今の世の中を見ると、世界中が非常に正義感というものが無くなったのです。何んでも算盤ずくでやっているのです。理窟だけは、こうやればこうなる、こうやる方がよいという事を、世界中特に日本の政治でも経済でも、みんなそうなってます。ところが鶍の嘴と食い違いで、うまく行く事はないのです。特に政府の政策などがそうで、いろんな案を立てたり、いろんな事をしても、凡そ結果は反対なのです。一番大きな違いは米作ですが、これなども、前の農林大臣の広川弘禅氏の時に、五カ年計画で三千万円を出して三割増産をするという案を立てました。ところがその案に基づいてやり始めたようですが、今年のように馬鹿々々しい違いさです。そういうような例が、貿易にしろ、いろいろな事に、みんな結果が反対なのです。その原因をよく見ると、一番の原因は算盤ばかりで正義感というものが無い、そのためです。今のは大きな話ですが、個人でも、うまく行かないという事は正義感が足りないのです。ところが正義というものは、かえって算盤とは反対の方が多いです。大変損のように思う事があるのです。正義というものを守るという事は算盤に当嵌らないように見えますが、ところが結果においては、ずっと算盤に当るのです。正義が算盤に当るというと変ですが……。そこのところが理窟では分らない面白みのある点です。その事を書いてみました。
御論文〔正義感〕 【註 栄光二四〇号】
正義感
(栄光二四〇号)
今更こんな事を言うのは、余りに当り前すぎるが、実をいうとこの当り前が案外閑却されている今日であるから、書かざるを得ないのである。それは先ず現在世の中の凡ゆる面を観察してみると、誰も彼も正義感などは殆んどないと言ってもいい程で、何事も利害一点張りの考え方である。という訳で偶偶正義などを口にする者があると、時勢後れとして相手にされない処か、寧ろ軽蔑される位である。ではそのようにして物事が思うようにゆくかと言うと、意外にも寧ろ反対であって、失敗や災難の方が多く、それを繰返しているに拘らず、これが浮世の常態として、別段怪しむ事なく、日々を無意識に送っているのが今日の世相である。
処がこれを我々の方から見ると、立派に原因があるのであって、只世人はそれに気が付かないだけの事である。では一体原因とは何かと言うと、これこそ私の言わんとする所謂正義感の欠乏である。というのは、多くの人は絶えず邪念に冒され、魂が曇り、心の盲となっている為見えないのである。これに就いて私は長い間凡ゆる人間の運不運について注意してみていると、それに間違いない事がよく分る。では正義感の不足の根本は何かというと、それは目には見えないが、霊の世界というものが立派に存在しているのである。そうしてその霊界には神の律法というものがあって、人間の法律とは違い厳正公平、些かの依怙もなく人間の行為を裁いているのである。処が情ない哉人間にはそれが分らない為と、又聞いても信じられない為とで、不知不識不幸の原因を自ら作っているのである。
そんな訳で世の中の大部分の人は、口では巧い事を言い、上面だけをよく見せようとし、自分を実価以上に買わせようと常に苦心しているが、前記の如く神の目は光っており、肚の底まで見透かされ、その人の善悪を計量器にかけた如く運不運は決められるのであるから、どうしようもない。処がこんな分り切った道理さえ、教養の低い一般庶民ならいざ知らず、教養あり、地位、名誉あるお偉方でさえ分らないのは、全く現界の表面のみを見て、肝心な内面にある霊界を知らないからである。それが為彼らは無い知恵を絞って世を偽り、人を騙す事のみ一生懸命になっており、これが利口と思っているのであるから哀れなものと言えよう。その証拠には、結果はいつも逆で、巧くゆかない事実に気が附かず、上から下までその考え方になっている為、犯罪者は増え、社会不安は募るばかりである。従って今日の社会で何かやろうとしても、邪魔が入り、失敗し、骨折損の草臥儲けとなる事が多いどころか、中には新聞種にされたり、裁判沙汰になる人さえ往々あるのである。
私はこれらの人達を、賢い愚昧族と思い、何とかして目覚めさせたいと骨折っているが、それには神の実在を認識させる外にないのであるが、これが又非常に難しい。というのは、知らるる通り現在指導者階級の人程、無神思想をもって文化人の資格とさえ思っているのだから、本当に分らせるには、どうしても機会を作って奇跡を見せる事である。という訳で私は神から与えられた力を行使し、現在驚くべき奇跡を現わしつつあるので、近来漸く社会に知れて来たようで喜んでいる次第である。そうして以上の理を一層徹底すれば、こういう事になる。即ち正義そのものが神であり、邪悪そのものが悪魔であり、神即正義、邪悪即悪魔であると共に、神は幸福を好み、悪魔は不幸を好むのが本来であるから、幸不幸は人間の考え方次第であるから、この真理を肚の底から分るのが根本である。
