十二月十五日

 何時も言う事ですが、今の世の中と言いますか、特に日本はそういう状態ですが、つまり正義感が実に少ないのです。本当に正義感のある人は無いと言ってもよいくらいです。と言ったところで、正義感というものは表に出すものではないので、心の底にしまっておくものです。表に出すと、かえって結果が悪かったり何かするので、そこに難かしいところがあるのです。それを分りやすく書いてみましたが、これは何んでもなく分りそうな事でいて分らない事です。

 御論文〔正義感〕     【註 栄光二四〇号】

正義感

(栄光二四〇号)

 今更いまさらこんな事を言うのは、余りに当り前すぎるが、実をいうとこの当り前が案外閑却かんきゃくされている今日であるから、書かざるを得ないのである。それは先ず現在世の中のあらゆる面を観察かんさつしてみると、誰も彼も正義感などはほとんどないと言ってもいい程で、何事も利害一点張りの考え方である。という訳で偶偶たまたま正義などを口にする者があると、時勢後れとして相手にされないどころか、むし軽蔑けいべつされる位である。ではそのようにして物事が思うようにゆくかと言うと、意外にも寧ろ反対であって、失敗や災難の方が多く、それを繰返しているにかからず、これが浮世うきよ常態じょうたいとして、別段怪しむ事なく、日々を無意識に送っているのが今日の世相である。

 ところがこれを我々の方から見ると、立派に原因があるのであって、ただ世人はそれに気が付かないだけの事である。では一体原因とは何かと言うと、これこそ私の言わんとする所謂いわゆる正義感の欠乏けつぼうである。というのは、多くの人は絶えず邪念におかされ、魂が曇り、心のめしいとなっている為見えないのである。これに就いて私は長い間あらゆる人間の運不運について注意してみていると、それに間違いない事がよく分る。では正義感の不足の根本は何かというと、それは目には見えないが、霊の世界というものが立派に存在しているのである。そうしてその霊界には神の律法というものがあって、人間の法律とはちが厳正げんせい公平こうへいいささかの依怙えこもなく人間の行為を裁いているのである。ところが情ないかな人間にはそれが分らない為と、又聞いても信じられない為とで、不知しらず不識しらず不幸の原因を自ら作っているのである。

 そんな訳で世の中の大部分の人は、口ではうまい事を言い、上面うわつらだけをよく見せようとし、自分を実価以上に買わせようと常に苦心しているが、前記の如く神の目は光っており、はらの底まで見透みすかされ、その人の善悪を計量器はかりにかけた如く運不運は決められるのであるから、どうしようもない。ところがこんな分り切った道理さえ、教養の低い一般いっぱん庶民しょみんならいざ知らず、教養あり、地位、名誉あるお偉方えらがたでさえ分らないのは、全く現界の表面のみを見て、肝心な内面にある霊界を知らないからである。それが為彼らは無い知恵をしぼって世をいつわり、人をだます事のみ一生懸命になっており、これが利口りこうと思っているのであるから哀れなものと言えよう。その証拠には、結果はいつも逆で、巧くゆかない事実に気が附かず、上から下までその考え方になっている為、犯罪者は増え、社会不安はつのるばかりである。従って今日の社会で何かやろうとしても、邪魔じゃまが入り、失敗し、ほね折損おりぞん草臥くたびれもうけとなる事が多いどころか、中には新聞種にされたり、裁判さいばん沙汰ざたになる人さえ往々あるのである。

 私はこれらの人達を、かしこ愚昧族ぐまいぞくと思い、何とかして目覚めさせたいと骨折っているが、それには神の実在を認識させる外にないのであるが、これが又非常に難しい。というのは、知らるる通り現在指導者階級の人程、無神思想をもって文化人の資格しかくとさえ思っているのだから、本当に分らせるには、どうしても機会を作って奇跡を見せる事である。という訳で私は神から与えられた力を行使し、現在驚くべき奇跡を現わしつつあるので、近来ようやく社会に知れて来たようで喜んでいる次第である。そうして以上の理を一層徹底すれば、こういう事になる。即ち正義そのものが神であり、邪悪そのものが悪魔であり、神即正義、邪悪即悪魔であると共に、神は幸福を好み、悪魔は不幸を好むのが本来であるから、幸不幸は人間の考え方次第であるから、この真理を肚の底から分るのが根本である。

