからみると、他の国、少なくともヨーロッパ人などの美の感覚というのは、日本人から言うとずっと低いのです。それで白人はいろいろな機械を作るとか、或いは組織を作るとか、社会的のいろんな施設とか、そういう事には非常に勝れているのです。これは日本人より上なのです。ところが美術、芸術という事は日本人の方が上なのです。だから日本人は外国の芸術を取り入れて、それ以上立派な物にするという、それが日本人の本当の天分です。それを知らないからして、そういう事も日本人の方が劣るという劣等感が今日の日本画を堕落させたわけです。そういうようなわけで、機械とか、実用品は外国の方がよいのです。それから装飾品は日本人の方が上だ、というその違いさがはっきり分ればよいのです。ですから今は目茶々々になってしまったわけです。丁度人間の病気を機械や、木や草や鉱物などをのんで治そうというのと同じ事で、自ら違うという、それを知らないのです。そこに西洋文化の誤謬があるわけです。それで救世教はそういう事を知らせるのが大きな仕事なのです。そうして本当言うと日本文明――と言ったところで、今までの文明ではなく、これから私がこしらえる文明が世界的になれば、初めて地上天国が出来るのです。それ以外には、どんな事をしても駄目なのです。ですからいくら平和とか条約とか連盟とかをしても、それはやっぱり薬で一時押えをするようなもので、絶対にうまくゆく筈はないです。事実年中世界中は、ヤレ国際連盟とか平和連盟とか、いろんな事を言ってますが、ただそう言いながら、お互いに軍備をドンドン進めて、大戦争を起こす準備をしてます。だから世界の平和とか、本当の文明というのは、白人の頭では無理なのです。これは日本人の頭でなければ駄目なのです。ところが日本人の中にも、本当の日本人というのはごく少ないのです。つまり大和民族ですが、これは少ないので、殆んど支那と朝鮮です。私が何時も言うとおり、丁度一割ぐらいが日本人の大和民族です。ですから八千万の内八百万が大和民族で、あとの九割は支那系、朝鮮系なのです。それでその八百万の系統の内にもやっぱり上中下に分れているのです。しかし大和民族のごく上等の人も直ぐに嬉しがる事はできないのです。というのは日本がごく上代に支那、朝鮮に征服されたのですから……。それで征服されたために大和民族がその方の家来になったり、援護者になった人が相当あるのです。だからそういう人は、つまりそういった色に染っている人が沢山あるのです。それでその色をとっていって本当の純粋の大和民族になるという事が、今神様の方でやられている事なのです。それでその優秀な民族が本当の文明、つまり世界の文明を作りあげて、初めて地上天国が出来るのです。根本はそういう訳なのです。
この間日本タイムスという、アメリカ人がやっている新聞の婦人記者が来て、今までの文明は地獄を作る文明だ、それで私は天国を作る文明に作り変えるつもりだという話をしましたが、非常に共鳴してました。その人の主人というのはNHKの英語放送をやっていて、これも立派な人ですが、その婦人が外字新聞の記者になっているのです。素晴しく頭の良い人で、話がとてもよく分って、自分はこれから米国から偉い人が来たら連れて来るから会ってくれるかと言うから、私の方では喜んで会うから、できるだけそうしてもらいたいという事を言ったのです。その人は日本に来て四年になるそうですが、日本が非常に好きで、今度日本で家を買って、総て日本的の生活をしているそうです。つまり畳に坐って、食べ物も日本の物で、そうして日本の研究もあるし、日本が好きな点もあるのです。美術評論家なので、世界中の美術館を廻って見たけれども、この箱根美術館は素晴しい物だと言うのです。どういう訳かというと、世界中には随分立派な物があり、日本に来ても奈良とかに良い物があるが、ただそれだけのもので、一つの雰囲気が作られてない。箱根は、美術館ばかりでなく、総ての木や草、石、いろんな物において、非常に巧に芸術的に造りあげている。つまりその感じが何んとも言えない。だから自分は帰れなかったというのです。