以上の理によって、正義感を基本としなければ幸福を摑える事は絶対できない。という訳で、悪ほど損なものはないのである。私は「愚かなる者よ、汝の名は悪人なり」と常に言っている位で、この理が分りさえすれば、今からでも忽ち幸運街道驀進者となるのである。但しこれには一つの条件がある。それは単に正義と言っても二通りある。一つは個人の利益を本意とする小正義と、社会国家を主とする中正義と、そうして世界人類を主とする大正義とである。処が小と中は真の正義ではなく偽正義であり、大正義こそ真の正義である。例えば親に孝、君に忠は、煎じ詰めれば利己本意である以上偽正義である。この間の戦争にしても、日本が負けたのは日本だけの利益を主とした偽正義であったからで、どうしても世界全体の利益を目的とする大正義でなければ、永遠の栄を齎す事はできない。これが真理である。勿論宗教にしても同様な事が言える。彼の仏教やキリスト教の如き大宗教が今日衰えたというのは、大正義に見えても実はある程度の欠陥があったからで、それが今まで分らなかったのである。
処が我救世教に至っては、信者も知る如く、病貧争絶無の地上天国をモットーとしている以上、人類全体の利益が本意であるから、真の大正義の実行者である。
それから真善美の美と言うと、美しいもの、つまり大体目に見えるものです。心の美しいという事もありますが、とに角汚ないものを美しくする、それが地上天国における最も重要な条件です。ところが、そういった自然の美とか人工の美といったものでなく、もっと肝腎な美があるのです。それは殆んど気がつかなかったろうと思うのですが、それは何の美かというと、人間の肉体の美なのです。というのは外面から見た皮膚の美でなく、中身です。皮を一枚剥がした中身の美です。ところがこれが、今の人間は大変な醜になっているのです。これは浄霊をする人はよく知ってますが、大体は実に薬毒が多いです。幾ら薬毒を減らしても、なかなかで、後から後から出て来るのです。オレはあれほどの疥癬をやったから、もう大して毒はないと言って安心していると、さにあらずで、後から後からいろんな毒が出て来るのです。それで今まで疥癬の重いのをやって、もうあら方毒が出たような気持になって、それからそれ以上の病気が出る人もあります。それほど薬毒が多いのです。ですからその薬毒なるものは、つまり分りやすく言えば、血膿――毒血と膿です。ですから人間、一皮むいたら毒血と膿で一ぱいです。おそらく骨や筋肉より多いでしょう。毒血と膿を取ったら骨と皮だけになります。ですから私は言いますが、人間は皮膚の有難みというのに気がつかない。人間、美男とか美女と言ってきれいに思ってますが、一皮むいたら見られたものではないのです。昔、骸骨の絵があって、それに皮肉が書いてありましたが、文句は忘れましたが〝一皮むけば、人間はこんなものだ、こうなるのだ〟と書いてありました。それは骨だけですが、とに角毒血と膿で一ぱいなのです。医者が手術した時もそうですが、これは現場ではなく写真で見ましたが、これは衛生博覧会で模型が出てますが、大変なものです。ですから一番肝腎な事はそれを美しくする事です。つまり毒を除る事です。という事は無論分り切った話で、浄霊でそういうふうにしてますが、ただそんなに沢山あるという事をみんな分らないのです。ですから少しでも毒が減ると、自分はもう大変きれいになったというように自惚れたがるのです。それが間違っているのです。とてもそんな自惚れどころではないので、肉体的には自分の体に愛想が尽きるくらいです。現に私がそうです。私が五十年前の肋膜の時にのんだ薬ですが、これは水の溜まらないようにとのためでしたが、その前に目が悪くて、ヨードカリという薬を二年ほど続けてのみました。これは海藻からとる薬ですが、これが溜まって肋膜が起こったのです。やはりこれが肋膜の附近に溜まっていたのです。ですから今もって背中と横腹の間にゴリゴリがあるのです。これを三、四年前からやってますが、まだあるのです。それから肋膜の時にのんだ薬がありますが、これが十八の時のですから五十年以上前です。それから三十七年前に歯を悪くしてやった薬が今もってあるのです。近年殆んどのように忘れてますが、それでも毎日のように少しずつ痛みがあるのです。ですから私なども、本当に無くなるには、もう二十年ぐらいかかるのではないかと思います。ですから九十になったら本当に薬毒がなくなり、それから大いに活動――できるかできないか分りませんが……。その代り減るに従って年々体の工合が良くなって行きます。ですからかえって近頃若くなったと言われます。それはかえって薬毒が減ったためです。それほど薬毒というものはしつこいものだという事を知らなければならないです。