 以上の理によって、正義感を基本としなければ幸福をつかまえる事は絶対できない。という訳で、悪ほど損なものはないのである。私は「愚かなる者よ、汝の名は悪人なり」と常に言っている位で、この理が分りさえすれば、今からでもたちまち幸運街道驀進ばくしん者となるのである。ただしこれには一つの条件がある。それは単に正義と言っても二通りある。一つは個人の利益を本意ほんいとする小正義と、社会国家を主とする中正義と、そうして世界人類を主とする大正義とである。ところが小と中は真の正義ではなく偽正義であり、大正義こそ真の正義である。例えば親に孝、君に忠は、せんめれば利己本意である以上偽正義である。この間の戦争にしても、日本が負けたのは日本だけの利益を主とした偽正義であったからで、どうしても世界全体の利益を目的とする大正義でなければ、永遠の栄をもたらす事はできない。これが真理である。勿論宗教にしても同様な事が言える。彼の仏教やキリスト教の如き大宗教が今日衰えたというのは、大正義に見えても実はある程度の欠陥けっかんがあったからで、それが今まで分らなかったのである。

 ところが我救世メシヤ教に至っては、信者も知る如く、病貧争絶無の地上天国をモットーとしている以上、人類全体の利益が本意であるから、真の大正義の実行者である。

 だんだん救世教が発展するに従って一番脅威を感じているのはお医者さんと薬屋なのです。今はまだ大した事はないが、それでも大分注目しているようです。それで相当に対策も講じているらしいのですが、これは当然そこに至るのは分ってますが、なるべく徐々として分らせたいと思ってます。これは考えようによっては余程大きな問題と思います。しかし神様はどうしてもそこまで徹底するのですから、やむを得ないのです。又、別に私がやるのではなくて神様がやられるのですから……。と言ったところで、神様は、間違った事ではない……間違った事は向う様にあるのですが、その事を書いてみました。

 御論文〔医学者に警告する〕

医学者に警告する

(栄光二百五十七号)

 これから追々わが救世(メシヤ)教が発展するに従い、最も脅威を感ずるのは、何といっても医師と売薬業者であろう。それかあらぬか近頃目には立たないが売薬業者はその対策に腐心し、(ひそ)かに協議しているとの噂も耳にするが、さもありなんと思う。この事について私は以前から相当の考慮はしていたが、それかといって大善は小悪を伴なう以上、全人類を病苦から救うという大聖業であるとしたら、その関係者がある程度の犠牲もまた止むを得ないと思うのである。しかしこれまでのところさしたる事もなく済んで来たのであるが、いずれはそういう時の来るのも予想はしていた。何しろ本教によって救われる人々が日に月に増えるに従い、追々世間の注目を引くようになるから、医業者に与える影響もまた少くないのは当然である。

 そうしていつも言う通り現在進歩したと称する医学は、進歩どころか逆に病気を作り、悪化させる事と、薬も同様毒物であり、病気に効くのは一時的で、結局は病気を作り、増悪させる以外の何物でもないのであるから、この事が一般に知れ渡るとしたら、嫌でも問題にならざるを得ないであろう。しかし現在はそれが分らないため、逆に健康上不可欠のものとして、むしろ奨励さえしているのであるから、実に重大問題である。ここでこの大発見がどうして生まれたかという最初からの経路をザットかいてみるが、ちょうど今から二十数年前であった。私は生来の病弱を解決せんがため苦心努力の結果、自らの体験によって医薬の誤謬を根本から知り得たので、これは容易ならぬ問題として引続き熱心に研鑚(けんさん)を続けている内、たまたま信仰生活に入るに及んで、病理、健康、治病の要諦(ようたい)が分ると共に、治病の力をも与えられたので、ここに動かすべからざる確信を得、一大決意の下に(あまね)く天下に知らしむべく邁進(まいしん)して来たのである。ところが予想のごとく追々知れ渡るに従い、救われる者数知れず、いずれは世界的大問題になるのは、最早決定的といってもよかろう。