だから随分見ていたそうですが、時間がないので中途で止したくらいだそうです。つまり気持が溶け込んだような気持になって、こういうような感じを与える所は世界中にないと言うのです。だから非常に嬉しいと言うのです。ところが私も、そこを見てもらいたいのが一番の狙い所なのですから、私も非常に満足したわけです。そう思っている人もあるでしょうが、そういう工合にはっきりと言った人は今までなかったものですから、私も非常に気持がよかったのです。それともう一つは、日本人で私のような考えを持っている人は初めてだと言うのです。というのは、私の考えとアメリカ人の考えはよく合うわけです。ですから私のやる事はアメリカ式が非常に多いのです。そういうわけで、いろいろな話がありました。アメリカ人の金持の話が出て、言い訳みたいな事を言ってましたから、私はそれに対して言ってやったのですが、私はアメリカの金持が金を集めるという事は非常に結構だと思う。というのは、私はアメリカ人の一番好きな事は、正義感が強い事だ。だからアメリカが世界の平和を維持する上において、つまり正義を貫く上においては非常に物資が要る。その物資を集めるには金が要るから、その意味で金を集めるのだから、非常に結構だという話をしたら、先方でも、ロックフェラー<今は三代目で、孫の代だそうです>などが不断から言っていることは、金なんかあってもしようがないというのです。それはそうでしょう。金は入り過ぎるくらいですから……。だから自分は世界を平和にし、多くの人を幸福にする以外には何も考えない。だからそのための方法はどうすれば一番よいかという事を始終考えている。という様な事を言ってました。それで私は若い時分から、アメリカの金持の事を本や雑誌でできるだけ見るようにしてましたから、私の話はかえって先方の知らないような事を言いました。これは話が細かくなりますから、いずれ話すとして、そういうようなわけで、そういった日本に居るアメリカ人の間に大分拡がりつつあるのです。だからだんだん日本の有識者――ジャーナリストなどよりも、アメリカの方に早く知れるだろうと思います。又それが一番良いのです。それは日本人に知れるよりも一番効果的です。今の一切がアメリカ文化の崇拝思想になっているのですから、救世教もアメリカに知れるという事が一番効果があるわけです。未だいろいろな話がありましたが、このくらいにしておきます。
これは不断言っているような事ですが、書き方を変えてみました。
御論文 〔御神意を覚れ〕 【註 栄光二三七号】
御神意を覚れ
(栄光二三七号)
これは以前も書いた事があるが、本来人間というものは、神様の御目的たる理想世界を造る役目で生まれたものである以上、その御目的に叶うようにすれば、いつも無病息災愉快に働ける。これが不滅の真理である。処が何しろ祖先以来の罪穢があり、又生まれてからも、本当の事を知らないが為薬毒を入れるので、それが為却って病気に罹る事もあるが、これも止むを得ないのである。併し神様は、お役に立つ人が病気の為働けないとすれば神様の方では損になるから、速やかに治して下さるのは当然で、何等配はないのである。処がそれを知らない人達は、薬と称する毒を用いて病気を抑えるのであるから、全く真理に外れており、順調に治る訳はいかないのである。
この事は独り病気ばかりではない。それ以外凡ゆる災いも同様であって、凡ては浄化作用である。併し同じ浄化作用でも原因によっては浄化の形も自ら違うのは勿論である。例えば金銭や物質の罪である。盗み、遣込み、人に損をかける、分不相応の贅沢をする等々の罪穢は、やはり金銭や物質で償われる。世間よく金持の息子などが道楽者で、親の遺した財産を湯水のように使う事なども、親や祖先の罪障消滅をさせられるのである。それというのは、祖霊が自分の血統を絶やさぬよう、益々一家繁栄を望む為め、子孫の中の一人を選んで浄化に当らせるのであるから、この場合何程意見しても糠に釘である。
例えば玆に二人の兄弟があり、兄はドラ息子で手が附けられないが、弟は律義真当であるとする。一寸考えると、兄の方が悪く、祖先の名を傷つけるように思えるが、大乗的にみるとその反対である。何故なれば祖先の罪穢を消す点から言えば、兄の方が上だからである。というように、人間の考えで善悪は決められるものではない。