私も随分、疥癬をやりましたが、毒にもいろいろ種類があるのです。疥癬の毒と、頭の痛くなる毒とか、腹の痛くなる毒とか、いろいろ種類があるのです。それで、疥癬の毒というのは天然痘の毒ですから、そこで疥癬は痒いのです。まず痒いのは天然痘の毒と思えばよいです。それから疥癬でも、痛いので黒豆のようなものが出来ますが、これは薬毒です。ですから疥癬は天然痘の毒に薬毒が混って苦しむものです。それで毒によって、痒いのと、痛いのと、麻痺したのと、いろいろあります。それは自分のつけた薬やのんだ薬を考えてみれば分ります。それから何時も言うとおり、一番痛い毒は消毒薬です。よくお蔭話とか質問に、霊的の病気のように思っている人がありますが、霊的の病気もありますけれどもごく僅かなもので大体は薬毒なのです。よく病気が思うように治らないというような時質問があり〝何の毒でしょうか〟とか〝霊的でしょうか〟というのがありますが、そうではないので、みんな薬毒です。それから霊的の病気があるとしても、やはり薬毒です。つまり霊が薬毒で曇っていると悪霊が憑きやすいのです。ですから薬毒というものを知っているのは、霊の方が知っているのです。狐などは特に薬毒を知ってます。何時か、狐が〝コイツをやっつけようとして随分薬をのましたが、この頃救世教に入って薬を止めてしまったので困る〟という事を言っていた事がありましたが、薬毒で肉体を悪くし、それで霊を曇らせる。そうすると狐は大いに働きよくなるのです。ですからこの点は人間より狐の方がずっと偉いです。人間の方は、われわれの方でいくら薬毒を言っても、最初はなかなか信じないのですが、狐の方は知っているのです。医者にかからせ、手術をさせたりするのは、狐がやらせるという事が非常に多いのです。学者というのは狐より以下という事になります。面白いのは、そうやって人間の霊を曇らして、いろんな動物霊が悪い事をさせるのです。だから今言う正義感がないという事は、その原因はやはり薬なのです。薬が悪を作っているという事になります。薬が人間の体を弱らせ、悪を作り、社会を悪くし、世の中を悪くするという事になるのですから、薬というものは如何に大きな罪悪を作っているか分らないです。だから人間を健康にする、或いは罪悪を無くするという事は、薬を無くするという事になるのです。それを今浄霊しているのだからして、その事が本当に分ったら随分恐ろしいわけです。それから、霊が曇るという事は今言ったとおり肉体が汚なくなっているというわけで、霊的には、霊が低くなっているのです。だからしてどうしても、劣等な事や、汚ない事に対して、あんまり気にならない、厭わないのです。自然に芸術などに対しての趣味を持たないのです。要するに趣味が下劣になるのです。そのために社会に対して悪い影響を与えるという事も多いのです。根本はどうしても人間の体の中を美しくするという事になるのです。その人間の肉体の中の美という事に対して全然気がつかないからして、それを気をつけるべく私は書いているのですが、今はその話をしたわけです。
日本人が優秀だという事について書いてみました。
御論文〔日本の誇り〕 【註 栄光二四一号】
日本の誇り
(栄光二四一号)
これは衆知のごとく、昔から日本には世界に誇り得る程のものは、遺憾ながらほとんどなかったといっていい。強いて求めれば人間が造ったものの内、絵画、彫刻のごとき美の文化財くらいなものであろう。言うまでもなく宗教や学問、その他の無形文化財にしても、外国を凌ぐ程のものはなかったのは確かである。それが日本人の物真似好きの原因となり、劣等感の原因ともなっているのであろう。ところが喜ぶべし、私が神示によって創成した神霊医学なるものは、恐らく有史以来未だ嘗てない偉大なものであって、これこそ初めて世界に誇り得るものが日本に生まれたといっても過言ではあるまい。従ってこの真相が分った暁、世界を挙げて愕然とするであろう。