 以上のごとく私は今日まであらゆる方法によって、医学の迷蒙と薬の害毒を分らせるべく努力して来たが、何しろ長い間の医薬迷信に(とら)われている現代人の事とて、その困難さは並大抵ではない。しかしいかに頑迷であっても、真理は飽くまで真理である以上、結局は(かぶと)を脱がざるを得なくなるのも分っている。何しろ現在日々数えきれぬ程の重難病者が救われつつあり、救われた人々の感謝感激の礼状は、現在一カ月二百通以上に及んでおり、なお日に月に増えつつある現状である。

 この趨勢(すうせい)を以ってすれば、社会一般に知れ渡る日も左程遠くはあるまいから、その時になって医業者諸君の(あわ)て出すのは分りきっているから、そうならない内に一日も早く頭の切替えをする事である。それを予想してか近頃当事着が内密に対策を講じている話も聞くが、それは表面からの対抗は困難であるからである。本当からいえば、この病院で、この療法で、この薬で、この通り全治した、という証拠を見せるべきだが、それが不可能であるから、問題は極めて深刻である。しかも事は人命に関する重大問題であり、一方前記のごとき画期的真の医術が生まれた以上、既成医学の崩壊は時の問題でしかあるまい。故に事ここに至っては、どうしても大乗的見地に立って善処するよりほか致し方ないであろう。しかもこの救世の大業たるや神意の発動であるから、免れる道のないのはもちろんであるから、当事者は一日も早く一大決意をされん事である。そうでないとしたら、近き将来容易ならぬ事態に直面するのは、火を()るよりも明らかである。