又、火事で焼け、泥棒に盗られ、詐欺に遭い、相場や競馬、競輪等で儲けようとして損をしたり、商売の失敗、病気で金を使う等々、総て物質の罪は物質で浄化されるのであるから、仮令人間の法律は免れ得ても、神の律法は絶対であるから、どうしようもない。
従って人間の目を誤魔化す罪は眼病、耳に痛いような言葉の罪は耳の痛みや舌の病、人の頭を痛めるような行為は頭痛、自己の利益のみに腕を奮う罪は腕の痛みというように、総て相応の理によって浄化が行なわれるのである。
又こういう事もある。それは信仰へはいってからの苦しみである。しかも熱心になればなる程一層苦しむものである。
そこで信仰の浅い人はつい迷いが起こるが、この時が肝腎である。この理は何かというと、神様はその人の熱心に対して、早く御利益を下されようとするが、まだ汚れがあるから浄めなければならないので、入れ物の掃除としての浄化である。その場合少しも迷わず辛抱さえすれば、それが済むや思いもかけない程の結構な御蔭を頂けるものである。
これについて私の経験を書いてみるが、私は二十年間借金に苦しめられ、いくら返したいと焦っても駄目なので、到頭諦めてしまった。それが昭和十六年になって漸く全部返す事が出来たので、ヤレヤレと思った事である。すると翌十七年になるや思いもかけない程の金が入り始めたので、今更ながら御神意の深さに驚いたのである。
又世間よく焼太りなどと言うが、これも浄化が済んだから運がよくなった訳である。かの熱海の火事にしてもそうで、焼ける前と今日とも比べたら、雲泥の相違である。以上によってみても、善い事は無論結構だが、悪い事も浄化の為で、それが済めばよくなるに決っているから、ドッチへ転んでも結構な訳で、無病結構、病気結構としたら、これこそ真の安心立命である。と言ってもこれは信仰者に限るので、無信仰者は寧ろ反対であり、苦しみが苦しみを生み、焦れば焦る程悪くなるばかりで、遂には奈落の底へ沈むようになる。この理によって人間幸福の秘訣はこの道理を弁える事である。
今殺人原爆と活人原爆というのを書いてますが、これを分りやすく言うと、これ(浄霊)が活人原爆です。それから今の原子爆弾は殺す原爆です。それで宇宙というものは反対な二つの力があって成生(生成?)化育されているのです。だから破壊の力と創造の力です。ですから地球は引力と言いますが、斥力もあるのです。吸う力と、はね返す力です。前に、月の世界に行くとかという事で、斥力を利用すると言う学者の説があったが、これは引力と反対な力ですから結構ですが、兎に角今言ったように殺す原子爆弾と活かす原子爆弾があるわけです。それが丁度時を同じくして生まれたという事が面白いのです。ですからこれはやはり原子爆弾と同じ事です。ただ此処から出る火素は、壊す原子爆弾よりもずっと粒子が細かい、上等なわけです。そこで、毒素を固める方法というのが、固まりきった時が破壊になりますから、それと原子爆弾とは同じです。ですからラジウムとかレントゲンというのはやはり固める作用をする物です。それのもう一層激しいものが、固まりを壊す作用になり、それが原子爆弾の原理です。ところが私の方のは溶かす力なのです。ですから溶かして出す力です。これは丁度今のと反対の力です。けれども結局において力の素晴しいのは原子爆弾と同じです。ただ働きがアベコベになっているだけです。ですからこれ(浄霊)を原子爆弾と思って説明すると一番分りよいのです。つまり人を殺す原子爆弾と活人原子爆弾が丁度同じ時に現われた*という事が非常に面白いのです。というのは、何時も言うとおり、最後の審判は破壊と創造が同時に起こるのです。だからこれがつまりそれの根本的のものです。そういう工合に考えて説明すると、非常によく分ると思って話をしたのです。
(*レオシラルドー1933年<昭和8年>中性子の連鎖反応の理論)
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