そうしてこの発見がいかに素晴しいものであるかは、これが動機となって世界文明はここに百八十度の転換となり、新文明生誕となるのは断言するのである。故にそうなった暁、日本国民は今更のように驚き、手の舞、足の踏む所を知らざる一大歓喜の渦に巻かれるであろう。ここにおいて我民族のいかに優秀性であるかを感得せずにはいれまい。何しろこの事たるや全人類が何千年も前から要望し、念願していた最大悩みである病気が追放され、人間の寿齢は百歳以上は易々たるものであるという夢の実現であるからである。というように、むしろ余りに破天荒、意想外な福音に、唖然として、本当に信じ得るまでには相当の時を要するかも知れないと思う。
という訳でいずれはこの真相が一般に分り出すに決っているから、そうなったらまず最初日本人が狼狽するのは目に見えるようである。次いでいよいよ世界に分り出したら、いかなる民族も何を措いても飛びついて来るのはもちろんである。その結果二十世紀後半に至った今日、世界の歴史はここに書き変えられると共に、日本は一躍世界の救世主として仰がれると共に、釈迦、キリストをはじめ、幾多聖者の予言の裏付がここに実現した事によって、その教の信仰者の歓喜もまた大変なものであろう。その結果ここに苦悩の世界は一転して歓喜の楽土と化し、人類の理想世界は実現の一歩を踏み出す事となるのである。しかもこれは単なる夢ではない。現に着々として進行しつつある事実を見れば、絶対確信していいのである。
二、三日前に瑞雲郷に行ってみました。大抵見て知っているでしょうが、今度美術館が出来る所に道路を作りました。これは非常に大勢の人が行く事になりますから、自動車と人間が一緒では余程広くなくてはならないと思って、今までの道路より広くしたのです。今までは二間半から三間でしたが、今度は三間半にしたのです。そうして割合に勾配が少ないから楽です。美術館を見て、それから展望台ですが、展望台のガラスの家は「水晶殿」という名にしました。英国にガラスの家出出来ているので「水晶宮」というのがありますが、「宮」では名前が少し大袈裟過ぎます。「宮」と言うと幾らか荘厳過ぎますし、他につけようがないので「水晶殿」としました。「殿」でも少し大き過ぎますが、「水晶閣」も変だし、「水晶亭」「水晶庵」でもあまりに日本的過ぎますから、「水晶殿」としましたが、美術館を見てから其処に行くのに、どうも道路がややこしくて難かしいので、植木屋も首をひねっていろいろしているのですが、私がそのつもりで行ってみると、素晴しい、丁度良い道路が出来るようになっているのです。神様はチャンと行届いているのです。それは割合に手数がかからないで、非常に簡単で、とても良い道路が出来るのです。それは歩いて行くのですが、そういうようなわけで、神様の方はチャンと準備をしてあるのです。それに気がつけばよいわけです。又その気がつくのも、時期に応じて気がつくのです。決して早過ぎて気がつく事はないのです。その時になるとチャンと気がつくのです。おおよその大摑みは気がついてますが、本当に実際的に分るのはその時にならなければならないのです。だから神様の仕事というものは非常に面白いものです。ところが人間はそれを知らないからして、このくらいな事はもっと早く分りそうなものだと思うのです。私もそう思う事があります。ところが時機にならなければならないのです。つまり必要の時機です。早くも遅くもないという時機です。尤も遅くては駄目ですが、早過ぎてもいけないのです。それで気がついてやるのですが、前からそういうように形が出来ているのです。それで私の前からの予定では、水晶殿が出来ると、写真入りで新聞や何かがデカデカと宣伝してくれるでしょう。これは今まで世界に出来たものではないから、実に珍しいものです。そうなると其処に行って見たいという人が沢山出来るでしょう。そこで日本中の人が一度は見ようという事になります。美術館も素晴しいものが出来ますが、特に水晶殿は、熱海を一望にし、相模湾、伊豆七島、それから房総の方まで一目で見えますから、どうしても一度は行って見たいというわけで、日本人の少なくとも三分の一や五分の一は、無論数年の内に来るだろうと思います。それで八千万の人口として、一割としても八百万人ですが、一割ではきかないでしょう。三分の一として二、三千万は確かに来ると思ってます。そういう予想で、水晶殿も予定より大きくしたのです。