 それから、真善美の世界を造るという事で、真善は兎も角、美と言うと、美術館とか地上天国という事で、これは分り切った話です。ところが未だ気のつかない美というものがあるのです。美の世界ではないのですが、それは何かと言うと人間の腹の中です。人間の臓物を美にしなければならないのです。まずどんな人でも、一皮むいたら、それはもう(ち)(うみ)で一ぱいです。兎に角筋肉や骨の量と、いまの血膿の量とを比べたら、血膿の方が多い人が大部分です。おそらく、世の中で汚い物と言えば、血膿だと思います。これは糞小便よりもっと汚ないと思います。馬鹿に汚ない話ですが、その血膿というのは何から出来たのかというと薬です。薬が変化したものが全部血膿です。そこで今の人間はウンと薬毒が入ってますから、兎に角毒血と血膿が一ぱいに詰まっているわけです。だから、おそらく一番汚ないのは人間です。いろんな寄生虫がわくというのは当り前です。大体人間の体に虫がわくという事はあり得ないのです。だからみんなきれいな事を言っていても、御自分の腹の中ときたら、それこそ糞溜めより汚ないのです。だから真善美の世界と言うが、これはまず人間の腹の中から美にしなければならないのです。その因が薬毒ですから、薬毒から無くしなければならないのです。それで、体の中が汚ないから、そこで想念も汚なくなるわけです。これは霊体一致ですから……。そこで今読んだ正義感の不足というのもやっぱりそのためです。それで神様の話をしても分らないというのは、分らないはずです。それで汚ないものを掃除されるわけですから、それは苦しいです。だから、どうも信じられないとか、分りが悪いというのは、つまりそういう汚ないものは曇り切っているから、それが邪魔していて通じないわけです。それでその掃除が始まると、その掃除を止めようとする。それが又薬ですから、掃除をする働きを止めようとして、又その掃除をすべきものを入れるわけです。やっぱり〝超愚〟です。そういうようなわけで、美というものは、まず人間の腹の中というこれです。浄霊というものは、つまり美にする働きです。汚ないものをきれいにするというわけです。今の世の中で心のきれいな人間が非常に少ないという事は、心でなく肉体が汚いのだから、どうしても浄霊ということによって一番根本的に本当に結果を得られるというわけです。浄霊は人間を使って個人々々に掃除をしてくれる仕事です。神様はそういう方法をとられたわけです。ところが霊界がだんだん明かるくなる、昼間になるという事は、人間の霊体の霊身の方が全体的に浄化されるわけです。そのために、つまりいろいろ病気が起こる。だから神様の方で全体的に病気が起こるようにすると、人間の方で=救世教信者がそれを治し、汚ないものを除る、出してしまうという事で、神と人との共同作業です。ところがその薬毒、血膿というものは非常に多いのです。それは実に想像もつかないくらいなものです。まずその人の一生涯でそれがすっかり除れる人は無いでしょう。私でさえ今もって毎日自分で自分を浄霊してますが、歯の悪いのは今年で三十七年目です。最初から知ったのではないので中途からですが、兎に角知ってからでも十数年になりますが、自分で浄霊を始めたのが約十年くらい前からですが、それで今もって毎日やらなければ、少しずつ始終痛んでくるのです。だから薬毒が自然に除れるという事はまずないです。時々風邪引とか下痢するとか熱が出るという事は、勿論それだけ毒が減りますが、それは僅かなものです。それで浄霊を何十回何百回やるという事はかなり除れます。それから疥癬で体中カッタイボウみたいになりますが、それで相当除れます。疥癬の毒というのは天然痘の毒で、つまり古い毒です。つまり親の遺産で、その浄化です。ところが自分が生まれてから入れた毒が大変なものです。それで疥癬の時に痒いのは天然痘の毒ですが、黒豆のようなものが出来て傷むのは薬毒です。ですから疥癬でも薬毒も相当混るわけです。それで、疥癬でアンナに毒が出たからもうよいかと思うと、まだまだウンとあるので、本当に疥癬で出たのは一部分のようなものです。それから私がやっぱり毎日のように浄霊しているのは、背中と横腹の間に毒があるのです。この頃は大分減りましたが、これは昔肋膜をやった時のもので、私が美術学校に行っていた時に目を悪くして、ヨードカリと言う海藻から取った薬を二、三年続けました。そのために肋膜が起こって、肋膜から肺結核になったのですが、肋膜から水を除ったり、薬も多く飲みましたが、やっぱりヨードカリを多くのんだのです。これは弱い薬で痛んだりする事はないのですが、しかし始終胸が凝ったりするのです。この頃は殆んど忘れてますが、それが約五十年前のものです。ですから三十七年前とか五十年前の薬毒が今もってあって毎日浄霊しているのですから、如何に恐ろしいかという事が分ります。信者などで〝あれだけ浄化したから、もう無いと思ったら未だある〟という事がありますが、あなた方もそういう事がよくあるでしょう。そういうようなわけで本当に大変なのです。それが一番分るのは何がよいかと言うと寿命です。おそらく今は百歳以上生きるのは、万人に一人か十万人に一人というようなものでしょう。長生をして九十代くらいです。普通は寿命が延びたと言っても六十か七十です。それで死ぬのは全部薬毒のためです。薬毒が全然無くなれば、必ず百以上は生きます。それで薬毒が多いほど早死になのですからして、それで見ればはっきりしてます。しかし、近頃寿命が延びたと言ってますが、それは薬毒が出ようとするのを押えつける工夫が進歩したのです。これは医学で言う抗生物質という今までと全然違うもののためです。その内で特に寿命に関係して早死させたのは漢方薬です。日本人の寿命というのは漢方薬が縮めたわけです。それで近頃漢方薬を止して西洋の薬を飲むようになってから寿命が延びたわけです。以前外国の方では日本人より寿命が長いという事を言われてましたが、それは漢方薬を使わないためです。ですから寿命を縮めるのは漢方薬に限るのです。……と言うと変な言い方ですが……。そこで最近の寿命が延びたというのは、漢方薬が無くなったためと、西洋の薬が抗生物質の薬に変ったためです。これは割合に副作用がなく浄化作用を停止するのに効果があるのです。そういうようなわけで、人間の腹の中が汚ないというその事をよく知っておくとよいです。それがために婦人などは顔色が悪いとか顔が荒れるとか唇の色が悪いとか言っていろんな化粧品を使って、そうしていわゆる誤魔化しているわけです。それがために、まず美人というのは無いです。化粧しなかったら、今の女の顔は見られやしません。私はよく、あまり化粧しない女の顔を見る事がありますが、美術展覧会に行くと女の画像が多いのですが、女の画像は割合に顔を気にしないとみえて、化粧しないのです。その代り汚ない顔です。男の方が余程きれいです。展覧会には何時も絵を見に行きますが、つい若い女の顔を見ると、実に汚ないです。だから化粧品が売れるのです。売れるから広告などに大変な金を使うのです。そういうわけで、汚ない――殆んど血膿を皮膚で包んでいるのだから、きれいなはずがないのです。私はよく言いますが〝人間気がつかないが、人間の皮膚ぐらい有難い物はない。若しこの皮膚が無かったら、汚なくて、到底人前には出られない。だからその皮膚の恩恵も感謝しなければいけない〟と。よく女などに言いますが、そういうようなわけで、つまり美人を見てもあんまり美に酔わされないためには、中身(なかみ)を考えてみる必要もあると思います。そうなると恋愛という事も、ちょっと熱が冷めます。しかしそうなるとやっぱり精神的に心の方の美を求めるから、かえってよいかもしれません。そういうようなわけで、人間は意外に毒素が多いという事と、血膿というものは薬毒の変化したものという事と、人間の美というものも体の中がきれいにならなければ本当の美ではないという事です。やっぱり腹の中が美になれば――肉体が美になれば心も美になりますから、そうすると美しいものを好むという事になります。だから美術館などを見る、或いは見ている内に趣味が出て来るという事は、やはりそういった汚ないものが精神的にそれだけ減ってゆくわけです。つまり魂が美から受けるその作用によって、魂がそれだけきれいになるわけです。非常に必要な事です。神様はそういった、つまり楽しみながら魂をきれいにする、要するに浄化ですが、そういう事をやられるわけです。だからして真善美の美という事の一番の根本は、人間の身体の中を美しくするという事で、その方法は、つまり直接には浄霊、間接には教えを耳に聞き、それから美を目から入れるという事です。だからして救世教がやっている事は、本当に地上天国を造る要素なので、他の宗教にそういったような考えでやっているのは殆んどないのです。ただ教祖の教えを丸呑みにして、無我夢中に、禁欲生活をしたり、大きな声を出してうなったり、太鼓を叩いたりいろいろしてますが、それでも無いよりはよいです。それが全然無い人はどんな悪い事をするか分らないし、どんな犯罪者になるか分らないです。兎に角神仏に向っていれば、例え馬鹿馬鹿しい事をやっていても、それだけの(こころ)(がけ)であれば、凶悪犯罪をするという事はあるわけがないです。何々教信者が殺人強盗をしたという事は聞かないから、これはよいですが、しかし本当に良い世界を造るという事は、救世教のやり方以外にないわけです。ところが救世教をおそろしく毛嫌いするのですが、というのは、つまり身体の中に汚ないものをウンと持っているから、どうも掃除がつらいというわけです。この掃除がつらいというのが副守護神です。というのは、自分にとって勝手が悪い事になるから、極力止めようとするのです。特に狐や狸というのは自分の居所が無くなるようなわけですから、つまり萎縮してしまい、活動が出来なくなるのです。彼等が一番怖いのは光ですが、救世教は光で救うのです。ところが一方祖先とかいうのは、光によって浄められれば霊界の地位が上りますから、救われたいというわけです。よくお蔭話で、祖霊が喜ぶ状態とか、信者にしたいとか、副守護神が邪魔しているのがありますが、それが分って見れば、実によく分ります。近頃非常に精神病が増えたという事は、そういった動物霊が働きやすくなったからです。働きやすくなったという事は、人間の霊が曇ると彼等の活動力が増しますから、此処に汚ない血膿なら血膿があれば霊の方は曇りが強いわけです。それで曇りがあるほど動物霊というのは其処で仕事をしやすくなるわけです。だから了簡(りょうけん)の間違った者や罪を犯す者は、副守護神、つまり動物霊が働きよい状態に置かれているわけです。だから犯罪者が多いという事や、さっき言ったとおり正義感が少ないという事は、それとチャンと平均しているわけです。だから今日正義感が薄いというのは世界的です。凡て一時的御都合主義で、本当にこれが正しいと言って、それをやろうとする人は殆んど無いです。これは年中新聞やラジオで各政党や政治家がいろんな事を言っても、これなら本当に国民のためになる、世の中のためになるという事はないので、御座(おざ)成的(なりてき)で、実は、わが党が大きくなるとか、わが党のためになるとか、自分が出世する、というケチな考えで、こういう政策が本当に国民のためになるという事をやる人は、ごく僅かしかないです。そういうようなわけで、心が曇り、肉体は毒で埋まっているという事がよく現われてます。

 

 

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