一度に百人ぐらいが入ってもゆったりできるように椅子を百台用意するつもりです。そうして其処に行くには梅林の方を通らなくて、こっちから行けるようにしますから、非常に便利です。そうして大勢グルグルと順繰りに見てゆくような形にしました。そのために一人大体百円としましたが、とすると一千万人来れば十億ですから、莫大な金が入る事になります。しかしこれから経営する所が沢山あるのですから、十億でも足りないと思ってます。日本中でも、箱根ももっと拡張しなければならないし、熱海ももっと大きくしなければならないし、京都にも造らなければならないし、九州にも北海道にも造らなければならない、というように各地に地上天国を作らなければならないのです。それからハワイにも造らなければならないし、将来はアメリカにも造るつもりです。それで、アメリカに造る前には、アメリカとの美術の交換もやるつもりです。美術の交換というのは、先方では日本の美術を非常に見たがっているのです。今までアメリカに行った物は、仏教くさい堅い物ばかりです。もっと大衆向な物は殆んど行ってないので、そういう事をやるつもりです。そうしてアメリカの美術館にあるヨーロッパの美術館という物をこっちに借りるというように、両方で交換をしようと思ってます。そこで熱海の美術館などはそういう事もやるようになるでしょう。そうすると、今日本で見たがっているヨーロッパの油絵の名人の作品とか、彫刻という物を日本人が見られるというようになれば、今の博物館にあるマチスとかピカソというアレッポチな物でなく、もっと素晴しい物を出品させるつもるです。なにしろ米国で最近買った、裸体画だったと思いますが、セザンヌの相当大きな物だそうですが、それをロックフェラーが、日本の金にして三億六千万円で買ったのです。これは博物館の人でアメリカから帰って来た人から聞いたのですから確かです。そのくらいの物を出すかどうかは分りませんが、兎に角そのくらいの物を持っているのですから、外国美術品と東洋美術品の交換をやらなければならないのです。それを将来こっちでやるのです。そういう事をやるには大いに金が要りますから、今言う入場料などを大いに当にしているわけです。
そういうようで、これは必ず実現するだろうと思ってます。それに対しては、私はそういう事に対する地上天国も造るつもりです。最初はハワイに造るつもりですが、それからだんだんアメリカの方に造るつもりです。こっちで箱根・熱海に地上天国が出来たのをあっちの人に見せると、これは一つアメリカにも造りたいと思うに決まってます。では一つ設計してくれという事も無論あると思いますから、私がアメリカに行くか、地図か何かそういったもので設計してやる事になるでしょう。ですから美術によって国際的に各国と融和するという、大きな国際的外交と言いますか、それをこっちの一つの役割としてやるような事にならないとは限らないです。むしろ実現の可能性は大いにあるわけです。そういうような話も、アメリカの新聞記者の人などは漏らしているような話です。そうなると宗教の方も大いに認められるだろうと思ってます。ですから救世教は宗教ではないという事はそういう訳です。つまり宗教ではないのではなくて、宗教のようなチッポケなものではないという訳です。宗教は救世教の一部というわけで、それがだんだん分って来て、その頃になると世界的に分って来るわけです。大体熱海の地上天国が出来れば、これは世界的に分ります。アメリカの新聞関係の人が大いに書きますから……。今でも箱根の事について非常に書きたがっているのですから……。ですから今度熱海が出来たら、テンデ箱根とは段違いのように素晴しいものです。美術館などもだんだん設計しましたが、倍よりもちょっと大きいくらいです。又内部なども箱根の経験によって一層進歩したものを造るつもりです。箱根を造った時よりか今の方が、いろいろな面に、又建築上の進歩があります。ですから熱海に出来るのは必ず世界から注目されるものになる事は分ってます。それから品物も世界的の良い物があります。これは此処だけの話ですが、箱根に出さない物がまだいろいろあります。それは特級品です。そういうようなわけで、まだそういったような事で話をする事がありますが、春になったらそういったいろんな面白い話をするつもりです。それから外人の方でも、美術館の事で話をしたいようないろんな活動があるのです。
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